| 2004年03月31日(水) |
君がいるから6 <ムウラウ> |
結局、家の中のどこを探してもラウは見つかりませんでした。 どうしようもないと思ったムウさんは、ちゃんと着替えを終えて玄関の扉を開きました。 ラウの飼い主だと名乗った男の人は、先刻と変わらない場所に変わらない体勢で立っていました。
「あの、申し訳ないんですが、あいつどっか行っちゃったみたいで……」 「え?」
男の人は少しだけ顔をしかめました。 当然の反応でしょう、ラウを引き取りに来たというのに、肝心のラウがいないというのですから。
「どういうことですか」 「っあー……。それがですね、昨日帰ったらいなくなってたんですよ」 「しかし――」
そのあと、男の人はなおも食い下がりましたが、ムウさんにとってはいないものはいないのでどうしようもないのです。
「なんなら、うちの中探してみますか?」
困り果てたムウさんが最後にこんな提示したことで、男の人はまだ訝しげな目でムウさんを見つめていましたが、どうにか納得してくれたようです。
「わかりました。――ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした」
小さく溜息をつくと、礼儀正しく深々と頭を下げる男の人に、ムウさんも慌ててしまいました。
「いやあの、こっちこそすいませんでした」
へこへこと同じように頭を下げるムウさんに、男の人は少しだけ苦笑したようでした。 それでは、と云って颯爽と身を翻す男の人の背中を思わず見送ってしまいながら、ムウさんはアパートの前に止まっている黒い車に気付きました。 それは、こんな住宅街では滅多にお目にかかることのできない高級な車でした。 車の名前にはそれほど興味がないムウさんですが、それでもその車がとても高いものだということはわかります。
「どうしてこんなとこに……?」
ムウさんの疑問は、このすぐ後に解決することになります。 なんと、ムウさんの家に訪ねてきた男の人が真っ直ぐ運転席に入っていったのです。
「まさか」
ムウさんは思いました。 あんなどこぞのお偉いさんが乗るような車の運転席に入った男の人。 もしかしたら彼は、本当のラウの飼い主ではないのかもしれません。 ラウはどこかの偉い人の飼い猫で、あの男の人は偉い人の部下や秘書のようなものだったのかもしれない、と。 確信めいた想像が、ムウさんの頭に浮かびました。 さらに、ムウさんの貼った少ない貼り紙さえ見つけてここまでやってくるのですから、ラウは相当可愛がられていたはずです。
「じゃあ、どうしてラウは……」
なぜ、おそらくは最高レベルだったであろう生活から離れていたのだろう。 疑問を持たないわけがありません。 首を傾げながら、けれどもういなくなってしまった猫のことを考えても仕方ないと思いながら、ムウさんは部屋の中に戻りました。 ラウのいない部屋。 たった1週間ほどでも、ラウの存在がどれほどこの部屋を占めていたか、ムウさんは今になって知りました。
「こうなってみると、結構寂しいもんだな」
悲しげに笑って、ムウさんは冷蔵庫からミルクのパックを取り出すと半分ほど残っていたものを一気に煽りました。 空になったパックをゴミ箱に放り込み、また寝ようとベッドに向かおうとしたそのときです。 窓の外に、見覚えのある影がありました。
「……え?」
ラウを探していたときに閉めた窓の向こうからこっちを見つめるもの。 真っ白な影。海の色をした深い青。 ほんの数分前まで、どこを探してもいなかったそれ。
「ち、ちょっと待ってろよ」
ムウさんが慌てて窓を開けてやると、白いそれはするりと隙間を抜けて部屋の中に入り、ムウさんを見向きもせずにいつもの場所へと向かいました。 お気に入りの毛布に顔をすり寄せ、身体を丸める様子は本当にいつもと変わらなくて。 どうして同じ光景が目の前にあるのだろう、とムウさんは信じられない思いでいっぱいでした。 けれどそれは、確かにムウさんの前で起こっていることで。
「――お前、本当の飼い主のところに戻らなくていいのか?」
思わず零れた声が届いたのか、ちらりと上がった目線にムウさんはどきりとしますがそれ以上の反応がないのはいつものことで。 どうしようもなくおかしくなって、ムウさんは緩んでしまう頬を引き締めることができませんでした。
「おかえり、ラウ」
1人と1匹は運命的に出会い、こうして共に暮らすことになったのです。
| 2004年03月30日(火) |
君がいるから5 <ムウラウ> |
ムウさんの家を訪ねてくる人はとても少なく、それは休日であっても同じことです。 久々に何の予定もない休日、ムウさんは日頃の疲れをそぎ落とすかのようにひたすら惰眠を貪っていました。 一度はラウにエサをやるために起きましたが、その後はまたベッドに潜りこんでだらだらと過ごしていたのです。 開け放した窓からあたたかな風が部屋中を満たして、それはとても気持ちの良い朝でした。
「……っあー?」
家のチャイムが鳴ったような気がして、ムウさんはのっそりと起き上がると玄関へと向かいました。 どうせ新聞の勧誘かなにかだろうと、あまり良くない態度で扉を開けると、そこにはぴしりとスーツを着こんだ真面目そうな男の人が立っていました。
「ムウ・ラ・フラガさんですね?」 「はあ、そうですけど。……あの、どちらさんで?」
真面目というよりむしろお堅いといった風な男の人は、微動だにせず睨むようにムウさんを見ていました。
「先日電話をさしあげた者です」 「あ……」
ということは、彼がラウの飼い主なのでしょう。 安易に答えにたどりつき、ムウさんはどきりとしました。 それと同時に、自分の格好を見て、男の人の目がどことなくきつい理由が何となくわかったので、思わず苦笑してしまいました。
「すいません、もうちょっと待っててください」
有無を云わさず扉を閉めると、ムウさんは慌ててよれよれのシャツを脱ぎ捨てました。 ああいうタイプから見ると、こんな服で人前に出るのはきっと信じられないことなのでしょう。 確かに真面目そうな人ではありましたが、彼が本当にラウの飼い主なのだろうかと思うとムウさんは首を傾げざるを得ませんでした。 どうも彼が、ペットを飼ったり愛でたりするタイプには見えなかったからです。
「でもまぁ、仕方ないよな……」
実をいうと、ムウさんはまだ迷っていました。 ムウさんの気持ちは変わりません。 けれど、ラウがどうなのかは未だによくわからないのです。 あの日、確かに気持ちが繋がったように思えましたが、それでもまだ考えてしまうのです。 一体どうすることが、ラウにとって幸せなのか。
「ラウ」
しかし心を決める前に、タイムリミットはやってきてしまいました。 どうしようもないけれど、せめてたまにでもラウに会わせてもらえるよう交渉しようと思いながら、ムウさんは最後のお別れのためにラウを呼びました。
「ラウー」
先刻までそこにいたはずのラウがいません。 部屋を見回してもキッチンを覗いてもラウの姿が見えず、ムウさんは戸惑いました。
「……ラウ?」
ふわりと風が動き、窓を開け放していたことを思い出したムウさんは窓の外に顔を出しましたが、ベランダにもラウの姿はありませんでした。
| 2004年03月29日(月) |
君がいるから4 <ムウラウ> |
