日英双語育児日記
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2007年09月29日(土) I 先生へ

I先生へ

 今日は、保育園の運動会を見に来てくださってありがとうございました。

 「Tちゃんのおかあさんですね、Iです」とおっしゃるまで、お名前を思い出せなくてすみません。

 Tが最初に保育園ゼロ歳児クラスに入った年の、三人の担任の先生のなかで、いつも、少し後ろに下がって控えめにしていらっしゃる先生を、私は、なぜかまだ新任の先生なのだと思っていて、あるとき、高校生のお子さんがいらっしゃるのだとお聞きしてびっくりしたのを覚えています。それから、先生が歌がとても上手だったことも。

 
 先生にTを担任していただいた一年は、私にとっては、初めての子どもの育休を終えて、職場に復帰した年でした。四月に復帰したあと、十一月には二回目の産休・育休に入り、冬に出産。Sが生まれたばかりのときにあったクリスマス発表会では、Tが不安定になっていて、舞台でも真っ赤になって泣いていたけれど、その後、二月の発表会では、随分落ち着いてきて、ずっと生き生きと楽しそうな姿を見せてくれた、そんな年でした。

 保育園は一年契約の臨時職員なので、とお聞きしたのは、先生が年度末に、福祉関係の正職員のお仕事へ移られることになったときのことでした。そのあと、ずっとお会いする機会もありませんでしたが、今日、あのときのゼロ歳児クラスにいた子どもたちが卒園する年に、わざわざ、保育園の運動会を見に来てくださったこと、本当にありがとうございました。胸が熱くなりました。

 ゼロ歳児クラスでは、九人だけだった子どもたちが、今では、もう四十人近くになっています。
 お父さんに肩車をしてもらった騎馬戦で、帽子をとろうと向かっていき、一回戦では正面から向かっていって引き分けたものの、二回戦で、後ろから奇襲をかけて成功し、Tが嬉しそうに笑った、あの相手のAくんは、年少組から入ってきた、仲のいいお友達です。

 フィナーレの年長組三色リレーで、少し差のある二位でバトンを受け取ったTが、コースを一周走るあいだに追いつき、同着でバトンを渡したBくんも、年少組からのお友達で、仲良しです。アンカーとして、ぐんぐん走る姿に、私も「Bくん、がんばれ!Bくん!」と思わず声を上げてしまいました。そして、感動の逆転一位でゴールイン。

 
 それにしても、今日は、あんなに元気いっぱい、保育園最後の運動会を満喫していたTですが、二歳児、三歳児のころは、親の姿を見つけると顔を真っ赤にして、恥ずかしがって動きをやめて立ち尽くしていました。

 今年は、開会式の前の年長組の鼓笛隊パレードで、大太鼓をやる、というので、大丈夫かしらと少し心配していたのです。最初入場してきたときは、恥ずかしがって下を向いていたけれど、段々顔を上げられるようになり、最後まできちんと、どん、どん、と太鼓をたたくことができました。

 
 実は三日前の夜に、それまで風邪気味だったのが、急に熱が上がり、咳もひどくなって、慌てて夜間診療している遠方の病院に連れて行ったのでした。次の日は、保育園を休みなさいと言うのに、「運動会の最後の総合練習があるから、絶対に行く。大太鼓が先頭だから、絶対に休めない」と言い張るので、熱も咳も一応は収まっていたので、保育園に連れて行き、午前中、鼓笛隊の練習が終わったころに、おばあちゃんに迎えに行ってもらいました。その日は午後に、三時間も昼寝をしたそうで、ゆっくり休んだおかげで、無事、運動会本番を迎えることができました。

 それにしても、夜間診療、休日診療の病院に駆け込んで、翌日の子守を実家に頼んで、というのは、Tが二、三歳のころまでは、かなり日常的に起こることだったのに、この一、二年、めっきりなくなっていたことを、改めて思い出しました。

「りっぱな走りでしたね」「これからが楽しみですね」と言ってくださった先生と、もっといろいろお話できればよかったのですがー。

 とにかく髪の毛を振り乱して、身なりにもかまわずばたばたと暮らしていたあのころ、「おかあさんも、せっかくだから、もうちょっとかわいくしたらいいのに」と笑っておっしゃったこと、実は、今でも、よく覚えています。あのときの私にそんなことを言ってくれる人はいなかったので。
 
(久しぶりにお会いした今日、一応きちんと化粧もして、こぎれいなポロシャツを着ていたことに、内心、ほっとしました。いつもは、よれよれのTシャツでノーメークで見に来るのですが、今年は、体育委員があたっていて、他のお母さんたちと一緒に競技の準備・片付け補佐をすることになっていたので、珍しく、ちょっと気を遣ったのでした。)

 
 ゼロ歳児だった子どもたちは、みんな一人で大きくなったような顔をして、走り回っていて、先生のことを覚えていないでしょう?笑っちゃいますよね。
 
 でも、今日は、来てくださって、本当にありがとうございました。
 どうか、これからも、お元気で。
 また、お会いできる日がありますように。そのときに、改めて、いろいろお話できますように。


