umityanの日記
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2003年11月30日(日) ばあさまが危篤だ。

ばあさまが危篤だ。
at 2003 11/30 20:58 編集

いよいよ明日から師走だ。一年が早かった。毎年、早くなっているような気がする。齢を重ねたせいなんだろうか?。

今日は一人で家で留守番だ。90才になるばあ様が危篤状態。女房が付きっきりの看病で出かけている。我が家は小家族のため、僕が留守番ってわけだ。看病といっても、実際は何もすることがない。ただ、ばあ様の心臓が止まるのを待つているだけだ。なんという悲しい現実。集中治療室に入れられると、家族の誰かが、一応の決着が付くまで待機しなくてはならない。女房の母親だから、そのくらいすることは当然だろう。もう一度、意識が戻り、何か会話でも出来ればいいのだが、それは難しい状況だ。

ばあ様が倒れ、救急車で運ばれ、一旦停止した心臓は鼓動を取り戻したが、意識は回復しない。心停止から5分以上経つと、脳の働きが低下するか、もしくは意識が戻らなくなるそうな。ばあ様の場合もそうだろう。

かかるとき、親族はいかなる判断をすべきか?。ばあ様の体を痛めながらも延命のための積極的治療を行うか、普通の治療をしながら、鼓動している心臓が停止するまで、静かに見守るか。この判断は極めて難しい。あらゆる手段を講じて延命させることに邁進するか、自然のままに、そっと生を全うさせるか。
いずれの選択であれ、愛の重さに差はないいだろう。。

僕は今年は、どういう縁があってか、98歳のおばあさん三人を見送った。三人三様に、素晴らしい人生をおくった人たちだ。ただ、お見事と言う言葉しか見つからない。

思うに、今の若い人たちは、90歳以上になるまで、元気で生きることができるだろうか?。否かもしれない。以前、西丸震哉という人が「41才寿命説」という本を書いて話題になった。今のように、食物をはじめ、あらゆる自然環境が汚染されている現状では、その説もあながち否定できない。これから先、本当に充実した生なんて営めるのだろうか?。

明日は師走。ばあ様が明日まで頑張れるか分からない。今はただ、そっと、ばあ様に教わってきた、いろんなことに感謝の念をささげたい。

師走を迎えるに当たって、暗い話になってしまった。


2003年11月28日(金) やがて師走。しわになった手をじっと見る。

やがて師走。しわになった手をじっと見る。
at 2003 11/28 08:35 編集

今日は金曜日。土、日が休みだから、実質上の月末は今日である。

ということで、今月の成績を振り返ってみみた。どうも、はかばかしくない。以前にも書いたが、大きな仕事が減って、かつ小さな仕事も減った。これじゃあ、まさにお飯の食い上げだ。オーマイゴッドだ。

嘆いてばかりはおられない。まだ、社会全体が沈滞ムードにある。皆、同じテーブルの上でアップアップしているわけだ。そんな中で、何とか、給金を持ち直しているのは大手の銀行くらいだろう。不良債権の処理とリストラがあいまって、利益を確保した。やれやれか?反面、大手の生保会社は軒並み契約高減少に見舞われている。これはしかたがないことだろう。契約しても契約が100パーセント履行されないなら、誰だって不安である。

今日の新聞にも書いてあったが、税制改正も、個人への重税感が強くなっている。これじゃああ、景気回復なんて到底のぞめないのではないか?。

僕の予想を裏切って、たとえ、世の中に明るい兆しが浸透してきても、末端までたどり着くには時間がかかる。僕のふところが潤うようになるのはいつのことやら?。
「師走間近、しわになった手をじっと見る」。まさに、こんな心境だ。

それはそうと、今月は高校の同級生たちの来訪やら、お店の開店祝いやらで、社交に身を費やした月だった。恐らく来月の師走も同じことになりそうだ。

ただ、注意すべきはやはり健康だろう。
最近、素敵だった女優さんが二人もなくなった。「だんれいこさんや、小林ちとせさん」である。二人とも都会的センスを持ったすばらしい女優さんというイメージがあった。あまりに早い旅立ちに涙を禁じえない。ご冥福を祈りたい。

