ひとりごと日記
昔からひとりごとの声がデカすぎると周りに迷惑掛けてます。

2002年01月29日(火) なにそれ!って感じ(笑)




最近、季節がら、駅伝というものをテレビでよく見る。
一生懸命、旗をふったり、手を叩いたり声を出して応援する沿道の方々。
でも中に、選手が通り過ぎるのを待って自分がTVに少しでも映ろうとする人も居ます。

よく見かける光景。
TVの中継、リポーターからの現場報告場面で、リポーターの後ろに必ず、なぜか必ず、TV目線の
ヤジウマさんがいらっしゃいます。カメラが動くとササッと移動してまた映ろうとする方、ゆっくり
動いてこっち見て、「ニタッ」する人、そして究極は携帯取り出しておもむろに友達に電話して
テレビ電話よろしく、ずっと笑顔のカメラ目線で喋ってる人。

カメラマンだってウザイと思ってるハズですからね。
だからちょうどソイツが映らないように、アングル変えたり、方向、ズームを変えたりしている。
なんとか映りたいヤジウマ君たち。映したくないカメラマン氏。
この攻防に関心が行くと、TV見終わっても「ん?今何のレポートだったっけ?」ってなる事も
ある。

画面からハズれると、電話の向こうの友達が
「おお、映ってねーよ今。もう少し右右!!」とか言ってるんだろうか。
テレビ見てる友達はもう少し右って言ってるから、携帯掛けてる奴は必死に右に
動いて画面から逆に遠ざかる奴までいる。(笑)
終いには、なんだかピョンピョン飛び跳ねてる輩までいらっしゃる。

超小心者も私には、あれが信じられん!という話です。(ってだから誰に喋ってるんだっ!ってば)。
はっきり言って、かなり、か・な・り  ウザイ!!!!!!!よっ!お前らよお!ってくらい
あの光景がキライ。

繁華街なんかでたまに街角レポートとか、インタビューの光景にも出くわすけど、
絶対、映りたくないよなあ。仕事サボってるの、ばれたりするもんなあ(笑)‥。


随分と長い前置き、中置の後の結論でした(大笑)。







2002年01月28日(月) 中置き(笑)

FMのなま番組に出る事になった私。
自分の手がける仕事のPR、いわば宣伝に出たわけですが、
あまりに恥ずかしいので、仕事のスタッフたちにも一切知らせていなかった。
そんなもん聞かれようもんなら、大変である。

1:50分からの10分間。
その番組は1:00からスタート。当日は打ち合わせのために11:30に来社して下さいとの事。
ミーティングルームに通されて、待つ事15分。
デイレクターさんとひとりのスラっとした美女が入ってみえた。

名刺交換。女性アナウンサーらしき方の名刺を見る。
「ん?Yさん?んんんん?うそーっ!」
大のオトナが発した第一声である。情けない。
ラジオって出演者の顔はもちろん見えない。だけど、
私はこのYアナウンサーのファンだったりしたのだ。
ニュースを読むときや、関谷さんのフォローをしている時の楽しくもフォーマル的な淑女のイメージ
と、ご自分の番組のDJ務められる時のいたずらっ子的なギャップが、凄い好きなのだ。

で今目の前にいらっしゃるYアナウンサーを見て、ますますファンになった。(笑)
きっきれい!
「Yアナウンサーですか?ファンなんですよ。」
あっ思わず言ってしまった〜。(笑)本人を目の前にして‥。
「ありがとうございます。聞いて頂いてるんですか?嬉しいです。」
破顔した彼女、うーん、完全に参った。(笑)
横でこのやり取りを聞いていたディレクター氏が言う。
「BJさん、Yのファンですか?じゃ会わせない方がよかったかなあ。
会ってガッカリされたでしょう(笑)」

いえいえとんでもございません。

この後、Yアナウンサーからこういう事を質問しますので答えて下さいね、とか、これだけはどうしても
言いたいという事があれば今聞かせて下さい。とか簡単なミーティング。

