後悔日誌
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2001年07月28日(土) 米山


柏崎の西に優雅な山容から越後富士とも呼ばれる霊峰、米山がある。
ちょっと行き当たりばったりではあるが挑戦した。

柏崎から電車に乗り4駅、米山駅に到着するが何も無い駅だ。
小さな海水浴場があり、民宿が数軒ある位か。
登山口までタクシーを使おうかと思ったが即、却下された。

仕方ないから走って登る。
暑くて汗が止まらない。飴をなめ、カロリーメイトをかじり、水を飲む。
もう走るのを止めようかと考えた頃、大平登山道に入った。
階段だらけ。

登っても登っても階段。
明けても暮れても階段。
辛い。

しかもなんだかゴソゴソと色んな音がする。
足の長い蜘蛛とか、バッタとか、行列を作った蟻。
しまいにゃ、蛙にトカゲに蛇まで出てきた。
次は何かとドキドキものだ。
怖い。

それでも登り始めて2時間ちょっとで頂上に立った。
あー充実。走っているとき車で追い越した人達にも追いついた。
元気だな、と感心されてちょっと得意げな気分。

下山は別のルートを使うことにした。
谷根口を降りると大きな魚市場に行けるからだ。
その話をちょこっと登山者にしたら不吉なことを言われた。
「あそこは人があんまり入らないから熊に注意しな!」
またまたー、びっくりさせないでくれよって顔をしたら続けて
「もし会ったら下へ逃げろ。上へ逃げると追いつかれるぞ。」
と、言われた。

嫌な事聞いちゃったな、もし出たら困るな。
ラジオのボリュームを上げて歩くが道は狭くなるばかり。
おまけに鎖場ありの急斜面。
ランニング用の我が靴は悲鳴の連続だった。

…、道の真ん中に動物の糞らしいものを発見。
しかもかなりでかい。
主がいたらまずいことになるぞ、どんどん不安になる。
おまけに疲れも溜まってきた。下りはシンドイ。

足が棒になった頃、ようやく麓に着いた。
あとは舗装道路だけ、と思ったけど結構遠い。
やっとこさ青海川駅に着いた。
やっぱりタクシーもいないローカル駅。

市場を探して愕然となった。
期待していた魚市場は崖の遥か上に見えた。
こりゃ、無理ですぜ旦那。
黙って電車に乗った。

こんなに疲れてしまったのも久し振りだ。
あ、サマージャンボ買わなくちゃ。
よれよれ足で柏崎のイトーヨーカドーに行くが店が閉まっていた。
ついてない、もう出港なのに…。

新潟の地酒を買って温泉に行った。
ソルトスパ柏崎。
塩湯でしっかり体をほぐして疲れを癒した。

…しばらく、山登りはいいや。



2001年07月26日(木) 打ち上げ花火


いつまでも、あの余韻が続いている。
視界に入らないくらいの光の束、大きな音…。
素晴らしい花火大会に行ってきた。

雰囲気がとにかく良い。
辺りが暗くなるとどこからともなく人が集まってきて、思い思いにシートを広げる。
砂浜は広いからスペースは充分。
恋人と語る人、無邪気に空を見上げる子供達、カメラを構える人達…。
皆、この日を待っていた人達ばっかりで実に楽しそうにしている。
私も砂浜に腰をおろしてビールを開けた。
天気は晴れ。風もなびく程度。絶好の花火日和だ。

ファンファーレと共に1発目の花火があがると大歓声が響いた。
協賛したスポンサーのアナウンスに続き、次々と趣向の凝った花火があがる。
豊かな畑を意識した緑の花火や、ハイビスカスをイメージした赤の花火など。
一時も目が離せない。
素晴らしい花火には溜息混じりの声のあと、大きな拍手があちこちから沸く。
この雰囲気、たまらない。柏崎の良さを肌で感じた。

