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2003年07月30日(水) 村山元首相には悪役が似合うかも

トンちゃん”村山富市元首相が俳優デビュー

8月公開される映画に村山富市元首相が俳優として出演している。
それも顔見せのチョイ役程度ではなく、かなり重要な役どころを本格的に熱演してい
るというから驚く。
そう言えば、若い頃の村山の写真を見た時があるが、宇野重吉にも似た、なかなか
いい顔をしていた。
このマスクで、自社さ政権の首班として海千山千の政治家たちを御して来た
演技力をもってすれば、いい役者になれるかもしれない。
朴訥なトンちゃんのイメージがあるが、実は結構、したたかである。
撮影は昨年10月に行われたとのことだが、
ちょうど古巣の社民党が北朝鮮問題でバッシングの嵐にあった頃だ。
そして今また辻元逮捕で逆風のさなかに公開というのも皮肉である。
先日、辻元問題で警察に事情聴取された時も、得意の演技力で誤魔化したのだろうか。
俳優として笠智衆を意識しているらしいが、トンちゃんにはむしろ悪役をやって欲しい。
それも、時代劇で、表向きは好々爺を装いながら、実は陰で南蛮人に生娘を売り飛ばしてる
悪徳商人みたいな、落差のある凄みのある役が似合うのではないか。
いずれにしろ、是非これから俳優としてジャンジャン活躍して欲しいものだ。
そうすれば近い将来、引退後のおたかさんにも、吉原の遣り手婆ァの役かなんかで
お声が掛かるかもしれない(笑)


2003年07月28日(月) 土井たか子と社民党の歴史 その1

自社ニ大政党が成立した所謂55年体制下初の総選挙(1958年)で社会党は166議席
を獲得した。当時の衆議院の定数は467議席なので、議席占有率は36%である。
(ちなみに自民党287、共産党3、諸派1、無所属12)。
だが実は社会党はこの時が頂点であって、その後「長期低落」の坂道を転げ落ち続ける事になる。
1986年の総選挙では中曽根自民党が300議席を獲得して圧勝する一方、
社会党は史上最低の85議席で惨敗した。
この時は定数512だったので、議席占有率は17%、全盛期の半分以下に落ち込んだわけである。

こうして選挙に何度となく敗北し、その度に「党再建」を掲げ続けた社会党はこの時、
いよいよ最後の切り札として土井たか子を委員長に担ぎ上げる。
土井たか子、当時58歳。
1969年の総選挙に当たって、労組依存体質改善を図った成田知己委員長の要請で
立命館大講師から政治家に転身して17年目だった。
この頃の社会党内部のポジションから言えば土井は、基本的には無派閥であり、
せえぜえ、やや右派寄り中間派と言ったところだったであろう。
今では信じられないかもしれないが、長年社会党を牛耳って来たのは社会主義協会(協会派)という、
マルクス・レーニン主義を信奉する極左キ○ガイ集団だったので、
土井程度でも十分、右派で通用したのである。

こうして、憲政史上初の女性党首となった土井の人気は上々、
そして1989年の参議院選挙ではリクルート、消費税、そして宇野首相の芸者スキャンダルの3点セットで
自民党が空前の大惨敗を喫する一方、土井社会党は目も眩むような栄光を勝ち得る。
何しろ、前回は自民72、社会20だったのに、この時は社会46、自民36議席だったのである。
自民党は地すべり的大敗、社会党は倍増以上である。
この時の「週刊朝日」の表紙を今でも私は覚えているが、
「見たか、自民党!」のキャッチコピーとともに、土井の晴れ晴れした笑顔の写真が
飾られていたものだ。
土井は勿論だが、朝日も狂気乱舞してさぞ「我が世の春」を謳歌した時だろう。
そしてこの勢いは翌90年総選挙でも続き、自民党は海部人気のおかげがものを言って、
何とか安定多数は維持したが、社会党も136議席で久々大勝を収めたのだった。

だが、それも所詮は自民党の敵失と、空疎な「マドンナ・プーム」に支えられた一過的現象。
プームが去れば、相変わらず非現実的な社会党の本質はすぐ露呈し、
91年の統一地方選挙では敗北してしまい、土井は引責辞任に追い込まれる。
代って委員長になったのは真性右派で国対族、そして自民党の金丸の盟友でもあった田辺誠。
だが、ガラにもなく牛歩なんかやったら失笑されるは、盟友の金丸は失脚するはで、
党内からも総スカンされて1年余でクビになった。
その次出てきたのは山花貞雄委員長 ・赤松広隆書記長の二世コンビ
(山花の父秀雄、赤松の父勇は、ともに社会党代議士)。
そしてこのお坊ちゃんコンビで1993年総選挙で議席半減の大惨敗するのである。

この時は、小沢一郎一派たちが自民党を割って出た、例の選挙である。
だが社会党のこの惨敗は、実は小沢ですらも予想外の出来事だった・・・

続く(?)


