坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2004年01月31日(土) 頭痛

身体のリズム。
長い間、不眠が続いて眠剤の力を借りてきた。それでもダメで、十分な睡眠が確保できない日が続いていた。ところが最近になって、不眠が解消されてきている気がする。昨夜も帰宅が遅かった事もあり、床についてのは深夜になっていた、試しに眠剤を飲まずに横になって、ゆっくりと寝る事が出来た。

すると、今度は頭痛が始まった。今日は特に辛くて、不眠に苦しむ前は何度も頭痛に悩まされていた事を思い出した。
脚の痛みは少し緩和されていて、痺れ間や引きつり感が出る事が多い。それと右の腰が痛み始めた。昨日は心配で病院で、筋肉注射の痛み止めをうった。これは何の薬なのだろうと思いながら、効き目を考えていた。終わった後、直ぐに帰ろうとすると、注射のところに痛みが強く出て診察室のベットで休む事になった。






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事務所の一部移転で、T常務が移転先に行くのがイヤで、私のいる事務所に移ろうとしていた。いろいろと裏であの手この手を使っていたけれど、一向に変化が無く、その度にこちらへ来るので半ば諦めていた。

何があったのかわからないけれど、わざわざT常務がやってきて「ここへは来ない」と、言ってきた。そのときに席を外していたので、そのときの雰囲気がわからない。拒絶すればするほど抵抗されて、諦めると話が無くなった。
理由がわからないので、落ち着かない。


2004年01月29日(木) 変化を恐れる心

今、仕事の流れを変えようとしている。反発する人は当然出てくる。彼らの心は理解できると思っていた、そして、顔をつきあわして話し合うこと3時間。
最後の一言は、「1〜2日考える時間が欲しい」だった。実務の現場指揮者がその気になっていないければ、流れを変える事は出来ない。
今のままが良いのか、変えた方がよいのか、それは誰にもわからない事だと思う。






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今の症状が出始めたとき、そのときは精神症だなどと思いもしなかった。でも、精神症なら、このままでは再び繰り返しが続いてしまう。
「言いがかり的な対応」を受けるくらいなら、言いなりになっていた方が無難だと。知っているだけでも、何人も犠牲者が出ている。
退職に追い込まれる事が犠牲者なのか、この場から逃げ出す事が出た方が良かったのか、きっと本人だけしかわからないだろう。
歳を考えれば、今、人生をむりやりゆがめられる事は苦痛に感じる。


2004年01月28日(水) コンピュータの注意書き

社内で役員が統率力を出すときに、従業員の力を借りようとするか、『恐怖政治』のようなやり方をするかが見受けられる気がした。
私は独裁政治に巻き込まれるのは、イヤだ。
社内の多くの部署が、変に逆らってゴチャゴチャ言われるくらいなら、納得できていなくても、言いなりになっている方がまし。わかっていても誰も何も、正面からは言わない。私だって同じ事。
今日はそれが出来ずに、ガマンの限界で今までのことも言いに行った。きっと、後で跳ね返りがやってきて、そのときに後悔することになる。






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あんまり腹が立ったので、言うだけ言って帰ることにした。社内のボーリング大会があり、予選はみんなが別々に生きたい日に行って結果を提出する事になっていた。部下の二人に声をかけて、一緒に行くことにした。
はじめは腰が心配だったから、棄権していたけれどヤケクソと腹立ちが手伝い、行くことにした。何度かドキリとするときがあったけれど、大丈夫だった。
若い頃に夢中になって、やっていたような成績は出なかった。けれども、身体を動かすことをして、少し気晴らしになった。


2004年01月27日(火) 気が抜けない

今日も時間刻みで予定外の事が、次々とやってきた一日だった。
そのときに片づけなければ、仕事はたまる一方。でも、全てが自分で出来るものじゃない、だから、人に頼む必要が出てくる。
一言で相手に内容が伝われば、時間も少なくて済むから楽が出来る。ところが、なかなかそれが出来ない。話を聞く側になること、わかっていても難しいもの。
感情的になるのをギリギリで押さえている。






