umityanの日記
DiaryINDEXpastwill


2007年09月30日(日) 僕の足跡。

いよいよ9月も今日まで。どんよりした曇り空の中、午前中に一仕事片つけた。午後から何をしようかと思案していたとき、テルあり。亡くなったボスの奥さんからだった。後始末の書類がわんさとあるので見てもらいたいとのこと。

そうだよなあーーー。人が亡くなると、誰かが、足跡を一つ一つ、消していかねばならない。それも大変な作業だ。年老いてくると、書類を見ても、ちんぷんかんぷん。足跡が完全に消える頃には、自分の体がくたくた。死者を弔うどころか、自分の体まで棺桶に入りそうになる。これじゃーーー、やっとられませんぜ。

奥さんは二年近くも、病院に寝泊まりしてボスを看病してきた。なかなか出来ることではない。今、伴侶を失い、心の疲れと体の疲れが「どーーつ」と出てきているのだろう。弱々しい姿で、僕の家を訪れた。書類は、色んな登録の抹消や、相続に絡むものだった。品行方正なボスのこと。さすがに借金の清算はなかった。僕は快く引き受けた。ほっとした様子で。奥さんは帰っていった。

足跡かあーーー。僕はまだ生存しているので、死後、どういう足跡が残っているかは分からない。ただ、生前にある程度、整理しておくことは出来るだろう。いま、ふっと頭に浮かんだことがある。まず、金は葬式代のみ残して、使い切って逝く。と言うことは保険は生前に解約だ。家庭外に相続人をつくらない。当然か?。借金を作るな。若い人にも時々言っているが、連帯保証と覚醒剤には手を出すな。欲はほどほどにして、物をため込むな。残った人の整理が大変だ。他にもいろいろとあるだろう。

とりあえずは、日々労働にいそしみ、自然と共に生き、容易に消えないような足跡は残さないことが肝心かもしれない。とは言え、この壊れかけた地球では、自然との共生も危うくなっているしなあーーーー。ただ、労働にいそしみ、労働の足跡くらい残して良いかもしれない。








2007年09月29日(土) プレゼントをくれたママに感謝の言葉を。

昨夜は、10日ぶりに夜の町へ繰り出した。時は7時。「今日はいい事がありそう?」と、はやる心を押さえながら、小料理屋の暖簾をくぐった。「梓」という行きつけの店である。なんでも、娘の名前を屋号にしたそうな。店の宣伝にもなろうから、屋号をオープンにしたが、きっとママさんも許してくれるだろう。

僕は、にんまり笑いながら、トレードマークのハット(笑うセールスマンがかぶっているようなやつ)を、右手で止まり木の枝へ「ぽい」と投げかけた。「すっぽり」と決まった。すでに手配済みの相棒はまだ来ていない。顔見知りの客が2名いた。僕は奧から2番目の椅子に陣取る。カウンターの椅子は6個しかないので、相棒の為に気を利かしたわけだ。

椅子に座るやいなや、ママが白い歯をのぞかせながら、「○○歳の誕生日おめでとう。はいこれプレゼントよ」と、リボンをかけた焼酎の一升瓶をカウンターに置いた。「ええっつ!!」と僕の目は白黒。ママ曰く。「キープの残量が少なくなっているので、これプレゼントよ。いいでしょ」と。いいも悪いもない。願ったりかなったりである。最高のプレゼントだ。さらに、追い打ちをかけるように、「まだあるのよ」とママは言って、冷えたシャンペーンの栓を抜いて、客と一緒に祝ってくれた。僕はママと客に「ありがとうございます」と言って、一気にシャンペーンを飲み干した。ゲップと共に胸からこみ上げるものが・・・・・。こういうのが苦手なんだよなあーーーー。

今日は大盤振る舞いだ。ママのことを褒めちぎり、述べてみよう。
ママは小柄な中肉の女性である。顔は目鼻立ちの整った美形。いや、かわいいと言ったほうが当たっているかもしれない。前髪を少々垂らしているが、後頭部はタマネギのように髪を丸めて、かんざしを挿している。「このかんざし、いいでしょう」と言って、時々、差しなおしたりしている。身を乗り出すと、「ザクリ」とやられそうで、危なくてしようがない。これは冗談だ。となれば、服装は自ずと和服。「2着しか持っていないのよ」というが、真実は不明。上手に着こなした和服の上から、割烹着みたいな物を羽織っている。水がかかったらいけないので、腕まくりをしている。さすがに仇討ち姿のように、たすきはかけていない。そこまで行けばやりすぎか?。はりきり女将と言った感じがぴったりだろう。

この店にカラオケはない。狭い座敷とカウンターだ。ここでカラオケを歌えば近所迷惑というもの。てなわけで、いつもBGMがかかっている。フォークソングやポップス系ばかりである。小料理屋と言えば演歌が定番だが、フォークソングを聴きながら焼酎を飲むのも乙なもの。何故にフォークソングかと言えば、ママさんは高校時代、フォークソング部に属し、ヴォーカルをやっていたそうだ。「なるほど、そうか」とうなずける。いつの間にか、客もフォークソングやポップスに慣らされてしまい、何の違和感も感じていないようだ。僕はもともと、フォークソングが好きだから、当初から歓迎だった。