しばらく時間があったので、Yアナウンサーに少し局内を見せていただきました。
この間も彼女はニュース読んだり、金曜日の自分の番組の録音したりととってもお忙しそう。

で、いよいよ時間が迫ってきまして、スタジオへ。
ヘッドセットを渡される。
やっぱ付けるのかヘッドセット。大体自分の仕事で使わざるをえない時も私このヘッドセットって奴が
嫌い。方耳しかあてない。それで十分聞こえるから。
DJの関谷さんにご挨拶。ドキドキ指数100%。しかし、顔みるなり、またいちリスナーになってしまい、思わず言ってしまった‥。
「よろしくお願いします。関谷さん、この前のミニアルバム買わせて頂きました。良かったです。」
こういう場面でこういう言葉が出てくる自分が疑わしい(笑)。
「えー!!!ほんとですか!!ありがとうございます!。」

このやりとりを聞いていたディレクター氏がまたおっしゃる。
「BJさんさっきYのファンだとおっしゃってなかったですか?(笑)」
あはは、そうそう。でも関谷さんの歌好きですよ。
シンプルで、声が少し杏里に似てる所があるけど。

なんて言ってる場合ではないことに気づいてはいたけど、どうにも落ち着かない。
なのに、もう始まっていた。ドキドキ度120%。

関谷さんとYアナが一生懸命フォローしてくれる。
だけど、Yアナ予定になかったこと突然聞くんだもんなあ(^^;)。一応営業マンの端くれとして
「ここはラジオ番組じゃない。営業先だ!」と自分に言い聞かせる‥
言葉に詰まったとき、噛んでしまったとき、つい視線をYアナから外してしまう。
すると彼女は、いつも外した視線を追って笑顔で飛び込んできてくれる。
スゲー安心感。
さすがだなあと後で感心することしきり。
予定の10分を少しだけオーバーしたけど無事に終わる。ふう。汗びっしょりって感じ。
ブースを後にして、別のスタジオに入って、Yアナと二人で次の日と次の日の分の録音を取る。
本番の10分で燃え尽きてしまった私、後は何話したかも覚えていないけど、録音だとやり直せるから
かなり助かった。
もっともYアナには凄く迷惑かけた。

ふう、なんとか乗り切った。
丁重にお礼を言い局を後にする。

車に戻ったら途端に携帯が鳴る。うちの事務所はここのFM局は受信できないはずなのに、あいつら
どこで知ったのか聞いてらしい。
この後、遠くG県の営業先からも携帯に冷やかしの電話が何本か入る。
あっ!そうだった。G県は受信できるんだった。
もっと押さなきゃ!とか、上手だったよ、とか、今喋ってたのじいやさんだよね!とか‥。
やれやれ。

しかーし。肝心のM県からは一本も電話がなかったよ。あれっ(笑)?
本当に効果あったのかなあ(笑)?









2002年01月23日(水) 前置き(笑)になってしまった。

仕事中の大半の時間を私は車の中で過ごす。


思春期真っ盛りの頃、結構ラジオ少年だった。当時、深夜放送は真っ盛り。
「オールナイトニッポン」の鶴光のH話によからぬ想像をかきたて、「ぬかるみの世界」の鶴瓶
の話に、共感を覚え、「セイヤング」のシンペイの話に笑い、読まれもしないハガキを何度か書いては、眠い目をこすりながら
布団の中で涙したり、笑ったり。
土曜日は部活をサボり、FM神戸にチューニングをあわせ、エアーチェックしたりもした。

今でも曜日によって車の中で、FMに合わせたり、AMに合わせたりしてしまう。
何本かお気に入りの番組があって、これはかなり長いぞって思うのが、もっこもこファイト!の小川モコ
さんがDJの日の「昼サイドアベニュー」。
だいたい自分のホームページタイトル、ひとりごとあべにゅー だってこの番組名のパクリ(^^;)だ。
FM局の中にあっては、この番組は少し他のと違う。トークが中心。流れてる曲も流行の物は
あれど、叙情派フォークの方たちの歌も流れてきたりする。

他にも、しのだじゅんこさんのファンだったりする(^^;)。
以前はラジオといえば、リクエストや投稿は、ハガキだったけど、今はFAXが全盛。
最近はメールなんてのも受け付けてくれる。

で、昔のラジオ少年は、「しのだじゅんこ」さんの番組に、いい年して(笑)メールを送ったみた。
これが2回送ったら2回とも読まれてしまった。
この時ばかりは、営業先に着いても車から降りられなかった。

