カフェチョコサハンジ。
演劇ユニット・カフェチョコシナモン主宰の日記。
モノ書き役者の日常を、どどんと。

2001年06月30日(土) あきらめるということ。

今日、日テレの「明日があるさ」最終回。
なんだかんだいっていいドラマだった。
13課のメンバーたちは、私たちに
「がむしゃらに、あきらめずにやれば、何とかなるさ」
そんなメッセージを残していった。
しかしここで皆さんが思うのは、
「がむしゃらに、あきらめずにやれば、何とかなるか?」
ということではないだろうか。
答えは、微妙である。
大切なのはバランスとタイミングだ。
いい意味での「あきらめ」は、次のステップへの臨戦体制作りである。
次に最高の一歩を踏み出すために、絶妙なタイミングで自分を切り替える。
そして新しい明日がいつもとは数ミリだけずれて、やってくるのである。
あとは「継続は力なり」である。またやるだけやってみる。
その繰り返しで、ほんのすこしずつ前に進んでいくのだ。

やってみるのもいいじゃない。やめてみるのもいいじゃない。
自分の本当にやりたいことを忘れなければ。
自分の本当にやらなきゃいけないことを忘れなければ。
自分の愛する人のことを忘れなければ。
自分のことを忘れなければ。

ちょっといいことをうそぶいてしまった。
結局、全部自分に返ってくるのである。がんばろ。



2001年06月29日(金) 「書ける日」。

私はモノ書きである。
ジャンルは不問。エッセイも書くし、詩も書く。
が、しかし、私がおもに執筆しているのは「戯曲」が中心である。
戯曲というのは要するに、お芝居の台本・脚本のことだ。
今まで書いた作品は、原作の脚色も含めて、現代劇4本、児童劇1本。
まあそれだけで食っている訳ではないので、プロではないが、
ここまでくれば広い意味での「劇作家」「脚本家」と言うことができると思う。
そして今は、9月の公演に向けて通算5本目の現代劇戯曲を執筆中である。

作品の執筆中に劇的なインスピレーションが舞い降りてくる、その日。
そんな日は、しがない劇作家の脳内に突然やってくる。
「書ける日」。
この日が訪れると、作品は爆発的に進行する。
たいていスランプの後にふらりとやってくるそいつは、
そのスランプを刹那のうちに打開粉砕し、希望の二文字を授けてくれる。
しがないアマチュア劇作家にとっては夢のような日である。
まさにそれが今日だった!
……気がしていたのだが、悔しいことに違った。
筆が進む進む。これはもしや一気に書き終えられるのでは!
そう思っていたにもかかわらず、そこまでには至らなかった。
私の予想は見事に外れたのである。とほほ。

しかし「書ける日」は近いうち再びやってくるに違いない。
なぜなら、今日という「書けそうだった日」の中に
「書ける日」の匂いが、まだかすかに残っているからだ。
こんなときは、なんとなく勢いで書けてしまうことが多い。
そんな「書ける日」は非常に近い場所にいる。
その波に乗れたとき、私の作品は神がかり的なクライマックスを迎えるのである。



2001年06月28日(木) 恐るべし3チャン。

久しぶりに「ハッチポッチステーション」を見た。
私は別にNHKの回し者ではないが、「ハッチポッチ」は
NHK教育で月〜金曜の17:40から放送中の、
グッチ裕三がかわいいキャラクターたちとドタバタする
歌あり、ゲームあり、ショートドラマありの面白おかしい番組である。
いちおう紹介までに。

で。見終わった後、
「はっはっは。相変わらずオトナ向けの子ども番組だな、裕三さんよ」
と思った。
いままでの教育番組と比較して、
この番組ほど教育的要素の少ない番組は無いのではないだろうか。
というか、そういう番組がNHKにも出てきたということは、
今のご時世、それだけ「笑い」の存在が重要視されてきたということだ。

