Epitaph


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2004年01月17日(土)4/10

2:45頃、電話で起こされる。またやってしまった。
向ヶ丘遊園→元住吉→小竹向原と一人ずつ拾って、さあ行こうってのがもう5:30。

……

今週は寒波が来てガンガン雪が降ったと聞いていたが、道路上はいつもより少ないくらいだった。チェーン規制もなかったし。

上越国際は皆初めてらしい。俺以外は普通にうまいので、着くなり「とりあえず頂上でしょ」とか言ってる。恐ろしい。基本的な事を何度も教えてもらいながらほとんど同じコースを回る。
この面子(チームホット)は酒飲みなのだが、休憩のたびにビールを飲んだりはしないらしい。おまけにタバコも吸わないので「一服休憩」が存在しない。ストイックにスノボを楽しむ。

初心者の俺にとってはにしか見えないような所にも行ってみた。あまりに暴力的な傾斜にあっさり心が折れるが「もったいないから滑っとけ」と言われ滑らされる。滑るっつーか落ちる。
しかしそこを経験したおかげでその後は結構急なところも滑れるように。多謝。


自らに課した今シーズン10回のノルマはまだ半分も消化していないが、既に目標に近いところまでは来た。目標を「飛ぶ」とかに変え、、いやいや基本を。
「野方ホープ」でラーメン食って帰る。(゚д゚)ウマー

2004年01月16日(金)勇者

去年、しばらく後ろの席に座っていた女性が定年退職したので、その送別会で18時から飲んでいた。その人とは結構仲良かったのでもうちっと色々話したかったのだが、すでに今日のメインイベントは決まっていた。八王子へ。


英語がちっとも話せないのに外人を飲みに誘うという暴挙。グループレッスンの3人で飲みに行く話をしていて、先生も誘ってみたら「楽しそうね。ゼヒ行きましょう(脳内変換)」との事で。言ってみるもんだ。

普通の和風な居酒屋だったのだが、先生結構喜んでいた。和食も普通に食うと言っていた気がするが、一体どこで食ってるんだろう?

レッスンの時も半分くらい雑談だし、同じような感じで。何故か相撲の話になって、新弟子検査をパスするために頭にシリコンを入れた奴がいる、と話したら大ウケだった。アイルランドで舞の海が有名になったらそれは俺のおかげだ。

正直、盛り上がるか不安だったが心配する必要はなかったようだ。今年から違う講師になってしまうのがとても残念。「今日は楽しかったわ。また行きましょう(脳内変換)」と言っていたのでこの際飲み友達になってもらおうかと。


0時過ぎに帰る。2時には新潟へ向けて出発しなければならない。
起きていようと思ったのだがゴルゴ13を読んでいるうちに寝てしまう。

2004年01月11日(日)3/10

上板橋のK先生宅にはひょっとして環七から行った方が早いかも、と甲州街道をぶっ飛ばしていたらいつの間にか新宿まで来ていた。
やはり疲れているようだ。

うだうだと5:30まで目的地について話し合い、結局かぐらに決定。まあ今年は行ってないし。
K先生が「車が暖まるまで待つのが面倒」とかなりクソッタレな事を言い出し、彼のスタッドレスタイヤを装備したレガシーではなくうちの車でそのまま出発。これが仇となる。


関越はアホみたいに混んでやがる。お前らな、3連休ごときで普段来てないゲレンデに(略 沼田までが酷かった。

湯沢で降りて、山道を軽快に登っていたらケツがズルズル滑り、車が真横を向いた。マジっすか?ぶつかりますか?
チェーンを着けていなくてもここまで滑らせた事はなかったのに、普通に逆ハン切って立て直せたのが謎。

ちょっと後になってから恐怖心が出てきて、そこからはビビり運転。人はこうして大人になっていくんですな。「雪山なめんなよ」と言われた感じだ。
いつぞやの野辺山やビーナスラインでよく事故にならなかったもんだ。


11:30、やっと到着。午後券でGO。
すっかりだらけ癖がつき、滑っている時間とメシ食ったりビール飲んだりする時間が同じくらいになってしまった。少しずつ上達はしていると思うんだが。


暖かい所で休んでばっかいたくせに、風邪を引いた。吹雪の中で4回もチェーン着脱させられたのがマズかったか。

2004年01月10日(土)浮き草

珍しく休日出勤。

朝、定期を買おうといつものようにカードを出したら「このカードはちょっと使えないみたいですね〜」と言われる。なんだとこの野郎。
三井住友VISAのサポートに電話すると、とっくに限度額を突破している事が判明。しかも2万以上も。

やはり限度額10万じゃ話にならん。前にも書いた気がするが、現金を持ち歩かなくても買い物が出来るからカードなのに、買い物が出来ないつーのはどうなのよ。

その場で限度額の増枠をお願いする。「どれくらい必要ですか?」と聞かれたので「50下さい」と言うと、「それは無理だと思います」とサポお姉さんの独断で即座に却下される。まだカード作って1年も経ってないからとか。
やっぱり自由業の世間の評価ってそんなもんなのね、と打ちひしがれつつ30に変更。
「1週間から10日程で結果が出ると思います」だと。おおおてめえオリコはS50だぞこの野郎使ってやるつってんだからさっさとでかい枠よこせこのシブチンが!