ガラス越しに見ていた取引先の方が「何やってたの?じーっと変な顔して。」
と話しかけて来られたけど、さすがに、いや自分のメールがラジオで今読まれてて‥なんて
答えられなかった。
2度目の時なんかあやうく、赤信号突っ切りそうになった(笑)。

番組の中で、メールが読まれただけでこんなになる私が、以前某FM局の生番組に10分という時間を3日間
もらって生出演する事になったからさあ大変。あの時のCM終わりのデイレクターさんのQサインは、今
思い出しても心臓がバクバクになる。
目の前には、シンガーソングライターの関谷真美さん、そして、またまた私としては、大ファンのYアナウンサー。
緊張するなというほうが無理。
仕事の話で出演するはずが、いちリスナーになりそうだった(^^;。
だいたい原稿も何も用意せずにノコノコ出かけて行って、10分間も喋れるほど甘くはない(笑)。

こんな事が明日も明後日も続くのかと思うと、やりきれなかったけど、後の2日分は別のスタジオで録音だった(笑)。
でも目の前には憧れのYアナウンサー。
少し話しが、詰まりそうになって、視線を外すと、サッと私の視線の中に笑顔で飛び込んできてフォローしてくれる。
ひとまわりは離れているだろうという年下の彼女が、この時ばかりはおねえさんに見えた。
「全然緊張されてなかったですね、お話に引き込まれてしまいましたよ。」と気を使っていただいたりして‥。

おっと。前置き長すぎなので後日に続く(笑)。なんじゃそりゃ。


















2002年01月17日(木) やってくれたよ!

どうも秋から仕事に出かけはじめて、残業までして、変だなあとは思っていたよ。
どうも最近、太ったなあ、とは思っていたよ。
どうも最近、鳴き声がいつもサカッてるとは思っていたよ。
どうも最近、やけに顔の周りが黒いなあとは思っていたよ。(関係なし)

やってくれました我が家の長男猫「まめお」君。

祝!!まめおオヤジ誕生!。

って喜んでる場合かなあ(^^;
またですかあ?

まめお、お前誰を妊娠させて、子ども生ませたかわかっとる?
お前のおかさんだった、こぶちゃんの妹、つまりお前のお母さんの妹「きんちゃん」だぞっ。

やれやれこんな寒い季節に、何匹出てくるやら‥。

正月友人からの年賀状には「今家に猫11匹、犬2匹。たすけてー」
って書いてあったっけ。

ジイヤ家も、いよいよ猫屋敷復活の幕が上がりそうだぁ‥。



2002年01月15日(火) ハードボイルド

アイツが帰ってきた。
冷たい冬の風が舞い込むドアから、音もなく入ってきて
当然のようにそこに立っていた。

風。一瞬頭の中によぎった匂い‥

振り向く前に、私はそこに誰がいるのかを悟った。

「‥よっ」

アイツは、私の声を無視するかのように部屋をゆっくりと見回しながら
ゆっくりと歩いてきた。

雰囲気こそあの頃と変わらないまでも、再会したアイツは、心の錆びを
顔に出していた。出会い、別れ‥。長い孤独な旅から帰ってきた男にしか出せない
疲れの色だった。



私は彼のためにミルクを温める。

自分には、お気に入りのキリマンジャロを丹念にドリップした。
コーヒーの香りが部屋に満ちる。悪くない香りだ。

遠い昔、このコーヒーの匂いがしみこんだ、海の見下ろせるカフェで
愛してしまった女を待ちながら、自動ピアノが奏でるショパンを聞いた。
そう。二度と逢えないと知ったあの日も、こんな冬の陽射しが差し込む昼下がりだった。
そう、長い間会わなくても、言葉さえ交わさなくても私たちには
目だけで話せる会話がある。

「コトッ」

彼がマグカップを置いた。

強い輝きを持つ目を一度だけ伏せて、アイツは立ち上がった。
懐かしそうにそしてゆっくり、壁の方に向かう。ふいに背中越しに私は声をかけた。

「もう行くのか?」

アイツは、向き直り、そう問いかける私の顔を真剣に見つめながら、体を振るわせてた。

ヤバイ。この瞬間ふたりの間には、壁が、空気の壁が存在することに気が付いた。

一歩ふみだす。冬の風がかすかに動く‥
言わなければ‥
このあと俺たちの関係がどうなろうと、今アイツに言わなければならない事がある‥

『だぁー!!まめお!そんなとこで、シッコしたら、いかん!!』

時はすでに遅かった。何事もなかったかのように、彼は「ニャー」と鳴いた。



「くっせえよっ(キムタク風)」

まめおを肩に乗せてファブリーズを探す私であった。






2002年01月13日(日) もう塗っちゃいました(^^;