一度だけ、マイクを通してママの歌を聴いたことがある。確か、「サトウキビ畑」という反戦歌だった。森山良子さんが歌っていたっけ。「ざわわ、ざわわ、ざわわーーー、サトウキビ畑の、ざわわ、ざわわ、ざわわー・・・・」。いやああ、お見事。座蒲団5枚ってところか。そう言って笑ったことだ。

はりきりママのもう一つの特技は英会話だろう。週一回、キューバの近くの小さな國からやってきている英語の先生について、英会話を習っている。カウンター横の座敷にはいつも、会話の教材やら辞書が置いてある。客がまだ来ていないときは座敷にちょこんと、お雛さんみたいに座り、英会話や、先生とやりとりしている交換日記らしきレターを読んだり、書いたりしている。いやはや、多才なスーパーウーマンだぜ。

早い時間、と言っても六時過ぎだが、そんな時間に店へ行き、誰も客がいない時、僕が下手な英語で話しかけると、「にこっ」と笑い、英語で返してくる。意地悪をして僕が知っている難しい単語の英訳を質問すると、「うんんん・・・」とうなりながら、「待って、待って」と言い、座敷のテーブルの下から、電子辞書みたいな物を持ち出して、そく検索を始める。そんな時、僕は子供じみているが、「勝ったぜ」と思う。負けず嫌いのママも、さるものひっかくものだ。即、反撃をしてくる。僕が格好の餌食となる番だ。「好きこそ物の上手けり。継続は力なり」と言うが、まさにそれに徹していることが素晴らしい。

最後に、もう一つママのことをほめておこう。客商売なら当然と言えば当然かもしれないが、帰り際、暖簾の外まで出てきて、姿が見えなくなるまで手を振っていることだ。相棒とタクシーに乗り、僕たちも最初の一振りはタクシーの中からするが、しばらく走って後ろを振り返ると、まだ手を振っている。僕たちも慌てて、手をふり直す。最近は、振り向いて手を振るのも未練がましいので、前を向いたまま、後ろ手を振ったりしている。車の中で相棒とよく話しているが、商売繁盛の秘訣はこういう面にもあるのだろう。

話が長くなった。僕は相棒を待ちながら、ママ手作りのコロッケとやらを食べた。「今、揚げたてよ」と言って二個、皿に盛ってくれた。僕はどうもジャガイモをつぶしてこしらえたコロッケは好きではないが、ママのコロッケは、カボチャと挽肉入りのコロッケだった。いやああ、このコロッケの旨かったこと。僕はお代わりして、四コもたいらげた。相棒が来るやいなや、僕は即、コロッケを勧めた。カボチャ入りとは知らず、相棒は一瞬眉を曇らせたが、僕の強引な勧めで箸をつけた。「旨い」の連発。さもありなん。ママも大喜び。ザルに盛り上げたコロッケもほどなく完売したよし。めでたし。めでたしだ。
その後、僕たちは、イカとしめさばと鯛の刺身に舌鼓をうち、キープしていた焼酎の残量消化に邁進。プレゼント焼酎の封切りまでには至らなかった。ママ曰く。「これは次回にね」と。僕は素直に「はい」と応えた。

まあ、こんな調子で、年一回の大プレゼントに気を良くした僕はすっかり酩酊。「柳の下にドジョウがいるかもしれない」と、浅はかな夢をみつつ、次なる店へ相棒と赴いたよし。ドジョウがいたかいなかったかは、ここで述べることは止めておこう。ただ、今朝は頭がガンガンで、9時半の行事場所で、アルコールが漂っていたらしい。羽目を外すのもほどほどにせにゃなるまいて。それでも、嬉しい一夜であった。







2007年09月28日(金) 「女心と秋の空」。どうも、つかみがたい。

遠方まで、書類を携えて提出に向かう。客からはすでに、前払いの報酬を頂いている。懐はあったか。今日そんな日だった。失敗は許されない。悪戦苦闘して仕上げた書類だ。小一時間ばかり車で走った。出発から到着まで、山口百恵さんの「コスモス」という曲かけていた。いい歌だ。

無事に到着し、受付の担当者に書類を提出。担当官はチェックを始めた。僕は椅子にこしかけ、周辺の職員たちをちょろちょろ見回す。「皆、労働にいそしんでいるなあーーー」と変に関心。時折、担当官の表情を伺う。担当官は、「うん、うん」と、うなずきながら、書類をめくっていく。僕が精魂傾けてこしらえた書類。何のミスがあろう?。僕は自信たっぷりだ。

とは言え、生来、小心者の僕。表面と内面の心は裏腹だ。しばらくして、担当官は、天下の宝刀、受付印を「ポン」と押して、控えを返してくれた。この受付印が物を言うんだよなーー。僕はおもむろに受け取る。その間、会話なし。「完璧でした」とかなんとか言ってくれたらよさそうなものだが・・・・・・。まあ、仕方がない。向こうも商売だ。いちいち愛想を振りまいていたら疲れるだろう。

結局、僕も無表情のまま、書類を受け取り、一礼して受付を後にした。帰りの車の中で、顔はにこにこ。「やったでーーーー」と、気持ちがよい。これで、客の信頼もますます増大するというもの。まあ、プロなら当然と言えば当然だ。

帰りの車の中でも、また、百恵さんの「コスモス」を聞いた。母が娘を思う気持。娘が母を思う気持。それぞれの優しさが、この歌詞に、歌にあふれている。なんとなく切ない。やはり、本物の歌は、カラオケで歌う僕の歌とは雲泥の差だ。これも当然と言えば当然か。僕は男で、娘を思う母の気持ちはよく分からないが、「優しさ」という面では気持は共通だと思う。

