武ニュースDiary

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| 2009年03月10日(火) |
ジャワティー●「ウォーロード」壁紙 |
通勤中にお知らせが! ジャワティーのCM出演! レッドクリフとのタイアップということで登場です。 フラッシュに真っ赤ないでたちで出現しています。 複数のCM同時出演は久しぶりで、うれしいですねえ。

●追記 12:40
地下街にポスターが既に出ているそうです@名古屋 目立つでしょうね。出合いたいものです。 お知らせありがとうございます。
●「ウォーロード(投名状)」壁紙 20:20
アップされましたと、これも教えていただきました。 ちょっと気になったのは、「劇中では出てこない、超レアな弁髪バージョン」という文句。 いや、出てくるんですけど、2回ほど。ちょっとだけど。 まさか……
「ウォーロード」公式サイト
BBS ネタバレDiary 9:00
| 2009年03月09日(月) |
当たった…●四小天王in1992 |
曹ピー!
 かなりぼけてますが。
●四小天王 in 1992
このDiaryを初めて6年、その間に素晴らしく使い勝手のよかったLycosが店じまいして、 ここエンピツに移動。 Lycos時代にアップした画像の数々が、しばらくは以前のサーバーにあったのだけど、 うっかりしている間にサービス終了、yahooにアップしたものも、 いつのまにかサービス終了――して、あちこちリンク切れが起きてしまいました。 以前のDiaryを読んでくださっても、結構たくさんの画像が消えてしまっていますよね。 一度に回復するのはすごい手間なので、これは見たい、というのがあれば、 捜してアップします。(PC初期化で消えてしまったものもあるけれど……) お知らせください。
さて、金城武、ジミー・リン、ニッキー・ウー、スー・ヨウポンが初めてそろい踏みした 1992年の金曲奨の動画を、以前リンクしたような気がするんですが、見つからない。 台湾語で歌う、武の部分だけの短い動画(プツンと切れるけど)を上げときます。 けっこうカッコイイ。 記事は、「2003年6月21日金曲奨での四小天王in1992」をご参照ください。

BBS ネタバレDiary 21:30
| 2009年03月08日(日) |
金城武をセールスする�� |
金城武をセールスする��
3 ウイルス作戦・・・どんな遠方にも素早く広める
最近5年間で最も普及のスピードが速かったサービスは、フリーメールである。 このメディアは取得が非常に簡単で、ネットを媒介に迅速に、 また大変便利にメッセージを送れるため、ものすごい勢いでユーザーを獲得した。 それはあたかもウイルスが増殖拡散していくかのようであった。 hotmail社は急成長し(後にマイクロソフト社に買収されたが)、 フリーメールは多くのプロバイダの基本サービスとなった。
有名人を宣伝に使うことは、ウイルスを売るようなものだ。 商品情報を有名人というメディアを通して送り出す。 その有名人の知名度が上がれば上がるほど、市場を動かす力は大きくなる。 世新マスコミュニケーション学部教授の柯裕棻の分析によれば、 これは流行が誘発する欲望経済で、消費者の購買欲はその商品の性能ではなく、 誰が宣伝しているかによってかきたてられる。 逆に消費者の側の憧れがそこに投影される場合さえあるという。
1998年、東京を走る電車の車内広告には金城武の生き生きとした澄んだ大きな瞳があり、 背広に身をかためたサラリーマンたちに、英語を勉強しなければと呼びかけていた。 そして2001年の台北駅。 金城武はここでも四連の巨大なライティング看板を占領し、 都会人に向かってすばらしい携帯「数位助裡」機を持とうよと誘いかける。
エリクソンのキャラクターで強い印象を与える
エリクソン消費性産品部副部長・葉順発は回想する。 2年前エリクソンは携帯電話の外観に少し手を加えてみたが、消費者への印象は薄かった。 そこでイメージキャラクターを立てるという、 携帯電話の今の流行に合わせたプロモートをすることになった。 では、一体誰に? 葉順発は広告会社と検討を始めてまもなく、金城武だ、とひらめいたという。
金城武のイメージをしっかりと売り込み、商品の売り上げ増へと導くために、 エリクソンは業界で初めてCMビデオをカラオケボックスのリストに載せた。 ビデオのリクエストは2週間で60万件にのぼった。 一方、トータルな販売戦略を試みて、福隆と協力し、 そのメディアにおけるつてを通して芸能界方面での活動をやりやすくした。 金城武とエリクソンとの関係を「持ちつ持たれつ」の、 相互にイメージを高めあう関係に持ち込んだのである。
最近、インターネットのライコスは、金城武の豊富なイメージ性に着目して、 イメージキャラクターに彼を起用した。 ゲームソフトメーカー、カプコンは、金城武の顔と声を借りて新作「鬼武者」を作った。
数多くの異なるジャンルで、また異なる国で、金城武はどこでも高い評価を勝ちえている。 一定の型にはまらず、市場とは常にある近しさとある距離とを保ち続けることで、 彼は自在にあちこちを渡り歩き、 ウイルスがばらまかれる速度と範囲はますます増大する。
柯裕棻はこう指摘する。 どこか神秘的な感じと親近感との両方をあわせもつ金城武は、 消費者にとってはいくら金があろうと決して買うことのできない商品となっているのだと。 「300元の品と3万元の品と、買うという行為は同じでも、心の中に占める位置は違う」
