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2022年02月28日(月) 大打撃を受ける

腰部脊柱管狭窄症のための左臀部から左足の痺れがまたぶり返してしまったので、今日は朝から鍼治療を受けに行きました。先週の火曜日に腰を痛めそのあたりから悪かったのですが昨日のセミコンタクトルールの審判をしているあたりで痺れが酷くなってしまいました。そのあとの講習会で見本を見せながら指導したのですが、カッコイイところを見せてやろうと燃えてしまい、動いていたら大打撃を受けて悪くなってしまいました。妻は私の状態を知っているので、私が見本を見せている姿を見て、「あんなに動いて大丈夫なんだろうか?」と思っていたそうです。心配かけて申し訳ないなと思いますが、燃えてしまうのは性分なので許して欲しいと思います。


2022年02月27日(日) 私の運営する道場の

私の運営する極真会館東京城南京浜支部の第17回型競技支部内交流試合と第8回I.K.Oセミコンタクトルール支部内交流試合が行われました。型競技は10名、セミコンタクトルールは17名の生徒が参加してくれました。生徒の頑張っている姿や成長する姿を間近に見る事が出来ました。私の長男はセミコンタクトルールの試合に次男は型競技とセミコンタクトルールの試合に参加しました。二人とも頑張って空手を続けていますし、試合に参加できない理由がある以外は、必ず試合に参加しているので良く頑張っていると思います。今回の結果は長男はセミコンタクトルールの試合で3位になり、次男は型競技もセミコンタクトルールも残念ながら入賞は出来ませんでした。私は結果よりも、その過程が大事だと思っています。そしてその結果をどう受け止めてどう受け入れて、どう次の一歩を踏み出して人生を歩んで行くか?が大切だと思います。その人の本当の価値はその人が人生を終える時に決まるもので、それまでの全ては過程の中で起きた事なのでそれに一喜はしても一憂はする事なく前に進んで行って欲しいと思います。


2022年02月26日(土) 読んでいる

スティーヴン・キングの「夏の雷鳴」を読んでいます。これを読み終わったら、村上春樹の「女のいない男たち」を読み返してみたいと思います。


2022年02月25日(金) 大森道場

大森道場に休会していた瑛太郎が来ました。2年ぶりぐらいだったのとマスクをしているのもあり、最初分からず誰かのお父さんかな?と思いました。2年ぐらい休会していてひょっこり現れるこのパターンは道場を辞める時のパターンなので、そう思っていたら「来週から稽古に復帰します」と言ってくれたのでとても嬉かったです。今日の一般部の稽古の参加者は翼、大地、琥白、譲、蕗生、駿斗の6名でした。ここに瑛太郎が加われば高校生と中学生と今の5年生の4人は4月で6年生なので、稽古もとても盛り上がると思います。私も早く身体を治して彼らとガンガン稽古したいと思います。


2022年02月24日(木) マイル21

スティーヴン・キングの「マイル21」を読み終わりました。この作品は短編集なのですが、どのお話もとても面白かったです。1番好きなお話は「UR」でした。


2022年02月23日(水) ドライブ・マイ・カー

「ドライブ・マイ・カー」を観ました。この作品は村上春樹の短編集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」が原作です。村上春樹が好きな私は、もちろんそれを読んでいるので、映画を観るのはあまり気が進みませんでした。その理由は上映時間が3時間なのですが、短編のお話を3時間の映画にと言うのが引っかかったのと、原作を読んだ後に映画だと、どうせ原作が勝つだろうと思ったからでした。ですが観て本当に良かったです。3時間が全然長く感じませんでしたし、とても良い作品でした。本当に観て良かったと心から思いました。本当に本当にお勧めです。予備知識なしで見てもらいたいので内容にはふれません。


2022年02月22日(火) 2022年2月22日

2022年02月22日、なかなか無いゾロ目の日です。これ以上のゾロ目は2222年02月22日しかないと思うので、なかなか凄い日だなと思います。全部がゾロ目と考えたら可能性として1111年11月11日と言うのがあったと思いますが、それも凄いなと思いました。次に全部がゾロ目に成るとしたら11111年11月11日ですかね?その時までに人類がいればですけど、くだらない事かもしれませんが、書いてみました。


