stray notes

氷砂糖

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さようなら9月
2001年09月30日(日)

もう9月が終わり。今年はなんだか残暑というものをあまり感じなかった。7月が異様に暑く、8月がときどき暑かったがしのげなくはなく、9月は台風がきたあと急に秋に突入してしまったような印象がある。

あと3ヶ月で今年(2001年)も終わってしまう。書店や文房具売り場に来年のカレンダーがならんでいる。季節がすぎゆくのが早いと、時が過ぎていくことも余計に早く感じられる。

時の流れを思うとき、自分の成長の度合いを思う。最近かぜをひいてへたばっているので、なおさら停滞感が強い。来月はもう少し、伸びていけるといいのだけれど。珍しく、そんなことを思った、9月の終わりだった。


顔文字
2001年09月26日(水)

顔文字はお好きですか? わたしは好きです。が、とりあえず自分のコラムとかエッセイには、あまり使わないようにしています。日記には、たまーに使うかな? あと、掲示板のレスや書き込みにはがんがん使ってます。たぶんわたしのなかで、使わなくても大丈夫そうな文にはあまり使わない、というラインが決まっているのではと思います。掲示板では、なんとなくないと雰囲気が伝わりにくいかな、というのと、すこし感じを柔かくしておきたいな、という気持ちが働くのだと思います。

顔文字をよく使う人の文、というのも嫌いではないです。まんがのようで見てて楽しい。ただ、あまりに多すぎたり、そのひとの雰囲気と合っていなかったりすると、多少見ていて疲れるかもしれない。自分はどうだ、と言われると、よくわからないのだけれど。でも、簡単なのしか使っていないので、そーんなには実際の雰囲気とずれてないのでは、と思っています。


筆跡
2001年09月25日(火)

こうしてキーボードでばかり文字を入力していると、実際に手を使って書いたとき、なんとなくノリが悪いような気がするときがあります。昔は手のほうが早かったのですが、最近はタイピングも早くなってきてしまったので..

仕事で他人の直筆のメモなどを見ると、人柄が出ていて面白いなぁと思う反面、そうか、わたしの字も人から見たら性格が出ているのかもしれないな、と、今更当たり前のことに気付いたりします。

小学校の頃は、いくらお手本を見てもなんだか似ず、アンバランスで個性的な字を書いていました。実際に精神状態もバランスを欠いていたし。中学校では、うまくはならないけれど、多少伸び伸びして、おおらかな字になりました。たまに勢いのある字が書けて、書道で賞をもらえる程度に。高校では、同人誌などで見かけた、斜めに傾いた字が気に入り、そういうデザイン的な、イラストにいれるような字を書きたくなり、すこし癖のある字となりました。大学では、教職をとっていたので、書道の時間があり、そのころにはお手本に似た、それなりに綺麗な字を書けるようになりました。精神的にも、一番充実していて楽だった時期です。

社会人になってからは、忙しい仕事だったため、字が荒れていました。急ぐと汚くて、かといってゆっくり書く余裕はなく。このあたりでだいぶ大学で培われた均衡がなくなります。そして結婚してパートに出るようになったら、妙にちいさい、縮こまった字を書くようになりました。手紙などでは、できるだけ読みやすく、大きく書くようにこころがけていますが、やはりすこしちいさめです。なんとなく、ちいさく生きたい気分になっているのかもしれません。


祝日に思うこと
2001年09月24日(月)

今日は違うけれど、国民の祝日が、何月何日、というのではなく、何月の第2何曜日、というようにいくつか変わっている。あまり休みをとれない人のために、月曜や金曜をお休みにして、連休にできるように..という配慮もあるらしい。

しかし月曜定休の身には、月曜が休みになってもそんなに楽しくはないなぁ。火曜休みとか、土日が必ず休みというわけではない仕事の人もいるのだろうし、どことなく落ち着かない気分になる。

なんというか、もうすこし有給のとりやすい環境、とかを作ったほうがいいのではないだろうか。でもそのほうが難しいからこうなったのかなぁ。続けて休めるのは確かに有難いし嬉しいのだけれど、何月何日は何々の日、と決まってるほうが、たとえ飛び石のようなお休みでも、その記念日への愛着、のようなものもあった気がするのだが。




ある日の光景
2001年09月23日(日)

