stray notes

氷砂糖

My追加

事務連絡。
2003年03月31日(月)

HPからご覧の皆様、enpituからご覧の皆様。日頃say to myselfをお読みいただき、まことにありがとうございます。

あまりまめには更新できませんでしたが、今日、2003/3/31をもって、say to myselfは一時終了になります。

そのかわり、というか、この場所は日記として使おうかな、と考えています。

以前HPや、他のレンタル日記サイトで日記は書いていたのですが、来年度から仕事が変わることもあり、しばらくsay to myselfとして文を書くのも、日記をつけるのも、どちらも滞りそうなので。

その中間くらいの感じで、何か書いていけたらいいな、と思っています。タイトル、どうしようかな。仮にDaysとでもしておこうかな。ジャンルはテキストじゃなくなるから、どこへ行こうか悩み中です。

すぐに変更できるわけではないですが、変わるとしたらそんな感じです。それでは、できれば今後もどうぞよろしくお願いいたします。


サイト閉鎖に思うこと。
2003年03月30日(日)

3年くらいHPを作ったりネットサーフィンをしていたりすると、行きつけのサイトが閉鎖される、という状況もだんだん珍しくなくなってくる。わたしは一番最初に知り合いのサイトが閉鎖されたとき、大変ショックを受け、今でもそのかたの人柄や作品が恋しくなることがあるのだが。他の方も閉鎖されたり、更新停止のまま放置されていたりするのを見て、徐々に慣れてきてしまった。と書いていても、いま親しくしてくれている人が突然消えたら悲しいし、寂しいな、と思うだろうけれど。ひとそれぞれいろいろな事情があるから、仕方ないんだろうな、とも思えるようになってきたのだと思う。

そしてHP作りとか、創作とかを、好きな人は本当に好きなので。べつな形で作り直したり、別人として再スタートしていたりすることもあるから。WEBを彷徨っていたら、また会えるのかもしれないな、と思ったりする。また、もしWEB上で会えないとしても。現実世界で、元気だといいなと思う。顔も名前も、性別すらわからない場合もあるけれど。

わたしもプロバイダの都合で一度移転しているし、閉鎖したと思っているひともいるかもしれない。それはそれでいいかなとも思う。ご縁があれば、会えることもあるだろうし。でもあえなくなったとしても、そんなに嘆かないでほしいと思う。わたしは(からだはあちこちガタついてるけど)基本的に元気だし、(よく落ち込むけど)大体のんきに生きているから。

サイト閉鎖で思うのは。出会えて嬉しかったし、関われて楽しかったということ。そしてWEBにいてもいなくても、どうか元気で無事で、願わくば幸せでいてねということ。この思いが、とどいてもとどかなくても。


分断された物語の行方
2003年03月25日(火)

わたしが好んで読んでいる漫画や本のなかに、巻数の多いものがいくつかある。グイン・サーガとか、パタリロとか。わたしはそれらの新刊を買うとき、少しだけ悲しくなる。以前その本は、母が買ってくれていたから。漫画を買って読んだあとは、弟と感想を話したりしていたから。

母が出て行き、わたしが嫁ぎ、弟が出て行ったから、実家には父しかいない。ふたりはあまり実家に寄り付かない。たまに外で会ったとき、漫画を貸したり、本を借りたりしていたけれど、下手をすると電車代のほうが上回るんだよなーと思うと、つい買ってしまうことが増えた。

母親とは、彼女と関わるのがイヤになるできごとがあり、今後はほとんど会うことも、会話を(電話やメールでも)することもなくなると思う。弟は弟で忙しい。全員が同じ本や漫画をそれぞれ買ってるのかーと思ったり、今回の展開について語り合いたいなーと思ったとき、すぐ呼べば話せる距離にいないんだなと思うと、実家に皆がそろっていたのは、楽しいし楽だったなーと思う。

もちろん当時のわたしにしてみれば、両親不仲だし雰囲気は冷たいしで、そこにいて居心地がよかったとはけして言えないのだろうけれども。早く出て行きたいと願ったこともあったはずだけれど。でも。一緒に本を読める、その感想を話せるというのは、とても嬉しいことだったのは確かだ。いつしか分断されてしまった、物語の破片を手にしながら、たまにもう戻ることの出来ない世界を思い出してしまう。


