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2019年09月30日(月) 極真空手を始める運命

私は第四回世界大会をテレビで見て極真空手を知りました。その後、他流の空手を始めて、その後に極真空手を始めました。そして当時福島に住んでいた私は、第五回世界大会を観に二泊三日で東京に来ました。私は二日目に第17回全日本大会のビデオを12800円で購入したため、お金が無くなりホテルをキャンセルし、その夜は東京体育館で野宿しました。三日目はご飯も食べることが出来ずに観戦しました。何故そんなにしてまで第17回全日本大会のビデオを買ったかと言うと、当時の私が一番好きだった選手の松井章奎館長と黒澤浩樹先生が決勝戦で戦っていたからです。第五回世界大会を観戦した私は次の年に上京し黒澤先生の道場に入門しました。黒澤先生の道場は一年半で辞めてしまいましたが、先生を尊敬する気持ちはその後も変わることはありませんでした。一昨年3月25日に黒澤先生が亡くなったことを知り私は聖心館に行き黒澤先生の位牌に手を合わせました。その時に黒澤先生の奥様から、黒澤先生は晩年、極真空手時代の思い出話を良くしていた事、松井館長に会いたがっていた事を聞きました。私は何とか、そのことを松井館長にお伝えしたく、私の先輩を通してそのことを松井館長に伝えていただきました。その後、松井館長と山田師範と私の先輩と長島さんと私で聖心館へ訪問し黒澤先生の位牌に手を合わせることが出来ました。松井館長が黒澤先生の位牌に手を合わせる姿を見て、私は涙が止まりませんでした。松井館長と黒澤先生が第17回全日本大会の決勝戦で戦っている姿を思い出したからでした。黒澤先生にとって私は途中で辞めた不詳の弟子だったと思いますが、この日の為に私は第17回全日本大会のビデオを購入し、黒澤先生の弟子になったのかと運命を感じたほどでした。松井館長と私の先輩のおかげで、私は黒澤先生のお別れ会の幹事と言う仕事もさせていただきました。私はそのこともあり、私が極真空手を始めたことは運命だったとさらに強く強く感じるようになりました。


2019年09月29日(日) 審査と試合

私の運営する道場の審査会と試合がありました。次男が初めて銀メダルを取りました。自分の力で初めて獲ったメダルですから嬉しかったと思います。この成功体験が何かのきっかけになってくれたら嬉しく思います。長男は一回戦負けでしたが頑張ったと思います。でもまだまだ悔しいという気持ちが足りないような気がします。


2019年09月28日(土) 学びと成長

今週は自分の周りにアクシデントが連発しましたが何とか対処しました。その対処に追われる毎日でしたが、自分のやらなければならない事はしっかりやり、今日はまた階段を一つ上りました。自分の中ではなかなかな快挙だと思っています。私は四十六歳ですが、毎日自分の成長を感じながら生きています。この学びと成長を、生徒たちに伝え社会に貢献したいと思っています。


2019年09月27日(金) 妻から出た言葉

妻に真剣な顔で「相談があるんだけど」と言われました。妻と付き合ってから12年、結婚して10年経ちますが、そんな言葉を真剣に言われたのは初めてなので驚きましたし、いったい何を言われるのだろうという緊張が自分の中に走りました。その後に妻から出てきた言葉は、自分が想定した最悪の事とはかけ離れていたので安心しました。けっこう驚くような相談でしたが、私が想定していた最悪の事とはかけ離れていたのと、妻がハッピーになることだったので承諾してしまいました。


2019年09月26日(木) 悪い事やアクシデント

悪い事やアクシデントは重なるものです。悪い事やアクシデントが続くとストレスが溜まり疲れますが、悪い事やアクシデントが起こった時こそ大きく成長できたりします。だから悪い事やアクシデントにしっかり対処して乗り越え、いつかその悪い事やアクシデントがあった事に感謝できるような人間になっていたいと思います。


