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バカは休み休み、寝言は寝てから。 - 2003年10月31日(金)

すべては自分の望みどおり。

つまり、
わたしはこの状態を、望んでいた。

ならば、泣くのは間違い。


知ってほしいと思っていた。

と、いうことだね。
知ってもらえたんだから、
次は、
伝えなくては。
それがわたしの望みである以上は。



ずいぶん年上のあなたの厳しさに、お礼を言います。
立ち上がりましょう。


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満ちる - 2003年10月29日(水)

求めているものは たったひとつだ

淋しくなんかないよ

ひとりがいやなんじゃない。

でも

苦しいし、

かなしい。

ならば、なにを望む?


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ごめん。無理だった。 - 2003年10月28日(火)

引き続き私信です。


読んでるとは思わなかったのでびっくりしました。
あなたに見られて困るなら閉じるのだから、
嫌だという意味ではなくて。

ごめんなさい、こたえは少し待って。
ただこたえるだけならすぐできると思うけれど、
あなたのその問いに答えることは、
たぶん、
わたしにとって何か重大なことを
見つけることだと思うから。
言葉を選んでるんじゃなくて、
いま出てこないの。
でもきっとだいじな気持ちがそこにあるの。

きょう言えるたった一つのことは、
わたしにとっては、
決して、
「今更」なんかではないってことです。

それだけ。
今はこれ以上は無理です。
ごめん。


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傘に降る雪の音を想う - 2003年10月27日(月)

すっかりすっかり、です。
何がって、気温がね。仙台はしっかり東北だから。朝晩は特に、風が冷たいんです。

でも、冬が好き。
暑いよりは寒いほうがいいっていうのもあるけれど、それ以上に、真っ白に積もった上に音もなく降っていく雪の中を歩くあの感じと、頬にあたる重くて冷たい空気が、わたしは好きです。

だから、太平洋側に来てからは、本格的な冬よりも、今ごろからコートを着始めるくらいまでの時期のほうが好きです。
だって、冬になっても雪はあんまり降らないし(降れば降ったで交通網が麻痺するし)、吹く風は乾いていて肌が切れるようだから。

冬の記憶を、ぼんやりといくつか思い出したのは、熱っぽい自分の顔にあたった風が、とても気持ちよかったからだろうか?

いろんなことが、どうでもいいような気もしてきた。どうしてだろう。笑。





私信。アンサンブルとても組みたいです。きっと最後だから、最後くらい我儘きいてください。


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おでこ熱い。 - 2003年10月26日(日)

昨日あたりから熱を出したようなので、薬を飲みつつ、サークルの芋煮を休んだのに、orange pekoe のライヴに行ってきた。それが今日。こうして書くとますます変な日だ。
芋煮は、天気もよかったし、どういうわけか今まで一度も参加できてないし、とても行きたかったのだけれど、一週間後に学祭を控えて、この体調でこの気温の中を何時間も屋外で過ごすのは明らかによくないだろうと考えて、諦めた。

2年前のサークル芋煮のときも風邪をひいた、という記憶が鮮明に残っている。
学祭関係の仕事ができて、サークル仲間数人で街に出なければならなかったので頑張って出掛けたけれど、用事を済ませてすぐ帰宅した記憶がある。
その日の朝、家から出たのではなかったことも憶えている。

orange pekoe のライヴでは、初めてのホールに行ったが、なかなかよいところだった。メンバーの顔がきちんと見える位置だったのでなおさらよかった。

いちばん気になったのは、独りで来ていたらしき隣の男の人が、どうにもリズム感が悪いことだった。
というと語弊がありそうなので書き加えておくけれど、その人がリズム感が悪いことでわたしがイライラしたわけではなく、こころはノリノリでライヴに参加しているのに、どうにも手拍子が合わないせいでかなりおどおどしてしまっていたその人がかわいそうだっただけです。特にウラ拍のときがかわいそうでした。Happy Valley なんかは三拍子と四拍子で拍子が変わるので、ますますかわいそうでした。


(昨日と一昨日の日記も書きました。はい。)


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譜面を書くのは面倒だなぁ - 2003年10月25日(土)

午前中にバイトの会議をして、午後は冬のコンサートでアンサンブルを組むメンバーで集まって、パート分けをした。
今回も耳コピーなので、曲構成と聴き取る音色の共通理解に至ってからでないと作業に取り掛かれない。
リズム譜も作らないとなぁ。
あと、あの超難解な、エレクトーンの取説も読んでおかなくては。(ロワーメモリーかアカンパニメントのエディットを……ごにょごにょ。)
エレクトーンというのは、楽器でありながら、大きなパソコンでもあると思う。

