umityanの日記
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2006年01月31日(火) 明日から如月だああ・・・。

一月もとうとう最後の日となった。歳月人を待たず。まさにしかりだ。一月を振り返れば、ただただ忙しい毎日だった。そんな中で、唯一の慰めとなった出来事は、のりちゃん先生と再会し、懇親を温めたことかもしれない。

彼は昨年10月ごろ、膝の手術をして以来、夜の社交から遠ざかっていた。年が明けて、どうしているかなと気を揉んでいたが、ここ10日ばかりの間に、三回も会うというハプニングが起こった。

最初、どちらからともなく電話をかけ、見事、回線が接続。少しの時間ということで、酒席の宴を持った。彼にとっては久しぶりの焼酎だったらしく、恐る恐る、グラスを口に運んでる姿がおかしかった。僕の方はお構いなしにごくり、ごくりと。然して、最初の再会は1時間半程度でお開き。一日置いて、二回目の再会。よほど、焼酎がうまかったのか、お代わりが弾んだ。僕もタイミングよく彼に合わせた。話す事柄は多方面にわたり、ママを交えて愉快なひとときとなった。時間にして3時間程度だ。まあ、二回目までは二人とも、丁寧語をつかうほど、慎ましやかだった。

かくして三回目の対面は昨日の月曜日だ。夜8時頃会い、12時ちょっと過ぎまで二店舗を徘徊した。三回目となると、すっかり意気投合。後は海となれ山となれの勢い。とは言いつつも、僕たちも紳士。立つ鳥、跡を濁さずの格言はちゃんと守っている。

周りからみると、僕たちはよほど気が合うらしい。男同士の恋人なんて、嗚咽がでるほど気持ち悪い。多分、彼と馬が合うのは、同い年で、似たような境遇をたどってきたからかもしれない。と、同時に、利害関係が絡まない職業に携わっているからだろう。さらに言えば、彼は単身赴任で、そう親しい友人もいなく、ざっくばらんな僕が、格好の酒相手ということになるか?。
そういう状況の中で、僕の一月が暮れた。

明日から如月だ。二月は逃げる月。瞬く間に、過ぎ去ってしまいそうだ。置いてきぼりを食わないようにしなくちゃ。昔、武者小路実篤さんが言ったっけ。「僕の後ろに道はない。僕の前に道はある。この道を行こう」である。
気負ってしまうと、なんだか身震いを感じる今宵である。

とりもなおさず、明日は静かな朝を迎えよう。


2006年01月28日(土) 正月も遠くになりにけり。

ふと、気がついたらもう1月も終わろうとしている。正月は遠くになりにけりである。僕はといえば、正月5日に実家へのとんぼ返りの帰省を済ませた。それは良かったが、翌日から嵐のような仕事が僕の体を占領した。二足のわらじを履いているから、仕方がないといえば、そうであるが、さすがにくたくたの連続だった。かくして日記をしたためることも、紐解くこともままならず、今日を迎えてしまった。これ以上、書くと言い訳が嘘みたいになってしまう。止めておこう。

僕の身辺もさることながら、その間、世の中は色んなニュースで盛りだくさんだった。良いニュースならまだしも、生きていくことにためらいさえ覚える暗いニュースばかりだ。なかでも、雪国の人たちのいまだかってない積雪との激闘の姿には、ただただ頭が下がる。自然の脅威をまざまざと見せつけられた感じである。日本のみならず世界のいたるところで、このような異常気象が起きているようだ。一過性のものなのか、これからも、同じ状況が続くものなのか良くわからないが、人間はもっと謙虚な気持ちで自然を見直し、用意あれば憂いなしで、万全の対策を講じておく必要があるだろう。

自然現象もさることながら、社会現象も異常さを呈している。耐震偽装の問題や、株取引にまつわる不透明な金の流入、流出。ブラックボックスのなかでは何が行われているか見えない。見えざる手が「濡れ手に粟」という大枚を稼ぐという社会現象はいががなものか?。昔、恩師が言っていた。「法は弱者を救済するためになければならない。正直者が馬鹿を見てはいけない」。確かにそうだと思う。果たして、いまや法は弱者のためになっているのか?。なんとも言い難い。ホリエモンさんのような若手事業家の台頭は、世の中に新風を送り込み、好ましいことではあるが、「健全な体に健全な精神が宿る」という言葉にもあるとおり、まずは健全な体を作ることが肝要ではなかろうか?。

