古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2005年05月31日(火) 5月も末。

あっというまに六月になりますね。
私「練習日記」にそれはそれは壮大な、高邁な月間目標をかかげてましたが達成できなかったかな〜。
ま、もうすこしリアリティのある目標をかかげて来月やり直します。
先週けっこうあわただしかったのでもともと余力がとぼしかったんですけど、週があけたらひまなはずだったのがまた勘違いで結構ばたばたしている。
しかしいろいろ交流もできて為になる一週間でした。
感慨深いできごとがたくさんあった。

唇がまるでうすっぺらい紙のような・・・(笑)。
唇が、っていうのは語弊があるのかもしれないけど全身疲れてる感じなので
今日はとっとと早く寝ようと思いますっ。



2005年05月20日(金) じゃー!!

昨日の、「めまぐるしかったんか」じゃなくて、「めまぐるしかったんじゃ」だったらしいです。質問してるのではなくて、「そうだったんだ。」と説明?してるらしい。
しかもところどころ間違ってるし抜けてる箇所あり。

奥田たみおのをききましたところ、もうちょっとゆっくりめに歌ってるかんじで、この「じゃ〜」が効いてます、すっごく。
非常に気に入ってしまったため、今日はそればかり「節回しコピー」(フレージングの研究)してました。
すっごい気分いい。

みなさんも、「めまぐるしかったんじゃ。」を活用して楽しい生活をしてみませんか。
私今日30回ぐらい(独り言も含まれる)使って楽しかったです。

JR遅れてきて、せっかく早めに到着するはずだったのが普通になってしまい苛立っても、
「(今日はたまたまJRが)めまぐるしかったんじゃ〜」
ようやくついても吹きさらしの風でまとめた髪が超ナチュラル状態になってしまい、一瞬ふざけるな!と思ったけど、
「(今日はたまたま天候が)めまぐるしかったんじゃ〜」
メールのサーバーつまりで着信が遅くて、おくれ返信かくときも、
「(今日はたまたまサーバーが)めまぐるしかったんじゃ〜」
帰宅して、せっかくかたづけていたところにまた物が重なりはじめてがっかりしても、
「(最近たまたま自分が)目まぐるしかったんじゃ〜」
弟子が合奏用の楽譜を忘れていき、早くかえしてほしいといわれても、その時きづかなかったことをぐずぐず落ち込まず、
「(そのときはレッスンで)めまぐるしかったんじゃ〜」
と言い聞かせ、妙に納得して、腹の定まった気分で落ち着いてすごすことができました。
すばらしい。

ただ鼻歌歌ってるだけのくせに、自分では「節回しを研究して、まねることも大事な勉強なんだ」とか思ってるところも好調。
だってめまぐるしいんだもん。





2005年05月19日(木) ええかげんなやつじゃけん。

みなさんは、確か吉田たくろうの歌ですが

♪ええかげんなやつじゃけん 
 
ってはじまる歌があるんですけど御存じですか。
(ちょさ☆けん配慮のため後日記載を変更してます。)
私今日まで、これはいなかのお母さんかあるいはおばあちゃんが、都会でぶらぶらしてるぼんくら息子とかにあてて歌ってるんだと思ってました。
私のイメージでは、この息子はいいかげんで、ぼんくらなので、たまに競馬まけたからとか家賃はらえないとかいってお金をかしてくれとかいってくるんですよ。
で、そう言う時ぐらいだけ電話してきて、どこにすんでんだか何やってくらしてるんだかわからない。だけど、そんな息子に対して、
『都会とはいえ、どこにいるのもみんな同じ人間だから、すさんだ考えに流されずに人を好きでいなさいよ。それがきっとお前を幸せにするんだよ。お前に好きな人ができたなら大切にしなさいよ。』
とさとしている話しだと思ってた。

これはまったく違うらしい。
どうやら、
『僕の力では、君を十分に幸せにできないから、見送るよ。僕なんかの為に泣かないで。』という意味の歌いだしらしかったのだあ!!!!
どうやったらそんな歌詞にきこえるんだ?わからないっ。