それにしても、わたし実は聴音かなり苦手なんですけど。
いつまでたっても上手くならないのは、やっぱり、これがリズム感なんかと同じ種類の能力だからかな。相対音感は悪くないと思う、歌はきちんと歌えるから。音程が外れるとわかるから。ってことは絶対音感の問題なんだろうなあ。
こんなんだから、鍵盤のないところで譜面を作るなんて信じられません。できてるみなさんを尊敬してます。すごいっ。


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きちんと授業してください。 - 2003年10月24日(金)

2限の講義がおもしろい。
「社会心理学概論」を文学部の2年生と一緒に受けている。
さすがに知り合いはいないので自分だけが頼りだけれど、おもしろい講義でよかったと思う。

しかし、一般教養科目ではなく専門科目としての概論は、大体がおもしろい。
おもしろくなかった授業も当然いくつかあるけれど、概ねおもしろいと言える。
それで、おもしろくなかった授業がなぜおもしろくなかったのかを考えてみると、これはやはり、先生の話し方がおもしろくないからだろう。
たとえばヒゲなんかは、自分で「ぼく授業するの面倒だから」と言うだけあって、飛びぬけておもしろくない講義をしてくれる。

大学の先生は、教え方を教わることはないのだから、ストラテジックに講義をしてくれなくてもいい。
けれど、自分のやっていることがおもしろいという気持ちがあるなら、そのおもしろさを、少しでも多くの学生にわかってもらおうという心構えで講義をしてくれてもいいのではないかと思う。
その意味では、恍惚とした表情で「フグ毒ってすごいんですよ…」とつぶやいていた薬学部の助教授の講義はよかった。学部1年のときに履修した講義だったけれど、今でも憶えている。

だから、自分が話してるだけの授業に「TAだから」とか言って、雑用をさせるためだけのM1を連れていくより、授業の中身と話し方をきちんと考えたほうがいいと思うんですけど、違いますかね、ヒゲさん?
「うちの講座に来る学生を増やすためにも」と言うけれど、そもそも、雑用を言いつけられている先輩がいるのを見て、「この講座、魅力的☆」と思う学生がいるわけがない。
うちの講座を希望する学生がますます減るだけだと思うが違うだろうか。


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なぜか眼鏡。 - 2003年10月23日(木)

サークルを休んでバイトの全体会議に出た。
もしやとは思っていたけれど、その予想は正解で、元彼と久しぶりに顔を合わせた。

わたしが仕事をしているところを見ていた人、しかも先輩以外でわたしを好きだと言ってくれた人を、彼以外には知らない。

あの中にあって珍しく、きちんと話を通せる人だった。今日も的を得た意見を出していたと思う。仕事をしているにもかかわらず現実性に欠ける人が多い中で、彼はわたしが「まとも」だと感じた数少ない人間のひとりだった。


それだけきちんと考えられるなら、自分の気持ちも、関わる人の気持ちも、なぜ、もっとわかろうとしないのか。
どうして、いろんな気持ちをしっかり言葉で伝えようとしないのか。
あのときはそう思ったけれど、そういうことではないんだね。
そもそも、気持ちは考えてわかるようなものではないのだから。
それに、言葉でなくても、伝わる気持ちもある。
きちんと話さなければわからないことがあるのとは別に。


変わったのかどうかはもうわからない。もう見てはいないから。


けれどまた会うこともあるでしょう。
返信は要らないと言ったメールに返信をくれるところは、変わっていないのね。

わたしは今年も、しっかり働くだけ。


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緑の美酒の酔い深く。 - 2003年10月22日(水)

来週末に迫った学祭で演奏するアンサンブルの練習をしに行った。
一緒に組んでいるひとりである一年生は、高校の後輩でもある。
と言っても、わたしが高校三年生のときに彼は中学二年生なのだから、わたしがあの学校で何をしていたのかは知らないはず。ふふふ。

あ、こほん。
その彼が、母校の創立130年を記念して作られたらしいCDを持ってきていて、それを貸してくれた。今年が創立130周年だ。
CDには何が入っているかというと、校歌に始まって、応援練習で覚えさせられた記憶のあるおびただしい数の「うた」である。バージョン違いの校歌など重複もあったが、全21曲。さすがに旧制中学から始まっているだけある。教わっていないために、聞いてもわからないものもいくつかあった。

校歌の作詞は土井晩翠、校友会歌の作曲は山田耕筰。
しかしこの校歌、フルコーラスだと5番までになる。
通常は3番までで終わりにする。5番まで歌うのは式典のときだけだ。
土井さん、たしかに一つ一つは短いけど、全部歌うとやっぱり長いよ?

