stray notes

氷砂糖

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2001年
2001年12月31日(月)

2001年が自分にとってどんな年だったか、と考えたが、なんというか、好き勝手に生きてた年のような気がする。しかし1月から12月でくくるのって、ちょっとなんだか難しいな。パートの内容は同じなのだが、1月から3月まで働いた場所と、4月から12月まで働いた場所、ぜんぜん違ったからなぁ。3月までは一番作業量の少ない場所で、4月からは一番作業量の多い場所にまわされたので。あと、3月生まれなので、そのあたりを軸にして1年を考えてしまうし..ま・いっか。

仕事が忙しくなったぶん、家事とかHPとかはだいぶ力を抜いていた気がする。食生活とかもかなりいいかげんだったような..。2000年は結婚したとしだったので、それなりに生活習慣の違いとかで衝突していたような気がするが、今年は距離の取り方とかがわかってだいぶ落ち着いていた。したいことはしたししたくないことはしなかったし、やっぱり好き勝手に生きていた気がする。

前半に、かなり久しぶりに自転車に乗って喜んでいたがすぐにパンクしてバス通勤になったこと、後半に、ふとした興味から美白をはじめたこと、などが新しくしたことになるけれど、多分これかなり情けないことだよね。自分的には画期的だとしても(いやそういうのが画期的って時点で情けないかも..)。一応愛媛の祖父母に挨拶にいけたのも大きなことかな。あと、ちょっとだけ禁酒ができたこととか。

それにしても、相変わらず記憶力の弱い頭だ..ほかにも何かありそうな気がするんだけど。うーん、好き勝手に生きているので、あまり覚えていないのかも。


帽子
2001年12月30日(日)

今年は帽子を買った。夏には、白くてさわやかな生地の、冬にはフリース地のグレイのもの。帽子なんてお洒落以外の意味ないんじゃないかな、と思っていたのだが、これが意外と意味があった。夏は涼しく、冬はあたたかい。帽子あるのとないのとで、全然違うんだなーととても驚いた。

今まではいいなーと思っても買ったことはなかったのだが、夫に「あなたは頭がちいさいし、よく似合うよ」と言ってくれたので、いい気になって試してみたのだが、べつだん見た目がどうこうでなくても、実用的にいいものだ。いくつかデザインの違うタイプがあっても面白いかな、と思うが、とりあえず置き場も経済的余裕もないので、何かのときの楽しみにしておこう。

ただ、くせのつきやすい髪なので、帽子を被っているあいだはいいのだが、脱ぐとへんな髪型になっているのがいただけないかもしれない。それをのぞけば、真夏や真冬の外出時、ちょっと気分が変わっていい感じのアイテムになっている。


手袋
2001年12月29日(土)

わたしは手袋をよくなくす。

小学校・中学校はそうでもなかったが、高校生になってからは本当によくなくした。母のおさがりもなくしたし、自分のお小遣いで買ったものもなくした。どうも外が寒いときはしているのだが、たとえば室内とか電車の中などがあたたかかったり、定期をとるとき素手でなくてはとりにくかったりして、ほいほいとってしまうのがいけないのだろう。そしてとったあと、素手に違和感を感じることないのもいけないのだろう。かなり時間がたってから気づくので、見つけることができたことは本当にない。

目上の方にいただいたこともあり、それはおそれおおくもブランド物で、大事にしなきゃ!と思っていたが、これも片方はどこかに落としてしまった。一応実家の和ダンスの棚に片方だけ横たわっているが、思い出すたび非常に申し訳のない気分になる。

最近、フリース地で、帽子と手袋とマフラーの3点セットを通販で購入した。安価であたたかそうだったのだ。しかしこれもしょっちゅうつけはずししているので、なくしはしないか非常に不安だ。ここまで書いて、あまり説得力はないような気もするが、わたしは手袋も、手袋をつけることも大好きだ。なくしてしまうとしても、やはりつけたくなるほどに好きなのだ。


コート
2001年12月28日(金)

