umityanの日記
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2005年03月30日(水) 予期せぬ出来事。

3月が終わろうとしている。まだ、3ヶ月しか経っていないのに、身の回りに予期せぬことが頻発した。地震はその最たるのもだ。これぞまさしく人生。生きていれば否応なく、色んな事態に遭遇する。

叔父が入院した。母の弟である。故郷へ車を走らせ、母と見舞いに行った。集中治療室に叔父がいた。体中の至るところに管が這っていた。ベッドの回りには、おびただしい数の計器類。あるものは支柱にぶら下げられている。この痛々しい光景を見て、慟哭せずにはいられない。

幸い叔父には意識があった。また、耳も聞こえるようだ。ただ、口には大きな管が入れられていて、しゃべることは出来ない。母と僕は見舞いに来た事を告げた。叔父は目に涙を浮かべ、細った手を差し出した。母も僕もその手を握った。叔父は指に力をいれ、握り返してきた。嬉しかったのだろう。いつまでも、いつまでも、手を握りしめるので、僕たちは手を離すタイミングを失した。わが身の情けなさと、心ぼさと、恐怖心と安堵感と痛みが複雑に脳裏を支配しているのだろう。

僕は造り笑顔で、「おっちゃん、心配せんでいい。もうすぐ、この部屋から出られるから。一般病棟へ移れるから。大丈夫、大丈夫。しっかりせにゃーーー」と言葉をかけた。叔父はあいかわらず、目じりに涙を浮かべていた。看護婦さんがそっと、ガーゼで涙をふき取った。

叔父との思いではあまりに多すぎて、書ききれない。叔父は結婚して養子にはいった。奥方の両親に気をつかってか、よく、日曜日には釣りに出かけていた。僕が、そのお供をしたわけだ。夕方暗くなるまで、川や沼みたいなところで、釣り糸をたれた。叔父は、懇切丁寧に釣りの指導をしてくれた。また、色んな話をしてくれた。僕にとって釣りは、当時の楽しみの一つだった。

獲物を、「うてめご」とか言ったかなーーー?。竹で編んだ篭にいれ、えいこら、えいこらと畑道を歩いて帰った。獲物はそく、ばあさまや、奥方が料理した。僕は晩ご飯をよばれた後、家路についたものだ。叔父は名残惜しそうに僕を見送ってくれた。また、ある時は、我が家まで送り届けてくれた。当時は、小さかったせいか、理解できなかった。何故に、叔父が僕をいつまでも、引きとめようとするのか?。僕が、かわいい坊ちゃんというわけでも無かろうに。その理由が分かったのは、一端の大人になってからである。

叔父はご養子様。そして、この僕もそれに近い立場に身を投じた。「帰りたくない症候群」になるのもうなずける。そういえば、友人の安さんも、井さんも、同じような境遇。夜遊び好き、酒好き、女性好き、カラオケ好き、仕事好き。皆、帰りたくない症候群の仲間である。不思議なものだ。類は類をよぶのか?。ただ、叔父んの名誉のために、付け加えると、叔父は夜遊びやカラオケが好きというわけではなかった。時代背景が異なる。

昨夜、母から電話があった。ようやく、叔父の口に入れられていた管がはずれ、口も利けるようになり、回復に向かっているそうな。良かった。叔父よ頑張れ!!と、今、心から叫んでいる。

人間が避けて通れないものに死がある。おそかれ早かれ、誰もが宇宙の塵となっていく。僕の願いは、夢をみているような状態で、「すーーーつ」と、現世とおさらばしたいということである。それまでは、がむしゃらに生きてやるぞ。




2005年03月26日(土) 品行方正は三文の徳だ。

今日はどんよりした春曇。なんでも、四月上旬の温かさだったそうな。まあ、三寒四温というくらいだから、温かくもあれば、寒くもあるわけだ。季節の移ろいの一貫だ。誰かの言葉ではないが、既に予想された範囲内だ。

久々にゆっくりできる土曜日だった。たっぷり寝てやるぞと思ったが、生来の貧乏性が災いし、いつも通りに起きてしまった。というのも、昨夜の品行方正が功を奏し、すかっと、さわやかな僕ちゃんで、今朝は登場したわけだ。

昨夜は、のりチャン先生から、夜8時ごろテルがあり、「軽くやりませんか?」という。僕は既にたらふくまんま。「焼酎なら、少々、付き合ってもいいか。お腹に罰はあたるまい。」、ということで、和服ママがいる小料理屋へ出かけた。雑談に花を咲かせながら、僕は焼酎、のりちゃんは、腹がすいていたと見え、小料理に舌鼓をうった。

しばらくして、ブルガリアと、キルギス近くの国から留学している研究生二人がやってきた。ママも僕たちは既に顔見知り。ママを交えて五人、英語での会話となった。いやあ、さすがに、のりちゃんは流暢に英語を話す。ママも、数年来、英会話を勉強しているとの事で、なかなかのもの。もちろんこの僕も・・・と言いたいところだが、まああ一番下手なのは、僕だったようだ。

彼らはビールを好んで飲んだ。いくら飲んでも、けろりとしている。なんでも、あちらの人たちは日本人のように酔わないのだそうだ。お見事。お見事。
僕がロシア民謡が好きだと言って、「トロイカ」だったっけ?、口ずさんだところ、彼らの一人が、ロシア語で歌ってくれた。哀愁を帯びた力強いロシア語がとどろいた。いやああ、ロシア民謡っていい。僕は痛く感激した。彼らはビールをひとしきり飲んで、再び研究室へと戻っていった。僕達は、see you again.と言いながら固い握手を交わした。