少し前、夫と車で外出していたとき、高校生くらいのカップルを見かけました。ふたりとも髪を黄色く染めていて、男の子は上半身裸でした。女の子はスカートを短くした制服姿でした。男の子が運転している自転車に乗って、女の子は楽しそうにしがみついていました。こういう言い方は失礼かもしれませんが、ふたりともあまり頭はよさそうではありませんでした(ごめんなさい)。でも、なんだかとても、気持ちよさそうで、底抜けに幸せそうで、思わずわたしもにこにこしてしまいそうになりました。

昔夫に自転車の後ろに乗せてもらったこともあるし、今でも頼めば「なんでそんなことしたいの?」と思いながらも、多分かなえてくれることと思います。でも、17の子達がそうしているのと、27の人間達がそうしているのとはかなり雰囲気が変わってしまいますもんね(57とかになると、光景にまたべつの味わいがあるのかもしれませんが)。

ずーっとそのひとと付き合ってるかはわからないし、別れたらやがて忘れてしまうのかもしれない、でも、そのほほえましい<今>を、大事にできるといいね。そんなおせっかいなことを思いながら、助手席の窓から彼らを見ていました。信号が青になり、すぐに彼らの姿は見えなくなったのだけれど、あの、なんとも楽しそうな雰囲気は、今思い出しても、やはりいいものだったなぁ、と思います。


本日の話題男子禁制。
2001年09月22日(土)

今日、ここをご覧になってる皆さんは、女性ですよね? というわけで、本日は生理の話題です。うん、これって、なくても不安だし、あっても面倒だし、とわたしは思うのですが、どうでしょう。

わたしは中学2年くらいからこれとの付き合いが始まり、今もあるのですが、うーんなんかとってもいやです。わあい、というひともなかにはいるのでしょうか? しかしこれはただでさえ面倒な旅行がもっと面倒になるし(しかもなぜかそういうときに集団でそうなったりするし)模試とかにあたると頭がぼんやりするし、ああ、男の人はいいなぁと思わずにいられませんでした(いや、男には男の苦労もあるんですよ、といわれるかもしれませんが、今回男子禁制なので、そういう苦情はうけつけません)。

子供がほしいひとだけ、申請制になればいいのに、と、ときどき横暴なことを考えます。痛みはあまりないのですが、多いときは本当にだるいので。以上、なんとなく愚痴ってみました。今は生理じゃないのですが..。


酔ってしまう
2001年09月21日(金)

乗り物にも弱いのだが、デパートなどでも酔ってしまうことがある。人ごみに、ではない。音に酔うのだ。えんえんと、ご案内を繰り返されたり、単調な音楽を何度も何度も続けてかけられたりするともう駄目だ。渦巻くようでくらくらする。好きな音楽をエンドレスでかけているなら、そういうことはないのだけれど..音が大きいからかな?? 

そういえば昔秋葉原で夫(当時は恋人状態)と待ち合わせをしたとき、遅刻してひどく怒らせたことがある。ふだんそんなに怒られないので、不思議に思ったところ、待ち合わせ場所の横で、ずーっとある店の放送が流れていて、必要以上に苛々したのだろうだ。興味をもっているときに聞くなら許せるのかもしれないが、空白状態のときに無理やり聞かされる、それも大音量で、というのが不快や気持ち悪さを感じさせるのかもしれない。

最近某スーパーに行くと、応援している球団のテーマ曲がずっと流れているのだが、これはもう音が暴力的にうるさい。野球に興味のない人間なので、たとえ安売りをしてくれても、その球団の存在ごとイヤになってしまいそうだ。


席を譲るのは難しい
2001年09月20日(木)

最近、バスで通勤している。出ている本数は少なく、この路線を使う人も少ないので、待っている時間は長いが、大抵座れる。

あるひぼんやりと、実家の最寄駅までバスを使っていたことを思い出した。そして小学生のとき、お年寄りに席を譲ろう、という小さな親切週間みたいなものがあったことを思い出した。家族ででかけたとき、実行してみようかな、と思い、おばあさんに席を譲ったのだ。おばあさんは快く、笑顔で礼を言い、座ってくれた。わたしは嬉しくなり、頑張って立っていた。そう、頑張って。なぜなら小さい頃のわたしは、とても乗り物に弱かったのだ。