2022年02月21日(月) 自分の身一つ

人生というものは出会いと別れの繰り返しです。出会いは本当に一期一会だなと思います。この世の中で唯一信じられる物は、自分と言うこの魂と身体です。結局は身一つでこの世の中の荒波を渡り歩いていかなければなりません。人も物も今、たまたま自分といてくれているだけで、自分の所有物ではありません。いつかは必ず別れる時が来ます。自分の人生に1年関わってくれた人がいたとしたら感謝です。それは妻に対しても子供達に対しても、そう思います。自分と一緒にいたいなと思ってもらえるように生きて行きたいと思います。その為にも常に新しいものを身に付けていく努力をして行きたいと思います。誰かに必要とされる技術を身に付けていたいと思います。誰かに必要とされる人間でいたいと思います。


2022年02月20日(日) 個人レッスンと集団で行う稽古の違い

今日は個人レッスンが2人入っていました。その人の課題を集中的に教えられるので、その人の上達を感じることが出来て、教える方としてもテンションが上がって楽しかったです。昔の空手家は弟子を一人とってマンツーマンで手取り足取り教えたと言いますから、これが古来から伝わる本来の教え方なのかもしれません。集団で稽古をすると言うのは、沖縄の糸洲安恒先生が中学生の体育で空手を教えたところから始まり、東京で空手を広めた松濤館流の船越義珍先生がやはり大学で空手を教える際に集団で稽古をされていたようです。極真会館も集団で稽古を行います。ボクシングジムなどは個人でトレーニングをし、トレーナーがミットを持ち、その日その日で同じ体格のパートナーを用意しておいてスパーリングをするそうです。ですが極真会館の流れを組むオランダのチャクリキジム、メジロジム、ボスジムなどは、階級問わず集団で稽古を行うそうです。どちらの教え方が良いか?と言うと私は集団で稽古をする事の方が学べる事は多いと思います。ですがやはり細かいところを習う為には個人レッスンも良いのかな?と思います。個人レッスンの場合の私の教え方は、レッスンを受ける人の要望をあらかじめ聞いておいて、当日までにメニューを考えておきます。ですがレッスンを進めていく中で、その人の特徴や良し悪しを見たり、その人とディスカッションしてメニューを進めて行くようにしています。なので1時間はあっと言う間に過ぎてしまいます。でもマンツーマンで休み時間がほぼないので、1時間30分だとレッスンを受ける人の体力がかなりキツイかもと思いました。でもやっぱりと言うか、子供は特に集団の稽古が良いと思います。何故なら道場は空手だけを学ぶ場ではないからです。それは学校も同じだと思います。勉強だけならリモートでも出来ますが、学校は勉強だけを習う場ではないと思います。もしかしたら勉強以外の事の方がたくさん学べるかもしれません。人は人との関わりの中でたくさんの事を学んで行きます。だから年齢も性格も環境も違う、いろいろな人がいる集団の中で何かを行う事は子供にとって本当に貴重なことだと思います。


2022年02月19日(土) どう見えている?

自分って子供達からどう見えているのだろう?と思います。優しいお父さんなのか?怖いお父さんなのか?カッコイイお父さんなのか?カッコ悪いお父さんなのか?頼もしいお父さんなのか?頼りなりお父さんなのか?どう見えているのかがとても気になります。でもそれを聴きたくはありません。私が死んだ時に子供達が私をどう思っているか?が本当の私の評価になると思うので、その時までしっかりと父親をしたいと思います。


2022年02月18日(金) 平家物語の冒頭の部分

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す」有名な平家物語の冒頭の部分ですが、時が過ぎるのは本当に早いなと思います。北京オリンピックを見ていて、それを思いました。特にスポーツ選手は現役で居られるピークは短いですし、絶頂で居られるピークはさらにさらに短いです。そしてどんどん世代交代して次のチャンピオンが次々に生まれて行き、その人に注目が集まっていきますから、その時にどんなに凄いチャンピオンだったとしても、引退したらあっと言う間に「あの人は今?」と言う世の中になってしまいます。そして現役を引退してからの人生の方がとてもとても長いので、そのスポーツで経験した事を引退したあと、どう社会の中で、どう人生の中で役立てて行くか?がとても大切になります。現役を引退した後に自分にたくさんの物が残っていたらその人はとても素晴らしい人生になると思います。