さて。
このCDを聴いて、疑問に思ったことが二つある。

・野球部歌,ラグビー部歌,庭球部歌(ロ)は、それぞれ所属する部員が歌っているのに、どうして、剣道部歌,ボート部歌,庭球部歌(イ)は、東京混声合唱団が歌っているのか?
・「秋高音頭」には「じょじょんがじょんときて じょじょんがじょん」という歌詞(?)があったはずだが、なぜ入っていないのか?練習したときは間違いなく歌った。しかもそこだけ手拍子を、決まった型でつけなければならなかった。音頭だから。そこまで大事な「じょじょんがじょん」が、なぜ…?

疑問は疑問のままに。

そういば先日ラグビー部が花園への出場を決めた。
こちらは32年ぶりだ。

グリーン・アンド・ホワイト
グリーン・アンド・ホワイト
グリーン・アンド・ホワイト フレー

ラグビー部歌より。知っている人ならこのフレーズでかならず笑うと思う。


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そういえば昨日聞いたけれど、 - 2003年10月21日(火)

うさぎって、鳴くときは「ぶー」って鳴くみたいです。
聞いてみたいなあ。
でもあんまりかわいくないんだってさ。


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14ページ。 - 2003年10月20日(月)

今日の6限の授業にレジュメが間に合って万歳。あー久々に危なかった。
で、調子に乗って、今日も。


えっと、いきなりですけど、社会の近代化=学校の近代化、なわけですよ。
だから、日本では学校の近代化は明治時代から始まるわけです。
その前、江戸時代の庶民の学校は寺子屋、これは「寺子」が集う「屋」だから寺子屋で、行く時間も帰る時間も自由というか勝手気まま、いろんな年代の子どもが同じ部屋で勉強してました。はっきり言っててんでんばらばら。で先生は誰がやってたかというと、これが武士なんですね。さらに藩校(藩学)という学校もありましたが、これは各藩がそれぞれ子弟を育てるために設立したものなので、通った人は限られていました。つまり、大きな都市以外では、士農工商のなかで学校に通ったのは武士だけ、商人は必要な知識をそれぞれのお店で教えてもらってたわけです。

ここまででわかると思うんですが、江戸時代が終わるまでは、制度としての学校はべつだん必要じゃなかったんです。これはこれでうまく機能している社会だったし。

それでこの頃は、士農工商という身分階層が表す通り、武士は学があって、だから人として立派である、ということになっていたんです、少なくとも建前は。
大事なのは、「学がある」=「人格的に完成されている」=「人の手本となることができる」=「人にものを教えることができる=先生になれる」という考え方が根強かったということです。

それが、明治時代になって、制度としての「学校」を考え始めたら、「学校の先生になれる人」を大量に養成する必要があると政府は気がついたわけです。それで師範学校と高等師範学校ができるのですが、文部省が創設しようとした学校の当初の名前は「師表学校」なんですね。はいここ注目。

さあ、岩波国語辞典第五版。
【師範】
 学問・技芸を教える人。先生。「剣術の―」

【師表】
 世人の模範となること。そういう人。

つまり、最初に作ろうと思ったのは「人格的に完成された人を育てる学校」で、それは従前読み書きを教える立場だった人物がそうだと思われてきたからなんだけれど、結果的に作れると判断したのは「師範」を作るための学校だということです。

まあこれは現代語の辞典だから、語の解釈がどこまで通用するのかはわからないけれど、この辞典の記述に立脚して考えるとそうなるんじゃないかなと。

「師範」は養成できるけれど「師表」は養成できない。
けれど江戸時代に存在していたのは「師表」だった。

簡単に言うとそういうことじゃないかと思います。

だからさ、江戸時代には先生をつくるって発想自体がなかったんだよね。


それにしても、この授業で扱ってる本、よくまとまってるなあ。
読みやすくはないけど、きちんと読んだら確実に力になるだろう。
そういう本にはなかなか出会わない。
それはいい本があまりないからだけではなく、今の自分には読んでもわからないものがかなりあるからでもあるけど。


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今日も日本シリーズ。 - 2003年10月19日(日)

近所にあるINAXショールームに飾ってあった「便器のフタ」です。このショールームには、外に見えるようにゴリラの大きなぬいぐるみがいるのですが、そのゴリラさんのお隣に飾ってありました。ゴリラさんいつもは浴槽とのツーショットなのに。便器のフタかぁ。

もっとしっかりこの「便器のフタ」を見たい人はここで見てください。


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追いつかないかも? - 2003年10月18日(土)