「ばあば医者」が出してくれた「ばあゆ」を塗って寝た翌日、やはりまだ痒いし痛みが出ていた。


「こりゃいよいよイカンね。これ塗っときゃ。」
ばあばがまたラベルのないチューブに入った薬を出してきた。
(まさか今度は、じいゆ(じいじの油)とか、牛油とか、きんり油とか言うんじゃないよな。)
今度は学習能力が付いて、塗る前に聞いてみた(笑)。
「これはなあに?」
「医者に貰った虫さされの薬。」
(!)
(おおい!そんな立派な薬があるんなら最初にこれ出してよぉ(^^;))

安心して擦り込ませて頂きました。

ところがちょうどシートベルトにあたる部分に湿疹があるので一日終わる頃には、すこしガマンできないくらい
痛みが出てくる。この時点、いや、本当は、昨日から少し変だと思っていた。
虫刺されなら、刺された吸い口からウミが出てきても不思議ではないのに、全然でない。
吸い口みたいなプツプツはたくさんあるのに。それに、首筋の方はともかく、右胸の部分の痛みは虫
刺されのそれとはかなり違和感がある。
ムカデ、青虫、ゲジゲシ、アリ、あるとあらゆるとは言わないまでも、結構虫に刺されてきた私の経験から
言ってもどうも痛みの種類が違う。なんていうか、ひどい日焼けの上を蚊に刺され、更に塩で揉まれた上、擦り傷
作ったような痛みである。

仕事早く終わったので、その足で皮膚科へ。

患部を診るなり先生が言った。
「2種類の事が考えられます。ひとつはまだ良いほう、もうひとつは悪い病気です。」
(?!)
「まず比較的良いほうから。風邪なんかの熱の吹き出しが転移したものウイルス性のヘルペス。そして悪い方は、帯状疱疹ですね。」
(たいじょうほうしん?)
「水疱瘡と同じウイルス感染によるものです。もしあなたが、70歳以上なら、今出ている症状は立派に入院に値します。」
(!!!!)
「今出ている2箇所、実はひとつの神経で繋がっています。そうやって、ひとつの神経にそって体に出て行きます。
だからかなり後者の病気の方が疑わしいです。もし、今後背中にも同じ発疹が出たら入院された方がいいですね。」

話を詳しく聞くと、水疱瘡の抗体を体が持っているから、2度目にかかる水疱瘡なんだけど、水疱瘡の症状としては発病しない
という。
あれー?おっかしいなあ、私まだ水疱瘡だけやってないんだけどなあ(^^)
って笑ってる場合かなあ。水疱瘡?ヤバイじゃん!。種無しになるってやつだよな大人がかかると。

「あの〜先生、私1月の2日から熱の吹き出しが唇の下に小豆くらいの大きさで出ていたんですけど‥」
「うーむ。とすると判断がますます難しいですね。こういった症状で一番悪いのはヘタに
 痒み止めとかの薬を患部に使うことです。何か塗られましたか?」
(ドキッ!)
「いっいえ、まだそっその「ばあゆ」くらいで。」
「ばあゆですか。まだそれなら良いんですけどね。ステロイド系の虫刺されの薬とかは絶対やめて下さい。」

(えっ?あははっ。もう塗っちゃいました(^^;)。)

実は、ばあゆが少し危なそうなんで、あの後キンカンも塗ったんだな。ものずげー沁みて、フーフーしちゃったもんね。
で、今朝は虫さされの薬でしょ。(^^;)

「いつから症状が出てますか?」
「えーっと1月の5日くらいからですかね。」
「じゃ、あと1週間はとにかくゆっくりして下さい、力仕事、ストレスは厳禁ですからね。それから、体力の落ちている
 お年寄り子どもには近づかない方がいいかも知れません。ごくまれに移ります。あと、風邪引いてる家族はいませんか?」
(えーっと、ピースケとプッチが鼻風邪ひいてます。どちらもまだ子どもなんですけど)

