埃まみれのノートブック
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2006年10月30日(月) Is there my next year?

また来年行こうね、また来年しようね、
って言葉を聞く度に戸惑う。

ここは悪い場所ではない。
会って楽しく過ごせる友達もいる。
そんな時、楽しい気持ちの中に複雑な気持ちが入り混じる。
ここに居てもいいのではないかとも思ったりする。

けど、私の中で来年は…
まだ決めていないけど…
ここから去る予定です。
そうと決めて大分経つけど、
迷い焦り戸惑う事も多くて。

主治医に話したら、無理だと思うと言われました。
あくまでも「今」は。

自殺まで考えてる女だよ。
当然だよね。
来年なんて私には無いんじゃない?って思うことも多い。

今年もあと二ヶ月…


2006年10月25日(水) セカンドオピニオン

昨日、病院に行ってきた。

なかなか良くならない私の病状を見て、
先生が辛そうに、「もし他の病院で、そちらの方が
合っていたり良くなってると感じたら、遠慮なく
行って欲しい。だってあなたの夢を叶えてあげたいから」
と仰った。
つまりセカンドオピニオンを求めてもいいと…

それを聞いて切なくなった。
既に、過去に他の病院に行ってみて
合わなかった自分がいたから。

先生、ごめんなさい。
こんなどうしようもない女を見捨てないで下さって。
いつでも、あなたを診ますと言われて
嬉しかった。
一人にされることが今一番怖いんだ。

ほんのささいなことでもいいんだ。
誰かと話せる時間が持てるのならば。

「大丈夫?」の一言だって構わない。
それすらも今は殆ど聞けない状態が続いてる。
私に接しにくいですか?でもそんなあなた方もきっと
辛いんだろうね。だから声かけられないんだよね?
いいんだ分かってるから。
孤独とはやっぱりおさらば出来ないようだ。

本当に私はろくでもない人間だと思う。
病みっぱなしで何にも出来ない状態。
不安定な心。

ただ闇雲に病んだまま年を重ねるくらいなら
いっそ誰か私を殺してください。
お願いですから。
疲れて生きる希望がやっぱりもう持てない。


2006年10月23日(月) プレゼント

物凄いパニック障害の発作、過呼吸などで
連日辛い日々が続いている。

というか、「辛い」という一言ではとても表せない状態。
無残な状態です。

今も離人症っぽくて、少し意識が遠のいてきていて。
此処を更新するのは、自分の為とあと、心配してくれている
友人たちに私の状態を知らせるため。
だから、書きます。

相変わらず孤独感が酷く、このまま一人で死のうと
考える事も多くて。
幸せにはなれなかったけどもういいやって思って。

先週は毎日のように自分の葬式のことを考えてた。
私が死んだら誰が泣いてくれるんだろう。
くだらないかも知れないけど、すごく知りたかった。

そんな中
絶対無理だと思っていた、倍率の高そうな、
私の大好きなDuoのコンサートチケットが当選した。
まだ先。三月。
これは、神様がくれたプレゼントなのかもしれないね?
その日まで生きろっていうメッセージなのかもね?

ありがとう。

見守ってくださってる方々へ

ありがとう。


2006年10月20日(金) 本当はあの時自殺してた

いじめによる、子供たちの自殺が続いています。
教師も加担したとかで、許せない、やるせない、辛い
気持ちでいっぱいです。


私もいじめを受けた子供でした。
小学生の時二年間
中学、三年間
高校、三年間

いじめからやっと解放されたのは18歳の時でした。
特に中学の時のいじめが酷く
クラス全員の前で恥をかかされたり、
無視、暴力等、耐えられないことばかりでした。
それも殆どは男子にいじめられていました。
でも私は必死で耐え、親にも言えず、毎日耐えました。

その頃はあまりに辛くて、担任に相談したけど
無視されました。そして担任も私に暴言を吐きました。
まるっきり、最近死んでしまった子たちと状況が似ています。

生きているのが不思議なくらいだった、中学時代…
私も本当だったら自殺してたはず。
あんな状態は酷すぎたから。

でもたった一人の友達が私を支え続けてくれました。
今でも大好きな友達です。
もう一人、助けてくれた先生がいました。
その二人が居なかったら私はもうこの世にはとっくにいなかったはず。