仮にも神を名乗るのならば
2003年03月20日(木)

不勉強なため、世界情勢とは関係なくお送りしているsay to myselfです。

少し前、ファーストフード店で、「注文と違うじゃないのよッ」と怒っている女性がいました。そばには彼女の子どもがいました。「あんたじゃらちがあかないわ。責任者出しなさいよ」彼女はアルバイトの女の子に怒鳴り、奥から男の人が来て、丁寧に謝りはじめました。近くの席で食べていたわたしは、(うーご飯がまずくなるー)と思っていました。

これも少し前、家電売り場を見学していたとき。背の低い、頭の部分的にはげた男の人が、バイトっぽい男の店員さんに、ぐちぐちと製品の文句を言っていました。(うーんこの子に言ってもしようがないんじゃないかなー)とわたしは思いながらそのフロアを出ました。

わたしは、自分がとても、誤りや過ちが多い人間であることを知っているので。あまり人を責められないし、怒りたくもないです。だから言う人よりは言われる人に感情移入してしまいます。なんというか、お客様は神様ですというけど、神様なら神様らしく風格とか寛容さとかを身につけたほうがいいのでは、と思ってしまいました。まあ神様といってもいろいろみたいだし、どんなお客も神様だと思えという話なのかもしれませんが。


たとえるならば
2003年03月15日(土)

こうしてWEB上に何か発信しているとき、たまにあるイメージが浮かびます。それは「暗幕のおりた舞台の上、どんなひとがいるかわからない観客席に向かって、喋ったり歌ったりしている自分」です。

ただひたすら、何か喋ったり歌ったりしたいから舞台にいて、趣味のようなものだからもちろんお金なんてとらないし、ここに来てだしものを聞いてくれるだけで本当にありがたいと思う、反応がほしいともそんなに思わない。いつはじめてもいつおわらせても自由。観客がいないとしても、そうしたいうちは続けるけれど、絶対に誰にも聞かれないと思えば、そうできるかは自信がない。観客はたまたまここに来た人や、ある程度つながりがあって足を運んでくれた人。暗幕がはってあるから、観客はわたしの顔が見えないし、わたしも観客の顔は見えない。でも、たまに気配がする(りファラーがあるし、カウントがついたりもするから)。拍手をもらったり(投票されるとか)、楽屋に手紙が届いたり(メールが来たり)することもある。おそれおおいことだなーと思う。もちろん誹謗中傷の石が投げつけられれば恐くなるし傷つくし痛い。花束が降ってくれば、驚きながらも嬉しくて小躍りしてしまう。そんな感じ。

特定の誰か(ここを読んでない人の場合もある)にむけて歌ったり喋ったりしてることもある。届かないとわかっていても、歌わずにいられないときはある。また、何か喋ったり歌ったりというそれ自体が楽しくて、観客の存在を忘れてしまうことがある。そういうとき反応があるとかなりびっくりしてしまう。何をしたか忘れていたり、ひとりごとになっているときもあるから。またわたしは根が明るいわけでもなく、綺麗な部分だけでできている人間でもないので、たまには毒も吐きたくなる。学問も中途半端なので、文法や言葉遣いにもいまいち自信はない。それでもたまに、気に入ってくれたらしいひとたちのことばを思い出し、あんまりそういうひとたちを驚かすのもなんだなと思って言い方を変えたり、内容を改変したりもする。かといって、わたしはわたしでしかないので、いつもいつも全員に好かれることを歌うのは無理があるし、そうしようと思ってもできない。だから、気に入らなかったらごめんなさいねと思う。なるべく多くの人に、というよりは、少なくても誰かがわかってくれたら、あるいはそういうのもありなんだなと思ってくれたら嬉しいなと思う。

そんな風に書いてるつもりです。なんでこんなことをかいたかというと、この日でHPが3周年なのです。最近は放置気味で、閉鎖orつくりおしたほうが潔いのかな? とも思いますが、それでも細々と続けているのは。やはり姿が見えないとはいえ、お客様のおかげかな、と思ったのと。こういうスタンスで書いてるんですよーというのを、なんとなくちょっと言いたくなったのです。

いつもどうもありがとう>読んでくれてるすべてのひと。あ・ただ、なんか恥ずかしいので、これへの感想、掲示板ではご遠慮ください。どうレスしたらいいかわからないし。



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