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2022年05月31日(火) 愛情を持って

愛情を持って人を見たり、愛情を持って人に接する事が出来る人間になりたいなと思います。人の粗や人の悪い所は誰にでも見えるものです。人の上げ足など少し賢い人間ならいくらでも出来ると思います。でも愛情を持って人を見て、その人の良い所を見つけて、その人の良い所を引き出してあげたり、その人の良い所を生かしてあげたりする事は誰にでも出来る事ではないと思います。人に対して熱い心があり、強い心があり、優しい心があり、愛情がなければそれは出来ないと思います。愛を持って人に接する事が出来る人は人を生かす事が出来る人だと思います。そんな人間に私はなりたいです。


2022年05月30日(月) シン・ウルトラマン2回目

長男と次男は土曜日に運動会だっため、今日は学校がお休みでした。長男は友達とカラオケをしに行きました。今度のギターライブでやる曲の練習をしたようです。私は次男と「シン・ウルトラマン」を川崎のTOHOシネマズに観に行きました。2回目を観てとても理解が深まりました。映画が終わったあと次男がシン・ウルトラマンの人形が欲しいと言うので、ビックカメラに買いに行きました。2人で映画についての感想や意見を話しました。次男は本当に観察力や理解力があります。手のどの部分からスペシウム光線が出てるとか、ウルトラマンとの違いとか、ウルトラマンは最後は死んだとか、私が気が付かなかった事をたくさん教えてくれます。次男の観察力と理解力がすごいと思うのと同時に自分の観察力と理解力の無さにガッカリする思いです。よくこれで今までで生きてこれたなと思います。なんで空手の事は人より出来たのか?それも不思議です。でも考えてみると私は最初に何かをやった時には本当に上手く行きません。コツコツ練習して出来るようにするタイプです。何をやっても人より下手だから頑張れたのかもしれません。次男は少なくとも私よりは観察力も理解力もあるので、その能力を無駄にしないよう、是非生かして欲しいと思います。


2022年05月29日(日) 前に進んで行って欲しいと

本日は私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の第18回型競技支部内交流試合と第9回IKOセミコンタクトルール支部内交流試合でした。型競技に9名、セミコンに14名の道場生が参加しました。中村、廣田さん、平澤、浜田さん、翼がお手伝いをしてくれました。手伝いをしてくれた道場生の皆さんには本当に感謝しています。お手伝いをしてくれた皆さんとの打ち上げもとても楽しかったです。今回の支部内試合で初めてメダルを取った生徒が3名出たのでとても嬉しく思いました。また型競技やセミコンに初挑戦した生徒もいたので、それもとても嬉しかったです。これからも挑戦し続けて行って欲しいと思います。何かに挑戦したら必ず壁にブチ当たります。恥をかく事もあります。悔しい思いをする事もあります。辛い思いをする事もあります。悲しい思いをする事もあります。自分に限界を感じ失望する事もあります。自分の行く道を邪魔してくる人もいるかもしれません。それでも挑戦し続けて前に進んで欲しいと思います。何かを頑張って損する事は絶対にありません。前に進んでいれば後ろには下がっていません。周りの人や周りから聞こえてくる声など気にせずに着実に一歩、また一歩と進んでいけば良いのです。自分の頑張りが必ず何かに、必ず誰かに繋がります。それを信じて頑張って欲しいと思います。たとえ自分の進む先に何も無かったとしても、自分が一歩、また一歩と歩んで来た道を振り返った時に何かが残っているはずです。もしかしたらそれに向かって進んで来た物よりも素晴らしい物が残っているかもしれません。己に勝つ事は相手に勝つ事だけではなく、相手に負けても己に勝つ事が出来ます。本当の敵はいつも自分の中にいます。自分に負けず前に一歩、また一歩と進んで行って欲しいと思います。


2022年05月28日(土) 小学校最後の運動会

今日は長男と次男の小学校の運動会でした。次男は駆けっこはビリでしたが、頑張って走っていて、いつもより速く走れていました。必死になればけっこう走れるんだなと思いました。長男は6年生なのでこれが最後の運動会となります。時の経つ速さと成長の速さに寂しさと嬉しさの混じった、分からない気持になりました。長男は駆けっこも頑張って走っていて同着1位と言う感じでした。練習ではずっと2位だったらしいので本番で頑張ったのでしょうか?長男は運動会の最後の言葉を言いました。短い簡単な言葉ではあったけれど、何も見ないで自分の言葉で話している長男を見て、ちょっと泣きそうになりました。


