2012年06月17日(日)
すずみさんのはなし



 この間久しぶりに更新したらほめられたので調子にのるよ!(笑)
 ずっとしゃべろうと思っていた、「ここ最近の宝塚の動き」について。いくつか。



[涼さんの退団]

 まったく予測も覚悟もしていなくて、正に晴天の霹靂でびっくりしました。
 どこかで涼さんは組長までいると思いこんでいたので。
 

 天使のはしごの時の、一幕のダーシーソロは「え?これなんて涼ソング?」とびっくりし、かつ「まるで退団でもするみたいだなー」ともちらりと思ったのですが、それを速攻否定するだけの変な確信が自分の中にありまして。今となっては「どうして辞めないって思っていたんだろう、あのひと、タカラジェンヌなのに」と思うばかりで。


 涼さんの事は、ベルばら2001の衛兵隊と合コンするなら誰ねらいという時にクマコさんと声をそろえて「すずみんで!」と答えるほどで、その頃からずっと観てきました。大真担の頃には「涼さんと大真くんどっちが本命なんですか?」と伝書鳩から問われるほどに、涼さんの事は大好きで。
 だから、大真くんが辞めたあと涼さんのところに行くのかなぁとぼんやり思っていたのですが、そのときにはもう涼さんはご贔屓というより、別格なひとになっていたみたいで、ご贔屓じゃないけれど大好きという状態でずっとここまできました。


 お茶会もずいぶんいったなぁ。王家からエルアルコンぐらいまでは、だいたい毎回行っていたのですが、それが行かなくなったのは、ちょっと安心してしまった部分もあって。
 言ってしまうと、涼さんがトップレースから降りて、自分の道を歩き始めた時に、ああもう大丈夫だな、と。そのときに辞めるという道をとらずに、レースから降りて残る道を選んでくれた。それまでは茶会にいってもまだトップ射程圏な発言も多くて、ちょっとはらはらしていたのです(笑)
 愛青の時に久しぶりにお茶会にいったのですが、まあ、その時には二転三転して見事なキャラチェンジをされておりまして(笑)。でもそうやって辞めずに残って、さらに変化をしてきた涼さんを本当にすてきだなと思って。そしてあふれんばかりの宝塚愛、そんな姿に未来の組長姿を思っていました。

 キャラチェンジといえば、そもそも最初はそのおかねもちキャラにどっかんどっかんきていたんだなあと懐かしく思います。ぶっちゃけすずやつ祭をやった時にヲタ方面の思いも爆発してしまいました(なんたる迷惑)。ただあのころバッシングも多かった涼さんにそういう視点なら萌えるよと提示できたのは、このあたりの功績?でもあるんじゃないかなと自負しています。


 辞めなかったから、ずっといてくれたから、という要因もありますが、実際涼さんに関して書いたSS(萌えの形跡)は多くて、故に私の「萌えのミューズ」と思っていました(だからなんたる迷惑)。そうやって書いてきたものの変遷も、涼さんのいろんな変化がうつしだされていたんじゃないかな、と。


 時に濃く、時にゆるく、ずっとずっと観てきた涼さんがいなくなる、ということが、大劇場千秋楽を前にしても、ちっとも実感わかないのが正直なところです。


 実感ないまま、東京では全力で見送れるようにと準備はしています(DSも行くよ)
 ただ、それもどこか実感がなくて、どうすればお見送りできるのかな、とぼんやりと考えています。




 と、なんだかまとまりない文章になりました。本当はもっとさらっと書いて、きむみみの話とかもしたかったのに(笑)。やっぱり思いが変にほとばしってしまうみたいです、重い(笑)。







 明日、どうかよい楽になりますように。




2012年06月13日(水)
ななどあメモ更新したよ!


 というわけで、日付さかのぼりななどあメモを放り込んで置きました。
 読み応えはありますが、読む甲斐があるかどうかはわかりません(笑)

 お暇な時にでもどうぞ。

 あと、夏コミ落ちました。
 また、落ちました……。
 まあ今回落ちてほっとした状況でもあるんですが、割りに落選率高いよね?俺……

 今夏はやのさまのところの娘本にゲスト参加が確定です。
 できたら涼さん関連でなにか出して置かしていだたこうかと思っています。

 
 そう、そうこうしているうちに涼さん退団だわ、キムミミ退団だわ、せしる娘役だわ……と、こちらでは全然触れていないうちに宝塚はめまぐるしく動いておりまして……。


 そろそろこちらのサイトを整理する時期なのかなぁとも思っています。うむ。







 で、ちょっと本編(違)におさまりきらなかった、ななどあメモ。
 夏希さん以外の役者語りを載せておきます。



[ななどあ脱線メモ:すぴおかの話]

 このななどあで今回『肉欲』をやっていたのが、夏希さんが黒い男子たちと組んでるユニットGUYS FROM THE EARTHのすぴ岡さん(Spi)です(説明的な)(笑)。なんですぴ岡かと言うと、去年のユミコ氏ゲストの退団一周年アニバーサリーで何を歌うんだろうね→ふたりでダブル明石やればいいよ→それでカリーちい姫を奪い合うといいよ→そこに「さきに離した方がほんとうのおかあさん!」とすぴ岡越前の名裁き!という某るんさんとのついったコントからきています(どうでもいい、すごくどうでもいい!)(笑)

 GUYS自体が組んだ当初は「は?なんだこの黒いの?」だったのですが、一年かけてだんだん馴染んでいって、夏希さん目指してどんどんステップアップしていった姿は本当にむねあつで、今では大好きになったのですが、その中でも一番成長が著しっかったのがこのすぴ岡です。逆に言うと、メンバーのなかでは「一番なってなかった」んだけれどね(言うな)(笑)

