埃まみれのノートブック
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2004年07月29日(木) ありがとう。

優しい人たちに、ありがとう。

友達がいなかったら、私は生きていけなかった。きっと。

本当にありがとう。

奇跡が起きました。
長くないと言われた祖母が、リハビリを始めるまでに
回復しました。
嬉しくて、ほっと一息ついています。


今、このエンピツでお気に入りに登録させて頂いてるのが
40件近くになりました。
いつも、皆さんの日記を拝見して
切なくなったり
ジーンとしたり
胸が痛くなったり
共感したりしています。
投票も、こっそりさせて頂いています。
更新がずっと止まっている方もおられて心配なのですが…。

こんな私の日記を読んでくださっているあなたにも、ありがとう。

今、日記を書いている7/30は、保育園からの付き合いで大好きな親友の
誕生日です。
おめでとう。愛すべき友よ。
今年はちょっと派手に祝うから楽しみに待っててね。
いつもありがとう。

今夜は少し幸せです。
こんな夜は滅多にありません。
いつもこんな穏やかな気持ちでいられたらいいのにね。


2004年07月26日(月) 誰が分かるの?

とても体調が悪い。
日曜から寝込んでいる。
背中の激痛から始まり、胃痛、頭痛、吐き気、立ちくらみ、
ありとあらゆる異常が出ている。
つらい。とてもつらい。しんどくてたまらない。
余りに辛い顔を見せると、親が心配するので
こうして日記にでも書くしかない。
許して下さい。

流石に病院に行ったほうがいいと言われているけれど、
何だか気が進まない。
でもとても具合が悪い。

それに伴って心の調子も悪い。


…顔で笑ってても心では泣いてるかも知れないよ。
誰が分かるの?
本当の気持ちなんて誰が分かってくれるの?
もう元気な振りをするのは疲れた。
おしまいにさせて下さい。
道化は終わりだ。

心に刺すような痛みは誰が分かるの?
いつまでこうして全身に痛みを抱えて生きればいいの?


その、何気ない無神経な一言がとても辛いんです。
ごめんなさい。
でも、辛いの。


2004年07月23日(金) よくそんな気になれるね…妹よ

祖母のことで大変な時に
妹は明日から三日間、月一恒例の東京旅行。
別にいいんだけどさ。
別に。
私がどうこう言うことじゃないけどさ。
随分前から決まってたとかならいいけど、
急に行くのを決めたんだよね。

両親も私も塞ぎこんでて、それでもみんな明るく振舞ってるのにさ。

あなたは優雅にご旅行…。
羨ましいよ。
その性分が。


貴女はおばあちゃんが心配じゃないの?
全然そんな素振りも言葉も見せないじゃない。


愚痴愚痴でごめんなさい。

まぁ、とにかく…
気をつけて行ってらっしゃい。
楽しんできて下さい。


2004年07月22日(木) 花嫁姿はもう見せられないかも知れない

母方の祖母の具合が良くない…
ハッキリ言うと、やはり痴呆が始まっていて、
食べ物を殆ど食べることが出来ないので
このままだと…長くないとの宣告を受けた。

それを聞いて
呆然として
涙を零した。

何故…?
老齢なのだから、仕方ないと言われればそれまでかも。
でも、祖母は私の大切な肉親でかけがえの無い存在なのだ。
今日は、食事が出来たとの報告があり、少しホッとした。
でも…いずれ祖母は私の前からいなくなってしまう。
花嫁姿は、見せられない。
それを思ったら涙が止まらなかった。
そして、もしも生きることが出来ても。
祖母は私のことが誰なのか分からなくなってしまうかも知れない。

どうして、今年はこんなに色々なことが起こるのだろう。
私にこれ以上辛い思いをさせるつもりですか?

充分苦しんだのに
充分苦しんだのに
充分苦しんだのに

もう、いいでしょう?

あとどれくらい苦しめばいいですか?
あとどれくらい泣けば許してくれますか?
私が何をしましたか?

お願いだから。
せめて、周りの人を幸せにしてください。
私のことはどうでもいいから。
私は何とか凌げる程度でいいから。
だから、大切な人たちを苦しませるのはもうやめてください。

神様がいるのなら。
このちっぽけな願いを聞いて。


2004年07月15日(木) 老いるということ

先日、書いた母方の祖母のことです。
どうしても書きたくてこんな時間になってしまったけれど
書いてから眠ります。

よく分からないけれど、叔母たちの話によると
祖母には痴呆のような症状が出ているそうです…
嫁を「奥さん」と呼んだそうで…
それを聞いた時に頭が真っ白になりました。

あの、頭が良くて、優しくて、
昔は保母さんをしてて、バイオリンやピアノを弾いてた、
あの年では珍しい祖母が。
信じられません。

その痴呆のようなものが一時的なものだといいなと思っています。
でもどうなるのか分かりません。
大好きな祖母が…。
すぐにでも会いに行きたいけど
時間も無く莫大な交通費がかかる為行けません。
叔母たちや両親は近々行くようですが…
叔母の一人は既に祖母の元に向かいました。
一番祖母を強く想っている叔母だから。

