後悔日誌
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2001年08月29日(水) サバ食べ放題


伊東の沖にいる。
湾ではないので仮泊するにはちょっと深い。
さっきまで100m以上あった水深が、80m、60mと変わり40mになった所で錨を入れた。
陸からいくらも離れていないのにこの深さ。
こりゃ、釣りが楽しみだ。

昼間は一生懸命に整備作業に打ちこむ。
あと1週間もするとドックに入る。その準備もあって毎日忙しい。
それでも空いた時間を見つけると竿を振ってみた。

秋を目前として脂たっぷりのサバとかイナダなんかがあがったりする。
塩焼きや味噌煮込み、シメサバなんかも作っていた。
ギリギリなシメサバ。まだ中身は真っ赤だったりする。
怖いから食べない。(笑)

…本当は美味しいそうだ。
塩焼きや煮こみはうまいから間違いないだろう。

陸には小綺麗なショッピングモールや言わずと知れたハトヤ(ホテル)が見える。
ぼんやりしていたら、うっすら日が暮れてきた。
…いけない、仕事しなきゃ!



2001年08月26日(日) スターイカ


八丈島沖で流していた。
甲板上の塗装の為、ずいぶん遠くまで来たもんだ。
当然、携帯電話も届かない。
突然の行動に彼女さんはお怒りだったらしい。(怖)

凪の海面にざわめく箇所があった。
なんだろう、魚群かな?
なんて思ってたら強いシャワー(通り雨)がやってきた。
慌ててエンジン始動。青空に向かって走り出した。

その頃、イカの話をした。
太平洋にいるスターイカという奴はかなり巨大で、体長が足も入れると2m位になるそうだ。
胸には星マークが光っていて凄いらしい。
それでスルメを作ったらさぞかし豪快だなんて言っていた。

日が暮れて、半分に欠けた月が空高くなった頃、イカが釣れ始めた。
チビちゃんだけど(20cm位かな)、胸には立派な星のマーク。
なるほど、これがスターイカなのか。
感心した。

さばいてみると大変。身が固く食感が悪い。
途方にくれた頃、先輩がこのイカは3枚におろすと教えてくれた。
3枚?魚みたいに?
かなり不思議な気分だった。
魚は3枚におろして真ん中の骨を捨てるけど、イカは真ん中の身を食べて外側の固い所を捨てる。

さて、3枚におろした身の味は…軟らかくて甘味があって予想以上だった。
でも、やっぱりスルメイカとかヤリイカの方が美味しいな。
まあいーか。(寒)



2001年08月24日(金) 大房岬


ボートを出して船形漁港に行った。
徒歩で30分、目指すは館山の北側にある大房岬だ。

この岬、小高い山のようになっているので展望台からの海の眺めがすこぶる良い。
それから海もとてもきれい。これが東京湾か、なんて思えるほど澄んでいる。

頂上?で弁当を食べた後は散策開始。
太平洋戦争時代は要塞として使っていた場所もありその跡地なんかはちょっと気味悪い。
肝試しにはもってこいの場所かも。
さて、キャンプ場を抜けて目玉の洞窟へ向かう。
崖の下へと続く階段を下りぽっかりとあいた入口から中を覗く。
中はガスで真っ白に霧がかかっている。

洞窟入口。
誰が備えたか祭壇がある。
何の為だろう。洞窟の為?それとも供養の為?
入っていくのを躊躇してしまう。

この洞窟、奥は深いそうだがまだ確かめられていない。
心細い懐中電灯を頼りに穴の中へ降りていく。
外は真夏日なのに中はまるで冷房でも効いているよう。
まっすぐ8m進み左へ曲がる。
曲がってから8m、ここまでは何度か来た事があった。
いつも、ここまでだと思ってた。

一人が言った。
あの隅に穴があります。

崩れた岩の上を這いあがり穴から奥を覗く。
少し急な下りの後に右に折れているのがわかった。
これは、やばい。
装備が不充分である。
中はどこまで続くのだろう…。
そんな事を考えながら外へと戻った。

