ひとりごと日記
昔からひとりごとの声がデカすぎると周りに迷惑掛けてます。

2001年06月29日(金) 今時の女子高生は



スカートがとっても短い。ほんとは嬉しいけど、ちと困る。
そもそも、男たるものなんでパンツが見えると得な気分になるのか、長年、男をやっててもわからない。

とある雨の日。地下街から地上へ出る”屋根のある階段”。
「あ〜あ、まだ降ってるのかなぁ」と、何気なく上を見上げた。
そこには、後姿の可愛い高校生が2人、超ミニのスカートを気にもせず、なにやら
夢中に話しながら、上がってゆく。!!!

うわっマズイ!と思いつつも、思わず視線を落として階段を上がる。私の後には、おばさんが二人、「まぁ!」と言ながら見上げている。さらにその後の若いサラリーマン君たちは、ニヤニヤしながら続く。
私だってもう10年若ければ見上げているさぁ。
しかーし、日頃より、世の中の風潮として、オヤジ=スケベのイメージが彼女たちの世代に浸透しているのを意識して?「よし、ここはひとつ、オヤジの紳士さ、清潔さをみせちゃる」。
ここで見上げたら、世の中のオヤジの沽券にかかわる!
しかし、こういうときの階段は、長い。なんかしらないけど長い。彼女たちのおしゃべりの声が大きくなった拍子に
ふと、見上げてしまった!。そして、偶然にも、彼女たちは振り返ってしまったのだ。
飛び交う視線と視線。戦慄の瞬間。きまづい雰囲気。
音を立てて崩れていくオヤジの沽券…。今の今まで見上げてなんかいなかったって!
ほんとだよ信じろよぉ。
そう思った瞬間、まだ、なが〜い屋根のある階段の途中で、とっさに持っていた傘を開いてしまった。
…。飛び交う失笑。「えっ」という若者君たちの小さな声。…そして、彼女たちの笑い声…。
雨も降り込まない”屋根のある階段”で、こうもり傘を開いて、ひとり階段をのぼっていく恥ずかしいオヤジ。

世の中のオヤジたちよ!笑いものになりながらも「沽券のかけら」を拾い集めたぜ。恥ずかしいぃ。






2001年06月27日(水) やたらと痒い

やたらと痒いんですけど…。
7匹のネコめ!ノミを落とすでない!。
今年は異常に多いぞ。まだ子猫達なので、ノミの餌食になりやすいのかなぁ。

ところが、こいつらときたら、人間がいや、私がノミに弱いことを知っている。

夜、珍しく家に誰も、誰ーもいない。一日ほったらかしにされてた7匹のネコは、私をみるなり飛びついてきた。
「まだエサもらってないニャー!」
「ミルクとちくわが欲しいニャー」
「夕刊もまだ、読んでないニャー」
「ネコ缶昨日買ってあるんだろう?ニャー」

うるさーい。わかったわかった。顔洗うまで待ってくれー。そう言って鏡に向うと、何匹かは、おとなしく待ってる様子。
ところがだ、一匹だけどうしても足元から、離れない。「ニャー!」とも鳴かずに、足に体をなすりつけている。そして、時々こっちを見上げて「ニヤ!」と笑う。

おまえ…密かにノミ移してるだろ。あっほら見ろ。痒くなってきたぞぉ。
そんな感じでやたらと痒い。ついに、ノミ取り薬を飲ませることにした。
私も痒いけど、おまえらもって痒いんだよなきっと。
おまえらの大嫌いなシャンプーもまめにしてやるからな。

しかし、実は私は知っている。おまえら、家族の誰かが帰ってくる度に、
さも、お腹がすいたふりをして、
「まだエサもらってないニャー!」
「ミルクとちくわが欲しいニャー」
「夕刊もまだ、読んでないニャー」
「ネコ缶昨日買ってあるんだろう?ニャー」
を繰り返している事を。






2001年06月25日(月) 愛着のある靴。ある雨の日。

愛着のある靴というのは、なかなか手放せない。
たとえ、どんなにくたびれても。
ある雨の日、営業に出かけた田舎の地で、ついに、我が愛する靴底から、水が浸入し始めた。気が付けばそんなになるまで、履いていたのだ。