 RENT等の出演経験はあるものの、まだまだ舞台の経験が浅いすぴ岡さん。このそうそうたるメンバーの中でどうするのかな、と思っていたら、スズカツ氏は彼に英語(ハーフなのです)とダンスという、一番得意なものを舞台に立つ武器として与えた。これは素直にうまいなぁと思ったなぁ。たぶん、日本語ででてたら、ちょっと他のメンバーと対等に張り合えなかったんじゃないかな、と。


(ってかいているうちにGUYS活動休止ですよ、あーあ)(笑)



[ななどあ脱線メモ:ヨタ様の話]

 『嫉妬』をやっていた伊藤ヨタロウさん。本業は音楽の人で、メトロファルスというバンドのボーカリスト。スズカツさんの舞台で音楽をてがけること多数。
 っていうか本業役者じゃないのに、なにこれ!
 やくしゃすぎてびっくりしました。見た目かわいいおじいちゃんなのに、ついったのでのお茶目な人柄も倍率ドン。もうすっかりメロメロで、よた様目当てでイベントにもいっちゃったよ……
 『嫉妬』で見せたあの狂気、たまらんなあ。

 さらに余談。メトロファルスのHPにzabadakのリンクがあったので、あれと思って調べたら、「賢治の幻燈」にその名前があって、「オツベルと像」の朗読劇にオツベル役で参加。もちろんもっていたので、あわてて聞きましたが、いやあ、すてきだった。
 久しぶりに「ほれた!」と思える役者に出会えました。これはちょっとうれしい誤算だし、贔屓の退団後ならではだなぁ、と。







 そんな感じにおおむね元気にやっております。続きはついったーで!といいつつ、いまちょっと鍵っ子になってます。ちょっと待っててね(はあと)(はあと、言われても)(笑)




2012年06月12日(火)
ななどあメモその3


 続いています。だいぶだらだらしているのは、日数経過しているのもあるんですが、そもそも物語が迷走していたからかなぁと。

 というわけで、続きです。





[ななどあメモ:七つの扉、じゃない話]

 七つの扉を越えて、「厳かな婚礼の儀」を行う「時の間」案内されるユディット
 従者たちが現れて最初着替えさせられた服をまた脱がされる。白い一重のドレスだけになるユディット。

 そうして公爵が現れる

「羊の話を聞こう」と。

 ユディットは従者達に囲まれて、代わる代わる詰問されて「羊をほふる」様を淡々と語らされる…
 そうして、何故こんな話を聞くのかと問い返すユディットに公爵は語る。
 
 公爵は自分がかつて罪を犯して、神に罰せられて時を止められたという。
 公爵の罪は昔ある国の王だったころ、戦争でたくさんの人を殺した。けれども殺すことは神と神官に与えられた特権、それを侵したとして、公爵は時の流れを止められた。 そうしてもう長いことこの城にいる。
 しかしその止められた時の中とどまる事を憂いた公爵。その公爵に神の啓示が
「羊飼いの娘を探せ。その羊をほふる行為で君を楽にしてくれるよ」と(大意)。


 そのためだけに私を?では私が公爵をほふれなければ?と聞くユディットに
「これまでと同じ事をするまでだ」と。前の三人の妻の遺体が天井から降ってくる。
ほふれなければ殺されるまで。
 そうして従者達が去り、公爵と対峙するユディット。今度はユディットターンでこれまでの生い立ちを語ります。



 以下、突然ですがユディットの話を箇条書きします。

1)父は下級士官で、酒場での諍いを止めに入った時に殺されてしまった。しかし裁判では弁護士の巧みな弁舌に翻弄されて、父を殺した男は無罪にならなかった。


2)そこから家は没落して、母親が昼も夜も働きにでたが、暮らしはちっともよくならず
「一番下の妹はいつもおなかをすかせていた」

3)弟達は貧しさとひもじさに争ってばかりで、いつもよその子供を羨んでいた。

4)十二の時に口減らしの為、今の家に引き取られた。けれども家族ではなくて、体のいいメイドだった。父も兄も正直だけれど勤勉ではなかった。

5)そして私が女であることが別の苦しみを(原文ママ)


 そうして、生きている事がつらかったというユディット。だから公爵の七つの扉に夢中になった。扉の向こうには天国への道があるのだと思っていた。

 けれども、扉をあける度によみがえるのは苦い思いでばかりで。


 訴えるように公爵に語るユディット。
 時に涙を流しながら。


 で、あえて番号をふったのは、ユディットが「苦い思い出をばかりよみがえらせた」七つ扉とのリンクを検証したかったのです。

1)は「強欲」
 「強欲」という七つの大罪そのままではないものの、、「強欲」という罪人がまるで父を殺した弁護士であるかのように

2)は「暴食」
 罪人「暴食」の罪は幼い子供から食べ物を奪った罪。
 そこからくる飢餓。暴食を諫めるユディットは神の教えからと、飢えていた幼い弟妹達が脳裏に浮かんでいたはず。

3)は「嫉妬」
 ほかの家庭の子供をいつもうらやんでいた弟たち。
 に、かけている……の?

4)は「怠惰」
 父と兄を正直だけれども勤勉ではなかったというところから?

5)「肉欲」
 私は肉欲はやってないと思っていたし、あんまりそこに性的なものを感じなかったけれど、ユディットからすれば「女であることがまた別の苦しみを」思い出させたのか
 
 ……っていうことだよね?

 で、上であがっていない「傲慢」は、ユディットはここにいるほうが幸せだという兄の傲慢なのか、はたまた「傲慢」に指摘された通り、ユディット自身なのか?
「憤怒」は3)で喧嘩している弟たちを指すのかなぁ。


 もっとちゃんと解釈すればつながるのかもしれませんが、それまでめぐってきた七つの扉とのつながりが弱くて。
 またそれをユディットが延々と語るだけで、言葉だけの解説にすぎなくなってしまって。

 なにより、七つの大罪がユディット自身ではなくそれをとりまく事象であった事もどこか遠くて。


 ここまでやってきた七つの扉の話ってなんだったんですかねーーーーー?