「優しさ」に関して、時々思う。人間って、物事がうまくいっているときは、人にも優しくなれる。今日の僕はまさにそうだ。なんだか、心が浮き足立って、妙に人に優しくあげたくなる。「コスモス」という歌とは優しさの種類が違うと思うが、種類なんてどうでもいいか?。

はからずも、昨日は、僕の生誕と言うこともあって、色んな人から「おめでとう」の携帯メールを受けた。それも、優しさの相乗効果を生んでいるのだろう。とは言え、一番多いのは飲み屋のママさん達からだ。「冷えたワインを用意して待ってます」とのこと。そりゃーーーー、心をそそるが、「云十歳ですね?。おめでとう」と、客の前で披露されて、「HAPPY BIRATHDAY TO YOU」、なんて歌われると、こっぱ恥ずかしである。「もう、やめてよ」と言いたくなる。

てなわけで、昨日はおとなしく、我が家に滞在。山の神の手料理に、もらい物のワインでしめやかに過ごした。その後は、そく仕事だ。夜の方が仕事がはかどる。そんな僕を気の毒と思ったのか?、「明日は出かけていいのよ」と言う。どうした風の吹き回しかと思えば、山の神もちゃっかりしたもの。自らも外出するとのこと。夕飯の支度に気を使わなくていいから、そう言ったのかもしれない。女心は「コスモス」の歌と同様。真意は分からない。秋だぜ・・・。

僕も今、午後の仕事を片つけ、この備忘録をしたためている。「日が暮れんこと、今や遅し」と、胸が騒いでいる。






2007年09月25日(火) この秋は、旅と食と希望。

すがすがしい朝を迎えた。いよいよ秋到来だ。あのうだるような暑さが、もうなつかしくさえ感じられる。のど元過ぎれば何とかである。

長かったようで短かった連休もおわり、世間では今日から出勤か?。僕も例外に漏れず、数十歩、歩みを勧めて我が勤務場・・・・事務所兼書斎へ赴く。昨日も、一昨日もここにいたから、どうも世間様みたいな出勤という感がない。
それでも、気持ちはやや緊張している。l

連休に残務を片つけたので、とりとめて急ぎの仕事はない。これからやらねばならない仕事を少しずつ消化していくだけだ。新たな仕事が舞い込むかもしれない。まだ余裕あり。

ふっと、顔を上げて、窓の外を見る。樹木が静かにたたずみ、柔らかな日射しを浴びている。風もなし。こんな風景を眺めると旅がしたくなる。秋はやはり旅と食が一番相応しい季節である。

昨日は、久しぶりに。客がくれた「ぼたもち」というか?「おはぎ」というか、定かではないが、それを食べた。小豆をつぶしたあんこが、にぎりめしみたいなものに、無造作に巻き付いている。この無造作が良い。饅頭みたいにきれいに、あんこがついていると、「ずいぶんなでつけたなあ・・・?」。手はちゃんと洗っているんだろうなーーーー?と、変に勘ぐってしまう。最近のものは、甘みが抑えてあり、熱い茶を飲みなながら食べると、これが結構うまい。

そういえば故郷の母も、昔、お彼岸にこれを作っていたことを思い出す。まず、仏様に供えて、その後、我々もいただく。子供の頃は上品な食べ方をしないから、口の周りはあんこだらけ。母から「そんなに、あわてんで食べでもよか」と、たしなめられたものだ。

旅。旅かあ・・・。ここ数年、どこへも行けずじまいだ。花の都、東京へさえずいぶん行っていない。めまぐるしく都会は変貌しているに違いない。時々、テレビで見るが、高層ビルやらマンションが建ち並び、人間がこしらえた物とは思えない様相を呈している。上を見上げれば首が痛くなり、下を見ればコンクリートジャングルに日が当たり、目がまぶしい。前後左右をみれば、老若男女が行き交っている。これじゃあーーー目が回るぜ。

旅はやはり田舎が一番いい。都会人は癒しを求めて田舎や地方へ行くことが多いかもしれないが、田舎人も田舎へ行く。田舎人はすっかり田舎の生活に慣れてしまい、都会の喧噪にはついていけないのだろう。僕もそんな一人かもしれない。

政局もようやく新しいリーダーが決まった。重荷を背負っての船出である。スローガンも「美しい日本」から「安心と希望の社会」へ変わった。早く、そんな社会が到来して欲しいと思うが、短兵急には実現出来ない。「カタツムリ、そろそろ登れ、富士の山」では遅すぎるか?。ここは国民一人一人が知恵を出して前へ進むしかなさそうだ。たとえ、急な坂であっても、いい知恵とその実践があれば、登れないことはないと思う。






2007年09月23日(日) お願いと見返り。

久しぶりに涼しげな朝を迎えた。今日はお彼岸の中日だ。太陽が真東から出て、真西へ沈む。西の彼方には極楽浄土があるという。今日はまさにお彼岸日和。人は墓へ詣でて、先祖様に供物やお花を手向け、極楽浄土での安住を祈願し、今ある自分に感謝し、そして未来の幸せを懇願する。

「祈願、感謝、懇願」、この三つの心の働きがうまく作用しているとき、人は幸せ感を覚えるのだろう。ところで、よく考えてみるとお願いが多い。昔、歌にもあったっけ?。「私の四つのお願い聞いてね・・・」とかなんとかいう歌。幸せを呼ぶとか言う四つ葉のクローバーもある。お願いはちまたにあふれている。