今、自殺してしまう子供たちを救いたい。
そんなニュースを聞くたび、自分の辛い過去とシンクロして
涙が出そうになるこの頃です。


2006年10月15日(日) 会いに行きたい

身体の調子を崩しました。
多分、原因はODだと思います。
内臓のあちこちが痛みます。
次の診察の時、検査を受けた方が良さそうです。

先生に正直にODのこと話しました。
先生はとても辛そうに、頭を抱えておられました。
ごめんなさい、先生。
もうしないで、と言われました。当たり前ですが。
そしてこんなODをしてしまった私でも見捨てないで
これからも診て下さるみたいで。
よかった。
ODは最低だけど、話せて良かった。

いろんなこと、抱えすぎて誰にも話せず溜め込んでいました。
苦しかった。
そして今もとても苦しいです。

今日、悲しいことがありました。
古い付き合いのメル友さんが私の病気のことを
知りたいと言ったので、(理解するために)
正直に言ったら思いっきり引かれたようです(苦笑)

「**ちゃん(私)を傷付けそうで怖いです。
そして同情するけど、あなたを救うことはできません。
なので、**ちゃんが元気になったらまたメールしましょう」
だそうです。

見た瞬間、血の気が引きました。
気を遣ってくれるのは分かるけどちょっと遣い過ぎ…

救ってもらおうなんて思ってないし
話して欲しいって言うから話しただけなのに
どうしてメール交換をやめるとかそういう方向に行くんだろう。
普通に接してくれれば良いのに。
それだけで嬉しいのに。

だから、正直にそのことを書きました。
そして私が元気になる日はとても遠い未来だと。

治る兆しが見えたときもあったけど、
今はまた暗いトンネルに入ってしまいました。

消えたい。
正直消えたいです。

おばあちゃんに会いたい。
おばあちゃん、私もそっちに行きたいよ。
どうして死んじゃったの…。
行っても追い返されるだけだろうけど、私は今おばあちゃんが
恋しくて恋しくてたまりません。
これを書いてる今も涙をこぼしながら書いています。


2006年10月09日(月) オーバードーズ

二日前にoverdoseしました。
限界がついに訪れて、やってはいけないことを
やってしまった。
計画的なものでもなく突然、飲みたい衝動に駆られて。

50錠ほど飲みました。
こんな量では死ねないって分かってるくせに、
自分を傷付けないと生きていられなかった。

ごめんなさい。
ごめんなさい。
たくさんの人に謝らないといけません。

此処を読んでくださってる方、ごめんなさい。
友達のみんな、ごめんなさい。

私はとても弱いです。
母を、父を、とても悲しませてしまいました。
入院した方がいいのかも知れないです。

でもそこまでしてお金かけて生きる必要はあるのか?

メールをくれたRさんありがとう。心配かけて本当にごめんね。
Sさんありがとう。
Kさん、お返事遅れていてごめんなさい。
絶対メールします。

静かなところで休みたい…
なんのしがらみもない世界に行きたい…


2006年10月01日(日) 存在

私には、辛い時に駆けつけてくれるような存在は居ない。
友人も、彼氏も、何にも無い。
近くに友人は住んでいるけど、彼女に縋る事は出来ない。
遠くに大事な人たちが住んでいるけど、会うことが出来ない。

今、心から求めているもの。
側に居てくれて、話を聞いてくれる人。

ネットの世界じゃない
現実の世界で心から欲している。

優しいメールや暖かい言葉に救われる事だって沢山ある。
だからネットで出会えた沢山の大事な人たちには心から感謝している。


でも、私は生身の温かさを今、必要としている。
そんなこと誰にも言えないし、限界がまた近付いてきている。
ここに書くことで死のうとする自分と闘っている。
致死量の薬はこの四年で溜めた。あとは実行するのみ。
そんなことばかり近頃考えている。

本当に独りぼっち。
逝きたくないよでも逝きたい
この矛盾と混乱、空虚なこの暗い世界で生きている。


Ira

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