 という気持ちになってしまった。なんか論点ずれてね?(笑)



 更にそれに続けてユディットは言う
「私は必要とされているのでしょうか?」
 そんな風に生きていることがつらかったユディットにとって、公爵は救い主であった。その公爵に求められた事にユディットが
「どれほど喜んだかおわかりになりますか?」
とそれに対して公爵は

「神がおまえを選んだ、それでは不服か?」

 つうか公爵、おめえ今ユディットの話聞いていなかっただろ?(真顔)

 羊をほふる娘だから求められた(ユディット自身を求めたわけではない)、ということはユディットにとってはショックだったはず。だってユディットは間違いなく公爵に恋いこがれていたんだもの。

 そこから「なんとなく運命論(爆)」に持っていく公爵。
「どうすればいいかわかっているはずだ」
 と、ナイフ投げて、自分をほふる事を示唆する公爵。

「私はおまえの羊だ」

 そうしてためらいながらも覚悟を決めたように、公爵をほふるユディット。泣きながらユディットは神への祈りのような歌を歌う。そうして公爵を胸にいだいて、暗転。




 えーーーーーーーーーーーーー(半笑)




 スズカツさんは、簡易な物語などおもしろくないと豪語するけど、それ以前に破綻しちゃってる気がするんだけどなぁ。
 それまで紡いできた七つの扉とか七つの大罪とかいう論点は思いっきりずれて、
 何のひねりもないストレートな説明せりふで論点がずれて、
 でもなんとなく雰囲気のいい、かっこよさげな台詞をはかせて終幕。
 舞台セットも照明も音楽も演出も役者もすばらしかったから、なんとなくよさげに見えるけれど……な、なにが言いたかったの?

 答えを出すことが正解ではないとスズカツさんは言うけれど、じゃあ、あなた何を伝えたかったの?それ伝わってないよ?いいの?と思ったなぁ。別に正解を求めているんじゃないの。ただ、何を伝えたかったのかが私にはわからなかったんだよね……。


 公爵を胸に抱くユディットで終わっていればまだよかったものの(「なんとなくよさげ」、な雰囲気にのっかったのに)、最後にまた暗い青ひげ城のセットの中、プロローグと同じようにうごめく従者たち、そして階段上から出てくるのは、公爵と色違いの衣装をまとったユディット。そうして冒頭の公爵の台詞を言って、終幕。



 厨二だ、実に厨二だと思いました、はい(笑)

 あともったいぶった割には公爵の罪がちゃっちくて(笑)、それもまた厨二感を助長しているような。




 ところでこのラストシーンは毎回印象が違いました。
 初見の時は、公爵の代わりにユディットがこの城の主になったように思ったし(初日のユディットちょう強かったもんね)(笑)。
 ある時は公爵よりももっと強大な力で君臨するもの、聖書を片手に断罪したように、罪を許した公爵に対して罪を裁くユディット。この後、すべての扉を回って、罪人を「屠殺」していくのではないかと思うほどに。
 ある時は公爵とユディット融合体みたいな(ふーじょんと言ったら六実さんそれ古いです、と某嬢に笑われた)(笑)
 ある時は、公爵の代わりに罪を受けるものとしてこの城に置かれたという風にも見えて。何故ならユディットは公爵を殺すことで罪を犯したのだから。


 毎回見る度に違って、それ自体はおもしろかったんですが、物語を補填するどころか混乱させるものに見えたなぁ(笑)。

 そしてそうこうしているうちに、ななどあサウンドトラックが発売になりまして、その解説にはこのラストシーンが「新たな宿命のはじまり」「永遠に続く贖罪」とありました。


 ……あ、そうですかー(棒読)








 で、最終的に全11回(!)観た私なりの解釈は、これはやっぱり、ユディットと公爵の婚礼の物語なんだろうなぁと。
 七つの扉の話はとりあえず置いておいて(7doorsなのに!)(笑)。


 というわけで、その視点でもう一度振り返ってみます。


 冒頭で公爵の使いの執事がユディットを迎えに来た時、ユディットの声に出さない喜びがあふれていて。七つの扉の向こうの世界と公爵へのあこがれ。
 それは神へのあこがれにも似て。
 城にあがって執事に公爵のひととなりを聞くユディット。そして七つの扉を開ける前に、突然現れた公爵、その表情には歓喜があって。

 公爵に私を愛することができるか、でできます、と即答するユディット。
 「どんな事があっても」「必ず」と。

 そうして七つの扉をめぐるうちに、違和感を覚えていくユディット。
 何故このようなものを見せられるのだろうか
「私はためされているのでしょうか」
 それでも公爵の意に沿おうとうするユディット
「公爵もどこかでごらんになっているかもしれないですし」
 と肉欲を受け入れるユディット

 けれども、ユディットの違和感は増していく。
「なぜ、私は選ばれたのだろうか」と。

 家を出るとき、兄の前では「私は選ばれたのよ」と選ばれた事に対しての歓喜ばかりで「なぜ?」とは思わなかった。
 それが扉をめぐるうちに……


(まあ平たく言うと「え?なに、この仕打ちひどくね?つうか歓迎されてなくね?」って事だよなぁ)(笑)


「公爵はわたしをお試しになっているのでしょうか」

 七つの扉、七つの罪人、数え切れないユディットの「なぜ?」、は最終的に「なぜ私は選ばれたのだろう」という疑問にぶちあたっていく。


 そうして時の間での「婚儀」。
 何故選ばれたのかと問いかけるユディットに「神がおまえを選んだ」と。

(ここで公爵がひとこと、ユディットへの愛を語ってやれば、物語はもう少しカタルシスを感じられたのになぁ)(つうかユディちゃんかわいそう><)