久々に吠えてみたが、他人事なら何とでも言える。人の振り見て我が振り直せ。自らも色んなことを教訓として、わが身を律していかねばなるまい。せっかく授かった生である。お天道様の方を向いて、ひたすら生きよう。


2006年01月04日(水) 予定が狂い、今日も能天気でした。

早、正月4日。世の中が少し騒がしくなりつつある。「いやだなーー」と思えど仕方がない。来年の正月が待ち遠しいなんて言ったら、人が笑うだろうな。とりも直さず、今日は終始、寒い曇り空だった。

今日の予定は故郷の地を踏むはずだったが、急遽、仕事が入り、明日に延期した。自営業とはこういうものだ。頼まれると断られず、「はいはい」で、そちらを優先してしまう。故郷はいつでも帰れるから、気が楽ではあるが、イエスかノーをきちんと言える人間にならないと、親の死に目にだって会えないかもしれない。僕の仕事も因果な商売だ。おまんまを食べるのも大変だ。

仕事の後、気を取り直して年賀状の整理をした。ふと、気がついたことだが、最近の年賀状はほとんど、直筆がなくなった。表もそうだが、裏側は個性豊かな「わんちゃん」のオンパレードだ。昔は、干支の絵柄に、何かコメントを書いたものだが、そのコメントもほとんどない。僕もそうだから、偉そうなことは言えないが、想像するに皆、忙しいんだと思う。

言い訳かもしれないが、僕の場合は、ボスから170枚、また別の先輩から70枚の年賀状作成を頼まれ、我がプリンターで作成した。もち、ロハである。その後、我が年賀状に取りかかった。表はパートさんに出してもらったが、裏は自ら作成。適当な素材を選んで200枚ばかり印刷。友人知人家族・ビジネスA・ビジネスBと三種類に分けて印刷。図体のでかいわんこちゃんを挿入したために、余白も少なく、到底、文字を書き込む気が起きなかった。

どうもこの辺が、昔に比べて、僕の神経が図太くなったところだろう。安易に流されてしまった。痒いところに手が届くことが僕のモットーなんだが、いざ、自分のことになると、結構、手を抜いてしまう。喪黒福造スタイルの僕だ。背中に手が回せないのも仕方がないか?。

これまた、今年の反省すべき点である。おっと、これは去年の話だ。今年は、まめに徹した僕ちゃんでいこう。そう、決意を新たにしているところである。

正月早々、能天気なことばかり書いてしまった。これも、ここ数日、ゆっくらーとし過ぎたために、気が抜けてしまったのだろう。もうしばらくしたら、顔を引き締めて、喧噪渦巻く娑婆世界へ戻っていこう。そうすべー。


2006年01月02日(月) のんびりとした我が書斎にて。

世の中の動きが止まってしまったような正月二日。都会はどうなのかは知らないが、田舎は人一人っ子、通りやしない。時折、思い出したかのように車が走る。誰も来ない書斎の中で、僕はパソコンとにらめっこしながら、帳簿の整理に明け暮れた。恐らく、明日まではゆっくり出来るだろう。4日には母のいる故郷まで、とんぼ返りをしようと思っている。人様が仕事で故郷を離れるとき、僕は故郷に帰省だ。これも、我が身が背負った運命である。素直に受け入れなくちゃ。

最近、母は膝小僧が痛いらしく、歩くのもしんどいらしい。老いていけば誰しも、体のどこかに変調を来す。これは致し方のないことだ。幸い、僕は絶好調とまではいかないが、そこそこ健康のようだ。友人とも会おう。友人の母が12月他界した。線香を手向けよう。

それにしても、今日は良い天気だった。寒いながらも、外は車が通らないせいか、空気がきれいである。人口が減って、車に乗る人が減ると、空気はもっときれいになるのだろうか。外の空気を吸いながら、ふと、そんなことを思った。