氏は、このあいまいな、とらえがたい距離感のおかげで、 金城武は商品ごとに常に新しいイメージを提供することができる、と見る。 消費者は商品を買うという行為を通じて、金城武とつながっているという満足感を味わう。 だからこそ、1999年にハローキティと並んで「動脳」誌の10大ヒット商品に選ばれた金城武が、 キティブームが去った後も、依然として魅力を発散し続けているのである。
この世に不可能ということはない、 バイクに乗ったらスターになってしまったなんてことだってある。 アーロン・クォックと金城武を見よ。 (完)
(注) 「二千年の恋」が同時放送されたのは、実際は本文中の6ヶ国からマレーシアを除いた5カ国。 しかし、台湾などの新聞では開始前、ずっと6カ国と報道されていたので、 当初の予定には入っていたのかもしれません。 また、最後にアーロン・クォックの名が出てきますが、 これは、香港ではなかなか芽が出なかったアーロンが、台湾でバイクのCMに出、 それが人気に火をつけたことを指します。 これがきっかけで香港でも人気爆発します。 香港に帰って四大天王となり、今ではあまり台湾を訪れないアーロンに、 記者会見で台湾の記者達がよく「台湾のファンを忘れていないか」と言うのは、 このあたりの事情からで、それにはアーロンも弱いようです。
記事に掲載の写真から。少し大きくなります。
上の(注)はアップ時に私が添えたもの。この雑誌は経済関係の専門誌なので、 芸能誌に載る論考とはまた違う面白さがあると思います。 ワーナー映画出演の話は、2003年の「ターンレフト、ターンライト」で実現しましたね。
BBS ネタバレDiary 21:00
| 2009年03月07日(土) |
オリンパス春季新製品●金城武をセールスする�� |
すでにサイトも更新されてる春季新製品発表と新しい宣伝写真。 大きなのを中国サイトから拝借。春ですね♪

金城武をセールスする�◆ �(19:40)
的を射た販売戦略
「金城武のマネジメントの方針は、他の芸能人とは全く違う。 彼の背景を考慮し、初めから国際志向でやってきた。」 長年、金城武のマネジャーを務め、福隆のゼネラル・マネージャーでもある姚宜君は、こう強調する。 もともとバイクを買いたいということしか頭になかった少年が、 プロダクションにスカウトされ、アジアの芸能界で成功するに至った、そのカギは、 3つの販売戦略の駆使にある。
その1 ボーリング作戦・・・1本のピンを狙ってストライクを取る
金城武は現在、人気ハイテクノロジー商品のキャラクターをつとめているが、 彼が芸能界で地歩を築いてきた過程を見ると、 ハイテク製品の販売戦略と通じるところがあるのがわかる。 シリコンバレーの有名なハイテク商品販売のベテラン、ムーアは、 新製品を発売するときは、消費者全てにアピールするものにしようとして、 製品にあらゆる性能をつめこむのは間違っている、 まず市場をゆり動かすことだけを考えればよいのだと語っている。
そして、正しい販売戦略とは、消費者の最も切実な需要、1つだけに的をしぼって市場を獲得し、 その上で、順次新しい効能を打ち出し、市場を広げていくことだと語る。 すなわち、ボーリングでは、1度に全部のピンを倒そうとはしない、 1つのピンを狙って倒し、それが第2、第3のピンを倒していくように仕向ける、 それと同じだというのだ。
金城武が芸能界に入ったとき、台湾にはすでにニッキー・ウー、ジミー・リン、 スー・ヨウポンの3人の若い男性スターがいた。 イメージも路線も金城武と重なっていたが、デビュー時期が早かった分、 知名度において、金城武をはるかに引き離していた。 そこで福隆は、武をまず歌手として売り出すことにした。 「CDの場合、(映画などに比べ)集中的にマスコミに露出できるので、 短時間で最大の効果が期待できるからだ」 と、芸能界を熟知する姚宜君は説明する。
福隆は、武を有名な音楽プロデューサーであるボビー・チェンのもとへ特別に送り込み、 歌唱とアルバム製作の仕事を学ばせた。 初め、ボビー・チェンは彼を録音室の見学に連れて行っただけだったが、 数ヶ月経つと、楽器など手にしたことのなかった金城武は、 歌も歌えば自ら作詞作曲も手がけ、ピアノを弾きこなすまでになっていた。
CDを連続リリース、知名度を上げる
1992年9月、金城武のファースト・アルバムが発売され、 集中的なマスコミ登場により、知名度は急速にアップした。 3ヶ月後には、すでに「四小天王」の呼び名が生まれ、彼は他の3人のアイドルと肩を並べていた。 続いて何枚かのアルバムを出し、人気が急上昇すると、福隆は次のステップに入った。 映画への進出である。このステップでの福隆の狙いははっきりしていた、 すなわち、様々な手段を用いて、芸能市場にこの人物を認識させることである。
金城武の初期の映画はコメディが多く、「報告班長」がその代表である。 プライベートにはかなり内向的な性格である金城武は、 撮影中の休憩時間は1人で読書やゲームをして、あまり他の人とは話すことがなかった。 しかし、いったん撮影となれば、即座に役に入り込むことができた。 映画界に入った当初、彼のギャラはわずか40万台湾元、 同じ四小天王のジミー・リンは300万元を超えていた。
