stray notes

氷砂糖

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CASSHERNの不真面目な感想(ネタばれ含)
2004年05月22日(土)

ええと、真面目にあの映画を気に入ってる方からすればかなり不真面目な見方をしてきたと思うので、読まれないほうがよいかもしれません……。

さて。賛否両論を聞いていたので、どうかなー? と思っていて、まあ中身がつまらなくても映像美楽しめばいいか、と見てきたのですが。わたしにはそこそこ面白かったです。邦画は久しぶりなので、最初に思ったのが、あーふだん字幕に助けられてるんだなーということ。うっかり聞き逃すとおいてかれる。いろんな効果をとっぱらえば単純な筋なんだと思うけれど、ぼーっとみてもわかりやすい、というつくりではないから。

あのメッセージについては、簡単にことばにできないのでとばすとして。やはり映像は凄かったです。技術的な細かいことはわからないのですが、個人的に、あ・ああいう場所好き、こういう画面好き、というのが幾つもあって。音楽も大体合ってたと思いますが、ただひとつ。林檎ちゃんだけはなぁ……一瞬映画の世界からじはじかれて俗世に戻っちゃったよ。あう。あの曲はけっこう好きですが、彼女の印象が強くて。うん、みやさこさん見ても思ったけど、日本人だとあらかじめ多少もとのひとのイメージができてるので、映画の世界観からちょっと醒めてしまうようなところがありました、わたしは。

そうそう、GLAYがいる! という情報をネットで得てたので、どこだろう? と思っていたのですが、ヒサシしかわからなかったです。タクローは気づけなかった(^^; 残念。いせやゆうすけ(漢字が不明)よりは要潤の方が好みかな。まあ前回見たのが動物のお医者さんの二階堂だったから、余計かっこよくみえたのかもしれないけど。ミッチーは……なんかいつもかっこいいまま終わらないね。気の毒に。でも演技はうまくなってた気がする。うただひかる(漢字変換が面倒)のあの歌、単体ではさしていいと思っていなかったけれど(好みじゃないので)、映画とセットだと(相乗効果?)それなりに悪くないんだなと思いました。

途中で「一体どう終わらせるんだろー?」と思ってたけど、ああなるのね、なるほど。ラストで泣いた、とう感想をどこかで見たけど、わたしは涙出てこなかったです、ごめんなさい。けしてキライではないし、悪い映画ではないと思うけれど。好き嫌いがわかれ、一般受けしないのはなんとなく納得がいくような……。あと、「女の子にも楽しめると思うけど、どちらかといえば男の子向き」っていう感想はたしかにそうかもね、と思いました。

わたしはアニメのキャシャーン、内容はほとんど覚えてないのですが、「好きだった」ことは覚えています(初回は生まれるかうまれないかのころだったと思うから、再放送かなと思うのですが)。一部をかすかに思い出し、そういう部分も楽しめました。ディレクターズカットのDVDとかが出たらまた見てみたいかな。

見た後夫と、それなりに面白かったし、映画館で見てよかったし、話のネタにもなるだろうけど、かなり趣味が入ってたよねー等話しながら帰宅しました。


いくら制服が好きだったといっても
2004年05月17日(月)

11日の文が少し変なので、少し軌道を修正したい。

最近急に暑くなったり妙に涼しかったりと気温がよく変わる。天気予報を見ながら、毎日のように悩む。
「一体何を着ればいいんだー?」
考えるのが面倒になり、結局適当な服を着る。服を着ながら、中学高校はラクだったよなーと思う。どちらも普通の公立校だったのでごく普通の制服があり、毎日それさえ着ていけばOKだったなんて夢のようだ。

服を買うより本を買うほうが楽しい子供だったうえ、家がさして豊かでもなかったので、私服は家で着るいい加減な服ばかりだった。たまに遊びにいくためのそこそこましな服も数着あったが、制服でいけるところはできるだけ制服で行っていた。当時から考えるのが面倒だったのだろう。お洒落心もほとんどなく、スカートを短くしたり上着のすそをつめたり(一応わたしの時代にもいたのです)は当然しなかった。使えると思っていたわりに大事にしていたわけではない。制服のリボンやネクタイを後輩にねだられたとき(色が年によって違うので綺麗なら再利用できたのです)、あまりにぼろくて申し訳なく、断らざるをえなかったから。

企業によっては制服があるのだろうけれど、そういった職についたことがないのでよくわからない。でも通勤は私服なんですよね? とするとやはりあれは中学高校の特権だったんだなぁ。一日中着ていていい。体を動かす場合ジャージや体操服がある。決まっている、ということは、考えなくていい、ということだ。わたしはデザインや色をイヤだと思ったことはない。機能的で落ち着いててラッキー、と思っていた。

そう、昔はそれでよかったのだけれど……。わたしがどうも無難な服ばかり着てしまうのは、制服に安穏としていたからかもしれない。紺とか白とか黒とか灰とか、気がつけば学校で許されていた色ばかりが集まっている。デザインもシンプルでプレーンなものばかり。そりゃあ飽きるって。勿論多少はピンクとか水色とかもあるけれど、仕事に着ていくには向かないかな? と家用になってしまったりする。