死は生きとしいけるものの宿命である。後悔のない人生ならば、宿命を受け入れることもまた楽しからずや。そういう気持ちになれたらいいのだが。



2003年11月25日(火) 今年の仮反省。(本格的反省は年末だーーー)

今年の仮反省。(本格的反省は年末だーーー)
at 2003 11/25 11:42 編集

あれよあれよと言う間に、11月も残り一週間だ。もうそろそろ、恒例の一年の反省をしなくてはならない。なんといっても、今年は戦争と、不景気に明け暮れた一年だった。いまだに戦争は続いているし、いやはや、21世紀はとんでもない世紀になろうとしている。

日本は少子化、少子化で、子供の数が少なくなり、そのうえに、親が子供を虐待して死に至らしめると言う、あまりに非情で残酷なことが、たびたびあった。、ますます、子供は少なくなりつつある。一体、人間は、生命をなんと考えているんだろうか?。今の世の中は、自分さえ良ければ、それでいいという人が多いようだ、、あまりに身勝手である。僕が、ほえたところで、事態は変わりはしないが、もっと、人間として、尊厳と思いやりをもって生きたいものだ。

世の中のことばかり反省していても始まらない。我がことについて、反省してみよう。
悪いことと言えば、二年ばかり止めていたタバコを今年、復活させたことである。ふとしたきっかけで、友人から一本もらったのがいけなかった。一本が二本になり、やがては、自ら買い出す始末。
ほぼ、半年すっただろうか?。

しかし、僕も偉いものだ。再び止めようと決心して、何のことはない。もう、すっかり、非禁煙者である。中毒で苦しんだこともない。誰かの言葉じゃないが、「自分で自分をほめてやりたい」心境だ。おかげで、声がきれいになり、カラオケでは美声を振りまいている。ただし、うまくはない。あああーー、カラオケで90点以上の点数を出したいぜーーー。

他に悪かったことと言えば、大きな仕事が減って、みいりが少なかったことだろう。反面、夜遊びが過ぎて、収支のバランスが大きく崩れた。これじゃああ、おまんまの食い上げだああーーー。来年はなんとかしなくちゃ。

悪いことばかり書いたが、よかったことと言えば、つつがなく健康でこれたことだろう。健康が第一。何はなくとも健康。ふるさとにいる母も、何とか今年を乗り越えられそうだ。良かった。良かった。

そして、新たな出会いもたくさんあった。出会い、すなわち、邂逅。やはり、人と人が出会い、一期一会の気持ちで接することが出来れば最高だ。ただ、仁義倒れしない様にしなくちゃ、金も体もいくつあったって足りない。今年の出会いを大切に、来年は更に飛躍せんことを願おう。

本格的な反省はやはり、年末近くに行うのがいいようだ?。もう一つ、真剣さに欠ける。
とりあえず今日は、大雑把な反省にとどめておこう。
アーメン。南無ーーーー。合掌礼拝ーーーー。


2003年11月19日(水) 秋深しで何か一言。

秋深しで何か一言。
at 2003 11/19 23:50 編集

11月も半ばを過ぎた。野や山は秋、真っ盛りというところだ。本来ならば、「秋深し、隣は何をする人ぞ」と、センチメンタルな気分に浸り、名月を眺めながら、一献杯を交わしたいところだが、どうも、そういう気分にはなれず、なんか、世の中がぱっとしない。何故か?と考えればそれなりに理由がある。

やはり、第一は、長期にわたる不景気のせいだろう。「働けど働らけど、楽にならざりき。じっと、手も見る」。石川啄木さんのことばだったかしら?。まああ、働けるうちは、まだいいほうかもしれない。いまや、働きたくても仕事がなく、巷をさまよっている人も多いと聞く。

