期間限定 2009年08月18日(火)

人は「期間限定」に弱いもので、私などは日々、お台場の等身大ガンダムをやっぱり生で見ておくべきかと誘惑に駆られているのですが、これも今の時期しか見られないと思うからこそ、尚のこと見たくなるわけで、これが期間限定でなければ、まあいつでも見られるから、などと撮りだめしたままちっとも見ずにHDを占拠している映画やドラマやアニメのような安心感があって、無意味に焦燥感に駆られることもないわけで、等身大ガンダムにしても、「期間限定」という付加価値が無ければ、どうしても見たいというわけではないのではないかと思ったり、考えてみれば、人生には生きている間には一度生で見ておくべき?などと誰しも心の中に秘めているものが数多くあり、例えば富士登山などはかなり「べき?」上位に位置するわけで、これがもし100年の間登山禁止で、この夏の2ヶ月だけ登ることが許される「期間限定」だったりすれば、この機会逃すまじと、近所のナフコへ車で乗りつけて登山グッズを買いまくるでしょうし、要は「期間限定」が重要なのであって、「期間限定」抜きでその言葉の後につくものを純粋に考えれば、冷静に重要度が決められる筈で、もしも「等身大ガンダム」と「富士登山」のどちらか、一生のうち一つだけしか選べないとしたら、当然「等身大ガンダム」で……あれ? 取り敢えず、等身大鉄人28号が完成したら見に行くことにします。

Tower Book 2009年08月12日(水)

このたびの地震で一名死者が出たが、床に積んでいた本が倒れてきて下敷きになり圧死という報道を見た両親は、私の部屋の本棚を増設すべきか、その前に耐震リフォームをした方がいいとか、外に物置を置いたらどうだとか話あっているわけですが、そんなことよりも重要な問題は、どんな本で圧死するかである、などと考えているお盆前です。

父、撮られる 2009年08月10日(月)

念願の登頂にも関わらず、ここって時にデジカメが動かなくなり、写真が撮れなかった父であるが、馬で五合目に着いた時、たまたま複数のツアーの団体が出発する場面に居合わせ、まだ富士山についたばかりで興奮し、登る前で体力もあり、色んなことに興味津々で、撮る気満々の彼らの恰好の素材となった馬上の父はがんがん写真を撮られ、自分の撮った写真も、自分の写った写真もないのに、見ず知らずの人が自分の写真を持っているとは、なんて皮肉とぼやく父。

父、登る 3 2009年08月09日(日)

念願の富士登頂が成った父であったが、下りの七合目付近にて自宅に救助要請の連絡をし、母の働きによりバスの待ち合わせ場所である五合目まで馬で下山したらしいが、その後の連絡はなく、バスに乗ったのかどうか、怪我(腰と膝)の具合はどうかなのか、さっぱりわからないまま夜となる。

8月3日(月)午後7時30分
まあ、連絡はないから無事にバスに乗って、帰ってきているのだろうと思われたが、腰と膝を痛めたのであれば、身動きがままならぬ筈で、旅行そのものよりも二番目に好きな買い物が出来ないなんて、ちょっと可哀想だねなどと母(ちなみに一番目に好きなのは写真撮影)。それに、下山後の風呂にも入れないだろうし、汗まみれのどろどろ状態で、痛む腰を抱えて長時間バスもきつそうだしと、心配もする。
旅行のちらしによれば、帰りのバスが近所のスーパーに到着する予定時間であるが、たぶん遅れるだろうと予想。無論、11時が五合目集合時間であるのに、10時半に七合目から救助要請をしてきた父のせいであろう。馬で五合目まで降りるのにかかる時間はどの程度かわからないが、父が集合に遅れた時間が、そのまま帰宅時間の遅れに間違いはないだろうと、恐縮する母と私。