その後、ビタミンなんちゃらとウイルス抗生物質と湿布と塗り薬を貰って病院を後にした。
2日後にまた来いと言われた。
しかしこの湿布と塗り薬、余計痛痒い。

しかしほんと水疱瘡ウイルスだとしたらまずいかも。

で2日後。
「うーん、きれいに治り始めてますねえ。10人中2人くらいの確立ですよこんなに効く人は。」
っておおおい、そんな確立悪い薬なんかい!(-""-;)
「軽くすみそうですね、念のために検査だけ後日しときましょう。」

というわけで、また後日に続きそうです(^^;)











2002年01月10日(木) ばあゆ

我が家には、ケガや病気になった時にかかる「ばあば医者」がいる。
もちろん本格的なケガや病気には対応できないけど、風邪のはじめや、腹の調子が悪い
とか、痒いとか 初期症状に限定でかかれるのだ。
で、家族の誰かが調子が悪いと、「ばあば医者」は、押入れの中の救急箱から、また、自分の鏡台の引き出しから、または
電話台の引き出しから、時には台所の引き出しからといろんな所から、薬をひっぱりだして来る。

「ばあば医者」は、特に虫さされなどの痒みをともなう症状においては、なかなかの権威である。
うちの「じいじ」はしょっちゅう虫に刺されている。蚊、ブヨ、はもちろん、柿木に付くあの刺されると激痛の走る青ゲジゲジ虫や、
松に付くゲジゲジたちにも刺されまくる。
そんな時、「ばぁば医者」の薬はよく効くらしい。

私も正月早々ダニに食われたようだ。
なにしろ右胸の上、首筋に発疹がある。痒い、うえに痛い。というわけで「ばあば医者」の診察を受ける事になった。
さっそく鏡台の引き出しから、薬を持ってきてくれた。

何しろ今まで、腹痛にしろ、熱さましにしろ、ばあばが出してくる薬は、いつもまるで聞いた事のない名前の薬だ。
「ノーシン」「メンソレ」など有名な薬が出てきたことがない。

その最たるものが、今回初登場?の“ばあゆ”という名の薬だ。
“ばあゆ”。この聞くからに怪しげな響きの薬。「ばあば医者」最強にして最大最終兵器だ。

最初聞いたとき思わず「え゛」と唸った。
私の頭に中には、いろんな良からぬ想像がトグロを巻いた。
「まっ、まさか、ばあばの体からでた油なのではないか?。ばあば油、略して“ばあゆ”?(^^;)」
そっそんな気色悪い。

聞けば、何にでも効く万能薬というし、薬の容器にはラベル等何も貼られていない。

「ますます怪しい。落語なんかで出てくるガマの油と一緒だ。信じがたいがこれはきっとばあばの油なんだ。」(笑)

昔、子どもの頃あった「オロナインH軟膏」とか「タイガーバーム」といった万能薬と同じで、切り傷、すり傷はもちろん
湿疹にも火傷にも、なにでも塗ると効く、あの一家にひとビンの万能薬たちよりも更に強力な薬‥だそうだ。

「イヤ待て待て、ばあば一人でこんなに油が出るわけない。隣のトメさんとか、おかげ長屋(どこにあんじゃ!)
 のつねばあさん なんかの 油も混ざっているのでは?」

ますます思考がトグロを巻く。

「え?ははっ。これね?。ぬ、ぬ塗るんだよね。ははっ」
 意を決して指先にとり、そっと塗ってみた。ベトベトしてる。かなりべとつく。
恐る恐る聞いてみる。
「これ何?なんの薬?。」
「ばあゆだよ。馬の油。」
「!うっ馬のあぶら!?。ああなるほど。それで“ばあゆ”っていうんだ。ははっ。」

ばあばの油じゃないことは分かったけど‥。うっ馬の油?

そっかあ。でもこれ油になる前は何号っていう名前の馬たったんだぁ?
まさか、ハイセイコーや、シンザン、ナリタブライアンのような一等賞の馬?
「まずいぞ。ゲートが開いたら思わず走り出したり、ムチでお尻叩いて!なんて気分になったらどうしよう?。」

ところが‥
次の日には痒みはおさまったけど、ピリピリ痛みが出だした。
ばあばの最終兵器も効かなかったというわけです。
なぜなら‥実は‥‥
この続きは後日。(笑)

















2002年01月08日(火) 友、遠方より何しにきたん?