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今日もT常務が自分の座席のことで、言いたいことを言いに来た。あの人にとっては、必死なのだろう。でも、今の私にはその事を受け入れるだけの余裕がない。

平和だった事務所に社内の嵐が、すきま風から舞い込んでくる。すきま風は、隙間をどんどんと広げていく。すると、もっと風が入ってくる。

「自分のために」・・・・ね考えることの目標を見つけたのに、考える時間がない。こうして日記を書いている時間が、唯一の考える時間。
睡眠時間も欲しいから薬を飲んで、眠れるまでの間に書くことが多い。今日も得たものは何もない。


2004年01月26日(月) 過密スケジュール

過密スケジュールの日だった。
9:00 課の定例ミーティング
   普段は簡単にすませているのだが、K部長が参加していることもあって部下の一人が出した質問に回答をする必要が出てしまった。普段は、会議を済ませてから別席でしているようなこと。
10:00 取引業者の人が作業のために来た。内容を確認するために話を聞く必要がある。昼からの会議の準備があるので、十分な時間がとれない。
11:00 取引業者の人と打ち合わせの予定。これは手抜きですますことも、部下に依頼することも出来ない。現場の下見、費用の見積もり、工事内容の確認。
この内容をすませている隙で、社長からの質問の回答を何通か書く。






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昼食時間も質問に対する回答をする。
13:00 ようやく会議の準備ができる。
14:00 ギリギリセーフで会議が始まる。
15:00 午前中の打ち合わせ結果で、関連部署へ問い合わせと依頼で、1時間半くらいかかる。
一息ついたときは、済んだ事と残ったことが混乱して整理をする。
こんな状態だったから、定時になっても仕事は終わらない。資料作成、電話、メール手段が違っても、小刻みに違う内容が同時進行していた。

自分のために生きる、勤務中は仕事のために時間を使っている。当たり前のことだろう、ある時間でいきなり、仕事のことを忘れるなんて、そう簡単には出来ない。


2004年01月25日(日) 休みの日くらいは・・・・

自分のために生きる為には、何かを見つける必要がある。急にはみつからない、だから、仕事を家に持ち帰るのを止めようとした。手帳や資料などを鞄に入れることをやめた。家でやろうとしても出来ない環境をつくることにした。
目覚めは普段と変わらなくて、「休みだと気がつく」までに、少し時間がかかる、そして「休みだとわかると」、起き出す気力が出てこない。
こんな風な生活のパターンになじんでいないから、しっくりとこない。起き出してもすることがない。
寒いから外へ出て行くのは気が重い、読みたい本も特にはない。老眼が進んできてから、本を読むのも面倒になってきている。パソコンで遊ぶものも無くなってきている。一人で考えてみると無いものづくしに、なっていることに気がつく。






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睡眠剤が効いているのか、最近は不眠で苦しむ日はほとんど無い。でも、睡眠剤を手放すことは出来そうにない。日曜日は仕事のことを忘れて、何か自分のために時間を使いたい。そのように考え始めて、安易にあきらめないでいたい。

今日は一日中寝ていた。
思い出すのは、若い頃、二十代前半くらいまでのことが多い。遊ぶことに対して思いついたら、とことんやってみた頃だった。


2004年01月23日(金) 自分のために生きること

朝、会社に着くなり憎っき役員が社内通知として、私の部署を無視した内容を出していた。考える時間もなく爆発した。
そして、社長をはじめとして関係部署へ抗議のメールを出した。社長からは、予想通り返信は無かったけれど、情報は伝わったはずである。何人かは返信が来たり、電話があったが、内容は『会話をする方が先だ』とか『本人と何を話したのか』などと逆に批判するばかり。言いにくい相手、言うと憎まれ役になることは引き受けてくれない。肌で痛みを感じない人たちに伝えたことを悔やんだ。