すっかり忘れていたのだが、立っていて途中からいつものように気持ち悪くなり、ふらふらしてきた。家族は気付いたが、今更どうしようもない。結局空いた席を見つけてくれた弟に座らせてもらい、終点までなんとかもったのだけれど。恥ずかしい..。

今は、元気なときは最初から立っているし、疲れているときは空いてる車両を待つようにしている。譲るタイミングが難しいというのもあるし、譲ってから調子が悪くなることもないとはいえないから。ただ、シルバーシートには座らないようにしよう、と決めている。それくらいしかできない自分が、とても不甲斐ないのだけれど。


工事現場
2001年09月19日(水)

最近、家の近くで工事が多い。工事現場を眺めるのは失恋したときによい、と何かの本で見たことがあるが、どうだろう(破壊と創造の繰り返しだから、とかなんとかいう理由だった気がする)。マンションや家がたつのは確かに気持ちがいいかもしれないが、取り壊しはあまりよくないのではないだろうか。

いまも住んでるハイツの向かい側が、どんどん壊され崩され無に帰そうとしているのだが、なんというか振動や騒音で落ち着かないし、精神的にもあまり気分がよくない。住んでいたひとの過去や想い、建物の歴史や記憶が声なき悲鳴となってたちこめていそうだ。事故にあった建物や、火事にあった場所を見てもそういう気持ちになるのかな..

仕事とはいえ、働いている人のほうがずっと大変なのだろうけれども。近くにいて妙に消耗するので、もういっそがんがん進めて早く終わってくれ、と思いつつ、工事現場のそばで暮らしています。




事務連絡。
2001年09月18日(火)

こっちに入れていたマイエンピツも増えすぎてよくわからなくなったので、もう一度<告知しない>にして整理します。いきなりマイエンピツから消えた、なぜ?というかたは、そういう理由ですので、お気になさらず。

HPから見てる方にはまるで関係のない話でごめんなさい。また、新しいのを書いたら表紙に表示しますので、それを目安にご覧ください。なお、8月分にいくつか新しいものもupしていますので、もしお時間ありましたらどうぞ。

では、取り急ぎ用件のみにて。


写真の話。
2001年09月17日(月)

WEB上の知人さんたちのなかには、写真をupしてるひともいるし、写真素材を提供しているひともいます。きれいな景色、かわいい小物などを見るのは大好きなので、そういったサイトにもよくいきます。似たような題材をとっていても、人それぞれ瞬間のきりとりかたや、かもしだす雰囲気というかが違っていて、どれも興味深く楽しみです。

いいなぁ..と、ときどき思います。わたしは、ごく、普通の写真ですらうまくとれないので。小さい頃から、わたしがとった写真は、どうもなんだかへんなものばかりでした。大人になってからも、あの、俗に「バカチョンカメラ」と呼ばれるものですら、なぜかぶれてしまう、というくらいひどいのです。

だから、景観のよい場所に行っても、素敵なものを見つけても、カメラにおさめよう、とは、あまり思いません。残念だけれど、わたしひとりのこころのなかにしまわれ、誰かに共有されることがないのです。淋しい気もするけれど、まあ、いいか、と思っています。せめて伝えたい人には、ことばで、想像してもらえれば。

ただ、そんなわたしなのに、声をかけやすいのか、よく「写真とってもらえませんかー?」のお声がかかります。ううう。撮るの、下手なんです..。幸い、夫はきちんとカメラも扱えるひとなので、一緒にいるときは夫を呼んでますが。皆さん、もっとひとを見ましょう。



2001年09月16日(日)

旅行をしているときに、ときどきWEB上の知人さんのことを思い出しました。ああ、そういえば○○さんはこの県に住んでいらしたよなぁ、とか、××さんはたしかこのあたりのご住所だったなぁ、とか。いきなり会いたいとまでは思わないけれど、同じ空の下にいるんだなぁ、今日はどこでどんな風に過ごしてるのかなぁ、と思うと、なんとなく嬉しかった気がします。同県にいても、北と南、西と東、内陸と海沿いなどでは天気も違っているのだろうけれども。同じ空間、同じ時間を共有しているような感じがするのです。