ただ、「お願い」は欲とは違う。欲にはむさぼりが伴いやすいが、お願いにはむさぼり感がない。とは言え、お願いも度が過ぎると禁物だ。かわいい女性からの一つ・二つのお願いなら「はいよーー。喜んで。」と言って、すぐ引き受けるが、度重なってくると、そのかわいい顔さえ醜く思えてくるものだ。人の心って不思議なものよ。

大事なのは、やはり心の働きだろう。お願いに伴うものは、良い表現ではないが、「見返り」だ。見返りと言っても、ビジネス社会での金銭物欲と言った見返りとは違う。日々の個人的な生活の中における見返り。それは心第一と言っても良いかもしれない。

「心」と言えば、ある坊さんの説教で聞いたことがある。

「奇妙なるかな心。不思議なるかな心。この心あって初めて山川草木あり。世にある一切のものはこの心より生じ、この心に帰す。人、いずこより生まれ来たる。すなわちこの心より生まれ来たる。人、死して、いずれのところにか去る。すなわちこの心に帰るなり。我が心を離れて仏なく、仏を離れて我が心なし。」

人が墓前でお参りするのは、色んなお願いや感謝を心の実践で返しているわけだ。意識するとしないとに関わらず、ただ、ひたすら手をあわせる。この行いこそが現世を生きる人たちの一つの救いとなっている。お彼岸につき、宗教的な話になってしまった。

僕は今、どんよりとした曇り空を眺めながら、我が先祖様や、ボスのことに思いを馳せている。ボスはまだ、宇宙空間を魂がさまよっている時期だ。安住の地を得るには、もう少し時間がかかる。遺族や僕がこうして色んな思いでをたどる。その心の思いが、迷わずボスが極楽浄土の地へたどり着く手助けとなる。

ただ、いかんせん。ボスは寄り道が好きだった。あるいは、どこかの宇宙居酒屋でとぐろを巻いて、だだをこねているかもしれない。
僕もそうするかもしれないから、いいか?。


2007年09月21日(金) 月下美人が今宵三個咲いた。

弟に車が納入された。テルあり。友人へ連絡。夕方、友人と弟のところへ赴く。代金の決済を行い、キーが手渡される。友人大喜び。弟もにこにこ顔。仲介をした僕もやれやれという感じだ。

このまま友人を帰すのもしのびない。焼き鳥に誘う。満杯。さすがに花金だ。
和服のママさんのいる小料理屋をのぞく。ここも満杯。やむなくと言っては失礼だが、行きつけのスナックをのぞく。やっと、安住の地を得る。

カウンター女性を冷やかしながら、車の話で花が咲く。団体客到来。早々に引き上げる。まだ時間も早い。彫塑を専攻し、非常勤講師をしながらアルバイトをしている女性がいるスナックへ赴く。さすがに金曜日だ。ほぼ満杯状態。入り口近くの椅子に陣取る。焼酎を少々味わう。

ママに酒。彫塑レディーにビールを奉呈。喜ばれる。「今日はいつ仁なく優しいのね」と冷やかされる。「これが僕の本来の姿です」と言って、大笑い。

もてもせず、頃合いをはかって退散。友人は車が心配の様子。「この辺で解放すべきか?}と僕は決心。友人共々タクシーで、出発地点へ戻る。時間もまだ早い。僕の心は和服のママのいる小料理屋へ行くことを望んでいる。

「ええい・・・行くか」と、いつもの強気心が僕を支配する。行ったら知り合い客がいた。カボスをいれて、焼酎を飲む。旨い。まだ酔ってはいない。

話に花を咲かせている頃、テルあり。「何事ぞ・」と、携帯のディスプレーをみると、山の神からの着信。「ぞぞっつ」として酔いがいっぺんにさめる。「SOS,SOS]と山の神が叫ぶ。、「何か?]と,
問えば、「月下美人の花が三個咲いている」とのこと。「驚かすな」と、言いたかったが、「はい。分かりました。今、代行車を呼んでいます。すぐ帰ります。」と僕は返答。あーーーーーーご養子様みたいな僕も辛いぜ・・・・・。

家に帰ると、玄関の扉は、ばっちり開いていた。今宵は当然と言えば当然か?。

月下美人の花を眺めた。放射状の後光がさして、大輪の白い花が僕を誘っていた。いやああ・・・・・・・実に美しい。可憐である。この世の花とも思われない様子を呈している。僕はとっさに思った。「かほどに美しい、可憐な女性はこの世の中にいるのだろうか?」と。いない。いや、いる。分からない。

一夜にして、その美しさを閉じてしまう花。月下美人よ!!!。君は一体僕の何だろう?。恋人でもない。愛人でもない。そうだ。愛しい人に違いない。あの、銀河鉄道999のメーテルのごとく。

僕は即、デジカメにおさめた。また、来年見ることが出来るかもしれないが、来年のことを言うと、鬼が笑う。今だ。今しかない。僕のふるえる手は、興奮と共にシャッターを押していた。

寝ずの番をしながら、月下美人を見送るのはどうも無理のようだ。今頃になって酔いが回ってきた。僕の言葉も宙に舞っている。ありがとう愛しい月下美人よ。今宵、君と遭遇しただけで、僕は幸せというもの。おやすみなさい。愛しい君よ。