 そう思うとユディット救われないなぁと思うのですが、この公爵とユディットの婚儀を縦糸するならば、そこに横糸として絡む、あるいは平行して、「ふたりの同一性」と言うの垣間見えていたちと思います。


 執事は「公爵とユディット様は兄弟とみまごうほどに」と言う。その後に「それぐらいお若いと言うことです」と補足するが、この兄弟っていうのはあながち間違いではないと思っていて。

 最初の邂逅で公爵の言う「おまえと私は瞼の表と裏だ」その時点ではまだ理解はしていないユディット。
 けれども最初に公爵のバイオリンを聞いたときのユディットの「美しい音色…そして悲しい」。そしてはっとしたように「公爵は、今」と何かを言おうとするユディット

 この後「七つの扉みせてあげるよ」に喜んでしまってその言いかけた台詞は飛んでしまうのですが(ちょっとユディット単純でかわいい)(笑)、私はここに続く台詞はこう考えていました。

「公爵は、今、孤独なのでは?」

 その罪により堕とされた時の狭間の中で。
 その孤独を、ユディットは知っている。

 そうして扉をめぐりながら、城全体にしみわたる公爵の孤独を思うユディット。そして七つの扉に思い出されるつらい過去が、ユディットの孤独を浮かび上がらせていく。

 そうして公爵は言う

「わたしはおまえで、おまえはわたしだ」

 七つの扉をめぐりながら、公爵を感じてたユディットはその中で公爵との同一観というか、運命を感じたんじゃないのかなあと。

 途中からこれはあこがれでも恋でもなんでもなく、ただ運命なのだと。



 舞台上には、上から落ちる雫を受ける小さな池があって、いろんな場面で効果的に使われています。白い衣装に着替えたユディットがその身をうつしたり、おさえきれない憤怒がそこに顔をうずめて自殺しようとしたり。
 この池は「鏡」をあらわしているんじゃないかと思いました。結局、公爵とユディットは鏡合わせの二人だったんじゃないのかな、と。

 ユディットが公爵を刺した時、池は真っ赤に染まり、上から落ちていた滴が速度をまして、激しく水面をうちます。水滴が跳ね上がるほどに。これを私は「あ、鏡が割れたんだな」と思ったんですね。似ているふたりをうつす、その象徴の鏡が。

 ただ鏡が壊れた事が、同一のふたりが一緒になったということなのか、あるいはふたりとろとも崩壊したのか、それはこのあとの場面が、いろいろな意味にとれたのと相まって、やっぱり結論はでないですが。

 が、私はやっぱりここは「婚礼」なのだと思っていました。
 公爵を胸に抱くユディット、そうして聞こえる鐘の音、祝福なのか、葬送なのか、それはわからない。けれどもここは「おごそかな婚礼の儀」を行う「時の間」。
 「羊」をほふる、ということが婚礼の儀式。


 実際ユディットが救われたのか、これもやっぱり疑問ではあります。
 生きていることが苦しいと訴えたユディットに、公爵が課したものはさらに酷なことのように思うし、ユディットの解決にはなっていない。ただ、そうやって七つの扉の向こうがわへいきたかったユディット、救われたかったユディットは扉をあけるにつれて、己の運命を自覚していくように思えます。そうじゃないと、最後にユディットが公爵を刺す、といいうところまでいけないような。

「神がおまえを選んだ、それでは不服か?」

 公爵に選ばれたことを歓喜としたユディットにとって、神に選ばれた事は何を意味したんだろう。
 泣きながら、けれどもどこかで覚悟を決めて公爵をほふったユディット

「わかっているはずだ」

 わかっているから、泣いていた。運命にあらがおうとした。けれども公爵の

「私はおまえの羊だ」

 で、すべてを受け入れるんじゃないかなぁと。

 公爵を胸に抱いて光に包まれるユディットはとても神々しくて、綺麗で。
 本当に聖母マリアのようでした。







 と、未だにこういて書いていても、新たなエクスキューズが見つかるというなー。
 いろんな暗喩、比較、あれ、もしかしてあれはここにつながるのかな?と今回書きはじめて、追加したこともたくさんある。うっかり長文(笑)。
 まったく浮かびあがっていませんが、一応文章の構成は
「七つの扉を中心にいろいろ考えてみた」
 ↓
「あれ?ラストで論点ずれてね?」
 ↓
「じゃあもう公爵とユディットのハッピーウェディングでいいじゃない!」

 です(わからんよ)。



 いいの、私はそう読み取ったの、無理矢理(笑)



 まあ散々言っていますが、そうやって考えている間も楽しかったのですよ。ちょうど仕事が端境期だったので、無駄に通った新大久保が楽しかったのですよ。ええもうななどあ楽しかったのですよ。

 でも、混乱したのも確かなので(笑)これが私なりのアンサーです。正解がないなら照らし合わせる気もありません。私にとってはこれで正解で!(笑)









[ななどあメモ:女優の話]


 舞台そのものの可否とは別に(え?)、女優・水夏希にいい舞台があたったなと思っています。今回とにかく競演者がすばらしくて、それに夏希さんがいい影響を受けたんだろうなぁ、と。

 初日に観たときにはユディットがまだ強くて、なんかよけいに意味がわかんなくなったんですが(え?これってユディットの青ひげ城攻略RPG?)(笑)ってぐらい強そうだった。ところが最初の休演日をすぎたあたりから、どんどんたおやかになっていって。競演者がパワーアップしっていったというのもあるんですが、翻弄されるユディット、ひいては夏希さんが舞台の上でどんどんユディットとして生きてきているなぁと。
 ほんとそれが素敵だったのです。

 で、今回もまたスミレに続いて、元宝塚としてのある種の違和感を今回も生かしてもらえたな、と。
 やっぱり宝塚のひとってむちゃくちゃ清潔感あるし、姿勢はいいわで、どこか品の良さが消えないんですよね。たとえば今やってるとにゃみのセクシーセレクタリーにしても、セクシーよりもお色気キャラクター、アイコン性が勝ってエロくない(笑)。
 前回のスミレの時は「伊原すみれ」自体が世田谷南署への異分子という設定だったから、そのある種の違和感が生かされたなぁとは前にも言った通りで。