2022年02月17日(木) 呪術廻戦

妻が「呪術廻戦」を18巻まで一気読みしていました。誰が1番好きと聞いたら「釘崎野薔薇」と言っていました。私は今現在は1位乙骨優太、2位乙夏油傑、3位東堂葵、4位釘崎野薔薇、5位禪院真希、6位五条悟、7位伏黒恵、8位虎杖悠仁、9位狗巻棘、10位秤金次です。前に好きなキャラクターを書いた時とはだいぶ順位が変わりました。死滅回遊編がおもしろすぎです。


2022年02月16日(水) 極真空手

「極真空手をやれば何を身に付ける事が出来ますか?」そんな質問をされた事があります。私は「その人が身に付けたいと求める物を身に付ける事が出来ます。」と答えます。私達が極真空手を始めた1980年代は、「極真空手を始めれば喧嘩が強くなる」「極真空手を始めれば世界最強の男になれる」そう言われていました。そんな言葉を聞いて、それをやってみたいと思わない奴は男じゃない!と思いました。なので私が極真空手を始めた理由は、喧嘩が強くなりからですし、世界最強の男になりたいからでした。極真空手の素晴らしいところは、そんな不埒な理由で極真空手を始めた私をそれだけで留まらせず、礼儀や挨拶や長幼の序や道徳や常識や知識や知恵や克己心や尊敬すや感謝や忍耐などなどが私に身に付くよう私を導いてくれました。それもこれも私を導いてくれた先生や師範のおかげです。私もそうなりたいと思っています。北京オリンピックで羽生選手の試合前、試合中、試合後の立ち振る舞いやインタビューを見て、本当に素晴らしいと思いました。今の格闘技界には羽生選手のような選手はいません。何故なら強い人が悪い見本を示すからです。子供は強い人に憧れます。悪い事までカッコ良く見えてしまい、それを真似してしまいます。たぶんフィギュアスケートの子供達は羽生選手に憧れて良い方向に進んで行くと思います。私も羽生選手のような選手を必ず育てたいと思います。それが極真空手への恩返しになると思います。そして格闘技界も変えたいと思います。格闘技をやっている人は強いからこそもっともっともっと謙虚に振る舞うべきです。その人の生き方はその人の立ち振る舞いに滲み出て現れます。人に対する優しさや謙虚さが滲み出る選手を私は自分が生きている間に育てて見せます。


2022年02月15日(火) 別れの言葉

私は別れの言葉は「さようなら」より「じゃあ、またね」の方が好きです。どちらも同じ別れの言葉なのですが、私は「じゃあ、またね」の方が「また会おうね」「また会いたいね」と言う明日への希望を感じるからです。「さようなら」と言う言葉には悲しさや寂しさを感じます。「さよなら」は「然様ならば、これで別れましょう」と言う意味で「それならば、別れるしかありませんね」と言う感じらしいです。(さらばと言う言葉は、然様ならば、を短くした言葉だそうです。)だから私は誰かと別れる時は「じゃあ、またね」と言うようにしています。もちろん私が、この世を去る時にも「じゃあ、またね」と笑顔で言いたいと思います。


2022年02月14日(月) 私の個性

これは私にとって良いか?悪いか?は分かりませんが、何かを始める時や何かをやる前に「自分には無理だろうな?」とか「自分のには出来ないだろうな?」と思う事はありませんでした。なので失敗も多かったかもしれません。でもそのおかげで思い切り良く飛び込む事が出来て、そのおかげで何かを形にする事が出来た事もたくさんあります。だから両親や先生や大人に「そっちに行ったら危ないよ」「そっちに行ったら怪我をするよ」「出来るわけがないよ」「出来なかったらどうするの」などと言われると「やってみなければ分からないじゃないか!」「俺なら出来る!」と思い、その事を余計にやってみたくなってしまいました。少なくともやる前に出来ないなどと思った事はありません。それは今でもそうです。「俺になら出来る!」いつもそう思って物事に取り組んでいます。たぶん私が今、小学生なら何らかの病気や障害だと言われると思います。そのぐらい人と同じようには物事をする事が出来ませんでした。でもその個性ががあったから今の私がいると思います。