田舎には、信じられないような店が存在することがある。
こんな所で儲かるのだろうかという店。
私が見つけた靴屋も、そんな感じの一軒だった。
しかし、ちょっとガマンできない雨漏りに耐え切れなくなって、大丈夫かなと思いつつも入ってみた。
戸を開けて入る。ピンポーンというチャイムの音。ん?ピンポーン?。
しかし誰も出てこない。なんか、泥棒にでも入るような気分だ。
しばらくして、奥から声が。「ハーイ。ちょっと待っててね」
感じとしては、近所の人が回覧版を持ってきたような親近感のある声。
人のよさそうなオバサンが一人出てきた。
「こんにちは」勤めて明るく言う。
おばさんの顔がこっちを伺っている。「この人どこの家の人だったかしら」。
あきからに、自分の記憶の中をさまよってる顔。
「ちょっと見せて下さいね」。そういうと、おばさんは「あっいらっしゃいませ」と、途端に顔がこわばってきた。
おばさんが緊張したのがわかる。それをみてなんだかこっちまで、緊張してきた。
歩き方もどこかギクシャクしてくる。
改めて店内を見回す。この靴いつからここに置いてあるんだろうという感じの靴が何足も並んでいる。しかも、みんながみんなか結構高い。
しまった。そう思ったときはもうすでに出にくい状態に陥ってしまった。
何年ぶりかの一元さんのお客なのだろう。おばさんもどう対応していいのかわからない様子で、オドオドしている。
狭い店内に切迫した緊張感が走る。随分長い時間と思われる時間が流れる。
私は意を決して、中の一足を選び、これの25.5はありますかと聞く。
え、あっはいちょっと待ってください。棚の上によじ登るようにして、サイズを探すおばさん。
あーありましたよこれですね。
試着してみる。なんか、一刻も早くこの店を出たい気持ちに駆られて、いいかげんにこれ下さいと言った。
ありがとうございます。
お金を払った。このまま履いて行きますので箱はいいです。
と、おばさんの返事は、
今日は雨だから、やめたほうがいいですよ。もったいないから。
そう言って、丁寧に箱に入れて、包んでくれた。

そうですね
私も説得されている。
はい、ありがとう。そう言って手渡された新しい靴を袋にいれたまま、その日一日、
雨漏りのするお気に入りのくたびれた靴で過ごしてしまったのでした。
そして、次の晴れた日に、おばさんの言うとおり、新しい靴をおろした私でした。
なにやってんだか。








2001年06月05日(火) 男の朝の儀式

男の朝の儀式 

降り注ぐ朝日の中、熱いシャワーを浴び、体を起こす。
ジャクソンブラウンなんか聞きながら、シャボンを顔に塗り髭をあたる。
熱めのコーヒーを胃に流し込みながら新聞を読み、今日着るスーツを選び、タイをキリッと締め、車へ。
というと、なんだか様になっているが、実際の髭剃りはこうはいかない。

そもそも髭を最初にそったのはいつだったか。
中学生の頃、おやじのマネをして、石けんをこすり、大人の気分に浸ったことがあったっけなぁ。もっとも、まだ、ろくに生えてもいない髭には、T字型の髭剃りでは、剃れずに、「貝印」のカミソリだった。当時、制服のスカートをチンタラ引きづった、同級生の女の子が持っていたような。ん?

いつ頃からか、毎日剃らねばならなくなった私の髭。私はどうもシェーバーが苦手である。
朝の車の中で、髭を剃っている人をよく見かけるが、あれができれば、どんなにいいだろうと思うこともなくはない。
だが、シェーバーは上手く剃れないのである。もっとも、カミソリでも上手いわけではない。というのも、私の髭は、散髪屋のおばちゃんに言わせると、袋ヒゲという種類になるらしい。うまく説明できないが、毛先が毛穴から完全に出ていないのである。
なら、剃る必要ないのでは?と思うなかれ。触るとしっかりゾリゾリしている。
これが、剃っても剃ってもなかなかツルツルにはならないばかりか、皮膚から血が噴出す。
散髪屋のおばちゃんはついに、この髭を目の敵にして、いつの頃からか髪を切ったときも、私の髭を剃っては、くれなくなった。(その分散髪代を300円引いてくれる)
しかし、髭の主である私は、剃らないわけに行かないので、毎日2枚刃のT字カミソリでジョリジョリやる。これが、結構時間がかかるし痛い。毎日、顔のどこがで出血している。
いつか、貧血になるのではないかなどと心配である。
暑い夏の朝でも、お湯は必須。まず、お湯で髭を暖めて柔らかくしなければならないからだ。それに顔から小さなマグマのように吹いてくる血のお陰で、髭剃り後10分はシャツが着れない。そのために、私の朝は、若いネエチャンのように時間がかかる。
アフターシェーブローションは必需品。だが、これも選択を誤ると結構しみる。痛い。
今でこそなくなったが、冬の出張の時、朝、お湯の出ない旅館なんぞに泊まらされた日には、涙ものであった。そんなこんなで、日曜日、長期の休みの間は、私は肌を休めるため髭を剃らないことにしている。こんなに苦労しているのだが、日曜日にしか会わない人にとって、私は、無精ひげの人で通っているらしい。








2001年06月03日(日) ネコに羞恥心を!

