古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2005年04月25日(月) 今さら負け犬談義かい?

去年の流行語、「負け犬」!!
強がるよりも、腹をみせて降参するポーズとる方が、処世術として賢いし風当たりもやわらぐのでは〜。という話しなんだけど、いろんな使われ方されてますよね。

これがいい感じの言葉かどうかは別として、自分の弱点とかを相手にいわれないうちに先に暴露しておくと、それ以上攻撃してこなくなりやすいかもねって感じなんだろうと思います。

しかし!!
あま〜い。
人は「勝たせてもらう」ことにより、それに慣れるとどんどん勝っているのが当たり前になっていくという習性ももちあわせている。
ユニークな視点がインパクトあるせいか、多くの人がいいたくていえなかったちょっとした優越感をそそるこの言葉。
「言わせておくとラクだから言わせてあげてる」と負け犬本人が余裕かましてるつもりでも、はやり方の様子から見て、みずからを傷物あつかいしているかのようにも聞こえかねないこのニックネーム、わざわざ名乗ることもないのでは・・と思います。

未婚か、既婚か、既婚暦があるか(笑)、その人をおしはかるうえである程度のファクターになるのは普通かもしれませんけど、若い女の子が、「彼氏はいます」みたいなのを、「自分の魅力は評価されてます」みたいに証明したがる様子もなんどもみました。
いないと、変・・みたいなね。
その切迫感も、若さゆえのかわいらしさかもしれませんが、みなさんどうか自分を大切に。
もてるかもてないかって、その時の環境にもよりますし、リアルタイムの状態がその人の魅力そのものの評価にはかかわらないと思うんですね。
そのばによって受けるキャラクターって違いますもん。
プレイヤーにも得意技とか、得意なジャンルが違いますからね。

小さな事でもいいから、自分の得意技に誇りをもって、それを小さな場面でも続けていく。
以前は裏方だった職業がスター的扱いをされる時代になり、一見マニアックな傍役にみえる仕事を徹底するということがかっこいいと思ってもらえる時代になりました。
女性もそうあるといいなと思います。
どこにでも誰にでも、というよりは、「ここぞ」というときにがんとパワーを放出できる勘と瞬発力を失わず、いざというときまで、温存しておけばいいんじゃないかな。
そう思ってると腹をみせたふりなんてして、少しの体温も逃がしたくないと思う私でした。プライドは大切なことだよね。



2005年04月24日(日) くもりのちはれ

はれたかと思ったらいきなりくもって下手するとみぞれみたいなのがふってくてる。最近の天気ってなんだか変。

「せっかくはれたのに、また曇る」と思っていたけど、順番をいっこずらして考えると、
「曇っていたのに、また晴れた」ってことにもなるんですよね。

遅れてインフルエンザにかかる人もいて、体調管理の大変なことでしょうが、みなさん楽しくすごして、ゴールデンウィークをむかえましょうね。

私はまだ掃除がブームで、すきま時間をつかってあれこれ磨いたり方つけたりしてます。
空気がよいので楽器吹く時もなんとなくいい音でそうっ(実際は、あまりかわっていません)。
おおきな山でもすこしづつかたづけたらいつかなくなるんじゃないかな〜。
かたつけついでに探し物もしてますが、探してなかったものがじゃんじゃんでてくる。
かたつけるとあれこれ物を動かすのでまたホコリっぽくなり、また掃除。

でも、「普通の生活が普通にできない」ことが最大のコンプレックスだったような気もするので、なにかひとつすすめるだけでほんとに充実した気持ちになれます。掃除万歳!!正当万歳!!めざせドイツ人(ドイツのことわざに、『人生の半分は整頓にかける時間である』とかいうのがあるんだよ。)!!