あ、レジュメ作成が。なかなかかつてない切羽詰まり具合です。

こんなときに限って約束を入れてしまうのがわたしです。

昔から「帳尻合わせてるよね」と親にはよく言われました。

その通りなので何も言えません。


今日、修理に出していたカメラを取りに行きました。
一ヶ月以上前に持っていったのですが、連絡がないので、そろそろ一ヶ月というところでお店に電話をしたら、
「まだメーカーさんから戻っていないので、確認次第お電話差し上げます。」

で、その後留守電に入ってたのが、
「メーカーさんに確認取れました、納期は18日になります、ご来店お待ちしております。」

今日って18日よね?
行きました、ええ。

まだですって。
届いたらお電話差し上げますですって。

それは「納期が18日」ではなく「発送が18日」だったといふことでござるか?
…ござるか??


【納期】
商品等を納入する期限。
(岩波国語辞典 第5版より)


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えーと - 2003年10月17日(金)

今日はですね、とても眠い一日でした。

その眠いなかを、1限に出て、2限は休講で、5限はヒゲ(ヒゲについてはここを参照)の授業なので教室に行った。

ヒゲ不在。
研究室真っ暗。

この事態に何も思わなくなった自分が恐い。普通怒るでしょ。

休講の連絡は受けてないし、たぶんこの時間に授業があるってことを忘れてる、あの人。絶対。

で、授業があると思って来たもうひとりの学生(中国人留学生の女の子)と二人で、先生に置き手紙を書いた。
ちなみに、授業の初回にあたる時には二人とも欠席していたので、わたしはともかく彼女は後期になってから一度もヒゲに会っていない。
二人で書いた手紙はこんな感じ。


(わたしの書いた文)
研究演習を受けにきたのですが、先生がいらっしゃらないので帰宅しようと思います。来週の授業はあるのでしょうか。ではまた火曜日のゼミで。

(留学生の書いた文)
私はこの授業をとるつもりですが、まだ一度も先生に会っていません。来週は授業ありますか。


この手紙、研究室のドアにしっかり貼ってきました。

ヒゲは授業に数十分遅れてくるのは日常茶飯事だし、帰りたいときは予定の30分前で言わないとその時間には帰れないし、これって訴えるところに訴えたらヒゲはクビになったりするのかなあ。あ、笑えない。


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居酒屋レベルでの学校論 - 2003年10月16日(木)

サークルの後輩つながりで微妙に知り合いの人の日記に、「学歴社会は基本的には良い」と書いてあるのを見た。これだけ読むとなにそれって感じかも知れないけれど、わたしも彼の意見に基本的には賛成。

というのは、彼の言っているのは学校の本質にあるものについてだからだ。学歴と言うと違ってきてしまうのだが、小学校・中学校に限定して考えたらどうだろう。人より優れた才能がなくても、勉強は、頑張ればある程度までは必ずできるようになる。義務教育を行なう学校で高いレベルでの教育がなされれば、誰にでも、求めるものを得られる可能性が出てくるということだ。もちろん、東京大学に入ったから幸せな生活が送れるかと言うと、それはまた別問題になるけれど。あくまで可能性の話として。
彼は、勉強しただけ得をする社会があったら、それは本当に平等な社会なのではないか?ということを書いている。そうかもしれない。

学校は、その成立過程において、本来その意味を持っていたと言えるだろう。
貧しくてもお金持ちでも、みんなが同じことを高いレベルで習得できれば、優秀な人材が増え、国は富んでいくことができるからだ。
けれど次第に学校は国民を統制する場となり、戦後(これを先生は「つい最近」と言っていた)になるまで、エリートつまり国を引っ張っていく人のための教育を行なう場所と、そんなエリートの言うことを頭から信じる人々のための教育の場所とに、学校は分かれていた。どの学校にいるかということそれ自体が、特権を持っていることの表れだったということ。

だから戦後の義務教育学校は、再び、誰もが同じことを学び、国民全体が一定レベルの知力を身につけるように考えられた。そして今問題になっているのは、この「一定レベル」をどこに置くか?ということなのだ。
いわゆる「学力」が低下すると危機感をおぼえている人の中には、「社会の平等性が失われてしまう」と言う人もいる。
義務教育レベルであまり多くのことを教えないとしたら、現状では、上位校に行きたいと思うならばお金をかけて勉強しなければならず、そのお金が出せない人は不利な状況に立たされてしまうからだ。