2022年05月27日(金) 稽古したくない日もある

今日は朝起きたら強い雨が降っていたので、朝の稽古に行く事が少し億劫に感じました。でも頑張って稽古しました。新しい気付きを得る事が出来たので稽古のあと頑張って稽古して本当に良かったなと思いました。疲れている時や気分が乗らない時は「1回ぐらい稽古を休んでも大丈夫だろう。1回のトレーニングをしたからって筋肉がバンっとつくわけではない。」など、つい自分にとって都合の良い言い訳で自分を納得させようとしてしまいます。そんな時は私はこう思うようにしています。今日1日稽古を休んだら残りの人生が1000日だとしたら、1日を無駄にしてしまい、残りの人生で稽古できる日は999日に減ってしまう。今日の1日は残りの人生のかけがえのない貴重な1日だ。そう思うと頑張って稽古しようと思うことが出来ます。今日は朝の稽古を1時間半行い、午後にウエイトトレーニングを50分、有酸素運動を40分行いました。弱い自分に勝つことが出来た1日でした。毎日、何かに真剣になり、何かに一生懸命になって、何かを考え、何かを感じ、何かを思い、生きたいと思っています。


2022年05月26日(木) 生き方

長男は6年生になってからわりと落ち着いて学校生活を送れているようです。私も長男の小学校に行くこともなくなりました。まあでも子供ですから、間違ったこともするでしょうし、人に迷惑をかけてしまうこともあると思います。子供の教育で私の中で絶対に許せない事は3つしかありません。人の物を盗まないこと、嘘をつかないこと、自分より弱い人を虐めたり暴力をふるわないこと、これだけです。もちろん悪いことをすれば怒りますが、子供だから仕方ないなと思いつつ教育的に指導を与えるという感じの叱り方です。ですが先程の三つをやった時には絶対に許しません。勉強をしないなどは本人があとで自分でつけを払うことになるのですから、そんなのはどうでも良いと思っています。馬鹿で恥ずかしい、自分の進む道を行くために勉強が必要だと思うなら、その時に必死になって人の3倍大変な思いをして勉強すればいいだけの話です。本当にやろうと思ったところが、それをやる適齢期だと思うので、その時に頑張れば良いのではないかと思います。決められた時に決められた場所に遅刻しないで行き、やりたくないことでも決められたことはしっかりとやり、どんな人とも仲良く、皆で協力することを学び、社会のルールや侘び寂びを学び、それを守りつつ、その中で自分の個性を確認し、自分の個性を生かして、自分の本当に進みたい道、自分の命をかけてでも真剣にやれることを見つけてくれれば、それで良いと思います。たくさん恋をして、たくさん失恋して欲しいなと思います。人は人と関わることで成長して行きます。上も下も見て幅の広い人間になって欲しいなと思います。


2022年05月25日(水) ダイエット

やっと体重が90キロになりました。お酒をやめて軽い食事制限をして18日が経ちました。萎んで体重を落すのは嫌なので、タンパク質はしっかり摂って、なるべく筋肉をおとさないようにウエイトトレーニングもしています。なので毎日10キロ走って有酸素運動をやって炭水化物を完全に抜いて食事もほとんど摂らなかった頃のようには、体重は落ちませんが、あまり体重の数字にとらわれず、自分の身体のシルエットや柔軟性などを気にするようにしています。とにかく85キロまでは絶対に落としたいと思います。


2022年05月24日(火) 筋肉痛が嬉しい

約7ヶ月ぶりに足のトレーニングをしました。先週からやっと上半身のトレーニングも出来るようになり、今はバリバリ筋肉痛です。現役時代は毎日筋肉痛で辛かったけど、今は筋肉痛がとても嬉しいです。筋肉痛になるぐらいのトレーニングがやっと出来るようになったのがとても嬉しいです。身体も良くなってきたので焦らず慎重に怪我をしないようにゆっくりゆっくりとトレーニングして行きたいと思います。もう少し身体を動かせるようになったら、目標を作りたいと思います。来年は50歳ですから、何か考えて行きたいと思います。自分を変えて行きたいと思います。


2022年05月23日(月) 電話番号

携帯電話を新しくして本当にいろんな事がスムーズに出来るようになりました。こんなことな二ら面倒くさがらずに、もっと早く携帯電話を変えていれば良かったと思います。これから少しずつ新しい携帯電話の番号を連絡させて頂きたいと思います。この前、私の中学生からの1番の親友に連絡したら「その番号のしも4桁は実家の電話番号じゃない?」と言われました。私は驚いて「え~覚えてたんだ!」と言いました。たぶんその友達が私の実家に電話をしたのは私が福島にいた頃だと思うので、約30年覚えていたと言うことになります。何かわからないけどとても嬉しい気持ちになりました。