 今回は周りを男子で固めたのもあって、とにかく夏希さんの白さが際だった。紅一点が際だつのは当たり前かもしれないけれど、それ以上に夏希さんが持っている「ある種の違和感」としてぬぐいきれない清らかさとか、そういうのがすごく生かされてた。
 ユディットの設定年齢はあかされていないのですが、私、17歳ぐらいでいいと思っていて(笑)
 その違和感は「外部」の舞台で足かせになることもある思うんだけれど、今回はその違和感が舞台ならではの虚構の上にのっかったなぁと。

 とにかく、むちゃくちゃきれいだった。とにかくきれいだった。


 そういうにょたいかをまのあたりにして、ますます好きになったし、そういう過程をみられるのは今しかないんだな、と。
 いつか夏希さんがにょたいか、なんて言葉を忘れるほどに夏希さんらしく女優になったとき、そういう過程を見た日々を懐かしく思うのかな?さびしくなるのかな、なんて思ったりもしました。




 そんなこんなで2012年6月時点で、今年度内のお仕事が出ております。
 7月にBGBB、8月に淡路、11月に客家、来年3月にバイオリン弾き
 どれもこれも楽しみです。



2012年06月11日(月)
ななどあメモその2


 字数制限上の分割です。
 ちなみにエンピツの一日の文字数制限は8000文字、原稿用紙換算20枚分です。さらにポメラの一ファイルの制限も同じで大変便利です。


 まあ、コネタはさておき、続けます。



[ななどあメモ:七つの扉の物語その2]


[家族]

 憤怒の場面の後、ここでショートコントのように(笑)挟み込まれる、ユディットに会いに来た父(強欲)と兄(憤怒)という場面
つかお兄ちゃん、さっき池に顔つっこんでたばっかりなのに!(笑)

 父は引き返そうと言い。
 兄はユディットは公爵の城では幸せになれない、と根拠のない持論を繰り広げ。
 兄のユディットへの恋情を指摘する父。
 父がユディットを強姦未遂した事を暴く兄。

 なんつう家族だ(笑)そんな会話が堂々めぐります。

 二人の唯一の共通点は「神の教え」なのだと思う。
 けれども敬虔と呼ぶにはほど遠く、ただ「神の教えに背きさえしなければそれでいい」とでも言うような。
 ユディットを押し倒しても敬虔な神の子としてのつとめは果たしていると豪語する父。
 「神がユディットをおつかわしになった時から俺たち親子は試されている」と言う兄。
 けれどもどちらもユディットのことを理解していないのは同じ事で。

 ある意味、ユディットは生け贄の子羊なんだろうなと思ったり。
 彼らの元に捧げられた、彼らが神の教えを遵守していると証明するための、存在。


 それじゃあユディットも幸せになれるわけないわなぁ……





[嫉妬]

 六つ目の扉。誰も知らない中庭につづく扉。


 舞台セット2階下手から入ってきて、中庭に落ちる光の、そのまぶしさに眼を細めるユディット。
 そして目の前に自分の好きなヴェルレーヌの詩を謡う白髪の老人。その光景にほっとした表情を見せるユディット。

 老人とのヴェルレーヌ談義。初めて分かち合えるひとと出会えた喜びをあらわにするユディット。そして自分とはかけ離れているから、とヴェルレーヌへの思いを語る。

 最初はユディットがヴェルレーヌを好きな理由は、「後年、神に帰依したヴエルレーヌ」の面に惹かれてなのかと思ったけれど、ユディットははっきりと、自分とは異なるデカダン、退廃にあこがれていると言う。

 それはまた罪ではないのだろうか、となんとなく。

 こっそりと秘密の扉をひらくようにヴェルレーヌの詩集を開くユディット、それがまだ彼女が今の家にくる前の、ひそやかな、楽しみ。なんて(SSしないで)。

 「嫉妬」と一緒に「枯れ葉」をうたうユディットは本当に楽しそうでかわいくて清らかで。でもその影に彼女がデカダンスに惹かれていた、がひっかかります。
 聖書とヴェルレーヌの詩集を携えてやってきた12歳の少女という構図に。


 すっかり意気投合した風の二人、これからもここに来ると言うユディットに、あなたは危険だと言う「嫉妬」。
「あなたにとっても、そして私にとっても」
 そうして明かされるこの老人の罪。好きだった女性が結婚した、その嫉妬心をおさえきれずに、彼女の首を切ってプレゼントボックスに入れて夫に送った。

 「またやるでしょうね、私はこの嫉妬心をどうしてもおさえることができない」

 「嫉妬」に怯え、「嫉妬」から身を翻し、眼をそらすユディット。そんな夏希さんに萌え(笑)
 そりゃあんなかわいいおじいちゃんが、やっぱり罪人だったんだからショックだよねぇ。

(ところでここの場面の解説でどっかの雑誌で『嫉妬』は博識なユディットに嫉妬した……」え?ユディットに恋してしまったから嫉妬じゃないの?)(真顔)

 そうしてここまで聖書片手に罪を断罪してきたユディット。果たしてユディットは「嫉妬」の罪を「罪」としたのだろうか。
 聖書に照らし合わせれば、罪。
 けれども彼女の手には聖書とヴェルレーヌがあるわけで。
 そんなユディットの中の相反するものがかいまみえた、って、まあ深読みだよね、うん(笑)。

 でも私はひっかかるのだよ「自分とは正反対だから惹かれる」に。





 六つの扉を開け終えたユディットは問う。
 六つの部屋はからっぽで、そこにいるのは一人の罪人……「この城は、監獄」
 けれども監獄ではなく、博物館だと答える執事。公爵による、罪のコレクションという。
 「暴食」「肉欲」「強欲」「怠惰」「憤怒」「嫉妬」とこれまでの扉の鍵を数える執事……。 それが「七つの大罪」だと気づくユディット