墓荒らしじゃないけど、そんな気分だ。
呪いなんかがあったら怖いもんね。
人の手の入っていない世界はそのままにしといた方がいいだろう。

気分を変えて海へ行った。
岩場は楽しい。
しばらく泳ぎながら両手一杯に貝を取った。
眼鏡と足ヒレがあればもっと遠くに出れるのにな。
手探りの貝探しはなかなか見つからない。

!。
痛い。背中に激痛。
クラゲの一撃だ。

…洞窟の祟りかも。
そんなことないか。(笑)



2001年08月22日(水) 凪


台風が通過し凪の海面と満天の星空をしばらく眺めていた。
この数日間、台風のことばかり考えていたし、それなりに覚悟もしていた。
が、思ったより被害は少なくほっとした。

この台風、本当に海岸好きなんだろうね。
進路の記録を見るときれいにトレースしてるのがわかる。

風がなくなったことをいい事に周りの船が次々に抜錨している。
夜なのに大変そうだ。

釣りあがったばかりのイカをつまみながら祝杯をあげた。
「松の井 特別純米」、新潟の酒らしくほんのり辛いがさらっとした飲み口。
深酒しないうちに切り上げて床についた。

静かな夜だ。



2001年08月21日(火) 鰹


ひょっこり鰹が釣れた。
3kgはある大きいやつだ。

外海の荒波に押されて湾内に入ってきたんだろう。
台風の前にいっぱい食べなきゃ、なんて思ってたに違いない。
ルアーを食べたのが運の尽き…。

夜には刺身になっていた。
鰹の刺身っておいしい。



2001年08月20日(月) 館山避泊


予定を大幅に遅れて館山に避泊した。
台風はもう九州にさしかかろうとしている。

途中、すれ違った船を思い出す。
台風に向かって突っ込んでいく…会社の方針には逆らえないか。
今後の安航を願うばかりだ。

さて、関東の避泊地として有名なのがここ館山沖。
三方を陸で囲まれ、さらに底質が砂なので錨の効きも良い。水深もちょうどいい。既に周りにはたくさんの船が錨泊している。
ここで台風を待ち構えているのだ。

テレビをつけると各地の状況が写っていた。
種子島はもう荒れ放題。このまま日本を縦断するようなので注意が必要だろう。
夏の風物詩、だけども迷惑者。
被害が少ないことを祈りつつ、そろそろ休もう。
やっぱり朝4時からの当番はつらい。眠くてたまらない。



2001年08月18日(土) 東へ


台風が勢力を増している。
暴風域が大きいので更に東へ逃げることになった。
昼過ぎから暖機、そして抜錨。
一昼夜走って館山に仮泊の予定。

忙しくなってきた。
台風さん、西の方に行って下さいな。



2001年08月17日(金) 和歌浦


串本に行くはずが和歌浦(わかのうら)にいる。
台風が北上してきているので湾内に避泊したのだ。
周囲を山に囲まれてうねりも少なく良い泊地だ。
大きな橋と工業地帯の煙突が見えるが、他にはあまり目立つ建物は見当たらない。

しばらく泊まるので大々的に整備作業を始めた。
まずは船内に海水を供給している海水サービスポンプの整備だ。
このモーター(440V18.5kw)はとても重い。
250kg位あるので移動するのも大変だ。
バラバラにして掃除して、磨耗してないか計測をする。
最後にベアリングを新品にしてまた組立てる。
エンジンルームの中は湿気も多いし気温も50度位あるので暑くて疲れる。
午前の作業を終えて着替える。午後も作業して着替える。
シャツが何枚あっても足りない気分。