年末のとある日、懐かしい声を聞いた。
3年になるかな電話もしてなかったっけ。

大学の1年の頃それこそ、恋人よりも長い夜を幾度も過ごしてきた友人のGからだ。
余談だけとうちの大学、現在は知らないけど、伝統として、全学生にニックネームがついている。
母校は1回生からゼミがある。最初のゼミの自己紹介の時に命名された者、サークルでつけられた者、それぞれだったけど
必ずニックネームを持たされる。
そしてそのニックネームが大学4年間の呼び名としてずっと先輩後輩関係なく呼ばれる。
中には親友なのにそいつの本名を4年間、知らなかった、なんてケースはごくごく当たり前の話として
登場する。

このGも当然ニックネーム。大学2年の時中退してしまったけど、ずっと仲間として付き合ってきた。
コイツとは郷里も一緒ということで妙に気があった。お互い性格は反対なんだけど。

とにかく久しぶりに電話かけてきたG、こんどそっちに遊びに行くからという。
これまた、3回生、4回生と私と同じゼミ友だったY(千葉在住)と言う友人と一緒に。

で当日、午後4時に電話があった。「今からこっち出るからね!」
当然、新幹線で来ると思っていたらどうやら車らしい。
「じゃ7:30くらいだな。待ってるよ。」

ところが7:30にまた電話が鳴る。
「ごめーん渋滞でまだ滋賀県。実はYさ、9ヶ月の子ども連れてんねんな。だからそっち着いても
もう遅くなるから、今夜は諦めるわ。でな、明日Yを昼ごろ駅まで送ってくから、明日昼でも一緒にどう?」

「おおいいよ。時間空いたら電話するよ。」
「私な、久しぶりに 味噌にこみ 食べたいんやんか、でなYは ひつまぶし が、ええんやって。どっか知っとる?」
「うーん、それが同時に食える店はないと思うぞ。」
「せやろな。ほなな、私をうどんやに連れて行って、Yをうなぎやに連れてって。」
「はぁ?お前ら別々に食べんのか?。俺はどうすればええの?」
「ん?アンタか、まず私をうどん屋に置いといて、Yをうなぎ屋につれてくやん。そしたら、またうどん屋
 に私を迎えに来てぇや。私食べおわっとると思うから、そしたらY迎えにいこ!(笑)」
「‥‥。あのなあ‥。俺コンビニでおにぎり買って食いながらその間走るんかい?」
「いや、おにぎりやなくてサンドウィッチでもええよ。」
「ほな、ミックスサンドとおにぎりお願い!」
「いやー、うちらは、あんたに奢ってもらうんやから、贅沢はいわへんで(笑)」

万事コイツとはこんな感じのやり取りが続く。
コイツと話すると普段眠っている関西人の血が騒ぎ出す。
相手がボケかましてくると、ツッコミ入れつつ、相手よりもっとボケ入れないと気がすまない。(笑)。

で、結局この夜は会えずじまい。

翌日、昼間電話を一応入れてみた。
「いまどこにおんねん?」
「前下宿しとったあたりウロついてんねん。ごっつう懐かしいわ。もうちょっとしたら電話するわ。」

といいつつ時計はすでに3時前。
腹減った。せっかくコンビニでおにぎり買ったのに(笑)。

と、電話。
「今、名古屋駅。Y送ってきた。」
「なんや、もう帰ったんかいYは。お昼どうした?」
「さっき、きしめん食べたよ。領収書貰っといた(笑)」
そんなこったろうと思った。(笑)

おりしもこの日の天気予報、夕方から関西方面は雪。
私も仕事のミーティングの時間までもういくらも残ってない。
「まあ、ええわ、また今度ゆっくりコイヤ、もう行く時間ねーぞ。」
「うん、わかったごめんな。お騒がせして(笑)」
「まあそんなもんやろう(笑)」
「うん、ほなな。元気でやりや。今から帰るわ」
「おお。お前こそ気をつけて帰れよ。」


結局、そこまで来てて顔も見せずに帰っていった。本当に会いたかったんだろうかアイツ(笑)。

開けて新年。あいつから年賀状が来た。
「年末は失礼しました。あの日、君に今から名古屋でるわって電話切った後、車のバッテリーがいかれて
動けなくなりました。今度は会おうねっ」だって。

あのなぁ、そういう時こそ正直に電話してこいってば。(笑)

でもあいつ本当に何しにきたんじゃ(笑)。









2002年01月06日(日) 猫まめお君のお仕事は?