おばあちゃん。どうしたの。
もし私のことが分からなかったらどうしたらいい?
会いにいって「どこのお嬢さん?」なんて言われたら
ショックで倒れてしまうかも…。

でも、老いるという事は、誰にでも訪れるんだね。
誰にでも。
いつ、身近な人がそうなるか分からない。
誰にでも将来、老いが待っている。
私にも。あなたにも。

今、私に出来ることは何なんだろう。
この現実を受け止めるしか出来ないのだろうか。
少しでも祖母の力になりたいよ。
こんな遠くに住んでるのがもどかしくてたまらない。
ああ、おばあちゃん。
どうか、少しでも元気でいて。

私の祖母は、今二人とも入院しています。
どうしてこう悲しいことが続くの?
今年は、大きな試練の年のようです。


以前、祖母のことを書いた、2001年六月の日記を貼ります。
もう、この日記はネットでは存在してません。
私のPCの中で眠ってます。

++++
2001年06月22日(金) I don't think I'll be able to...


6月、ジューンブライドの季節。
今、祖母が遊びに来ているのだけど、今日の朝、
テレビで結婚式の特集をやっているのを見て
「○○ちゃん(私の本名)の結婚式は盛大なんだろうねぇ」と
言った。

私は「絶対そんなことはないよー」と思わず。
ゴメンね。ガッカリさせるようこと言っちゃって。

結婚式、かぁ・・・。
そっか・・・もう結婚してもおかしくない年になったのか。
それに・・私は、あの披露宴だけは絶対にやらないよ。
あれほど馬鹿げた物はないと思ってるもの。
ど派手なセット、新郎新婦の生い立ち話、キャンドルサービス、
うーっ・・考えただけで背筋が凍りそう。
普通の女の子は、素敵なウェディングドレスに沢山の人に
祝ってもらう豪華な披露宴、に憧れるのかも知れないけど、
私は変わり者だから。。。(でもドレスは着てみたいかも)
大体、そんなに結婚式に呼ぶ知り合いも居ないしね。
もし、万が一、確率はゼロに等しいけど結婚式を挙げるとしたら、
ごく限られた少人数の人だけ呼んで、こじんまりとした
和やかで温かい結婚式がいい。(所謂地味婚っていうやつなのかな)

結婚、なんて私にとっては遠い遠い宇宙で起こっている
お話みたい。
結婚なんて・・・そもそも出来るのか?
精神年齢も低いし、子供なんて今は絶対に育てられない。
自分自身のことで精一杯で、大変なのに。
何より相手がいないでしょ。
それに。したいとも思えないな。少なくとも今は。

なんて親不孝&おばあちゃん不幸(?)な人間なんだろ。
きっと花嫁姿なんて一生見せてあげられないだろう。
ごめんね。
私、結婚なんて多分出来ないと思う。
きっとそれなりに一人で、生きていくような気がする。
孫の顔も、多分見せてあげられない。
(同じ様な事、幼なじみのCちゃんも言っていた。最近は、会うと
いつも二人でしんみりしちゃうんだよね)

いつだったか、誰かに「何歳までに結婚したい?」って聞かれて、
「40歳」と言ったら笑われたっけ。
でもまんざら冗談でもなかったんだけど。
それくらいまでに何とかできればいいかなと思っただけで。

結婚、、って何なんだろう。
とにかく、私には当分(一生?)縁のない話であることは
間違いない。

++++++
やっぱり祖母に花嫁姿を見せたい…
どうかそれまで元気でいて…。お願いだよ。



2004年07月13日(火) 血の繋がり。

この間、妹のことを書きました。
色々とあの時は辛くて…

でも、何だかんだ言っても、
あの子はたった一人の妹なので、
私にとっては大切な存在。
いつか、理解してくれる日が来る日がやって来ると信じています。
時折ナイフのような言葉が降ってきても、それに耐えられる
強い心を持ちたい。
Fさんありがとう。
お返事必ず書くね。

前に書いた祖母、今も入院しています。
今はリハビリ中とのことで。
あれ以来会いにいってない。
おばあちゃん、ごめんね。

そして。もう一人の祖母もまた、入院したとの
連絡が入りました。
腰の骨が潰れてるって…どういうこと?
もう歩けないの…?
二年位前までは、まだ歩けて、遠い遠い私の住む家まで
やって来て何ヶ月か滞在していたくらい、元気だったのに。
もう祖母は、我が家に来ることはないかも知れない。
こちらから会いに行かない限り、多分会えない。
母はショックだろう。実の母親がそんな状態なのだから。
私もショック。おばあちゃんが大好きだから。
優しくて、ほんわかした、穏やかなおばあちゃん。
遠い県に住んでいるから、滅多に会えないけど。
まだ、祖母がどうなるのか分からないけど。
何とか病院での治療が上手くいって欲しい。
そして、余裕が出来たら祖母に会いに行きたい。
電車に乗って新幹線に乗って鈍行に乗って、
それでやっと着くくらい遠い場所だけど。
じゃないと、祖母には二度と会えないかも知れない。