2007年09月17日(月) 翼竜展

連休最終日、大阪市立自然史博物館に、「翼竜展」を見に行きました。

翼を広げると約10メートルあるという「史上最大の飛行生物ケツァルコアトルス」の全身復元骨格が、目玉。また、翼竜の化石や、餌となった生物の化石、また、他の空を飛ぶ生物(鳥類や、こうもりなどの哺乳類)との比較展示もありました。

展示自体は、30分くらいで見られるのですが、珍しいトピックで、おもしろく、六歳と四歳の子どもたちも楽しんでいるようでした。

会場でもらった翼竜のペーパークラフトを、帰宅後、お父さんに作って喜んでいました。

会場で販売していたBBC製作のWalking with DinosaursというDVDを、夫が買いたがり、私は、なんだかよくわからないものを・・と思っていたのですが、帰宅後、日本語音声で見てみたら、TもSもおもしろがっていて、買ってよかった、と思いました。恐竜キング、とは違った、恐竜世界も楽しんでほしいものです。

それにしても、暑かった。長居公園、植物園で遊んで帰りましたが、真夏並の気温と湿度に、私はぐったりでした。


2007年09月03日(月) 王さまシリーズ

寺村輝夫の王さまシリーズの本を、少しずつ読んでやっている。

絵本から字の本への移行するための、とりかかりの字の本として、なかなかいいようなので。

『おしゃべりなたまごやき』を初めとして、新装シリーズが出ているので。

擬音語、擬態語が的確なのには、驚くし、それから、日本語が丁寧で読んでいて気持ちいいので、王さまシリーズ読むのは好きなのだけれど。

そのなかの『ひみつのフライパン』。
うーむ、これがかなりシュール。
ちょっとゆるいのでは、という気がしないでもない。話の長さにもばらつきがあるし。

『おしゃべりなたまごやき』は、やはり、本当におもしろいものが集めてあったベストだったのかなあ、という気もする。

『ひみつのフライパン』の最後の話は、かなりグロテスクで、びっくりしてしまった。おなかに虫が住みついて、その虫と会話をし、最後には、おなかに入っていって虫と触れ合う話なんだけど。毛虫とか青虫とか苦手なひとには、かなりしんどい話だわ。あれは。反則だよー。

でも、読んでる私がぎゃーぎゃーいうのもなあ、思い、まあ、淡々と読み終わり、「なんやへんな話やなあ」と言ってしまった。

だけど。子どもにはあのシュールでナンセンスでちょっとグロいかんじがおもしろいのかなあ。そうなんだろうなあ。

一回に一話読んでやると、ときどき、自分で次の一話を読んでいることなどもあるので、まあ、おもしろいんでしょう。。。


2007年09月01日(土) なぜ英語の読み書きを教えるか

TやSに、なぜ英語の読み書きを、今、このタイミングで教える必要があるか、ということを、ときどき考える。

私自身、小学校六年生でラジオ基礎英語を始めたのが、英語との出会いだったけれど、結局、大学の英会話の授業を受けるまで、ネイティブスピーカーと話したことはなかった。読み書きも、ペーパーバックを一冊読み通したのは、大学に入ってからだ。

でも、そうやって身につけた英語で、今私は仕事をしている。イギリスに大学院留学したときも、それほど困らなかった。別に、これでも、いいのだ。

では、なぜ、今、日本で暮す六歳のTと四歳のSに、英語の読み書きを教えるのかー。

私には、確たる答えはない。
言語獲得(母語)の臨界期は、12,3歳という説が有力だが、その場合の「言語」は、基本的に音声言語(文の構造)で、読み書き能力は入らない。

敢えていうならば、今のTとSの言語環境では、英語インプットが圧倒的に少ないので、語彙と文構造に関する知識を増やすためには、読み書き(特に読むこと)によるインプットが重要、ということはある。

それにしても、今でなくても、たとえば、十代の間に、ある程度の期間、英語圏で教育を受ける機会があれば、一定レベルの英語読み書き能力は身に付くだろう。もしそういう機会があれば、のことだけれど。

また、そこまでいかなくても、日本語の読み書きを学んだあとのほうが、スムーズに学べるだろうとも思う。

けれど、夫は、答えを持っている。
Because I am British.
という答えを。

自分の母語を、自分の子どもが、きちんと使えるようになって欲しいと思うのは当たり前だという彼の、根源的な感情の前には、いろいろな理屈はいらないのか、という気もする。

最終的にどれだけの英語が身につくか、ということだけではなくて、英語と一緒に成長して欲しい、ということなのか、と思ったりもする。

読み書きを学ぶ、という幼児期の成長過程、literateな人間になるという過程を、日本語と英語で、ほぼ同時期に体験すること。それ自体が、象徴的・情緒的な意味を持つということか。




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