stray notes

氷砂糖

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追われる人々の行く末
2008年07月15日(火)

小学生の頃、社会科の授業で、先生が煙草の害について話していた。話が一段落して、先生が「何か質問はありますか」と聞いたところ、ひとりの生徒が挙手し、「○○君、どうぞ」と指され、口を開いた。「あのう、そんなに悪いものが、どうして普通に作られて、売ってるんですか?」言われてみればそうだなぁ、とわたしも思い、教室の皆と先生の答えを待つ。先生はよどみなく答えた。「それはね。煙草を作ったり売ったりすることで、生活してるひとがいるからだよ。煙草がなくなったら、そのひとたちが困るでしょう?」当時はそうか、なるほどーと単純に思ったが、かなり年をとった今は、まあ、それだけじゃないよね……とも思ったりはする。

わたしは喫煙者ではないし、近親者にもできれば煙草はやめたほうがいいのでは? といいたいけれども、うーん…自分も、からだにあまりよくないとしてもやめにくい嗜好品、というのはあるせいか、そんなに強くは言えていない。煙草が全廃になった世界、というのは想像し辛いし、そんなに魅力的でもない気がする。ただ、食事どころが禁煙や分煙になるのは嬉しいし、歩き煙草や、吸うべきでない場所での喫煙には嫌な気持ちになる。認識としてはマナーを守って、密閉された喫煙所で吸っている分にはいいのかなーというあたりだろうか。

しかし最近、コンビニの前で珈琲を飲みながら煙草を吸っているひとが複数いたり、駅までの道(一応歩き煙草禁止区域なのですが)に点々と煙草の吸殻が落ちていたり、マナーがどんどん悪くなってるんじゃ……と感じることもあり。喫煙できる場所が減り、追われていく人たちが、とにかく吸えるときに吸ってるのかな、と思うと、なんだかいろんな規制が意味をなしてないのかなーという気もする。煙草が値上がりすれば、やめるしかなくなる人も増えて、喫煙人口が減るのか、それとも値上がりした分もっと必死に吸う人だらけになるのか、どうなのだろう。



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