わたしは、学校は現代社会に適応するための訓練場所としての機能を保持していると考えている。学校が、現代社会でよりよく生きるためにはどうあればよいかを学ぶ場所であるなら、そこで教えられる「国民共通の学力」として期待するものは、ある程度高いほうがよいのではないかと考える。

だから、お金をかけずに学べる場所で、多くのことが学べるような状況を作ってあげることは必要ではないかと思う。社会の平等性の一端は学校システムによって担われるべきである。わたしが、いわゆる「学力」が下がるのをなぜ問題だと思っているかというと、それは結果的に日本の国力を下げることにつながるからだ。知力の高い人は、少ないよりは、多いほうがいいではないか。





何も気にせず何も調べず一気に書いても、これだけの分量になってしまうことにびっくり。
でも、学力という単語にはカギ括弧をつけたり、「いわゆる」をつけるのを忘れないあたりが、既に入り込んでしまっている証拠なのだろう。
それでも、こんな程度は議論ができるレベルではなく、勉強すればするほど、自由にものを言えなくなることがちょっと悲しいです。考えを言うのに制限がつくこと、必ず反論がくることに敏感になりすぎてしまう。
そして多面的に見すぎてしまうので、一般の人と教育の話はしたくないというのが本音。みんな観念論で語ってくるのに、こっちは理論武装してしまう。
でも今日は書いてみたくなったんです。中途半端なのは勘弁してください。


ちなみに、「学校とはどういう場所か?」を観念的に考えるのは「教育哲学」に入ります。哲学って別にペスタロッチとかカントとかばっかりやってるわけじゃないんだよね。
でも「学校システムそのもの」について考えようとすると、うちの大学で言えば「教育行政」とか「教育実践」、「カリキュラム」が該当分野になります。
結局、ある程度のオールマイティーな知識と、ある程度以上の専門知識が必要です。

でも、いろんな意味で「いい学校」を作りたいという気持ちは、研究者ならみんな一緒のはず。それなのに、学閥や立場に左右されて思うことが言えないのは、本当に、くだらないと思う。


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ああ、 - 2003年10月15日(水)

気づいてしまった。

あの日、あなたの言葉がどうしてあんなに痛かったのか。

わたしがどうして、どれにも一言も返せなかったのか。

それは、

なかよしの痕 だからだったんだね。

人は映し鏡

だとしたら、

きっとあなたはがんばっていたんだね。

努力を無にしてごめんなさい。

でも

痕ならわたしはほしくないの。

何がほしいかはわからないのに、

ほしくないものには

気づいてしまう。


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ふんわり(今日のイメージワード) - 2003年10月14日(火)

そんなわけで、今日は大学時代の友だちとごはん、の日だった。

学校の話、旅行の話、言葉と気持ちの話、あと共通する大事な友だちの話、そんなところかな。

どうやら、もっと悲壮感を漂わせているわたしを想像していたみたいで、それはまあ間違ってはいないんだけど、「結構元気そうだね」というその感じも、また真なり、うん。
だってさ、会えて嬉しいんだよ?
そりゃ落ち込んでたって元気になるって。


学部生時代、彼に会うタイミングのわたしはいつも、どこか切羽詰っていて、彼に話を聞いてもらって、何かを貰っていくことばかりで、こんなふうにゆったりと話したことはなかったんだなぁと、気づきました。
アウトプットが異常に多いのは今も相変わらずだけど、そういう話じゃなくて。
そういうことが、「結構元気そうだね」に集約されているような気がします。
やっぱ、すごいね。

そして、助言らしきものを一言ももらわなかったことが、わたしは嬉しいです。
もしかして、初めて?


自分がわからなくていろいろ思ってしまう日もあるし、それはそれでじゅうぶん苦しいけれど、このまま頑張っていればよさそうです。
明日もまた、誠実にいよう。

今日はありがとう。
のらりくらりと、いきますか。ね。


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coordinator - 2003年10月13日(月)

久しぶりの「学級委員」的な仕事に、感覚の上で腰がひけているわたしです。
先日からの院生室のパソコンの管理もその一環ですが。

いえ、部屋長は立候補なしの選挙で決まったことだから、いいんです。
決定方法に不満はありませんし、決まったことには背きません。
任期の一年間はきっちり働かせてもらいます。
そういうことじゃないんです。

自分の属する集団でよりよく暮らしていくために、さまざまな提案をするのはよいことです。
とりわけ人間関係に目を向ければ、仲が悪かったりよそよそしかったりするよりは、和気藹々としているにこしたことはありません。