「残る一つは、傲慢です」




[傲慢]

 七つの目の扉は執事の部屋。


 執事の部屋には明かりがなく、見えない恐怖を示唆する執事。
 足下に蛇がいるかも、虫がはいつくばっているかも、誰かがいて足をつかむかも…「やめてください!」(と怯えるユディットはかなりかわいい)(はいはい)。

 そうしてここを自分の部屋だという執事。そして自分は七つ目の大罪『傲慢』だと。
 またここにも罪人、と怯えるユディットに自分は何も犯していないという「それがまた罪なのかもしれません」

 執事は公爵の陰だから、「影は暗いところにいるのがいいでしょう?」と明かりがない事を説明する。それがなんかじわじわと怖い。

 そうして明かされる、「公爵に8歳の時から遣えていた「執事」」。
 公爵よりも年嵩に見え、明らかに老境にさしかっている執事にユディットは「公爵が8歳の時から」と返すもすぐに否定される。
 そうして公爵の時は止まっているという。執事が「8歳の時から」遣えているが、公爵のお姿は変わらないと言う

 ありえないというユディットになぜそう言い切れるかと言う『傲慢』。あなたが何を知っている?この世のすべてがわかっているわけではないでしょう?人が知っていることなんてせいぜい一パーセントにも満たないだろう、と、それでいてわかったふりをしてわからないことは拒絶する、それを傲慢としてなんと呼ぶか、と。
 そうやってユディットを追いつめていく。

 わからないことを否定するそれこそ傲慢
「ユディット様もなかなか傲慢でいらっしゃる、この部屋を鍵をお譲りしてもいいくらいだ」とその鍵をユディットにむかって投げ捨てる『傲慢』。ガチャ、と舞台中央に落ちる鍵。

 そうやって完全にユディットが覆されて、追いつめられる。
 彼女の世界が覆された。聖書の教えで罪を断罪してきたユディットがその罪を問われている。

 公爵を神とあがめる『傲慢』のその狂気。
 そこにいる神はユディットの世界の神ではない。その狂気に追い詰められる。
(大阪の千秋楽は本気で怖くて泣いたらしいよユディットちゃん、かわいいし、なんというか芝居の力を感じるなあ…)

 そうして怯えて階段につっぷしてしまったユディットを、一瞬、威嚇するように近づき、そして高らかに笑いながら去っていく『傲慢』。その時、鍵をちゃらちゃらこれ見よがしに鳴らしていくのも、心底、怖かった。
 この鍵、というのが実に効果的で。七つの扉を開く際に、執事がその鍵を高くあげて下におろす。それに併せて「ガチャン」と鍵が開く音。


 そうやってユディットを案内していた「執事」が最後にユディットを追いつめた。七つの扉をめぐる間、ユディットをどんな風に見ていたんだろう……。
「肉欲」の場面では階段上から二人の踊る様を無表情で見ていて、それが下からの照明に照らされて心底怖かった。
「憤怒」の場面で部屋に入ってきたとき、憤怒を刺激しないように「しっー」っとやるお茶目さもあった。
「嫉妬」の場面では階段上に腰掛けて、歌う二人の指揮をとるようにご機嫌で(私はテルミンを弾いてるように見えた)(笑)
 そんな「執事」が『傲慢』としてユディットを追い詰めた。





 そうして七つの扉をめぐりながら、七つの罪を前にして、聖書で断罪してきたユディットが翻弄され、覆される。私にはそんな物語に見えたのです。


 七つの扉と七つの罪、そしてユディット。
 さあ伏線はたっぷりとはられた!これからいよいよ本番!



 が、ちょっとここから物語はなんか、あ、あれな方向に……



(いう訳で更に続きますよ)






2012年06月10日(日)
ななどあメモその1


 おひさしぶりです、ご無沙汰です、こんばんは六実です、マシンガンリークです(久しぶりなので自己紹介から)。


 すっかりほこりをかぶっておりますマシンガンリークですが……以下言い訳同文です(こら)。



 さて、今更ですが、ななどあ感想文をしたために参りました。


 すげえ、今更(笑)


 感想文というより、当時感じたこと、そして今改めて思ったことの散文にすぎません。「※個人の感想です」し、残念ながらレポートにもなってないので、観ていない人には全く伝わらないなぁと思います。

 が、はげるほどいろいろ考えたので、そしてついった140ではやっぱり書ききれなかったところもあるので、自分なりにまとめておきたいと思います。






[ななどあメモ:七つの扉の物語その1]


 前段を省きまして。
 まず、最初に七つの扉の話を。タイトルロール(違)ですから。
 ユディットがひとつひとつあけていく「青ひげ公の城の七つの扉」。その扉ひとつひとつにいろんなものがちりばめられていた(むしろちりばめすぎていた)(笑)と思うので。




[暴食]

 最初の扉は拷問部屋。
 そしてそこにいるのは食べ続ける事を罰として課せられた『暴食』と呼ばれる男。


 罪として課せられながら、食への執着を正当化し、苦しみながら食べ続ける『暴食』。
 そんな『暴食』をいさめようとするユディット。それに、食とはなんらかの殺戮である、と主張する『暴食』。それは屠殺者であるユディットをやんわりと匂わせているような気もします。
 ユディットは終始、そんな『暴食』を理解しがたいという顔で見ているなぁと。

 「それとも、食べることが快楽であるから」
 そう問いただすユディットが、すこし姿勢を正して、敢えて視線を『暴食』から外してまっすぐと彼方を見て構えるのが、まるで「快楽」という言葉を口にすることを厭わしいと思っているような感じだったのがすごく印象的でした。