午後8時30分
1時間は遅れるだろうと覚悟していたが、やはり帰ってくる気配はない。ツアーを企画したのは家族経営の小さな会社で、営業時間を過ぎると留守電になってしまい、状況を知るすべはない。唯一、救助要請時に教えてもらっていたガイドの携帯番号にかけても繋がらず。
何より、父のことだから、携帯電話で連絡してくるとは限らないし、そもそも既にバッテリーが切れているかもしれないし、しかしその場合、痛む腰と膝でバスから降りたあと、重い荷物を抱えてどうやって帰ってくるんだろうと、母は心配のあまり、時間もわからないのに、停留場所を見てくるなどと言い出すので、バッテリーが切れていたとしても、添乗員に頼んで電話するぐらいの知恵はあるだろうと言っても聞かず、気付けば出かけている始末。しばらくして帰ってきたが、当然父の姿は無かったとのこと。
取り敢えず、父の携帯電話にかけてみると、一応呼び出し音が鳴るのでバッテリーは生きているらしい。しかし、鳴らせどもやっぱり出ないので、切る。またしても出方がわからないか、寝てしまっているか、父のことだから、携帯を入れた鞄をトランクボックス側に入れてしまっているかであろうと、母をやきもきさせる。

午後10時30分
予定時間を3時間オーバーするも、連絡なし。一応、車で停留場所を見に行くが、父の姿は無い。
再びツアー会社に電話し、留守電に取り敢えず連絡をもらえないか吹き込んでおこうと思い、メッセージを最後まで聞いたところ、最後に緊急連絡先が吹き込まれていたので、その番号に掛けてみる。
電話に出た女性がまず「あら? 連絡が行ってないんですか?」と問うので、「そちら(ツアー会社)からですか? うちにはないですが」と答えると「いえ、行かれているご家族からの連絡ですが」と返され、グウの音も出ない私。
さらに、女性の話からいくつかのことが判明。
そもそも帰宅予定時間の7時30分はチラシを作った時の古い情報で、実際の予定時間は9時であること。現地の出発が予定よりも2時間遅れていること。
なんだ、予定は9時だったのか、と思ったが、慰めにはならず、内心おそるおそる、表面上は何気なく、遅れている原因を訊いてみたところ、「それが、降りてくるのが遅くなった方がおりまして」との返事。
う。
やっぱりか。おやじ、やっちまったな。2時間遅れか。他のツアー客の顰蹙を買っているだろうな。おまけに、汗まみれで、腰が痛くて身動きも取れず、休憩に入ってもバスから降りられず、糖尿病持ちだというのに食事も摂れないし、もしかしたらトイレにも行けていないかも。これは、えらい姿で帰ってくる悪寒。
と、様々に不吉な予感が頭の中をぐるぐる回っている中、ツアー会社の女性が確認してくれたところによると、あと1時間から2時間ほどかかるという。
ということは、結局2時間30分から3時間30分の遅れになる。おやじ、いったいどんだけ遅れたんだ。
取り敢えず、待ち続けて心配で憔悴していた母は、いつ頃帰ってくるかわかって安堵したらしいが、父が迷惑掛けまくりの状況を想像し、顔を引きつらせていた。

午後11時00分
取り敢えず帰ってくる時間のおおよそがわかったので、風呂に入り、そして見逃すところだった、『ガンダム』1日1話配信を見る。この日は第15話「ククルス・ドアンの島」で、見ても見なくても、まあいいか的な回であった。

午後11時30分
携帯で連絡があるかどうかわからないので、取り敢えず停留所近くのコンビニでスタンバっておくことにした。
待っている間、ボロボロであろう父の状態への心配と、周囲に迷惑掛けまくりの状況への申し訳ないような、実に日本人的な気持ちが入り交じり、陰気な気持ちになる。

8月4日(火)午前0時10分
車で待つこと40分、自宅から連絡が入り、父からあと10分ほどでつくから迎えにきて欲しいとの電話があったという。実に、富士山七合目で遭難してから14時間ぶりに連絡があった時には、日付が変わっていたのであった。

午前0時20分
観光バスが幹線道路を通り過ぎるのを見て、追いかけ、停車したところを後で待機。
この停留場所から乗ったのは父一人であったので、降りてくるのは当然父である。
どんな様子かと固唾を飲んで見守る中、ぎこちないものの、一人で歩けるようで、夜目に見ても想像したよりも元気でひとまずは安心。
「待ってたのか」と父。ああ、待っていたとも。
ていうか、近づいてみると妙にこざっぱりしているし、荷物も若干無理しているらしいが自分で持てるようである。あれ? バスの運転手も添乗員も特に苛立った風もなく、私にも愛想良く挨拶する。
というか、この行きよりも多い荷物の量は何?