金城武と6本の映画を撮った監督・朱延平は彼をこう見る。 金城武は自分の持ち味を出すのがうまく、 どんな役柄でもそれぞれに味わい深く演じることができる。 「チャウ・シンチーのようにお笑いだけでなく、 ジャッキー・チェンのようにアクションだけでもなく」。 もともと非常に優れた素質を持っていた金城武は、徐々に自分自身の道を切り開いていった。 そして、香港に行き、ウォン・カーウァイの映画に出演することで、 新境地を開拓することになる。
その2 滝作戦・・・一気に市場を制覇する
伝統的なマーケット観では、市場全体を平板な1つの場ととらえがちだが、 実際は高低のレベルの差があり、それはちょうど滝にたとえられる。 上流の消費者をつかめば、滝の効果が生まれ、 最下流までどっと押し寄せて市場全体をものにすることができるというわけだ。
アメリカでヒットした映画は、その他の国々でも好成績を収めることが多い。 台湾の監督の作品が国外の賞を受賞すると、国内でもヒットする。 作家の高行健がノーベル文学賞を受賞したときは、彼の旧作までがベストセラーになったが、 これらが滝作戦の応用例である。
アジアの芸能界では日本と香港が大きな影響力を持っており、 滝の効果を最も作り出しやすい。 金城武は台湾で地歩を固めたあと、1994年に香港に、次いで日本に進出し、 両国の業界システムを巧みに利用して自らの売り込みに成功した。
香港での仕事で金城武は生まれ変わった。 ことにウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」に出演したことは大きかった。 ウォン監督は俳優の潜在的な力を発掘するのに長けており、 セリフや動作を俳優に覚えこませるのでなく、即興の演技を要求する。 自分の頭で考えて演じるのが好きな金城武にとっては、絶好の出会いとなった。 ベテラン映画演劇記者の珍寶旭は、 それまでの金城武の演技は可もなく不可もないというものだったが、 「恋する惑星」で「ウォン・カーウァイによって個性が引き出され、 演技力は大幅に進歩した」と評する。
「恋する惑星」の力
「恋する惑星」の成功は、金城武の香港進出を助けたのみならず、 日本市場へも送り込むこととなった。 この映画は日本公開時、大ヒットし、 ウォン・カーウァイ、フェイ・ウォン、トニー・レオンらの日本での評価を高めたが、 金城武もまたその勢いに乗って、日本初登場を飾ったのである。
「恋する惑星」以後も修行を積み、翌々年には再びウォン監督の「天使の涙」に出演、 香港、台湾、日本で再びブームを巻き起こした。 それまで青春アイドルの1人としか見られていなかった金城武が、 本物のスターの仲間入りをしたのである。 著名な映画評論家・聞天祥は、金城武の映画界における成功は、 ウォン作品に出演し、それによって日本市場に進出できたことが大きな要因だと分析する。
金城武の人気が沸騰すると、福隆は時機を逃さず、直接日本の芸能プロダクションと交渉し、 彼の日本でのマネジメント業務をゆだねることを決めた。 昨年、武と中山美穂が共演したドラマ「二千年の恋」は、 初の日本、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、タイの6カ国同時放映を実現したし、 新作映画「スペーストラベラーズ」は日本で連続6週トップの成績を収めた。 ある日本の会社などは、台湾を訪れ、彼の旧作を1本100万米ドルで買っていったほどである。
聞天祥は、金城武は台湾がスターにしたのではなく、 日本と香港から逆輸入されたスターだと指摘する。 朱延平もまた、金城武が国際スターになれたカギは、日本進出の成功にあると言っている。 「日本を征服すれば、全アジアをものにしたのと同じだ」。
全アジアでの人気を確立後、金城武は新たなワンステップを踏み出す。 人気商品のCMキャラクターの仕事である。 (続く)
BBS ネタバレDiary 10:45
| 2009年03月06日(金) |
金城武をセールスする�� |
あの……このところ、仕事で頭と時間がずっと占められていて、 かろうじて息抜きに金城映画や金城ニュースで生きているといった状態です。 多方面に渡る情報は、とても追い切れず、他のファンサイトさんにおんぶに抱っこ。 (新作の情報はとんとありませんが、動いていることは確かだと思います)
というわけで、ろくろく更新できないのを逆利用して、 以前アップしていた文章で、今は姿を消しているものを、少しずつ、 こちらに載せていきます。 別に場所を作ろうとしていたのですが、なかなか進まないので。 新しくファンになった方もいらっしゃるので、ちょっと古いものになりますが、 よろしかったら、ご覧ください。 時が経った今だから興味深い部分もあると思います。
まず、2001年の台湾の雑誌「数位時代」の特集になった金城武、 その中で一番興味深かった記事です。長いので分けます。
「金城武」をセールスする�� 「数位時代」誌(台湾)2001年3月号より (原文は、http://www.bnext.com.tw/LocalityView_5509 参照)
バイクとバスケットを愛する平凡な少年が、ほんの軽い気持ちでオーディションを受けたことから、 金城武のアジアに向けた売り出しプロジェクトは始まった。 プロダクションの的確なプロモーション、広告会社の細心のイメージ設計は、 ファースト・アルバム「分手的夜裡」による急速な知名度アップ以降、 映画「報告班長」でのはみだし兵隊役、「天使の涙」のエキセントリックな青年、 あるいは「不夜城」の冷酷な殺し屋、さらにはエリクソンR380広告のスマートなワルに至るまで、 千変万化の金城武のファンタスティックな芸能世界を着々と構築しつつある……