2003年07月24日(木) 「政権を取らない政党はネズミを獲らないネコと同じだ」(西尾末広・初代民社党委員長)

辻元逮捕は民由合流派の陰謀だった?!
・・・と思わせるほどタイミングよく、民主・自由両党の合併が急に決まってしまった。
民由両党が合併した上、ガタガタの社民党から票を取り込み、
かつ、「紅林刑事」(by特捜最前線)の横光克彦とかの比較的まともな人材を
引き抜いてくれば、自公保とかなりいい勝負ができるだろう。
一挙に政権交替は難しいかもしれないが、少なくとも今のままでは惨敗は目に
見えている。だったら座して死を待つより、何かやった方がいい。
だからこの度の合併は結構な事だと思う。
だが、民主・自由両党の合併に対する各紙の社説を見たら、
毎日が好意的だったほかは、朝日、讀賣、産経とも批判的で、
いずれも政策なき野合を指摘していた。
そのご高説はごもっともだが・・・、
しかし、理念・政策が一致することなんて永久にないだろうし、
そうやって野党がバラバラでいる限り選挙には絶対に勝てない。
つまり永久に自民党政権が続くことになるのだが・・・、それでいいのかね??
政党は政権をとれなくても理念・政策がピュアでありさえすればいいなんて、
いまだに55年体制ボケしてるんじゃないか。
野合批判する香具師は政党、政治に何を求めてるのだろうか?
そもそも自民党だって政権にしがみついている事を自己目的化している
野合政党だし、自公保連立にいたっては、もっと野合。
そういう、既得権益にずぶずぶの体制を突き崩す事、
つまりまずは政権交替する事それ自体に意味があると思うのだが・・・


2003年07月23日(水) おたかさん、「涙は女の武器」作戦ですか?

12歳少年に殺された種元駿くんのお父さんが手記を発表した。
長崎児童殺害事件、被害者の父親が手記
少年の親は、謝罪どころか連絡さえもしないと言う。
でも或る意味でこれは当然か。
殊勝に謝罪するような良心のある親なら、そもそも、子を人殺しにはしていまい。

一方、社民党の土井たか子は今日の党首討論で漸く謝罪はしたが、
お涙頂戴の猿芝居とは呆れる。
声詰まらせ、異例の釈明 苦境にじむ土井氏
昨日の党幹事会と議員懇談会で練った作戦は、これだったのか。
しかも、まだ相変わらず逮捕批判をほざいているし、
党外でも応援団のエセ知識人を動員してキャンペーンを始めた模様。
「辻元前議員逮捕は不当」、落合恵子さんらが声明
>「今回の逮捕は、暗い時代への曲がり角の事件だったといつか認識されるだろう」
>と訴えた。
自分たちの犯罪行為を棚上げして「権力の弾圧」の被害者面して話をすり替える、
左翼の得意芸が炸裂である。
しかし、お仲間の筑紫さんは「すり替え」はいかんと言っているのだが・・・
あ、これもお得意の例のダブ・スタか。


2003年07月21日(月) 三宅坂(社民党)の74歳老女の「心の闇」も解明してみたら?

かつてマッカーサー元帥(日本占領軍総司令官)は「日本人は12歳の子供だ」と言った。
それは未熟という意味なのか将来性があるという意味なのか、どちらともとれるが、
最近の頻発する12歳児の事件を鑑みると、50年経ってもホント日本は12歳の子供の
社会でしかなかった事を露呈した。
そして、極めつけは、自分に甘く他人に厳しい無責任な12歳児政党の存在だ。
しかもこの党が「マッカーサー憲法」の最大の信奉者なのが何とも皮肉である。

土井たか子は、政界入りする前は同志社の講師だったということになっているが、
学者のくせに土井の論文なるものはひとつも世に現れていないらしい。
昭和44年、社会党の「労組依存」体質改善を目指した当時の成田委員長の強い要請で、
党外から出馬し、当選した。
つまり土井は「成田チルドレン」だったのだ。
その土井が今「土井チルドレン」の辻元逮捕によって自分の首をしめている。
これも皮肉である。


ついでに、因縁話を、もうひとつ。

1985年に阪神タイガースが優勝に向かって驀進していた頃、阪神ファンの著名人の1
人として土井たか子(当時、社会党副委員長)がテレビのインタビューを受けていたの
を見た記憶がある。
ちなみにかつて、自民党=巨人、社会党=阪神に例えられて、「いつも2番の阪神・
社会党」などと並び称された(?)時代があったのだ。
だからその時の土井の話も「阪神を見習って社会党も1位になります」みたいなオチ
だった。
土井社会党がマドンナ・ブームで大勝する4年前の事である。
さて、今年阪神は18年振りの優勝を確実視される一方、社会党改め社民党は
辻元逮捕で解党の危機に瀕している。
さすれば「なぜこの時期に」という土井社民党の呟きは、
かつての万年2位仲間・阪神が優勝の年に社民党の方は滅亡するという歴史の巡り合せの皮肉を
自嘲したものであろうか。

んなわけないか。


2003年07月18日(金) 辻元清美も「加害者か被害者か分からない」?!