2019年09月25日(水) 言葉

私と言う人間は、私が今まで出会った方々から受けた影響で出来上がったと言っても過言ではありません。人は、人から言われた言葉で、嬉しくなったり、やる気が出たり、楽しくなったり、感動したりします。人は、人から言われた一言だけで頑張れたりするものです。私も人から言われた一言で自分の人生が変わったと思う言葉が沢山あります。でも逆に人は、人から言われた言葉で傷ついたりもします。だから自分の発する言葉には気を付けなければいけないと思います。ですが私は、人から言われた嫌な言葉や、自分にとって不本意な言葉や、自分が受け入れがたい言葉も一度は自分の中に取り込み吟味するようにしています。なぜならば自分が言われたくない言葉の中に、自分を違った角度から、見つめ直すきっかけがあったりするからです。陰で言われた悪口もそうです。人が自分の前で言えなかった言葉と言う事は、その人の究極の本音なわけですから、その言葉の中には自分を見直すヒントが沢山あるはずです。良薬口に苦しで、意外に自分が言われたくない言葉や、自分が聴き辛い言葉の中に自分が成長するヒントがあるものです。


2019年09月24日(火) 携帯電話壊れる

日曜日に携帯電話が壊れてしまいました。とても難儀しています。本当に参りました。こんなことは何度も経験しているので何とかなっています。早く何とかしなくてはと思って動いたいるのですがどうにもならないようです。すべてを一からやり直す時なのかもしれません。


2019年09月23日(月) 長男への後悔と反省の思いと妻への感謝

今日は東東京大会でした。私の長男も組手の試合に出場しました。長男が負けた後に、勝ち上がっている選手の試合を見ていなかった事や、会場で遊んでいた事もあり、家に帰ってから「お前は負けて悔しくないのか?」という説教から始まりだんだんエスカレートして「悔しいなら、今から拳立てとジャンピングをやれ」となりました。長男は明日からやるといって、拳立てとジャンピングをやろうとはしませんでした。私は「お前は本当は悔しくなんてないんだ!だからお前は何をやってもダメなんだ!」と感情で言ってしまいました。大なり小なりあったとしても、みんなが見ている前で相手に叩きのめされて負けを告げられたのですから、悔しく無いわけはありません。そんな事は試合に出ていた私が一番分かっていたはずなのに、長男にその言葉を言ってしまいました。事もあろうことに、勉強や他の事まで持ち出して、長男が傷つくであろうことを言ってしまいました。そのあと長男の寝ている姿を見て、私は本当にひどい事を言ってしまった事を後悔しました。長男が生れて来てくれただけであんなに嬉しかった事を思い出し本当に反省しました。私は寝ている長男の頭をなでながら「本当にゴメンね」と泣きながら謝りました。次の日、朝起きて妻と話したら、長男は寝ているふりをしていたそうです。私に気を使って寝ているふりをしていたそうです。私が部屋を出て行った後に、妻が長男に「パパの気持ちわかった。パパの気持ちが分かったのなら明日から頑張ったら」と言うと、長男は「明日から拳立てとジャンピング頑張るよ」と言ったそうです。妻には本当に感謝しています。


2019年09月22日(日) 強さとは

「強くなりたい!」それが小さい頃からずっと変わらない私の夢です。でも三十歳になる頃から「強さって何だろう?」「本当の強さとは?」と言う疑問を抱くようになりました。そして私が出した答えは「本当の強さとは、己に克つこと」でした。その考えは四十六歳になった今も変わりません。その強さで世の中に貢献し、自分の大切な人を守りたいと思います。


2019年09月21日(土) 日記の書き出し方

司馬遼太郎の「関ヶ原」の冒頭に書かれているヘンリー・ミラーの言葉で「いま君はなにか思っている。その思いついたところから書き出すとよい」この言葉が私は大好きで、この日記を書く際にもその言葉のように書き出したりします。私はそんなに文章が上手ではありませんが、いま自分が思っている事を素直に書き出した時には結構良いものが書けたりします。