去年、新しいコートがほしくて仕方なかった。多分、夫が着ている黒のロングコートが、とてもかっこよかったせいだと思う。わたしはハーフコートしか着たことがないのだ。そして学生時代から使っている灰色のコートに、小さな小さな穴を見つけてしまった、というのもある。また、社会人になって買った水色のコートが、すこしけばだっているし、デザインも幼いかな、という気がしたせいもある。20代前半に買ったので、なんとなく20代後半になると、もうすこし大人っぽいものがいいかなという気持ちがあって。

しかし去年、ちょっと高いなーと時期を待ち、安くなった頃にはもうあたたかくなってきていたので、コート買うって感じでもなく、結局見送ってしまっていた。今年になって、うーんあのとき買っておけばよかったかな、とは思ったものの、なぜか去年より<欲しい度>みたいなものが下がっている。

灰色のコートも、ストールなどを巻けば穴もよくわからないし。水色のコートも、まだじゅうぶんあたたかいし。そして何より、今年はコートよりほしいもの、というのが沢山あるのだ。コートを買うお金で、DVDが何枚も買える! それくらいの値段のコートなんてさくっと買っちゃえよ、というひともいるでしょうが、koiは扶養範囲内をパートで働いているので、なんというかどかんと大きな買い物って、自分で働いたお金とはいえ、気分的にしにくいんですね、なんとなく。貯金もあるけど、そうそう崩したくはないし。

だから、あゆのDVDが買えたとき、も・すごーく嬉しくて。からだより、こころのあたたかい冬になりそうです。


外見で選ぶなと言っても
2001年12月27日(木)

銀行で、自分の番号が呼ばれるのを待っていた。本を持ってくるのを忘れたので、ぼんやり窓口を眺めていた。窓口の左から、すこしきれいめのお姉さん、えらく地味でもっさりしたお姉さん、もとは美人なのだろうけれど、風邪をひいてるらしく盛大にげほごほ咳をしているお姉さん、という感じの女性達がいた。

誰のところかなーと待っていたら、一番左の、綺麗な女性のところだった。「いらっしゃいませ」とにっこり笑って、彼女はトレイのようなものを示した。わー、き・れーい。内心でわたしは感激しながら、伝票を渡した。目鼻立ちも勿論整っているのだけれど、なんというか、雰囲気? 彼女の周りの空気? が、とってもさわやかで気持ちのいい感じ。メイクも明るいけど、派手じゃなく節度のある華やかさ。声も、表情も瑞々しく、指先まで造作が柔かく優しい。お金を渡して、処理を待つ間、ちらっと隣を見た。

真中の窓口にいるひと、髪の毛も重たげで、化粧しているのにすっぴんみたいで、表情も生気が乏しくて、なんというか、同じ制服なのに全然雰囲気が違う。一番右の人は、相変わらず咳をしてるけど、なんていうのかな、そっと大丈夫ですか?と水をわたしたくなるような感じじゃなくて、なんか「もう。なんでこんなときにかぜなんてひいちゃうのよ。頭きちゃうわ」って、一人で怒ってるような感じ。顔立ちは悪くないけど、なんか勝気そう。

「こちらになります」綺麗な声で我に返ると、にこ..っとまた綺麗な笑顔。ここの窓口でよかったなーと単純に思う。やっぱり、応対がいいと、印象もいいし、あとあとまで気持ちがいいものね。ときどき企業とかに外見だけで判断するな、ということを言っているひとがいるけれど、多少は見た目で選んでもいいような気がする。外見、というのは、外側の形だけじゃなくて、雰囲気や、人柄もこみでだけれど。単なる事務作業でも、間にひとがいるなら、やっぱり、やな気分になるよりは、いい気分で帰りたいから。


病気の記憶
2001年12月26日(水)

最近、風邪気味だ。寝てばかりいたら、小さい頃のことを思い出した。今では熱があまり出ず(というより、解熱剤がばかみたいによく効く体なので熱だけはすぐ下がる)、咳がたくさん出たり、吐き気がしてものが食べられなかったりする風邪ばかり経験しているような気がするが、小さい頃はよく高熱を出していた。