けれど、同じ目的のために形成された集団とはいえ、学校の中(つまり逸脱があまり許されない枠の中)において「場を共有すること」=「親睦が深まること」と、どうして簡単に言えるのでしょうか?
集団の中にどう入っていくかということも、本当の親睦を考えるのならば、最初の場面では個人対個人の付き合いのレベルから始まるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
個人としての付き合いの対象を広げていくことで、集団の多くの人とつながるのではないでしょうか。

人間関係の構築をどう捉えるかは千差万別でしょうから、わたしの考えが必ず正しいとは思っていません。
けれど個人的にはそう考えているのです。

もしも「顔見知りになる」ことが大事ならば、「場を共有する」ことによって目的は果たされるでしょう。
春の歓迎会に出席した個人的な理由はそれです。
けれど、あくまで個人的な感覚ですが、もしもあの会がなかったとしても、わたしは今と同じように皆さんと話しているでしょう。
あれ以降、親睦会はありませんでしたから。

いえ、親睦会の存在意義を否定するつもりはないのです。
顔を合わせる機会、接する機会が増えれば、仲良くなっていくのは当然ですから、促進はするでしょう。
うちの研究室がその良い例です。度重なる飲み会で、学生同士はかなり親睦が深まっているのは事実です。


提案に反対しているわけではないのです。
お前の意見はどうなんだと言われるかも知れませんが、こういうとき、わたしはバランスをとりたくなるのです。
提案者の意見がどんな気持ちで出されたものなのかは理解できます。
でも個人的に賛成できない部分もあるのです。
それに、仮に自分が全面賛成できる提案だったとしても、渋い顔をする人がいることが予想できる以上、何らかの詰めの作業を経なければ、話し合いの場には出せません。
この作業に腰が引けてしまうのです。自分がそうしているのに。
責任感のみが原動力です。



今日は「個人的」がやけに目立つ文章ですね。
ひときわおもしろくないですし。






こんな日は高校の軽音のことを思い出します。
就く役職が先輩からの指名で決まる伝統に不満はありませんでした。
でもみんな要望ばかりで、調整する人のことは一切考えていませんでした。
「あの人がやってくれるからいいや」と、皆が思っていました。
自分が壊したわけでもない破損品の代わりを持って謝罪に行った人に、なぜ、一言もなく平気で顔を合わせられるのですか?
あの後ライブが継続できたのは、なぜだか知っていますか?

わたしは軽音のために存在していたのではないんです。

すぐに辞めたわたしも短気かもしれない。でも。


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震える。 - 2003年10月12日(日)

感情がコントロールできないらしい。

「場」もあるだろうけれど、

思ったことは筒抜けになっていると考えてよさそうだ。


こんな思いをするくらいなら、

何にも触れずに閉じこもっていたい。


rebirthではなかったの?

reverseなの?


そして、

あの子は今日もやさしい。


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友だちが呼んでいる - 2003年10月10日(金)

たとえ電話線でも、繋がることで、見えるものもある。


どんなものが現れても、かならず、乗り越えてみせる。

がんばって。

時期を同じくして同じ心もちになっているのには、

きっと、なにか理由がある。

必要なことなんだね。


今あなたを救ってくれている存在が、

そこでのあなたの活路となってくれますように。

その小さな純粋さに、大きな期待をこめて。

ゆっくりと、変わっていこう。


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あなたは見ていない。 - 2003年10月09日(木)

自席で勉強していたあなたに何事もなかったかのように話し掛けたわたしに気づいて、明らかに安堵の表情を見せたあなたは、やっぱり何もわかっていない。
あなたの前で一度は外したペルソナを、わたしが再びつける場所は、もうここ以外にはないというのに。
「元気な姿で会おう」というあなたの言葉は、嘘だ。


「あなたにはわたしのことはわからない」という台詞は、本当はわかってほしいと思っている相手に投げかけるものだと誰かが言っていた。
そうだろうと思う。
この場所でやっていくためには、ひとりでもいいから、わかってくれる人がほしいと思っている。
けれどあなたにそれを期待するのはもう止めた。


自惚れないでほしい。
なぜ「自分が傷つけた」と思い込むのか。
わたしは「傷ついた」とは一言も言っていない。
まして今回のことはあなたのせいだなどとは一瞬たりとも言っていない。
許すも許さないもない。

そしてやはり、わたしの言葉が響いてはいないことを理解する。
あなたはわたしを案じているのではない。
体裁を案じているだけ。


お望みどおりに。


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クーポンマガジン - 2003年10月08日(水)

10月5日に、会いたいなぁと思った友だちから、昨日、メールが来た。とてもびっくりした。だってこっちからメールをしようと思っていたところだったから。こういうのはすごく嬉しい。心から嬉しい。