国際交流もいいものだ。僕たちは、いい気分で焼酎を乾した。腹ペコの、のりちゃんは最後に、ママに雑炊を所望。大きな器に、特別製かとも思われる雑炊が登場。彼は子供のように、スプーンで貪り食った。単身赴任すると、僕もこうなるのかなーーーと、冷ややかに笑いながらその姿を見つめていた。
すっかり二人とも酔い気分になり、時計を見ると午後11時過ぎ。さあ帰るぜ----と、ごあいそを。なんと彼らにビールを振舞ったにもかかわらず、安い料金。その時思った。善行はほどしておくべきだなーーーなんて。
二人、仲良く代行車で帰還した。もちろん、0時前である。これぞ、まさに品行方正そのものだ。僕だけがそう思っているから始末に悪いが・・・・。

さわやかな朝で登場した僕だが、今日は来客の予定もなし。久々のゆっくりも貧乏性の僕には退屈な時もある。さてさて何をしようかと思案した末、仕事の遣り残しに着手した。これが良かった。書類に重大なミスが見つかった。一枚の書類でまとめていたが、それでは通用しないことが判明。書類を二つに分割しなければならない。何たる僕のミス。安易に物事を考えていたことがいけなかった。気がついて良かった。良かった。これも品行方正のなせる業か。

即、修正の書類を作成。事もなく終了。これで、明日の日曜日も、ゆっくり出来そうだ。やはり、「眼光支配に徹す」と、言うがごとく、隅々まで書類を推敲することが肝要。それがプロというものだ、とかなんとか、つぶやきながら今に至っている。




2005年03月25日(金) 電子化と情緒の戦い。

うって変わったような見事な晴天。心地良さを覚ゆ。やがて桜の花が咲くだろう。いみじくも、与謝野晶子が歌ったっけ。「祇園よぎる桜月夜 こよい会う人、みな美しき」。桜の花に引き立てられて、皆美しく見えると言うわけだ。桜の時期になると、いつもこの歌を思い出す。情緒豊かな日本人の心に乾杯・・・・。なんやかんやと言いながらも、日本は平和だ。その平和にどっぷり浸かって、いまや、抜けだせない今日この頃。

世間を見回すと、今日はサッカーのイラン戦が催される。イラン側サポーターの熱狂振りには驚かされる。やはり、これも愛国心の表れだろう。そんな中で、比較的おとなしいのは日本人である。やはり、日本人は、与謝野晶子の歌のように、秘めたる情熱で、内をこがしているのだろう。はたして、今日の視聴率は何パーセントにはねあがるやら。人ごとのように言っている僕も無関心ではない。今から心が騒いでいる。

片や、フジテレビとライブドアの経営支配権をめぐっての攻防も興味深い。資本主義社会にあって、企業買収はよくあること。所有と経営の分離が特徴である会社制度。所有しているのは資本。資本を50%以上所有すると、経営面をほぼ、自由に動かすことが出来る。新らしい風を企業に送り込むことは、長い目で見れば必要かもしれない。とは言え、守ることも必要だ。これも戦いである。いずれが勝利するにせよ、切磋琢磨してよいよい企業を構築していかねばならないだろう。

最近、とみに感じる。電子化の波が否応なく我々日常生活の中に入っていると。時々心配になる。この波に乗っていけるんだろうかって?。今でも、悪戦苦闘のこの頃。その顕著たるものの一つがペーパーレス化。やがては、手書きの書類はほとんど無くなるかもしれない。いろんな書類がインターネットで処理される。ただ、キーを打ち込むだけ。字を手書きすることが無い。年賀状や暑中見舞いの葉書の作成だってそうだ。昔は、ミミズの這ったような字で、したためたものだ。今や、60パーセント以上が機械文字である。見た目は美しい。ただ、如何せん、機械文字には情緒が感じられない。世にあまたといる美人と同じだ。心の中を知って、「あああ、中身も美人だったんだ」と初めて分かる。

世はスピード時代だ。内容がきちんと伝わればそれでいい?。効率の良いビジネス社会とはそういうものかもしれない。情緒は必要ない。そう思えど、ただ、なんとなく淋しく感じる。情緒は今いずこ?。機械と情緒が融合すれば一番言いのだが、やはりこれも戦いかもしれない。、情緒とそれを排除しようとする機械がしのぎを削る、この戦いをおさめる一番良い方策は、情緒を持った機械が開発されることかもしれない。

僕の場合はどうか?。以前は私的なものは、ほとんど手書き。ビジネス的なものは機械文字と使い分けていたが、最近、その区分けも定かではなくなってきた。私的なものでも、機械文字に頼るようになってきた。こうなると、字を書く機会がどんどん減る。時々、手書きすると、我が字の下手さに驚き、機械に頼る。これがいけないんだよなーーーーー。下手でも、愛情が込められていればいいわけだが、つい、見かけの美しさにとらわれてしまう。機械文字は達筆だからなーーー。ラブレターも、最近は携帯メールが主流とか?。即座に言いたいことを伝えられるから便利である。別れる時も「はい、さようなら」か。
携帯電話の前で、「おいおい」泣くことになるのだろうか?。
そういえば、時々、携帯電話をもって、歩きながら涙している若い女性を見かけることがある。愛の別れか、何かの不幸か?、喜びの涙か?。詮索する由もないが、昔は見かけることもなかった光景である。

ところで、僕は何を書きたかったのか分からなくなった。どうも、世の中は、いろんな面において、文明の利器と情緒の戦いであるような気がする。共存共栄ならいいのだが、情緒が置き去りにされていくような・・・・?。そんな不安を覚える。そのことを言いたかったのかもしれない。







2005年03月23日(水) 味とは何だ?。

今日はしとしと雨。昨日はかなり激しい雨。雨が好きな僕も、地震の後の雨は、なんとなく敬遠したくなる。

そうも言っておられず、朝から県庁まで飛んだ。懸案だった書類を提出。無事に完了。すぐさま我が家へ引き返した。午後からは本業と思しめしき仕事が待っている。その間隙をぬって、この備忘録をしたためている。