帰宅したムウさんは、既にラウの定位置となったクッションを覗きこみ、ラウの様子とエサ用のお皿に残ったエサの量を確認するとキッチンへと足を向けました。 自分とラウのための夕食を作るためです。 今日もラウは少ししかエサを食べていないので、何か食べやすいものをと台所で少し考え込んでいたムウさんの背中を、ラウが見つめていました。 ラウも、何かがおかしいと気付いたのでしょうか。 ムウさんはいつも、帰るとすぐにラウのところへ来て頭を撫でていきます。 けれど今日は、手を伸ばしはしましたが、気配に気付いたラウが頭を上げ、そのとき頭に指が触れるとびくっとして手を引っこめてしまったのです。 何気なくラウが見つめる前で、ムウさんはいつものように夕食の準備をします。 温めたご飯にスープ、簡単なおかずを並べて黙々と食べるムウさんをしばらく眺めていたラウでしたが、飽きたのか目の前に置かれたミルクに口をつけました。
「……ラウ?」
ムウさんがぽつりと呟いたのは、夕食を食べ終えお風呂にも入ったあと、ソファに座ってぼんやりとテレビを見ていたときでした。 いつの間にか、ラウがムウさんの足元にいるのです。 ムウさんと一緒にお風呂に入ったためふわふわになった身体をすり寄せるように、ラウはムウさんの足の間をすり抜けました。 ラウがこんな風に自分から近寄ってくるのは初めてのことです。 思わずまじまじとラウを見つめていると、ラウがちらりとムウさんを見上げました。
「――」
ラウから視線を逸らすことのないまま、ムウさんはゆっくりと足元に手を伸ばしました。 目の前に下ろされた手を見、もう一度ムウさんを見上げると、ラウは前足をムウさんの手に乗せました。 それを見届けたムウさんは、すくうようにラウを持ち上げると自分の足の上に下ろします。 柔らかな毛を撫でつけても、ラウは嫌がるそぶりを見せません。 じっとムウさんを見つめたままのラウに、ムウさんは静かに笑いました。
「ちゃんと、決めなきゃな……」
自分のこと、ラウのこと、これからのこと、全てを――。
| 2004年03月28日(日) |
君がいるから3 <ムウラウ> |
「一緒に……?」
問われて、フラガさんははっとしました。 どうしたらいいのか、どうすべきなのかは最初から決まっています。 どんな事情があってラウが飼い主の元から離れたのかは知りませんが、元の飼い主がラウを探しているとわかった以上、ラウは元いた場所に戻るべきだということはわかっているのです。 自分がラウと一緒にいたいかそうでないかは関係なく、最初からするべきことは決まっているのです。 決まっている――はずなのに。 ふいに、やわらかなラウの白い毛の感触を思い出し、ムウさんは手をぎゅっと握り締めました。
「……あいつさ」 「え?」
脈絡のない突然の言葉に驚いたキラくんに、ムウさんは苦笑しましたが、そのまま話を続けます。
「あいつさ、綺麗なんだよ。さっきも話したけど、ボロ雑巾みたいに道端に転がってたくせに少し洗っただけで真っ白になってさ。あんなに汚れてたのに、どうしてこんなに真っ白なんだろう、綺麗なままなんだろうってすごく不思議だった」
ムウさんの話を、キラくんは黙って聞いていました。
「それに、あいつは意志も強い。これはあくまで俺の憶測だけど、きっとあいつは自分以外の存在に屈することはない、そう思った。あんなにちっこいのに、強くて真っ直ぐで――でも、どこか儚いような、そんな気がして。……守ってやりたいと、思う」
そうだ、とムウさんは思いました。 本当は、ラウと一緒にいたいかそうでないかなんて考えるまでもないのです。 ただ、ラウのためにか自分のためにか、どちらに重点を置くか結果が全く変わってしまう、それだけのことであって。 だからこそ、ムウさんはこうして悩んでいるのですけれど。
「キラ?」
ふと目を向ければ、キラくんがくすくすと笑っていて、ムウさんは首を傾げました。
「……だってムウさん、まるで恋人の惚気話してるみたいで……」 「はっ?」
自分がどんな顔でラウの話をしていたか、ムウさんは知らないようです。 そのことに気付いたキラくんは、にっこり笑ってムウさんを見上げました。 わけがわからないといった顔をしていたムウさんも、キラくんにつられ困ったように笑いました。
| 2004年03月27日(土) |
君がいるから2 <ムウラウ> |
受話器を下ろしたムウさんは、ラウの前でかがむとその頭をそっと撫で、なんともいえない困ったような顔をして慌しく家を出て行きました。
お昼休み、なんとなく職場の食堂ではなく外のレストランへ入ったムウさんは、そこでキラくんに出会いました。 キラくんはまだ16歳ですが軍人です。 どちらかというと肉体労働派なムウさんとは正反対で、軍に関係するコンピュータやプログラムなどを作ったりする仕事に就いています。 まだ新人ですが、プロをも唸らせるその能力は軍内において高く評価されています。 キラくんが受けた研修を通して2人は知り合ったのですが妙に馬があい、いつの間にか仲良くなっていたのです。 元々仕事内容が全く違うために最近は会うことがなかったのですが、今日は偶然にも何気なく足を向けたレストランでばったり再会しました。 軽い世間話をしていた2人でしたが、ふいにキラくんが首を傾げました。
「フラガさん、何かあったんですか?」
流石、若いのに優秀なキラくんです。 フラガさんの様子がいつもと違うとすぐに気付いたキラくんは、控えめですが心配そうにフラがさんの顔を見つめていました。 対するフラガさんは、フォークをサラダに刺したまま手元をじっと見下ろしていました。 フラガさんの頭に、今朝の電話の声が繰り返し響きます。
『迷い猫の貼り紙を拝見したのですが』
迷い猫とは、間違いなくラウのことでしょう。 ラウがムウさんの家にきてすぐ、ムウさんは役所に迷い猫の届けを出し、自分でも何枚か貼り紙を書いたのです。 それは一刻も早くラウの元の飼い主を見つけるため。 そしてムウさんが思ったとおり、飼い主らしき人物から連絡が来たのですが。
「フラガさん?」 「――っ、あぁ、悪い」
はっと我に返り、フラガさんは気を持ち直すように笑みを浮かべますが、キラくんにはそれすらも不自然に映るのでしょう、わずかに眉を寄せたキラくんに、フラガさんは苦笑しました。 勘の鋭いキラくんには誤魔化しは逆効果だと悟ったムウさんは、諦めたような、けれどどこか安堵を含んだ溜息を洩らし、ぽつりぽつりと話しだしました。 今猫が家にいるということ、その猫――ラウと初めて出逢ったときのこと、ラウを連れ帰ってからのこと、そして今朝の電話。
『後日、引き取りに伺います』
事務的な男の声を、ムウさんは忘れることができません。 望んでいたはずのことに、動揺するのはなぜなのか、ムウさんにはわかりませんでした。 黙って話を聞いていたキラくんは、少し考えこんでからゆっくりと言葉を紡ぎました。
「――フラガさんは、その猫と一緒にいたいんですか?」
| 2004年03月26日(金) |
君がいるから <ムウラウ> |
それはいつもと変わらない朝でした。 目覚まし時計より少しだけ早く目覚めたムウさんは、まずカーテンを開いて部屋の中に光を入れるとキッチンに向かいます。 お鍋にミルクを入れて火にかけ、温めるあいだに顔を洗って寝癖も整えてしまいます。 そうして温まったミルクのほとんどをマグカップに、残った少しを浅いお皿に入れると、パンや卵を焼いたり残り物を使ったりして軽い朝食を作ります。
「……うっし、完璧だな」
今日のムウさんの朝食は、トーストしたパンとベーコンにスクランブルエッグ、昨晩たくさん作っておいたサラダと、ホットミルク。 ざっとテーブルに並べてひとつ頷くと、ムウさんはテーブルと反対の方へ身体を向けました。