小6女児誘拐監禁事件で鴻池担当省がまた「問題発言」

発言の前後の文脈がわからないのだが、まさか
「密室殺人だから小6女児たちが加害者かもしれない」
と言ったわけではないだろう。
記事では
「被害者の女児らにも責任があるかのような答弁をした」
などとまとめているが、昨日もここに書いたように、この女児らにも十分責任がある。
そもそもこの記事の見出し「誘拐監禁事件」というのは歪曲ではないか。
誘拐じゃなくて、「プチエンジェル」のビラを見て、自分の意志で行ったのだろうが。
「子供は純真無垢」「だから一方的に被害者」なんて固定観念に、いつまでとらわれてるのか。

辻元元議員:秘書給与詐欺容疑で逮捕
.
いよいよ社民党解体のカウントダウンが始まった。
「指南役」である、土井党首の元秘書・五島も逮捕されている事から、
党ぐるみでの給与詐欺問題に発展する事は確実だし、
まず土井党首の責任が問われる事は必至だ。
そういえば、先の鴻池の「親を市中引きまわし・打ち首」発言に
社民党も撤回を要求していたが、、、
そうか、これは親=土井の責任のがれをするための予防線だったのか!


2003年07月17日(木) 少女に何が起こったか?!

ずっと以前、「援助交際」ブーム(?)の頃、複数の知人でそれについて話していて、ふと、
「10代の女の子の事ばっかり問題になってるけど、男の子は何をしてるのか?」
と疑問になって、一同首を傾げたことがある。
ちなみにその場にいたのは、赤ん坊のいる既婚者が1人、
後は私も含めて20〜30代独身ばかりだったので、
10代の素行についてはさっぱり見当がつかなかったのである。
だが、それからしばらくして神戸の酒鬼薔薇事件が起こったので、ああ、そういうことか、
とかつての疑問が氷解したものだ。
今回、先日の長崎の12歳少年の事件に引き続いて、小6少女4人が監禁されていた事件が
起こった。不明の小6少女4人を都内で保護 監禁容疑の男自殺
これもまさに対象的な10代男女の性と生のあり方を示しているようである。
ひとことで言えば「抑圧」と「開放」である。
男の子の方が内向きで陰にこもったマイナスのエネルギーを発している。

この監禁容疑者の、自殺したと見られる男はどうやら援助交際を斡旋する会社をやっていたらしい。
すると、「大人の猥らな毒牙にかかった可哀相な少女たち」という典型的図式が成立しそうだが、
少し違うように思える。
例えばある少女の自宅には、この容疑者のやっている「アルバイト」のビラが残されていたとのことだし、
また、彼女たちは「(遊ぶお金は)ブルセラショップで稼ぐから大丈夫」と
友達に言いふらしていたそうである(名塚元哉さんの「あんた何様?日記」より情報を得ました)。
つまり、その「バイト」が援交である事まで想定していたかどうかはわからないが、
自分たちの「性」を売る・売れるという事に関して彼女たちは、十分確信犯だったわけだ。
従って、少なくとも「何もシラナイ無垢な少女」ではあり得ない。
こうした少女たちは社会の風潮に踊らされている事は確かだが、
しかしもはや既にそういう社会である以上は、ただ単に社会や大人の責任ばかり
云々しても始まるまい。

ふた昔前なら少女売買春というものは、新聞の見出しで「小学生が売春」などと、
売る側の「性の無軌道振り」を主体にして報じられたものだ。
でも現在では「教師が小学生を買春」のように、買う男の責任を追及するのが常道である。
なるほど、法的にはまぎれもなく買う方の犯罪だし、そして需要供給の法則から言っても、
欲しがる奴がいるから売るのである。従って確かに、少女の性を求めるスケベオヤジどもが専ら悪い。
・・・とフェミニズムはここ20年、説いて来たし、私もそれに同感だったが、
しかし今や、「どっちが悪い」と言う段階は通り越しているのではないか。
社会に組み込まれた12歳少女は、自分の性がいかに高く売れるかを知っているのだ。
子供も既に、単に消費社会の客体であるばかりでなく、積極的な参加主体でもある。
「自己決定」や「自己責任」という事への自覚と認識が、今ほど個々人に問われている時代はない。