2005年04月23日(土) 掃除成り金その2

掃除に励んでいた私は、今日「おそうじ用品」をたくさん、Y氏にプレゼントされた!!
便利なものがたくさん。わ〜い。
すぐに使ってみたくなり、あちこちぱたぱたしたりきゅきゅっとしたり大喜びで掃除しています。
なんか日増しに、それなりに家の中の空気がよくなっていくような。
見晴らしはまだよくないです。だって大邸宅だから(笑)一人じゃそんなに大きな変化は作れないの...。
換気はかなりしょっちゅうやっていたけど、窓をがん明けしてるぶんほこりとかもはいりこんでるのね。
しかし「掃除の好きな自分」なんて一生ありえないキャラクターだと思っていましたが、人って何がどこでどうかわるかわからないものですね。

すべてがアトランダムワールドだった(楽譜と領収書、年賀状、だけはある程度まとめてあったけど)我が家にようやく人並みのくらしのきざしが見えてきました。

不思議です。個人的な練習日記も再開します。これは、ネットの日記とはまったく別に自分の練習ひらめき日記みたいなもので、吹いてる最中にあとで考えてみようとか、レッスンの時のアイディアなどを秘密裏に(走り書きなので、人が見ても意味不明)記録しているものですが、最近遠ざかってました。
制覇したいものを書き出して、計画的に(計画どおりはいかないんだけど、)さらっていこうという考え。
自然状態ではかなり「フィーリング人間(テキトウ)」な性分なので、こういうのもいいと思います。
メトロノームの電池もいれました(きれて二週間たっていたけど、メトロノーム使わなくすむから、という理由でいれてなかったのだ!神様ごめんなさい。私の人生は勝手ででたらめでした。)。
これで真人間に立ち返って練習できる。はず。



2005年04月22日(金) 掃除成り金

最近のブームは「おかたつけ」。
暇をみては、寝る暇も惜しんでかたつけています。あさ起きたらすぐなにかをかたつけたくて仕方がないし、寝る前もあれこれ動いています。
今回は比較的持続していて、毎回ゴミの日がとても楽しみ。
そのうち使うとかもったいないとかでなりゆき保管(ほったらかしと言う意味)になっていたものを、さくさく捨てているのです。
多分生まれてからはじめてというか、なにか「理由」とかがあって無理矢理かたつけている感じになりがちでしたが、今回はほんとうに楽しい。
前にあちこち引き出しとか見た時もいろんなところに財産がみつかり成り金でしたが、今回もいろんなものがでてきてそれも楽しみの一つです。
写真とかも久しぶりにみるとそのころのことを思い出したりして感慨深い。。
でも、この10日くらい、「かたつける」時間を必ずキープしているので、日増しに増えていくというのはとりあえず防いでいます。
どうして十日もキープしているのに、まだ方つけてるのって思われるかも知れませんけど、とてもとてもお城のような大邸宅なものですからそんなに簡単にかたつかないんですよねえ(笑)。
部屋の歴史は自分の歴史と言う感じで、ただ散らかっていると思っていましたけど、いろんな部門において、その当時の葛藤とか、だめながらも必死であったとかさまざまな散らかりかたをしています。

いろんな楽譜もでてきました。なくしたと思って買い直したものとか、あんまり聴きたくない昔の自分の録音とかね・・。

いつになるかわかりませんが、そのうちすべてがすっきり片ついて過ごしやすくなると思います。
自分のことを自分でやるって気分がいいですね(あたりまえですか・・・)





2005年04月21日(木) 女房と畳、だんなとキッチン、そしてラッパは・・・

若い方がいいみたいな(笑)言い方、案外あちこちでききます。
というか、きかれます。

確かに、その時より若い時の方がよい時代だったと言われる人もいるでしょう。
でも、やっぱり、こういう風に「あんまり年とってるとぶっちゃけだめなんじゃないの、パワーおちるし、いろいろあるし」みたいないわれ方を大っぴらん無頓着に何の遠慮もなく言われてしまう管楽器、特に自分がトランペットだからかもしれないけどトランペットの現状。

ハ−セスのように80代まで輝きを保ち、アンドレのように70代でなおかつ殿堂入りをくだらず、そういう世界をもちえるトランペットの世界。
単に、体力を保っていれば吹けますよ、という話しではなくて、なぜ、「人生」や「経験」「より適切な判断をする力」がトランペットの価値として、表現力の源として公認されていないのか、非常に腹立たしく、悲しく思います。