「ラウ、起きろ。朝だぞ」
ムウさんの足元には、白い塊がひとつ。 丸いクッションを薄い毛布でくるんだものの上で、さらに丸くなっている真っ白のもの。 そう、それはラウでした。 ムウさんの声が聞こえたのか、ラウはぴくりと耳を動かすとゆっくりと頭を上げました。 そして、目の前にいるムウさんを見つめると小さくにゃーと鳴きました。 おそらく起きたくないとでも云っているのでしょうが、ムウさんは気にせずラウの頭をぽんぽんと軽く叩きます。
「ほら、ミルクが冷たくなる前にちゃんと起きろ」
ムウさんがラウにちゃんとエサを与えることができるのは、実は朝のこの時間だけなのです。 昼間はムウさんは仕事でいませんし、夜に家に帰る時間は、大抵は同じですがそれでも少し遅めで、ときどき残業が入ってしまえば帰るのは日付が変わった後になってしまいます。 なので、ムウさんは朝きちんとラウにエサをやると、昼夜の分のエサをもしものためにと多めに置いて家を出るのです。 ラウは温かいミルクが好きなのですが、こういった事情のために昼と夜に飲むミルクはみんな冷たいものなので、温かいミルクは朝またはムウさんの帰宅後しか飲むことができません。 そのため、本当はちょっと嫌でも朝になるとラウはちゃんと起きてくるのです。 ゆっくりとラウが起き上がるのを確認すると、ムウさんはラウをひょいと持ち上げてテーブルの上、2枚のお皿の前に下ろしてやります。 1枚には温めたミルクが、もう1枚には近所のペットショップで勧められて買った仔猫用のエサが入っていました。
「……」
お皿の前でじっとするラウを、ムウさんも思わずじっと見つめてしまいます。 ラウがこの家に来てもうそろそろで1週間経ちますが、ラウはあまりエサを食べません。 ミルクは飲むのですが、どうもエサを食べているところを見かけないのです。 ムウさんがいない間には置いておいたエサを多少は食べているようなのですが、ムウさんが見ている前では未だにちゃんと食べてくれません。 実のところ、ムウさんはそれが残念でならないのです。 なので今日こそは、と思いながら、ムウさんはラウを見つめます。 いつもならすぐにミルクを舐めはじめるラウが、今日は2つのお皿を見つめていました。 どうしたのだろう、とムウさんが思ったそのとき、ラウの頭が動きました。
「あ……」
ラウは、ミルクの方でなくエサの方のお皿に顔を向け、エサをぺろりと舐めました。 食べにくいものではないと確認したのか、何度か繰り返してからきちんと口をつけて食べ始めます。 よかった、とムウさんは安心して小さく息を吐きました。 そしてラウを見て少しだけ笑うと、自分のご飯へと向き直ったのです。
ムウさんが家を出ようとしたそのとき、電話が鳴りました。 急いで電話を取ったムウさんは、驚いた顔をして、そうしてラウの方を振り返りました。
| 2004年03月25日(木) |
I am a Cat.@セイラン |
僕は猫らしい。 名は、セイラン。
けれどそんなことはどうだっていいと僕は思っている。 僕が猫であってもセイランという名でも、何で誰であったとしても。 きっと猫でなくとも僕は僕で、セイランという名でなくともそれは変わらないと思うから。 だから、僕を抱く腕が誰のものであろうと、僕の暮らす家がどこであろうと、関係のないことなのだと。 ――ずっと、そう思っていた。
「あ、セイランさんダメですよっ」
前足でいじっていたタオルを取り上げられて、僕は思わずむっとした。 このタオルはふかふかでとても気に入っていたのに。
「もう、またボロボロになってるじゃないですか……」
家主であるランディに云わせると、僕がいじるものはいつも最後にはいじりすぎてボロボロになるから困る、ということらしいが、そんなのは僕が知ったことじゃない。 僕だって何でもかんでもいじるわけじゃないし、余程気に入ったものでない限り繰り返し触れるなんてことはしない。 僕の気に入ったものを僕が満足するまで与えてくれればそれ以上のことはしないのだと、なぜ彼はわからないのだろうか。 少なくとも、彼の前の僕の主人2人はそれをわかっていたようだったのに。
「あれ、セイランさん?」
ランディの手の中にあるタオルへの興味は失せた。 何か面白いものはないだろうかと、僕は部屋の中へ視線を走らせるが、既に慣れた部屋の中には新たに興味を持てるようなものはなく。 ふと窓の外に目を向ける。 今日は天気がいいから、きっと風が心地良いだろう。 そんな風に思って、窓に近付いて空を見上げている。 と。
「セイランさん……外、出たいんですか?」
この窓の向こうにはベランダがある。 小さなベランダで、仕切りはあるけれど隣の家とも繋がっている。 仕切りやベランダの壁の下の方が開いているため、隣の家のベランダや家の外が見えるのを僕はこっそり気に入っていた。 しかも実は、僕くらいの大きさだとその隙間をくぐり抜けることもできない話ではなかったりする。まだ、やったことはないけれど。 それを知ってか知らずか、ランディは僕が通れる程度に窓を開けるとにっこり笑った。
「開けときますから、暗くなる前に帰ってきてくださいね」
例え2階の窓であっても開け放しておくなんて無用心極まりないが、彼はそういったことには無頓着らしい。 元々盗られるものなどないといえば確かにそうなのだけれど、まさか世の人間全てが善人だと思っているわけでもないだろうに、能天気なものだと思う。 ……尤も、常にぎらぎらと目を光らせて他人を疑うような人間に比べたら数段マシだとは思うのだけれど。
「気をつけて、いってらっしゃい」
この狭いベランダで何に気をつけろというのか。 きっとランディは、僕がベランダから戻ってきたらこう云って笑うのだろう。 おかえりなさい、と。 心の底から嬉しそうに。
| 2004年03月24日(水) |
I am a Cat.@ロイ |
私は猫だ。 名はロイ・マスタング。 地位は大佐だ。
私は今、ジャン・ハボックとかいう男の家にいる。 奴は軍人で、地位は少尉。 いつもぼんやりしているというか適当というか、何を考えているかわからない男だ。 それほど良いものを食わされているわけではないが、食事はきちんと出るし部屋はそれなりに綺麗だしで、生活はそこそこ快適だと思う。 そもそもなぜ私がこんなところにいるのかということは置いておくとして、もうしばらくはいてやってもいいと思わないでもない。 そんなところだ。
「ただいまー」
ハボックが帰ってきた。 手にした袋をテーブルの上に置いたときに響く聞き慣れた音に私が顔を上げると、奴は感心したような顔でこちらを見下ろしていた。 近寄ってみると、抱きあげられてテーブルの上に下ろされた。 奴が袋から出したものは、案の定私の食料で。
「えーっと、魚肉入りのでいいんスよね?」
缶の側面に描かれた絵を差して奴は聞いてくるが、私にとって重要なのはそれではなく中身だ。 前に食べた、野菜たっぷりとかいうのはいけない。 栄養素がどうだとか奴は云っていたが、ぱさぱさしてて食べにくいうえに味も良くない。 あのときはハボックが散々拝み倒してくるので仕方なく食べきってやったが、金輪際食ってやるものかと思っている。
「ったく、アンタはどうしてこうワガママなんですか」
なにやらぶつくさと云っているが、この際そんなことは無視だ。 早く空けろと目で催促すると、奴はしぶしぶと缶切りを持ち出した。