2022年05月22日(日) 長男の空手歴

今日で長男は空手を始めて8年になりました。たぶん長男なりに大変なことも辛いことも苦しいこともたくさんあっただろうと思います。よく今まで辞めないで頑張って来たと思います。自分の心や身体を鍛えるためにも、自分や大切な人や困っている人を守るためにも、空手は死ぬまで続けて欲しいと思います。この先、世の中がどうなるか?は分かりません。日本は法治国家ですが、法律は社会全体が円滑に生活出来るためにあるもので、一個人を守ってくれるものではないと私は思っています。自分の家の火は自分で消さなくてはなりません。自分に降りかかる火の粉は自分で払うしかありません。世の中が乱れた時ほど本当に信じれるものは自分の身に付けた知識や力や体験です。社会に緊急事態が起きた時には、その知識と体験を総動員して考えることが大切ですが、それを実行する力がなければ行動に移すことができず机上の空論で終わってしまい、自分の身や大切な人や困っている人を守ってあげることは出来ないと思います。優しい気持があっても力がなければ、その優しさを実行する事が出来ません。また人より力があるから優しくなることが出来ます。緊急時に命を守るためには絶対に強さが必要となります。私は父親として、それは子供達には見せてきたつもりです。緊急時への備えのためにも常に自分の身体と心と技を磨いていて欲しいと思います。必ず役に立つ日が来るはずです。何もなく人生を終えることが出来たなら、それは危険を察知してそれを回避して生きたと言うことですから自分が素晴らしい人生を生きた証拠です。その取り越し苦労を喜んでほしいと思います。そうなることが本当に素晴らしいことです。いつか長男と次男がこの私の日記を読む日が来るかもしれません。2人への遺言として残しておきたいと思います。


2022年05月21日(土) 私が恐れること

覚えた型の数が70個になりました。自分でもこんなに型を覚える事になろうとは、数年前までは思いもしませんでした。だって喧嘩が強くなりたくて空手を始めたわけで、最初に入門した道場なんて型どころか、空手らしい基本稽古すらありませんでした。キックボクシングやってる感じの空手道場でした。極真空手を始めてからも型はあまり好きではなく、太極その1という初歩の型を覚えるのに1年かかりました。その私がこの数年で40個ぐらいの型を一気に覚えたのですから人間変われば変われるものです。あと12個覚えたい型があるので、それを修得して82個の型を覚えたら、また次のステージに行きたいと思います。来年は私も50歳ですから、そろそろ人生の集大成と成ることに挑戦したいと思います。この身体がボロボロになる前に組手の試合に出たいと思っています。私は勝負できる人間でいたいです。勝つことにも負けることにも動じない人間になりたいです。私は負けることなんて全然怖くありません。恥をかくことなんて全然怖くありません。私はこれまでの人生で恥なんてかけるだけかいて来ました。普通の人なら心が折れるぐらいの恥はたくさんかいてきました。今自分で思い出しても笑ってしまいます。私は挑戦することが出来ない人間になってしまうこと、勝負できない人間になってしまうことを怖れます。極真会館の型の改定が終わり、技術委員の仕事が終わったら、またアグレッシブに動いて行きたいと思っています。


2022年05月20日(金) 朝の稽古を始める

今日からバシッと朝の稽古が出来るようになりました。そして新しい型を覚えました。覚えたと言ってもダンスで言えば振り付けを覚えただけの事なので、ここからスラスラと型が出来るようにして、細い動きや技を覚えて行かなければいけません。しっかりと動いて稽古してみて、なんとか膝も腰も股関節も大丈夫そうなので、この調子で頑張って稽古していきたいと思います。


2022年05月19日(木) 身体が唯一の商売道具

5月9日月曜日からお酒を止めて稽古やトレーニングを頑張って、食事を制限してダイエットしています。私の仕事は身体が資本です。道着と帯があれば、何時でも何処ででも空手を教える事ができます。空手を教える知識というか技術というソフトさえあれば、教える場所というか箱というか、ハードはある意味、何でも良い訳です。これを書いていて良い事を思いつきました。訪問販売ならぬ訪問個人指導という手もあるな?話がそれましたが、私の仕事に商売道具は特にありません。言ってみれば知識や身体が唯一の商売道具かもしれません。でもだからこそ、この身体だけは大切にしなければいけません。怖い事はこの唯一の商売道具である自分の身体が壊れたら、別の物を買ってくることが出来ません。正しく商売上がったりです。極真会館のためもありますし、道場生のためもありますが、やはり妻と子供達のためにもあと最低12年は戦える身体でいなければいけないと思っています。


2022年05月18日(水) 新しい携帯電話に変える

ついに11年ぶりに携帯電話を新しくしました。今までずっとiPhone4sを使っていたのですが、機種が古すぎてアップロード出来ないアプリもたくさんあり、さすがに使い勝手が悪くなっていました。1番はLINEがアップロード出来なかったのとバッテリーの消費が早い事でした。ただやはり携帯電話を新しくすると慣れるのに時間がかかるのが少し手間です。でも久しぶりに新しい携帯電話にし、いろんなアプリを入れたりしてなかなか楽しかっりしています。これから皆さんに新しい電話番号を連絡させて頂きたいと思います。