それで、そのメールに今日になってから返信して、来週ごはんを食べに行く約束をした。今から楽しみだ。


彼はとにかくいい人だ。そしてすごい人だ。
何がすごいって、本当にごくたまにしか話さないのに、そのとき抱えていることの本質を突いたコメントを二言目には出してくること。基本的には挨拶の次に、だ。

説教くさいことは言わない。
ダメ出しもしない。
でも、彼と話すと、必ず何か教わることがある。
いや、教わるというよりは、自分の中になにかが根付く、という感じだろうか。

会ったら、彼の話も聞きたい。


食べに行くお店は任せるよ、と言われた。
こういうときに限って、クーポンマガジンがすぐ手に入らない。


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ヒゲ飲み会。 - 2003年10月07日(火)

ヒゲ→指導教官。

新しく研究室に加わった留学生の歓迎会と、今セメスター&論文がんばろう会、ということで、飲みました。
新参留学生と古参留学生のふたりをお店まで連れて行く約束をしたら、古参の方が遅刻してきたために、わたしは何回かぶりに「ヒゲの隣」席から解放されたのでした。
嬉しかったー。

そして飲み会恒例の「近況報告」。箸袋にメモを取り始めるヒゲ。これも恒例。
ハラくんが民間企業への就職を考えていると言ったら、ヒゲ曰く「君のパーソナリティを考えると、民間には向いてないんじゃないかなぁ」。

(いや、かなり向いてると思いますよ。ハラくんのパーソナリティを先生が知らないだけです。はい。)

そして次々に「君も民間に向いてない」「君もちょっとねえ」と言い出すヒゲ。3年生から社会人ドクターまで揃っているこの場所に、そんなに民間に向いてない人ばっかり集まってるんでしょうか?まじで?あーでもそうかも。

と思っていたら、某通信系に内定済みの後輩が、「じゃあ、この中でいちばん民間に向いてるのは誰なんですかね?」と発言。
こちらを見るヒゲ。

…あ、自分ですか。向いてますか、民間。しかもいちばん。ありがとうございます。

(しかしですね、先生参加というこのびみょーな空気になりがちな飲み会の雰囲気を保つために、この2年半、どれだけ気を遣ってきたか、おわかりでない、と。それは同時に、成功しているということですけどね。ま、後輩たちがわかってくれてるからいいや。)

なんてことを思っているうちに、おひらき。
しかし飲み会の多い研究室です。飲めなくても参加すればいいだけだというのは、他の研究室のみなさんにはあまり知られていないようです。T研みたいに竜宮城に連れて行かれるよりずっといいでっす。おっと、口が滑った。


そしてこれも恒例(?)、プリクラ撮影♪
これまでにも結構な回数撮ってますが、今の3年生と一緒に撮るのは今回が初めてです。
ひとり欠けていたのが残念でした。

研究室は付き合いのたいへんなところかと昔は思っていましたが、後輩も入ってきて、学生同士は結構仲良くやってます。
みんな、論文がんばろうね!


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「わたし、向いてないと思いました。」 - 2003年10月06日(月)

今日はあやちゃんとデート。
前から行ってみたかったお店に行けたのと、安くておいしかったのとで大満足♪
また連れてってね(笑)
今度はおうちにお邪魔させてくださーい☆


やりたいことがある人が羨ましい。
大学受験の間際になって文系に転じてから、つきたい仕事を見つけていない。
今から思えば、そのとき諦めた仕事じゃなくても、その系統の仕事につくことを、考えればよかったのかもしれない。
そうしたらそうしたで、うまく好きになっていたかもしれないと思う。
こんな「つぶしのきかない」学部になんか入らずに、一生困らないような技術を身につけていたかもしれない。

でも過ぎてしまったことを思い、できなかったことを考えていても仕方がない。
道を選択したことで、得たものも多い。

それでも…

自分は向いてないのかもしれないと思う。
本当は好きじゃないのかもしれないと思う。
やってもいないうちから諦めそうになる。

年末の締め切りに向けて修士論文を書いている先輩たちや、収入のあてもないのに研究を続けている博士の先輩たち、まだこんな研究がしたいと明るく言う教授を見ていると、自分が本当にやりたいことがこれだとは言えなくなってしまう気がする。

課題研究論文の締め切りまであと四ヶ月。
夏休みに何もしなかったぶんだけ、出来はひどいだろう。
でも投げ出そうにも、投げ出すものすらない。
まずは他人を気にするのを止めなければ。
彼女を気にしていても論文は書けないのだ。


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言霊信仰 - 2003年10月05日(日)

