umityanの日記
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2003年10月27日(月) 嬉しかったこと第二弾(塑像を手に入れて)

嬉しかったこと第二弾(塑像を手に入れて)
at 2003 10/27 14:11 編集

嬉しかったことの第二弾を書こうと思いながら、雑多に追われて、今日になってしまった。第一弾は、有馬理恵さんからのメール、そして、第二弾は、何のことはない。僕が等身大の塑像を手にいれたことである。これは見事な女性の裸像である。

友人とあるスナックへ飲みに行ったときのこと。ここは、美術を専攻する学生がアルバイトをしている店。いつもの如く焼酎に舌鼓みを打ちながら、あれこれとだべっているとき、そのアルバイト生が、最近、賞を取った作品を展示するという。なんでも、女性の裸像という。「へえーーーーーー。みて見たいな」と言ったところから、話がすすんだ。「それ売るの?」と聞いたところ、「売ってもいいよ」という。原価が二万円以上かかったらしい。僕は、「じゃあ三万円でどうかなああ?」といったところ、アルバイト生は首をたてに振らなかった。「じゃああ五万円」と言ったら、「にこっつ」と笑って商談成立。

僕も僕である。酔った席での売り言葉、買い言葉。まだ見ぬ作品に手を打つなんて。
ママさんや、友人が、「えっつ、本当に?」と怪訝そうな顔をしていたが、「僕も男。言葉に二言はないよ。」と気取っては見たが、内心に一抹の不安はあった。
ただ、僕は、本来、人間が好きである。従って、好意を持った人が作ったものなら、きっと作品もすばらしいものに違いないと言う、確信があった。

作品の搬出が終わってから見ても仕方がないということで、時間を作って、展示会場に見に出かけた。
いやああ、すばらしかった。両手をふくよかなお尻に当てて、足を微妙に開き、顔は横を向いて、遠くを見つめている等身大の裸像。もちろん、おっぱいは、きれいなおわんを少し横に伸べたみたいなお餅型。「うんんんんん」と僕は思わず釘付け。まさか、展示会場で、「おっぱい」や「お尻」に触るわけにも行かず、近くから眺めたり、遠くから眺めたりした。

その後、思ったことは、一体、この像をどこに置くかということだった。まさか、玄関のまえの廊下に置くわけにも行かない。
「まああ、なんとかなるさ」と思いつつ、いよいよ、搬出の日を迎えた。僕は友人と二人で、この作品を取りに出かけたが、
なんと、アルバイト生は会場から一人でこの作品を一階の駐車場近くまで一人で抱えて、持ってきていた。車のシートを倒して、やっと、乗るくらい大きな作品だ。

作品を手渡しながら、アルバイト生(女性)が言った一言の言葉が、「ずしーーーーん」と、僕の心に突き刺さった。
その言葉は、「彼女と思って、この子をかわいがってね」という言葉だった。
その言葉を残して、アルバイト生は、「まだ搬出の仕事があるから」といって、ぱっと後ろを向いて、戻って行った。僕は、「ぽかーーーん」としながら、その後姿を目で送った。

僕は、最初この像を買った時、誰か、友人にあげようと思っていたが、その気持ちがいっぺんに吹き飛んでしまった。今は、僕の家の廊下に不思議な色香を漂わせながら、立っている。夜、廊下を何気なしに見ると、あたかも、人がいるみたいに思えて、最初は怖い気がしていた。いやああ、やはり、人の念というか、思いがはいった作品は、人をひきつけるものがあるということを、初めて味わったような気がする。
これが、女の怨念というものだろうか?。

単細胞の僕が、何故、この塑像を手に入れて嬉しかったかと言えば、アルバイト生の言葉を、僕は、「私だと思って、かわいがってね」と、受け止めたからである。今、四年生。いろんな思いを残して、彼女は去っていくだろう。僕の手元に分身みたいな、裸像を残して。



2003年10月22日(水) 最近嬉しかったこと二題

最近嬉しかったこと二題
at 2003 10/22 11:18 編集

最近、嬉しいことが二つあった。
一つは、先日、俳優座の有馬理恵さんのことを日記に書いていたところ、理恵さん本人から、お礼のメールをいただいたことだ。女優さんからメールをいただくのは始めての出来事。嬉しかったねえーーーー。もう、死語になりつつある、若い人の言葉で、驚きを表現すると、「えっつ、うそーーっつ。本当っつ?」ということになる。