なかでも目を引いたのはワイドスターマインという名の花火。
横一列に5色の花火があがった。

それから海上花火。
水面をすっ飛んでく玉が綺麗に半円を描いて花を咲かす。
とにかく表現しきれないほど見事。
花火は真上にあがるもの、なんて考えてた私の固定観念をあっという間に取っ払った。

力強い三尺玉。
一際高く打ちあがり、光に少し遅れて衝撃的な音を響かせた。
直径1m近い玉だけあって、さすがに立派。まさに男の花火だ。

魅せられてあっという間に1時間半が過ぎた。
フィナーレを飾るのは尺玉300連発。
最高の盛りあがりを見せて幕を閉じた。

もう言葉も出なかった。
柏崎海上大花火大会に感謝。ありがとう!



2001年07月24日(火) 柏崎沖


暑い。
海水温度が30度もある。
どうなってるんだろう、この海は。
世界で一番暑いといわれる紅海の海水温度でも31度くらいなのに
なんで日本海でこんなに…。

やっぱり原発の冷却水で暖まってるのかナァ



2001年07月22日(日) 酸ヶ湯温泉


八甲田の麓にある酸ヶ湯温泉に行った。
かなり年季の入った温泉で、その大きさから千人風呂なんて呼ばれている。
湯治のお客さんもかなりいるようだ。

今でこそ内湯?もついていて男女セパレートで入浴できるが、昔っからの大風呂は
脱衣所を出ると中は一緒になっている。
浴槽に一応境界線が引いてあって、あっちは女。こっちは男。みたいな感じだ。
硫黄の匂いもすごいけど、青っぽい色をした、不思議な色の温泉は初めて。
雰囲気は抜群に良い。

案内してくれた人は若いお姉さんがいっぱいで困っちゃうよ、なんて言ってたけど。
そんなことはない、世の中そんなに甘くは無い。

ふと目をやったらずいぶん腹がぶよんぶよんのおじさんが見えた。
よくみたらおばあちゃんの乳だった。
アイタタタタ…(>_<)。
のぼせて風呂を出た。

温泉の外には蕎麦屋があってざる蕎麦が美味しかった。
八甲田の水も冷たくて美味しかった。

山の天気は変わりやすい。
あんなに晴れてたのに外へ出たら雨。
あーあ、さっき八甲田山の写真撮っとけば良かったな−。
また、山登りしたい病の虫がうずいた。



2001年07月21日(土) スポーツ選手


スポーツのように酒を飲む先輩がいる。
短時間で、力の限り飲み尽くす。
そんな先輩と夜の青森を歩いた。

1軒目、飲み放題の居酒屋へ…。
あまりのピッチの早さに店側も呆れ、途中から大ジョッキでビールが出てきた。

2軒目、スナックへ…。
店の入り口で何軒か交渉、飲み放題にしてもらい店に入った。
私は眠くてたまらず舟を漕ぎそうになったが先輩は元気。
ほとんどボトルを空にしていた。

3軒目、ラーメン屋へ…。
ちょこっと評判の良いラーメン屋へ行ったが、味はそこそこ。
先輩の電池が切れた。

ラーメンなんかもう入ってないどんぶりに一生懸命箸を入れて食べ続けていた。
私はお金を払って、先輩を起こしたが起きない。
店の人が大きな声で、もう入ってないですよー。と言ったところで起きた。
帰るぞ、そういうと店を出た。実に身勝手。

そしてタクシーへ…。
もう熟睡(泥酔)された先輩は起きることは無かった。
運転手と二人で道路に引きずり出して仕方ないから引きずって持って帰った。

次の日、案の定記憶喪失になった先輩にいろんなお話をしてあげた。
厳しい指摘に、お前は先輩思いじゃない。なんて言われたけど。
だったら先輩らしくしてほしいもんだよね。

あ、先輩。
ラーメン代とタクシー代くださいな。



2001年07月20日(金) 海の日


7月20日は海の日だ。
正午に汽笛を吹鳴した。

その昔、明治天皇を乗せた明治丸(帆船)が青森港を7月16日に発った。
函館経由で7月20日に横浜へ着いたのだが、これが海の日のルーツである。

そのゆかりの地、青森で友人と一杯やった。
隣の船で機関士をやってる友人だ。同級生だけに懐かしい。
奥手な奴だったけど彼女もできて何よりだった。呆れるぐらい惚れこんじゃっていた。
女の子にとっては最高だろうな。