2005年05月18日(水) 小説『僕のセルマ2』

「僕のセルマその2」

セルマは、札幌の店でみつけた女だが、店のオーナーの話しによると東京本店からの出向だという。
いつまでいるのか、とたずねるとわからない、本店次第だからと言われた。
遠距離恋愛の苦手な僕だから、セルマが東京に戻ってくれさえすれば自然と忘れるとも思った気楽さで、逆に積極的なアプローチをはじめた。

セルマは僕が教えるより先にきれいな日本語を十分にはなせていたので、僕のフランス語講座通いははじまらなかったのだが、劣等感の強い僕には彼女の美しさがまぶしく映り、次第に腹立たしくなっていた。

話をできるのは店の中だけで、彼女には別の世界があるのに、僕には彼女のいない世界が考えられなくなっていく。
子供じみた片思いなど、柄ではないと何度も戒めても、僕の気持ちは毎日膨らんでいく。
恋に出会えた喜びで満足するほど僕は純粋な心をもたず、セルマを自分のものにできない苛立ちばかりがつのっていくのだった。

戦うことしかできなかった僕が、さらに年をとって戦えなくなった。
というより、僕自身が戦いを求めていないというのもある。
勝敗に興味がなくなってしまったのだ。若い鹿の雄たちが角をぶつけあってあそぶような、無邪気な健康さは今の僕にはない。
そして欲しいものなど何もないと思っていたのに...。
彼女のおそらく無差別な優しい微笑みに僕は騙され、その優しさが彼女の中に秘められた静かな強靱なプライドからくるものなのだと気がつくのにも時間はかかったため、僕は知らずと彼女にリードされ、幸せにしてやりたいなどと思い上がっていたのも忘れ、女神に頼りすがるような時をすごしている。
セルマは自信のない僕を許してくれているような、高くておおらかな空のような存在になっていった。

セルマと一緒にこのまま、秋の落日をながめ、冬の寒さにたえ、そして春がくるのを楽しみに生きていけたらどんなにすばらしいだろう。
誰に賞賛をうけたとか、富豪になった証として単に眉目秀麗な妻がほしいつもりはない。
僕はセルマを舞踏会につれていけないし、いい服もかってやれない、しゃれた冗談で笑わせるセクシーさもない男だから、それはかなわないのかもしれない。
せめて僕の苦手なタイプの男たちのように、成り上がり風でもいいから脂ぎったたくましさや図太さがあればもっと強引にちかづくこともできるのかもしれない。
僕はセルマと出会って、自分が嫌いな男たちよりも臆病であることをはじめて恥じた。
セルマは僕とつりあう女ではなかった。

夢をみないことも、生きていくために必要な才能のはずだから・・と言い聞かせている僕。

つり合わないものを追うほどに若くもなく、かといって空想で安らぐほど老成した詩人にもなれない僕がいて、愛すれば愛する程セルマが明日にもいなくなってしまいそうな恐怖も大きくなる。
この日々が永遠ではないことに目をそむけて、気軽さを精一杯よそおって、今日もまたセルマに会いに行く僕だった。



2005年05月17日(火) 小説「僕のセルマ」

また小説かきました!!題は「僕のセルマ」。
セルマという名前の、フランス人女性に恋をした物語りです。
私、どうしてもあの楽器が忘れないみたいでとうとうまた小説になってしまったのでした。すごくひまな人だけおよみください。

『僕のセルマ』

セルマは、奥まった席に黙って隠れるように座っていたから最初は目立たなかった。
たくさんの若くて、均整のとれたキャンペーンガールの華やかな立ち姿の後ろで、自分の出番は今ではないというような、ゆとりとも諦めともつかない落ち着きはらった態度が、逆に僕の目をとらえた。

今の僕には、女が集まっているくらいで、いちいち好みのタイプを検索するほどの若さも、思い上がった自信もない。
自分にはもうそんな気力はないんだ、と思って何年たったことだろう。

最近はやりのサービス過剰な露出の服はきていなくて、彼女はむしろ一つ間違えればいきすぎた古風ともとられかねないほど、ベーシックな服装をしていた。
しかし良くみると、それは単なるアンティークではなく、70年代風のドレスにヒントをえて、より現代的にラインを整えたデザインであり、彼女が控えめなわりには自分に投資している様子も伺える。