バイオリンやピアノだと、「あのピアニストの演奏は、若い時のベート−ヴェンと今は違うよさがある」と評価されたりとか、「ブラームスはまだ自分には深すぎてできない」というコメントをする中堅世代のプレイヤーの方々、数多くおられます。
身体の機能や、(耳も含めて)感性の問題で、加齢がそのまま力に結びつかない時期の人はいると思います。
でも、イコール年とると吹けなくなるってのは、例えば歌の人なら、ある程度の寿命機関をむしろ尊ばれたりもしますけど、トランペットは「だから、ラッパは若いのじゃないときついんでしょ・・・」みたいな言い方が実際年に数回は見受けられるのって、なんだそれって思います。

年令の与える影響は人によると思います。
弦楽器の人だって、
「30過ぎるとまじで指うごかないくなってしゃれにならないから練習増やしちゃった」
とかあっけらかんとお話する方もいるわけですが、だからといって「年くっちゃうとダメだよね」みたいなステレオタイプはトランペットほどにはないとおもうんです。

で、私はどうかというと、若い時のラッパには戻りたくないです。
学生の時の写真とかみると、
「ひえ〜、ほっぺたぱんっとして若い!!」
とおもうけど、
「でも、この当て方には二度と戻りたくないです。」
と思うんですね。五年前のみても同じです。去年のにしてもそう。
単にトランペットをふいて音を並べる事は、才能と努力でできるけど、「より適切な判断」というのは、丁寧に経験して研鑽してきた「大人」には「子供」「その中間」は、とてもかないません。
トランペットにだってそういう域の先輩はたくさんおられます!!

まあ、あんまり「あのころが自分の花だった」(笑)みたいなぱっとしたすごい時代がないせいで、私は個人的にのんきなのかもしれませんけど。
調子がわるいという時ももちろんありますが、たいていそれは調子とかいう「漠然と見えにくい水面下の要因による」ものじゃなくて、「明らかにここが間違ってる」ってことにその時気がついていないことに原因があることの方が多いです。
なにか精神的にやんでたりすると気付きにくさは倍増しますけど、永遠に立ち直れないものでもありません。

いっときある程度の高い評価をうけた人の宿命というか、世の中のいじわるなところで、
「あの人はあのころのほうがよかった。(つまり、美談としてではなくて、今はそれほどでもないし落ちたよね、という言い方)」
みたいに、トランペットの誰かが言われていると、自分のことでなくても、自分が好きな人でなくても、どうして今の音をきいてくれないんだろうと思う。
私はその時思います。
「落ちたか、ノボッタかは私の知るところではないけど、落ちたというその人よりあなたはずっと昔からいつも落ちてるかもね」
などと・・・(爆笑)。ひどくいやなやつでしょ。私って。
一回も輝かないより一度でも輝いた方がいいと思うんですよね。

もし仮に、トランペットの寿命が非常に短いものだとするならば、逆に若くて優れたプレイヤーにはもっと全盛期にふさわさしいギャラをはらってあげてくださいね。
じゃないと、話しが中途半端じゃないですか。
年令という、記号だけで、その人の音を素直に聴かずあれこれけちつけてるの、あんましききたくないな〜。
自分が加齢に対してネガティブになっていくのを人に投影してるのに気がついてないんだな。そういう場合年をとるっておそろしい。

私は自分の老化が原因で、「なんにも、ほとんど吹けないのです」みたいになっても、「だから他の人もそうだろう」だなんて思うものかっ。
よいプレイヤーかどうか、ということはあくまでも個人差であって、年令によって絶対的に決められるものではありません。
若くてすばらしい人がもちろんたくさんいるように、高齢ですばらしい人もたくさんいます。