 幼い飢えた子供から食べ物を奪ったという『暴食』に与えられた「食べ続けるという罰」
 けれども食べ続けている間は生きている、生きながらえているわけですよね?多くの食という名の死に囲まれて、ただ、『暴食』だけが生きているという構図。

 逆にこの罰を与えるということは、生かすということではいのかなと。食べ続けないと殺されるから、食べ続ける。

 ユディットが「神に背いてまでも食べ続けたいのですか!?」と示唆したとき、『暴食』が動揺する。そしてユディットにすがるように、「本当は……」と。
 本当はこんな事はしたくない、けれども死にたくない、と訴えるかのようで。
 それとも『暴食』は、やっぱり罪を正当化するために食べ続けているのだろうか。あの大演説もすべて、今受けている罰を罰ではないとしているような。それがユディットの「神にそむいてまで食べ続けたいのでるか?」という問いかけに対して「本当は…」

 最後、力づくで連れ去られる『暴食』。「まだごちそうさまって言ってないでしょう!」と叫ぶのは、食べきらなければ殺されるからか。
 けれどもあの後、『暴食』には(食べ続けなかった事への)罰としての死が与えられた訳ではなく、執事曰く「また何か食わせろと言い出すのですから」という。
 結局、死を与えることを許さないことが罰なのかなぁ。
 目には目を、歯には歯を、けれども死には生という苦行を与える。
 もしかしたら死なない苦しさを知っている公爵故の罰なのかも、と。


(というのを、これを書いている三ヵ月後に思い至ったという……え?)(笑)



[肉欲]

 二つ目の扉。宝物庫。
 そしてそこにいるのは「女とみればそうしないではいられない罪人」。『肉欲』
 多くの女性が『肉欲』に捨てられて命を絶った、間接的な殺人罪、と執事は説明する。


 婚礼の後に公爵と踊るかもしれないから、とユディットとかなりきわどい(けれども美しい)ダンスをする『肉欲』。
 このダンスを「ヤったかヤらないか」でずいぶん物議を醸したのですが、わたしは「ヤってない派」です(そんな派閥あるの?)(笑)
 ユディットは官能的な表情を浮かべるものの、なんだかよくわかっていないような顔をしているように見えたんですよね。
 何よりも前段で「(食べることが)快楽」を罪としていたユディットが、ここで流されているのは「快楽」なんだろうか。それをわからないで流されているような。
 そもそも「快楽」がなんたるかを経験していない(処女)なんじゃないかなぁ。

 『肉欲』とのダンスを受けるユディットは、快楽を求めたというより、『肉欲』と執事が言い争っているのを止める為、と某嬢が言っていて、ああなるほどな、と思った次第。それもユディット自身の欲ではなくて。
 もう一つはこの場面が終わった後のユディットが落ち着いていたこと。そこもあって、わたしは「ヤってない派」だなぁと。

 で、私は「肉欲不能説」が一番しっくりきました。もっと言うとその罪故に「ちょんぎられていた」と(こら!)
 『肉欲』のソレが、当初はエロスよりバイオレンスと感じたし、後半はなぜか「やさしくなった」と思ったんですね。やさしくなったというか、なんか勢いがなくなったというか。ユディットをリフトする直前に(リフトの都合上)そのドレスの裾をばさっと足蹴にするところがあったのですが、後半はそこがふつうに「避ける」だけになっていて。そんなところも含めて全体的に。それがかえってフェティシズムっぽくて。

 それで最終的に『肉欲』にとってユディットは「宝」だったんじゃないかな、と思った次第です。
 だって、ここは宝物庫。からっぽの宝物庫にきた「パーフェクトバランス」な宝。宝を愛でる、手入れする。『肉欲』の愛撫がそんな風にだんだん見えてきたんですよね。性の対象ではないけれど、執着はしている。そんな感じかなぁ。
 それはそれで、ちょっと気持ち悪くて、ちょっといい(え?)。


[強欲]

 三つ目の扉は金庫。
 そこにいるのは、金に目がくらんで冤罪を起こして無罪を有罪とした弁護士。罰として死ぬまで札束を数えさせられる。


 初見の時には正直「ずいぶんいい加減な場面だなぁ」と思ったんですよね(笑)。役者の技量に頼りっぱなしのような、放り投げた場面のような(スズカツめ!)(笑)
 でも演者の陰山さんの熱演がすごくて、ほんとあのほったらかし(と私は思った)脚本でここまでやるというのに、最後まで引き込まれてました。
 そうして場面の最後にかぶる公爵の、
「愚者こそ人間らしく、いとおしさを感じる」
 というモノローグに、日に日にテンションアップしていく『強欲』の愚者っぷりが重なって、なんだかおかしくて、そして哀れに感じて、うっかり涙ぐんでしまった日も。


 この場面を下手から初めて見たときに驚いたのが、ユディットが明らかに『強欲』に嫌悪を表していたことなんですよね。
 優秀な弁護士が金の為に冤罪を起こす、というのはユディットの実父を死刑にした事件(後述)を彷彿とさせているのは明らかな訳ではありますが。
 命が終わるまで札束を数えさせられるという罰に「さもありなん」という顔をしていたユディット。いっそ冷酷と言ってもいいような表情を浮かべて。
 最後、部屋を去るときに『強欲』を何か汚れたものでも見るような目で、近づくものいやといように、スカートを翻していたユディット。

 そこまでは翻弄される哀れな羊飼いの娘だと思っていたのに、そこで「あれ」と思ったわけです。
 聖書の教えに照らし合わせて断罪をしていく、そんな激しさが垣間見えたような気がして。