前にも書いたネコのお話。
相変わらず、遊んでくれー、抱いてくれーの日々。
大人のネコたちは、さかりで、なんとなく一日中一緒にいたりしている。
そんなネコたちを見ててふと思った。
もし、こいつらが恥ずかしいという感情をもったらどういうことになるのかと。

当然ネコは服を着ていない。人間で言うと、裸のまま、外出し、裸のまま飯をたべ、裸のまま寝ていることになる。
おすネコのお楽しみ袋は、おしりの下についているのをご存知だろうか。
もし、彼らが羞恥心をもったら…。
当然、しっぽを上げて歩くことは出来ないだろう。お尻の穴丸出しになる。
メスはまだ、尻尾をたらせば見えないが、オスは悲惨である。
尻尾では、お楽しみ袋は隠せないのだ。
きっとお座りの姿勢のまま、前足だけで、ほふく前進するしかないだろう。塀に飛び移るなんてもってのほかの恥ずかしい行為となるし、おしっこする姿など、メスなどは、絶対見せれなくなる。
それにきっと自分のガラにも、不平や不満が出てくるに違いない。
「ぼくはなんで縞々なの。シロクロのブチになりたい!」とか。
ブチはブチでブチのある部分を気にするようになる。
「私の黒ブチ、なんで目のところだけなのかしら。これじゃまるで寝不足の隈だわ!」とか。
さかりをあげる声もきっと、かみ殺したような声になるかも知れない。
交尾を他のネコに見られようもんなら、恥ずかしさで全身の毛か逆立つかも知れない。
いや、まて。人間でも、一部の人は、見られて興奮するという輩もいらっしゃるから、もしかしたらそんなネコもいるかも知れない。
昼間出歩くネコは少なくなるだろうし、高いところに登るネコも減るだろう。
やたらな所で、おしっこや、うんこはしなくなるだろう。
うーん。なんとかして、ネコに羞恥心を持たせることは出来ないだろうか。





2001年06月01日(金) 牛丼の正しい食べ方

正しい牛丼の食べ方?

先日の吉牛の250円セール期間には3度、食べに行った。
いや正確には、一回目は、セール期間中だと思い込み、並と味噌汁を注文し、いざ会計へ行ったとき、いつもの値段だったという、ドジを踏んだ。しかし、この時も、半信半疑で、「牛丼は250円に値下がりし、味噌汁が高くなったのか?」なとど思い込んだ。

結果、セール中ではないのが悔しくて、後日2回も行ってしまったというわけです。
もともと、学生の頃から好きだったので、金のない頃はホントによくお世話になった。
誤解を恐れず言わせて頂くと、吉牛の牛丼の一番美味しい時間は、深夜から明け方に掛けて、客が少なくなったあとだ。よく煮込まれて、実にいいダシになる。

さて、この牛丼。一杯のドンブリにも、ただしい食べ方というのが、あるらしい。
まず、注文。「お後並一丁!」の言葉の後に、出された茶をすする。
まもなくでて来るドンブリ。まず、しょうがを盛る。そして7味をこれでもかっ!というくらい振る。
いよいよお箸を割ったら、食べはじめるのだが、ここが問題。
私の数十年の吉牛観察日記では、ある法則がある事に気づいた。
それは、ほぼ10人中9人までが、ご飯の上にのっている肉を箸でよけて、ご飯だけを一口目に食べるのである。
みなさんも今度お出かけになったら、ぜひ観察して頂きたい。確立90%の法則。
やはり、ご飯の上の肉は、大切にし、ご飯の最後の一口の時まで、残さないと、ならないのである。これが正しい吉牛の食べ方?といえるのではないか。

しかし、この法則に気づいてから、私は意地になって肉から食べている一人なのだが、昨日とんでもない人と遭遇した。
タクシーの運転手らしいその人は圧巻だった。並が出てくると、まず、肉から食べ始めたかと思うと、一口ご飯を食べただけで、貴重な肉を先に全部食べてしまった。
残されたのは、ご飯の山盛りのみ。
どうするんだ?といらぬ心配をしている私の隣で、彼は言った。
「牛皿並一枚!」と。
おぬし、相当すきだなぁ。







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