10年前、17歳の金城武はどこにでもいる普通の高校2年生だった。 成績も普通、特に弁が立つわけでもなく、素行も人並み。 バスケット・コートに行ってはスリー・オン・スリー・ゲームを楽しみ、 心惹かれる女生徒とほのかな思いを語り合い、将来についてはほとんど何も考えていなかった。 街を飛ばすためのバイクの金ほしさに、金城武は芸能プロダクションと契約を結んだ。 単純な動機のこの行為が、彼の一生を大きく変え、 のちにアジアの芸能界をも揺り動かすことになったのである。
10年後、台湾出身の金城武は、すでに香港、韓国、日本、そして中国の各国で人気を獲得し、 アジアの新しいスターとなっていた。
映画は常にヒット
彼の主演映画は、コメディからヤクザもの、ラブストーリーに至るまで、常に興収はトップ、 CMキャラクターをつとめる携帯電話は発売後3日で品切れとなり、 広告会社は消費者が買いに行っても手に入らないという事態を避けるため、 急遽CMの放映を中止した。 世界的にヒットしたディズニー・アニメーション「ターザン」の中国語、広東語、日本語版は、 金城武が1人で吹き替えを担当したが、これはディズニー始まって以来の事である。
そして今、さらに多くの機会が金城武を待っている。 インターネットあり、有線テレビあり、ゲームあり、 ハリウッドの一流映画会社の投資を獲得するチャンスもその中にはある。 アメリカのワーナーブラザーズ社は、目下、中国語映画の製作を企画中だが、 「金城武の実力と人気を考えると、彼が出演者の第一候補と言ってもよい」と、 同社のアジア地区業務開発主席副総裁、艾秋興は明言する。
テレビから映画まで、CDからCMまで、台北から東京まで、金城武の赴かぬところなく、 まさに驚異的速度で金城武現象がアジアにわきおこっている。 その動員力の秘密は? セールスポイントは? そして様々な金城武関連「商品」は、そのセールスポイントを どのような形で消費者にアピールしているのだろう?
「金城武がいくつもの非常に複雑な要素を備えている。 いろいろな所で適応できるのはそのためだ」と話すのは、 20年以上出版界にいて、流行文化の動向を観察してきたPCホーム理事長、�藕┿屬澄�
5か国語で各国をめぐる
今年27歳の金城武は台湾生まれの台湾育ち、父親は日本人、母親は台湾人。 最も得意な言葉は台湾語、次が中国語と日本語だ。 日本人学校の小学部と中学部を卒業後、台北アメリカンスクールで高校生活を送った。 これが、彼の英語力の基礎を作った。 その後芸能人として香港に進出、広東語を身につけた。 5か国語をあやつる数少ない芸能人であり、 それがアジア諸国を股にかける彼の武器となっている。
台湾ディズニー支社の営業担当重役・趙汝忻は、 金城武を「ターザン」のアジア版吹き替えに選んだのは、言語能力と、 3地域の市場での観客動員力が理由だったと語っている。
容姿のことを言えば、金城武の容貌は年齢よりもやや大人びていて、一定の型にはめにくい。 そのため、彼は「報告班長」のようなコメディからスタートし、 「天使の涙」の一風変わった青年役、あるいは「不夜城」の冷酷な殺し屋と、 それぞれに説得力をもって演じ、役者としてのフィールドを切り拓いてくることができた。 また178センチ、70キロのモデル並の体型は、ヨーロッパの有名ブランド、 プラダがイメージキャラクターとして抜擢するところとなった。 (続く)
BBS ネタバレDiary 23:45
| 2009年03月02日(月) |
「ウォーロード」予告編 |
公開されたと教えていただき、 我慢できず、職場のPCで見てしまいました。 感動がよみがえります……
Yahoo映画「ウォーロード」
BBS ネタバレDiary 17:50
| 2009年02月20日(金) |
「如果・愛」について |
昨日までのピーター監督の記事を読んで大陸ファンはこんなふうに感想を。 いくつか紹介してみます。
読み終わって、すごく感じるところがありました…… 武の性格は、あまりオープンにしたがらない。 彼が心に抱えている辛いことは、誰も知らないんだ。
どうやらピーター・チャンの人を見る目は一般的基準とは違っているらしい。 私も、「如果・愛(ウィンター・ソング)」で受賞すべきなのは、ただ1人、金城武だったと思う。 なぜなら、彼は主人公をとても純粋に演じたからで、 ジョウ・シュンはやはりスターになってしまい、役者ではなかった。 ジョウ・シュンはいつも、悪い役を愛すべき人物に感じさせてしまう演技を好む。 はっきり言えば、観客に自分を好きにならせ、また演技がうまいと思わせるということだ。 こういう役者はいい役者ではない。 金城武の方は、「投名状」を見終わって私がまず感じたのは、いい役者だということだった。 彼の頭にあるのは、その役を、人に評価されるように演じて自分を好きにさせることではなく、 この役はこの役として、監督が欲しい役として演じることなのだ。 純度の高い役は、観客にはあまり喜ばれないかもしれない。 しかし、観客が最後に、最も感動するのは、やはり彼が演じたものであると、私は信じる。 心をこめて真心で演じさえすれば、人は必ずわかるものだ。 チャン監督は決して残念がらなくてよい。
私は前から、「如果・愛」と「ラヴソング」は同じタイプの映画ではない、 比べられないと思っているが、それでも「如果・愛」の方が好きだ。 もし、ヒロイン役をもっときれいな女優にするなら、もっと完璧だ。 ピーター・チャンは金城武を本当に理解する監督の1人である。 彼の外見だけでなく、素質に対しても、こんなにその本質を理解できる人はめったにいない。