2022年02月13日(日) 稽古法

空手の稽古をする時に意識をしなければいけない大切な要素があります。目付、心眼、弾力性、腰、美しさ、締め、破壊力、速さ、私もこの八つの事を意識しながら稽古するようにしています。特に基本稽古を行う時には、足から起きた力を腹.腰で増幅させて、その力を背中や脇の筋肉を締め、腕を伝って、拳を固め、その力が拳から出ていくようなイメージで行っています。この複雑な動作を一致させるのにとても大切になるのが呼吸です。呼吸で身体の緩み締め、伸び縮みなどの強弱をスムーズに一瞬で行うことが出来ます。これを移動稽古でも型でもミットでも意識して稽古していけば、いつかは無意識に組手の中で出来ていると思います。ここまで言葉として意識しているかは分かりませんが、一流と言われる選手はそれが出来ています。でも意識して出来るようにした人じゃないと、このことを意識できない人には教えることが出来ないと思います。


2022年02月12日(土) 自分の思い描いた夢

もう2月も半ばになろうとしています。うかうかしていたらあっという間に時間が過ぎて行ってしまうと言う恐ろしさを感じています。このまま何も残す事なく時間だけが過ぎて行く事に対して本当に恐怖を感じています。自分が思い描いた夢は、自分の頭を働かせて、自分の手で自分の足で自分の身体を動かして、自分で汗をかいて、自分が苦労をして実現させて行くしかありません。この夢を実現させられるか?この夢を実現させられないか?はこの10年の頑張りにかかっていると思います。時間を惜しんで頑張りたいと思います。


2022年02月11日(金) 映画と誕生日パーティー

子供達と「ゴーストバスターズ アフターライフ」を観に行きました。「ゴーストバスターズ」は私が小学校6年生の頃に友達と映画館に観に行きました。映画中はみんなで驚きの声をあげたり、みんなで笑ったりして映画を楽しみました。エンドロールではみんなで手拍子して歌ったりして、最後は調子に乗ってしまい、スクリーンの前で踊りました。周りのおじさん達も笑いながら手拍子をしてくれました。ライブ感覚で楽しんでいました。昔の映画館ってタバコを吸ってるおじさんがいたり、大声で笑う人がいたり混沌としていましたが、それも込みでみんなが映画を楽しんでいました。今は笑う子供すらいません。少し寂しい感じがします。ゴーストバスターズは2016年にリブートされましたが、今回の作品はリブートではなく、私が子供の頃に観た作品の40年後と言う設定なので、とても懐かしく、とても楽しかったです。夜は五反田のフライデーズで次男の誕生日パーティーをしました。次男に誕生日プレゼントのルークのライトセイバーを渡したらとても喜んでいたので嬉しかったです。次男の赤ちゃんの頃の動画や写真をみんなで見たりしました。みんなが寝たあとは次男が生まれた頃の自分の日記を読み返してみました。時が経つのは本当に早いものです。


2022年02月10日(木) 次男の誕生日

次男の誕生日でした。今日は雪が降っていました。次男は学校からビショビショに濡れて帰ってきて「誕生日の日にこんなにビショビショに濡れて最悪だ」と言っていました。次男ももう8歳です。誕生日プレゼントは私からは、ゴジラのTシャツと鬼滅の刃の塗り絵で、妻からは明日渡す、ルークのライトセイバーでした。今日はみんなでケーキを食べました。次男が生まれてくれて、私の幸せが一つ増えました。次男は私をいつも笑わせてくれるので、私の笑いも一つ増えました。本当に生まれて来てくれてありがとうって思います。だから誕生日を祝うことで、ありがとうの気持ちを伝えたいと思っています。