2019年09月20日(金) 袖振り合うも他生の縁

「袖触り合うも他生の縁」と言う言葉がありますが、私は人との出会いには必ず縁というものがあり、出会うべくして出会っているのだと思っています。出会いというものに必然性や運命というものを勝手にですが感じています。今までもそれを感じる出来事がたくさんありました。だからこそ人との出会いや縁を大切にしたいと思っています。道場生やご父兄様にもそれを強く感じる事がたくさんあります。私は人を導く立場の人間ではありますが、たくさんの人達から、人間の力の源である元気を頂いて頑張れています。そして出会えた人達の縁を壊す事のないよう常に正しい人間でいたい、常に一生懸命な人間でいたい、常に誠実な人間でいたいと思います。それは妻や子供達に対してもそうです。私がいつかこの世を去る時に妻や子供達に私と出会えて良かったと言ってもらえるよう生きて行きたいと思います。


2019年09月19日(木) メンテナンス

1週間に1回は鍼治療に行き身体のメンテナンスをしています。普段からストレッチや入浴をし、身体に良い物を食べたりと身体には気を付けているのですが、慢性的に悪い場所があるので、治療を怠ると大きな怪我をしてしまいます。何歳になっても生徒達にしっかりと見本を見せる事が出来る空手の先生でいたいと思います。


2019年09月18日(水) 心に残っている言葉

私の心に残っている言葉があります。私の道場生で3年前に亡くなった前橋妙子初段が私に言った言葉です。前橋さんは、太る体質だったそうですが、自分に厳しい人でいつも食事制限をしてしっかりシェイプアップしていました。前橋さんは最後の数週間は物を食べる事は出来なくなっていました。その時に「私も元気な時にもっと美味しい物をたくさん食べておけば良かったです。先生もあまり自分に厳しくしないで、たまには美味しい物をたくさん食べて下さい。」その言葉をたまに思い出します。46歳にもなると人を失う事も多くなります。一生懸命に頑張る時は、一生懸命に頑張って、頑張った後には、美味しい物を食べたり、美味しいお酒を飲んだり、楽しい時間を思いっきり楽しんで、人生を謳歌したいと思います。


2019年09月17日(火) はじめの一歩

私は15歳で空手を始め試合にデビューし22歳で全日本ウエイト制大会に出場しました。そして34歳に出場した全日本ウエイト制大会で引退をしました。その後も2度ほど試合には出ましたが、私の中では本気で試合に出ていたのは20歳から34歳までの14年間だったと思っています。その頃、試合の前には必ず「はじめの一歩」を読んでいました。伊達VSマルチネス、木村VS間柴、の回を良く読みました。戦う前のドキドキ感、自分の全てをぶつける瞬間、自分の技に手応えを感じた瞬間、勝利した時の充実感はたまりません。私は人生で2度ほど仲間達に胴上げをしてもらいました。その時、本当に生まれて来て良かったと思いました。あの感動は私にとって一生の宝物です。


2019年09月16日(月) テルモピュライの戦い

長男がスパルタという言葉を言って来たので、長男と次男に映画「300スリーハンドレッド」の冒頭部分を見せ、スパルタの男子はどう教育されたのか?を教え、スパルタ人300名が命んかけて戦ったテルモピュライの戦いの話をしました。残酷な描写がたくさんあるので映画全部は見せられないのが残念です。いつか子供達が大きくなったら見せたいなと思います。


2019年09月15日(日) 自衛隊広報センター

埼玉県和光市にある自衛隊広報センターに行きました。長男の夢は自衛隊員になる事です。その夢は幼稚園生の頃から変わっていません。キッカケは「シン・ゴジラ」を観てからです。日本を守るために自分を犠牲にしてゴジラと戦う自衛隊員の姿に感動したようです。子供の夢はほっておいたら消えてしまいます。その夢を見失わないように、夢の実現のお手伝いをしてあげたいと思います。長男は自衛隊広報センターでヘリコプターや戦車を見てとても感動していました。長男と次男は喧嘩もするけど仲が良いです。2人を見失ってしまい、見つけたら長男が前で次男が後ろで2人でバイクにまたがっている姿を見てすごく嬉しかったです。この瞬間を頭に焼き付けておこうと思いました。幸せってこういう事なんだなと思います。