2022年05月17日(火) シン・ウルトラマンを観て思い出したこと

今の私しか知らない人は信じられないかもしれませんが、私は小学校に入学する頃までは、とても病弱でした。身体が弱いため心も弱く、自分に自信がない事から人前で自分を出す事も出来ませんでした。そんな時に好きになったのがウルトラマンでした。私が初めて好きになったヒーローはウルトラマンでした。私が強いものに憧れた原点であり、強くなりたいと思った原点がウルトラマンでした。弱い者を守るため、強い怪獣に立ち向かって戦うウルトラマンがとても大好きでした。いつかは自分もそうなりたいと想い願い、自分の将来の姿と重ねてウルトラマンを見ていたのだと思います。私は病気になって入院すると嬉しい事がありました。それは私が入院すると父や母が私の好きなウルトラマンの人形やウルトラマンのグッズを買ってきてくれました。父に「ウルトラマンみたいに強くなりたいんだろ!早く元気になれよ!」と言って励まされました。なんで自分が強くなりたかったのか?それは自分が弱かったからです。私は弱い自分が大っ嫌いでした。自分は自分だ、自分は自分のままで良い、なんてとても思えませんでした。弱い自分から強い自分に変身したいと本気で思っていました。そしてその力で弱い人を守りたい、その力で人の役に立ちたいと本気で思っていました。そしてその気持ちは49歳になった今も変わっていません。「シン・ウルトラマン」を観ながらそれを思い出して熱い物が込み上げて来ました。


2022年05月16日(月) カッコイイ言葉

長男が「シン・ウルトラマンでカッコイイ言葉が出てきたね!」と言ってきました。その言葉は「成せばなる、成さねばならぬ、何事も」でした。その言葉は大森道場に飾ってあるよと私が言うと、長男は思い出したらしく「トイレの前にある木のやつね」と言いました。私はその先もあるんだよ、「成せばなる、成さねばならぬ、何事も、成さぬは人の成さぬなりけり」と全文を読んで聞かせました。そのあと長男に「パパはこの言葉を、出来る事だって、やらなければ出来ない、出来ないのはお前がやらないからだ。という厳しい言葉だと思っているんだよ。」と話しました。これは私の捉え方なのですが、何かに取り組むときに私はこう思い取り組むようにしています。


2022年05月15日(日) 「シン・ウルトラマン」

「シン・ウルトラマン」を子供達と観に行きました。私は子供の頃「ウルトラマン」の映画を観に行きました。子供達と「シン・ウルトラマン」を観る事が出来て、とても幸せです。自分が強くなりたいと思った原点はウルトラマンでした。長男も次男もウルトラマンは大好きです。やっぱりそれは私の血を引いているからなんだと思います。「シン・ウルトラマン」を観て、あらためて私は強い男になりたいんだと思いました。そして「シン・ウルトラマン」を観て熱くなれる気持ちがある事を嬉しく思いました。49歳になった今でも強くなる事を止めていない事を、49歳になった今でも強くなる事を諦めていない事を、49歳になった今でも「ウルトラマン」を観て熱くなっている事を、「ウルトラマン」が好きだった頃の小さい自分に報告したい気持ちになりました。「シン・ウルトラマン」カッコ良かったです!子供達には本当に見て欲しいです。49歳になった私がこんなに熱い気持ちになれるのだから、子供達はもっともっと熱い気持ちになれるはずです。そして強くて優しくて、自分を犠牲にしてでも自分より弱い者を守る男になりないと思ってくれるのではないかなと思います。


2022年05月14日(土) 住んでいる

中村文則さんのエッセイを読んでいます。中村文則さんは福島大学に通っていました。福島というところは時間がゆっくりで人が温かかったと書いてありました。自分の生まれ故郷をよく言って頂き、自分の事のように嬉しかったです。私も福島は大好きです。そして今住んでいる東京も大好きです。今まで中野、蒲田、六本木、大森、雑色に住みましたが、全ての場所に思い入れがあります。でも気が付けば雑色に住んで10年が経ちました。東京の中でも自分の故郷に似ている場所を選んだ気がします。


2022年05月13日(金) 最強な人とは

次男は違う学校の年上の子とも友達になって遊んでいるようです。少し前にも私と次男で自転車で信号待ちをしていたら、中学生ぐらいの子に「マシロー!じゃあなー!」と言われていました。いろんな人に好かれて、いろんな人と仲良しになれる人は本当に得をします。もしかしたらそういう人が最強なのかもしれません。次男は私に、モノマネをして見せてくれたり、面白い話をしてくれたりします。次男は家族に笑いを与えてくれる子なので、そのひょうきんさを無くさないで生きて行って欲しいなと思います。


2022年05月12日(木) 俺って天才だと思わない?