彼らは2人とも愛すべきことを言う人たちだ。 「投名状」の撮影でチャン監督は大きなプレッシャーを抱えていた。 武が監督に言った、ぼくにこれはやる価値があるよといいませんでしたっけ? 彼ら2人ともに天真爛漫で素朴なキャラクターの人だと思う。
昨日の記事でインタビュアーが、ジョウ・シュンの演じた孫納像を指して、 「でも、そここそが、この映画で一番心温まるところだと思う人は多いですよ。」 というのは、その通りで、打算に満ちた冷たい女に見えて、 その心の真実は……と受け取れる部分が、確かに孫納を「愛らしい」人物にしていました。
しかしそれは、ピーター・チャンが描こうとしたものではなかった、というところに 面白さを感じました。プロモーションでは、まさにそのことをもって ジョウ・シュンをほめる言葉にしていたのに。 「自分とジョウ・シュンは普通の出来」と、何度か言っていたのは、 そのことだったのでしょうか。
孫納を愛すべき人物としたことで、観客にも温かいものが流れた。 しかし、北京に行ってからの孫納の心理がよくわからない、という観客も少なからずいましたね。 その疑問もまた正しかったということかも。
「如果・愛」は、恋人が別れ、再び出会った時には一方には愛人がいる。 しかし、出会いが2人を再び結びつけつものの、また別れがやってくる―― という単純なストーリーで、それだけに、その心の内、物語の意味は、 描き方、俳優の演じ方で、幾通りにも描き分けられうる。 そういう目で映画「如果・愛」を見直すと、見どころいっぱい、 非常にスリリングなのではないかと思いました。
BBS ネタバレDiary 1:20
| 2009年02月18日(水) |
アルマーニ看板&リメイク話●ピーター・チャン、涙を流す�� |
赤壁戦記2007(ブログ)さんが、香港のアルマーニ看板人気を伝える 太陽報の記事を素敵な看板の写真と一緒に紹介されています。 せっかくなので、その全文をご紹介してみます。
万人のアイドル金城武の素敵な美男子ぶりは、 年齢を問わずファンの心を引きつけており、 最近では、ファッションブランド、エンポリオ・アルマーニのイメージキャラクターとなって、 超ハンサムな宣伝写真が撮影され、春夏新製品の看板になっている。 広告代理店は当然、その素敵な姿を様々なポスターにして、店頭に張り出しているが、 中には外壁に掲げられた巨大ポスターが、客を引き寄せている店もある。
噂では、台湾、日本、韓国のツアー客が大量に香港にやってきて、 必ずその店にガイドが引率するとのことだ。 実はツアーの女性ファンたちが、アイドルに「会い」に行きたいと要求するからだ。 そして巨大な金城武との「ツーショット」をカメラに収めた後、 ガイドは多くのチップを手にし、香港経済が潤うことになる。
ファンだったら、ポスターとのツーショットだけで満足できるわけがない。 アイドルを我が家に連れ帰り、朝晩顔を見られるに越したことがないのは当然である。 そこで、広告代理店には電話での問い合わせが多数寄せられ、 金城武のポスターを購入したいと言ってくる。 男性も女性もおり、男性は彼女を喜ばせるために、 また女性の中には香港のセレブたちもいて、高値を付ける。 しかし店の広報係は、どんなに金を積まれても販売はしない、 それは転売や不法な使用によって、企業と金城武のイメージと名に 悪影響があるのを避けるためだと、記者に語っている。 (太陽報 2009.2.17)
私も看板見物にだけでも行きたいぐらいです。 ああ、日本でも実現して欲しいなあ。 別の話題ですが、同じ太陽報にこんな短い記事がありました。 元記事はどこなんでしょ?
「スパイダーマン」で有名な監督サム・ライミが、チャン・イーモウ監督、 金城武、チャン・ツーイー共演の武侠映画「LOVERS」をリメイクする。 だが、ニュースではプロデュースなのか監督するのかは触れられていない。 このニュースが伝えられると、ネットではコメントが相次ぎ、 中には「LOVERS」のリメイクはすべきでない、ライミは製作をやめろと言うファンもいる。 (太陽報 2009.2.18)
●ピーター・チャン、涙を流す�� 23:20
最終回です。
「如果・愛」は愛を徹底的描いた。 もう恋愛映画はやらない
音楽時空 では、あなたの初めての大陸での作品「如果・愛」は、儲かりましたか?
ピーター 儲かりましたよ、予想以上にね。 実は「如果・愛」も冒険だったんです。「投名状」よりももっと冒険だった。 製作費は「投名状」よりも少なく、7、8000万に過ぎなかったとはいえ、 あれは芸術映画でしたから。 でも、日本だけでも200万米ドル稼ぎました。 あの2年ぐらいはちょうど日本映画が低調で、韓国映画もヒットせず、 ちょうどいい時期に当たったんです。 だから、映画が売れるか売れないかは、一番関係あるのは映画の質じゃなく、 映画の売り方とそのときの映画の市場環境によるんです
音楽時空 しかし、私たちが目にすることのできる「如果・愛」の 内地での興行収入は、わずか3000万元です。
ピーター でも、「如果・愛」の内地での成績は、 この映画の総成績の100分の10に過ぎないんですよ。 「投名状」の方はところが100分の30から40を占めている。
音楽時空 なぜ、こんな質の高い「如果・愛」が 内地では売れなかったのか、考えたことがありますか?