ふと自分の事を考える。
仕事が忙しい、これは嘘じゃない。
けど昔はもっと彼女のことばかり考えていたんだよな。
よく言われるけど確かに放っておきすぎかも。
ちと、反省だな。

道路に落っこちてた初心者マークを友人が拾って言った。
初心に返ってみなよ。

そうだね、努力しよう。



2001年07月19日(木) 疲労


寝不足のまま青森に入港した。

沖は良くない。
魚の釣れる沖は危険だ。
無理して釣りしちゃうし、つまみが釣れれば飲んじゃうし。

だから何故か、みんな疲れ顔。

陸は良くない。
飲み屋がいっぱいあるトコは特に危険だ。
無理して飲んじゃうし、お金は無くなっちゃうし。

財布はいつもペッタンコ。

今日は当番。
誰もいない船内でイカを調理した。
胴体は一夜干し、足は肝であえて塩辛にする。

あんまり単調なので眠くなる。
でも、これも大事な?仕事なんだよね…。



2001年07月18日(水) 漁労活動


51cmに47cmと、連日いいサイズの平目が釣れている。
ルアーで食ったり、生餌で食ったり。
青森湾の魚影の濃さには恐れ入る。

ルアーで狙ってみたところイカばかり釣れてくる。
手のひらサイズの美味しそうなやつで、沖漬けにしてみた。

平目は活き造りにしておろしポン酢で頂いた。
歯応えも良いし、文句無し。
お酒は久保田の紅寿。これもまたいける。

ほろ酔いで糸を垂らすとイカが入れ食いだった。
2時間で50匹ほど釣った。
風呂あがりだったのに墨をかぶってまた風呂へ。
なんだか忙しい。

青森の夏は涼しい。さすがに夜は冷える。
久し振りに防寒着を着た。



2001年07月17日(火) 青森湾


豪雨を通りぬけて青森湾に仮泊した。
水深23m、底質は砂。
絶好の平目釣りポイントである。
これから更に早起きしなくちゃいけないな。

ところで、青森のFM放送をセットしてたらNHKとFM青森しかなかった。
「え、2局だけなんですか?」、青森出身の先輩に聞くと「悪いかよ」の返事。
深入りするのはやめた。

それにしても天気予報では相変わらずの梅雨空で…という話だった。
また梅雨入りしちゃったよ。
なんか調子狂っちゃうな。



2001年07月16日(月) 蛾


一夜明けて、右手が痛みだしてきた。
ずきんと来る痛みに箸も落ちる。
こりゃ、まずいぞ。手首を見るとあざで真っ青。
元気なくなってしまった。

さて、しばらく世話になった宮古もお別れである。
錨を揚げると容赦無く船を霧が包んだ。

蛾。
宮古で困ったのは蛾だ。
なんだか知らないけど異常に飛んできて、デッキ上から船内まで蛾だらけになった。
ほとんどは小さいのだけど、大きいのもいてちょっと不気味。

我が部屋にも一匹迷い込んできた。
しばらく一緒に暮らしてみた(現在進行形)けど、こいつはなかなか礼儀が良い。
まず、動かない。流しの水が好きなようでずっとここにいる。
夜は大好きな電気の下で遊んでる。そもそも私は寝てるから何やってるか知らない。
とにかく、ハエとかゴキちゃんみたいに動きも早くないし、あんまり気にならないからいいや。
なんて思ってる。