何故に、こうなったのだろう?。要するに世の中が変わった。一言で言えばそうなる。バブルがはじけて、莫大な不良債権が生じた。それを、消すことに国も企業も躍起となって、経済は沈速した。いいときの付けが回ってきたわけだ。企業はリストラで人件費を節約し、巷には大量の失業者を産んだ。消費者は経済不安のために消費をひかえるようになった。

こういう悪循環を繰りかえしている。更には、国民の老後の支えの一つである年金制度が崩壊しかかっている。国は負担増と受給額減を柱に、何とか制度の維持を図ろうとしているが、もはや、国民の目は、「痛みを皆でわかちあおう」という、甘い言葉には向いていない。どうやって、老後を守るかは、極端に言えば、せっせと蓄えるしかないわけだ。従って、消費は更に落ち込み、年金の財源として消費税率を上げれば、更に、更に消費は落ちこむのではないろうか?。一体どうすべきなんだろうか?

はたまた、世界的にはテロの恐怖が存在している。そんな地に日本は自衛隊を派遣しようとしている。確かにアメリカの傘の下で今日まで、日本は無事に来られた。そのことには日本は大いに感謝せねばならないだろう。ただ、いかに正義の御旗であっても、日本は恒久的に戦争に加担すべきではないと思う。自衛隊の派遣は形は、イラクの戦後復興支援ではあっても、戦闘地域にいる限りは、戦争に加担していることとなんらかわりはしなのではないか?。危険そのものである。自衛隊の派遣には極めて慎重であってほしい。
まあ、こういうことは超難しい問題であるので、大いに議論を戦わして、最善の道を選択するしかないだろう。

ただこういう社会不安が、秋を秋らしくめでる気持ちを起こさせない原因のような気がする。あああ、どこか人里はなれた山奥で、名月を見ながら酒と温泉に浸りたいものだ。


2003年11月13日(木) ミニ同窓会開催。パート2。

ミニ同窓会開催。パート2。
at 2003 11/13 15:00 編集

ミニ同窓会の続きをまだ書いていなかった。10人程度、はいる、小さな小料理屋で、僕たちは大いに飲み、食べ、だべったわけだ。歳月が流れても、先生は先生。当時の授業の風景が懐かしく思い出され、そのことが話題になった。先生は我々の担任で、かつ国語の担当。低音の押し殺したような先生の授業中の言葉は、お経のようであり、まさに一人寝の子守唄って感じだ。僕たちはしらず、「こっくり、こっくり」とやったものだ。

と、いつの間にか、背後に先生が忍び寄っていて、手痛いげんこつの洗礼を受けるわけだ。僕も相当にやられた方だ。先ほどまでは遠くにいたと思っていたが、忍者のように、足音を立てずにいつのまにか、背後に近寄っている。この業には僕たちも脱帽だ。というより、僕たちが深寝していたという証拠ってわけだ。

友は誰も教えてくれない。何故って、次は我が身かもしれないと。皆、緊張しているからだ。その緊張がかえって、睡魔を呼ぶのだろう。

今回の同窓会には来ていないが、一番前に席を取っていた友のひとりが、大胆に船をこぎ始めた。僕たちは後ろの席から、「いまや遅し」と、げんこつの洗礼を密かに期待していた。あんのじょう、げんこつの洗礼を受けたことは言うまでもない。そこまでは良かったが、かけていためがねが、「ポロリ」と机に落ち、反動で床に転げ落ちた。あわてて、机から立ち上がり、周りを見回した彼のしぐさがあまりにこっけいで、皆、大爆笑だった。さすがに先生は、「にやっつ」とニヒルな笑みを浮かべただけだった。当時は、「怖い先公だべ」と思ったものだ。
まああ、こういう思いでは、いつになっても、楽しく脳裏に刻まれている。