「俺だってそんなに給料ない……こともないですけど、余裕があるっつーわけじゃないんスからね」
余裕がないわけがないだろう。 ある程度の収入があるという以上に、住んでいるのがこんなボロいアパートで着るものも食べるものも安物、さらに恋人もすらいないというこの現状が、どうやって給料を圧迫するというのか。 どうせ使わない金だ、私のために多少使っても問題はなかろう。
「……ってぺろりと平らげるし」
空になった皿に、昨日の残りのカレーを食べていたハボックが自分の手元と見比べて溜息をつく。 いちいち作るのは面倒だからと手を抜いたのは奴であって私ではないので文句を云われる筋合いはない。
「あーもう、早く見つかんねーかな新しい飼い主……」
奴は職場の人間などに当たって私の新たな飼い主を探しているようだが、どうやら適当なのがなかなか見つからないらしい。 どうも奴は私を早急にどこかへやってしまいたいらしいが、実のところ私としてはまあ今のこの状況にさほど文句があるわけではないのでこのままでも構わないと思っていたりする。
「アンタも、ちゃんと可愛がってくれるヒトんとこ行きたいでしょうに」
……そうやって、まず私の心配をしているから飼い主が見つからないのではないのだろうか。 大雑把に見えて変なところで基本的に几帳面な男は、こういうところが不器用なのだと思う。 けれど、私がわざわざ指摘してやることもないだろうと、私は奴に背を向けて自分の寝床へと潜りこんだ。
| 2004年03月23日(火) |
I am a Cat.@ラウ |
私は猫というものだ。 名を、ラウという。
私の前には今、人間の男が1人。 けれど、私を名付けたのはこの男ではない。 このムウという名の男はある夜に私を見つけ、お節介にも自宅へと連れ帰り、どういうわけか私の身体を洗い食べるものを与えてきた。
静かな部屋、温かなミルク、頭を撫でてくる指先。 何一つ、今までと変わらないというのに。 それでも、なぜか違うと感じるのは、この男のせいなのだろうか。
『ラウ』
呼んでいる。 呼ばれている。
『ラウ』
低く冷たい声。 差し伸べられた手に身を任せるだけで、いつも全てが充分に終わっていった。 例え、その目が見ているものが自分の白い毛皮であり青い瞳であり耳であり足であり尻尾であったとしても。 例え、選ばれたのは自分だからでなく、自分しかいなかったからであったとしても。 庇護の手を拒めるほどに自分は大きくはなかったし、元よりそんなことを考えてすらいなかった。 ただ、何も求めず、与えられるままに過ごせばそれで良いのだと。 それだけを知っていた。 それだけしか知らなかった。
「ラウ」
近くて遠い声。 包み込まれる、あたたかなもの。 ふわふわとしたもの。
「ラウ、起きたのか?」
何もなかったのに。 柔らかな白いものから、身体がふわりと浮いて。 目の前には、空の色と太陽の色。 真っ直ぐに、ただ、私だけを見ているもの。
「ん? どうした、腹減ってきたか?」
硬い手のひらは、なぜかそれでも温かくて。 指先に顔を摺り寄せて、私はもう一度目を閉じた。
しばらくセイランとの無言の攻防をしていたランディくんでしたが、妙に耳につく時計の秒針の音にはっと我に返ると、ちょっと視線を彷徨わせてまたセイランを見ました。 セイランはただランディくんを見ています。
「……えっと……」
何か云ってくれないかな、とランディくんは思ってしまいましたが、セイランは猫なので喋ることなどできません。 そんなことは当たり前なのですが、このセイランはどうも人間よりも瞳の力が強いようで、いきなり話しだしてもおかしくないように感じるのです。
「せ、せめてミルクくらいは飲みませんか?」
なぜいきなり敬語になったのか、実はランディくんにもよくわかっていません。 ただ、どうしてかこの小さな猫の前だとどうも緊張してしまうのです。 セイランはまたしばらくランディくんを見つめていました。 ランディくんも、じっとセイランの返答を待ちました。
「……セ、セイラン……さん?」
ふいにセイランが動き出しました。 ランディくんは慌てて後を追うように立ち上がりますが、セイランは気にせずにその横を通り過ぎます。 セイランのためのエサが広げられたテーブルまでやってくると、セイランは軽い身のこなしでその上に飛び乗りました。 テーブルはランディくんの膝の高さほどあり、仔猫のセイランにはかなり高いはずなのですが、そんな様子をセイランは微塵も見せません。 テーブルの上のセイランは、エサの上に乗せられた空のビニール袋に顔を突っこんでいました。
「セイランさん、ちょっと待って」
何かを探しているのだろうか、とランディくんが袋をどかしてやると、下から出てきたいくつものエサのうち、ひとつの缶詰にセイランは興味を示したようでした。 缶詰を鼻先で押すようにしているセイランに気づいたランディくんは、その缶をひょいっと取りあげました。 するとセイランは缶を追うようにランディくんを見上げます。
「……これが食べたかったんですか?」
何の反応もないことを今回は肯定と受けとめ、ランディくんはキッチンから缶切りとお皿を持ってくると、缶詰を開けてお皿に移してやりました。 するとどうでしょう。 キャットフードには見向きもしなかったセイランが、黙々と缶のエサを食べ始めたではないですか。 その様子を見ながら、ランディくんはオスカー先輩から貰ったメモに、追記のように書かれた部分があったことを思いだしました。
『その日の気分によって食べるエサが異なるので、エサは臨機応変に与えること』
メモを取りだし目の前のセイランと見比べて、ランディくんは軽く溜息をつきました。
「……こういうことですか、オスカー先輩……」
これからうまくやっていけるだろうかとかなり不安になりながら、ランディくんは美味しそうにエサを食べるセイランの頭をほんの少し撫でました。
お腹がいっぱいで満足そうなロイに、ハボックさんは呆れたように溜息をつきました。 ロイがねだるおかげで、目当てのおかずはほとんど食べられずハボックさんは少しだけがっかりしていたのです。 けれどロイはそ知らぬ顔で毛づくろいをしていました。 ハボックさんは思わず恨めしげな目でロイを見てしまいますが、ロイは全く気にしていないようです。 ロイは一体、前の飼い主にどれほど甘やかされていたんだろう、と呆れつつもハボックさんは思いました。
「……とりあえず、風呂入るか」
今のロイは外から連れてきたままなので、あまり綺麗とはいいがたいのです。 一度立ち上がってからロイの前にしゃがんだハボックさんをロイは一瞥しました。
「ロイ」
風呂に入れてやるからこっちに来い、とハボックさんは手を伸ばしましたが、ロイは寄ってきません。 それどころか、ぷいっとあらぬ方向を向いてしまいました。
「ロイ? ローイ」
いくら呼びかけても、ロイはハボックさんを無視します。 一瞬、無理矢理に抱き上げて連れて行こうかとも考えたハボックさんでしたが、やはりできればロイの意志でこちらに来てほしいので、どうにか方法を考えてみました。 ふと、ロイが入っていた箱にあった紙のことを思い出しました。
『地位は大佐です』
確かにそう書かれていた紙。 テーブルの隅に放っておかれたそれに視線を向け、ハボックさんは肩をすくめました。
「……俺だって少尉だってのに」
そう、実はハボックさんも軍人なのです。 ハボックさんの地位は少尉。 一般的に見ればかなり優秀な軍人といえるのですが、ロイの『大佐』に比べればまだまだです。