テーマ変更。
「ゴキチくんが憎い。」
たったいま、今まで我が家には存在しない(と自分で思い込んでいた)
ゴキチくんを一匹仕留めた。
ゴキチくんというのは、あの「ゴキ○リ」のことである。
口にするのも(表記するのも)おぞましいあの甲虫である。
なぜ「くん」付けで呼ぶかというと、そうでもしないと
ヤツのことを平気な顔で呼称することもはばかられるからである。
最近自炊するようになったからか。はたまたどこからか紛れ込んだのか。
私は迷わず後者を希望する。だってヤツのことがキライだから。
我が家はワンルームなのでヤツはどこにでも移動可能だ。
寝ている最中、顔の上を横断(あるいは縦断)…あああああ。
想像したくもない。特に「縦断」なんてタチが悪い。
頭方面から出発した場合、体の中心線を通って…あああああ。

もうやめよう。深いため息ひとつ。

「ハッチポッチ」の話題はけっこう長くなりそうなので、
また別の機会に、エッセイででも。
どうでもいいが、田畑智子はかわいい。



2001年06月27日(水) カップラーメンと私。

劇団員紹介ページでも書いた気がするが、
私はラーメン大好き小池さんである。
ドラえもんがどら焼を、阪神ファンが阪神を、
そしてちょっと分かりづらい例だが、
ウチの彼女が以前宝塚を愛していたくらい、ラーメンが好きである。
かくいう今も失礼とは知りつつ、カップ焼きそばをすすりながら
この日記を書いている。なんて行儀の悪いヤツ。まったく。
そりゃうまいラーメンが食えるのなら、毎日でも食っていたいが
栄養バランスや食費の関係でそういうわけにもいかない。
そこで私はよくカップラーメンを買って食べる。
そして最近私はひとつの結論にたどり着いた。
それは、
「カップラーメンの小売価格はその味にほぼ比例する」
というものだ。
何となく当たり前のようだが、例外もあるのでここで紹介しよう。
たしかにうまいカップラーメンは高い。
コンビニで248円もするようなカップラーメンは、ほぼ例外なくうまいといっていい。
しかしもっと安い値段で買えるカップラーメンが妙にうまく感じるときがある。
いい例が日清の「カップヌードル」である。
ヤツは、あんなに「ラーメン」という範疇からかけ離れているのに、
(あれは、すでに「カップヌードル」というジャンルを確立している)
どうして急に「なんか食いたい」という気を私に起こさせたりするのだろうか。
しかも「何となく食いたい」と思っただけなのに、食った後の妙な満足感。
私は考えた。うーむ、そうか。これは「安心感」だ。
昔から全然変わらない、ぜったい裏切らないあの人工的な味。これだったのだ。

そして私はまた、夜中のコンビニに走ってしまうのである。



2001年06月26日(火) 自転車は足の一部。

近頃の運動不足を感じた私は、
自転車で片道40分ほどかけて、立川まで行ってきた。
先日、自転車を盗まれたので、最近は友人が大学においていったものを
(ちゃんと本人に断って)借りて乗り回している。

私にとって自転車というものはすでに、体の、足の一部である。
言うなれば、目の悪い私にとってのメガネのようなものである。
あのペダルをこいだときの風になったような透き通った感触がたまらなく好きだ。
地元にいるときから自転車には良く乗っていた。どこに行くにも自転車だ。
電車の発達してない田舎においては、自転車はまさに足。
ときには、1時間かけて友人の家に遊びに行くなんてこともザラだった。

おかげで私の脚は、競輪選手のようにごっつくなり、
細いおねえちゃんのウエストほどになってしまった。
おまけに脚だけでは飽き足らず、尻もでかくなり、
ジーンズなどは男物より、大き目の女物の方が
ぴったりフィットするんちゃうかな、というほどの体型だ。

とにかく自転車というヤツは、私の体の、生活の一部である。
だから
私の自転車を盗んだヤツ!
見つけたらただじゃおかんからな!
覚悟しとけ!!