いったい彼女のターゲットはどんな男なんだろう。
それなりの、審美眼、経済力を暗に求めている趣味を表現していることは僕にもわかったけれども、単にそれだけでは、彼女はなびいてこないような予感がした。
おそらく彼女はいわゆる「力」じみたものを求めていない自立した女であり、しかし品のない男を極端に嫌うのだ。

言っておくが僕は、「落とすのがむずかしそうな女」だからといって奮起するタイプではない。
難しいそうに見せるのが必要な女には、愛される才能についての自信がないのだと思うからだ。手管をつかわなくても愛される女は愛される。

セルマを呼び寄せると彼女は意外にフランクな様子で僕に近付き、一緒にダンスをしてくれた。
軽やかな足取り、しかしサロン風のダンスを気負わずやっているようにみえて、それが遠めにでも明らかに磨きあげられていることがわかるような踊りをしてみせている。
リードされているのは僕だった。
僕は、セルマと踊っている自分が遠くからでも格負けした男にみえていることをその時かみしめたとたん、セルマに恋をした。

セルマはフランスからきた。
僕はフランス語はもちろんはなせない。おそらく彼女が幼いころから頻繁に経験してきた、優雅な世界にもこれから縁がない。
それでも僕はセルマを愛してしまった。

人はなぜ、もっとも縁どおいものに焦がれて求めてしまうのだろう。
不思議なことに僕はセルマをそのとき以来毎日思い出すのだが、彼女の顔がよく思い出せない。
すごくきれいだったからまっすぐにじろじろと見れなかったせいだ。

女を幸せにしてやりたいだなんて一度も思ったことがなかった僕だけど、セルマがきてくれるなら、彼女が一番輝くように愛したい。
僕はフランス語を勉強して、彼女にはきれいな日本語だけを教えてあげるんだ。
勝手な空想に身をゆだねることから、僕の今年の春ははじまった。










2005年05月16日(月) おはようございます♪

みなさんおはようございます♪

今日はやっと晴れているじゃないですか。晴れてないとあんまり気分がのらない私としてはとってもうれしいです。
いつか近隣に迷惑だといわれそうな我が家の裏の自生ポプラも新芽をつけ緑がかってきました。やっぱり春はこうじゃなきゃねえ。

Iさんとレッスンについて語ったせいか、なんとなくそのことが頭の中でぐるぐるしています。
ん〜、私は、大雑把ですけど、なるべく自分の好みを押し付けない事に尽力しています。
ただ、ごまかしてもいつかそれが原因でゆきづまることが明らかなことはきっぱり言いますけど。
自分の好きな感じと違うものの方がその子のやる気を引き出すポイントになることもあるし。
でも、ある程度の段階までは、順番は違ってくるけど、基礎と、基礎と演奏を連結させる習慣やその方法をねばり強く伝えていくみたいな感じが中心です。
ジャンルも、全員がたとえば音大にいきたいとか、クラシックを吹きたいと言うわけでもないのでね。自分がこのジャンルだけがトランペットの最高峰だ、みたいなのは本人が自由に思うぶんにはかまわないけど、思い込みすぎると排他的になり社会性がなくなるというか、時として威圧的な態度をふりまいてしまいがちにもなるので自分も必死に気をつけてます。
あまり早いうちから自分の殻は創らない方がいいと思うんです。
まあ、誰にでも殻はあるけど。殻にとげまでついちゃうと、並たいていの愛(笑)ではテの施しようが、なくなってきます。

ぼけっと考え事ばかりしてると下手になるので、天気もよいしいい練習をして、他のこともちゃんとやりたいなという感じの朝です。





2005年05月15日(日) 息のスピード

あちこち細切れにでかけて講座を受講したり、自分も教えたり、コンサート聞いたりして、目まぐるしい週末でした。

そこで二ヶ月ぶりにIさんにあって、帰り道おくってもらってすっごく助かった。実はおとといから私はすっごくだるくて熱ぎみで自分なりにちょっと無理をしてがんばっていてるつもりなのですね。