独楽鼠みたいに、ちょろちょろょろするのが好きな僕。一時もじっとしておれない性分。風呂に入ってもカラスの行水だ。よくよく、僕は貧乏性の男に出来ているのかもしれない。何かをしていると、すぐ次のことを思い浮かべる。思いついたら、即実行しないと落ち着かない。従って、何でも早くなるわけだ。風呂も、飯も、仕事も、商談も・・・・・。

綾小路君麻呂さんが言っていた。「どういう人がぼけないか?」って。最初からぼけているような人。医者も判断がつかない・・・。もう一つは貧乏性の人。とりあえず、今日、明日、あさってのことを考えなくてはならない。小銭を数える機会が増えるから、ぼけている暇などないというわけだ。うんん、そう言われればそうかなあーーーーー。まさに僕にはぴったりの言葉かもしれない。僕はぼけないぞ-----。

ただ、一つの例外。それは遊びだ。これには結構、熱中する。古今東西、皆がそうかもしれないが・・・・。中でも、友人達とわいわいやって、酒を酌み交わし遊ぶこと。これは 至上の喜びと言っていい。ただ、不思議なことに僕は酒がそれほど好きではない。飲まなければ飲まなくていい。この心は?。

要するに僕は人が好きなだけだ。人はそれぞれに味を持っている。自分に無いその味を味わいたくて、人に興味を持つわけだ。好意を抱いた人なら
「もっと、もっと長く、そこにいたい」。こう思うのは人間の常か?。

おっと、時間が迫った。味について、もっと書きたいが、あ・と・でーー。
やはり、急いでいると、文章も字も支離滅裂だ。


2005年03月22日(火) まずは身の安全から。

今日は、つつがなく過ぎたと言いたいところだが、昨日来の余震の恐怖で、身も心もおだやかではなかった。仕事も湿りがちだぜ・・・。日本列島は地震列島。何度も聞き、聞かされた言葉が身にしみる。

我が家を訪れたボスが、いみじくもつぶやいた。「こんなに地震が多けりゃ、日本列島も、いずれ沈むばい」と。なんだか、そら恐ろしくなった。地震が縦断して起きているような気がする。

昔、小松左京という人が書いた、「日本沈没」という本を思い出した。テレビ化もされた。当時の僕は、単なるSFの世界だと一笑に付していた。いまや、笑えるような状況ではない。

地球も生命体だ。おなかの具合が悪くなることもある。感情があるなら、怒りもあるはずだ。今、地球は人知れず怒っているのかもしれない。怒りを押さえる手立てはないものか?。

今のところ、特効薬はなさそうだ。近未来には自然災害を完全に予知し、防御できる方策が開発されているだろう。悲しいかな、その時、僕はこの世にいないかもしれない。既に宇宙塵となって、どこかの空間を漂っているはずだ。

悲しいことは書くまい。そんな先のことを考えても仕方がないではないか。まずは、出来る一歩から身の安全を図っていくことが先決のようだ。そうすベー。そうすべー。




2005年03月21日(月) 地震から一夜明けて。

地震から一夜が明けた。天災は忘れた頃にやってくるというが、まさにそんな感じだ。昔、怖いものの象徴として、地震、雷、火事、親父とか言っていたが、生誕以来、ほとんど経験していなかった地震の脅威を、まざまざと見せ付けられた。

離れの縁側にいた僕は、母屋が左右に揺れ、今にも倒れそうになる光景を目の当たりにした。「あっ、あああっつ・・・」と声をあげれど声にならず。何秒が経過したのか分からない。恐怖の中で、必死に柱にすがり付いていた。体がガタガタ震えた。外に飛び出そうとも思ったが、瓦が落ちてこないかと案じられた。

何とか、家は元に戻った。真ん中に戻ったかどうかは定かではない。家屋の継ぎ目が解離しているかもしれない。さあれど、身が無事だったことが幸いだ。

とりもなおさず、被災のひどかった方々に、心からお見舞いを述べます。

驕らず、油断大敵、備えあれば憂いなし。急がば回れ、次から次へと、そんな言葉が思い浮かんだ。

考えてみると、人間は自然の驚異に対しては無防備だったような気がする。行政側も、いつ起こるかわからない自然の脅威に対して、大きな予算を投下することには躊躇があるだろう。豊かさと繁栄を求めるのはよいが、地球環境の研究にもっと、多大な予算を割いてもいいのではないだろうか?。どんなに繁栄した文明も自然災害で一夜にして灰になる。地球史の中で幾度もそんな経験をしているはずだ。人間の英知を結集すれば、克服できない命題ではない。

以前、書いたかもしれない。今のところ、SF世界の話と一笑されそうだが、たとえば、台風が来そうな場合、いち早く察知して、台風の目とやらに、飛行マシーンで飛び込み、台風の渦に逆風を送り込み、渦を抑えてしまうとか。
やったぜ、ベイビー。

地震の場合は、やはり、いち早い予知が必要かもしれない。予知した後、即、ドリルの親分で、地中10キロか30キロか分からないが、フル装備で潜り込み、ずれそうな断層を逆の力で固定し、たまったエネルギーを地表へ放出し、平常な状態へ復元する。頭の中では出来そうでも、これが出来ないんだよなーーー。なんとなれば、活断層も文字通り生きているわけだ。結局は、英知と英知の戦いとなる。勝利せんが為には、今からでも遅くは無いだろう。更なる、研究に力をいれて、活断層をなだめる術を獲得する。こうなればしめたものだ。

他人任せの話になって、申し訳ないと思う。自分に出来ることは、「備えあれば憂いなし」という意識を常日頃より喚起し、まずは足元から一歩一歩、生き残る術を学んでいくことだろう。