長男に「俺ってギターの天才だと思わない?だって小6で〜も〜も〜も出来るんだよ!」とギーターのテクニックの名前を言われました。何個か知っていましたが、何個か知らないものもありました。私は「自分で天才だと思うんなら天才だろうな」と答えました。そのあと「俺、絶対プロのギタリストになれるよね!」と言うので、私は「自分がなれると思うのならなれるだろうな」と答えました。 禅問答のような答えを言ったつもりはありません。自分がそうだと信じるのなら、そうなのだと思います。私も自分を天才だと信じていましたし、世界チャンピオンになれると信じていました。私は天才でもなく、世界チャンピオンにもなれませんでしたが、その勘違いとも言える根拠のない自信が自分の原動力となり、その夢や目標を目指しているうちに、それが趣味が特技、特技が仕事、仕事が趣味と言う不思議な物に昇華させてしまいました。自分を信じて、馬鹿になって、真剣になって、一生懸命になって、夢を追いかけて欲しいと思います。夢を叶えられなかった私が言うのもなんですが、今この歳になって思う事は、夢を目指していたあの頃は本当に楽しかったなという事です。夢を目指していたら、苦しい時も辛い時もあるかもしれません。でもそれも楽しんで欲しいなと思います。たった一度しかない人生だから、その時その時を楽しんで欲しいなと思います。


2022年05月11日(水) 同志少女よ、敵を撃て

逢坂冬馬の「同志少女よ、敵を撃て」を読み終わりました。この作品を今この時期に読む事が出来て本当に良かったと思っています。この作品は、第二次世界大戦の独ソ戦が舞台となっています。お勧めしたい作品なので、あまりストーリーには触れたくはありませんが、とても心に残る言葉があったので書いておきたいと思います。その言葉は「戦争は女の顔をしていない」でした。そして「セラフィマが戦争から学び取ったことは、八百メートル向こうの敵を撃つ技術でも、戦場であらわになる究極の心理でも、拷問の耐え方でも、敵との駆け引きでもない。命の意味だった。失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない。学んだことがあるならば、ただこの率直な事実、それだけを学んだ。もしそれ以外を得たと言いたがる者がいるならば、その者を信頼できないとも思えた。」でした。この日記に以前書いたと思いますが、この作品を読みたいと決定的に思ったのは本の帯に書いてあった「戦争は女の顔はもちろんのこと、男を含めたあらゆる性別の顔もしておらず、つまり人間の顔をしていないのだという、事実を物語ろうとする、その志の高さに感服した」と言う三浦しおんさんの言葉でした。だからこの言葉を書いた、三浦しおんさんに感謝です。そしてこの作品を読み終えて心に残った言葉は「戦争は女の顔をしていない」でした。戦争を起こすのも戦争をするのも人間です。何故戦争は起こるのだろう?戦争って何なのだろう?何故戦わなくてはならないのだろう?敵っていったい誰なんだろう?そう考えさせられました。戦争を語れる人も少なくなって来た事が今現代が良いのか?悪いのか?分かりません。でも戦争を語れる人が少なくなって来た今、また戦争が起きています。戦争と言う物を戦争に勝利した物を英雄視する歴史が残る世界があるようでは、また戦争が起こるのではないかと思います。もし世界が起こったのであれば、その事をその時代の人達がいろんな立場でそこに関わったり、それを検証した人達がそれを正確に歴史として残さなくてはならないのではないのかなと思います。そして何も出来ない私に出来ることは、何故戦争は起こるのだろう?敵っていったい誰なんだろう?こんな考えても答えの出ないことを考え続けていかなくてはならないのではないかと思います。何はともあれ自分が考えるということを与えてくれたこの作品を読めた事をとても幸運に思っています。


2022年05月10日(火) 己に克つ

どんどん身体が動かなくなって来ています。40歳になる時には、身体も悪いところがなく、周りの人にも「若いですね」とお世辞にも言ってもらえていたので、自分は若いまま50代に入れるだろうと思っていましたが、一昨年前ぐらいから、悪いところがドンドン出てきてしまいました。昨年末から腰部脊柱管狭窄症になり、背骨から骨盤や股関節にまで影響が出てきてしまい、ついに開脚まで出来なくなってしまいました。180度開脚出来る事はこの30年、自分の自慢の1つでしたし、生きている限り180度開脚出来るように頑張る事を目標にしてきましたので、とてもとてもショックです。歳をとればとるほど出来ない事が増えて行くばかりです。おそらくこれからもドンドン出来ない事が増えて行くでしょう。でも私は諦めません。しっかりと稽古をし続けて行きたいと思います。降る事に抗いながら、でも降る景色を楽しみながら稽古に励みたいと思います。私の身体は衰えるのでしょう。でも稽古を続けて行けば、心と魂は磨かれて行きます。身体の衰えになんて負けていられません。自分との戦いになんて負けていられません。自分との戦いは生きている限り続きます。命が終わる瞬間まで生きようとする事が自分との戦いだとも言えると思います。自分との戦いに勝つと言う事は、自分の命が燃え尽きる瞬間まで、自分が生きようとする事なのではないかと私は思います。私の運営する道場のキャッチフレーズは「己に克つ」です。己に克つ事は、勝つ事ではありません。負ける事から「己に克つ事」を学ぶ事が出来るのです。簡単に言えば、負けても良い、でも絶対に自分に負けるな!と言いたいのです!自分の身を持ってそれを見せて行きたいです。そして、こんな話を私の後から来る極真空手の後輩達、私の道場生徒達に話して行きたいと思います。