実は、僕の内心を暴くと、「有馬理恵さんが僕の日記に気ついて読んでくれたらいいなーーー」と密かに願っていた。「わお・・・・・つ」、その夢がかなったわけだ。

有馬理恵さんがメールの中で、書いていた。理恵さんが演じた「釈迦内柩唄という劇での、ふじ子という女性の役。この役は私にとって命です」と。その人が命と思えるものを、命をかけて演じるわけだから、感動しないわけがない。僕はただただ、理恵さんの演技に見入ってしまった。そして、涙してしまった。

メールの最後に書いてあった、「また、どこかの公演でおあいしましょう」と。うんんん、きっと、いつかかなうかもしれない。これも、僕の新たな夢である。

その夢をもっと、膨らませると、こうなる。「理恵さんと、再び、ある公演で再会する。理恵さんは、つばながの帽子をかぶった、アル・カポネ風の、とはいうものの、優しい目をした僕に気が付く。そして、ミルンミルンさんと、叫びながら走りより、僕の首に両腕をまいて、そう大きくもない僕の胸の中に顔をうずめるだろう」。僕の心は「うっしししーーーーー」で、胸いっぱい。うんんん、これはまさに、ひとりよがりの空想の世界。100年たっても、かなわない夢だろう。まああ、それでもいい。三浦雄一郎さんではないが、夢をもって生きれたら最高だ。

有馬理恵さんの、更なる活躍を遠い空より
切に祈願している。
おっと、嬉しいことを二つも書くには紙面が足りないようだ。もう一つは後日に回そう。



2003年10月13日(月) 秋、祭り、稲刈り、遊び、山の音楽家。

秋、祭り、稲刈り、遊び、山の音楽家。
at 2003 10/13 08:02 編集

やや暑いが、秋たけなわといったところだ。田舎では、あちことで、秋祭りが催されている。豊作を感謝して神仏に米とか五穀を奉納するわけだ。今年は必ずしも豊作ではなかったようだ。それでも、こういう伝統的な行事は、昨今、規模が小さくなったとはいえ、和というか、地縁のつながりを大事にする日本人にとっては、大事なものに思える。

今、田んぼでは、たわわに実った米の刈り取りが行われている。昔みたいに手作業ではないため、その作業が早いこと、早いこと。見る見る間に、田んぼは切り株のオンパレードとなる。脱穀がおわった藁をトラックに山のように、積み重ね、農道を走っている姿にでくわす。時折、風で、藁の小枝が、後ろを走る僕の車のフロントガラスに当たる。「ありゃりゃ」と思うが、まああ、仕方がない。

やがて、北風が吹きはじめると、田んぼは寒い冬のイメージに様変わりしていく。あぜ道を吹き抜ける北風の冷たいこと。昔、鼻水をたらしながら、せっせと学校へ通っていたことを思い出した。学校が終わると、こんな田んぼの中で、わらんべたちが、凧揚げやら、ちゃんばらごっこをして遊んでいたわけだ。今はとんと見かけない風景。

時代は変わった。少子化の影響や、外遊びは危ないと言うこともあってか、最近は、野良の子供達をほとんど見かけない。僕の小さい頃は、お天道様が登って、西の空に沈むまで、外で泥んこになって遊ぶことが常だった。家に帰っても、「宿題しなさい、しなさい」と、口すっぱく言われるので、外で遊んでいたほうが楽しかった。というより、家の中には遊ぶ道具もなかった。今は、パソコンやらゲームが部屋の中で出来るので、外で遊ぶ必要もない。
まさに、時代は変わったわけだ。

話は変わるが、先日、山の音楽家と称されている夫婦の演奏を聴いた。夫はギターを爪弾き、妻はオカリナを吹く。いやあああ、実にすばらしかった。特にアンデス地方の民俗音楽は、雄大で、浪々としていて、賑やかでかつロマンチックで・・・・・・、どう表現したらいいのだろう。その音楽が深く心に突き刺さった。日本の民謡と言うか、フォークというか、これもまた、オカリナで吹くと、美しく、清らかで、埃をたっぷりまとった僕にはまぶしくさえ思えた。