夕方は疲れ果ててまどろんだ。
窓の外の夕焼けが綺麗だった。



2001年08月15日(水) 金縛り


火の山に登った帰り道、赤間神宮というところで平家一族の墓を見た。
その影響か、もしくは終戦記念日の影響か…。

寝ていたら恐怖感で目が覚めた。
なんだか得体の知らないものがやってきて存在を消されちゃいそうな感じだ。
小学校高学年の頃何度かそんな経験をしたことがあるが久し振りだ。
頭の中では色んなことが思い浮かぶ。
でも、体は動かない。もちろん声も出ない。

なんだか後味のわるい夜だ。
朝が来てほっとした。



2001年08月14日(火) 火の山


門司から関門トンネルを抜け、目の前の山に登る。
ロープウェーも車道もあるので山という気がしないが整備された道を登っていった。
今回の目的は頂上でお酒を飲むこと。だから別に急ぐ気もない。
海峡を見ながら真昼間から一杯やりたいだけ。

でも、刺激が足りないのでお酒を他の人に託し道じゃないとこを登ることにした。
それじゃ、上でまた会おう。
そういって別れたけど5分もしたら嫌になった。
急斜面。足場はふかふか、よく滑る。茂みの凄い所は行方不明になれそうな気がした。
蜘蛛の巣を何度もひっかけながら這いあがる。
生えてる木も枯れてる物が多く、うかつに掴むとポキッと折れる。
後悔の連続。
やっと辿り着いたのがロープウェーの山頂駅。
すでに泥だらけで疲れた表情になっていた。

さて、飲み会だ。
昼御飯を食べる前に酒をあおる。
景色は良かった。関門海峡が眼下に広がり綺麗だ。

潮の流れに逆らう船が一生懸命走っている。
海峡の潮は速い。川の流れのようにも見える。
流れは8ノットにも達する。(1ノットは時速1852m)
ところで船のスピードはだいたい15ノット位だ。
自衛艦とかは30ノット位出るし、コンテナ船なんかも20ノット以上出るがその逆もある。
例えばタンカーとか、曳き船なんかやたらに遅い。
10ノットしか出ない船が8ノットの流れに立ち向かっても前へ進めない。
ホバリングの様にその場にいるのが精一杯。
だから潮待ちすることもある。

一升瓶が寝転がってるのをみたら眠くなってきた。
皆、大の字になって寝た。こんなにゆっくりするのも久し振りだ。
隣にいた猫もいつのまにか寝ていた。

起きたら潮流の向きが変わっていた。もう夕方だ。
片づけを済まし、ロープウェーと関門汽船を使って門司に帰った。

駅前のうどん屋で、おでんとうどんを食べてたらまた喉が乾いてきた。
レトロな街並みの中でまた一杯やった。
盆のせいか少し人が多い気がする。

明日は出港。
関門海峡を通峡し、太平洋に抜ける。
目的地は和歌山県の串本だ。



2001年08月13日(月) 地蛸


タコを釣る、なんていうと不思議な感じもするがタコは釣れる。
ここ、門司の岸壁では魚釣りよりもむしろタコ釣りが面白い。

釣り方は簡単。
テンヤと呼ぶおもりと針が一緒になった仕掛けに魚とか蟹をつけて落とす。
落としてゆっくり岸壁沿いに動かしてやると引っ掛かったような感触が来る。
これがタコの乗った(かかった)合図。
あとは糸を緩めないように引き上げる。
立派なタコちゃんとご対面だ。

さて、2時間で4匹を捕まえることが出来た。
タコはそれからが大変だ。頭をひっくり返し肝を取ってそれから塩もみでぬめりを落とす。
ぬめりが取れたら少しだけお茶や酢を入れた湯でボイル。
あとはぶつ切りでも刺身でも何でも良し。
関門海峡の潮にもまれて育ったタコだけに味は抜群にいい。
噛めば噛むほど味が出る。本当に美味しい。

夜は花火大会だった。海峡花火大会といって下関と門司の両岸で打ち上げる。
門司側から観覧したがなんか色んな所で花火があがってて忙しかった。
この前見た柏崎の花火が良かったからかもしれないが盛り上がりに欠けた気がする。