以下、父の証言
「え? 風呂? 入ったよ。買い物? したした。いっぱい買った。いやいや、腰も膝も大したことはないし。ゆっくりなら歩ける。え? 集合時間に遅れたかって? うん、遅れた。それが、五合目に10時集合なんだけど(11時集合は母の勘違いだった)、10時半になってもまだ七合目で、しかも腰は痛いし、膝も痛いし、だけど、ゆっくりだったら降りられたんだよ。でももう集合時間過ぎてるし。こりゃ間に合わないと思って(既に間に合ってない)、慌てて電話したわけ。だって周りに誰もいないから、遅れるって連絡できないし。で、たまたまその時、馬が来て(別の人の救助要請でだ)、乗せてもらったんだ。いやあ、乗馬が上手いですね、何かやっていたんですかって言われたよ。馬に乗ったのは、鳥取砂丘で撮った記念写真以来だっての。わはは。で、五合目についたのが11時半頃かな。だから1時間半の遅れ。でもさ、降りたら誰もいないの。ガイドに訊いたら、ほとんどの人が降りてきてないって。結局、皆バラバラで降りてきて、一番遅れた人がなんと集合時間の4時間半後。わしは早かったほう。だからもう、ずっと待たされて、その後行く予定の観光地が一つ無くなったし。え? バスの中で寝てたのかって、それが、いつもなら寝てるんだけど、珍しくバスの中で流している映画を見入っちゃってさ。ほら、『おくりびと』、あれやってて。いやあ、あれはいい映画だな。お前も、見とけ。携帯鳴らした? いや、知らん。まあ、とにかく、行きは酷い天気だったけど、帰りは、ここ最近では無かったってガイドの人が言うほど良い天気で、最高だった!」
…………。
父は富士登山ツアーを満喫したようで、まあ、その、なによりである。

父、登る 2 2009年08月08日(土)

大雨洪水警報が出ている中、富士登山ツアーに参加した父(75歳)は、登山中止と思いきや、土砂降りの中、五合目を出発したらしく、その日のうちにバスで戻ってきていないということは、どうやら八合目までは登ったと推測されるものの、なにぶんにも携帯電話が当たり前の社会に生きていない男は、家族の心配をよそに、ちっとも連絡を寄越さないまま、そして夜が明けた。

8月3日(月)早朝
母が言うには、5時前に「ものすごい景色だ! 快晴だよ、すごい!」と興奮気味に父からの連絡が、どうやら頂上からあったもよう。人をさんざん心配させておいて、もっと早く連絡を寄越せと憤慨する母。
その10分ほど後に「デジカメが動かない。携帯電話で写真撮れる? どうやって撮るの?」という父からの連絡があり、やっぱりデジカメが壊れたもよう。だから新しいカメラを買えと言ったのにと呆れる母。
何はともあれ、無事、頂上にたどり着いたようだし、天気は回復したようだし、もう大丈夫だろうと、仕事へ出かける。