久々にじいや家、猫長男、まめお君のお話

毎日毎晩どこかに出かけていたまめお君について、家族で話している。
いったいどこへ行くんだろうか?何してるんだろうか?


まめおは仕事に行っている。どうやら夜勤のある職場らしい。という話が持ち上がってきた。

車の板金屋さんのお手伝い。
「まめお、朝までにやっとけよ!」とか言われてどこかで使われているらしい。

夜いなくて朝帰ってきて、ご飯食べたら寝て夕方また出て行く。

いや板金屋さんじゃなくて、この前開店した肉屋さんで場外整理していたらしいよ。
「へいへい、いらっしゃいニャー!広告の特選霜降り肉はこの列に並んでほしいニャー」とか言ってた。

ん?まめおってさぁ、夜な夜な猫バスになって、走り回ってるんじゃないの?‥とか。

ところが、まめお夜勤説が出て、しばらくすると、朝ご飯食べたら午前中だけ寝て、2時ごろから出て行って、夕方戻ってきて
ご飯食べたらまた出て行くという状態になった。

この頃からいろんなうわさが飛び交うようになった。(なんて平和な家族)
勤務体系が代わったらしい、いや転勤で飛ばされたんだまめおドジばっかりやってるから。だの、

昼間は、近所の病院で場所取りの仕事してるらしいよ。
「おばあちゃんに医者の順番取るように言われたニャー」とか

いや、どうやら三交代制の工場のラインの中に入っているらしい‥とか。

いや、カーテン屋さんの配達していたのを見た(どうやって運ぶんじゃ)とか‥。
違う場所でコンビニの棚卸手伝ってたけど、かまぼこ盗み食いしてクビになったって言ってたよ
(誰がいうんじゃ!)とか‥。

最近はジィジまで、まめおの顔見ると
「おっまめお今日は休みかあ」とか言っている。

しかし一説には、ただ、あっちこっちの家で、餌を貰ってるんでは?という話もある。
コンビニの前でじっと待っていて、家族が多いので物乞いしている‥とか。

いやうちのまめお君に限ってはそんなハズはない。
小さな頃、近所の台所に忍び込んで、「スポンジたわし」をいっぱい盗って来て集めてたその罪を
大人になった今、一軒一軒償っているらしい‥。

しかし、家族の誰ひとり、一度もまめおが給料貰ってきたところを見たことがない。
まめお、ただでこき使われたらかわいそうだね。

正月はどうやらお休みだったみたいで久々にずっと家に居て、小さい子たちの世話をしていた。
というより世話をされていた。おいおい。

まあ実際、ご近所の迷惑にならずに、体壊さずに毎日帰ってきて、ご飯食べてくれたらいい。
交通事故に遭いませんように。







2002年01月04日(金) 船で行く九州はモルディブより遠い



午後12時30分集合。私初めてのバスツアー。
人数は34人。バスのあいてる席は自由に使っていいとの事でかなり快適。
はっきり言って自分と会社の人間以外の運転は信用できない。たぶん長く運転を生業とする方は
みんなおんなじだと思う、たとえプロの方でも。でもしっかり寝ました。(笑)
3時30分2回のトイレ休憩で予定通り泉大津着。ぜんぜん混んでないや。

久しぶりの船。さっそく探検。
4階から6階まで隅々まで。(笑)
共有フロワーの喧騒から離れて部屋でのんびり。と思いきや、室内アナウンスが‥
「まもなく明石海峡大橋の下を通過します」
あわててカメラもって甲板へ。ドアが開かないくらいの強風。さむう。
はぁ、うまく撮れなかったなぁと再生してるとまたアナウンス。
「まもなく瀬戸大橋の下‥」
ダァーッ、再びのダッシュ。さむう。

しかし、大晦日に、こんなに平和で世間に申し訳ないなあと思うくらい、のんびりゆったり気分。
いい加減酔っ払って紅白を見る。ベーヤンやるじゃん!