一日も早く、災害の無い美しい地球が復活することを願って、今日の結びとしよう。




2005年03月19日(土) 僕には似合わないが、芸術鑑賞の春か。

今日も良い天気になった。やや肌寒い。屈強をとりえにしている僕も、寒さには脱帽のようだ。早くに、暖房をいれて、縮みあがっているから情けない。

こんな時は、興味ある分野をネットで探索して、お部屋遊びをしようと、あちらこちらを覗いてみた。思わず釘付けになってしまうようなページに、たくさん出くわした。中でも、芸術家と言われる若い人たちの写真や、創造された人形(ドール)の画像を見た時、正直、「ぞっ」とした。「怖いけど見たい」。そんな感じだ。特に人物写真や造形の人形は、「人間って何だ?」と、哲学的命題を問いかけているような気がする。目の表情・・・・。死んでいるのか、生きているのか分からない目。きりりっと、どこかを見つめ、その瞳の奥には、愛と憎悪、躍動感、喧騒感、退廃、死の恐怖、いろんな心が集約されている。だから怖いと感じるのかもしれない。「おれは違うんだ」と言いながら、まさに、一刻、一刻、変化していく自分の表情を垣間見ているのかもしれない。芸術の「ゲ」の字も分からない、門外漢の僕が、「ぞっ」とするくらいだから、芸術とは「人を魅了する何かを持っているもの」と言えるのかも。

僕の友人夫婦が絵描きをやっているので、時々、作品を見る。やはり、魂の爆発がキャンパスに感じられる。高校時代は互いに、はなたれ小僧だったのに、今や一端に人間を表現できる大人になっているなんて、信じがたいことだ。友人だからこそ、こういう辛らつな言葉で言えるから嬉しい。

昔、サラリーマン時代に、良くトップから「プロに徹せよ」と言われた。プロに徹するとは、どういうことか最初、分からなかった。何かの資格を取ると、プロかもしれない。会社にも貢献できるし、生業として独立すれば、飯が食えるようにもなるだろう。となれば一応、プロだ。プロはプロでも、ピンからキリまである。この差は一体、何なのか?。

僕に分かるはずも無い。あえて、思いついたことを言えば、人がそれぞれ持っている人間性の差かもしれない。人間性と言ってしまうと、これまた難しいが・・・・。魅了してやまない、魅了されてやまない作品も、その人そのもの。その人自身なのだ。こうなると、もう、「プロ」とかいう言葉を超越している。作品から作者を好きになり、あるいは、作者の素顔を見て、作品を好きになることもある。結局、そのどちらでもいいわけだ。作品も作者もその人、そのものだから。要は作者の人間性が、自分の心琴を震わすかどうかだ。

いやああ、ちんぷんかんぷんな話になった。今日は彼岸入り三日目。プロを超越した先人達に、そっと手を合わせるには、もってこいの日。ただ、ひたすら合掌・・・・・。


2005年03月18日(金) 薔薇の花からチョコレートへ。

昨日の雨がうそのように、今日はすがすがしい良い天気になった。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、それに相応しい今日である。

今朝は昨夜の品行方正が幸いしてか、早くに目が覚めた。庭を見やると、なんと縦横無尽に木の葉が散りばめられていた。「よっしゃーーーー」とまずは庭掃き。結構、重労働ながら清められた庭はそれなりに美しい。

先輩の奥方は庭を薔薇園にして楽しんでいる。掃除ついでに、その奥方から頂いた薔薇の苗木が見たくなった。ついぞ、忘れてほったらかしにしていたが、見事、つぼみが吹いていた。棘があれど、思わず触れてみたくなるような衝動が・・・・・。自ら植えたものが育つ姿を見るのは楽しいものだ。花とは無縁だった僕にも五分の魂があったのか?。

薔薇の花と言えば、若かりし頃、燃えさかる情熱の象徴として、「いとしい人」にささげたことがあった。そんな時、相手は一様に、「まあ、きれい。うれしいわ」と言う。問題はその後だ。むぞうさにテーブルに置かれるか?。そく、花瓶に入れられるか?。この違いによって、相手の心情を察することが出来る。世間知らずの子供だったあの頃は、ただ受け取ってもらえるだけで、有頂天になったものだ。「わーーい、わーい」と喜んで、勘違いしたことがたびたび。

今は違う。やっと、大人になり、冷静に状況を眺めることが出来るようになった。花を贈ったとき、そく、花瓶にいれてテーブルにまで運んできて、一緒にめでながらすするコーヒーは最高に美味い。実に奥ゆかしく優しい人だと思わずにはいられない。

ところで、最近の若い女性の動向はいかがなものだろう?。「今、花瓶が無いから、あとで、いけとくね」と言い、台所の食器洗いのボールかなにかに浸けておく。まあ、ここまではいいだろう。ただ、いただけないのは、ポンとテーブルに置いたまま、話を優先してしまうことだ。こういうのは、やはりデリカシーが無い人と言わざるを得ない。これは僕、本位の考え方。相手からみれば、興味のない僕との話を早く片つけてしまおうと言うわけかもしれないが?。

おっと、人のことばかり言っておれなかった。実は僕たちも最近、同じような、いただけない経験をしでかした。僕達とは、僕と、のりチャン先生のことである。二人とも、バレンタインデーの時、ある美人カウンター女性から、チョコレートをもらっていた。ホワイトデーの時、僕とのりちゃんは、なんと、全く同じ包装の同じチョコをそれぞれ同時に返したのである。
これじゃああ、僕達の品位も尊厳もあったものじゃない。何故にそうなったかの理由は言及すまい。受け取った本人は、「まあ、仲の良いこと」と、あきれたに違いない。

薔薇の花からチョコレートへ話が飛んでしまった。すがすがしい今日の良き日に、失敗談に花を咲かすこともないだろう。このへんで止めておこう。


2005年03月17日(木) 傘とハンカチーフ。心温まるエピソード。

やわらかな雨が落ちている。こんな雨は好きである。血気盛んな若い頃は、こんな雨に出会うと、傘を持たずに濡れていくのが常だった。それを、かっこいいと思っていたわけだから、僕もおめでたい人間だ。一体、その心は、何だったのか?。