正直いって、うまいひときいたり見たりすると、感動の他にうらやましさや嫉妬が生まれて来た事がないといったら嘘になる。
でも、ひがみにはまったらそれこそ老化しますよね。
人生ながいんです。
トランペットの道もまた、長いんです。
のぼりくだり、いっぱいあってもいいじゃないですか。
いつものぼっていられませんが、下がりっぱなしはもっとイヤ。
横を気にせずとにかく上へ、と思います。










2005年04月19日(火) ゴムひものメモ

今日は引きこもり状態でうちのなかを片付けてました!!
すると、どっかでメモしたらしい「ゴムひも」についての紙が、お約束どおりしわしわになってぱらっと出てきたのです。
たぶん「これは忘れちゃもったいない」と思って走り書きしたもので、非常に読みにくかったんですけど、裏には図解まで書いてありました。
『朝日現代音楽賞』2004年の募集ちらしみたいなものを使ってるところをみると1年程度前の記録なはず。
なんだけど、このメモをしたことすら忘れてました。
そして意味不明な東京電話番号に二重線がひかれてたりして(笑)。

自分の記憶ってほんともろいものですね。
この「ゴムひも」というのは、発声法のアイディアについてのメモです。
とても管楽器と近似しているからメモしたはず。
しかし出典がどこなのか、誰かにきいたのか、何かよんだのかさっぱりわからない。

でも、見つかってよかった!!



2005年04月13日(水) クワィエット・シティ

今月にはいってから、毎日といっては嘘になりますが比較的出張とかでホテルで宿泊することが多かったんですが、静かな町ばかりでしたので、部屋にもどると何もすることがない(というより部屋の外に何もないんです)。
仕事がおわるころには(といっても夜中ではない)近所はまっくらなんです。

それで、夜中におなかが空いて目がさめたりする。
でも、食べ物を買いにいくほど(クワィエット・シティなので、コンビニが若干遠い。)のバイタリティもないのでしかたなく体操したりして紛らわしてました。
でも、出張の度に毎度ストレッチをしたり体操したりしたのが、予想外に身体にいい影響を与えたらしくてとてもいい感じです。
一番かわったのは目や肩や首がすごくやわらかくなったことです。
自宅にいると逆にやらないですね、あそこまでは・・・。



2005年04月11日(月) 消えた二ページ

という題の、寺山修二の本が子供のころ好きでした・・・。

というか、最近日記が消えるんです。
書いてのせたはずなのに、登録されないとか、以前書いてのっていた日付けのものが消えてしまったりとか。
なぜなんでしょう・・・

このところ雑用にせめこまれて息があがりそうです。てよりかすでにあがっているとも言える。
しかし、気がつきました。
「雑用は必要なこと」なのだな。と。
結局、雑用だと思っていることのボリュームや、重さをつねに自覚していないと人に迷惑もかけるし、自分も大変、と。いうわけです。

この日記どうなるんだろう。ちゃんとのるのかな。



2005年04月10日(日) 雑用は必要

出張からもどり、一日たった今日。
気付くとものすごい雑用の山でした。

でも、雑用って「しなくちゃいけないこと」なんだよ。
って今日気がつきました。
つまり人生には雑用とされてることが案外必要なことだったりするというわけで、なめてしまったりためこんだりすると、必要な事が重なってそりゃ大変ですよ。というわけです。。



2005年04月04日(月) 春うらら・・

ナカリャコフくんが「うらら・イン・ザ・スカイ」を吹いてからもう幾年の春が来た事でしょうか・・・。
最近、「あれはいつごろだったかな」みたいなものはすべて並列にならんでしまい、何がどういう順番だったんだか良く分からなくなってきてしまいます。
あるラインから前は全部ずっと前と同じ、みたいな。
人生長くなるとこういう境地に達するものなんですねえ。

これって「認知症(痴ホウという言葉は好ましくないので、これからはこうよぶと国があらためると広報さっぽろに書いてありました)」でしょうか・・。

しかし近所では春らんまんだというのに、なぜか今さら焼き芋売りの笛の音が聞こえてきます。
こういう風情のある様子を日本人ならばやはり歌にするのです。

春うらら 焼き芋うりに 後回し されるわが町 雪のこる。

ちーん。合掌。


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