そこで、「クリニック」はどうしてるかっていうお話を二人でしました。
話している時は思い付かなかったんだけど、今朝おきてみて思い付いたのは、「息のスピード」のことです。
7、8年前までは、とくに女子中学生や高校生は、「息のスピードが早くできないから、スピードの重要性を伝える必要がある」だなんて他のトランペットの先生とも話した覚えがあります。
でも最近は違うような気がする。
傾向としては、音は以前よりクリーンになっているし、息のスピードはあります。
でも、「ゆっくりはけない(すえない)」という問題がおおまかな傾向としては見受けられます。
そこそこちょっと難し気なことまでできるという点においては、昔の平均値よりうまくなっているようにみえるんです。でも、難しくない(ようにみえる)ことがしっかりできないというか。
一見技術的には逆戻りというか、地味な基礎みたいな感覚をもたれやすい部分なので、「自分はけっこう吹ける」という自負があるコにとってそれを指摘されるのは心外らしい。
ゆとり教育とかの影響もあるのか、「大切にされている」のもあるのかな。

なんていうか、基礎って、国語と数学のように、演奏と分断されるものではないんですけど、分断されがちです。

生活のリズムも違っているんでしょうね。単純に身体が若いというのもあるし。
自分なりに速め早めにふいて吹けたつもりになっていて、実際それが合奏にはいるとがんばってるわりに共感もよばないわけです。
つまり、人に伝わらない、人と一緒にできない、チームを音そのもの(指のハヤさとか音の大きさではなく)でまとめられる力が伴わないタイプの単独のそれなりの技術で、うまいつもりになっていて、それを指摘される機会が乏しいという問題にぶつかっていることに気がついてないんです。

吹く側が深い呼吸をもちあわせていない限り、聞くがわもゆっくり聞く気になれないんだっていう深刻な問題のはずなんですが・・・。




2005年05月10日(火)

雨がふっています、今日もまた・・・。
楽譜の上にまだ使い方に慣れていないヘットマンのオイルさっそくこぼしました。
すっごい黄色いですけど。
これは同門のK君(レヒナーポンぺルガー選定でおそろい)に☆ピーしてもらって5年たつのにいまだにろくにさらえてない教本『P』です。
☆ピーは原則として禁止されてますのであからさまにかくわけにはいきません(笑)。

修行の一貫としてとあるテーマを題材にさらい中。
なにもかも、もやんとしてます。雨ふりだから。
私今日ぶっちゃけずれてる感じ。しかも途中からずれた。
というのはなんか、けっこういろいろ気にしてちんまりしてることもあるし、逆に大雑把で変になるとこもあるしで、これは一旦食べないと直らないとおもっていっぱい御飯食べてみたりした・・・。
しかしそんなことで多少のパワーはでたにしても吹かないとなおらないし。
でも、なんか疲れたし早めに寝ようかななんておもったりして。

いらいらしてきて変なところでよけいなベンドつけて気分かえようとしてみたり(ばかっぽい)、テキトーなペダルのさらいかたをしてより一層『あれ?』みたいになって、フィーリング派の私には超ありがちなゆきづまり状態です。

まあ次にはれるころにはよくなると思う(根拠はなし。)
全てを一日で解決できてたら今頃私はとっくに天才なわけですから。
ゆっくりやろうっと。



2005年05月08日(日) そして。

ぶっとばしぎみに調子にのっていたのもつかのま、諸問題を比較的はやく自覚したので昨日から改善に全力を尽くしています(笑)。
あんまり、ぱっとした改善はされてないけどやらないよりはまし。
というより、大した事のない処置しか思い付かない自分のネタの狭さをこんなときに痛感するのでした。
でも、案外地道なほうが早道だったりしてね。
それに、今日はわけあって妹に早朝からあれこれ、ちょっとしたアクシデントなどの解決にもつきあっていたので予想外に寝不足。
なんか唇の表面が妙に乾いているような気が。
クリームぬってからねようと思います。

