にゃんことごはん
ごはん



 祈りもて山の恵みを頂く日 贅沢だとも思うけれど

最近、食が細くなりました。猫のことではなく、私のことです。

あ、練ちゃんは先日の検診で体重が増えていることが判明。これ以上太ると心配だけど、いまぐらいがちょうどいいかもしれませんね、という体重。
もともと太りやすいので、これからは逆に気を付けなければなりません。

食欲旺盛な練ちゃんに目を細めているうちに、なぜか私の食が細くなりました。
前から徐々に食欲は落ちてきていたのですが、ここへきて加速しました。
手術や入院の影響もあったのかもしれませんし、足が悪い故の運動不足の影響もあるでしょう、歳なので代謝が下がっていて仕方がない部分もあります。
が、そうなってくると、たくさんは食べられないので、なんというか、逆に貪欲になるというか。

美味しいものを、少しだけ。

以前の仕事先に10歳ぐらい年上の、でもとてもエネルギッシュで元気な女性がいました。細くて小柄で、でもちゃきちゃきしていて姉御肌で、よく飲みに連れて行ってくださったりしました。
彼女の口癖が「歳だから、たくさんは食べられない。少しでいいから美味しいものを食べたい」でした。ちょっと高級な牛肉とか、ちょっと高級な果物とか、あるいは美味しいチーズやフランスパンとワイン、そんなのがいい、と。
高級な牛肉や果物やチーズやワインは、まあアレなので、ちゃんとした(だから少々お高い)納豆やちゃんとした(だから少々お高い)味噌などを購入したときに、おすそ分けしたら、とても喜んでくださったものです。

彼女の言葉を思い出します。まったくもって、今の私がそれ、です。

野菜は好きです。でも、これも以前ほどたくさんは食べられなくなっています。が、もやしや豆苗、スプラウトなど、お手頃な価格で栄養価もあり、産地や天候に左右されないものもたくさんあります。探せば少々割高でも美味しい地野菜を手に入れることもできます。

魚も、まあ、それなりに美味しいものが手に入ります。というか、魚は意外と缶詰でも美味しかったり。それは私の味覚が魚方面に欠如しているから、かもしれませんが。

で、問題は肉です。

前にも何度か書きましたが、基本的に肉は好きです。それも塊肉をがっつりが好き、です。何故かサシの入った高級な牛肉には嗜好が向かいません。和食のコースの最後に少量出てくる場合は、美味しくいただきますが、家で食べたいとは思いません。

最近、気持ち的にはがっつり食べたいのに、塊肉を持て余す、ということが多々あります。小分けにして冷凍にするのですが、なんとなく持て余すという……。

そんな折、ニュースで里に下りてきて畑を荒したり人を襲ったりする獣(熊や鹿、イノシシなど)のニュースを見ました。山が開拓されたり、今までなかった道路が開通したりした結果、食料が減る場合もあれば、人が山に入って(ハイキングとかキャンプとか)うっかり人間の(人工的な)食料を与えたりしたがために里に下りてくる動物が、里に影響を及ぼして害獣という位置付けになってしまっている、というニュースでした。

で、害獣となり果てた彼らは狩られた後、どうなるのか、が気になりました。
いろいろ調べたら、それぞれの地方で飼料にされていたり、食肉になっていたり、なんとか再生の道を探っているようでした。

彼らを食してみて、山の恵みに感謝するのはどうだろうか。ふと、そう思いました。
御大層な思想などありません、単に肉好きのアンテナにヒットしたにすぎません。

とりあえず、そういった食材を扱っているネット店舗をいくつか見つけ、いろいろ(距離とか、事業内容とか)確認したうえで、あるネット店舗に注文しました。それは、リュウが愛してやまない信州の、とある店舗でした。

結果、スーパーで購入する鶏肉や豚肉はもちろん、下手すれば牛肉よりも割高な野生肉にはまってしまいました。

もちろん、スーパーの割り引きでも肉を購入します(そうしないと、我が家の経済が破綻します)。
でも、野生肉のおいしさは格別です。
フレンチではジビエという料理分野がありますが、そんな上品なものではなく、普通に焼いて塩コショウだけ、などという食べ方もしています(酒や醤油に漬けたりもしますし、味付けのものを購入したりもしています)。

正直、多少固いです。でも、噛み切れない固さではなく、歯ごたえがあるというか、噛み応えがあるというか。なんだろう、しみじみと美味しいのです。

ああ、私って肉食だったのね、と再認識するぐらい、美味しく感じるのです。
ありがたいことに、よく噛むせいか、少量でも満足します。それでも割高ではあるのですが。

野菜や穀物に関しては、自然農法の価値が認識されたりしていますが、こと食肉に関しては、まだまだ……というか、食肉に関して自然農法を取り入れるのは、おそらく難しいのだろうと思います。
わずかに、平飼いの鶏とか、放牧されている牛とか(豚に関しては、あまり知識がありません、すみません)。