2007年09月20日(木) 変化とはなんぞや?。

すこぶる良い天気だ。一時、秋の気配があったが、また夏に逆戻り。いかんが日々を過ごさん?。天下の宝刀、クーラー様のおかげで、汗だくだくは免れているが、電気代は鰻登り・・・・・。これじゃあーーーやっておられませんぜ。

日々の糧を得るべく、僕も超零細事務所をきりもみしながら孤軍奮闘している。事務員さんがいなくなり、初めて気がついた。何でもかんでも一人でやる事は大変である。もう、9ヶ月になるか?。

糊付け、はさみでちょきちょき、書類のファイリング、コピー用紙の補給、シュレッダー、はたまた清掃。ぽっかりと穴のあいた事務員さんの机の上は、いまや、書類の山。昔は、「あの書類ありませんか?」と尋ねると、「ぱっ」と手渡してくれた。今は、自ら席を立って、向かい側の机まで足を運ばねばならない。仕事に集中しているときは動きたくないのだが仕方がない。

時々、猫の手でも借りたいと思うことがある。いかんせん、我が家の猫にそんな芸当はない。どこかのコマーシャルにあったっけ。あのダブルホワイト犬とか、どら焼きを盗み食いしたお父さん犬のように賢ければいいのだが・・・・。

猫の事で思い出した。最近我が家の猫君(男だから君と言おう)が、僕に挨拶をするようになった。本来僕は猫が好きではない。それを知ってか知らずか?、猫君は僕を避けていた。もちろん僕もそうしていた。それがどうしたわけか?。外から帰ってくると、まずわが書斎へやってきて、「にゃん」と一声か、二声をあげて出て行く。最初の頃は、それを「うっとおしいなーーー」と、思っていた。山の神に言わせると、「あんたも家族の一員であると猫君が認めた」との事。「ふーーーーーん、そんなもんかなーーー」と、僕はいぶかしく思っていたが、猫君の僕に対するあらぬ行動がますます顕著になってきた。

「こりゃ、何かあるぞ?」と観察するようになって、気がついたことが二つある。僕が座っている椅子の足もとで、猫君がほおずりを始めたら、一つは、「外へ出たいので、ドアをあけてくれ」との要求。二つ目は、「腹が空いたから、うまいおやつでもくれ」という催促。いやはや、現金なやつだぜ。

「何故、山の神に言わないのか?」と考えてみた。思い当たる節はこうだ。「山の神は幾度となく、上記要求を実行している。これ以上は山の神の尻は動くまい。現にことわられた。仕方がないから、もう一人の住人へ頼むことにしよう」。てな訳で、僕の所へやってくるようになった。

山の神が留守の時、上記要求を僕が満たしてあげたことに、そもそもの原因ががあるのだろう。そのことを、猫君は賢く覚えていた。なるほどねーーー。苦しいときの神頼みとはこのことか?。猫君はいち早く気がついているのだろう。「変化の時代だ。僕も変わらなければ」と。

話がすっかり脱線した。何を書きたかったのか忘れてしまった。そうそう、今朝、テレビを見ていて、世の中のゆゆしい現実に愕然とした。治療費の未収金にあえいでいる病院。裏を返せば、治療費をはらうのが困難な人々の存在。財政収入の減少による経営維持が困難となりつつある地方行政体の増加。思いもかけない企業の倒産。有史に見ない異常気象の続発。それに伴っているかどうかは分からないが、後退しているように見える人心。格差は着実に広がっている。これを阻止する方策は、あるのだろうか?。ただただ、行く先が心配である。

田舎からは都会の世界が見えないが、日々是好日。そう思い、ただ精進あるのみ。これに尽きるか?。









2007年09月15日(土) 弟は僕の強力なライバルか?。

今日はどんよりした曇り空。相変わらず日中は暑い。久しぶりに何もない土曜日だ。たまった仕事の消化に邁進しようと思っていたら、弟(仕事仲間)より、電話があった。何かと思えば、僕が勧めた海洋深層水を飲んでいるとのこと。ちょっと、値段が高いが、それは、それは結構なことで・・・・。

もう一つの用件は、彼の車を買っても良いと言っていた友人に、早く車を見に来てほしいと伝えてくれとの依頼だった。彼の車はフル装備で、かつエンジンもフルテェンジしたとのことで、まだまだ立派なもの。僕はそく、友人へ連絡して、一緒に見に行った。

見事、商談は成立。友人はそのまま、乗って帰りたいと言ったがそれはかなわぬ事。新車が届くまで、その車で仕事をせねばならない。一週間ほどで納入らしい。僕も車が好きである。もう、何年前になるか?。弟の一年後くらいに僕も車を買った。弟とはいえ僕の強力なライバルだ。当時は僕の車が、機能的にすぐれていたので、「弟に勝ったぜ!!」とほくそ笑んでいたが、今や僕の敗北か?。

それでも、僕の車は、まだまだ絶好調。傷はあちこちあるが、これも、僕にかわいがられての勲章みたいなもの。今は弟の頑張りを素直にほめてやろう。僕って負け惜しみが強いのかなあーーーーーー?。

話を転じよう。最近、宇宙に関する話題が少ないと寂しく思っていたが、先日、超新星の爆発により放たれた輝きの映像が新聞に出ていた。なるほど。星も爆発によってその一生を終えるわけだ。「永遠に存在するものは何もないのかもしれない」?と思うと、一抹の悲しさを覚える。