場所を変えて空調機の吸入フィルタあたりには死ぬ程たくさん蛾がひっついてて怖いけどね。

そうそう起きた時、すごい筋肉痛。
まるで運動会の次の日かと思った。
でも、一日で痛くなるって事はまだ若いって事か?
いい感じ。



2001年07月15日(日) ソフトボール大会


ちょこっと宮古へ上陸してソフトボール大会をした。
球技にめっぽう弱い私としては頭の痛い限り。
といっても、出番がやってきてしまった。

1番バッターのピッチャー。
初球、ピッチャー返しで手首にボールが突き刺さった。痛い…。
それからは乱暴にバットを振って、あっちこっちに投げ続けた。
もう、自分のセンスの無さに参った。

良かったのは絶好のフライが飛んで来て仕留めた時。
なんともいえない充実感だ。
試合は打撃戦になって17対11で勝った。

グランド横のプールで遊ぶ子供達を眺めながらしばらく芝の上に寝転んだ。
こののんびり感、最高だな。



2001年07月14日(土) 運動


健康のため少し走ってみた。
頭の中にいろんな事が浮かんで消えた。
30分走り休んだ。
汗がどっと出て体が熱くなった。
深呼吸した時の空気の美味しさ。
一口飲んだ麦茶の味。
シャワーの爽快さ。

たまにはマラソンも良いよ。



2001年07月13日(金) ホヤ


新鮮なホヤを頂いた。
さばいてみたらなんだこりゃ、だった。

見るからにグロイ。
海のパイナップルなんて呼ばれるけど美化しすぎ、なんて思った。
ぶよぶよの体があって、根っこが生えてて岩とかにくっつく。
根っこの反対には口と肛門が並んでついてる。
さばいてみるとわかるけど、海草を食べて生活してる磯臭い奴だ。

まずは天と地(口と肛門のこと)を落とす。
ここで内圧を抜かないと体の中の水が吹き出すので注意。
続いて根っこを落とす。これだけで皮がツルンとむけてあのオレンジっぽい身が取れる。
あとは身を開いてクソ(食べた海草の未消化のもの。味が良くないらしい。)をとるだけ。
一口サイズに切って調理完了!
皆は美味しい、美味しいと食べていた。

一口だけ食べたら臭みがなくてさっぱりしていた。
でも、ホヤアレルギー?の私はそのあとからすぐに胃が痛くなって、大変だった。
とても酒を飲む気にもなれず、ずっともがいていた。
やっぱり、本当に体に合わないんだな。
もう食べるのはよそう。

ところで幻の日本酒。帝桜(ていおう)というのを飲んだ。
小売のルートがない、という話。
これはちょこっとラッキーだったかな。

とにかく、グルメな先輩達には頭が下がる。
今度はどんなものを食べるんだろう。
楽しみである。



2001年07月12日(木) 濃霧


深い霧に包まれたまま宮古(岩手県)へ仮泊。
視界は100m位か、すぐそこの景色が霞む。
マイナスイオンたっぷり、という感じ。

霧の時は大変な航海だ。
レーダーで周囲の状況を判断しながら進む。
スピードを殺し、見張りを厳重にして、事故が起こらないようにする。
ちょっとした距離を走るにも、物凄い時間がかかる。

今日は3マイル(約11km)走るのに1時間もかけた。
昼から夜までずっとスタンバイ部署。
事故無く辿り着いたが疲れてしまった。

宮古はさすがに涼しい。
太平洋は海水温度が30度もあったのに今は18度。
真夏から初夏に逆戻りだ。



2001年07月11日(水) さらば梅雨


とうとう関東も梅雨明けした。
ろくに雨が降らなかったんじゃないかな。
恵みの雨がないんじゃ農家はたまらないだろうな。

今日の目玉はメジャーリーグのオールスターでしょう。
海の上ながらBSでチェックしてた。
日本人の活躍が気持ち良い。
イチローや佐々木の勝負強さがうらやましいね。

さて、こちらの仕事の方は最悪。
ポンプの芯出しがろくに出来ず一日かかってまだ終わらない。
完敗に乾杯だ。(涙)