幼稚園から小学校低学年あたりで、はしかだのみずぼうそうだのは全部すませてしまったはず(ちなみに弟も一緒に病気になっていたが、彼はおたふく風邪だけはかからなかったらしい。気の毒に)。その他にもかぜやインフルエンザがはやれば、即寝込んでいた。その頃はやたら高い熱が出て、なかなか下がらず、かなり強い薬を飲んでいたらしい。が、症状として詳しいことは覚えていない。耳の下がいつも大きくはれ上がっていた記憶しかない。

覚えているのは、両親がとても優しかったことだ。昔から喧嘩ばかりしていたのだが(そしてわたしが社会人になった頃、母親は出て行ってしまったのだが)、病気のときだけはさすがに一致団結して面倒を見てくれていたのだろう。百貨店に勤めていたので、日曜や祝日も家にいない父が、無理やり休みをとってそばにいてくれたこと。夜中、いつ目がさめても、彼が起きていてくれたこと。スポーツ飲料を、遠くの店まで走って買ってきてくれたこと。母がりんごのすりおろしを作ってくれたこと。こまめに額にのっける濡れタオルを変えてくれたこと(今は冷えピタとかあるんですよね)。すいのみで水をのませてくれたこと。退屈すると、本を読んでくれたこと。音楽をかけてくれたこと。そういえば、大きくなってからは、わたしが弟に本を読んであげたこともあったっけ..。

こんなことを書くと、ずうっと病気であるひとたちからは怒られてしまうかもしれない。でも、許してください。実を言うとわたしは、風邪をひいて寝込むことがけして嫌いではないのです。それは多分、優しくされた記憶がよみがえるから。そしてそういうときでもなければ、優しくされたことを思い出せないから。

しかしわたし、中学・高校とほとんど皆勤だったし、大学も仕事も、そんなに休んだことがないような..。大きくなってからは、だいぶ丈夫になったんだなぁ。ただ、結婚してからは、むちゃくちゃ軟弱になって、年に何度も風邪をひく人になってしまいました。きっと夫に対して、甘えが出てるのだろうと思います。彼はべつに病気にならなくても、誰にでも優しい人なのですが。


××さんその後
2001年12月05日(水)

数日後、××さんから電話があった(この話がわからないひとは3日の日記参照のこと)。年配の男性だった。雰囲気から察するに、ちょっと抜けてるけど、会社でも多少の地位はあり、ひとに好かれてるんだろうな、という感じのかただった。

彼は電話口で頭を下げてる様子が見えるような声で、「ご迷惑をかけて大変申し訳なく、もしお名前とご住所を教えていただけるなら、こちらからお詫びの品を送らせていただきますので..」という内容のことを言っていた。わたしは内心とても慌てて、(えーとえーとこういうのってもらったほうが向こうも気分がいいのかな? 夫はこういうときものをもらうほうがいいというかな、いらないというかな、でも今夫いないしわたしだけだし)と考えたが、結局「いえ、そんな御気になさらず。留守にしているときもありましたし、そのう、皆さんお歳暮のお礼をおっしゃっていて、お伝えできなくて落ち着かなかったので、あのう、皆さんがお気づきになって伝わったようなら、本当にそれで大丈夫ですので」という自分の気持ちでいくことにした。××さんはなおもあれこれと謝っていたが、もう皆に訂正してくれたらしいし、来年は気をつけるとおっしゃっていたので、適当なところで会話を終了した。

受話器を置いてから気付いた。××さんの電話番号を聞いておけば、もし「××さんですか?」の電話がかかってきたさいに、それを教えてあげられたのではないだろうか。やっぱりわたしも抜けているなぁ、人のことは言えないや、と思った。


××家ではありません
2001年12月03日(月)

今日一日、何度も「××さんのお宅ですか?」という電話がかかってくる。はじめは「いえ、違いますー」と穏やかに答えていたのだが、何度もかかってくると面倒になってきた。昼頃コンビニにでかけた。帰宅したら、留守電に「○○と申します。このたびはけっこうなお品をありがとうございました。みんなでおいしくいただき..」とかなんとか入っている。