また、今日の新聞には、月周回衛星「かぐや」が打ちあげられ、成功したとの記事が出ていた。これは興味深いことである。月という身近な地球の衛星が、どんな成り立ちで生まれたのか?。その謎を解くことが出来るかもしれない。
今、有力な説は、星が地球に衝突し、そのかけらが集まって月を形成したというもの。他に太陽系誕生時に、地球と一緒に生まれたとする説。いずれにせよ、大変興味深い。早く結果が知りたい。

月には「かぐや姫」伝説やら、ウサギが餅をついているとか、ロマンを誘う話が多々ある。小林一茶だったか?。「名月をとってくれろと泣く子かな」という俳句もある。「月に吠える」という詩だったか、小説だったか?忘れたが、そんな題名もある。月ほど地球に縁の深い星はない。僕も小さい頃、月を望遠鏡で眺めて、いろんな想像をしたものだ。未だに、「生命体が存在していたらいいのに」と、思っている。

今日は月を仰ぎ見れる天候ではないが、やがて咲くだろう月下美人を月明かりの中で拝みたいものだ。つぼみを調べたら五個ほど首を伸ばしていた。僕の愛を裏切らずに咲いて欲しい。僕の四つのお願いの一つである。後のお願いは恥かしくて書けない。


2007年09月10日(月) 月下美人が二度目のつぼみをつけた。

毎朝眺めていた月下美人に二度目のつぼみがついた。物の本で読んだことがあるが、元気に成長していると、年二回は咲くらしい。また、あの可憐な花が見れるかと思うと、今から胸がわくわくしている。

ただ、いかんせん。花の命は短くて、一夜にしてしぼんでしまう。、一瞬の輝きの中に、全生命を燃焼させてしまうのだ。まるで、あの打ち上げ花火のように・・・・。

人が打ち上げ花火を見て感動するのは、彩り豊かな輝きを放ちながら、瞬く間に消えてしまうからだろう。おそらく人はその刹那の輝きのなかに、自分の人生をかいま見るのだろう。意識するとしないとに関わらず。

ボスが亡くなり四日目の夜を迎えた。時だけは無情に過ぎていく。ただ、ボスが放った輝きは人の心に中では消えることなく、永遠に紡がれていくだろう。

僕も今日から再スタートだ。月下美人が美しき花を咲かせることを期待して、今日は、このペンを置こう。




2007年09月08日(土) ボスよ、安らかにお眠りください。

ボスの葬儀がしめやかに行われた。僕は会場から聞こえる読経を受付の席で聞いていた。会場内は小さな子供がいなかったため、静寂そのもの。来てくれた人たちはそれぞれに、色んな思いを馳せたに違いない。僕の脳裏にも、ボスとの思い出が走馬燈のように駆けめぐった。

ボスの死に顔は美しかった。わずかに唇を開き、目は観音様のように優しく閉じていた。「ええつ、これがボスの顔だったのか?」と、しげしげと眺めた。焼酎を浴びるほど飲み、じゃがら声で歌っていたボスの赤ら顔にはとうてい見えない。「死ねば皆、仏」というが、まさに仏そのものの顔だった。

弟(仕事仲間で僕がそう呼んでいる)が息咳を切って会場に滑り込んできた。仕事を手っ取り早く済ませて駆けつけたとのこと。相変わらず、そそっかしい弟である。

小一時間で葬儀は滞りなく終わった。最後に弔電の披露があった。全国47都道府県にある会の会長名で弔電が届いていた。組織というものは、そういうものだろう。面識はそう無くても、連帯意識を重んじる。その連帯意識が会の発展を促す原動力ともなるわけだ。

葬儀の締めくくりとして、進行役の女性の声で、ボスの最後の言葉が会場に披露された。「忍(しのぶー)忍・・・・」と、ボスは奥方の名前を叫び、静かに息を引き取ったとのこと。僕は既に聞いていたが、涙を禁じ得なかった。
さすがにボスだ。最後の締めくくりとして、これ以上の言葉はないだろう。会場からも、すすり泣きの声が聞こえた。

葬儀が終わった後、弟がぽつりとつぶやいた。「参列者がえらい少なかったねー。皆、冷たいぜ」と。確かに、僕も受付をしながらそう思った。「去る者日々に疎し」ではないが、一旦、現役を離れて長期入院、療養となると、人の意識も次第に遠ざかっていく。過去の栄光は栄光として時折、語られることはあっても、すでに現実のものではない。また、人の心の尺度は、人によって違い、一様にはかることは出来ない。これは仕方がないことだ。

既に肉体は灰となり、遺骨だけが骨壺の中に収まっている。ボスには窮屈な場所かもしれない。ただ、魂だけは解放されて宇宙空間を自由に飛び回っているに違いない。そう、後云十年もすれば、僕の魂も宇宙へと帰り、再びボスと相まみれることになるだろう。そのときは大いに飲み、大いに歌いあいたいものだ。二人ともあまりの、ど音痴に閻魔大王の怒りに触れるかもしれないが・・・・・・・。ボスよ、安らかにお眠りください。(完)






2007年09月07日(金) ボスの旅立ち。

今朝方、ボスが亡くなった。朝5時過ぎのことらしい。僕が一番最初に思ったこと。「いやあーーーよく頑張りましたね。お疲れ様でした。ゆっくりお休みください」という言葉である。