2003年07月14日(月) なぜ人を殺してはいけないのか

少年犯罪への厳罰化に反対する人権屋どもを見ていて、
この連中は例えば政治腐敗の防止については、何と言うのだろうと想像した。
おそらく、法規制や罰則の強化を唱えているのではないか
(社民党の福島、お前の事だよ)。

勿論、政治と子供とは全く別問題だ。
ただ、もし他にどうしようもなければ結局、法によって罰するしかない事は認めるだろう。
では、政治家と違って子供は本質から「悪」なのではないのだとしても、
子供をそのように「善」なる人間(少なくとも人殺ししない人間)に育てるには
どうしたらいいのか。

例によって、「ゲームの悪影響」などということが言われている。
そこまで原因がはっきりしてるのだったら、ゲーム禁止令でも出したらどうかと思うが、
そんなことはできない。
そもそも親の世代自身、散々「テレビとマンガの悪影響」などと言われた時代に
育って来たわけだが、でもたいていの人間は凶悪犯罪などとは無縁に無事大人になっている。
つまり、確かにゲームにもテレビにもマンガにも、危険な要素はあるにしても、
それ自体が問題ではない。
問題はやはり、教育であろう。

これに関しては、俄に「命の大切さ」を説く教育の重要性などと言われ出している。
だが、具体的にどういう教育をするつもりなのか。
例えば私が子供の頃、殊更そんなことを教わった覚えはないが、
別に教わらなくても、人を殺そうなどとは全く思いもしなかった。
理念や理屈で「命の大切さ」を説くのは、無意味である。

数年前、いわゆる「酒鬼薔薇」世代のガキどもの凶悪事件が多発した頃、
ある討論番組で「なぜ人を殺してはいけないのか」と高校生に問われて
答えられなかった醜態を晒した評論家がいたそうだ。
だがこんなことは、倫理や道徳問題として根源的に考えても絶対、答えはでない。
そもそも、道徳とは社会秩序を維持するシステムのために必要なのである。
従って、人殺しは「命は大切」だからいけないことなのではない、
法治国家の原則として罰せられるから「いけないこと」なのだ。
子供の頃の事を思い起こしてみよう。

「悪い事」は、そのため親や学校から「怒られ」「罰せられる」から「いけないこと」
だったのではないか。
それは理屈ではない。
有無を言わせず、「いけないからいけない」として罰せられたのである。
それはある意味、理不尽なことだが、だが社会規範とは、頭ごなしに押し付けられるものだし、
また、押し付ける事で成り立っている。
そこに存する理不尽さや矛盾は、少し大人になった時に考えればいいことだ。
その時には「人殺し」を相対化する理性やモラルは身に付いているだろう。

今回の事件の衝撃とは、犯人が12歳少年だったことではない。
12歳少年なら人を殺しても構わない(罰せられない)という、法治国家の秩序が破綻してしまったことだ。
だから子供たちは、今後も人を殺し続けるだろう。
それはゲームのせいでもなければ「命の大切さ」を知らないせいでもない。
単に、罰せられないから殺すのだ。


2003年07月11日(金) 「親を市中引き回しで打ち首に」・・・鴻池よく言った!

「親は市中引き回しで打ち首に」 鴻池防災担当相

私はこの大臣の言う事にほとんど同感なので、よくぞ言ってくれたと思った。
勿論、「市中引き回しで打ち首」までは、どうかと思うが、しかし
「被害者の親ばかり晒し者にして、犯罪者の親を出さないのはおかしい」
「14歳未満の子は犯罪者として扱われないんだったら、保護者である親が出てきておわびをするべきだ」
というのは、全くその通りだと思う。

もしこれが成年の起こした事件だったら、その犯罪者自身に全責任がある。
だが実際には、週刊誌とかワイドショーがその親まで引きずり出して来て、
謝罪させたりしているではないか。
かつての宮崎某や宅間某、そして最近のレイプ早大生、しかりだ。
しかも、宮崎某の父親などは自殺にまで追い込まれたと聞いている。
そこまで親の責任を追及するのに、今度のように14歳未満だから犯罪は問われないし、
そしてその親も出て来ないのは、全く以って理不尽だ。
たとえ犯罪者が大人でも親が謝罪させられているのだったら、
まして今度なんかは、その親を引きずり出して責任を問うのは当然ではないか。
選挙違反だって連座制があるのだ。
14歳未満だから犯罪は問われないのなら、代りに親を処罰すべきだ。
(勿論、刑法第41条なんか撤廃して本人に責任を取らせるのがベターだが)


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