2022年02月09日(水) 新しいことを

49歳になったばかりなのですが、50歳になった時に何か新しいことを始めたいなと思っています。まだ漠然としか考えていないのですが、身体を動かさずに出来ることが良いかな?と思っています。自分がいつまで生きているのだろうと考えた時に、ここから10年、まだ元気にバリバリ頑張っているでしょうって感じです。ここから20年、元気にってのはここが限界かな?って感じです。30年、んー、生きてないかもなってなってしまいます。人生百年時代とは言いますが、自分が80歳まで生きているイメージがなかなか出来ません。あと何年生きるのか?は正直誰にも分からないわけですし、自分の身体がいつどうなるかも分かりません。なので50歳になる時には、身体を動かさなくても自分を高めらることが良いかなと思います。そしてそこから自分の人生が終わるまで楽しめるものが良いかなと思います。


2022年02月08日(火) お礼を言いたい

今までの私の人生に関わってくれた人達にとても感謝しています。この歳になると、もう会う事はないだろうと言う人もたくさんいますし、もう絶対に2度と会えない人も何人もいます。その人達を思い出す事もあります。その時は、もう会えなくなるとは思っていなかったので、お礼と言えるような言葉を相手に伝えることが出来ませんでした。でももしあの時に戻れるなら、ちゃんとお礼を言いたいです。なので偶然にでもその人達に会う事が出来た時には、ちゃんと自分の気持ちを言葉にしてその人に伝えたいと思っています。特に10代の頃の友達に会う事が出来たら、自分の気持ちをちゃんと伝えたいです。10代の頃は私は未熟すぎて、良い別れ方が出来なかった人もたくさんいます。そのことに対して本当に後悔しています。いつかどこかで会えたらお礼を言いたいです


2022年02月07日(月) 考えさせられました

「ノマドランド」を見ました。この作品を見て本当に良かったなと思いました。この作品に出会えて本当に良かったなと思いました。生きるという事は何なのだろうと思いましたし、人生って何なのだろうと思いました。本当に考えさせられました。


2022年02月06日(日) PCR検査陰性

朝一で病院からPCR検査の結果を電話で連絡頂きました。結果は陰性でした。とりあえずコロナじゃなかった事にホッとしました。これ以上、道場生やご父兄様にご迷惑をおかけする訳にはいかないと思っていたので本当に良かったです。PCR検査の結果が出るまでは家は出れないと思っていたので、嬉しくて身体の治療とトレーニングに行きました。2月1日火曜日に次男が体調を崩し、2月3日木曜日には妻と長男と次男が体調を崩しました。次男は熱はなくお腹の風邪と診断され、妻と長男も同じ症状でしたが、何故か私だけ発熱し違う症状だったので、病院でPCR検査を受けることにしました。なので2月3日木曜日の節分は豆まきを次男にしてもらい、恵方巻きも次男しか食べる事は出来ませんでした。2022年は私にとって出だしはなかなか大変な事となっています。ですが私の今までの人生を思い出すと、大変な事がたくさんあった年の方が後に振り帰って考えると一生懸命頑張った良い年になっている事が多いです。多分2022年もそうなると思います。明日からさらにさらに気を引き締めて一生懸命に頑張りたいと思います。


2022年02月05日(土) 現在の体調

道場を休館にしてしまい、道場生、ご父兄様にはご迷惑をおかけしてしまいまして本当に申し訳ありません。現在熱は下がり、少しずつ食欲も出てきています。喉に痛みはなく、咳なども出ていないのですが、発熱したという事でコロナの可能性を考え、これ以上道場生やご父兄様にご迷惑をおかけしないためにも、PCR検査の結果が出るまでは道場をお休みにさせて頂きました。体調は良くなっていますので、PCR検査の結果が陰性でしたら、火曜日からは稽古を行いたいと思っています。


2022年02月04日(金) 発熱

昨日、夜中に発熱し体調崩しました。朝には熱は下がったのですが、コロナの疑いもあると考えて、病院に行きPCR検査を受けましたが、来週月曜日まで結果が出ないので、道場生、ご父兄様にはご迷惑をおかけしますが、道場を休館する事にしました。申し訳ありませんが、ご協力よろしくお願いします。


