隠喩と暗喩の対話
日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。
きっとキンパチのロンゲが黄緑の気取りによってキャラが割れる。
余剰の一日は殺人的でマジ気が狂いそうになりまくりすてぃだぜヘーイ。どんなにだれかさんたちがとやかく言おうとも、今は今なりに今だと跳ね除ける強さを強がりだとしても見せるのが公という。なぜなら、「けん」を「かん」と脳内発声してしまいがちな幼稚な画力で表すには、この世界は便座が冷たすぎるから。
「時が土曜日を闇に葬り去ろうとも」という出だしでファンタジー世界の主人公が切る痰火や見得のように仏陀斬ろうと言葉を選んでも駄目。
ようこそ森林公園へ。またアレっぽい風が吹きまわってしまうのだが、ブッチャーの入場のようにおどろおどろ踊ろう踊るしかなくはない。残念なことに、あるいは、せっかくだけど、そんな枕詞から始まる文脈は、本当に残念だったりせっかくだったりするのだろうか。シータクは疾走する。しかしこのシータクの運転手はあれこれ訊いてこない。このシータクは森へは向かわない。
なんだかんだでなんだかんだ楽しめてるのならそれでよいのではないかよいではないかよくないのかよいのではないか。わしゃしらん。
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