昨日の朝、医者から引導を渡され、丸一日頑張ったことになる。さすがはボスである。そう簡単にはくたばらなかった。予科練で訓練を受けた頑強な体が物を言ったのだろう。生前、よく飲み屋で聞かされた。「そりゃーもう、棒みたいなやつで、こっぴどく尻や、背中をたたかれ、今でも傷が残っているよ」と。当時のことを感慨深げに話していた姿がなつかしく思い出される。

僕もよく言っていた。「ボスよ、今のうちに、ボスの歴史というか、生き様を記録に残しておいたがいいんじゃないですか?」と。ボスは一瞬笑ったが何も言わなかった。実際、手記を残したかたどうかは知らない。多々、何も残していないだろう。まあ、これは仕方がない。僕がこうして、思い出をつづることが、ある意味ではボスの生き様と言うことになる。

葬儀社との打ち合わせに僕も同席して欲しい旨の要請を受けた。「ボスの為に出来ることは何でもしてあげたい」と思っていたので、快く引き受けた。信仰に厚く、社会的にも立派であったボスには、「院号」の戒名が相応しいのではと奥方に進言した。僧侶にその旨、伝えた。

段取りも、そつなく決まった。後は今日の通夜と、翌日、葬儀を行うことになる。葬儀社との打ち合わせの中で、ふと思ったが、「死んだ後にも、結構、金がかかるもんだなー」と言うことである。「地獄の沙汰も金次第」という諺もあるが、なんとも、いたたまれないことだ。すかっとさわやかに、「ろは」、0円というわけにはいかないのか?。

僕なら、人知れず、こっそりと亡くなり、速やかに宇宙空間へ旅立っていきたいと思うが、世の中のしがらみはそれを許してくれないだろう。ボスの場合もしかりである。ただ、親しかった色んな人に見送られてあの世とやらに旅立つのも悪くはないかもしれない。

ボスの最後の言葉を奥方に聞いた。「忍(しのぶ)ーーー、」と、二回ばかり奥方の名前を叫んだとのこと。奥方はその言葉におおいに涙した。その一言、二言の言葉が、どれほど、奥方の心を癒やしたことだろう。

ふと、「僕は死ぬ直前に何と叫ぶだろうか?」と考えてみた。幸い、山の神の名前と初恋の人の名前が同じであるから、僕の場合は何の誤解も生じないだろう。というより、叫ぶ前に息絶えているかもしれない。そう考えると、ボスは幸せだ。少なくとも、奥方に感謝の言葉を残して逝ったわけだから。

今日はもう、これ以上書くまい。ボスの旅立ちに乾杯。僕は焼酎をあおりながら、ボスが歌った歌を口ずさむことにしよう。


2007年09月06日(木) 死の淵をさまようボス。

今朝、ボス(仕事の先輩で、父親みたいな人)の奥方から電話がはいった。「まさか」と思ったら、やはりその「まさか」だった。ボスが危篤状態に陥ったとのこと。時間があったら来てほしいとの事。僕は取り急ぎ用事をすませて病院へ向かった。病室の仕切られたカーテンをめくると、ボスはいくつもの管をつけて、冥途の淵をさまよっていた。今朝方急変したとのこと。医者から「今日の夕方までは持たないだろう」と告げられたそうだ。

奥方は僕を別室へ案内し、ボス亡き後の段取りを聞いてきた。まだ早すぎるのでは?と思ったが、「自分がうろたえて、何もできないと思うから、よろしく」との事であった。僕は「はい。分かりました」と応え、自宅へ戻り待機することにした。

人の死を待機することほど辛いことはない。未だに電話がかかってこない。さすがに、ボスだ。幾度も不死鳥のように、蘇ってきたから、今度もそうあって欲しいと願っている。もし、この備忘録を書いている時に電話があれば、その時点でこのページを止めよう。

思えばボスとの付き合いも20年近くになるか?。ボスがさる会の会長をしていたとき、僕も何かの役につき、昼夜をよく共にした。外国へも数回、足を運んだ。僕たちの旅は漫才道中。思い出すたびに笑いがこみ上げてくる。

アルコールもよく飲んだ。カラオケもよく歌った。アルコールはもっぱら焼酎で、四合瓶のボトルがいつしか一升瓶へとかわり、白のマジックペンで、あたかも、ラブラブの恋人のように名前を並記したものだ。日付も書くが、そのインターバルの短いこと。店のママさんは、ほくほく顔。

カラオケと言えば、ボスはド演歌の帝王。僕はフォークの歩兵といったところか?。ボスのレパートリーはかなり多かった。石川さゆりさんから、北島三郎さん、黒沢年男さん、はたまた、内藤やすこさんだったけ?。その他もろもろ、男性歌手であれ、女性歌手であれ、手当たり次第に歌っていた。音痴も最初の頃はひどかったが、年数を重ねるたびに上達してきた。音程を外さなくなり、味が増してきた。僕たちの笑いも最初は「げらげら」だったが、ずっと、後になると、「はははは」「うふふふ」に変わっていった。手っ取り早く言えば、歌はうまくなるほど、感心はするが面白みがなくなるということだ。

不思議なことに、人が上手に歌っていると、周りはおしゃべりばかりしていて、聞いているのか?、聞いていないのか?、全く不愉快なことが多い。歌い手が下手であれば、皆、安心して聞き、拍手喝采である。人間って、現金な動物だぜと思うが、僕もその例外ではなさそうだから、始末が悪い。