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職務を全うしようとすると反発が出てくる。無視すると、仕事に支障が出てくる。
仕事も大事だけれど、これからは『自分のために生きたい』と毎日、その事を考えている。まだ、子供のことがあるけれど何か見つけて、目標を見つけようと思う。


2004年01月21日(水) 他人の気持ち

同じ出来事でも、人によってこれほど違うのかと、不思議に思う。

部下の一人が相談があると言ってきた。言われるまでもなく、言いたいことは何なのかはわかっていた。
本社の移転につけて、銀行から来ている常務が、こちらの事務所に来たいと言い出したときから。それは、たばこの事だ。わかっていても、相談を持ちかけられた以上、話し合いの場を持つ必要がある。
場所を確保して話し合いの場を作った。やはり、相談事は常務が来てからのたばこの事だった。どうして欲しいのか希望を聞くと、事務所内を禁煙にして欲しいという。別の部下で喫煙者がいる。私はチェーンスモーカーだったけれど、禁煙をして既に4年になるので、どっちでも良いと思っている。
自分のことは別にして話を進めた。喫煙場所を作ることも出来ない。(狭い場所なので)すると、喫煙者は仕事場所から離れてたばこを吸いに行くことになる。
その事は好ましいと思わない。少人数だから少しでも、席にいる時間を増やして欲しいと思う。なんとかガマンできる許容範囲は無いか?
そのように頼むしかなかった。






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別の部下を呼ぶ。禁煙の話をすると、即答で「どうぞ」と返事が返ってきた。
別の建物の中に休憩室があり、喫煙が可能になっているから、そこへ行くという。
吸っているときも、気を遣いながら吸っているとも言う。

世の中はどんどんと禁煙権が当たり前になってきている。公にすると「禁煙にすればいい」と言うに決まっている。その人たちは、所詮、他人事だから何とでも言える。意見を聞くために雑談が出来る役員の人に、話をしてみたところ、やっぱり想像通り『ご本人に言うしかない』と言う。それが言えるのなら、もともと相談なんてしない。

みんな何かをガマンして生きている。そのうちの一つだと考えることは、出来ないことなのだろうか?
同じ職場で働いている同僚として、他人のことをどのように考えているのだろう。
『痛み』を他人に伝えること、どれだけ難しいかを体験して、『嫌煙』も同じなのだろうか?


2004年01月20日(火) 表現の不自由

会社の中で「言いたいこと」が「なんでもいえる」と、こんな事はあり得ないとわかっている。それでも、黙っている事が出来なくて『曖昧な表現にして』表に出す。どろどろとしたところ、小さな会社だとどうしてもこんな風になってしまうのか?
私から見れば、地位を守るためには『何でもあり』式で、周囲に権力を振りかざそうとしている。






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逆らわずに「はい」と言って、やり過ごす方が身に火の粉は飛んでこない。
こんな生き方も出来る人がいる、私は信じたことを話したい、でも、そうするとぶつかる。穏やかな生活が欲しい。些細なことでも争いはしたくない。

社長に呼び止められて意見を求められる。発言をすると、「その事が経営上、必要な事か?」と反論を受ける。かといって「おっしゃるとおり」と言うためには、実現可能な内容で指示をして欲しい。『出来ないこと』を『出来る』とは、私には言えない。


2004年01月19日(月) 身勝手な人たち、つづき

月曜日は課のミーティングをする日になっている。その会議に部長が赴任時から出席をすると言って、参加している。私は正直言って、こられるとやりずらいのできて欲しくないと思い続けている。
前任者も最初は同じ事を言っていたが、1ヶ月も続かなかった。
今朝も黙ってくるのを待っていた。9時半になってもこないので、電話をすると体調が悪いと言って休んでいた。これで2度目か3度目である。会議などでこない日もあるが、そのときも連絡なしである。