「...」。どうしたらいいのだろう。着信履歴NOは残らない設定になっているので、かけなおすわけにもいかない。電話番号を掛け間違えてるにしても、なんだか多すぎるような..。仕方なくメッセージを削除する。うーん2件もある。その後しばらくして、また電話がかかってきた。

「××さんのお宅ですか?」「あの、違うんですけど、失礼ですが何番におかけですか?」「え? △△△ー▲▲▲▲ですが」「うーん番号は合ってるんですが、うちは××じゃないんですー」「そうですか、これは失礼致しました。お歳暮の、宅急便の送り先の番号が間違ってるんですね。大変申し訳ない」「いえ..こちらこそどうもすみません」

はあ。お歳暮ですか。とすると、しばらくはそのかたが送った数だけお電話が来ると言うことでしょうか..。手書きで、書き間違えてるのかな? 読みにくい字なのかな? それとも、コンピュータで打ち間違えてるのかな? ひとり気付いたら、もうかかってこなくなるかな? わたしも間違いの多い人間なので、べつだん腹が立ったりはしないのですが、なんとなく落ち着かない。


ごみの分別時に考えた
2001年12月02日(日)

先日、ごみの分別をしながら、夫と話をしていた。わたしはわりと細かく分別したいほうだが、夫はあまり細かいことは気にしないタイプだ。わたしたちが住んでるあたりのごみ処理場は、優秀だからそんなに目くじら立てなくても大丈夫だよ、というのが夫の弁。わたしは格別処理能力を疑っているわけではないのだが、なんとなく「きまりを守らないのって居心地悪いなー」と思うタイプ。

「そういえばさ、子供や孫がいる人って、地球を大事にしよう、という気持ちが強くなるんだってね。わたしいないからそういうの薄いんだけど」
「俺はいないけどそんなことないぞ? 地球がなくなったら淋しいじゃん」
「そかな? 皆いっぺんにいなくなるなら淋しいことなくない?」
「でも、なんにもなくなっちゃうわけだろ? そしたら死後の世界もないんじゃないか?」
そういわれてみると..どうだろう。たしかに何もないのに死後の世界がある、というのは想像しにくいな。

ただ、子孫が必ずしもいなくても、地球や環境を愛し、大事にしたいと思う人はいるんだな、ということはわかった。わたしはあまり愛情が豊かでない人間なので、「きまりなら従おう」というレベルでしかないのだけれど。おそらくそういう、形だけ整えるタイプよりも、形が伴わなくても、根底に思いやりのあるひとのほうが、いざというときに心から行動できるんだろうな、などとぼんやり思った。


今年の冬は
2001年12月01日(土)

なんとなく12月1日になると、冬っぽいなぁ、という気がするので、このあたりからウール地のセーターを着ることが増えたり、コートを出そうかなという気分になったりします。実を言うとわたしは、温度調節がそんなにうまいほうではなく、気を抜くと気候にいまいち合ってない服を着てしまうので、まわりを見たり考えたりしながら、やっとそれらしい雰囲気になるのです。

でも、今年の冬って、あんまりそんなに寒くないような..感じがします。1月2月のほうが冷え込むから、12月はこんなものでいいのかな? 日中晴れていたりすると、それなりにほかほかと暖かいような..。でも、今年は小さなセラミックファンヒーターを貰ったり、妙に日当たりのいい職場に入ったりしたせいもあるかな。実際の感覚より、環境から受ける印象のほうが強いのかもしれないし。

ただ、夏がつらかった! という記憶はいまだに鮮やかなので、多少冬が厳しくなってもそれよりは楽だろう、と思っているところはあります。夏は脱いでも暑さから逃れられないけれど、冬は着込めばしのげるし。それに暖房も、冷房よりは自然に感じられるから。今年の冬があたたかなものにせよ、きびしいものにせよ..わたしはきっと、夏よりは楽しく過ごせるだろうと思います。

季節の好みでいくと、春→秋→冬→夏、の順に好きでなくなっていく人間なので。



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