2022年05月09日(月) 勝負から学ぶと言うこと

極真空手と言う武道を学ぶうえで勝負というものはとても大切です。勝負をしなければ大切な事を学ぶ事は出来ません。なので試合に出る事はとても大切です。しかし間違ってはいけない事は勝負する事が大切だと言うことは、勝つ事が大切と言う事ではありません。勝負において勝つ事と負ける事は表裏一体です。勝つ事と同じくらい負ける事も大切なのです。それはどういう事か?と言うと、勝った事を学びにし、その経験を自分の糧にして、次の日からまた頑張って生きて行く、また負けた事を学びにし、その経験を自分の糧にして、次の日から頑張って生きて行くという事が大切なのだと思います。勝った事や負けた事で自分が駄目になってしまってはいけません。勝った事や負けた事を受け入れて、それを糧に次に進んで行く事が大切なのだと思います。これは今現代の武道という観点から言える事です。昔の武術と言う観点から言えば、勝負が大切なのではなく、勝つ事が大切だと言う事になると思います。昔の武術と言う事で言えば負ける事は死ぬ事になるのですから、負ける事から学ぶと言う訳には行かないと思います。でも学問も武道も宗教も今生きている現代で自分をより良く生かせるものでなくてはいけません。自分が生きている世の中で生かす事が出来ない物は無くなってしまいます。だから武術も武道となったのだと思います。私はこの極真空手と言う武道を次の世に残したいと真剣に思って活動しています。だから私は何があっても国際空手道連盟極真会館と言う団体で活動して行きます。極真空手には自分の命を賭けるだけの物があると思っています。自分が居なくなった世の中に、自分が素晴らしいと思える物を残す事が出来るのならば、この世に何も思い残す事はありません。


2022年05月08日(日) 替玉4回、スープ飲み干す

今日は家族で一蘭のラーメンを食べに行きました。私は明日からダイエットを開始するので食べ納めとして替玉を4回替玉をし、普段は飲まないようにしているスープをキレイに飲み干してやりました。流石に食べた後はやってしまったなと後悔しました。長男は2回替玉していましたが、次男は3回替玉をしていました。2人ともよく食べるようになりました。私もゴールデンウィークからの暴飲暴食で体重が97キロになってしまいました。落ちるだけ落ちるとヤル気も出ると言うものなので今日は好きな物を好きなだけ食べました。明日からは1ヶ月の禁酒とダイエットを始めたいと思います。6月のウエイト制までには80キロにしたいと思っています。とりあえず明日からは炭水化物を抜いてプロテインを飲んで有酸素運動をしたいと思います。


2022年05月07日(土) 2022年国際オンライン型競技空手道選手権大会決勝

2022年国際オンライン型競技空手道選手権大会決勝2カテゴリーの判定を終えました。極真会館の技術委員になり、型の見直しや改定そして型の統一、型競技規定や採点基準の見直しやこの統一に関わらせて頂いて2年以上が経ちました。今回のオンラインによる国際大会も2回目となります。その2回の審判をさせて頂いた感想として、極真会館が型の改定と統一に取り組み始めて2年が経ち、世界中の型がようやく統一されて来たように感じました。どこの国の選手もしっかりと統一された同じ型を学び、正確に型を演じる事が出来るようになっていました。そして今後、型競技がさらに発展して行くだろうと感じました。私もしっかりと日々の稽古や研究を怠らないようにして極真会館の型の発展に尽力させて頂きたいと思います。