それで思ったんだけど「なんだかそんな気がすること」ってたいていそのまんまその通りなんですよね(笑)。
『なんか、やばい気がする・・』と思った時たいていすでにそれはやばい状態そのものに突入しているということです。
というより、根が楽天家のせいなのか(別にこれがどうだからといって死ぬわけじゃないとか大雑把な開き直りをしてしまうなど)気がつくのがおそいみたい。
知りませんでした。
今後は、「そんな気がする...かも...?」と思った時はただちに、「様子をみる」などと、のんきなことはいわずとっとと対応することにします。
即断、即決、即実行。

最近『出前』に興味があります。
といっても、いわゆる『しゅっちょう出前演奏』をここで売りこもうとはりきっているのではなくて(笑)、単なる『そば定食』とか『ピザ』などの宅配です。
しょっちゅう玄関にポスティングされているのをろくに読みもせず捨ててましたが、よく眺めてみたら、お家でごはんつくるの面倒、買いにいくのも食べに行くのもためらうときは『出前』をとるのがいいのかなと思いました。
いつか出前をとろうとおもってもう一ヶ月たってしまいました。
なんかいざとろうと思うと、
『このくらいだったらどっかにそれなりにいいもの食べにいけるのでは・・』
とか、
『宅配とどくまえに別のもの食べたくなったら断れない』など、
どうでもよいような理由でためらってしまうせいです。
マイペースな生活の許されている日は、こんな風にためらってるのもなんとなく楽しいんですよ。

・・・それにしてもまた寒くなっちゃいましたね。
中標津はマイナス二度で積雪、旭川も雪がふったらしいです。
みなさん体調に気をつけて、ゴールデンウィークでつちかった英気をもとに新しい一週間がんばりましょうね!







2005年05月07日(土) ノベルティずき

A事務所のTさんからエリエールの消しゴムとストラップをいただきました。それをさっそく携帯につけると、着信と送信の時にぴかぴか光るんです。
私は、こういう「販売促進グッズ」みたいなものが大好き!!
ちなみにこのストラップは『トイレットペーパー』の形をしています。
自分的にはかなり上機嫌。

きょうはSちゃん超ひさしぶりのレッスンでした。ひとりだけの日なのでかなりじっくりレッスンできました・・が、お約束といえばそのとおりの自然ななりゆき(笑)で、ちょっと『基礎系はほったらかしぎみ』であった。なにやら時節柄後輩の指導がいそがしいらしい。
しかしいろいろやっていくと前よりも柔軟性ができていた。
しかしやはり、『なんちゃってぶき(古畑語)』になってるので、がつんと言わせてもらったよ。それは、あなたの実力はこんなとこどまりではない、ということを信じているからなのですよ。説教して自分が気分よくなりたいからではありません。正直いってほめてる方が楽です。

レッスンをうける時の気持ちを思い出すと、なんか自分の(客観的には不十分で未熟で狭い了見にしばられた)やり方で、まずできるところまでやってみようとか、あれこれ今けちつけられたくないとか(レッスンはけちをつけられてるわけじゃないのですが、つまらない自尊心があることもあるんですねえ。)そういう気分のときってなんかブランクできちゃったりして、するとなおさら、レッスンされてたことがおざなりなので行きにくくなり・・・というのを自分も何回も経験しているので、習いにくるほうもいろんな経過をたどってきてるんだろうなあと思います。

でも、人生の基本は「一期一会」。レッスンは継続した方が、教える方も教わる方も確実な結果がだせると思うけど、「やりかたをきいてみようかな。」と本人が思わないかぎりまわりが何をいっても届かないとも思います。というか自分がそうだもんな(笑)。
教える方も、おもいきって踏み込んでいかなきゃいけない時もあるし。
そっと星に願いをかけるように上達を祈るのも方法ですが、目の前にいるときに全力をつくす、そうするしかないですね。
たぶん自分を教えてきてくれた先生方も、こういう自分の気持ちはまるみえだったんだろうと思うとおかしいような恥ずかしいような、申し訳ない様な・・・。