同窓会の話が、思い出話になってしまった。
僕たちは、たらふくまんまで、いよいよ二次会のくつろぎタイムへと足を踏み入れた。
この店は美人姉妹の二人で、営んでいるスナック。かなりの広さがあり、カラオケも充実している。一応、飲み放題、唄い放題で一人三千円で交渉しておいた。この店を選んだのには理由がある。一つは、姉妹が踊りの師範であることと、また、歌がすこぶるうまい、という理由からである。もちろん美人であることは言うまでもない。

先生のお経とは違って、こちらはソプラノ。見事な美声が心琴をふるわすこと間違いなし。きっと、先生や、仲間たちは目を白黒させながら、彼女たちの歌に聞き入るに違いない。それが僕の狙いだった。
見事、僕の予感は的中した。一次会、二次会ともども、大成功の運びとなった。
僕も一応、責任を果たしたわけだ。
長くなった。この後の顛末は又にしよう。


2003年11月09日(日) ミニ同窓会開催。パート1。

ミニ同窓会開催。パート1。
at 2003 11/09 22:43 編集

11月になって、最初に書く日記である。今、テレビでは衆議院選挙の開票で、どのチャンネルも過熱気味。恐らく、深夜遅くまで続くだろう。願うことは、一躍、話題語となった、「マニフェスト」を当選者の誰が確実に実行するかだけである。有権者は、監視の目を持って、行く末を見守って行かなくてはならない。
いすれにしても、早朝になると、大方の情勢が判明するだろうから、この場では選挙ののことは触れない。

僕が書きたいことは、昨夜のミニ同窓会のことである。僕の住む、この地に、高校の同級生と恩師がやって来た。女性5名、男性5名(僕も入れて)、総勢10名のミニ同窓会。僕たち仲間は、よほど、集まるのが好きらしく、毎年、それらしきことをやっている。いつも生まれ故郷の地でやるのに、今回は僕の住む、この地でやったことが、大きな特徴である。

なにも、こんな田舎まで来なくてもと、思ったが、日ごろより、大言壮語をはきながら、能天気に生きている僕の生き様を、しかと拝見したかったのだろう。まああ、僕としては、仲間の動機がなんであれ、皆が喜んでくれるならと、この地での開催に同意したわけである。

すったもんだしながら、僕の案で一次会、二次会を設定。言わずもがな、僕の行きつけの小料理屋とスナックに強引に会場を設定してしまった。決まりである。
まあ、この辺が僕の強み。日ごろから絶大の信頼を得ている僕のことだから、いずこのママさんも、「いいわよーーーー。やってーーーー。サービスしとくわ」と、大乗り気。

一次会は、貸切で、鍋とと刺身とママさんの手料理の数々で、腹ごしらえである。飲み物は、定番ながら、ビール、酒、焼酎、更には、ワインと言ったところだ。いやああ、それにしても。よく飲み、よく食べた。
すっかり中年を自覚している女性陣の食べること、食べること。飲むこと、飲むこと。いやはや驚いたぜ。
家庭から解放されて、久しぶりに、上げ膳下げ膳を味わうわけだ。気合が入るのもうなずける。僕たち男性陣はその豪勢な食欲ぶりに圧倒されながら、ちょびり、ちょびりと舌なめずりだ。

あれよというまに、鍋も他の料理も皿のみを残す状態。ママも、嬉しそうだ。
僕たちはフォークソングやら、ポップス系のバックグランドミュージックに耳を貸しながら、思い出話に花を咲かせたわけだ。
なんと、高校の恩師からは、三万両という大枚の差し入れが。うんんんん、これには痛く恐縮した。みんなの負担分が少なくなり感謝感激だ。

ほぼ、2時間もすればもう、たらふくまんまで、食欲はギブアップだ。となれば、二次会のスナックで、美声を張り上げて、腹をすかしにかかろうということで、タクシー三台に分乗し、二次会の現場へ・・・・・・。長くなった。二次会はパート2にまわそう。



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