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午後から課の中で打ち合わせをしていた。その場に突然、例の常務が入ってきた。自分で灰皿を取りに行って、あいている席に座りたばこを吸い出した。
課の中に極端に嫌煙者が一人いる。それでなくても打ち合わせは、禁煙としている。そんなことはお構いなしである。
しばらくすると、こちらの打ち合わせに割り込んできて、話し出したことはご自身の席の移動のことである。社長にはこれから言いに行くけれど、移転先は狭いからと言う理由を話すという。「ここだって狭いところを、工夫してやっているのだ」と言いたくなる。本当の理由は違うのに、変な根回しをしないで欲しい。

常務取締役という立場で考えると、気の毒な処遇だと思うけれど、どうしても銀行の出身者は好きになれない。今まで散々良い目を味わってきているのだから、ここでもっと頑張って欲しいと思う。子会社であろうが、どこでも手が出せるところであれば、2回までは銀行が転職の援助をするという。
この世の中で、こんな会社は銀行くらいのものだと思う。

怒りを表に出すことで、我が身を守る事が出来るのなら、一杯書いておこう。


2004年01月18日(日) 休みが欲しい・・・・

日曜日、今日は休みだった。
家から出る気力がなくて一日中、家の中にいた。
朝は普段同じ時間に目が覚めて、寝ていることも出来なくてとりあえず起きることにした。朝食のパンを焼いて食事すませ、普段と同じように始まった。
3時間か4時間、フライパンにこびりついた汚れを取りながら、ぼんやりTVを見ていた。
単純な事の繰り返しだから、手を動かしながら脚の痺れれや腰の痛みのことを、何気なく考える。頭に浮かぶことは、入院中の辛かったことばかり。
ベッドにいて何もすることが無く、誰も相手になってくれる人もいない。時折、ナースコールをして看護婦さんと、決まり切ったやりとりをするだけ。
最後の入院からずいぶんと日が過ぎているのに、今でも頭から離れない。
病室の内にいる自分がイヤで、記憶を振り切るようにして、今の自分に戻る。






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若い頃は、ゴルフや釣り、自転車、車等々といろんな事をやっていたのに、最近は何もやろうとする気力が沸いてこない。
いすに座れば脚が痺れてくるし、横になってもダメで、それどころか何かの拍子に腰に痛みが出てくる。まるで、身体が上下で別々になったしまったようだ。

痛みは別にしても、自分のために過ごす自覚が無く一日を過ごしていると、将来に対して無性に不安になってくる。会社員について回る「定年」を意識し始めてから、こんな不安が出てきたのかも知れない。
身体に不安を持っているから、余計に落ち着きが無くなる。一人で生きて行く事が出来るようにならなければ、これからどんどんと悪化してくる気がする。


2004年01月17日(土) 身勝手な人たち

メインバンクから来ている常務さん。なかなか、社内でうまく行かないのか理由は分からないけれど、管掌役員だけで現場の指揮権がない。
来た当時は、いくつかの部長職を兼任もしていたし、それなりの発言場所も持っていた。徐々に業務を剥奪されて、今では建前上の立場のみ。親会社とメインバンクのしがらみを感じる。
最初は私のいる事務室と同じ所だった。その後、別の部署の部長兼任のため席が移動した。次に、今の立場になって本社社屋の1階にいる。
そこには、プロパーのボスがいて常務を無視して仕事をしている。当然、その部下達も同じである。
時折、私のいる事務所に来ては、文句を言っている。『誰も話し相手がいないし、皆がムシをして仕事をしている』『蚊が多くてイヤだ』『汚くて、居心地が悪い』などなど。。。。。





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その事務所の1Fが別の建物に移転する事となった。仕事の関係で事前に移転後のレイアウトを見た。すると、、、、なんと、常務の席がない。
作成者へ電話で確認をすると、ご本人が『此処は居心地が悪いから私は別の場所へ移動する』、この様に言っているからと席を用意していない。
そして、その行く場所は、私のいる事務室の中だという。
そんな理由で、座席を勝手に決めて良いのだろうか?