ピーター 実は映画が売れるか売れないかは、 いい映画かそうでないかとはあまり関係ない。 どのくらい宣伝したか、同時期の競争相手は何だったかを見なくてはなりません。 例えば今、ぼくの映画で一番人の口にのぼる「ラヴソング」と 全くそっくりな映画を今撮ったとして、3000万元より多く稼ぐと思いますか? 絶対ないですね。
「如果・愛」の公開8日後に、もう一度映画館に見に行ったら、 映画館はもうスクリーンをくれなくなっていた。 1スクリーンだけ、多くても2回上映です。 映画館が、そもそも競うチャンスを与えてくれない。 (「如果・愛」公開後2週間後に「無極(プロミス)」が公開されたのだ)
実は真の映画ファンは、ほとんどが家で海賊版を見るんです。 たいていの場合、家で見る海賊盤こそが監督編集版なので、 映画館に行くのは、大がかりなシーンを見たいか、 にぎやかなところに行きたいからなんですよ。 ぼくはこれが中国市場の特色だとずっと思ってきましたが、 実は世界全体の流れがこうなんですね。
音楽時空 そのような状態はあなたにとって更なる打撃ですね。
ピーター では、どうしたらいいのか。この業界に入ったからには映画を撮りますよ。 ぼくは今カンフー映画を撮ったわけではない。 バランスの取れるところを探して努力を続けるだけです。
音楽時空 また恋愛映画を撮る計画はありますか?
ピーター 多くの人が「如果・愛」は失敗作だと考えていますが、 ぼく自身はとても誇りに思っています。 ぼくにとって、この映画は最も個人的なもので、 最も徹底して撮った恋愛映画でもあります。 「ラヴソング」はやっぱり糖衣にくるまれていて、残酷さが十分でなかった。
実は「如果・愛」を撮っていたとき、 孫納に対するジョウ・シュンの理解とぼくの理解が違っていた。 ジョウ・シュンは残酷さが足りなかった――やっていることは残酷だが、 そこから導き出されるものは、あまり残酷じゃない。 本当は、ある年齢になれば気がつくようになるもんなんですよ、 愛はそんなに理想的なものじゃなく、時間には抗しえず、 利益が目の前にぶら下がれば、必ず負けてしまうってことにね。 これこそが「如果・愛」のテーマです。
実は「ラヴソング」の撮影では、ずっとこのテーマを語っていたんですよ。 主人公たちは、ただ縁があっただけ。 マギー・チャンとレオン・ライの愛は十分だったと思いますか? いいえ、十分だったら、マギー・チャンは何度も彼を捨てて行ったりしません。 だから愛はあてにならないと言うんです。 しかし、愛に悪者はいるのか? 愛に悪者はいない、あるのは偽りのない気持ちですが、 ただその種の真情はそんなに立派なものじゃあない。
ところがジョウ・シュンは、そういう本音を立派過ぎるものに演じてしまった。 本当は、スターになった後の孫納は、あの日の記憶に対し、 あんなに恋々とすべきではないんです。 もし、彼女まであんなふうに後ろ髪をひかれていると、 金城武が演じた林見東と違いがなくなってしまいますから。
音楽時空 でも、そここそが、この映画で一番心温まるところだと思う人は多いですよ。
ピーター そうですね。だから、もし映画をぼくの考え通りに撮ったら、 気に入らない人はもっと増えるでしょう。 だから、やっぱりもう恋愛映画は撮らない、若い人たちに残しときましょう、 彼らは愛にまだ理想を持っていますから。 (完) (音楽時空 2009.2.9)
BBS ネタバレDiary 13:30
| 2009年02月17日(火) |
ピーター・チャン、涙を流す�� |
この記事、あと1回。
「投名状」の最初の予算は8000万元 金城武を主演にしたかった
音楽時空 あなたが、「投名状」の撮影中、プレッシャーが大きくて、 途中で放り出したことがあるという報道がありましたが。
ピーター そういう感じでしたけど、本当に放り出したわけではありませんよ。 ぼくは取り乱すことがめったにない人間なので、撮影現場で怒ることもほとんどない。 人を罵る者のほうが、罵られる者より恥ずかしいと、常々思っていますし、 現場をほったらかしてしまったら、結局貧乏くじ引くのは自分ですよ。 戻ったとき、すごく気まずいでしょう。
音楽時空 「投名状」であなたは気落ちしたそうですが。 今までのところ、まだ儲かっていないので。
ピーター 損してるとは言えません、まだ上映されていないところが たくさんありますから。 今、基本収支はややマイナスというところですが、 北米がまだどこも上映されていない。交渉中です。
音楽時空 なぜ、今日に至るまで遅遅として上映されないのですか?
ピーター 中国語映画が既存の固定されたイメージから抜け出ようとすれば、 必ずこのようなこのような状況に直面することになるだろうとは、 実は最初から意識はしていました。 ぼくの映画がどんなに出来がよいかなんて言えないけれど、 しかし、これはジェット・リーの演技が最も深みのある映画だとは思っています。 「投名状」は芸術映画ではないが、伝統的な意味でのカンフー映画では、もっとない。 成熟した映画市場では、作品が良ければ良いほど、 商業上の障害も大きくなるでしょう。 もちろん、この「良い」というのはヴィジュアル的な良さではなく、 芸術としての質の良さです。 ですから、このカセを破ろうとするからには、 冒険をせざるをえないというわけです。
音楽時空 あなたのおっしゃる冒険とは、ジェット・リーを長兄役にしたことですか?
