smiled  at me

「ただいま、今 帰ったよ。」

知らない 多分 知らない人が

言った


「お土産は 何がいいかな?」

知らない 多分 知らない人が

言った


文は 優しく 私に 微笑みかけ

単細胞な 一部分は

更なる 微笑を生む




言葉だけ 私に 頂戴

ちょっと 優しくなれるはず


2004年10月29日(金)

EGO WRAPPING

突然 予備知識もなしに

行く 羽目になった。

名古屋での ライブは初めてだった。

しかも クワトロ。初。

狭い空間で トリッピングしながら

あいも変わらず 天井を見つめて

何処にいるのかもしれない。

友達を 思い出そうとするが

わからない。

色彩のブルースが

たった一曲知ってる、この曲を

歌いだした。



2004年10月25日(月)

うっ。

会社の 僕ちゃん 休みになると 電話してくる。

絶対出ないけれど かかってこないときはないぐらいだ

しつこいと 一日10回は 着信がある。

後日、聞いても 大した 用事でもない。

自分で 判断のつく事である。


携帯持ち歩くのが うざいと 思うぐらいだ

なんだ かんだと 理由はつけて 今後も出るきなし〜

休みに 電話してくるか? 

激〜うざい。
2004年10月23日(土)

更新

全然 更新したくなかった。

何処となく ルーズな 空間がたまらなく

嫌だった。

たまらなく

そう・・・たまらなく。

私の中にはありえない 空間だった

逃げ出すのは 簡単か

居る理由も 無いけれど

何処かへ出かける? 

この 更新を 済ませた後に。

どちらにせよ 近いうちに

終わるのだから。
2004年10月19日(火)

なんだか・・・違う?

なんだか それは 違うだろ? とか

思いながら 居ます。

そんな事 多くないですか?

何が 何だとか 事細かに 言えませんが

それは 違うだろ

そう絶叫させて下さい。

強烈なまでの そんな叫びは

多分 排出される事も無く

蓄積されたと 思いながら

何処かで 少しずつ 上手に 消化されていくんでしょうね

現実逃避て いい言葉ですね。照 (んまかいな・・・(笑)
2004年10月16日(土)

削除〜

 a :”おはよぅ! やっぱり 君には僕は 必要ないんだと 思いました”

sawa: ”へ?”

a: "僕が 居ても 居なくても なんら 体制に影響ないみたいだし”

sawa: "はぁ・・・?”

   ”あぉの〜〜私は チャットもするし、 友達も多いし そんな人だよ?”

   ”何処かの部屋に入ったぐらいで 必要ないんだとか そんなん気になるんだったら・・・ね・・・ね・・”

a: "もう 良いよ・・・ 登録してある、ハンドル削除してください”

sawa: "はい (この時点で 即削除していた。話が見えないしなー)

a:""どうも 波長が違うみたいなので・・・”

sawa: "はひ?”

a:"元気で 君の幸せを祈ってるよ”

sawa: "どもー””貴方も お元気で〜”

a君は それでも 何だかんだと 打っていた

a: "それでは 削除実行に入ります”

sawa: ( 削除 中継せんでも 黙って消せば良いのに てか
    既に消してるんだが・・・)

a:" なんだ〜かんだ〜〜・・・・”

sawa: (わけわかめ???????????)


何だったんだ??

何を求めていたんだ???

しかし チャットも長いが 削除実行を 中継されたのも

始めてかもしれん。

2004年10月05日(火)

月ってほんとはいくつあるの?

一説によると、人が受け取る情報の95%は視覚情報だそうで(これには文字で書かれたものを読むことも含まれてはいましょう)、とすれば、ここで                                 
だって、実際そう見えるじゃん!」

無論、なんでもかんでも「実際そう見えた」からって、それが正しいって
わけ
じゃありませんが、「そう見える」ことと「真実」との差異落差を考えてみ
ることも結構面白いんじゃないかなぁって思います。
第一、昔の人は、ここで
「誤答」とされている記述をそこら中でしているわけですが、

そのことをもって、
昔の人はアホだって切り捨てたって詮無いことじゃないですか。
現在の
科学的知見では地動説が「正しい」ってことになっていますが、天動説て、
ある一定の考え方の枠組みに則せば、地動説より「合理的」ってこともあるわけです。
アポロが飛んでって月に行って帰ってきたのは、
地動説的世界像じゃなきゃだめでしょうが、
かぐや姫が月から来て帰っていっちゃうのは天動説的
世界像のほうがしっくりきます。
いまだって、月にはうさぎがいてもちをついているって言うじゃありませんか!(言いません??)

例えば、私たちが現在殆んど何の疑いも無く”風景”と思っているもの、
自然”と思っているものだって、実はある特定の時期に特定の文化から構成されたものであるってのも最近では割合だれでも知っていることではないかなぁ。
科学は真理ではなくいわば文化だってことも結構知られるところとなったし。
で、「真実は隠されて、ある」という考え方が支配的で、
これは別名「観念力」
とか「抽象力」とかとも言われるますが、日常的にはむしろバカにされるこ
ういう考え方って、案外支配的だったりするわけです。

「抽象力」は重要ですよ。
あるいは「真実の探求」だってそう。
でも、他愛もないことですが
「見えるもの」を簡単にバカにしちゃあいけません。
第一、味気ないですしね。


さて、そもそもの問いはどこへ行っちゃったのかなぁ。
「月ってほんとはいくつあるの」か? 
それはひとまず、人それぞれ違った「持ち方」でいいじゃな
いか?

 ”人の数だけありました。” (笑)

何となく 惹かれて いつもの メルマガを引用してみた。

明日 あなたが見る月は?
2004年10月03日(日)

EGOISTE-やはりエゴーー / EGOISTE