2001年07月10日(火) 凪


東京から遥か離れて太平洋の上にいた。
海は少し暗い青色。
良い天気で風も無ければ波も無い。
しばし平和なひととき。

お風呂の水を海水で沸かしてみた。
なんだかミネラルたっぷりで良さそう。
海水はタダなのでジャンジャン使う。
ちょっと贅沢気分を味わえた。

平和な一日。
何もなかった一日。



2001年07月09日(月) 海ほたる


東京湾の中に風変わりな構造物がある。
アクアラインの通風口なのだが、三角形のシルエットは目立つ。
今、ちょうどそこを通過した所。

これから三陸の宮古へ向かう。
途中、太平洋で寄り道をする。
その時の為に私はせっせと仕掛けを作っている。

鰹が釣れたらいいな。



2001年07月08日(日) 疲労


筋肉痛と日焼けのせいで体が痛い。
そして体を動かしたせいか食欲が旺盛。
せっかく脂肪が燃えてくれた!なんて思ってたのにあんまりだ。

恋がしたい。(だったっけ?)
日曜劇場。ドラマだけどちょこっとはまっちゃった。
牛丼屋の親父役の所ジョージもいいし。(どうでもいいけど、今所ジョージを変換したらこうなった→所所ーじ…お馬鹿な辞書だね、本当に。)
菅野美穂が可愛い。一目惚れしちゃって前向きに恋しちゃってる辺り、好きだな。
まだ2週目ということもあって、展開がさっぱりだけど。
なんともいえない雰囲気を醸し出していて次が楽しみ。

それにしても、菅野美穂。いいね。
今年の一押し女優さんです。



2001年07月07日(土) 入谷


結局、雨は降らなかったのである。
おかげで朝顔市を存分に楽しめた。

朝顔は朝に咲く。
だから本当は朝に買いに行くのが正統派。
でも、お祭りといえばやっぱり夜。
なんだか複雑なお祭りだ。

ぎっしりと人が集まる中、まずはお守りを買いに神社に行った。
かわいらしい花が付いている朝顔のお守り。
女の子が髪にちょこんと着けて歩いている。
なんとも可愛らしい。

で、それからが大変。
どんな朝顔を買おうかな。
色んな夜店を歩いてみるが、なかなか気に入らない。
何色も花をつける鉢もいいが、今回は変わったのが欲しかった。
単色のものとか、珍種とか…。
あるお店で話を聞いたが高飛車な態度に頭に来た。
結局、丁寧に説明をしてくれるお店を見つけ、そこでツバメという品種の朝顔を買った。
葉っぱが小ぶりでツバメのように見えるのでそんな名前が付いたそうだ。
小さいピンクの花をたくさん咲かすということで、これまた可愛らしい。
大事に抱きかかえて家へ持って帰った。

そう、裏道を歩いていた時に朝顔をいっぱい載せたワゴンが通った。
その時、駐車車両のトラックのミラーに朝顔が一つ引っかかった。
慌てて取り外したけど鉢が無くなってしまっていて業者さんはその朝顔を電柱の脇にこっそり捨てていった。
友人達と顔を見合す間も無く、答えは出た。
頂き!

いや、立派な朝顔で。
ありがとう。



2001年07月06日(金) 断念


目を覚ますと物凄い風切音がした。
これは大変な風だ。山頂に行くのは明るくなってからにしようと心に決めてまた休む。
御殿場口のメリット。5合5勺以上の高さであればどこでも御来光(日の出)を見れる。
おかげで山小屋の中で安心して待機が出来た。

やがて外が明るくなってきた。
一瞬、空が赤くなったと思うとまたガスに覆われて真っ暗になったりと不安定。
残念だが御来光を拝むことは出来なかった。

さて、気を取りなおし山頂へのアタックを決める。
風が強いこともあって体感温度は真冬並み。フリースに雨具着用でまだ寒いくらい。
大きな荷物は山小屋に置いて必要な物だけを詰め出発する。
登ること20分。8合目(標高3450m)に到着。
ここまでは順調だった。

しかし、この先は強風のため立っているのがやっと。
風速20〜25m位で吹き荒れている。
何度も吹き飛ばされそうになり、これ以上登れないと判断した。
悔しさよりも恐ろしさが勝っていた。
小屋へと引き返した。