8月3日(月)昼
念のため、無事下山できたか確認しておくため自宅に電話を入れようと携帯電話を見てみると、母からの着信が複数あり、不吉な思いに駆られながら連絡してみると、「お父さんが、七合目で動けなくなって救助を求めてるの! 周りに誰もいないって!」と母。
おいおいおいと思いつつ、事情を聞くと、下山途中で腰と膝が痛くなり、ガイドはどんどん先に行くし、気がつけば周りには誰もいなくなってしまい、歩けないし、助けは呼べないしで、自宅に電話をしてきたもよう。
慌てた母はツアー会社に連絡し、ツアー会社からガイドの携帯電話を教えてもらい、連絡して助けを求めたところ、ガイドは「僕はもう五合目まで降りているんです。これからまた七合目まで行けと言うんですか!」と怒鳴り、電話を切ってしまい、驚いた母は父に連絡をしてみるが、鳴らせど鳴らせど父がちっとも電話に出ないのは、無理矢理もたされた携帯電話のかけ方はなんとなく習得していたものの、鳴っている電話の出方を知らないからであった。だからあれほど、電話の出かたも教えておけと。
しばらくして、その電話に出たのは知らない男の声で、驚く母に、男は「これから馬に乗せますから」などと言い、母を混乱させたのだった。
あとから聞いたところによれば、電話の出方がわからない父は、救助に来た山の案内人に携帯電話を渡して出てもらったのであるが、山の案内人とは、富士山で歩けなくなった人を馬に乗せて運んでくれる人であった。
さらにあとから聞いたところによれば、むろん無料などではなく、七合目から五合目までの運賃は1万2千円であった。
またさらにあとから聞いたところによれば、その馬牽きの人は、救助要請を受けてやってきたのだが、実はその要請は別の人からのもので、たまたま先に見つけた父を間違えて拾ってしまったのであった。ちなみに、すぐに間違いに気付いたが、馬小屋が近くにあったので、すぐに別の案内人が本来の救助要請に応じられたであった。
これらの「あとから聞いたところによれば」は実際、あとから聞いているので、母は混乱したまま、とにかくすぐに痛み止めの薬を飲むように父に指示したが、当然お約束のように、父は薬の入った袋をバスに置いて行っているのであった。だからあれほど薬を持っていけと言ったのに、何の役にも立ちゃしないと、憤慨する母。
ともかく、頂上で写真も撮っていることだし、そろそろ携帯のバッテリーがやばいということで、電話をいったん切った。
そしてここからまた一切の連絡が途絶えてしまうことになるのだった。

父、登る 1 2009年08月07日(金)

数年前、キャンプ中に増水した河で流され多数の死者が出たほどの集中豪雨時に富士登山ツアーに出かけ、夜行バスで五合目まで行ったものの、登山が出来ないまま再びバスで帰ってき、結局富士山五合目までの行って帰ってツアーになってしまったリベンジに、今夏、再び富士登山を予定した父(75歳)であった。

7月26日(日)
母に普通のレインコートではなく、母の持っている山用のごついのを持っていけと言われるが(二人の体格はほぼ同じ)、「女ものだからヤダ」などとごねるも、押し切られる。

7月27日(月)
調子の悪いデジカメを買い換えるの換えないので悩んだ末、買わず。

7月28日(火)
母に携帯電話を持っていけと言われ、「そんなものいらない(使い方わからないし)」と言い張るが、押し切られる。

7月29日(水)
非常食としてバータイプのスナックを購入するも、カロリーゼロ食品で、意味ないじゃんと母と私に突っ込まれる。

7月30日(木)
母に今年の富士山は寒いらしいから山用のごついレインコートだけでなく、フリース地のインナーも持っていけと言われ、「荷物が多いからヤダ」などとごねるも、押し切られる。
その頃、全国的に大荒れの天気となる。

7月31日(金)
母に何かあった時の痛み止めを持っていけと言われ、「そんなものはいらない」と言い張ったものの、小袋に入れて荷物の中に押し込まれる。
この日も、全国的に大荒れの天気となり、地元では土砂災害なども起きる。

8月1日(土)
朝から雨風強く。父は「まあ、このあたりで荒れても富士山はずっと向こうだから」と言うものの、全国的に大荒れの天気が続き、当然東海地区にも大雨警報が出ている。

8月1日(土)夜
夜になって小雨になった頃、大荷物の父を夜行バスの停留場所まで送っていく。
その夜、雨レーダーを監視していたが、父が動くにつれ、西日本を大荒れにした雨雲が一緒に移動していく。
「これは、また五合目からUターンだな」と母と予想する。

8月2日(日)
富士山のライブカメラの映像は視界ゼロ。ネットの情報では、富士山は土砂降りの雨で、登山を諦める人もいる模様。七合目では雹が降っている。
しかし、父からの電話で「これから登る」との連絡あり。
この雨の中、75歳のじじいが登るのはきついのではないかと、母と心配する。
夜になっても連絡はないまま。

8月2日(日)深夜
葬式と法事でしか会わない従兄弟二人がやってきて、ベッドで眠っているところを起こされ、「伯父さんが山の上で心肺停止状態で見つかった」などと言う不吉な夢を見て、目が覚める。

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