この夫婦は、都会の喧騒からのがれて、山奥の自然の中で、庵を建て、そこを拠点に活動を行っている。山奥は不便な点も多々あるが、それでも、おつりが出るくらいに豊かなのだ。自然は決して裏切らない。傲慢さもない。ただあるは自然そのものだ。あるときは優しく、またあるときは厳しい自然。そんな自然はまさに、生の原点なのだ。、夫婦ともども、そう考えたのだろう。僕もそう思う。うらやましい限りである。

その夫婦が最初のレコードを出した。もち、僕は買ったね。今、車のなかで聴いている。その音楽を聴くと、心が豊かになり、心も大きくなるようだ。割り込みたい車があると、「はい、いいよ。どうぞ」と、気持ちよく入れて上げられる。

まあ、これも、度がすぎてはいけないが、心だけはいつも豊かに生きたいものだ。


2003年10月09日(木) すがすがしい秋。窓辺で、ひとり思うこと。

すがすがしい秋。窓辺で、ひとり思うこと。
at 2003 10/09 11:34 編集

秋もいよいよたけなわだ。あの猛暑はどこへいったのだろう?と、ふと、そのころが懐かしくさえ思える今日この頃。本当に人間って、のど元過ぎれば、痛みをわすれて、自分の都合ばかりで、物事を考えるから現金なものだ。

この、すがすがしい秋に僕は何をやっていたのだろう?。日記も書かないで、夜の巷をさまよっていたのだろうか?。うんんん、幾分かは当たっている。が、そうばかりではなく、結構、行事が目白押しで、その対応で追われていた。まだまだ、こういう状態が続きそうだ。商売にはならないが右往左往の毎日。はたして、これでいいものやら?、いけないものやら?。
ただ、なんやらかんやらと言っても、人生は百年。後悔のない生き方が出来れば、損得を抜きにして、それで吉と思わなければなるまい。

そういえば、最近、若い人たちの犯罪が増えているようだ。少女を監禁したり、連れまわしたり。又、セクハラをおこしたり。はたまた、強盗やら殺人やら。怖い世の中になったという印象を免れない。

一体、世の中はどうなっているんだろうか。「日本人の心」という本を書かれた先生がいるが、今の日本の現状をみられたら、きっと、悲しまれるに違いない。

社会のいろんな犯罪をみていて、ふっと気がついたことがある。犯罪の一つは金銭を目的にしたもの、そしてもう一つは、性にからむ犯罪である。

金銭目的の犯罪は、「富と貧」の存在に起因しているような気がする。富と貧はいつの時代にもあった。人類が欲を持つようになって以来、富と貧は存在したわけだ。貧であれば、なんとか努力して、そこから脱しようとする。これは人間、だれもが思うこと。ただ、貧を、脱しようとしても、それを阻むものがある。それは偏見と差別かもしれない。耐えることに、疲れた心は、しらず、罪という道を選択してしまうのだろう。偏見と差別は人間がうみだした最も憎むべきものである。

社会は、偏見と差別をなくそうと、法律を作るが、法で人を規制するのではなく、人が人たるべき教育、差別と偏見のない社会の構築。いわゆる人間教育にもっと、力を入れるべきだ。愛と慈悲に満ち満ちた教育こそ、犯罪を救う一番の近道だ。

もう一つの犯罪。いわゆる、性がらみの犯罪。これも、昔からあったことかもしれないが、今は、あまりに陰湿で露骨過ぎる。この犯罪にも金銭が絡むこともあるが、本質はもっと別のところにあるように思える。
先日、テレビである評論家が言っていた。
「セクハラにしろ、少女監禁にせよ、犯罪の一端を担っているのは、男のみではなく、女にもその原因がある」と。そう、指摘していた。そして、性犯罪を助長させているのは「女は、自分が商品価値のある、いわゆる、商品として売れる存在である」ということを、成長過程のなかで認識してしまう。そこに、問題があるというわけだ。

週刊誌には堂々と若い女性の「局部ヘアー」が登場している。男は喜び女は、至って平然としている。男性のヘアーだったら、誰も、見ないだろう。

女は意識的か無意識的か分からないが、高価なアクセサリーで、身を包み、セックスアピールで男の目を引こうとする。男のかたを持つわけではないが、女の色香に惑ってしまった男がかわいそうだ。自制心を失い、思わず罪を犯してしまう。