でもきっと見つからないんだろうなあ。とほほ。



2001年06月25日(月) いい本読んだ。

以前から友人に借りていた本を、ようやく読み終えた。
江国香織の「きらきらひかる」である。
なにをいまさら、とおっしゃる読者の方々もいらっしゃるだろうが、
この本は、何回でも読む価値のある作品であると思う。

ホモセクシャルの夫とアル中で情緒不安定な妻の、
痛々しくも、あたたかい、恋愛小説。
その言葉遣いの親しみやすさや美しさはもちろん、
登場人物の心理描写のこまやかさに、私はひどく心動かされた。

恋愛というのは、とどのつまり、信じることだと思う。
「相手が自分を愛してくれている」と信じること、
「自分が相手を愛している」と信じること、
「自分が自分でいていいのだ」と信じること、
「二人はいっしょにいていいのだ」と信じること。
与えたり、与えられたりするというモノとはちょっと違う感覚。
愛する人が世界に存在するということの大きさ。

ひとは、その存在だけでひとを強くすることができる、
偉大な「魔法使い」なのである。



2001年06月24日(日) なんとかならんもんか。

東京都民の有権者のみんな! 投票には行ったか〜い?
「きらり一票 ゆめ東京」←微妙なコピー(笑)
というわけで、午後、都議選の投票へ。
選挙ハガキに何の選挙のものか記されていないという
選管事務局のお茶目な印刷ミスがあったものの、
私の投票は厳かに滞りなく執り行われた。

投票所においては、相変わらず若者の少なさが目につき、
おばちゃんとおばあちゃんの姿が目立っていた。
そこで、私は考えた。
なんとか若者たちに政治を啓蒙せしめるために、
マスメディアに政治バラエティ分野を確立させてはいかがなものか。

まず、つんくファミリーやジャニーズのタレントたちをブッキングして
民放のゴールデンにどどーんと2時間スペシャルを持ってくる。
綿密な構成をたたき上げ、お堅い評論家たちを排除。
政治と身近な生活との密着性だけをクローズアップし、
「真剣だけど、べつに難しくない政治」をキャッチフレーズに
楽しいトークでいまの政治を斬りまくる、なーんて。
もちろんスポンサーは、国。

べつに有名人を政界に放り込む必要はない。
タレントにはタレントの、政治家には政治家の役割があるのだから。
そこをうまく使い分けて、啓蒙活動をしていけば、
もっと政治を身近に感じることができるのではないだろうか。

まあ、そうもうまくいかないのが政治なんでしょうなあ。
じゃなかったら、もうとっくに市民の関心を高めるような番組が
ドラマに負けないくらいの数字を取ってるよなあ。

とにもかくにも、せっかくの参政権、行使しても損はない(と思う)。
せっかくだから行使してみても、別にバチはあたらないんじゃないだろうか。
私は政治、けっこう楽しんでるつもりだが。どうかしら?



2001年06月23日(土) 悲しいこと〜。

私は風呂が好きである。無類の風呂好きである。
しかし我が家の風呂は、いかんせん狭い。
いまのアパートには住み始めて2年目になるが
湯船につかったことなど、一度しかない。
そんな私は、月に3〜4回は銭湯に行く。
今日も2週間ぶりに駅の北口にある銭湯に行ってきた。
が、しかし! 「いつもここから」のネタではないが
とても悲しいことがあった。
いつも風呂あがりに飲んでいるコーヒー牛乳(ビン)のフタが
紙のヤツから、プラスチックのキャップに変わっていたのだ!
自民党もびっくりの大変革である。
いままであのピンの付いていたキャップ開けで、
「きゅぽん!」
と開けていたあの紙のフタが、
手で開けることができるようになってしまっていたのだ。
なんだか大切にしていた宝物を急に失ったような、
そんな気分にさせられてしまった。
ホントに他愛もないことなのだが、妙に淋しくなってみたりして。

またひとつ銭湯に行く楽しみが減ってしまった。しゅん。
でも、今日も軟水の湯につかって、お肌つるつるである。
体脂肪率14パーセント。まさに理想。してやったり、私の体。



2001年06月22日(金) 役に立つのか?