朝食をとり外を見る。
雲が凄いスピードで流れている。
大島や三宅島、山中湖、箱根、伊豆まで一望出来た、景色は良かった。
天気予報では雨が降るということなので早めの下山を決めた。

ちなみに、富士山の下りは楽チンである。
砂走りと呼ばれる下山道があって、ふかふかの砂利の上を走る。
行きはジグザグコースだが帰りは一直線。
スキーで下ってるような感覚。
そして無事、下山した。

帰りの高速のサービスエリアで海の事故のニュースを見た。
風が強いのに無理をした為、遊覧船が転覆したり、サーファーが流された。
自分自身、少し無念な気持ちもあったが事故が起きなくて良かったと心から思った。

富士山は日本一の山である。
手強いし、登り甲斐もある。

少し傷の入った登山靴を眺めて山行を思い出す。
今度はピークを踏もう。心の中で誓った。



2001年07月05日(木) 御殿場


念願の富士山に挑戦した。
色々迷った挙句、選択したのは御殿場口登山道。
とにかく麓からひたすら登りのコースだ。

真夏のような暑さの中、砂利道を突き進む。
進めば進むほど、傾斜がきつくなっていく。
ジグザクコースをとにかく繰り返す。

休憩を取るがあまりの静けさに怖くなるほど。
何の音もしない世界。
視界の中に人がひとりも見えない。
富士山を一人占めしているみたい。
しばしその光景に見とれてしまった。

7号9勺の山小屋に着いたのは18時。
下から実に9時間かかった。
予定を大分遅れたことになるが、よくぞ我が彼女も頑張った。
二人して無事到着を祝った。
雲海に富士山の影が浮かぶ。影富士…御殿場口ならではの眺めである。

山小屋には自衛隊の隊員(といってもマラソン選手ばかり)がたくさんいた。まるで合宿所。
なるほど、下の駐車場にあったトラックとかジープを思い出す。
彼らは来たる富士登山競争に向けて練習中ということだ。
早い人は2,3時間で頂上に辿り着く。
あまりのスピードに驚きだ。

夕食はカレーライス。おかわり自由が嬉しい。
自衛隊の人も気さくな人達で、コーヒーやゼリーなんかをご馳走してくれた。
山の上では皆兄弟ですよ。
そう言った隊員の笑顔も忘れられない。

外に目をやると遥か下に満月が見えた。
標高3250mの眺め。不思議な感覚だった。

心地よい疲労感と達成感の中で眠りについた。



2001年07月04日(水) 売り切れ御免


猛暑の中、買い出しに出かけた。

まずは秋葉原へ。
平日のせいか道路も駐車場も比較的空いていた。
欲しくてたまらないモバイル商品がいっぱい。
あれこれ考えるけど、行動力(お金)がないのでカタログ貰って帰ってきた。
安いのを衝動買いするより、やっぱりしっかりとしたものを買わないと…。
第1希望は東芝のリブレット。でも15万円はちょっと痛い。
もう少し我慢しよう。

続いての買い物はお酒。
もうすっかりビールも衣替え。
節約しなくちゃ、ということで発泡酒に決定。
麒麟に常夏という名の新製品を発見したのでそれを2ケースゲット。
あとは日本酒に焼酎。
焼酎はちょいと珍しいのを見つけた。
伊佐美。稀少品だが店の奥から出してくれた。
機械を使わず、手作りで勝負しているお酒。地元でも手に入りにくいそうだ。
女社長の酒造だそうで脱帽物である。

最後は食料(つまみ)。
気温が高いんでやたらに気を使った。
最初に見たお店に素晴らしい鰹、鮪の刺身があった。
買っとけば良かったのにトイレに行きたくて近所のたこ焼き屋に入った。
帰ってきたら売りきれ。今日一番の落胆。