すごくすごく、ポンぺルガーに会いたい。もちろんラッパをもって。










2005年05月06日(金) ガンツゲナウ

Tさんと久しぶりにおさらい会をしたのもあり、私はここ数日アダチとレヒナ−(もちろんロータリー)、そしてS楽器店でみつけたS社の某特殊管にも喚起され自宅の特種管(バっク)、そしてピッコロ(セルマ−)などもくまなくあちこり引っぱり出して吹きまくっていました。
特にこれといって自分に対してシリアスな要求をせず、ただやみくもにいろいろ吹いておりましたわけです。
やりたいな〜と思ったのをやりたいように(笑)、やたらたくさん吹いていたので、自分はいっぱい練習してるぞっ♪テレマンも(テキトーに)ふけちゃったぞ!!昨日より調子がよい!!などと思っていたんですけど...。
はっと気がつき、うっかり手薄になっていたピストンB管を先程あわててさらいはじめたところ・・・。
ちょっとした?というより十分にシリアスな問題が見受けられた。音が・・めちゃくちゃきたないんでしゅっ。
気分よくばんばん適当にあちこちたくさん吹いてリャのびるわけじゃないんでした。あたりまえですね、すみません。
わざわざ書いて公表するのもどうかと思いますが自分への戒めのために日記に書いてみた。
だって天気よかったから..。なんとなく音が大きくて気持ちよかったんだもん。
でも悪気はなかったの。
ポンぺルガーのアルバムきいてやる気だしちゃったりして「いっぱい吹くんだ。」って思ったのはいいけど、レッスンされたことを遵守しておりませんでした。
思い出したんなら、師匠にやれといわれたことをやれよって感じです。
簡単にまとめると、師匠の代表的なお言葉は以下の通りです。

「きわめて正確に(ガンツゲナウ)」
「よりよく、ではなく、常に最高な音でなくはいけない(ニヒトベッサー、インマーベスト)」

どっちもやってませんでした。汚くなるわけですよ。すみません。








2005年05月04日(水) いいねえ。

ひさびさいろんな音楽をききました。

今日はロリンマゼ−ル指揮の85年録音ウィーンフィル、マーラーの3番をきいています。
師匠がポストホルン吹いてるもの。

これは八王子ブラックリストの同門のTさんにプレゼントしていただいたものである。

実は私は大昔これをすでに買っていました。
しかし、帰国してしばらくたったころ、聴くと泣いてしまうので、自分の泣き虫を飼い馴らせない私はなんとうまれてはじめてそのアルバムを「破棄」してしまったのだ!!!!!
今も昔もアルバムをこれ以外捨てた事なんてありませんが。
いつか、弱さを克服するまでしばらく離れようと。
今考えるとマゾの世界の行動ですけど、当時の私は不器用だったんです。
前に進まないといけない、泣いてる暇はないんだって思っていたらしいです。

でも本当に心から好きなものをどうして捨てたんでしょうね。
正直、捨てたことは忘れていました。
しかししばらく聴いているうちに、思い出したんです。
とある箇所、ポストホルンのところももちろんそうだけど、非常に命がけに気にいってる部分があって、そこをなん百回きいたかわかりません。

ウィーンにいたころ、それから帰ってきてからも、何度もきいていて。しかも捨てたはずのものでしたが、予想外なときに再会しました。

どうして一番好きな音に素直にむかっていけなかったんだろう。
それは自信がなかったからに他なりませんし、正直仕事の世界に挑戦していくときにつらいこともたくさんありましたから、過去の自分をせめてばかりいても仕方がないけれども、どうして自分が、トランペットを選んだのか、理屈ではなくそのころの本当に必死な気持ちを思い出しました。

繊細さは、弱さではない。
どうしてそんな大切なことをわかっていなかったんでしょうか。
いやわかっていたけれど、弱かったから、それを受け入れられなかったんだと思います。