タコはびっくりして逃げ出しちゃっただろう。
明日は不漁だな。



2001年08月12日(日) 唐戸市場


門司港から関門汽船(連絡船)で5分、対岸の下関に着く。
下関側は門司に比べると賑やかな街だ。
中でも唐戸市場は活きがいい。

数年前は年季の入った建物だったがすっかりリニューアルし、今ではすっかり洒落た市場だ。
ちょこっと歩くとすぐ「お兄さん買ってきなよ」の声がかかる。
さすが、下関だけあって河豚(ふく)や鯨なんかもたくさん。
それから青物(イワシ、サバ、アジ…)なんかも充実してた。

お目当てはフグとイワシだ。順調に調達。
途中、サザエが気になった。が、値引きのお願いしたら断られてしまい断念。
ぐるぐる回りながら更に真ダコをGET!
今、真ダコが旬のようでお手頃価格だった。

最後、もう一回サザエを見に行った。
店の親父がまけらんないって言うんで仕方ないな、とその値段で購入した。
サザエを受け取る時、おばちゃんがこっそりお釣りをくれた。
おや?と思って手の中をみるとお釣りがいっぱいあった。
…こっそり値引きしてくれたんだ!
嬉しいワンシーン。おばちゃんにありがとうと笑ってその場を立ち去った。

帰りは大慌て。魚が痛んじゃ大変だ。
それにしても、毎日なんでこんなに忙しいんだ?



2001年08月11日(土) 追悼


門司港に付き合いの長い飲み屋がある。
明るいママ(といってもおばあちゃんだけど)のいる店で雰囲気が良い。
お客さんも常連ばっかりだ。

初めて行ったのは学生の頃だからもう5,6年前になるのかもしれない。
大騒ぎして散々飲んで、でもお金はほとんど払わなかった気がする。
700円とか、1000円とか。
随分助けてもらったな…。

そんな思いからお礼の手紙を書いて毎年の年賀状の交換が始まった。
また、着いたら行きますね。
年に1回、門司で飲めることが楽しみだった。

やがて就職してから1回目の門司港がやってきた。
一人前になったねと言われ、初めてちゃんとお金を払った。
あの時、なんだか自分が成長したような気がしたな…。
思い出の一杯詰まった飲み屋さんだ。

今回は2年ぶりになる。
今年は年賀状がなくどうしたのかな、なんて軽い気持ちでドアを開けた。

…カウンターの中にはママはいなかった。
まさかな、なんて思いながら腰を降ろした。
今は常連さんの一人が店を引継いで切り盛りしていた。
ママは6月にガンで亡くなったそうだ。

ショックだった。
人間、誰しもいつかは逝くものだけど。
せめてもう一度でも顔を見たかったな。
なんだか門司港の灯りがひとつ消えた気がする。

新しいマスターから色んな出来事を聞き、常連のお客さんは健在と聞いて少し安心した。
看板が残っていて、今なおお客さんが集まる店。
あの元気なおばあちゃんのお陰だろう。

…今ごろ空の上で酒を飲んでるに違いない。
ママ、今までありがとう。そしてお疲れ様。
心からご冥福をお祈りします。



2001年08月10日(金) 焼き鳥


門司へ入港した。
懐かしい風景の中を歩きながら焼き鳥屋へ向かった。
松ちゃん、カウンター席だけのアットホームな店だ。

暑い夜にはビールが似合う。
目の前の皿には焼きあがったばかりの地鶏、砂ズリ、ミノ、ハツ…。
まさに至福の時間。

ところで”玉ヒモ”って何だろう。
不思議に思ってどんなのか聞いてみたら、聞いただけなのに焼き始めた。
これ、玉子が生まれる前の段階の玉子だそうだ。
まだお腹の中に入ってる玉子?でいいのかな。見た目はゆで玉子の黄身だけ。
味は…玉子だな。(笑)