2019年09月14日(土) 親睦会

私の運営する極真会館東京城南京浜支部の親睦会を行いました。44名の方にご参加頂きました。とても楽しい時間を過ごす事ができました。道場生の皆さん、ご父兄の皆様と出会えた縁に感謝しております。道場生一般部の皆さん、駿斗、北村さんに極真祭優勝のお祝いを頂きました。本当にありがとうございます。一生懸命に生きていれば良い事があるものです。その感動を道場生に伝えて行きたいと思います。


2019年09月13日(金) 13日の金曜日

今日は13日の金曜日です。13日の金曜日でも何とも思わなくなって数十年が経ちました。子供の頃はジェイソンが出るんじゃないか?と本気で怯えたものです。映画「13日の金曜日」は本当に怖かったです。最後まで生き残った人がジェイソンに殺される夢を見たところで起きると言うのも怖かったし、最後まで生き残った人が次の回の最初に殺されるのも怖かったです。


2019年09月12日(木) 諦めない

一般部の試合に出場するという目標を持って稽古してきたのですが、身体がなかなか言う事を聞いてくれずです。体の調子が良く試合に耐えれるだけの稽古の量や強度にして行くと何処かが故障してしまいます。なかなか思うように行かないなと苛立ちます。今年中に試合に出るのは無理だなと思います。ですが絶対に諦めません。あと1試合だけは必ず出たいと思います。来年になると思いますが絶対に試合に出たいと思います。


2019年09月11日(水) 映画を見て

長男と次男にブルース・リーの「怒りの鉄拳」を見せました。長男はブルース・リーをブイスリーと言っていました。同じ間違いをするなんて、やはり親子だなと思いました。「怒りの鉄拳」では日本の武道や空手が敵役なので、長男もそれが気になったらしく「空手が負けてるじゃん」と言い、最終的には「俺、カンフーがやりたい」と言い出しました。ブルース・リーは香港の人なので自分の国やカンフーに誇りを持っている事や、何故この映画では日本が敵なのか?などの時代背景などを長男に説明しました。そして全ての武道に素晴らしい所があり、一生懸命やる人はどんな武道でも強くなれる事、逆に一生懸命やらない人は何をやったとしても強くはなれない事を話しました。長男も次男もやはり男の子です。映画を見て興奮し「俺なら相手がこう来たら、こうする!」と一生懸命に私に見せていました。私はそんな時な「おー!それも良いな!」と褒めるようにしています。武道は技を身に付けた後は、自分で考えて適切な技を出す事が大切です。


2019年09月10日(火) 本日から再開

1ヶ月休んでいたウエイトトレーニングも本日から再開しました。力が全然落ちていなかった事に少し驚きました。昔は苦しいだけだったウエイトトレーニングですが、今は結構楽しくやっています。空手の先生ですからやはり見た目も大切です。本当に強いの?空手家がそんな風に人から見られた時点で空手家としてはアウトだと私は思います。その人の風格や貫禄はその人の姿から出てくるものだと思います。何歳になっても身体が健康なうちはしっかりと鍛えて見た目も良くしたいと思います。


2019年09月09日(月) 自分が強くなる為の稽古

膝の調子がやっと良くなり、今日から朝の自分の稽古を本格的に始める事が出来ました。何歳になってもやはり自分が強くなる為の稽古をしている時間が最高です。もし自分が強くなる為の稽古を楽しいと思わなくなってしまったり、自分が強くなる為の稽古をしなくなってしまったのなら、それは、もう空手家では無くなってしまったという事だと思います。出来る事なら死ぬまで空手家でいたいと思います。その為にも健康と身体には気を付けて行きたいと思います。


