umityanの日記
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2019年05月27日(月) 猫とカラス。5月よさらば。

アライグマ騒動が終わり、平穏な日が続いている。今は、家の天井裏も何事もなかったかのように静かだ。まあ、それは良いとして、最近、面白いことがあっている。

なんと、野良猫が我が家へ、食事をもらうため、毎日、数匹出没している。山の神が、めっぽう猫好きで、猫が出没するたびに、お盆に「ご飯やら、食べ物の残り物」を、入れて、庭の木の下に置いている。そく、猫がやってきて、餌をついばむ。その様子を電線に止まっているカラスが見ているのだ。しばらくすると、なななんと、カラスが舞い降りてきて、猫の尻尾の方にたたずむ。

猫の残り物に預かろうという寸法だ。結構、食事に時間がかかると、カラスもしびれを切らして、猫の尻尾を、くちばしでつついたりしている。猫はうるさそうに,,尻尾を振って追い払う。カラスは後ずさりする。それを部屋の中から、見ていると、とても滑稽で、面白い。

まあ、猫もカラスも餌を食べなくちゃ、生きていけないからなあ。そう考えて、追い払うことはやめている。夕方、お盆に食事を入れて置いておき、朝方、お盆を見てみると、なめたように、きれいにかたづけている。生ゴミに出さなくていいから、大助かりと山の神は言う。僕は、その光景を横目に見ながら、ただ笑っているだけ。

それはそうと、五月も、もう終わり近くだ。早い。なにしろ月日の経つのが早い。この5ヶ月間、僕は何をしてきたのだろう。ただ、日々の仕事をこなし、世間を眺めながら生きてきた。最近、ネズミ男君や、のび太君やらと、飲みに行ったとき、よく言っている。「人生って、空しいなあーーー」と。皆、うん、うんと相づちを打つ。

世間を見ると、事件ばかり。税金は上がる一方。また、AIとかの登場で、ロボットが人間の仕事をこなす。確かに便利だが、僕は嫌いだ。やはり、人間対人間で、生きていくことに価値がある。何でも便利になりすぎると、人間関係が希薄になり、崩れてしまう。従って、僕はまだ携帯電話もガラケーである。受発信とメールだけで十分。

まあ、これは個人個人の問題だから、僕がとやかく言う必要もないか。とりもなおさず、5月よ、さらばである。



2019年05月09日(木) アライグマ騒動。

五月の連休も終わり、平穏な日がやってきた。10連休とかなんとかで、世間は大賑わいだった。僕は、毎日が仕事で、家と仕事場の往復のみ。「あああつっ、、やんなっちまうで」と思えど、働かなくちゃあ、おまんまの食い上げだ。

おっと、そうそう、つい先日、我が家に「アライグマ君」が参上。蓮とメダカを入れている、大きな鉢の水で、手こすり合わせて洗い、メダカの餌や猫の餌を袋ごと食べてしまう。僕と目が合うと縁の下へ、一目散で逃げる。「うんんん、現金な奴め」と思えど、仕方がない。

実は縁の下から二階の屋根裏に通じる穴が開いていて、アライグマが、二階の天井裏をすみかとしているのだ。どうも、夫婦でいるらしい。縦横無尽に走るので、僕は一階の部屋から長い棒で、天井をつつく。アライグマは驚き、一目散に天井を走る。だが、しかし、バット、これも一時的には効果があるが、長続きはしない。

てなわけで、先日、ネズミ男君を呼び、アライグマ退治を行った。彼は、土木作業をやったことがあり、地下に潜ったり、木にのぼることは お手の物。とりあえず、縁の下に潜り、穴が開いているところを、何重にも瓦を積んで塞いだ。「これなら大丈夫だぜ」と、彼は言う。穴がここだけなら、まず大丈夫だろう。

穴を塞いでから、5日ほどたった。今は何事もなかったかのように平穏無事だ。アライグマも天井裏に登れず、諦めたか?。やれやれだ。だが、しかしバット、もうすこし様子を見よう。


最近イタチや、アライグマが都市圏の家に出没しているそうな。彼らも、餌が少なくなり、生きるために、やむなく、町へ繰り出しているのだろう。そういえば、捨て猫もやたらと、増えている。一度、餌をやったら、決まって、餌を求めてやって来る。山の神がめっぽう猫好きで、「○○ちゃん・・・、○○ちゃーーーん」と呼びこむから、すっかりなついてしまった。一匹のみならず、数匹がやって来る。僕は、あまり猫が好きはでない。犬は大好きだ。どうも、猫は根性が悪そうで、いやである。「わおーーーーっ」と、大声を上げると、すたこらさっさと逃げていく。


まあ、連休明けのこんな日常である。




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