何より、柄物がとりいれられない。チェックやストライプ、ボーダー程度はあるが、ドットや花柄やジオメトリックなどはいいなーと思っても、自分が着ているイメージがわかない。フリルやりぼんやギャザーなどにも強い憧れがあるが、自分のキャラクターに合うかと考えれば即座にNoと言える。若いうちに楽しんでおくべきだったかなーとも思うが、もう中学高校のころにはけっこう身長が高かったので、当時もそんなに似合わなかったに違いない。第一顔は同じなのだ。

まあいいか、見るだけでも。妙に制服っぽい組み合わせを着ている悲しげな顔の大柄な女性がウインドウショッピングしていたら、それはわたしかもしれません。

* * *

……なんかやっぱり文が変かも。


わたしのなかの”エロオヤジ”
2004年05月11日(火)

今回の内容はくだらない上に読みづらいので、別の頁に飛んだほうが有意義かもしれません。あと、特定の芸能人女性に思い入れのあるかたはお読みにならないでくださいますようお願いいたします。ひとの好みは十人十色、美醜観は好みによって違う、ということで。

さて。わたしは音楽番組を週1回見ているのですが、女性アーティストが歌っているとき、その女性が好みか好みでないかでとても雰囲気が違うようです。わたしは浜崎あゆみの外見が大好きで(歌も好きです)、この世で最も美しい女性のひとりだと思っています。彼女がテレビに出てくると、うわぁ、なんて綺麗で可愛くて素敵なんだろう、と口をぽかりとあけて見とれていたりします。

が、ZONEとか夏川りみが出てくると、(顔に出すまいと思っても)醸し出す雰囲気がはっきりと「ヤダ」のオーラになるそうです。
「なんでかな、ZONEは綺麗とかじゃないけど、普通に可愛いほうでは?」
夫に聞かれ考えたのですが、
「んー……こどもっぽいから、かなー。あ、そっか、色気がないからだよきっと。かごちゃんとかは昔から好きだし」
「色っぽくなきゃヤだって、それはエロオヤジの見方では…」
夫は呆れたように呟いていましたが。

どことなく納得してしまいました。わたしの性格は小さい女の子みたいな部分とお婆さんみたいな部分がほとんどで、成熟した大人の女性の要素は少ないのです。でも少し男性的な要素はあり、それはどういう感じで存在してるのかな、と考えると……中年のエロオヤジみたいな感じというのはとても言いえているような気がしたのです。あくまでそういう要素がある、というだけで人格が分裂しているという意味ではないのですが。

ほかに好みの女性を考えてみると(漢字が間違ってたらごめんなさい)、葉月里緒菜・釈 由美子・高橋由美子・辺見えみり・小沢真珠、(デビュー当時の)華原朋美、ビビアン・スー、などがあげられます。見るだけなら小悪魔っぽい、猫系が好きなのかなと自分では思ってます。こんなお姉さんがいたらなーといえば島谷ひとみ。こんな先輩がいたらなーと思えば中谷美紀。メイク雑誌のモデルさんではMAYA、みわこ、身乃里。ファッション誌では美香が見てて楽しい。えびはらゆりちゃんも可愛いなぁと思います。

ちなみに見てて楽しくないタイプを考えてみると、田中麗奈、竹内結子、内山理名あたりが思い浮かびます。昔広末涼子もあまり好きじゃなかったのですが、結婚直前にとても艶っぽくなったのでかなり印象がよくなりました。雑誌だと押切もえ、だったかな? 名前もうろ覚えなのですが。おそらくわたしののぞむ色気や女っぽさは少ないのでしょう。

イエローキャブ系は嫌いじゃないけど、強そうだと圧倒されるなぁ。見ていて楽しい、とは少し違う。面白い、かな。乙葉は好きー。あと良妻賢母タイプ(松嶋ななことか黒木瞳とか?)はキライじゃないけど好みじゃない。そんな感じかなー。宮沢りえは痩せちゃう前のほうが好きでした(今もキライじゃないけど)。安室もそう。

話は戻りまして。先日夫とコインランドリーに行ったとき、白いブラウスに黒いブラの透けている女性が洗濯物をとりにきていました。
「きっと近所のひとなんだね、すぐそこだからいいかと思ったんだろうね」
いなくなってから、こっそり弾む声で夫に告げると、やはり呆れたように
「俺そんなの気づかなかったぞー」
と言われました。

ごめんね、変な伴侶で。なんせ一部エロオヤジだから。


運転手さん、ありがとう。
2004年05月06日(木)

年末年始のわたしの文を読んでくださったかたには、「あーまた言ってるよー」という感じかもしれませんが。はい、わたしは長期休暇明けに毎回パニクっております。どう間違っても社会的とも外向的ともいえない、外に出て人と接するより家にいて閉じこもってるほうがいい、という性格だということもあるし、今いる場所に適応してしまうとそれ以外の場所を忘れてしまう、という記憶力の問題もあり、この日もわたしは、再び不安と恐怖とに苛まれながら職場へ向かいました。