なんと迷惑な話なのだ!!
前にいた場所の部長に聞くと、『そういえばそんな事を言っていたかも』と言う。
社長やこの人達は、親会社の集まり。
「あなたたちが追い出して、あとは知らぬ存ぜぬ」は、やり方として腹立たしい。


2004年01月15日(木) 我が道を進むことの難しさ

自分のために生きて行く、そのための一日にしようと考えていた。それなのに、会社へ行って仕事を始めると、仕事のために一日を費やしてしまう。
その一日は、自分のために使っていない。仕事の内容に空しさを感じてしまい、周囲の人たちの態度に苛立ちを感じてしまう。そのときに思い出せばよいのだけれど、それが出来ない。
『人は人、私は私』と言った人がいた。正にその通りで過ごすことが出来れば、平穏無事な一日が過ぎたのだろう。






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社内で対立関係になりたくないのに、気がつけば、少しの言い方で反対しているように思われてしまう。『違います』と言ってみても、通じない。
自分の気持ちに素直に生きて行くことが出来ると、きっと、精神的な安定が得られると思った。

こんな状態が「精神病」なのだろうか?
うつ病の症状で、こんな事を考えてしまうんだろうか?


2004年01月14日(水) 逃げ道は無い

仕事に対して何かをやり遂げて、会社員を終えたいと考えて職を変えてきた。
今の職場でも、その気持ちで入り今まで頑張ってきた。上とは、自分の主張に対して理解を得ようとして努力をしてきた。
親会社から来た人、融資先の銀行から来た人などで、どの人も長くはいなかった。
気がつけば50歳を超えている。そんな気持ちになっている。今度の人は親会社から来た人で、まだ若い、それだけに権限をぶつけてくる。部長としての位置を守るために、私の存在が邪魔なのだろう。若い実務担当者がいれば、その方がやりやすいのだろう。
どんなに努力しても、こんな風に考えることしか出来ない。






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まだまだ、生きて行くためにはガマンをしてでも勤めを続けるしかない。決してあきらめたわけではないけれど、上に媚びてまで「生きる道を変えたくない」のだ。
表面上だけは流れにまかしても、自分自身の魂まで失いたくはない。

どこかで生きる道を探し続けるしかない。


2004年01月13日(火) 時間は無情に過ぎて行く

朝から普段通りに仕事をしているつもり。なのに、片付けが出来たものもないのに、気がつけばお昼時間になっていた。多くの電話があったし、人からの話しかけもあった。自分が片づけている最中に、割り込みがあると一瞬苛立ちが浮き出てしまう。昼からも似たり寄ったりで、一段落がついたときは、すでに午後の六時過ぎになっていた。部下は定時過ぎには、退社していった。






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仕事で用件をメールで伝えて、返信を待つ。その間に、別の仕事に取りかかる、そこで邪魔が入らないとうまく行く。ところが、必ずしもそうは行かない。
自分の意図する結果が、相手から引き出せないとき「どうしてや?」、苛立ちがでてしまう。一息ついたときや、苛立ちで油断をすると痛みに意識が行ってしまう。
姿勢で痛みが出てくるときは、意識がどうのこうのと言う余裕がない。

痛みへの意識と、別のことに集中出来るコツが、無意識に出来るようになれば、回復のきっかけになるような気がする。


2004年01月12日(月) 自分自身の評価?

何事もなく日が過ぎて行くことが、何にも変えられない良いこと、そう思っているのに不安もある。それは生きていることの証、大げさに言えばそうなる。
自分の存在が他の人の目にとまっているのか、いてもいなくても、何も影響を与えていないのかと言う不安。
自分自身の事に対して、自分の精神状態を考えることが、今の病気にどのように関係があるのかそれはわからない。坐骨神経痛で苦しむ日々が出てくるまでも、こんな事は漠然と考えていたと思う。






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不眠とか便秘などが、少しずつ改善されてきている様な気がしている。この続きで、坐骨神経痛や腰痛も無くなってくれれば良いのにと、気持ちがはやる。
急いでも仕方がないのだろうし、焦っては元の木阿弥になるような心配もある。