2022年05月06日(金) 歴史

私は歴史を学ぶ事が好きです。歴史から学ぶ事はとても自分の人生に役に立つと思うからです。でも最近はこの考えもどうなのかな?と思うようになりました。それはなぜかと言うと、歴史と言うものが正確に私達に伝えられているのか?と言う疑問を感じるからです。特に江戸時代ぐらいまでの歴史です。世界史もそうです。私達生きている人間が次の人達に残せる最大の物は隔たりや偏見のない正確な情報を歴史として次の世代の人に残す事ではないのかな?と思います。でもこれは本当に難しいと思います。先ずは歴史は勝者が残すという事と、多数決にしろ何にしろ、その時に都合良く捉えられ解釈されて残される事と、例えばその出来事に10人が関わったとしても、その10人にとってその出来事から受けた状況が変わり、その10人にとっての10通りの事実が生まれてしまうと思います。でもそれでも人としての心はいつの時代もどこの国でも変わらないと私は信じているので、どうかみんなが人間の心を持って、何故その出来事は起きて何故そうなったのか?をみんなで考え、その正確な歴史を次の世代に伝えて言って欲しいと思います。そしてその正確な歴史を次の世代の人達が読み解いて、さらに良い世界を作って言って欲しいと思います。そのために私も子供達に自分の私見はあまり入れずに歴史を子供達に伝えたいと思っています。そのために私は本を読み、映画を見たりするように心がけています。


2022年05月05日(木) ディズニーシー

朝7時に起きて準備をしホテルのコンビニで朝食買い、7時50分発のホテルの送迎バスでディズニーシーへ着きました。8時10分頃にはディズニーシーへ着きましたが、もう人はいっぱい並んでいました。9時前にはディズニーシーの中で入りましたが、その時点でスタンドパスは全部締め切っていました。迷った結果1番最初はインディー・ジョーンズに乗りました。インディー・ジョーンズに乗るのに次の区画のポートディスカバリーまで行列が続きシーライダー前から列に並びました。60分待ちでした。その次はシーライダーに乗り、そのあと私はレストランで並んで食べる物を注文する間に妻と長男と次男は海底二万マイルに乗りました。みんなが戻ってきてご飯を食べましたが、次男がもっと食べたいと言うので、私がもう一度並んで食べ物を買いました。ここで良い休憩になったので、そのあとタートルトークに行きました。長男はやはりなかなか持っていて、クラッシュにさされ質問をしました。「友達は何人いますか?」と質問し、クラッシュは「海の中の動物はみんな友達だよ!友達のみんなー集まれー!」と言ったら誰も来なくて、笑いが起きました。そのあとヴェネツィアンゴンドラに乗り景色を楽しみました。長男と次男が喧嘩するのでバラバラに並ぼうと言う事になり、私と長男はタワーオブテラー、妻と次男はアクアトピアに乗りました。長男とはしりとりをしたりタワーオブテラーの話をしながら並びました。乗る少し前に長男は強くなったようで、私と手を繋いできたのが可愛かったです。次は私と次男でトイストーリーマニアで妻と長男でソアリンに乗りました。次男と2人で1時間20分の間、しりとりやアベンジャーズやウルトラマンの山手線ゲームをしました。それがずっと続いてとても楽しかったです。トイストーリーマニアの点数も次男は79000点で私は73100点で負けてしまいました。少し悔しかったです。妻と長男と待ち合わせるためレストランで食事をしました。帰りは9時過ぎでもうみんなヘトヘトに疲れていましたが久しぶりのディズニーシーでとても楽しかったです。楽しい時間はあっという間に過ぎて行きます。


2022年05月04日(水) たまにはホテルでゆっくり過ごす

今日は次男がホテルが大好きなので、ホテルに泊まって、ついでにディズニーシーで遊ぼうということで、東京ディズニーセレブレーションホテル・ディスカバーに泊りに行きました。3時にチェックインして1日をダラーッと過ごそうと言う事で、舞浜駅のイクスピアリにあるレインフォレストカフェでお昼ご飯を食べました。テーマレストランなので子供達も楽しめて良かったです。舞浜駅から送迎バスでホテルに行き、ホテル内にあるコンビニで食べる物や飲み物を買って、あとはみんなでダラーッとホテルで過ごしました。ホテルの送迎バスに乗る時に、私は舞浜駅のバス乗り場だと思ったのですが、そこには東京ディズニーセレブレーションホテルに行くバスはありませんでした。妻は舞浜駅のバス乗り場ではなく、ディズニーランド前のバス乗り場だと言うのですが、私はホテルに電話した方が早いのではと言ったのですが、妻はディズニーランドの前にバス停があるからそっちに行った方が早いと言うので、私は迷っているより見に行った方が早いと思い、1人でディズニーランド前まで行ったら、妻の言う通り、そこに東京ディズニーセレブレーションホテル行きのバス停がありました。私が間違っていました。妻と長男と次男もすぐ来て、そこで次男が「パパはあんなに強く、ディズニーランドの前にバス停があるか分からないから、ホテルに電話した方がいいと言ったのに、結局ママの言う通りだったんだから、ママにちゃんと謝ったら」と言うので、そこは素直に謝りました。もう子供達もすっかり大人なので、理不尽を言葉で言いくるめる事は出来ませんので、自分が悪い時にはちゃんと謝るようにしています。その後も長男と次男は「ここに来たらパパがママに謝ってた場所だって思い出すだろうね」と2人で話していました。バスの中で運転手さんがディズニーランドのテーマパークのナビゲーターみたいに案内してくれたので楽しかったです。「モノレールにも、乗れーる」が子供達の印象に残ったようで、ホテルに着いてもそれを何度も言っていました。