補足1:三井住友は枠が渋い事で有名。まあ10分でお断りメールよこしたシティバンクよりは寛大かもしれん。
補足2:オリコ・ブリヂストンはJAF会員権代わりに持ってるだけ。早く枠を広げようとVISAばかり使っていた。


滑りに行くっつーのに23:30まで仕事していた。一緒に行くはずの不満分子なK先生は俺様が必死こいて働いてる間、ずっと飲んだくれていたらしい。

2004年01月03日(土)快方

田舎で温泉入って酒飲んでと極楽な日々を送っていると、ゴミゴミした東京に戻るのが本当に嫌になる。ちょい前までやってたセブンイレブンのCMみたいな感じで仕事が出来ればいいのに、と思う。と言うと、大体「実際住んだら退屈でしょうがねえぞ」と言われる。そうかも。

既に合計80kgの米を積んでいたが、うちらが今日帰ると知った近所の婆さんがデカい白菜とかをドカドカ持ってくる。無理矢理積み込んでいると「次はもっとデカい車に乗ってこい」と笑われたり。ああ〜ここはいいとこだよ。


病院に行く前、電気屋に寄って爺さんにラジオを買った。テレビもやってない夜中に起きたら暇だろうってんで。爺さんは昔からかなりの早起きで、俺がF1を見てる時に起きてきた事もあったくらいだ。

この5日間爺さんは、一度食いすぎで吐いたくらいで割と調子が良さそうだった。
元々無口な人なのでわかりづらいが、かなり喜んでいたようだ。「次はいつ来るんだ」なんて今まで言った事なかったらしい。
いつまで入院するのかわからんが、また顔を見せに行こうと思う。


16:00出発。倉吉まで出ていたので今回は米子道は使わず、人形峠を通り院庄ICを目指したのだが、これは失敗だったかもしれん。

勝央SA(岡山)〜 尾張小牧PA(愛知)、日本坂PA(静岡)〜 海老名SAまで担当。渋滞はやっぱ神戸とか吹田とかその辺が一番酷く、後はボチボチ。親父ヘロヘロ。

5:30板橋着、7:00町田着。

2004年01月02日(金)ともかく

正月なので温泉とビール。

2004年01月01日(木)決意

さて、新年となったわけだが。

目標

・ 早起き
・ 勉強
・ 肉体改造

とりあえず正月なので温泉とビール。

2003年12月31日(水)

ずっとゴロゴロしているのもナンなので、滑りに行く事にした。
ボードだけでなく、ファンスキーも持ってきていたので同じように暇こいてるイトコを誘ってみたが、ウェアとブーツを借りなきゃいけないので嫌だと。一人で行くのは初めてだ。

ショボいゲレンデが蒜山にあるらしい。国道をぶっ飛ばせば30分ほどで着く。
チラシを見るとコースが3本ほどで、しかもスノボは一部しか滑れないっぽかったので、同じ蒜山だがもう一つのゲレンデに行ってみた。しかしそこはさらにショボく、コースは1本…幅はやけに広いが。
2時間かかっても大山まで行くべきだった。

まあ暇潰しに来たんだし、と仕方なく滑ってみる。雨が冷たい。周りは当然家族連れやらグループやらカップルやら、うるさいんじゃボケども。
右前で滑ったりして自分なりに楽しもうと努力はしてみたが、やっぱり数本で飽きて、一人でガツガツ牛丼食ったりしてる。しかもビールも飲んだりする。
さらに数本滑り、またビール飲んで帰った。


夜は猪木とPRIDEとK-1と。幸い鳥取でも全てのイベントをテレビで見る事ができた。よく覚えていないが永田はもう飽きた。
曙に相撲取りの強さを見せて欲しかったんだが、、あれほど体力ないとは。圧力はさすが綱張っただけのものはあるが。
50キロほど減量してから出直してきて欲しい。つーかK-1ルールでやるのはヤメレ。

朝青龍、千代大海は相当強いと思う。九重親方でも可。


俺と親父はキッチリ最後まで見てから病院へ。23:55くらいに着いた。間に合ってよかった。「男祭り見てたので間に合いませんでした」とは言えん。

2003年12月30日(火)蒜山=ひるぜん

首都高は慌しくて嫌、というか俺が運転したら分岐を間違えて変な所に出そうなのでしばらく親父に任せる。

東名・浜名湖SA(静岡)で運転を代わり、中国道・社PA(兵庫)まで。吹田付近でほんの少し渋滞。米子道・蒜山高原SAで親父2度目のダウン。

15:00頃、鳥取県東伯郡某町の爺さん宅に到着。板橋から11時間はかなり早い方。
ここはいつ来ても変わらない。時間の流れが止まっているようだ。

早速爺さんの見舞いに倉吉の病院へ。親父の話を聞く限りではかなり深刻そうな感じだったが、実際そうでもないようでひと安心。まあ健康ではないのだけど。

帰って温泉。この町には温泉しかない。

2003年12月29日(月)酒が飲める酒が(略

納会。昼間から会社で酒を飲む事が許される、不思議なイベントだ。
「この後作業がありますので〜」なんて言う良い勤め人ではないので、寿司など貪り食いつつ3本ほどビールを頂き、ゲップしながらグダグダ終業まで。

相棒の人は今日で終わり。とある大企業に転職が決まっているらしい。羨ましがりつつ健勝を祈る。

昼休みに親父から電話。
年末年始は鳥取の爺さんを見舞いに行く予定になっていたのだが、いつ出発なのか聞いても「いつでもいいよ」とか言って全然決まってなかった。この辺はさすが俺の親父といったところだ。「今日の夜出るぞ」っていきなり言われても。

23:00
2chその他を見てたが我に返り、準備を始める。
売るつもりがなんだかんだでまだ取ってあるVAIOのセットアップから。初期化した状態で放置していたので即使えるレベルまで持っていくのは結構面倒。

12/30 2:00
年賀状のデザイン選定、印刷
5人にしか出さないので楽。フリーだし。友人が少ないという見方もある。

3:00頃
自宅を出る。愛犬とのしばしの別れ。

4:00頃
板橋着、伯母を乗せて出発