先輩といい感じに酔ってたら隣のお客さんとエンジンの話題で盛りあがった。
聞けば陸上自衛隊の整備士の方。色々勉強になった。
しかし、戦車のエンジンって2サイクルだったのか。
知らなかったなー。

朝起きたら財布がなくて青ざめた。
で、探したら机の引出しの奥の方に入ってた。
いつ入れたんだろう。ちょっと記憶喪失。



2001年08月09日(木) 六連


直江津から二昼夜かけて関門海峡入口の六連(むつれ)にやってきた。
山の向こうに関門橋の橋脚が見え、周りには仮泊した船が並ぶ。

食事の時、隣に泊まってる白い船の話になった。
「ありゃ、下水の練習船だな。」
ゲスイ…下関水産高校のことである。

ちと、可哀想なネーミングだなぁと思った。



2001年08月07日(火) 燕温泉


妙高山登山口に、燕温泉という温泉街がある。
バスから降りて空を見上げるとたくさんの燕が飛んでいた。
あんまりの数に驚いた。巣立ちのシーズンなんだろうか。
旅館の軒先に目をやると数え切れないくらいの巣があった。
ずっと昔から燕がやってきているのだろう。

さて、この燕温泉。
賑わうのは実は夏でなくスキーの盛んな冬場。
日本海沿いの高い山にあるおかげで積雪量はトップレベル。
5mとか7mとか積もるらしい。

そんな温泉に小さな露天風呂が二つあるので紹介しよう。
どちらも硫黄泉。湯の花がたくさん付いた湯船は淵が白くなっている。
お湯は少し白濁した色。少し青みがかっているような気もする。
打ち身や切り傷に効くそうで、山登りとかスキーにはもってこいでしょう。

まず川原の湯。
登山口から惣滝の方へ少し歩いた所にある秘湯。
温度はぬるいけど、川のせせらぎを聞きながら長い時間浸かれる。
あまりのオープンさに女性はさすがに入ってこない。

そしてもうひとつは野天の湯。
登山口からきつい勾配の坂をあがったところにある秘湯。
ここは温度も高く、充分に暖まれる。
私のお勧めは当然こちら。ぬるい風呂じゃ入った気がしないからね。

ところでこのお湯。
男女セパレートとはいえ仕切はちょこっと岩をのせてあるだけ。
脱衣所で体を拭いていた時、ちらっと見てみたら若い女の子っぽい背中が見えた。
少し茶色混じりのショートカットになで肩…。
あらら、いいもの見ちゃったなー。

充分にリラックスして外へ出た。
雪の降る冬じゃ寒いから、今しか入れない旬な温泉なのかもしれない。

ちょこっとだけ燕の気分になった。
来年も来たいナァ…、なんちゃって。



2001年08月06日(月) 妙高山


手元に置いてあるペットボトルを見て妙高登山を思い出す。
山頂で空にしたペットボトルは今、ぺちゃんこ。
円筒が三角柱になっちゃってる。
気圧の違いを感じる。

標高2445.9mの妙高山は見るからに険しく男性的な山だ。
頂上付近には岩肌の急斜面で、登山口(標高1200m付近)からも見上げる高さだ。

新品の靴を履いて走って元気よく登り始めた。

が、5分後へたって歩いていくことにした。(意志が弱いね…。)

この山、なかなか楽しい。
まず谷を横目で見ながらの登り。結構豪快な眺め。(落ちたら死んじゃうな、なんてね。)
続いて温泉や清水の沸いているゾーン。
その後は枯れた沢みたいな所を登る。
小さな沢を横切る所もあるんだけど仕方なしに靴を濡らして通過したりとイベントだらけ。
登りは確かにきついけど色々と変化があって飽きない。
湿地をみて和やかな気分になった後は鎖場。
急斜面を一気に登る。
最後は山登りとロッククライミングの中間みたいになってきて這いあがって山頂。
実に2時間15分でした。