ピーター ジェット・リーを、従来のジェット・リーの役とは違う映画に出演させたことです。 外国の観客と国内の観客では視点が違い、 中国のカンフー映画がアメリカのメイン市場に参入しようとするなら、 必ず従来の決まったタイプに合ったものでなければならない。 少数派向けの文芸映画でない限りね。 しかし、少数派向けの文芸映画は、確かにジェット・リーが出るようなものじゃない。 だから、こんなやり方は、絶対冒険になりますよ。
音楽時空 どうして冒険しなくちゃならないんですか。 伝統的なやり方で撮らないんですか?
ピーター もし、伝統的なやり方でやるんなら、多分ぼくにやらせちゃだめでしょう。 ぼくはそういう監督じゃないですから。 実際、今回の「投名状」の撮影は、ぼくにとっても、中国映画にとっても、 冒険でしたが、どちらもこの危険を冒したかった。 もし、この方式が北米で成功したら、中国映画の行く道は広がり、 いつまでも空中を飛び回っていなくてよくなるわけですから。 「投名状」はアジアでは空前の成功を収めたと言っていいし、 ヨーロッパでも売れ行きは良かった。今最もカギとなるのが北米です。 きっとジェット・リーのカンフー映画より高くは売れないだろうことは、 ぼくらはわかっている。だって、カンフー映画じゃないし、 それどころかアクションシーンも少ないんですから。
音楽時空 ジェット・リーを使わないで、費用を安くしようとは思わなかったんですか?
ピーター 本当言うと、俳優はぼく1人で選んだわけじゃない。 もし、ジェット・リーがこんな多額のギャラに値しないなら、 どうして出資者が金を出しますか。 実は、最初は、こんな大作に撮ることになるなんて思ってもいませんでした。 当初の予算は1000万米ドルで、金城武を長兄役に、 その他をニコラス・チェーなど、もっと若い俳優を使うつもりだったんです。 ところが出資者は脚本を見て、若手俳優では重みが足りないと感じた。 この重みというのは集客力ではなくて、ああいう男らしさが不足だということです。 しかし、ぼくが年齢のレベルを引き上げて、40歳過ぎにしたら、 値段もとたんに上がってしまったわけですよ。 (続く)
BBS ネタバレDiary 23:00
| 2009年02月16日(月) |
ピーター・チャン、涙を流す�� |
さらに続く。
ずっと大物スターと仕事 ジャッキー・チェン、チョウ・ユンファと縁がないのは残念
音楽時空 昔、UFO時代、あなたはプロデューサーもしていましたね。 プロデューサーの責務とは一体なんですか?
ピーター 当時ぼくがやっていたプロデューサーというのは、 事実上は製作業務でしたね。 UFOは19本の映画を撮りましたが、どれもぼくが出資者を探し、 資金が調達できたら1本撮る、というもので、 ぼくは出資者側を代表しなくてはならなかった。 出演者の人選と脚本選びの責任者でしたが、実はほとんどの場合、 オーナーは金がないので、まず前借りをする。 後のことは撮ってから考えるしかなかった。 5本分の資金を前借りして、目の前の1本を撮るということもありました。 資金が足りなきゃ、ぼくの責任でした。
音楽時空 借金したんですか?
ピーター ええ、ものすごくね。UFOが終息したとき、 ぼくらには約2000万元の赤字が残り、5人で割って、1人数百万元かぶりました。 その頃の数百万は、決して少ない額じゃありませんでしたよ。
音楽時空 どうやって返済したのですか?
ピーター 借金取りに追い回されることはなかったです。 ぼくはUFOで何本も映画を撮り、どれにも監督への支払い分はありましたが、 自分の会社ですからね、生活費分を少しもらう以外は、まず会社に入れましたよ。 会社が解散することになっても、ぼくの監督料はなかった。 会社は借金があったので、やめるとき、監督料は1銭ももらいませんでした。 初めから、自分の金は自分のものじゃないと思っていましたよ。
以前は、働かなくても10年ないし8年は食いつなげるだろうと思っていたんですが、 だめでしたね。仕事をしなくちゃ生きていけないので、 すぐにでも始めなくちゃならなかった(笑)。 それでアメリカに行く決心をして、部屋も売り、 その金も一部を借金の返済に当てました。
音楽時空 会社をなぜ解散したのですか? 利益の衝突ですか?
ピーター そういうことはありません。どんな会社だって、 成長後、解散という憂き目をみる可能性はあるものです。 まだみんなが一人前でないときは、集まって1つのことをするのはやりやすい。 熟練すると、必ずそれぞれ自分の方向や理念というものができてくるし、 そのときは会社に借金ができる時期にも当たっているんです。
この債務を誰が負担するのかは、実に現実的な問題ですよ。 当時はちょうど「97」(香港返還)とぶつかっていて、 ある者は中国大陸に戻って頑張ろうとし、ある者はアメリカでやろうと思い、 また、香港にとどまりたいという者もいました。 もちろん、実際もし「97」があんなに早く来なかったら、 ぼくらの解散もあんなに早くなかったかもしれません。
音楽時空 「97」の影響はそんなに大きかったんでしょうか?