害獣として処理されてしまう彼らを“感謝して頂く”、というサイクルができれば、少しは救われるのかなと思ったりもします。反面、それが商業サイクルに乗ってしまうと、おそらく全く違った形になってしまうのだろう、という予測もできます。

とりあえず私は、こそこそと山の恵みを頂いて、こそこそと感謝する生活を送ることにしています。


2018年10月25日(木)



 いつの間に秋になるのか曇り空 冬日を思う まだ早きしに


ああ、なんか字余りを無理やり処理した感満杯のタイトルです。
別に短歌を気取っているわけではないのですが、縛りがあったほうが、タイトルをつけやすいというだけのことです。

練ちゃんの血尿は治りました。おそらく夏の工事のストレスでしょう、と。
あれだけ、手を変え品を変え抗生剤を投与しても改善しなかったのに、工事が終わった途端、薬など飲まずに治ったのですから、そうとしか思えません。

とはいえ、腎臓の値は少し悪化していて、年齢を考えるとそれは仕方ないことなのですが、練ちゃんには結石もありますし、心臓弁膜症もあります。何を優先するのか、フードはどうするのか、バランスが難しい事態となっています。
とりあえず悪化した腎臓の値を最優先に、療法食で様子を見ていくことになりました。
心臓への負担を考えると、皮下点滴もリスクが大きいのです(その辺が、キラやニャンや茶々と違うところ。彼らについては心臓に問題がなかったので)。

そして私にとっても術後の疲れやすく思いに任せぬ体と、これから控えている手術。
明日、死ぬなら不要だけれど、まだ生きていくなら、必要な手術です。

その間、練ちゃんは行きつけの獣医さんに預かったもらう予定です。
もう老齢の練ちゃんにとってストレスになるかもしれない、とは思いますが、心臓のために薬の投与が欠かせず、腎臓や結石や心臓を患っている練ちゃんにとって、一番安心して預けられる先です。

もちろん練ちゃんが老齢だから見送ってからの手術、ということも考えたのですが、とにかくここ1年ばかり悪化の一途を辿っている股関節、このまま放置すると、それこそ練ちゃんのお世話もままならなくなりそうです。
とりあえず、練ちゃんは20歳ぐらいまで長生きしてもらう予定で、股関節の手術を決断しました。

今日はそういった諸々の相談と、練ちゃんの検査のための通院でした。

大変は大変ではあります。
でも、先日読んでいた漫画だったから小説だったか、はたまた見ていたアニメだったか、忘れましたが、「大変は不幸ではない」という言葉に出会って、思わず頷いてしまいました。

大変なことは、たくさんありました。
出産を経験した方には自明のことでしょうが、出産した当初は大変でした。眠くて眠くて、ひたすら眠くて、幸せなんて感じていられる暇などなかったです。
離婚したあとは、もちろん、もっともっと大変でした。

子どもが小さければ小さいなりに、大きくなれば大きくなったなりに、大変はことはありました。
子どもなどいなくても、人ひとり生きていくには、それなりに大変なことがあると思います。

その大変の時々に、猫の姿が混じるようになりました。
猫たちは、大変に拍車をかけてくれたことも多々ありました。
でも、大変を和らげてくれたことも、たくさんありました。

ニャンをはじめとした猫がいなければ、リュウの部屋の扉は開け放たれることなく(猫の出入りを自由にするために、我が家の各部屋の扉は、トイレと浴室を除き、すべて開放されることを余儀なくされました。一応、リュウの部屋にはのれんをかけ、部屋に入るときには声をかけました)、引きこもりになっていてもおかしくなかった、と、これは最近、リュウ本人が言ったことです。私も、そうだろうな、と半分ぐらい思います(半分の理由は、そこまで人生捨てている子どもではなかったと思うから。でも、まあわかりません。子どもを信じることと、子どもをサポートすることは別物ですから)。

ジュリナ、ポッポ太郎、あみ、ショータロー、キララ、ニャン太郎、チャチャコと見送ってきて、最後に残った練ちゃんは、なんだか急におしゃべりになりました。
起きていると私の隣にどっかりと座り、あおあおと語りかけてくれます。
「うんうん、そう」「なあに」「いいこね」と相槌を打ちながら、もし練ちゃんがいなければ、私が声を発することもなくなるのかな、と思ったりします。
今の仕事は、メールでのやりとりで終わってしまうので。