「こーんなちっこい猫が大佐なれるんだったら、誰も苦労しねーよな」
ロイに目を向けるとさらに手を伸ばし、苦笑まじりに呟いたハボックさんにロイの耳がぴくりと揺れました。
「ほら大佐、ちゃっちゃと身体洗って寝ましょーねー」
一歩近づきましたが、ロイは逃げようとはしませんでした。 それどころか、驚いたことにみゃあとひとつ鳴いたではありませんか。 思わずその理由を考えて、ハボックさんは目を丸くしました。
「……もしかして、『ロイ』じゃなくて『大佐』って呼べばいいんスかね?」 みゃあ
呆れまじりの声にも、ロイはちゃんと返事をします。 明らかに肯定の意味が含まれていると理解したハボックさんは、今日何度目かになる溜息を深々とつきました。
ムウさんがお皿に入れてやったミルクを半分ほど飲んで満足したらしいラウは、舐めるのをやめてちろりとムウさんを見上げました。 ラウの青い瞳にムウさんがどきりとしたとき、ラウが小さくみゃーと鳴きました。 その声に我に返ったムウさんは、慌ててバスルームからタオルを持ってくると、それにラウをくるんでやりました。 しばらく、ラウは所在なさげに視線を彷徨わせていましたが、お腹がいっぱいでさらに柔らかな毛布があたたかく気持ちが良かったのか、うとうととし始めました。 ラウの目がゆっくりと閉じていく様子を、ムウさんは静かにじっと見守っていました。
ラウが寝入った頃、ムウさんはキッチンに置きっ放しだったラウがしていた首輪のことを思い出し、それを取ってきました。 首輪についている金属のプレートの汚れを落として、少しだけ磨いてみると、見えにくかった文字がだんだんとはっきり読めるようになってきます。 上の方に細かい字、下の方に少しだけ大きめの字が書いてあるようです。
「R、A、W、W……だな。やっぱ『ラウ』か」
下の字は最初にムウさんが読んだとおり『RAWW』と書いてあったようです。 けれど、おそらくラウの飼い主の名や住んでいた場所のことが書かれていたであろう上の字は小さすぎるためか潰れてしまって読めません。
「お前、ホントにどっから来たんだ?」
ぽつりと零してみせますが、眠っているラウに聞こえるはずがありません。 ムウさんは小さく溜息をつくと軽く頭を掻きました。 道端で倒れていたラウを思わず連れ帰ったはいいものの、実のところムウさんにはラウを飼う気はなかったのです。 ムウさんは軍人です。 しかも、大尉というほどの地位にいますから、どちらかというと公務員に近い一般兵に比べればかなり不規則な生活になりがちなのです。 そんな風に、毎日の帰宅時間も定まらない状態で、仔猫など満足に飼えるはずもありません。 だから、とムウさんは思いました。
「……明日、迷い猫の届けを出してくるからな?」
ネームプレートまでついている首輪をしていたのですから、ラウが誰かの飼い猫である可能性は大いにあります。 事情などはわかりませんが、もし本当の飼い主がラウを探してるのだとしたら、ラウは本当の飼い主の元へ帰るべきだとムウさんは思うのです。
「ちゃんと世話もしてやれないけど、今だけ我慢してくれよな」
綺麗に洗ったお陰か、ラウの真っ白な毛はふわふわになっています。 そしてタオルからひょっこりのぞくこれまた真っ白な頭をムウさんは指先で優しくなでました。
その顔に浮かぶ穏やかな笑みに、気付かないのは本人ばかり。
| 2004年03月18日(木) |
君に出会うまで@セイラン |
なぜ、と問うたことはない。 自分がそのあとどうなるかなんて、知りたくないけど、知らされていないけど、知っている。 今までもこうだったのだから。 これからも、多分――。
初めて見た人は、艶やかに笑っていた。 細い指で触れ、自分を見つめていた。 その人はいつも何かを云っていたけれど、何を云っているのかわからなかった。
次に見た人は、気障にウインクをしてみせた。 けれど細い手から大きな手に渡されたあと、穏やかなのに少しだけ冷たい色で自分を見下ろす目があった。 その人はいつも語りかけてくるけれど、自分を見てくれたことはなかった。
一番最近見た人は、驚いてからとても困った顔をした。 大きな手から放るようにして収まった手は細くも大きくもなかったけれど、それでも柔らかく自分を包みこんでいた。 その人はやっぱり困ったような顔をして、自分を見て溜息をついていた。
どこにいたいと、思ったことはない。 行き先を選べるわけはなかったし、行きたい場所があるわけでもない。 ただ、どこへ行っても変わらぬものがあると。 それだけは知っていたから。 どこだってよかった。 どこへ行っても、結局は同じことだと、知っていたから。
けれど、細くも大きくもない手は、守るように優しく自分を包んでいて。
『オレだけじゃ、ないよな』
零れた言葉は、見知らぬ響きをもって身体に染みこんできて。 身体がふわりと浮いたと思ったら、目の前には空色の瞳があって。 ただ真っ直ぐに。 見つめていて。
『これから、一緒に頑張ろうな』
勝手にするがいいさ、僕は僕のままなのだから。 そう云うように、僕はぱたりと尻尾を揺らした。
| 2004年03月17日(水) |
君に出会うまで@ロイ |
呼ばれていた。 いつも。 いつだって。 優しい声が自分を呼ぶ。
『ロイ』
その声があまりにも優しくて。 抱き上げられる腕があまりにもあたたかくて。 大きな手も、小さな手も、ほっそりとした手も、どれも大好きで。 だから。
『どうして、ロイと、さよならするの?』
小さな優しい子が、父親に泣きそうな声ですがるのをただ見ていることしかできなかった。 仕方のないことだから、気にしなくていいのだと、云って安心させてやることができないのが悔しかった。 大丈夫だよ。 わかっているから、いいんだ。
『ごめんな、ロイ』
最後の言葉は、それでもやっぱり優しくて。
『――ありがとう。どうか元気で』
もうこの声が聞こえなくなるのかと思うと悲しくて。 ただただ鳴いた。 引き止めたいとか、戻ってきてほしいとか、そんな風に思ったわけではなく。 ただ、どうしようもなくて。 そんな自分に群がる無数の声は、高く低く賑やかで、けれど心地が良いとは思わなかった。 それなのに。
『んだ、捨て猫か』
すとん、と。 落ちてきた、音。 高すぎず低すぎず、今までの誰にも似ていないのに。 なのにどうして。
『……あー、まぁいい人に拾ってもらえ』
もう少しだけ、と。 あと少しだけ、その音を聞いていたくて、必死で呼びかけた。 そうして。
『…………はぁ』
深く溜息をついて戻ってきた足音に、今度こそ確信する。 きっとこいつは、自分を手放さない。
| 2004年03月16日(火) |
君に出会うまで@ラウ |
空がこんなに広いものだなんて知らなかった。 地面を踏みしめるたび、押し返される感覚がするなんて知らなかった。 見上げる全てのものが何かしらの圧力を加えてくるような感じさえして。 けれど、それを嫌なものだと思わないのが不思議だった。 同じように圧迫感を感じたとしても、あの天井とこの空は違う。 それがとても不思議で。 けれど決して、嫌だとは思わなかった。
どうしてここにいるのだろう、と思う。 それはいつものことで。 今ここにいてさえも、同じようにそう思っていて。 なのにどうして今は、それだけで終わらないのだろう。 ここにいて、そしてさらに先へ、と、そう思ってしまうのだろう。
どうして。どうして。
問うこともできず問える相手もいない。 ただ気の向くままに進む。 かつてできなかったことをこうやって事もなげにできることが不思議で仕方ない。