現実の知人さんにたいしては、よほど親しくないと、あまりそういうことを考えないのですが。WEB上で何度か掲示板などで会話を交わしただけであったり、たまに日記や書いている作品を見に行ったりしているだけでも、こころにはしっかりと存在が刻まれていたのだな、と思います。

この空は、あのひとたちにつながる空。見上げながらそんなふうに思います。顔も姿も、ほとんど知らないのだけれど。この世のどこかで元気でね、と、頭上を通り過ぎる空に向けて、思ったりするのです。



2001年09月15日(土)

わたしは雨が好きです。とくに春や秋の、こまやかで柔かく静かな雨が。昼に雨音を聞きながら室内にいて、肌寒ければ毛布にくるまり、そばに紅茶をおいて、雑誌をめくっていたりすると、なんだか満ち足りた穏やかな気分になります。夜の雨音も好きです。ゆりかごにゆられて、子守唄を聞いているような気持ちになります。

傘をさして歩きながら、洗われていく緑や、白く煙るようににじむ遠くの景色、ぬれていくアスファルトや土、水溜りにできる波紋、コンクリにはねるしずくを見るのも好き。高い場所から、いろんなひとがさしてる、たくさんの種類の傘を見るのも好き。酸性雨とかの心配もあるから、本当はよくないことかもしれないけれど、夏なら傘をささずぬれて歩くのも嫌いじゃないです。

小さい頃から、太陽の出ている外で遊ぶより、雨の降っている室内で本を読むほうが好きだったからかな(そうそう雨が体育がつぶれるたびに喜んでました)。わたしには雨がとても優しい、慈悲深い存在に思えるのです。


ブックカバー
2001年09月14日(金)

ここをご覧になってる皆様、書店で本や漫画本を買うとき、カバーは頼みますか?それとも頼みませんか? わたしはほとんどの場合お願いしています。なぜならわたしは、読書に熱中すると、手が、べたべたになってしまうのです..(恥)。そしてそのままカバーをせず本を持っていると、表紙がへにゃへにゃになってしまうのです。ひどいときには、駄目になったカバーをとりかえたりもします。

カバーをもらえない場合、いくつかとってあったカバーを使ったり、適当な紙でカバーをつけたりします。図書館の本は、コーティングしてあるものが多いので、そのまま読みますが。友人に借りた場合などは、しっかりとカバーをかけます。長年そうして暮らしているので、カバーをすること自体にはほとんど抵抗も面倒も感じません。

ただ問題は、こうしてしまった自分の本は、装丁をあまり楽しめないこと、どういうタイトルの本だったか記憶が薄れやすいこと、続き物の場合何巻まで買ったかわかりづらいこと、などです。ときどきカバーがきれいにかかったたくさんの本や漫画本たちを前に、わたしは溜息をつきそうになります。うーん。わたしの探していた本はどれだっけ?と。そして書店で本を買おうとしたとき、その本がビニールがけしてあったりすると、読んだかなー、読んでなかったかなー、と悩んでしまい、家に帰って確認しなくてはならなくなり、つくづく自分のてのひらをのろいたくなります。ちなみにキーボードをタイプしてても、熱中してるとべたべたしてきます。あとでまたふかなくては(爆

というわけで、わたしは手をつなぐより腕をくむほうがずっと好きです。
話がそれたところで、本日はこのへんで..。


お菓子
2001年09月13日(木)

職場で、お菓子がときどき配られる(3時の休憩などに)。最近、そのお菓子が妙に増えてきた。はじめは、夏休みにどこかへ行っていたひとたちのおみやげかぁ、時期だもんなーと考えていた。が、最近どうもこの場所で働く人のローテーションが変わったからでは、と思うようになった。今までよくこの場所出勤になっていた人があまり来なくなり、新しくこの場所出勤になった人がお菓子をよく持ってくるのかもしれない、と。

それはまあべつだん悪いことでもなんでもない。よかれと思ってもってきてくれるのだろう、ありがたいことだ。みんながお菓子をすすめてくれる。そこにも悪意はない。わたしも甘いものは大好きだ。チョコでもつぶあんでもこしあんでも生クリームでもなんでも。そう、それが食べたいときであれば、なんでも。