何はともあれ、ひょっとしたら持ち直したのかもしれない。もしそうなら、ただただ、ボスの生命力に乾杯だ。ある人が書物に書いていた。「死は決して怖いものではない。なぜなら、死の瞬間には本人は死を自覚できない。死を怖いと思うのは、人の死を第三者的に見て自己に投影するからだ」と。確かに、そう思えば思えないこともない。ただ、何にもまして、今までいた身近な人の存在が、この現世から消えてしまうことに大きな悲しみがある。その悲しみを癒やすには、やはり時の流れが必要だろう。

生命体の死亡率は100パーセントだ。どうあがいても、100歳まで生きることは至難の業。要は宇宙から与えられた命を、迎えが来るまでどう燃焼させるかが大事なことだろう。

思うにボスは精一杯、生を燃焼させてきた。少なくとも僕はそう思うし、奥方もそう思っているだろう。奥方は今に至るまで、精一杯看病をしてきた。ボスの脳裏には余りある感謝の念があるに違いない。

何かの本で読んだが、「徒らに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲しむべき形骸なり。設い百歳の日月は聲色の如婢と馳走すとも、其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の他生をも度取すべきなり、此一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき形骸なり」とあった。

信仰心にも厚かったボスは、まさにしかるべく生きてきたように思う。まだ死に神は来ていない。頑張れボス!!。



2007年09月05日(水) 今日の出来事。

今日もつつがなく一日が終わろうとしている。まずは今日の出来事を書いておこう。仕事、見事に成功。一応プロならば、成功して当たり前か?。出費は5千円。立て替えだ。これは痛かった。まあ、あとで、回収すればいいか?。

田んぼの緑と、雑草の緑が異様に美しかった。去年の今頃もこうだったのか思い出せない。稲穂はすくすく伸びて、暑さにもめげず、豊作を予感させている。おまけと言ってはなんだが、雑草まで緑、緑して変に気持ちが悪い。真夏の炎天下で雑草を一網打尽にした僕の労苦をあざ笑うがごとく、もうこんなに伸びている。勢いまで増しているから始末に悪い。要するに、雑草君との戦いは、僕の気力がなくなるまで、延々と続くこになるだろう。

夜は、パソコンで無料のホラードラマを見た。どうも後味が悪い。なにか、すかっとさわやかなことはないかと、僕のページを訪れてくれていた人の詩を読んだ。久々に感動だ。感受性が豊で、優しさにあふれてていた。この索漠とした世の中に、まだこういう人もいるんだと、ちょっと嬉しくなった。

すかっと、さわやかになったところで、もう一仕事やろうかと思ったが、その気がすっかり失せた。こういう時は、寝るに限るか?。
良い夢が見れたら最高だ。



2007年09月02日(日) 九月になってもうた。

九月になった。たくさんの思い出を残してくれた八月。連日の猛暑にもめげず頑張ってこれた僕に乾杯。九月最初の日曜日。幾分か和らいだ暑さの中で、雷がゴロゴロと鳴っている。この鳴り方では落ちそうにない。雷が無性に怖い僕は、ほっと、胸ををなで下ろす。僕は思い出にひたりながら、人一人っ子いない事務机に向かって、この備忘録をしたためている。

恩師からハガキが届いた。先月の古稀お祝いのお礼と共に、僕が贈った「古稀お祝いの手記」について、苦心の作?、玉稿だと言ってほめてくれた。国語の先生からほめられりゃ、言うことなしだ。ちょっと、面はゆい気がした。

僕も同級会場で撮った写真を先生へ送ろうと思っているが、どうも、今ひとつ気が乗らない。というのも、先生をはさんで右側には奥方。左側には、我がクラスのマドンナといわれた同級生の美女が写っている。二人の女性はにっこり笑っているが、どちらが奥さん?と言われてもよさそうな状況。こりゃ、まずかったか?。考え過ぎかもしれないが、とりあえず、手元に置いて、時々眺めて、僕が堪能することにするか。

世の中に目を転じれば、政治や大相撲の世界のごたごたと、人心を逸した事件ばかりが目立つ。地球環境も最悪の状態だ。「美しい日本は一体どこにありんすや?」と言いたくなる。マスコミの功罪も大きい。何か事があると、「だぼはぜ」みたいに食らいつき、延々と放映する。今、日本人は連日放映される事件には辟易している。むしろ、心温まる人心のふれあいや、力強く生きている日本津々浦々の人々の姿に大いなる夢や期待を抱いているはずだ。そんな姿にこそ、「美しい日本」があるような気がする。

そうそう、忘れずに書いておこう。僕が朝顔と思っていた花は実は夕顔。正確には「夜顔」というらしい。どうもおかしいと思っていた。朝には咲かないで夕方から夜にかけて、真っ白い大輪の花を咲かす。なるほど。うまく名前をつけたものだ。夜顔かあ・・・・・。僕自身の夜顔は、ネオン街で真っ赤な顔をして焼酎をあおっている顔だ。大違いだぜ・・。千鳥足で、真夜中、玄関口にさしかかると、花の夜顔は、待ちくたびれて首がうなだれ気味。おまけに、開かずの間。合い鍵をさがせど、ひとしきり見つからない。これじゃーーー、ダブルパンチだぜ。

九月はそう言うことがなきようにと「アーメン、なんまいだー」と、唱えてはいるが、まだ片足を踏み込んだばかり。どうなることやら?。九月の終わりが楽しみだ・・・。




umityan |MAILHomePage

My追加