最近、ことばが出てこないことが多くなった。

普段の会話に困るということではない。
むしろ口を塞いだほうがいいんじゃないかというくらい喋っている。

そうではなくて、自分の気持ちを訊かれたときに、中心にあるものを話そうとすると、ほんの少しのことばで終わってしまうか、全く出てこないかのどちらかだということだ。後者の場合は、自分で自分の気持ちがわかっていない。以前なら、無理にでも言葉にすることで、自分の気持ちを知っていた、つもりでいた。

「それは同時に自分の出した言葉に縛られるということだと、覚えておいたほうがいいんじゃないかな。きみは言霊信仰だから。でも世界はもっと広いんだよ、きみの中にもきみの知らない世界がある」。

今あなたに会って話したら、わたし、何か掴めそうな気がする。
CDなんか返してくれなくてもいいから、会いたいよ。


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話せてよかった。 - 2003年10月04日(土)

ある程度予想はしていたけれど、
かなり落ち着いていたね。
前回話したときよりも、
ずっと、明るい声だったよ。

あんなに話しても、
言葉で伝わったのではないものがあることを、
お互いに知っていると、今は言える。

わたしの大学時代は、あなたとともにあって、
多くのことを越えてきた。

教わったことは数知れず、
けれど、
それでもあなたがわたしを必要とする理由が、
わたしには
わかる気がする。


地球はたしかに回っているものね。


また今度ね、おやすみなさい。


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なにか問題でも? - 2003年10月03日(金)

今日のはややマニアックかと思います。

マイクロソフト社の修正プログラムのインストールをしているから大丈夫、と思っていても、ブラスターやウェルチに感染している場合もあるらしい。(ここを参照。)
とりあえずこのパソコンは問題なしと思われ。
他にも調べたいくつかの方法で確認したけど該当しません。


で、感染してたら文句を言われても仕方がないので何も言えませんが、

院生室に8台あるパソコンのうちのある2台を指して、管理者権限でのログインをしていないのに「これがウェルチに感染してる」ってどうして言えるのか、教えてほしいです。
ウェルチってそういうウィルスじゃないですよね?

すいません、前回ポートの開閉をしてブラスター対策をとったときに、DCOMを無効にしてあるんですが。
2台とも。
そのまま有効に戻してないんですが。

なにか問題でも?


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明日から、ではなく今日から。 - 2003年10月02日(木)

大阪から戻って一週間、今日初めて、自分から外に出る気分になった。
学校には、もう数週間ばかり行っていない。
明日から、いいかげん授業が入っているので行かねばならない。
そもそも、授業だから学校に行くという発想が、大学院生にあるまじきものだ。


誰かに誘われて外出するのが嫌だったわけではないし、会いたい人にも外で会った。
わたしにとって、学校は基本的に行きたくないところなのだ。


調子が悪いとき、これまではサークルにも行きたくなくなった。
けれど、調子が悪いときには大概、行事の準備をしなければならなかった。
「行事の準備」とは大概、アンサンブルの合わせ練習のことだ。
そんなときは大概、用事を済ませると何も言わずに帰っていた。


でも今日、義務感ではなく、サークルに行こう、と思った。
知っている人は知っている。
隠す必要も、見せる必要もないと、今日初めて思った。





BGM: style (平井 堅)

心研ぎ澄ませ 問いかけてよ むき出しの君の欲望のまま
隣にいるその人を君が心から求めているのか

抱き合うことで手にする安らぎは 確かに愛を装うけど
鏡の中少しずつ鈍くなってく心を睨んでみて

break your style,you can break your own rule
you can break your style,you can break your everything




それは昔のあたし。
You can break your everything.


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見ていないと思うけれど - 2003年10月01日(水)

私信です。

タカくんへ。

前にメールがきてから一週間になるので、心配しています。
どんな状況でしょうか。
あの日も言ったけれど、あなたが本当に納得して、正しいと信じ、後悔せずにしてきたことならば、あなたは、わたしが軽蔑するようなことは絶対にしていない。
断言できます。

だから、伝わらないことを嘆かないで。
わたしが知らないことを、悲しまないで。

あなたもわたしも、今は、何も恐くない、と話したね。
でも、それは、平気だ、ということとは違う。
きついんだよね。
苦しいよね。
でも、逃げずにいると決めているから、恐くない。
ただ誠実でいようと思うだけ。

そしてあなたがどんな状態でも、わたしはあなたを見ているから。

連絡が取れるのを待っています。


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INDEX
past  will





Not one night
one single day
that I wouldn't give to you
So with all my might
in every way
I'll try to forget to you

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