よくドラマのシーンで見かけるが、びしょぬれになり、軒下で雨宿りしていると、OL風の若い女性が、見るに見かねて、「よかったらどうぞ」といって、傘の片方に入るようにと勧めてくれる。僕は、「待ってました。うっしっしー」と、そく、その親切に応えてしまうだろう。傘が取り持つ縁だ。こんな縁は大事にしたいもの。傘の中で話が弾み、あとは傘でデートだ。ただ、中高年の女性からの親切だったら、当時なら、「いえいえ、結構です。方角が違いますので」とかなんとか言って、ほうほうの体で断るかもしれない。男って、本当に現金なものだ。

ただ、如何せん、この年になるまで、うら若き女性から、中高年の女性に至るまで、ドラマのようなシーンに一度も出くわしたことが無い。人は無情に通り過ぎるだけ。それもそうだ。こんな物騒な世の中では、足早に遠ざかるのが懸命である。犬や猫さえ近寄らない。悲しいぜ。

そうそう、傘ではないが、一度だけ、OL風の女性に親切にしてもらったことがあった。サラリーマンとして入社したある日のこと。先輩達から酒の洗礼を受け、帰りの電車の中で、飲んだものをもどしてしまっ。。目はうつろ、頭はぐらぐら。それを、見かねてか、真向かいの席に座っていた、女性がハンカチを出して、かいがいしく介抱してくれたのである。僕はなされるがまま。回りの人たちは冷やかな目で、僕を眺めていたに違いない。

その女性はハンカチを僕に預けたまま、どこかの駅で降りてしまった。名前も告げずに。翌朝、僕の手元には、汚れてしまった花柄のハンカチが・・・・。僕はきれいに洗い清め、いつか返さねばと、毎回、毎回、同じ電車の同じ場所に陣取っていたが、会わずじまい。顔さえ定かには覚えていない始末。まさか、向こうから名乗り出てくることはないにせよ、何とか会いたかった。結局、「縁」が無かったのだろう。そのまま時が流れた。
僕が傘を持たなくなったのは、そんな頃からかもしれない。また、同じようなケースに遭遇するかもしれないと、心が傘を持たせなかった。考えてみると、僕も浅はかな男だ。世の中はそんなに甘くはありませんぞよ。

かくして、最近は傘を持って出ることが多くなった。この傘も、持つ人が持てばファッションだが、無骨者の僕のこと。いつも、足手まといになり、かえって、体やカバンをぬらしてしまう。おまけに、どこかへ、置き忘れることもたびたび。傘を持つのもよしあしだぜ・

井上揚水さんが、昔、「傘がない」とか言う歌を歌っていた。今なら、僕は「傘がほしい」と歌うかな?。


2005年03月16日(水) 「愛はいりませんかーーー?」

昨日は母の用事で、故郷へ飛んだ。いつ来ても風景が懐かしい。小学校、中学校へ通っていた道を車で、のろのろと走った。今は車だが、あの頃はランドセルをしょって、30分の道のりを、てくてくと歩いていた。道はちっとも、変わらない。変わったのは人と、家並だろう。

今、同じ道を歩くと、恐らく僕のことを、「見たことがあるやつだなーーー」と、人は思えど、誰かまでは知らないだろう。僕も同様だ。年老いた白髪のおじさん、おばさんたちは、あの頃、威勢良く働いていた人たちだ。どこかに面影があるが、誰かは覚えていない。

時の流れは人を老いさせ、記憶も、薄らいでしまう。住む環境が違ってくると、これはいたし方の無いことかもしれない。ただ、何かのきっかけさえあれば、いつでも昔に戻って会話ができると思う。あえて、きっかけを求めることはしないが、旧友達は別だ。会った瞬間、互いに老けた顔を見合いながら、懐かしさで花が咲く。互いに健康ならば言うことなしだ。ここが、旧友の旧友たる良いところだろう。

それはそうと、最近というか、ここ近年、学校が変わった。昔はオープン・ザ・学校だった。今はクローズ・ザ。学校。何故にそうなったのだろうか?。大きく捉えれば、行政の問題、経済の発展、家庭環境の変化、個々人の価値観の変化、色々とあるだろう。

もっと、細かくみれば、昔は、一様に貧しかった。子供達は過保護ではなかった。子供は風の子といわれ、暗くなるまで外で遊びほうけた。家に帰ると、「じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん」がいた。よく、しかられたが、優しさと愛にあふれていた。友達同士の喧嘩もあった。その喧嘩も、背伸びした子供らの自己顕示欲の衝突で、かわいいものだった。たいした、いじめもなかった。良い先生だと思える人がたくさんいた。お仕置きのげんこつ、びんたもあった。まだまだ色々とある。

しからば、今はどうか?。良い先生の云々は別として、昔と、ほとんどが違うのじゃないのか?。いつの間にか、学校は危険な場となり、学校だけは安全と言う神話も崩れた。

もし、僕に何か言えることがあるとすれば、今は、豊かさに比例して孤独な人が増えたのではないかと言うことである。色んな事件も、セクハラも、いじめも、孤独が生み出した産物と言ってしまっては、大袈裟だろうか?。
老若男女、皆、愛に飢えている。今の世の中は、その愛を埋める機能を持っていないような気がする。

以前、竹中直人さんが演じていたドラマを見たことがある。定かには覚えていないが、直人さん演じる坊さんが、「愛はいりませんかーーーー?」とかなんとか、おらびながら、行脚していく。愛の押し売りではないが、いや、ほんと、まったく愛が欲しい今日この頃である。

愛に飢えた孤独な現代人。愛がもっと、もっと、世の中に、はぐくまれれば、クローズ・ザ学校なんてありえない。事件だって減っていくだろう。
決して豊かさを否定して、昔に戻れなんていっているわけではない。豊かさの中には湯かさのなかでの愛があるはずだ。おごらず、むさぼらず、温かく見守る愛が・・・・。メーテルよ、僕に愛を・・・・・・。おっと、これはよこしまな愛か?。