2022年02月03日(木) 49歳

40歳までは、年齢などはただの数字に過ぎないなどと思っていましたが、49歳にもなるとさすがに身体に悪いところが出てきたり、健康を気にするようになって来ました。でも若々しく生きていたいと思います。歳をとったからといろんな事にずぼらにはなりたくたいと思います。何歳だろうとカッコ良く生きていたいと思います。毎日ちゃんと鏡で自分を見て、稽古をして自分を見つめ直して、トレーニングして自分を鍛えて、いつも自分を良くして行きたいと思います。


2022年02月02日(水) 49歳の初日

49歳の1日目は9時に家を出て、郵便物をポストに投函し、大森道場へ行き、神棚の榊、米、塩、酒、水を変えて神棚に手を合わせ、大山倍達座右の銘11箇条を唱和し、ストレッチをし、ジムに行き胸と腕のトレーニングをし、ラーメン太郎でラーメンを食べ、道場で少し休憩し、またジムへ行きエアロバイクで有酸素運動をし、夕方から指導に入りました。もう一つストレッチをしながら胃と大腸の検査の予約をしました。何と149回電話をしてやっと予約が取れました。9月7日に胃と大腸の検査をします。私は10代の頃から胃が弱く胃潰瘍に良くなっていました。人生で何度か検査していますが、胃や大腸に潰瘍やポリープが見つかった事があります。前回の検査から3年ぐらい経つので、今年は検査をしようと思い予約をしました。いろいろと活動したので49歳の初日を頑張れたと思います。49歳の1年の目標は、個人レッスンを始めたので1年間休みが無いという気持ちで頑張りたいと思います。休みが無くなるぐらい自分が必要とされたら嬉しい事です。コロナの状況によりますが、今年の末には道場の20周年を祝う会が出来たらと思っています。そしてこの2〜3年が私にとって勝負の年だと思っています。東京城南京浜支部の未来は今の5年生を軸に進んで行くと思っているので、現5年生を良い形で中学生に進んでくれるよう全力で指導したいと思います。私自身は4月末までに80キロに体重を絞り、膝や腰などの身体を治し、来年は昇段審査を受審したいと思います。とにかく立ち止まらずに50歳まで駆け抜けて行きたいと思います。


2022年02月01日(火) 49歳の誕生日

あと3分で12時となり49歳になる時に、妻が「私、寝るね、お休み」と寝てしまいました。私は「ハアッ?もう少しで、僕が誕生日になる瞬間なのに寝ちゃうの?ウソ〜ン!」って思いました。しかし思い改めて「なるほど〜!これサプライズ狙ってるな〜⁉12時なった瞬間に部屋から出て来て、おめでとう!って言うのか」と考えていました。そして12時になり、今来るか?今来るか?と待っていました。12時になりましたが、何も起こらず、私も「あー時計も1〜2分差があるから、あと少しか」と待っていましたが、5分経っても何も起こらずでした。もう私は「怖〜!」ってなってしまいました。「えーっ!あと3分で誕生日なのに寝るー?」でももしかしたら僕の誕生日を忘れていたのかな?と思いを改めて、気を取り直して「ゾンビランド」を観て過ごしました。朝起きて、妻と子供達に満を持して「おはよう!」と言うと、普通に「おはよう」と返され、誰も誕生日おめでとうの言葉はありませんでした。自分から言うのも何なので私は何も言わずに黙っていました。みんな普通に出かけて行きました。1人になり「怖〜っ!マジかよっ!僕は全員の誕生日をちゃんとやって来たのに、僕の時はコレか〜!」って思い、ヨシッ今回はもう怒ってやろうと決めました。道場が終わったら銭湯にでも行って時間を潰し2月1日が終わるまで家に帰んねーぞ!と決めました。最後の稽古の終わりに妻から次男が具合が悪い事を聴きました。次男は私が帰るまで起きていると言っていると聴き、急いで家に帰ると手作りのケーキめ誕生日を祝ってもらいました。何だこれは?!ドッキリGPか?と思いました。まあ何はともあれ、とても嬉しかったです!


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