2019年09月08日(日) 好きな映画は

私は好きな映画は何度も見ます。映画が始まる前の配給会社の音楽からセリフまで全部覚えてしまうぐらい見返します。夜寝る時も、好きな映画を始まる前の配給会社の音楽からずっと思い出し気が付いたら寝ていたりするぐらいです。最近は「関ヶ原」が私のブームです。


2019年09月07日(土) 引き継ぎ

自分が身に付けた技術や精神を自分だけの物で終わってしまっては生まれて来た甲斐がない、それを次の人に引き継がせてこそ、生まれて来た甲斐があると私は思います。私は今、次の人にきっちりと引き継いでもらうための物を作っています。毎日の指導で出来ている部分の検証しています。検証に検証を重ねて、しっかり稽古すれば誰でも強くなれる稽古方法を作り、次世代に引き継ぎたいと思います。


2019年09月06日(金) 誰が一番強かったか?

「今まで戦って一番強かった人は誰ですか?」こんな質問を後輩や生徒からされた事があります。私も長く選手をやりましたから、その時の自分の実力や調子で感じ方も変わるものだと思いますが、全日本に出場するようになってからという事で言えばレチ・クレバノフ選手がとても強かったです。もちろん私もいろんな選手と誰が一番強かったか?を話したりします。私達の世代の人では数見先輩、八巻先輩、田村師範、の三人の名前が必ず上がります。


2019年09月05日(木) 私のルーツと夢の話

私の格闘技のルーツはブルース・リーにあります。従兄弟のお兄ちゃんの部屋にブルース・リーのポスターが飾ってあり、初めてブルース・リーを知りました。私はブルース・リーをブイスリーと言っていたそうです。1978年、私が5歳の時に公開された「死亡遊戯」を観に行きました。その頃、私は父の仕事で秋田に住んでいました。父も母も仕事が忙しかったのですが、あまりに私が「ブイスリーの映画を観に行きたい!」と何度も言うので、従業員さんに私と映画を観に行くようお願いして、私はその従業員さんと「死亡遊戯」を観に行きました。あの時の衝撃は凄かったです。やはり目を奪われたのは華麗な蹴り技でした。そして中学三年生の時にテレビで見た極真空手の第4回世界大会、特に決勝戦の松井章圭館長とアンディ・フグ選手の華麗な蹴り技の攻防に目を奪われました。もうあれで私の人生は決まったと言っていいでしょう。私は空手をやるために生まれて来たのだと思っています。じゃなかったら5歳の子が、親が従業員さんにお願いしてまで映画を観に行かせるぐらい映画を観たいとせがんだりはしないと思います。そして極真空手に憧れた私は極真空手を始め、高校生の時にを学校を休んで、1人で新幹線に乗り東京に2泊3日で第5回世界大会を観に行ってしまいました。そんな破天荒な事を許してくれた両親に感謝しています。あの第5回世界大会をもし観に行かなかったら私は東京にも来ていないと思いますし、今こうして空手の先生をしている事もなかったと思います。本当に両親に感謝です。あの当時、子供が空手をやりたいと親に言ったら絶対に反対された時代です。それを「空手の選手で生きて行きたい、空手の先生でご飯を食べて行きたい」などと言ったら、まともに取り合う親はなかなかいなかったと思います。私は1人で夢を叶えたわけではありません。両親を始め沢山の方々が私が夢を見失わないように陰に日向に力を貸してくれました。本当に感謝です。