それにしても関東でたこ焼き屋さんなんて儲かってるのかな。
全然、お客さんがいないし。
鉄板の上はガラガラ。
まあ美味しかったけどね、500円は高過ぎでしょう。
関西人が見たら絶対嘆くだろうな。

今日は早く休むことにしよう。
明日からはいよいよ短い夏休み。



2001年07月03日(火) 富士山


富士山へ登る。これが今年の夏休みの目標である。
山行は7月5,6日で計画中だ。
しかし良くない知らせだ。6日の降水確率は70%。

今日の天気図には低気圧が8個書いてあった。
この高気圧が崩れたら一溜りもないだろうな。
それにこの台風、等圧線たくさん。なんだかでっかいなぁ。
なんか気分が浮かない。

富士山には登り口がいくつかある。
有名な河口湖口(吉田口)、ピーク時には大渋滞になるがアクセスが良い。
山小屋もたくさんあるし安心感のあるコース。
それから最短コースの富士宮口。登り口で既に2400mの高さがある。
早い人なら3時間ちょっとで山頂に着くそうだ。
須走口は距離は長い。最初は樹林帯を登っていくコース。
山登り通の人に言わせるとここが一番お勧めということだ。
とにかく下から登りたいなら御殿場口。さすがに大変で人は少ない。
登り口が1440mというんだから実に富士宮口と1000mも高低差がある。

それぞれ個性があるので迷う所ではあるが、出来れば渋滞は避けたいものである。
で、検討しているのは須走口と御殿場口。
山小屋で一泊して御来光を見ようとしていたので長めのコースが楽しいと思った。

ただ、この天気なら富士宮口も考えないといけない。
雨降ってたら温泉に行って終わりだな。なんてのも頭の中にはある。
お願いだから晴れてくれないと。
買っちゃった登山靴が泣く。

さて、登山計画書でも作ろうかな。



2001年07月02日(月) 夏到来


暑い日が続く。
こんな時に晴れないで、富士山の登山日に晴れてくれればいいのに。

冷房機整備のため午前中の間、冷房を停止した。
圧縮機の潤滑油新替。
車のエンジンに似た構造。8気筒のクランク機構、V8といっていいのかな?
しかしオイル交換は勝手が違う。というのも圧縮機の中はフロンガスだからだ。
潤滑油を入れたら、圧縮機の中の空気を完全に抜き出す必要がある。
時間的には全部で2時間位か。
どこから文句がくるかな、なんて冷や冷やする作業だった。

天気図を見ると台風が出来ている。
進路予報は西へ、こちらへ来ないようで良かった。
去年は7月の東京停泊でひどい目に遭ったから。
台風が接近し、船の前に愛車をほったらかしたまま出港する羽目になった。
館山沖で台風をしのぎ、そのまま堺泉北(大阪)港へ向かった。
あぁ、かわいそうな我が車。雨に打たれ潮を浴び…どうにでもなれ。
結局、親父にお願いしたっけな。

さあ夏のボーナス到来だ。
待ってましたとばかりに年払の保険料と駐車代の請求書がやってきた。
手元にはほとんど残らない。
嬉しくないね。



2001年07月01日(日) 居眠り運転


車で走っていたら、前に居眠り運転のトラックがいた。
真ん中の車線から左へ車線変更…、突然またもとの車線に戻る。
次は右車線へ…、また戻る。
坂道になると120キロ位出ていそうだ。
面白い動きなので少し観察。
隣の車線の後続車両も勢い良く抜いていこうとするけどトラックを見て思い留まる。
後には車の列が出来始めた。

走らなければいけない任務感か、それとも慣れっこになって飲酒運転か。
どちらにしても何かあってからでは遅すぎると思う。

それにしてもトラックの運転のマナーの悪さには恐れ入る。
車間50センチで一般車をあおりながら、我が物顔で走っている。
あれじゃ、転倒や玉突きを起こさない方が不思議だ。
大型ドライバーは自信過剰ではないか?
高速だけならサルでも運転できるぞ。

インターからトラックが下りて行くのを見て安心した。
何事もなくて良かったね。
少しスピードを上げた。



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