後数日もすれば、正月の静けさが嘘のように、社会全体がごった返す。いつもながらの風景だが、そんな風景の中で、翻弄している自分の姿が見える。
やはり、僕も社会の落とし子なのだ。社会の喧噪を逃れて生きていくことは出来ない。そう言う意味でも正月の静けさは意義がある。

それはそうと、ここ数ヶ月、はまっているものがある。何かと言えば韓国のドラマを見ることだ。特に「チャングムの誓い」とか、「海神」とか言うドラマは最高。次の配信が待ち遠しくて仕方がない。何にもまして、女優さんが美しい。「イ・ヨンエ」さんとか、「スエ」さんとか言ったっけ。見事な美しさにほれぼれ。昔は999の「メーテル」みたいな女性にあこがれていたが、これはアニメの世界。「イ・ヨンエ」さんとか、「スエ」さんは実在の人物。なんでも、イ・ヨンエさんに会うツアーも出来ているそうだ。それに参加することは無理としても、「神はかくも美しき女性を創造なさったのか」と、その感動のみで我慢しておこう。

もちろん、ドラマという虚構の世界を覗いての感動であり、現実の彼女たちの姿はもっと違ったものかもしれない。事実は小説より奇なるという。ただ、索漠とした世の中で、生きることの勇気を与えてくれるこのドラマに乾杯だ。早くラストシーンまで見たいことよ。




2006年01月01日(日) 一月一日。正月。元旦。

一月一日、正月、元旦。明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。毎年年賀状に書く冒頭の言葉だ。昔、誰かが言っていた言葉を思い出す。「よろしくお願いしますとは何をお願いするのか?」と。確かに考えてみればそうだ。お願いするなら、就職のお願いか?。お見合いのお願いか?。借金の返済延長をお願いするのか?。何か、お願いの対象物がなければいけない。その辺が日本語の曖昧さである。曖昧だが、「ツーカー」で、「お願いします」の中に隠れている人の感情を読み取れる。要するに、去年と変わらない人間関係をお願いすると言うことだ。この辺が外国人にはよく理解できないことかもしれない。僕もあらためて、この紙面を借りて、「今年もどうぞ宜しくお願いします」と、書かせてもらおう。

また、年賀状は、新年の挨拶を述べるのは、もちろん良いが、日頃、ご無沙汰しているから、せめて、正月くらいは自分の近況を知らせる内容にしたいものだ。これも、僕が言った言葉ではなく、何かの本に書いてあった。

「あんたはそうしたの?」と聞かれたら、ああ、恥ずかしや。我が出した年賀状とくれば、忙しさににかまけて、カラープリンターで印刷した、「わんちゃん」の絵柄のみ。犬が座布団に座って、お辞儀をしている姿だ。取引先にはこれも良いかもしれないが、あまりに味気ない。正月早々、反省だ。僕の怠慢をどうぞ許してください。正月早々、反省するとは、先が思いやられる。

それはそうと嬉しいニュースが一つ。三十枚買っていた宝くじで、5等賞3000円が一本当たった。300円が三枚だから、3900円、39パーセントの払い戻しだ。6100円で夢を買ったと思えば安い買い物だ。ただ、一つ憤慨したことは、宝くじ売り場で、「バラ30枚」で買ったはずが、なんと、連番30枚が入っていた。バラと連番どちらが良いのかわからないが、夢を喰うにはバラが最高だ。確認もせずにカバンの奥深くに放り込んでいた。「果報は寝て待て」と言うから、十分に睡眠をとって、思い出したようにネットで当選番号を検索。5等一本に遭遇。果たして、バラだったら、どうだったのか?。恐らく、900円をのぞいては全滅だったかもしれない。あるいは5等以上の当選が?。まあ、これは期待できない。

とりあえず、正月の一日は、こんな案配で、ボサーッとしながら暮れていった。日頃と変わりなく飯を食べた。いつもより、ご馳走があったが、僕にとっては雑煮を食らうだけで十分。正月の食い過ぎは体にもたれるんだよなーーー。てなわけで、僕は数年来、粗食でがんばっている今日このごろです。

はや、今日も4時間を残すばかりとなった。明日は2日。何をしようかしら?。今思案中である。




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