2019年09月04日(水) 私の名前

私の名前は菅野秀行(かんのひでたか)と言います。菅野(かんの)と言う名字は福島市ではけっこう多い名字でした。ですが秀行(ひでたか)は初めて会う人には必ず(ひでゆき)と呼ばれます。それが東京に出て来たら今度は菅野(かんの)を(すがの)と呼ばれる苦労が加わりました。私の従兄弟などは呼び方を(すがの)と変えているぐらいです。試合に出場したばかりの頃はよく「ゼッケン〜番、すがのひでゆき」とコールされたものです。全日本に出場する頃にはやっとちゃんと自分の名前をコールしてもらえるようになりました。ですが最近また主審すがのと言われたりするので、まだ認知されていないのか〜、とガッカリすることもありますが、得する事もあるのです。それは相手が私の名前を呼ぶ事でその人は私をどのくらい大切に思ってくれているか?を知る事が出来るという事です。一度会って自分の名前を紹介して、次会った時に私をすがのさんとか、ひでゆきさん、と呼んだ人は私の事をそんなに大切には思っていないという事です。逆に一度会っただけで、かんのさんとか、ひでたかさんと呼んでくれたらその方はけっこう私を大切に思ってくれているという事になります。この占い的な考えは、今まで生きてきた中で結構な確率で当たって来たと思います。ですが私は名前を間違えられても悲観はしません。ヨシッ!自分を大切に思ってもらえるように頑張ろう!自分の名前を覚えてもらえるように頑張ろう!と思います。そして覚えにくい代わりに一度しっかり覚えてもらえれば忘れられる事はないという事では得をします。


2019年09月03日(火) 叶わなかった夢と自分の旬

何かを頑張れば自分の未来が変わります。もっと言うと頑張っただけではダメです。やはり結果が大切です。私は46歳になりそれを痛感しています。私は現役時代、全日本という冠のつく選手権大会で入賞する事は出来ませんでした。私の最大のチャンスは今考えると25歳の第30回全日本大会と第7回世界大会でした。何故ならば第30回大会の数ヶ月前に第30回全日本大会で4位になった選手に勝っていて、第7回世界大会の代表でベスト16に入り全日本ウエイト制で準優勝した選手にもその数ヶ月後に勝つ事が出来たからです。なのに何故夢に敗れたか?それは自分が甘かったからです。その当時は限界までやったつもりでした。でもまだまだ甘かったです。そしてそれに気が付き29歳からの5年は一生懸命頑張りました。その頃の自分のテーマは「己に克つ」でした。それはもちろん今でも変わりません。でも気が付いた時には、もう時すでに遅しでした。人には旬というものがあります。特に肉体を使う競技は旬な時期は短いです。でも私にはその反省があります。自分が何故チャンピオンになれなかったのか?その反省材料は、今では私の指導材料です。しかし夢が叶わなかった事で出遅れてしまいましたが、その後も新たな夢や目標を持ってしっかり頑張っています。でも全日本チャンピオンという肩書きがあったなら、もっともっと自分の夢は大きく実現できたのになと思うのです。だから子供達には全力で悔いのないよう思いっきり夢を追いかけて欲しいと思います。でも夢が叶わなかった人には、夢が叶わなくてもしっかり頑張っていれば楽しい未来がたくさんあって夢が叶わなかったからこそ得られる物がたくさんある事も教えてあげたいと思います。


2019年09月02日(月) マズマズなスタート

昨日の鍼治療のおかげで体の調子もだいぶ良くなり、今日は少し稽古が出来ました。最後の4ヶ月を最高ではないけれどマズマズなスタートを切れたと思います。ここから調子を上げて行き来年で今頑張っている事に区切りを付けたいと思います。来年には私の構想が形になると思います。それが出来れば東京城南京浜支部は最高の道場になります。


2019年09月01日(日) 9月始め

今日から9月です。2019年も3分の2が終わったという事になりますね。それどころか今月が終われば2019年最後のワンクールとなります。朝起きた時少しダルかっのですがシャキッと起きて、新宿まで鍼治療に行きました。それもこれも9月をしっかり頑張るためです。少し体重も増えてしまいましたので、頑張って稽古してダイエットしたいと思います。そして来年1月4日から行われる総本部冬合宿で四段の昇段審査に挑戦したいと思います。という訳で今日はラーメンの食べ納めに川崎の一蘭に行きました。次男は5歳ですが替玉完食しました。この子はたぶん強くなると思います。長男は3年生で替玉を少し残してしまうので少し心配です。もう少し食べて欲しいと思います。


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