質素と謙虚。これが、女性の最大の武器であると言いたいが、「あんた、古い、古い、」と笑われそうだ。

女のことを厳しく書いたが、もちろん、男にも非はある。「あんたは犯罪者たちのかたをもつのか」と、叱られそうだが、そうではなくて、そういう現象にきずいていながら、それを放置している親、社会に問題がありはしないかと、言いたいだけだ。

おやおや、今日は評論家みたいな事を書いてしまった。僕自身も、清廉潔白な青年、おっと、間違い。清廉潔白な中年君子ではない。ただ、日ごろ思うことは、偏見と差別をなくし、女性にはいつも優しい男でありたいと思っている、一介の小市民である。
決して、女性のことを偏見の目で書いたつもりはないので、もしそうとられたのなら、この書面で深くお詫びします。






2003年10月01日(水) つつがなく過ぎた僕の誕生日おやおや

つつがなく過ぎた僕の誕生日おやおや
at 2003 10/01 00:10 編集

僕のマルマル才の誕生日もつつがなく過ぎ去った。うれしや悲しやである。

まず、嬉しかったこと。あちこちから、「おめでとう」といわれたこと。さらに、プレゼントをもらったことである。プレゼントといっても、品物だけではない。ちょっと、かわったものと言えば、さる小料理屋で、ワイン二本と、尾頭付きのタイや、刺身を、まさに、ロハでいただいたことである。人から見れば、「なあんだーー」と言うことになるが、僕にとっては、嬉しい限りである。

「ええつ、タダでいいの」と僕が言ったところ、ママから返って来た言葉が憎いじゃありませんか。「次回以降の飲み代に少しずつ、上乗せしとくからね」ときた。「さもありなん」と、思ったが、今日は僕の
誕生日。僕も素直に、「そうだねーー」と、ひきつった顔で答えた次第。

ワインはママや、美人カウンターレディーの奈美ちゃんたちと乾杯して、ごくごく飲んだ。男、僕一人では間が持たないと言うことで、早速、後輩にテル。しばらくして彼がやって来た。更に乾杯、乾杯で大いに盛り上がった。やはり、何歳になっても、人から祝ってもらうことは嬉しいものだ。

実は後輩からは、イタリア製のマフラーなんかもらって、痛く恐縮した次第。アル・カポネみたいに、ハットをかぶり、スーツの下に、このマフラーを忍ばせれば、そりゃああ、人が避けて通ること間違いなしだ。込み合った繁華街をあるいても、僕の前に障害物はなく、後ろにもない。と言うことは、僕は孤独だ。これでいいんだろうか?。淋しいぜーーーーーー。と言うのはちょっと冗談が効きすぎたようだ。

逆に、悲しいことと言えば、「ところで、何歳になったの?」と、しょっちゅう聞かれることだ。「もう、いい加減にしてくれ」と言いたくなる。そういうけで、面倒くさいから、多いときは、20歳上にさばを読んで、少ないときも10歳はさばを読んでいる。いやああ、これが意外と真実のように受け止められてしまうから不思議だ。ようするに、人の年齢なんて、いかに、当てにならないかということだ。

あるときは、とっちゃん坊や。又あるときは青年貴公子、またまたあるときは、白髪のロマンスグレー。「一体本物はどれよ」と聞かれれば、全部本物と答えるしかない。

もう一つ悲しいことと言えば、死の旅路へ一歩近くなったということだろうか。まだまだ、若いもんにゃ負けないと思っていても、確かに20代のころの元気は、もうない。理論的には150才以上いきられはしても、なんといっても、健康で生きていてこそ価値がある。果たして、僕にそれだけの生命力があるのか不安だ。

最近悲しい死があった。まだ、65歳なのに、一人暮らしだったために、一月以上も後になって発見されて、正確な死亡年月日さえわからず、親族は大変だったらしい。
時々、孤独なお年寄りの死を耳にすることがあるが、やはり、核家族化が進行したことの弊害かもしれない。やはり、大家族で暮らすほうがいいのかもしれない。僕もそれが出来ればとっくにやっているところなんだが・・・・・・。こういう事態を防ぐためにも、介護保険の制度が出来たわけだが、まだまだ充分ではないようだ。

誕生日の話しが思わぬところへいってしまった。おやっつ、もう10月1日だ。いよいよ秋本番だ。正月まで三ヶ月。そろそろ2003年を反省する時期にさしかかってきた。振り返ってみれば、9ヶ月間は、可もなく不可もなしってところか。さああ、残りの日月を心してかからなくちゃ。



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