それでも、なぜ。
軽かったはずの身体が重くて。 足どころか尻尾も満足に動かせなくて。 もう、目を開けることすらも容易にできないのに。
どうして、こんなにも心地が良いと感じるのだろう。
『生きてる……』
生きている。 そうか、自分は生きていたのか。 自分がそこにいるというこれを、生きているというのか。 今になってやっと実感する。 そうだ、自分は生きていた。
『R、A…W…W……ラ、ウ?』
誰かが呼ぶ。
『ラウ? お前、ラウっていうのか?』
呼び続ける。 名を。 そのたったひとつの名を。
私の、名を――。
帰宅したランディくんは玄関にどさりと荷物を置くと深く息を吐き出しました。
「けっこう重かったなぁ……」
ドアの音か荷物を置いた音か、それともランディくんの声かのどれに反応したのかはわかりませんが、部屋の中から顔を覗かせたセイランがゆっくりとランディ君の方に近付いてきました。 ランディくんが置いた荷物を探ろうとして袋の中に顔を突っ込んだセイランを抱き上げ、ランディは靴を脱ぐと荷物をちゃんと部屋の中へと運んでいきました。 セイランは少しだけ暴れていたようですが、すぐに下ろされると興味深そうに袋を眺めていました。
「お腹空いてるよな、今餌を開けるから」
オスカー先輩からセイランを預かったランディくんは、一旦家へ戻って近所のペットショップへと向かい、猫を飼うために必要なものを買いに行ったのです。 その間、セイランは静かに家で待っていてくれたようです。 大人しい猫でよかった、とランディくんは部屋を見回してほっとしました。 ペットショップのロゴが入った袋から取り出すのは、店員に選んでもらった猫用のトイレと、オスカー先輩からもらったメモにあった、セイランの好きな餌が数種類。 こんなにいろんな種類を食べるのだろうか、とランディくんは不思議に思いましたが、オスカー先輩からそういった指示があったのでそれに従って買ってきたのです。 セイランがじっと見上げているのに気付いたランディくんは、早速一番手前にあったキャットフードを取り上げました。 キッチンからお皿を持ってきて、キャットフードを入れてやるとセイランの前に置きます。 が、セイランは食べようとしません。 しばらくは匂いをかいだりと興味を持っていたようですが、飽きたのかそれともお腹が空いていないのか、くるりとキャットフードに背を向けてしまいました。
「ち、ちょっと待って!」
ランディくんの声に、セイランは足を止めて振り返りました。 けれど、なぜかランディくんは固まってしまいます。 引き止めてどうするんだろう、オレ……とランディくんはぐるぐると考えこんでいました。 そんなランディくんを、セイランはじっと見つめていました。 そのときランディくんは、オスカー先輩の言葉を思い出していました。
『こいつ今朝はあまり食べなかったから、家に着いたら何か食べさせてやってくれ』
確かにオスカー先輩はそう云いました。 だから、セイランは今きっとお腹が空いているはずで。 でも、キャットフードは食べようとしなくて。 ……だったら、どうすればいい?
ランディくんの思考はそこで止まってしまいました。 セイランの尻尾がぱたりと揺れました。
どちらともなく、これからどうなるんだろうと思ったなんて、今は誰も知りません……。
ハボックさんが家にロイを連れ帰ったとき、ロイはダンボールの中でうとうとしているところでした。 どすん、と玄関に落とされ、びっくりしたロイは飛び起きて辺りを見回しましたが、ハボックさんが覗きこんでいるのに気付くとみゃあと鳴きました。 まだ捨てられてからそう時間が経っていないのか、あまり汚れていないからいいだろうとハボックさんはロイの首の後ろを掴んで持ち上げ、部屋の中へ連れて行きました。 足をぶらりとさせながら、ロイはきょろきょろと部屋の中を見渡していました。 好奇心で目をきらきらさせているように見えるのは、ハボックさんの気のせいではないでしょう。
「んな面白いもんなんてないっつの」
ハボックさんはロイをテーブルに下ろしてやりました。 みゃあみゃあと文句を云うように鳴くロイのことは一切無視したように、ハボックさんはどっかりと座りこむとコンビニの袋からお弁当を取りだしました。 残業のせいでまともにご飯も食べていないハボックさんはお腹がぺこぺこだったのです。 家の近くのコンビニであらかじめあたためてもらっていたので、今は少し冷めていますがお弁当はそのまま食べられそうです。 フライや焼き魚など色々なおかずの入ったお弁当をハボックさんが食べ始めると、ロイが興味津々でお弁当箱を覗いてきます。
「なんだ、お前も腹減ってんのか?」
ロイの様子に気付いたハボックさんは、お弁当のフタにご飯を置いてやってロイの前に出しましたが、ロイは食べようとはしません。 ロイが入っていたダンボールの中には、まだ乾いたり湿気たりしていないパンやお菓子があったので、きっと学校帰りの子供やなにかに餌を貰っていてそんなにお腹は空いていないだろう、とハボックさんは思ったのですが、どうもそれとは雰囲気が違うようです。 かなりの早さでご飯を口に運ぶハボックさんを、ロイはじっと見つめているのです。 ハボックさんが焼き魚に箸を向けた瞬間、ロイがみゃあと鳴きました。 思わず箸を止めて、ハボックさんはロイを見下ろしました。 ロイは真っ直ぐにハボックさんを見上げてきます。
「……お前、これ食べたいのか?」 みゃあ
ロイがあまりにも食べたそうな目で見ている……ように見えたハボックさんは、仕方ないなと焼き魚の三分の一ほどを切ってお弁当のフタに載せてやりました。 ロイはちょっと魚の匂いをかいで、一度舐めると、気に入ったのか焼き魚をぺろりと食べてしまいました。
みゃあ
あまりに一生懸命食べるロイを思わず感心して見やっていたハボックさんでしたが、ロイの鳴き声にはっと我に返りました。 まだお弁当の半分も食べていません。 明日もまた朝早いのです、さっさと食べて寝なければ、と思いハボックさんは急いで箸を進めました。 そして、ハボックさんがおかずのウインナーを摘みあげたとき。
みゃあ
再び催促されるように鳴かれ、ハボックさんは顔をしかめました。 お腹が空いているのなら、ご飯をあげるべきだとは思います。 このウインナーがひとつしか入っていないものだとしても、あげること自体は特に構わないと思うのです。 けれど。
「……なんでお前ばっかいいもの食ってんだよ……?」
そんな風にハボックさんが呆れたような声を出したは、ロイにフライの中身の白身魚を分けてあげたときのことでした。 どことなくロイの言いなりになっているような気がしてしまうのは、これがこのときだけで4度目のことだったからでしょう。 ロイが食べたいと鳴くたび、ハボックさんは仕方がないなとおかずを分けてあげていました。 ロイの真っ直ぐな目で見つめられると、どうも従わなければならないような気がしてきてしまうのです。 一時的にロイを預かっただけのつもりでしたが、例え短期間であってもこの先の自分の苦労が目に見えたようでハボックさんは深々と溜息をつきました。
そんなハボックさんを見上げて、ロイはまたみゃあと鳴きました。