 ところで実父の冤罪事件を彷彿とさせる『強欲』と、義理の父のキャストが同じ陰山さん、ていうのは、ひとつのメタファだと思うのですが、「ユディットを強姦未遂しようとした父」が『肉欲』ではなく『強欲』っていうのも深いなと思いました。まるでユディットを所有物と思っているように、そうされて当然とでも言うように、押し倒したんじゃないかと思っています。所有欲というか、支配欲というか。
 おそらく父は何か衝動的に、ユディットを押し倒したんだろうなぁと。最初からそのつもりではなかったと思います。それこそ神の教えに反する訳ですし。
 そんな事をしながらも兄に「ユディットを妹以上に思っているのか」としれっと言い放つ。自分のそれは肉欲ではないから、肉欲を責められる。そして強欲とも思っていないから、所有権の主張と思っていれば、その罪の意識はない。


 もし父が12歳の少女がきたときにそういう肉欲視点で見ていれば、きっと「思ったより乳が育たなかったな」って思うんだろうなぁ、父だけに!
 と公演中は割とふざけたネタも考えていました仕様です(笑)



[怠惰]

 四つ目の扉は武器庫。
 そこには武器庫の管理をしている男がひとり。しかしここも空っぽで武器はない。
 この男の罪はあきらかにされていません。他の罪人は何故ここにいるのか(何の罪で捕らわれたのか)が出ているのに、『怠惰』だけは武器庫の管理をいう仕事を任ぜられている。

 暴食、肉欲、強欲ときて、ここで初めて歓迎されることにちょっとほっとするユディットがちょっとかわいかったです(笑)。

 そうして武器庫の説明をする『怠惰』。からっぽの武器庫。公爵の方針である非武装に「暴力に暴力で立ち向かってはいけないことはすでに教えられているんです」と賛同するユディット。
 この「教えられている」という言葉もまた、ユディットの価値基準が聖書・教えにある事の象徴な気がしています。
 そんなユディットに「(城が丸腰な事に)心配ですか?」とからかうように言う執事。「少しは・・・」と答えて戸惑うユディット。また次第に翻弄されていくようで。

 話を転じて、『怠惰』の普段のここでのすごし方を問うユディットに、「ゴロ寝しています」と答える『怠惰』。自分が番をしている事で武器があると見せかけているのだから「誇りをもってゴロ寝している」と。その怠惰を罪だと諭すユディット。どうにかして相手にわからせようとして、最終的にはやはり聖書の教えを持ち出すユディット。

 聖書を正として断罪してゆく。それが暴食の時よりも強いと感じたのは、相手が手強いせいもあるけれど、場面を追えば追うほど、ユディットの感情の吐露は激しくなっている気がしてました。

 しかし『怠惰』にその理論は通じず、『怠惰』は退出し、それをさらに問いただそうときびすを返した(ドレスを翻しちょう男前)ユディットを制する執事。
「あの男、もう長くはないんですよ」と。

 これ、実際何を表したかったんだろうなぁ(首かしげ)。ユディットに良心の呵責を味あわせたかったのか。
 確かにそれまで自身を正論としてきたユディット、聖書を片手に断罪するユディットが初めて揺れた場面でもある、のかもしれないです。



[憤怒]

 五つ目の扉は特になんの説明もなかったような?あれ?
 罪人は、元は正義漢が転じて、正義のために人を殺してきたという『憤怒』。

 ユディット達が部屋にはいるなり「出ていけ」と罵倒する『憤怒』。ユディットに向かって「汚れたメス豚」と言い「なんですって!」とくってかかるユディット。それを諫める執事「怒ったらあいつと同レベルになりますよ」と。
 『憤怒』の場面だから怒らせただけなのかもしれないけれど(安直な)、やっぱりユディットの感情は扉を追うごとにどんどん激しくなっている、いやならざるをえないような。

(でもちょっとここ反論が激しすぎて「汚れたメス豚」が図星にも見えちゃうんだよなぁ)(笑)

 そうして正義の為に人を殺してきた『憤怒』が、どうして死刑にならなかったのかと執事に問いただすユディットが、「死刑で当然でしょう」という顔をしていたのに、やっぱり「聖書をかざして断罪する」ユディットの激しさが見えたように思いました。

 このままいると危険だから、と部屋を後にしようとする執事。
「襲いかかるのです?」「いえ自殺をはかります」
 溢れた怒りを自分にぶつけてしまう。その度に死に損なって、迷惑をかけている。だから刺激しないうちに去りましょう、と。

 ここも『暴食』と一緒で結局「生かす」ということが罰のようにも思えてくるな……。死なせてしまえば楽な筈なのに。七つの扉に七人の罪人が「生きて」いる、というところもなんとなくもやっとひっかかります。


 ところで『憤怒』が兄と同キャストっていうのは何のメタファなんだろうなぁ、と。

 父が再三兄に、ユディットに対しての恋情(あるいは劣情?)を問いただすのに、ありえないという顔で答える兄。これは言葉通りだな、と思っていて、ユディットに対してそういう感情ではない。むしろ大事なものとして扱っている。
 でも「ユディットが公爵の元に行っても幸せになれるはずがない」という断定はどこからくるんだろうと。自分たちの元にいることがユディットの幸せだという自信、けれどもユディットはちっとも幸せではなかった。だから七つの扉の向こうを何度も何度も夢をみたわけで。

 兄はこうも言う「神がユディットをおつかわしになった」そして「神に試されている」と。

 ぼんやりと、『憤怒』がユディットに「でていけ」と言うのに兄が重なるのかなと思った次第。兄は最初、食いぶちを減らす為にやってきた少女を受け入れていなかった。けれども神の教えを前にそれを受け入れざるをえなかった。だからことさらにユディットを神格化するいうか。

 あるいは兄がユディットを神格化するのは、己の「恋情」もしくは「劣情」をおさえるため……とはこれは完全に私の妄想だな(笑)。

 でもそういう相反する感情を抱えていたんじゃないかな。
 だから「私の首はあちらに」「体はこちらに」がそういう比喩にも思えてきた、

(というのを、これを書いている三)(略)





(恐ろしいことに続きますよ)



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