5月に受験した「福祉住環境コーディネーター」の合否発表を
今朝、東京商工会議所のHPで確認した。
これは、来るべき高齢化社会において、バリアフリーな環境作りに
貢献していこうという、福祉・建築両分野の橋渡し的存在である。
何を隠そう私は、いまでこそ演劇一筋のような暮し向きをしているが、
大学で5年間(一年留年)も福祉を学んだ福祉小僧である。
実は福祉を勉強するのが大好きである。
資格をとるのも大好きである(取りたい欲求が強いだけだが)。
というわけで挑んだ「福祉住環境C」検定試験3級。
結果は、合格である。
結果をHPで検索したのだが、いかんせん結果のページが…。
回線が混んでいるのか、5分経っても10分経っても表示されない。
それから何分待っただろうか、ようやく結果が姿を現した。
しかしそこには、
「合格」
この二文字が、赤い格好で待っていただけだったのである。
なんだか殺風景なその文字に喜びというより拍子抜け腰砕けである。
その下に簡単な採点結果も載っていたのだが、それにしても、だ。

11月に2級の試験があるので、またチャレンジするつもりなのだが、
2級の試験の合格率は3級の試験の半分というなかなかの難関だ。
きっと今日のような拍子抜け腰砕け感はないだろう。
しかし、そういうことに費やすヒマがあったら、
新しい戯曲の執筆に取り掛かりたいというのが、実のところである。
悲しいモノ書きの性かな、要するに何か書いていないと落ち着かないのである。
書き始めたら書き始めたで、苦悩するくせに(笑)。



2001年06月21日(木) 新作のデキは?

卒業公演用候補として後輩たちで回していた新作戯曲が
ひさしぶりに私の手元に帰ってきた。
モト原稿はフロッピーの中に入っているが、
やはり本の形になってないと読みづらいので、
プリントアウト原稿だと、ようやくちゃんと読める。
自分で言うのもなんだけど、やっぱり面白い。
後輩たちの評判もなかなか上々(のようだ)。
まだ卒業公演用台本として決定しているわけでもないのに、
いまからこのホンが上演されるのを楽しみにしているお茶目な私(笑)。
きっと面白い舞台になると思うんだけどなあ。
ああ、空しや自画自賛(泣)。



2001年06月20日(水) 自分の好きなものは。

昨日の日記を書いていて、不覚にもホントにマッツに行きたくなり、
夕飯のために足を運んでしまった私。
しかし食したのはカレギュウはではなく、豚生姜焼定食である。
豚肉はビタミンが豊富だということと、
生野菜が食べれるという陳腐な健康観から選んだのだが、
食べ終わってから、やっぱりカレギュウが食べたくなり、
なんとなく「食べときゃよかった」という気にさせられてしまった。

もし世の中にカレーとラーメンがないという状況が訪れたら
私はいったいどうするだろう。ああ、考えたくない。
歌うことや演劇をすることと同等に捉えていいのかどうかは微妙だが、
なくなったら困るものに違いはない。
自分の好きなものは何でもそばに置いておきたい。
自分の中の「淋しがりやの自分」が欲する、果てしもないわがまま。
もっともっとオトナになりたいものである。



2001年06月19日(火) ああ、深夜放送→カレーがうまい

寝ようと思ってたらついぞTVに見入ってしまう。
「笑う子犬の生活」にてピン芸人の特集。
はなわ・陣内智則・長井秀和の三人が出演。みんなサイコー。
中でもはなわの「S・A・G・A 佐賀〜」は絶品!
さあ、これから伊集院光聴いてホント寝よう。

明けて次の夜。
戦隊モノの黄色い人のようにカレーが大好きな私は、
久々に自宅でレトルトカレーを食す。レトルトでもうまいもんはうまい。
シバハラといえば松屋のカレ・ギュウというイメージが先行しているが、
最近あまり外食しないので、食べる機会を逸している。
また久しぶりに行こうかなあ。マッツ。



2001年06月18日(月) この日記の紹介で候。

☆なんのこっちゃ訳も分からず
 いきなりこの日記にジャンプして来られた皆様へ…



この日記は
東京近辺で活動している
演劇ユニット・カフェチョコシナモンの
脚本・演出・役者の三つのワラジを履くが
大して権威も実力もない主宰・shibaが
日々見聞きし、考えたことを
つらつらと綴っていく
ごくフツーの日記である。


ただ、ときどき

「おっ?」

と思わせることが書けることも
ある


…かもしれない。
それがいつかは本人にも分からないのである。



というわけで
ごゆるりとお楽しみ下さりませい。



(2004.06.19 カフェチョコシナモン主宰・shiba)


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