2005年03月11日(金) 仕事がらみの旅。

今日は久々に遠出の出張だった。遠出といっても、隣の県にいるクライアントに会うために、ほぼ2時間ちょっとのドライブをしたわけだ。近い県とは言え、何年も足を運んでいなかったので、ナビを頼りに出かけたが、相変わらず方向音痴の僕。近くまで来ていても分からず、車を止めて、さる会社の事務のお姉さまに目的地の地図を書いてもらった次第。なんと、ほんの目の前が目的地だった。

正午に会って、昼食を招待された。300年以上は続いているという、老舗の料亭。昔は、遊郭だったとのこと。そこには、坂本竜馬が切りつけたという床の間の柱が、あたかも、何事も無かったかのごとく立っていた。その部屋で、昼食を食べるとは、ちょっと、恐れ多い気がしたが、今はもう歴史のかなた。おおよそ、50畳はあろうかと思われる広間に、ぽつん、ぽつんとテーブルが並べてある。客同士が不快感を感じない空間を演出してして、テーブルが置かれているのだろう?。さすがと思った。

クライアントは、夫婦で来ていた。予約のテーブルに陣取ったが、僕が座らされた場所は、正面が一面ガラス張りで、庭の風景が一望できる席。いやああ、なんと素敵なところだろう。風雨に耐えて生き延びてきた色んな樹木が、目に優しい緑を、生き生きと呈していた。僕の田舎でもこんな場所は少ない。和食のフルコースが設定してあった。たいした仕事もしないのに、こんな接待を受けて、面映い気がした。となれば、仕事に手を抜くわけには行かない。全身全霊で事にあたらねばと、気を引き締めた次第だ。

三人で楽しく会話をしながら、見事な料理に舌鼓をうった。仕事の依頼主は、生真面目な紳士。人生を家庭と仕事にささげてきたのだろう。それを立派に擁護してきたのが奥方だ。あるべき、夫婦増を垣間見た気がした。二人の顔にくもりのかけらも無かった。依頼主が最近、力を入れていると言う通信教育のレポートを見せてもらった。10枚以上にわたって、ある課題について書かれていた。僕にとっても、興味ある課題だ。今、ここでは内容については触れまい。

会食が終わり、その場で仕事の段取りをつけた。帰り際、車で名高い寺社仏閣を案内してくれた。僕の心は仕事を忘れ、歴史が残した遺産に、ただただ畏敬の念を禁じえなかった。先人達の英知が、まさに今という現実を具現している。先人達に感謝せねばなるまい。そう思える旅・・・おっと、仕事だった。

無事に仕事を終えて、クライアントと別れた。「ちょっくた遊んでいくか?」といいう、僕のよからぬ考えが、頭をもたげたが、別の理性がそれを制した。まずは安全に帰ること。それがクライアントに対する礼儀であると。そうと決まれば後は、高速にのるだけ。途中、パーキングエリアに寄り、眠気覚ましに、梅干を乾燥させて黒砂糖にまぶしたような食品を買った。これがすっぱいんだよなあーーー。でもうまい。もひとつ、買ったもぼがある。「ありゃああ、こんなところでも売っているぜ」と、手に取ったものは、綾小路君麻呂さんの初版のCD。二作目は持っているが、一作目は人にやってしまった。再度、購入し高速を笑い転げながら、無事に帰還した。
事故でも起こしていたら、礼儀も台無しになるところだった。

まずはめでたし。めでたしだ。旅はやはりいいもんだーーーー。




2005年03月09日(水) 友との語らい。楽しからずや。

出張延期で、のりちゃんより誘いのテルあり。一発返事で了承。例のごとく車で、迎えに行った。さてと、行き先は?。今日はのりちやんの懸案事項だったらしい、「すしを食べたい。僕のおごりだ」という言葉にほだされて、そく実行。幸い僕もおなかをへらしていた。さて、どこにすべきか?。分からないときは、店舗通の弟に聞くがいちばん。二店舗紹介してもらい、車を置き、タクシーで直行。幸い座敷が空いていた。よく考えてみると僕は二度目の店だった。弟と一度行ったことがある店だ。のりちゃんは初来訪だ。

面と向かい合い、座敷でのりちゃんんと飲み交わすのははじめての経験だ。いつもはカウンターなので、横顔しか見えない。真正面から顔を見るのはひさしぶりになるか?。いやーーー驚いた。意外と顔はこじんまりとしていて、二枚目だ。彼なりに苦労もあるのだろう?と、ふっと思った。彼の目に僕がどう映ったかは分からない。男同士でも、面と向かい合って、二人きりで飲むのはちょっと、気恥ずかしい気がする。ホモちゃんでもあるまいに。

僕たちは最初、上の握りを二人前注文し、飲み物は酒。僕は焼酎でよかったのだが、まあいいかということで酒になった。色々と話がはずんだ。ライブドアと、日本放送の株の話にも及んだ。それぞれの意見をここで言う必要も無いが、激論となり、酒がまずくなるということで互いに妥協。止めにした。僕たちはその間、アラの煮付け、魚の酢の物、鉄火巻き二人前、ほかにエトセトラ。焼酎は互いに5杯以上は、お代わりしたかもしれない。7時から10時ごろまで、3時間も、すし屋に居続けた。回りを見ると、来ていた客は皆、退散していた。

思えば彼との付き合いも5年くらいになるか?。仕事畑は違うが、妙に気が合うのは何故か?。同い年、酒好き、女好き、頭の構造がほぼ同じ。彼はO型、僕はA型。これは何か関係があるのだろうか?。定かにはわからない。
まあ、今、挙げたげた点だけでも気が合うと言えないでもないが、根本を突いてはいないだろう。

手前味噌ながら、根本らしきことを言えば、二人とも、誠実、真面目、純情、女好き、打算的でないことと言えるだろう。そこまで、分析している僕は果たして打算的でないといえるのか?。僕の辞書にはそうでないないと書いてある。ま、それでいいか。