どうしてこう悲しいことが続くんだ。
神様は、私に沢山の試練を与え続けてる。
試練は、その人が乗り越えられるものだけを与えられると
よく聞くけど、弱い私には、しんどくてたまらない。

色々あり過ぎて、もうどうしたらいいのか分からない。
ひたすら、休みたい。

余談ですが、「おばあちゃんの家」という韓国の映画を
ご存知ですか?
私はこの映画で、かなり心打たれました。
自分のおばあちゃんを想う人に、是非観て頂きたい。


2004年07月09日(金) 捨て台詞

妹は、私のことをやはり精神異常者だと思ってる。
それが分かる。別に思われたって構わないけど。
ええ、事実ですから。
今日も捨て台詞を吐かれた。
その一言だけで発作が起きかけた。
何も知らない妹は投げつけた言葉でスッキリしたのか、
悠々とお風呂へ…

その間、
私がどれほど苦しかったか。
最近苦しいこと続きで、今にも切れそうな糸を必死で
保ってる。
頓服を飲んでやっと落ち着いた。

以前も、冗談なんだろうけど、
私のことを「薬の飲みすぎで頭がおかしくなった」と
笑いながら言われたことがある。
私も笑い返したが…
今思うと…あれ?何か…悲しい気がする。

私の発作の苦しみも知らず、
更にパニックを起こさせるようなことを平気で言う女。
こんな女が私のたった一人の妹だなんて。
疲れてると八つ当たり、自己中、まるで子供。

家族内で揉めることが、どれだけ私の負担になるか。
もううんざり。


そして。
私はまた利用されているのでは…と。
都合のいい時に話を聞いてくれる女。
明け方まで付き合ってくれる女。
私だってしんどいのに。
なのに、やはり相手が好きだから放って置けなくて。
でも、何だか寂しい。

本当に私が死にそうなくらいしんどい時は
誰に話せばいいの?
もう何が何だか分からない。
この一ヶ月ほどの怒濤の苦しみから早く解放されたい。


2004年07月07日(水) 七夕。

願い事が、浮かびません。
色々あり過ぎて、とても疲れて。

でも。

空に行ってしまった大切なみんなが
本当の星になって、私に向かって輝いていて欲しい。
そしたら、私はいつでもあなたたちを見つけるよ。

あと。

大切な人たちが幸せでいますように。
幸せになりますように。

そして。

私自身も、少しづつでも歩いて行けますように。


2004年07月05日(月) 嗚咽

真夜中、独りで大声で泣くことしか出来ない。
みっちゃんが私を気遣って側にいてくれてるのに。

私はまた、大切な存在を喪った。

この胸の痛みが音を立てそうで
どうしようもなく
ただ、泣いた。
泣いて、泣いて、泣き続けた。

何事かと思われ
家族を起こして心配を掛けてしまった。

こんな私はやはり愚かだと思う。

ごめんね。

でも、悲しいんだよ。
今日だけは泣かせてください。


2004年07月03日(土) 発作

発作が起きてしまった…

不安神経症的な発作…
パニックにも近いような…

くるしい。
母に体中を擦ってもらって、
迷惑を掛けてしまった。
C&Aの曲を聴きながら、何とか心の糸を保っている。

もう寝た方がいいのかも知れない。
明日は、ゆずのライブに友達と行くことになってるんだけど
行けるんだろうか…?
折角楽しみにしていたのに。。。。

心配掛けてごめんね。

大好きな人たちへ。


2004年07月02日(金) 近所の老人が自殺…

近所に住んでいた老人(72歳)が自殺したらしい。
家族と一緒に暮らしていて、結構気が強くて
あまり近所では好かれていなかったのだけど…
警察が沢山来ていて、現場は大変だったらしい…
何故、彼は自ら死を選んだのだろう。
病気持ちではあったようだけど、車も運転していて
よく外出していたようだったし、
孫とも一緒に暮らしていて、それなりに幸せだったように見えた。

見えた。
でも人の本当の心は分からない…
彼に何があったのかも。
それを知ることは、もう誰にもできない。

それにしても、我が家の近所では毎年
誰かか亡くなっている。
あまり良くない土地なのかな…。

昨日から不安発作が凄くて、
過呼吸などに苦しめられている。
とてもしんどい。
あの子に命をあげたいとすら思った。
でもそんなこと言ったら。
あの子が悲しむだけ。
私は生きなければならない。
大切な亡くなった存在たちの為にも。

でもとても苦しいんだ…
しんどい。
息ができない。


Ira

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