2005年05月03日(火) 仮面ライダーひびき

以前にもちょっとふれましたが、みなさん「仮面ライダーひびき」ごらんになってますか?
私たまに見てます。細川茂樹が主演。
茂樹実際のところ、あんまりたたかってないです。仮面ライダーなのに、あんまりバイクのりこなせないという設定でちょっとユーモラス。「いぶき」のバイクを山にぶつけてこわしてましたし。
大人の仮面ライダーいいですね。
もともと細川ファンの私にとってはとてもよい番組。
ちなみにこの番組にはトランペットで敵をたおす「いぶき」もでています。
いぶきのもってるトランペットもほしいです。
なんか、部品はずすとライフルみたいになるんですよ。
最初のうちはいぶきのあてる角度あまりにも上にかたむきすぎていて、
「そんな上唇に極端に負担をかけたあて方で、そんな高い音でるとおもって子供がまねしたらどうするんだ。」
とまじめに心配していましたが、最近非常に自然なフォームで演奏してやっつけてます。たまにメロディきかせてほしいけどね。
はっきりいって「いぶき」の方が最近の仮面ライダー路線(美少年)だと思う・・・(笑)。いぶきの方が顔ちいさくて足が長いです。
でも、そんな美少年の前でへんに若ぶらず、「訓練」するとき妙な息切れをしてはあはあいってる細川茂樹!!うける。でも、敵の上にのっかってひっくりかえされたり振り落とされたり、たまに負けたりしてもあんまり気にしてないのがとても素敵。
個人的に男性は30代が魅力的と感じている私にとっては、細川茂樹が30代に突入したことがそもそもうれしいのです。
クール系できめてるような役の時より、『ちょっと年』が感じられる今の方がもっといいと思います。



2005年05月02日(月) 至誠天に通ず

はあ〜すっごくいい天気ですねえ。
さわやか・・・
換気扇もあちこち掃除したのでさわやか(笑)。
今日は、とってもよいニュースをふたつ。
◎ロータリー吹いてくれないかなあ〜と思っていたとある憧れのプレイヤーがこの春ロータリーを購入されてました!!予想外だったため喜びもまんぱい。ロータリートランペット万歳!!サッポロのトランペット界に夜明け(勝手にそう思ってる)到来。めちゃくちゃうれしいっ。。
◎誠意は人の為ならず。
3、4年前に私がいったことばを今でも覚えてくれていた人から、「祈りが通じました」というおたよりをもらう。すごくうれしかった。知らせてくれてありがとう。
人にいうだけでなく、自分もそう生きていきたいと思う。
祈りや誠意や、それに伴う行動がいたらない、もしくはすぐには届かないこともあるけれど、持ち続けることで自分がいつか救われる瞬間がきっとくるんだってこと。



2005年05月01日(日) 春の嵐

ゴールデンウィーク前半のはじまりですが、みなさんいかがおすごしでしょうか。
私は美唄通いもひと段落して、また自宅で静養しております(昼までねていました)。
今日は5月なのに、いきなり冷たい風と雨がふってきて・・・。
いまさら厚着をするのも面倒なので、ストーブつけてます。

「負け犬」日記メールでも反響が!!
でかけていたので個人的な返信ができておりませんですみません。

まあ、また新しい言葉が流行ればそっちに気がむいていくんでしょうね。
今年の流行語は何になるのかなあ〜。

昨日わずかな時間をぬって無理矢理Tシャツをかいました。踊るゴリラの絵が書いてあるやつ(笑)。
ネコ(ヒマラヤン)の絵が超多色使いで大きくプリントされているものもすすめられて、
うかつに買いそうになってしまいました。
だってすすめてくれた女のコがぴちぴちしてかわいかったから・・・。
「お客さまって、絶対ネコっぽいと思うんです。例えると、ネコじゃないあかなあって。ネコ派だから、こういうの似合いますよっ。これすごい一番人気あるし、着ちゃって下さいっ」
とか言われて一瞬その気になる私・・おろかな・・・(爆笑)。
だからって結局ゴリラのを買ってるのもどうかと思うけど気にいりました。
何年か前にトラの絵がはやったけど今年もトラが多く見受けられた(評論調)。
「これ、かわいくないですかあ?」
とたずねられると、
「いや、かわいいのはあなたでしょ。」と答えかけるが、そんなことをいわれても困るだろうと思うのでぐっとこらえるのでした。
おねえさんに、やたらと「若いから似合うのよ」って言い返されても、若い方は返答に窮するものなんですな。





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