だが、お腹がいっぱいのときや、気分的にほしくないときにまで食べたくないんだよ..そして皆で和やかにお茶をしているときに、「いりません」というのは、その場の雰囲気を壊すようで、和を乱すようで、どうもうまく言えないのだ。「ダイエットしてます」とでも言えばいいのかもしれないが、わたしは背がたかめで、顔も細長いせいか、いやみのようにとられることがあったので、それもあまりいわないほうがいようだった。

ほしくないときに食べるのはいやである。ほしいときに食べたいのである。そんなことを思いながら、食べているのは精神衛生上たいへんよろしくない。消化にも悪いのではないだろうか。しかも太っていくのである。なんだかおやつの時間がゆううつでしかたがない。うまく逃げる手はないだろうか..と、考えている今日この頃。もし、誰か上手なことわりかたを知っていたら、教えてください。


ちいさな本屋
2001年09月12日(水)

弟が、前にすこし嘆いていた。「ちいさい駅の近くのちいさい本屋とかって、なんかほんとにあやしげな本ばっかりだよねぇ」と。

彼はそのとき大学の最寄駅から、別の連絡線に乗って、ふた駅くらいのところに下宿していた。大学の最寄駅はいくつも乗り換えられる線があり、規模も大きく、周囲も栄えている。彼の下宿先の最寄駅は、ちいさくさびれている。ふだん彼は大学最寄駅の本屋を使うのだそうだが、たまにふらりと雑誌を買いたくなったりしたときは、そのさびれた本屋を使うのだそうだ。

「なんかさー、俺へんな本買いにきたんじゃありません、とか、近くを女の子が通ったりすると焦っていいたくなるー」とかいうようなことを言っていた。まあ、誰もそこまでは思わないと思うよ、的な返事をしたのだけれど。

なんとなく、ちいさな本屋というのは、今時大変なんじゃないかな、と思う。わたしが住んでいる隣の駅にも、そういうちいさな本屋はあるが、やはりあやしげな本が多く、夫もなんであの本屋はああなのだー? と嘆いていたが。そういう本がよく売れるというのなら、それでもいいのかもしれない。そうしなければ、生き残れないというのなら。ただ、入りにくい、とまでなるとまた困るのだろうけれど。


恋愛映画は一人で見たい
2001年09月11日(火)

夫がアクション映画とか、ホラー映画とか、なんというかスリルとサスペンスの娯楽大作、みたいな作品が好きで、恋愛映画、感動巨編、のようなものは、あまり見たがらない人だからかもしれません。

わたしは恋愛映画は、大抵ひとり映画館のレディスデイなどに見るか、videoをレンタルしてひとりの時間にこそこそ見るような癖がついてしまいました。なんだかアダルトビデオでも見るような感じ? でも、多少そういう感じもあるのかもしれません。

アクションとかだと、単純に、わー、すごかったねぇ、とかいえるのですが、恋愛ものって、感想を話すのもどこか照れくさいような、恥ずかしいような気がする..(そういえば小さい頃、テレビの濡れ場シーンがめちゃめちゃ苦手でした。家族でTVを見てて、そういう場面になるといつもべつの部屋に逃げていました)。茶化すのもなんだし。シリアスになりすぎるのもへんだし。

と・いうわけでわたしにとって恋愛映画は、こっそりひとりで浸るもののようです。


嘘&ご挨拶
2001年09月10日(月)

9月には復帰します、と書いておきながら10日たってしまいました。ときどき見てくれた人にはありがとうと同時にごめんなさいを言いたいと思います。結果的に嘘をついたことになってしまったので。

一応HP自体は9月から緩やかに更新していたのですが、他のコンテンツは進めていても、ここは放ったらかしにしていました。気にならなくもなかったのですが、どうもわたしのなかで優先順位が低かったらしく..。わたしにとってここは、「いつでも気軽に書ける」場所だから、つい先延ばしにしてしまったのだろうと思います。

休業中も、雑記帳にいくつか書きたいことリストをつくっていたのですが、ちょっと間に合わないような気がするので、これからは思いついたことを、時間のあるときに少しずつ書いていくことにしようと思います。あまり間を空けると、敷居が高くなってしまいそうですが。

というわけで、ぽつぽつと書いていくことになると思います。気楽に見ていただけると嬉しいです。こちらも気ままに書いていきますので。それでは、ここに流れ着いていただいたのも何かのご縁と言うことで、またどうぞよろしくお願いします。



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