数年前に、はまった深夜アニメを思い出します(あれを機に、深夜アニメを見るようになりました)。最近、そのアニメのコミカライズを読んで、とても懐かしく思い出したのでした。

当時、リュウは大学生で(しかも理学部だったからか、基本的に授業や講義をフケルという技はなし、でした)、我が家からは一時間余かかる大学近くのダイニングバーでアルバイトをして深夜に帰宅する、のが我が家の生活習慣のころでした。私もフルタイムの仕事をしていましたし、朝も早く起きてリュウと自分の朝食と弁当を作っていたので、あの頃は出産後と並んで大変な時期だったなと思います。

そのアニメを見るために、仕事から帰宅し仮眠をとって、夜半に起きていました。
リュウの夜食の支度をして、半分ぐらいは寝起きのぼんやりした頭で見ていたアニメと、それが終わるか終わらないかのうちに、帰宅するリュウの靴音。

もう50歳を過ぎていた私にとって、そんな生活はすごく大変だったはずなのだけど、何度思い返しても、それはとても幸せな記憶でしかないのです。
毎週、子どものようにワクワクしながらアニメを待っていた自分、遅くに帰宅するリュウのために夜食を作る自分、それが何も矛盾することなく自分のなかで一致していました。

大変と不幸は、関係ないのだな、と。

猫の介護も同じです。
仕事の合間を縫って、なんとか理由をつけて早退や外出を繰り返したこともありました。というか、そうしないと介護できませんでした。もっと、落ち着いて介護できればと思ったことはありました。が、経済的には、それだから可能だったのだとも思います。
仕事先を出ると急いでタクシーを拾い、そのまま家の前で待ってもらって、獣医さんに通っていました。

そうやって、みんなを見送ってきました。

練ちゃんはママ大好き猫なのに、来た時から先住猫がいて、その後は先住猫ばかりか、新顔のチャチャコが病気になったりして、なかなか満足できるまで甘えられないまま、きたのかなと思います。
最近の、とりあえずおしゃべりするよ、とか、とりあえず甘えとくよ、といった感じの練ちゃんを見ると、うんうん、いくらでも甘えればいいよと思います。

が、案外、ひとしきり、あおあおと騒ぐと、さっさと寝床に潜って寝てしまいます。そういう意味では、猫らしい猫、と言えるのかもしれません。

猫がいなくなった生活を憂える前に、やることがたくさんあるので、落ち込んでいる場合ではないのです、と自分を叱咤する、今日このごろ。


2018年10月23日(火)



 美しき四季ある国と言うけれど 過去の夢かもしれないよねと

お天気の愚痴ばかり言っている日記です、すみません。

練ちゃんはだいぶ体調も戻ってきていますが、私が不調です。
入院後の体力低下が響いているのか、気圧の変動が響いているのか、年なのか。
うん、年だな、と思う今日この頃。

昨日、用事があって昼過ぎから出かけ、久しぶりに帰宅が夜半近くになりました。練ちゃんの怒るまいことか。
他の仔がいなくなってベッタリになったせいか、ベッタリ度がさらにアップしているようです。帰宅するやいなや、あおあお、と文句を言いながら、あとをついて回ります。トイレを掃除して、ご飯のお皿も入れ替え、残っていたドライフードを処分して新しいのと入れ替え、ウエットフードを新しく出し、水も入れ替え、ようやく落ち着いてくれたので、シャワーを浴び、少々蒸し暑かったのでバスタオルを巻いただけで居間に戻りました。

それが失敗でした。

練ちゃんが膝に乗り上げて、寝てしまいました。

水気を吸ったバスタオルが気持ち悪い、でも、今は練ちゃんが……でも気持ち悪い。とりあえずバスタオルだけそっと……その時だけ起きた練ちゃんは、今度は素肌の膝に乗り上げて寝てしまいます。

はっきり言って全裸です。私の帰宅が夜半近くなったからなのか、全裸の刑です。まあ、外から見えるわけでなし、問題ないと言えばないのですが。

どうしたものか。でも動くと、起こしてしまうし、満足そうに寝ているところを起こして着替えをとってくるのも、どうしたものか。う〜ん、と寝顔を見ながら逡巡しているうちに、早一時間、全裸です。

蒸し暑かった外気も、少し肌寒くなってきました。

結局、意を決して、膝に乗り上げている練ちゃんの上半身をそっと抱き上げると、当然、目を覚まします。

「着替えてくるからね」と声をかけながら、上半身を椅子に戻してから席を立ち、寝巻を着て戻ると練ちゃんは寝ていました。
ええ? 別に私の膝の上でなくて良かったの?
全裸の刑は、何のため?

まあ、そんなものですよね、猫って、と思いつつ更けていく夜でした。

2018年10月07日(日)
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