仕事からの帰り道、道端でぼろぼろになった仔猫・ラウを拾ったムウさんは、家に帰って早速ラウを綺麗にしてやることにしました。 お風呂場まで行って洗うほどラウは大きくなかったので、ミルクを温めている間にここでざっと洗ってしまおうと思い、ムウさんは台所に立ちました。 流石に頭からお湯をかぶせるのは可哀想だと思ったので、深いお皿にお湯を張り、顔にお湯がかからないよう支えながらラウの身体をお皿に横たえました。 身体の半分ほどしかひたりませんが、それまでぐったりとしていたラウが、お湯に触れた途端にぴくりと動きました。
「大丈夫だぞ、ちょーっと洗うだけだからな」
猫は水を嫌がるといいますが、ラウはほとんど嫌がるそぶりをみせません。 身体を石鹸の泡で洗い、顔の部分は濡らしたタオルで拭いてやりながら、ムウさんは少し驚いていました。 ラウは、実は真っ白な毛色だったのです。 どうやら、ホコリや泥にまみれたせいで汚れた灰色になっていただけだったようです。 軽く洗っただけなのでまだ少し汚れは残っていますが、それでもこれほど白かったのかとムウさんは感心するばかりです。
「お前、実はどっかの血統書付きとかじゃないよな?」
そんなことをいいながら、ムウさんはきちんと水分が取れるまで拭いてやりました。 綺麗になったラウをテーブルまで運んでやったら、次はご飯の準備です。 いったん温めてからぬるくなるまで冷ましたミルクを浅いお皿に注ぎ、細かくちぎったパンも用意してやります。 ラウと同じようにテーブルの上に置くと、ラウはミルクの匂いにつられてかゆっくりと目を開けました。
「ほら、お腹空いてんだろ? ちゃんと食べろよ?」
けれど、ラウはじっとしたまま動きません。 真っ白な顔と、まあるい青い瞳は目の前のミルクのお皿を見つめているだけでした。 ムウさんが見つけたときのラウの様子だと、かなりの日数を屋外で暮らしていたように思えたのですが、勘違いだったろうかとムウさんは首を傾げます。 あれほどまでにぼろぼろで衰弱しきっていたのですから、きっとまともなご飯は食べていないはずだろうと思ったのに。 けれど、とムウさんは思いなおしました。
「もしかしてお前、マジで今まで何にも食ってなかったのか?」
人間でも、何日も食事をとらないでいたり食事の量が少なかったりすると胃が小さくなって、食べようと思っても食べられないということがあります。 もしかしたら今のラウも同じ状況なのかもしれない、とフラガさんは小さく溜息をつきました。
「だったらパンは無理か……。なぁラウ、せめてミルクくらいは飲めよ。別に毒なんか入っちゃいないからさ」
けれど、ラウはやはり動かないまま、ミルクのお皿を見つめているだけでした。 こうなってしまっては、ムウさんにはどうすることもできません。 哺乳瓶でミルクを与えるほど小さい猫ではありませんし(そもそもここに哺乳瓶なんてものはないですし)、無理矢理飲ませてもきっと効果はありません。 ラウが自分から飲んでくれなければ、意味がないのです。
「……お前のために云ってるのにな……?」
ふと、ムウさんは思いました。 もしラウが、何も食べられないほどに衰弱しきっていたらどうしよう。 ラウは目に見えて弱っていますから、これ以上何も食べないでいては死んでしまうのは当然です。 こんな小さな身体ですから、少しのことでもすぐに死んでしまうことは容易に想像できて。 急に不安になったムウさんは、ラウの頭をゆっくりと撫でてやりながら云いました。
「なぁ、頼むよ。一口だけでもいいからさ……」
ムウさんが撫でるのをやめたとき、ラウはちょっとだけ視線を上げてムウさんをじっと見つめました。 その目を、ムウさんも思わず見返して、1人と1匹は自然と見つめ合ってしまいました。 どうしてそうなったのか、ムウさんにはわかりません。 撫でられるのが嫌だったのか、それとも撫でられて気持ちが良かったのか。 もしかしたら気持ちが通じたのかもと淡い期待を持ちながら、けれど想いをもっと伝えるように、ムウさんはラウの瞳を覗きみむように見つめていました。 海のようにまっさらな青が、ただムウさんだけを見上げていました。 ――それが何秒か何分後だったかはわかりません。 ふいにラウは視線をムウさんからミルクのお皿の方に戻し、少しだけ首を伸ばすとちろちろとミルクを舐め始めました。
「――やっ…た」
ゆっくりとではありますが、確かにラウはミルクを舐めています。 ムウさんの手のひらほどの大きさのお皿に、小さな波紋が広がるのを認めたムウさんは、嬉しくなって思わずラウの頭をまた撫でてしまいました。
みゃっ
折角の食事を邪魔されたラウが迷うことなくムウさんへ反撃をし、ムウさんのわずかな叫びが台所に響くのは、この直後の話――。
そのとき、ランディくんは困っていました。 とてもとても、大の苦手な数学の抜き打ちテストで20点を取れないと放課後補習をすると云われたときくらい困っていました。 (ランディくんは放課後の部活の時間が大好きで、補習になると部活を休まなくてはならないので大変困るのです) 目の前にはランディくんが尊敬しているオスカー先輩の笑顔。 少し視線を下げると、先輩の腕の中にいる可愛らしい蒼い猫の姿。
「それじゃあ頼んだからな、ランディ」 「で、でもオレ、アパートに一人暮らしでっ」 「お前のアパートはペット禁止じゃないだろ? それに、お前は奨学金と仕送りとバイトで生活費の心配はほとんどないしな。こいつにかかった金は後でまとめて請求してくれ。まぁ何かあったときには……そうだな、オリヴィエにでも連絡すればどうにかできるように手配はしておくから。な?」
女の子であれば舞い上がって喜ぶほどの先輩の笑顔であっても、そのときのランディくんにはそうは見えませんでした。
「先輩っ」 「――ランディ」
突然真剣な目になるオスカー先輩に、ランディくんは反射的に姿勢を正していました。
「お前を信頼できると思うからこそ、俺は可愛いこいつを誰でもないお前に預けるんだぜ?」 「……はぁ」 「ってなわけだ。俺が帰ってくるまで……まぁいつになるかわからんが、よろしくな、ランディ!」 「ちょ、ちょっと先輩っ! オスカー先輩ー!」
猫をランディくんに渡し、爽やかな笑顔で去っていくオスカー先輩をランディくんは必死で呼び止めましたが、もう先輩はそこにはいませんでした。 残ったのは、呆然と立ちつくすランディくんとその腕の中で呑気に毛づくろいをする仔猫のセイラン。 オスカー先輩はランディくんより二つ年上で、今は大学の2年生です。 常々世界中を飛び回りたいと云っていたオスカー先輩は、高校在学中からバイトをしてお金を貯めて、つい先日やっと目標金額にたどり着いたのですがここで問題がひとつ。 ごく最近譲られた猫(おそらく女の人に頼まれて断りきれなかったのだろうというのがランディくんの予想です)を、どうするか。 世界中を回るわけですから猫同伴なんて無理ですし、人に譲られたしかも生き物をその辺に捨てるなんてもってのほか。 ならばと預け先にオスカー先輩が選んだのが、誠実な後輩のランディくんだったのです。 (ちなみにオリヴィエというのは同じくランディくんの先輩で、オスカー先輩の悪友です。オスカー先輩曰く、彼の住むマンションはペット厳禁だったそうです) ランディくんの実家では犬を飼っていますが、猫を飼うのは初めてです。 しかも今は一人暮らしで、家の近所には知り合いはいません。 餌さえやればあとは勝手にしている大人しい猫だとは云われましたが、やはりランディくんは戸惑ってしまいます。
「……大丈夫かなぁ、オレ」