以上を踏まえると、二人とも表面では女性にもてるわけだ。どこへ行っても、あの手、この手でちやほやされる。僕たちは、それに便乗する。これがいつものパターンである。仕事を離れた娑婆世界ではそれでいいわけだ。

ただ、肝心要の現実の世界では、僕たちはそう、もてることもない。尊敬こそされ、生真面目がわざわいして、敬遠されてしまう。恐らく、遊びがなく、退屈を与えるだけで、容易に女性も懐に飛び込めないのだろう。なんたるちあーーーーー。

僕たちは3時間の討論の中で、そのことに気がついた。恐らく、この性分は二人とも変わることは無いだろう。ただ、もの好きの人がこの広い社会の中にいたとしたら、僕達の行き先に一筋の光明を与え、新たな展開を見せていくことになるだろう。メーテルよ、君は今いずこ?。

いやはや、こういう感覚では、その邂逅も、いつまでたってもあるまい。僕たちは笑いとともに、すし屋を後にしたのでした。


2005年03月07日(月) それぞれに、自らの人生を。

昨夜は午前2時まで起きていた。我が、昨年の成績を申告書に記入するために、悪戦苦闘。というより、手書きなら、とっくに終わっているのだが、字が下手な上に、悪い成績で、手までが震えてしまいそう。ということで、会計ソフトを使って、きれいに仕上げようと基本データの入力から、数値の入力を一気に済ませた。そこまでは良かったが、プリンターでいざ出すとなると、結構失敗が多く気に入らない。何度もやりなおして、見事終了。時計を見れば午前2時。ご苦労様と褒めてもらいたいが、まわりに誰もいない。疲れだけが残った。

山の神の言葉が憎い。「あんた、もっと良いプリンターを使わないからよ」ときた。「じゃああ、買ってーーー」と言いたいところだが、そこは僕も男。プライドと言うものがある。失敗はしても、完成したときの喜びが大きい。なにも、プリンターのせいだけにしてはいけない。使えなくなるまで使ってやるぞと、今、意気込んでいる。

ふと、綾小路君麻呂さんの、漫談を思い出した。車の運転を夫婦生活にたとえての漫談である。「皆さん、車はつぶれるまで大事に乗ってあげてください。飛び出すな、○○は急には止まれない。決して、新しい車に変えようなんて思わないことです。時々はマフラーの掃除とかエンジンオイルを入れ替えてください。いずれ乗れなくなるときが来るのです。そのときは免許証を捨ててください」。

いやああ、実に名言である。交通事故防止と夫婦円満の秘訣を見事突いている。我が家庭では、既に、謹んで免許証を返納しているので、何の心配も要らないが。念のため、僕はまだ現役である。

話が脱線した。今日はさすがに、朝からくたくただ。若い頃は二晩三晩の徹夜もなんのそのだった。確かに、体力が落ちたことは否めない。これからは、年々落ちていくのだろう?。ただ、アルコールを飲んだときの二晩、三晩の午前様は翌日、なんとも無いから不思議だ。頭を使わないからかもしれない。良く笑い、熟睡するからかもしれない。そういうことにしておこう。

テレビでやっていたが、160歳まで人間は生きれる可能性があるそうな?。そういう情報が飛び込んでくると、即、実践だーーーということで、長生きの秘訣の妙薬を求めて奔走するのが僕の癖。ワインにグレープジュースに、干しぶどうに、皮付きピーナツだ。さらには、ひじきと酢。意外と簡単に手に入るものばかり。

山の神に言うと、「あんた、そんなに長生きして何すんの?。人様に迷惑かけるばかりじゃなあーーい」と夢の無い返答。「余計なお世話だぜ」と言いたいが、ますおさん的、存在の僕。そうも強く反論できない。わーーーーーーーーん。悲しいぜ。

ますます話が変なところへ行ってしまった。要は、それぞれに、自らの人生を楽しかったと思える一生を終えればいいわけだ。申告書ができあがり、気が抜けたようになり、くだらないことを書いてしまった。十分なる睡眠をとって明日から出直しだ。


2005年03月06日(日) とんだ勘違い。

とんだ勘違い。
午前1時過ぎごろ、日記を書いた。寝ぼけ眼でかいたので、ちょっと、記憶違いがあったようだ。昔、特に好きだった詩に、「白樺」と書いた。よくよく考えてみると、そんな題名の詩があったっけ?。白樺と言えば、千正夫さんの「北国の春」にでてくる歌ではなかったか?。とんだ勘違いが気になり、いろいろと、調べた結果、やっとたどり着いた。好きな詩は、たくさんある。中でも、島崎藤村さんの「小諸なる古城のほとり」、「初恋」、そして、北原白秋さんの、「落葉松」などが特に好きである。
勘違いしていたのは、落葉松を白樺と思い込んでいたことである。とほほ・・・・。

まだ、青かった学生時代の頃、四畳半の一室の壁には島崎藤村さんの「初恋」という詩を掲げていた。広用紙にマジックペンで自ら書き、壁に貼りつけていたわけだ。その隣には、ペン絵描きが得意だった友人作のロングヘアーの美少女の肖像画を貼り付けて、しみじみと眺めていた。僕も若かったものだ。あの、美少女は今いずこ?。

さらに、北原白秋さんの「落葉松」という詩が特に好きになった。何かの放送だったと思うが、女性アナウンサーの声で、その詩の朗読を聞き、熱く胸にしみた記憶がある。

 「からまつの林を過ぎて、からまつを
  しみじみと見き。からまつはさびし
  かりけり。たびゆくはさびしかりけ
  り。

  からまつの林を出でて、からまつの
  林に入りぬ。からまつの林に入りて、
  また細くみちはつづけり。

  世の中よ、あわれなりけり。常なけど  うれしかりけり。山川に山がはの音、  からまつにからまつのかぜ。」

この詩を聞き、その時の自分の姿が投影されたのだろう。依頼、僕の心の拠りどころとなっていたはずなのだが、・・・・。酒とカラオケにおぼれ、ついぞ忘れていた。たまたま買った、「歌うとなぜ心と脳にいいか?」という本が僕の過去の記憶を呼び覚ましてくれたわけだ。