2022年05月03日(火) 長男と社会科見学

次男は、朝にスイミングがあったので疲れたようで出かけたくないとの事なので、私と長男でお出かけをしました。先ずは京浜東北線で東京駅に行き、煉瓦造りの東京駅を外から見学し、丸ノ内線に乗り国会議事堂前で降り、国会議事堂を見て、警視庁の前を通り、桜田門を見学しながら桜田門外の変の出来事を話し、皇居前の二重橋を見てから、また国会議事堂前の駅まで戻り、丸ノ内線で大手町まで行き、そこで昼食を取り、そこから半蔵門線で九段下まで行き、靖国神社を参拝し遊就館を見学しました。私なりの日本の成り立ちや歴史を話しながら東京駅、国会議事堂、警視庁、桜田門、皇居前の二重橋、靖国神社、遊就館を見学しました。長男もいろんな事を私に質問したりしました。国会議事堂前ではデモをしている方々を見たり、靖国神社では右翼団体の方々を見たり、警察のバリケードを見たり、といろんな事がありました。長男は国会議事堂前から桜田門に向かう時に「あの車はランボルギーニだ、あの車はマクラーレンだ、あの車はポルシェだ、あの車はベンツだ、ここは高級車がたくさん走っているな」と言って興奮していました。歩いている時に長男に「歴史的な人物で誰かに会えるとしたら誰に会って見たい?」と聞かれました。私は「宮本武蔵」と答えました。あと「今まで戦った選手でもう1度戦いたい選手っている?」と聞かれました。私は「野地選手と住谷選手と沢田選手とレチ選手」と答えました。なぜかと言うとそのあと選手とは勝ち負けは別にして、とても噛み合って私の全力を相手にぶつける事が出来たからです。もちろん負けて悔しい試合はたくさんあり、もう1度戦えたらと思う選手もいましたが、今となってはそれも自分の中で消化出来ているので、もう1度戦いたい選手には上がりませんでした。そんな感じでいろいろな話をしながら長男と5時間ほどいろんな所を歩き回りました。プチ社会科見学でした。長男も6年生になり、なかなか良い話し相手になってくれるので、とても楽しい1日でした。帰宅してからは長男はプラモデルの「サザビー」を作っていました。私は次男とウルトラマンの人形で遊びました。そのあとスパイダーマンを次男と見たのですが、私が間違った事を言うと次男に「パパはいつも間違ったこと言うよね」と怒られてしまいました。最近、次男は私に厳しいです。


2022年05月02日(月) 菅野家の遊びのブーム

私と長男と次男の3人でウルトラマンの人形で遊ぶのがブームです。ルールは先ずは次男の持っているウルトラマンの人形からジャンケンで勝った人から順番で取って行くというのを3回繰り返し、三体のウルトラマンの人形でジャンケンのように「いっせいのせ」で出して、どのウルトラマンが強いか?を話し合い勝ち負けを決めます。1度使ったウルトラマンはもう使えません。という感じで3回勝負し、誰のウルトラマンが1番勝ったか?を競います。みんな勝ちたい為に勝手な見識を言い、自分が出したウルトラマンが1番強い事を主張します。次男はウルトラマンが好きなだけあって、いろんなウルトラマンのエピソードを出して、自分のウルトラマンが1番強い事を主張します。その一生懸命に話している次男を見て、本当に可愛いいなと思います。こんな事を出来るのもあと1年ですかね。この息子達との時間を大切にしたいと思います。


2022年05月01日(日) 兄弟の絆

私の長男と次男も4月29日・30日に行われた2022年春季通い強化合宿に参加しました。いつも喧嘩ばかりしている2人で、長男は次男を虐めているところも結構目にしますが、初日のランニングの時に走るのがとても苦手でずっとビリで走っている次男を、長男がずっと励ましながら一緒に走っていました。その姿を見て、2人に空手をやらせて本当に良かったなと思いました。長男と次男は、これからも喧嘩する事もたくさんあると思います。でも長男は空手の時は次男に先輩らしく接しているので、それが2人の絆になってくれると思います。その絆が2人をずっと繋いでくれると信じています。いつか私がいなくなった時に2人でお酒を飲みながら空手の思い出話や、私の厳しい指導を受けた悪口を兄弟で笑い話として盛り上がってくれたら嬉しい物です。


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