おそれていたほどのことはなくあっけなく仕事は終わり、ふらふらと帰宅途中。時間的に何か食べたほうがよさそうだったのですが、地下鉄最寄駅周辺には食べたいと思うお店がなく、空腹もそんなに切実ではなかったので、気分転換(ストレス解消?)のためにバスでJR最寄駅のほうまで行ってみることにしました。

ちょうどJR2駅目(最寄駅の次)行きのバスが来たので、じゃあこれで行こうかな、と乗り込みました。ドアが閉まってお金を払おうと料金表示を見ると、あれ? JR最寄駅がのってない。
「あれ? これって××駅行きますよね?」
「いえ、行かないですよ?」
「え? 通らなかったですっけ」
「あー、△番線のなら○○行きでも途中で止まるんですが、この路線のは行かないんですよー」
「うわぁ、すみません、間違えました。えっと、どこで降りよう」
「□□で降りて乗り換えるといいですよ」
「あ、はい、□□ですか。じゃ、そこまでは・・円ですね」
慌てて財布を開きお金を出そうとすると。
「あ、いいですよ? 間違えちゃったんでしょう?」
運転手さんは30代かな、おじさん、とまではいかないけどおにいさん、は少しきびしそうな年の男性でしたが、優しく笑って言ってくれました。小額なので払ってもそんなに懐は痛くなかったのですが、折角そう言ってくださったのだし、何よりけっこう恥ずかしかったしで、結局そのまま□□まで無賃乗車(!)してしまいました。どうもありがとうございます、どうもすみませんでしたと言って降り、次のバスを待ちました。

なかなか次の、××駅を通るバスは来なかったのでで、もう諦めて帰ろうかしらという気もしたのですが、それだとご親切を無にしてしまうし、とだいぶ待ってから来たバスに乗りました。バスの中で。わたしは誤り多く小心な人間だけれど。この世はそんなに(少なくとも休み明けにおびえるほどいは)怖いところでも、悪いところでもないのかもしれないなぁ。そんな風に思いながら××駅で降りました。

わたし的にはとてもしみたのですが……もしかしてこれって、バスの運転手さんのマニュアル的にはよくないのでしょうか。そうだったら非常に申し訳ないのですが。あの日休み明けでささくれていたわたしには、この世の印象が少し違って見えたできことだったので、なんとなく書き残したかったのです。


7回忌
2004年05月02日(日)

この日は、今も多くの人に愛されている、あるアーティストの命日でした。あれから6年も経ったのかーと思うと、かなり不思議な感じがします。そこだけ、時間が止まってしまったかのように距離を感じない記憶。昨日のことのように、とは少し違うのだけれども……多分、今だに現実感が弱いのかもしれない。

WEB上にアップされていた、彼について書かれた沢山の想いを読みました。リアルタイムの彼をほとんど知らない、中高生の方もけっこういました。当時の彼を知る、わたしと同世代のかたもいました。いろんなひとが、彼のことを考え、歌を聞いたり歌ったり、献花に行ったり祈ったりしていました。読みながら、最近浮かんできたいくつかの疑問を思い出していました。

少し前。こことは別のレンタル日記で、当時中学生、今は高校生の女の子と知り合いになりました。彼のことを熱く語っている文に惹かれ、よく読みにいくよいうになりました。彼女がCDを聞いたり、DVDを見たり、ライブに行ったり、ミュージアムに行ったりした文を、ああ、そういえばこんな感じだったなーとか、なるほど、そんな感じなんだ、と微笑ましく思いながら読んでいました。

ただ、ときどき。何の意味ももたないような疑問が浮かんだのです。無理やり言葉にすれば、”あらかじめ実体が失われていることと、はじめあったものが消えてしまうことは、どちらがつらいのだろう?”というような……比べることはできないことのように思うのですが。

また、もうひとつ。はじめにもういないとわかっていたら、あれほどまでにわたしは彼を追いかけられたろうか? という疑問。これも答えは出ないのだけれども……。根は、同じ人間なので、きっと好きにはなると思う。でも、あれだけのエネルギーや思いや時間やお金を費やせたかはわからない気がする。物事にはタイミングがあって、そのときの気持ちや体力や気力や財力や……いろんな要素が組み合わさって行動を決定するのだろうから(たとえば高齢であったら、ロックは体につらいかもしれないし、あまりに幼かったら、ライブに行ったりできないだろうし)。

唯一確かなのは、あの時期彼に出会えたこと。彼を追いかけることができたこと。その歌を聞き、演奏を見、すすめる音楽に触れられたこと。すべてが、とてもありがたくしあわせなことだった。今でも思う。一連のことがすべて悪い冗談で、おおがかりなトリックだったとしても。泣きながら、笑って彼を許してしまうだろうと。本当にそうだったらどんなによいだろうと。

あの日から何度も何度も思ったことを、この日はあらためて考えてしまうのです。



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