ぴくり、と耳を動かしてセイランがランディくんを見上げました。 吸い込まれそうな蒼い瞳にランディくんは思わずどきっとします。 けれどその瞳が一瞬だけ悲しそうに光ったように見えて、ランディくんは気付きました。 この子だって、いきなり環境が変わるんだからきっと不安なんだ、と。 しかもまだ仔猫なのに、これまでに何度も環境が変わっているのだからなおさらのことです。
「オレだけじゃ、ないよな」
ひとりじゃない。 その言葉は、ランディくんの胸をぽっとあたたかくしました。
「これから、一緒に頑張ろうな」
顔の高さまでセイランを抱き上げて、ランディくんはにっこりと笑いました。 セイランは返事の代わりなのか、ぱたりと尻尾を揺らしました。
彼らの生活は、こうして始まったのです。
それは、ハボックさんが上司に残業を押し付けられた帰りの、もうそろそろ日付が変わろうかというときのことでした。
「ったく何なんだよなー、あのクソオヤジ」
ぶつくさと文句をたれるハボックさんの手にはコンビニの袋がぶらさがっていました。 帰りが遅くなってしまっため、外食も自炊も面倒になったので普段はあまり食べないコンビニ弁当のお世話になることにしたのです。
みゃあ
ふいにどこからか高めの鳴き声が聞こえ、ハボックさんは辺りを見回しました。 すると。
「……なんだコレ」
ハボックさんの斜め前、道端にダンボールが置いてありました。 そして、そこからのぞく黒い頭。 「んだ、捨て猫か」 ダンボールの縁から、黒い猫がひょっこりと頭を出してこちらを見つめています。 猫好きな人であれば間違いなくめろめろになってしまうであろうほどに真っ直ぐで健気な視線です。 が。
「……あー、まぁいい人に拾ってもらえ」
動物は嫌いじゃないが毎日の世話なんぞ面倒くさくてやってられるか、という性質のハボックさんには視線の誘惑は無効でした。
みゃあみゃあ
あっさりと回れ右をしたハボックさんの背中に、猫の悲しそうな声が追いすがります。
「……」 みゃあ
後ろ髪を引かれるとはまさにこのことなのでしょう。 一度でも立ち止まってしまった手前、このまま放っておくのは後味が悪く、思わずハボックさんは足を止めてしまいました。 おそるおそる振り返ると。 猫が、懇願するような(ハボックさんの思い込みです)目でハボックさんを見上げていました。 ……どうする、ハボック。 ハボックさんの頭に最近目にしたCMのワンシーンが流れました。
「……」
ハボックさんの顔にはどうするよ俺、とでかでかと書いてありました。
みゃあ 「…………はぁ」
深く深く溜息をついて、ハボックさんはまた身体の向きを変えました。 しゃがみこんで、ダンボールごと持ち上げると、また猫がみゃあと鳴きました。 ふと腕の中のダンボールに目を向けると、底の方に紙が一枚ありました。 そこには子供の字でこう書いてありました。
『ロイ・マスタング 地位は大佐です』
元の飼い主まだ幼い子供だったのでしょう、漢字を使ってはいますが形が不恰好で、誰かの書いた字を真似て書いたものとしか思えませんでした。 きっとこの子供は、この猫――ロイを捨てたくて捨てたわけじゃないんだな、とハボックさんは思いました。 だから『ロイ・マスタング』というちゃんとした名前をつけ、捨てた後でも誰かに可愛がって欲しいからこそこんな階級まで与えたのでしょうから。 そう考えて、ハボックさんの胸はちょっぴり痛くなりました。
「ちょっとの間だけだからな? 新しい飼い主が見つかるまでだぞ」 みゃあ
通じていないとわかっていても、ハボックさんはそう云わずにいられませんでした。
けれど。 実は、このときロイが思っていたことが、 『そこのでかいの! 私はお腹が空いた、何か食わせろ!』 だったなんてことはここだけの話。
――ハボックさんには内緒ですよ?
それは、ムウさんが仕事から帰る途中のことでした。 その日ムウさんは定時に仕事を終え、その後食事や飲みに誘われも誘いもしなかったので、のんびりと駅前のスーパーで買い物をして家までの道を歩いていました。 (ちなみに恋人もいませんのでデートの予定なんかも入っていません) そのときです。 電信柱の陰で何かが動いたような気がして、ムウさんは足を止めました。
「……?」
近寄って覗いてみると、そこには薄汚れた小さな塊がありました。 足元にあった小枝でつついてみると、その塊は押されてごろんと転がりました。 そしてひょっこりと覗く三角形が二つ。
「……猫?」
ムウさんの思った通り、どうやらそこにいたのは猫だったようです。 死んでいるのだろうかと思い、ムウさんはおそるおそる猫に手を伸ばしました。 小さな身体はまだあたたかく、心臓も動いているようでした。
「生きてる……」
ムウさんは慌てて猫を抱き上げました。 まだまだ小さい仔猫で、大きさはムウさんの両手を軽く開いてすっぽり収まるくらいです。 よく見てみると、仔猫の首には細い首輪がしてありました。 身体と同様に首輪もボロボロでしたが、ムウさんは首輪につけてある金属のプレートを見つけました。 そこには何か文字のようなものが刻まれているようです。
「名前…?」
プレートも傷だらけでしたが、かろうじて文字に見えないこともない線を、ムウさんは必死で追ってみました。
「R、A…W…W……ラ、ウ?」
そのとき、手の中の仔猫がぴくりと動きました。
「ラウ? お前、ラウっていうのか?」
仔猫はそれ以上動きませんでしたが、返事の代わりにか細く「みゃー」と鳴く声が聞こえた気がしました。
「とにかく、暖めて何か餌やらないとな」
ここまできて放っておけないのがムウさんです。 猫用のトイレや餌といった必要なものを買ってきたり、飼い主を探すなどやるべきことはたくさんあります。 けど、と手の中の仔猫の頭を指先で撫でて、ムウさんは思いました。 とりあえずは仔猫――ラウが元気になるのが先だ、と。
2人――いえいえ、1人と1匹はこうして運命的に出会うことになったのです。
| 2004年03月09日(火) |
はじめに。 @『仔猫物語。』 |
この物語はフィクションです。 実在の人物・事件・組織などとは一切関係ございません。 もちろん、製作会社・作者・関係者様方とも一切関係ございません。 キャラクターを勝手にお借りしておりますので、どうぞご内密に。 また、キャラクターの性格・設定は原作などと多少異なる部分がございますのでご了承くださいませ。
■登場人物・猫■
ムウ・ラ・フラガ 28歳。軍人。地位は大尉。 ラウの飼い主。 明るく社交的。基本は真面目。
ラウ 猫。雄。色は白。 ムウに拾われ、飼われることに。 あまり人に懐かない。
ジャン・ハボック 25歳。軍人。地位は少尉。 ロイの飼い主。 つかみどころがなく面倒くさがり。けど世話焼き。
ロイ・マスタング 猫。雄。色は黒。地位は大佐(らしい)。 ハボックに拾われ、飼われることに。 偉そう。
ランディ 18歳。高校3年生。 セイランの飼い主。 快活で生真面目。元気だがよく空回り。
セイラン 猫。雄。色は蒼。 人づてにランディに預けられることに。 気まぐれ。
――こんな飼い主と猫たちが送る不可思議で愉快な毎日。 ちょっとだけ、あなたも覗いてみませんか?
ちょっとばかし諸注意を。
この日記は、3/9〜6/14まで 『仔猫物語。』という物語を連載しており、 通常の日記として使用を開始したのは7/1からとなります。 それ以前の日記はこちらです。
日常のことや萌え話を思いつくままにつらつらと語る日記ですが、楽しんでいただければ幸いです。
紗月
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