山頂は寒いくらい。やっぱり高い山なんだな、と実感。
少し雲が出たが妙高の外輪や白馬は綺麗に見えた。もっと早ければ富士山も見えたのこと、ちょっと残念。

さて、下りが大変。
これまた人の入らないルートで帰ったんだが草だらけ。
おまけに谷の中を歩くコースで足元はぐちゃぐちゃ。
一回滑って靴は泥んこ。ちょっとショック。

でも、良い所もあった。尾瀬みたいな板を渡した所を歩いていく湿地帯、綺麗。
沢の中を歩いていく所では水芭蕉みたいのがいっぱい生えていた、これは立派。
黄金清水という水場も良い。
手が凍っちゃうほど冷たい水が流れていてすくって飲んだらとても美味しかった。

失敗したのはコースアウト。
道なりに行ったらだんだん険しくなってきて人の通る道じゃなくなった。
これはおかしいと思ってすぐに戻り、ルートに戻ったけどちょっと危なかったかな。

なんだかんだで妙高山を一周する形で登山口へ降りていった。

降りてから、途中で知り合った人達と生ビールで乾杯した。
丸茄子の漬物がたまらなく美味しい。
楽しい一時だった。

今回の登山で感じたのは水が豊富な山だ、ということ。
至る所で水が流れていている。立派な滝もたくさん見た。
豪雪地帯だからね、冬は大変だろうなとも思うけど。
やっぱり名の高い山、思い出に残る山だ。

満足。




2001年08月05日(日) トレイルランニング


ちょこっと安いので靴を買った。
最近のお気に入りはランニングシューズ。
軽くて、通気性が良くて、とても楽チン。
ただ、欠点は弱いこと。
ソール(靴底)がすぐ駄目になっちゃうんだよな…。

ということで、今回はトレイルランニング仕様。
山を走るだけあって通気性良し、靴底硬めと言う事なし。
ちょっと走ってみたけどまあまあかな。
やっぱり個人的にアシックスは好きだね。

さあ、明日は試運転。
天気が良ければ妙高山にTRYだ!



2001年08月04日(土) 郊外


直江津から南へ4kmのところに大型店舗の立ち並ぶ通りがある。
たまたま先輩のゴルフの練習にお供しただけだがその街並みに外国の風景を重ねた。
ホノルルのショッピングセンターみたい。

ふと目をやるとショープラザってのがあった。
しかもMEN WOMENなんて書いてある。
一瞬、ストリップショーの店かと思ってここは外国なんだと錯覚した。
が、よくみりゃシュープラザ。つまり靴屋だったのね。
早とちり、早とちり。

(…ちなみに言いだしっぺは先輩でした。)



2001年08月03日(金) ジャンボ


直江津に着き、ふらっと買い物に出かけた。
港から駅までは3km位か、上司のタクシーに便乗し郵便局へ向かう。
軍資金調達!目指すは宝くじ売り場。

タクシーは小さなタバコ屋に着く。
おばあちゃんが一人。店の中にはタバコ以外何もない。
「宝くじ売ってますかー?」
「ありますよー。」
良かった、これで1億円はゲットだな。
しかも聞けば昨年は3億円が出たとのこと。
これはもしかすると…。



2001年08月02日(木) 直江津沖


直江津沖へやってきた。
相変わらず海水温度は30度もある。
日本海って暑い!

陸に目をやると風力発電の風車がクルクル回っている。
1台だけだが、のんびりしてて優雅。

直江津には大型フェリーが入港しているので大きな港なんだろう。
防波堤も大きいし、街も大きそうだ。

ちょこっと期待。
入港が待ち遠しいな。



2001年08月01日(水) 漂流


波ひとつない海の上でエンジンを止め浮いている。
ドリフティング中。
日本語だったら漂流か…。

入港時間の調整の為とか、整備作業の為とか、たまに漂流するんです。

救命艇で漂流してる訳じゃないからね。
心配しなくて平気だよ。



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