ピーター 大きかったですね。当時、香港人にとって「97」は、1つの境界線でした。 あらゆることが、ぼくらにとっては未知だった。 そのころ大陸に行った人間はほとんどいませんでしたから、 状況がわからなかったんです。 ぼくらにとって、「97」は最終期限であり、それ以前に始めたことは、 「97」前に絶対終わらせなくてはならなかった。 それは企業の発展には大きな影響があるものですよ。
音楽時空 しかし、今になって見れば、「97」が 香港の発展に大きな影響を与えたことは、全然なかったんですよね。
ピーター 今になって見れば、全くありませんでしたし、何事も起こりませんでした。
ハリウッドは電影局よりもやりにくい 北京は香港の監督の希望の地だ
音楽時空 スタジオを北京に移した理由は?
ピーター どこでも同じですよ。 なぜハリウッドに行って映画を作らないのかと言われますけど、 実はハリウッドは電影局よりも、もっとつきあいにくい。 ハリウッドの制度は監督をもっとがんじがらめにしてしまう。
中国ではなぜレイティングをしないのか、と、ずっと言われているけれど、 実際は、商業的環境から、たとえレイティングがあっても、 誰も三級片(アダルト映画)は撮らないでしょう。 多分1、2年前だったら出資しようという者もいたかもしれませんが、 日がたてばたつほどわかってきたんです、三級片を撮ろうという人間なんかいないって。 というのは、それを作ったら、大勢の観客を失ってしまう、 進んで監督にそんな危険を冒させる会社はないですからね。
最初、香港で映画を撮り、それから台湾の資金で撮り、 次にアメリカに行ってハリウッド映画を撮り、 はたまた今度は北京に来て撮ろうがどうしようが、 ある制限と規範の尺度の中でできるだけのことをする、ということに変わりはない。 しかし、調整ができた後は、撮れないものなんかないことに気がつく。 100パーセントの自由が欲しいなら、絵を描くか、本を書けばよい。 映画を撮るには必ず資金が必要であり、すなわちそこには圧力があり、 100パーセントの自由は不可能です。
音楽時空 今、大勢の香港の監督が内地に来て映画を撮っています。 多くの昔ながらの香港映画のファンにとっては、 当時の嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)や新芸城(シネマシティ)、UFOのような 質感の映画を見なくなって久しいですが。
ピーター ああいう映画は未来永劫、再び現れることないでしょう。 香港の監督のことをいうと、内地のほうが資金が多いから来るのではなく、 香港で撮るものがないからみんな来るのです。 香港というところはそもそも映画産業が立つようなところではありませんでした。 以前、香港映画が栄えた理由は、 非常に特殊な経済的、政治的、文化的雰囲気があり、 それが香港を極めて自由度の高い前衛的な都市としたからです。
音楽時空 その特殊性はどこにありますか?
ピーター 特殊性は、香港が国ではなく、都市であったことです。 大陸は香港に口出しせず、イギリスはなおさら香港にはかかわり合わなかった。 香港は植民地ですから、イギリス人は香港の文化は大したことないと思っていたし、 香港の方でも、そう思われても平気だった。 そこで香港という空間はいっそう自由なものになったのです。
その頃、ぼくらは日本や韓国、マレーシアより、ずっと前衛的だった。 ぼくらには何の悩む種もありませんでしたから。 さらに、台湾と大陸は当時、それぞれの政治背景があり、 そのため、その頃作られた映画には我々ほどの自由はありませんでした。
音楽時空 では、香港映画の没落は、国家の香港への統制が、 今、強くなってきたからなのですか?
ピーター いいえ、今だって口出しはありませんよ。そうでなくて、 問題は中国改革が始まって以降、香港の各方面における重要度が、 アジア全体の中で低くなり始めたということです。 香港映画の輸出先はもうありません。 今東南アジア各国の華僑の第2世代、第3世代は、既に現地人化していて、 もう香港映画を見る必要がなくなっているのです。
香港の600万人が列になって、全員が1回ずつ映画を見たとしても、 1本の映画の製作費を回収することはできません。 100パーセントの人間が映画を見ても元手を回収できないという事態があって、 ぼくら映画を作る人間は、どう撮ったらいいんだろう? シンガポールに映画産業はあるでしょうか? フィリピンには? ああいう小さな1地方が、どうして映画産業を持ちうるでしょう。 これはちょうど海水魚を淡水の湖に放つようなもので、生きていけるわけがない。
昔の中国は割に閉鎖的だったので、上海の映画人は香港にやってきたし、 また、香港は、アクション映画によって、中国に代わり 世界に文化を輸出する中継点となり得ていました。 だからこそ、香港映画はあのように、いっとき急激に花開いたのです。 去ってしまった時代は去ってしまったのであり、懐かしむすべもありません。 もう香港映画を見る人はいない。タイも今は自ら映画を作っていますし、 台湾はアメリカ映画ばかり見ている。香港にはこの600万人しかないのです。
ですから北京は、多くの香港の監督にとって発展できる希望の地だと言うのです。 が、北京が香港の市場を奪ったわけではない。 北京がなければ、ひょっとして香港の映画人は転職して 他の仕事をしていたかもしれないでしょう。 (続く) (音楽時空 2008.12.9)
BBS ネタバレDiary 22:30
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