のりちゃん先生ではないが、乗りやすい僕だ。以後のカラオケは演歌半分、後の半分は童謡や唱歌、わらべ歌、もしくは民謡などで挑戦してみるか?。



2005年03月05日(土) 童謡や童歌っていいものだ。

最近、大島清、著の「歌うとなぜ心と脳にいいか?」という本を買った。よく行く駅の中の書店で、なにか面白そうな本はないかなーーと、物色していたところ、何げなく、タイトルの本が目に入った。これは、ボスに読ませたら喜ぶだろうと思い、中をめくってみると、なんと、童謡や唱歌、わらべ歌の歌詞がたくさん載せられていて、それぞれに、著者の思いや、解説が加えられていた。よく知っている歌ばかりである。

一つ一つ歌詞を読んでいると、脳の中ではメロディーが流れている。懐かしさと同時に、まさに、心が癒される感じだ。歌詞が実に素晴らしく、メロディーとぴったんこ。あらためて、日本にもこんな素晴らしい歌が一杯あったんだと思い知らされた。

思えば、昔、こういった類の歌を良く歌った。というより、歌わされたと言ったほうがいいか?。音楽の試験では一人一人が、前に出て、先生のオルガンにあわせて歌わねばならなった。うっすらとひげが生えかかった我々、生意気盛りの頃。かつ、声変わりが始まった奴もいた。人前で歌うことにはかなりの抵抗があったが、テストとあらば仕方がない。リズムも音程も声量も滅茶苦茶。大笑いされて恥をかいたものだ。今ではなんの臆面もなく、カラオケとやらで、おらんでいるから、この様変わりもはなはだしい。もちろん、童謡や、唱歌やわらべ歌ではない。酒の席ではやはり、演歌がお似合いかもしれない。

それでも、著者が書いているように、大人になっても、童謡や唱歌やわらべ歌は、深く心に刻まれている。大学生の頃には、人知れず気に入った詩が歌われているレコードなんか買って、四畳半一間のふすま張りの部屋で、おいおい泣きながら・・・・・。これは大袈裟か。人知れず、色んな思いを馳せながら聞いたものだ。

特に好きだった、詩は、「小諸なる古城のほとり」とか、「白樺」とかがある。これらの詩をうたった曲があり、なんとか手に入れたいと奔走したことがあった。やっと、手に入れ、何度も何度も聞いた。もう手元には無いが、今でも、うつろながら覚えている。

著者が書いているが、最近ではこういった歌詞の曲が教科書から消えたそうだ。残念なことである。子供達の健康な心を育成するには、童謡や、唱歌、わらべ歌、民謡などが最高の教材であることに間違いはないだろう。

小料理屋で歌うとき、わらべ歌や唱歌などを一度、歌ってみたいものだ。たして、皆、お絞りをハンカチ替わりにして、涙を拭くだろうか?。
あいかわらずの音痴に笑いを誘うのが精一杯か?。


2005年03月01日(火) 弥生の初頭に向けて。

いよいよ三月に突入。やはり、新しい月を迎えると、なんとなく緊張する。つつがなく過ぎて欲しい。ささやかでも幸が舞い込んできて欲しいと願っている。人様も皆、同じ気持だろう。

今日はどんよりした曇り空。弥生の初日は仕事に明け暮れた。いい傾向だ。気分、晴れ晴れとはいかなかったが、午前中は机上の仕事に邁進。午後から、ちょっくら本屋へ出かけた。もう一つ、ピンとこない分野の問題を解決すべく走ったわけである。願いましては一万円の出費だ。痛いぜ。いつになったら回収できるのやら・・・。とほほ。

僕はどうも、図書館とやらで調べものをしたり、本を読んだりする気になれない。かえって、気が散るからだ。昔も今もそうである。昔は、図書館へ行っても、美形の乙女達を「ちらっ、ちらっ」と眺めて、「ぽわーーーん」となるのがおちだった。本の中味が頭に入るわけが無い。行く目的が違っていた。「図書館で恋の花が咲く。パンチでデート」を願っていたわけである。現実は、そんなロマンチックなものではなく、冷たいパンチを食らうか、氷のような視線を浴びるのが関の山。以来、図書館は怖いと言う印象があり、無縁となった。僕が行かなくても、図書館が倒産するわけでもないだろうから良しである。

てなわけで、さる本屋で、専門書と、副産物といっては失礼かもしれないが、前野隆司著の「脳はなぜ心を作ったのか」という本を購入した。まだ、三分の一しか読んでいないが、とても興味深い。頭の悪い僕にはちょっと、難解で、繰り返し読まないと理解できないところもある。春の夜長ではないが、おいおい読んで、何かをつかめたらいいと思っている。ところで僕って、一体なんだ?。僕の心はどこから生じているの?。あああああつ、考えると頭が痛くなる。

読書もさることながら、今、僕にはやることが一杯ある。僕の分身が欲しい。同じ心を持った身代わりが欲しい。つねずね、そう思っているが、いまだ、待ち人、来たらず。たとえ、僕のクローンが出来ても、役にはたつまい。せいぜい、出欠点呼の代弁をお願いすることくらいしか出来ないかもしれない。いや、待てよ。逆にクローンから代弁をお願いされるかも?。人の良い僕は思わず引き受けてしまいそうな・・・・。いけない。いけない。僕のクローンから使われるなんて。そういう考えは払拭しよう。

結局、僕は独楽鼠みたいに、自らの体に鞭打ちながら、労働にいそしむことが、最良の僕であることに間違いはあるまい。


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