2001年のうちに就寝。午前4:20起床。しまった!四国大橋寝過ごした(笑)。
身支度を済ませて5:30新門司着。下船。スゲー風。すぐさまバスに乗り込む。
初日の出は7:21らしいが、バスの中。当初ハウステンボスの帰りに寄るはずの大宰府へ、道が空いてる今のうちに
ということで向かう事になった。
明け方でも7度ある。暖かい新年の朝。
なつかしいなぁ、22年ぶりの大宰府。
なんとなく見覚えがある。大宰府といえば梅が枝餅に甘酒で決まり!。おいしかった。
でも私この後、露天で売ってた「はしまき」も食し、挙句喫茶店でコーヒーとクロワッサンまで
食べた。ほんとこの旅はよく食べた。参拝後激しい雨。あーあやっぱ降ってきたか。
高速で1時間30分、長崎といえば‥カステラ工場へ(笑)。雨があがった。頼まれた分6本を買う。
15分後ハウステンボス着。滞在時間は5時間。
9年前に来た時と同じように、施設内バスでまず、バレスハウステンボスへ。
今回の目的の一番は9年前買いそびれた写真集を買うこと。
でも、さすがに同じ物はもう売ってなかった。(苦笑)だよね。

この頃船酔いの揺れが少しやってくる。よってアトラクションは全部不参加。だって船ものが多いんだもん。
これ以上、船に乗りたくないもんね。(笑)
でこれまた同じパターンでオークションハウスへ。ご存知とは思うが、ここのオークションだんだん値下がりしていく
というパターン。前来たときは、奥様がなんに使うのかそんなもの要るのか?という「鍋敷き」を落札したことがある(笑)。
なんだか11万の時計が8万5千円まで下がっているが買い手なし。だよね。

昼食はホテルヨーロッパでカレー。どうしてもカレーが突然食べたくなったんです。お正月はカレーですよね!!

デジカメで写真撮りまくって、一応満足(笑)。
でもやっぱ一眼レフ持って来れば良かったかな。

以前、ここの舞台、実は知り合いが仕切っていたのでK君やM君を探してみるがもう居ない。

正月だからか人手少ないね。以前とは印象がだいぶ違うなあ。
あっ3日に杏里のライブがあるじゃん!うーん3日に来たかった。

おみやげ買うこともなく3:30バス集合。一路福岡へ戻る。
ここでまたおみやげ屋さんへ。辛子レンコン、明太子、明太子プリッツと紫芋ポテトを買い求める。
まるでおみやげ観光ツアーだぁ。でもこれバスの中に置いといて大丈夫なでしょうか?ちと不安(^^;

20:30新門司発。またフェリーだぁ。今朝、この船から降りたような気がするのは気のせいか?
ご飯食べておとなしくベッドへ。バイオに撮った画像取り込んで寝る。
7:45朝焼けの明石海峡大橋を撮る。風で飛ばされそう。この旅で撮った写真約120枚。
朝レストランで朝食。「おぞうに」するか「洋食」にするかなんて平和な問題に悩みつつ、ふと隣を見ると朝からおじさんたちはビールだ。
昔、まだ20代前半の頃、大学の先輩が言っていた格言を思い出した。
「オヤジはよぉ、旅とか行ったら、やっぱどこへ行っても何やるにしてもまずビール。これが基本だて!!」‥だね。

9:30泉大津着。またバスの人になり一路名古屋へ。箱根駅伝が気になって(^^;)添乗員さんに
TVつけてもらいました。なんてわがまま(笑)。
途中で雪が舞ってきたけど無事に、予定通り12:30到着。船酔いもほとんどなし、今のところ‥。

初めてのバスツアーはなかなか快適でした。年末というと、いつも慌しいか風邪ひいて調子悪い
かのどっちかだったけど、ゆったりできてよかったなぁ。

ただ、無理はわかってたけど、九州に友達の多い私。
せっかく行ったのに誰にも会う時間がなかったのは残念でした。
(そんなのツアーじゃ無理だってば(笑))
感想‥‥船で行く九州はモルディブより遠い(笑)
でもいい旅でした!!!。運転手さん添乗員さん、奥様に感謝!。






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