2004年01月11日(日) 痛みと心の持ち方

日曜と祭日が続いて、滅多にない2連休。週一の休みでは、どうしても疲れがとれない。何も出来ないけれど、休むことが出来るだけで嬉しくなってくる。

痛みは決して改善されていないけれど、仕事に対する気持ちの持ち方、プライベートのことにしても、気持ちが落ち着いていると「楽な様に感じる」。
何が楽なのか、症状が楽なのか、症状は同じでもガマンが楽なのか、どちらなのかはわからない。





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仕事を進めるときに、自分の考えで進めようとするとポジションや、権限者からの見られ方で「出来ることと出来ないこと」がある。「どっちになってもいいや」と開き直るような気持ちで臨むと、壁を乗り越えることが出来ることがある。
自分の手で実現できなくても、やろうとしたことが出来たなら良しとしよう。
変に仕事の作業内容を理解して貰おうとすると、それが出来ないことで、イライラしてくる。反対意見も出てきてしまう。

取引先のことまで、あれこれと口出しをされなければ別にかまわない。内容を理解せずに、価格だけで決めようとする考えに対して反論をしてきた。説得をすることも、自分でやってきた。一つずつ、自分の手から離れていっても、仕方がないことと思うことにした。
今までも、似たような気持ちになったことはあるはずなのに、変なものだ。

不眠が解消されて、睡眠時間がとれる日数が増えてきているので、これがずいぶんと助かっている。


2004年01月09日(金) 仕事に対する熱意

仕事への熱意、自分ではどんどんと薄れていると感じている。自分がしなければならないことは、一体何なのだろう?
こんな疑問が出てくる。
去年から2ヶ月近くかけて、今年の予算を作り出した。いよいよ、実行をするために準備を始めようとした、ところが、「丸秘」だと言って予算には出ていないような事が次々に耳に入ってくる。

所詮は社長の独断で事が運ぶのか、そんなことなら、はじめから予算なんて作る必要なんてないじゃないか?






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なんだかバカバカしくなって、この二日間、資料整理ばかりやっていた。必死になってやっていた頃の計画書、実行時点の資料、過ぎた資料は大半捨てた。
部下の役に立ちそうなものは、チューブファイルに整理を目につくところへ移した。相当な量があるので、まだまだ残っている。
何が何でも実現しようとしていた頃の熱意が無くなっている。出来ても、出来なくてもどちらでもいいか。。。。。

身体が正常になる方が良い。痛みもなくて、痺れもなくて、休みの日には仕事の事を忘れて、山にも行ってみたい。


2004年01月06日(火) 不眠解消か?

突然、深夜に目覚めることもなく、目覚まし時計の時刻まで眠っている日が続いている。そのかわり、寝起きが眠くて辛い。贅沢な悩みだろう、今までの事と比較すれば。脚の痺れや腰の痛みは、さほど酷くは無いけれど「何ともない」、と言う状態ではない。

こんな日もあるんだ。






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痛みと痺れが無くなれば、理由なんてどうでも良い。こんな風に考えたときもあるし、キチンとした理由が欲しいと思ったこともある。
その日の症状がどう違うのかで、思う気持ちも違ってくる。考えると同じ事の繰り返しばかり。

痛みとは別の事になるけれど、人とのつきあいが気持ちよく言っているときは、痛みがあっても暮らして行けるような気がする。


2004年01月04日(日) 悪夢、そして意外な結果

夢とは言え、あまりにも現実的な内容で、驚いた。良い内容なら安心感があるけれど、全くの逆で『怒りと悔しさ』で目が覚めた。

驚きは、夢だけではなくて、、、、なんと、時計を見ると10時半。
朝に目が覚めず、こんな時間まで寝ていたのは、最近では記憶がない。不眠が少しずつ改善しているように感じていたけれど、今日のように熟睡したのは久しぶりと思う。これで、夢見が悪くて目が覚めなければ、いつまで寝ていたのだろうか?






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正月の間も仕事をしていたが、やはり、特別に働いている感覚がある。いよいよ、明日からは普段の生活が始まるのだ。年末と年始の間に社内で依頼された仕事が、一度に噴き出すように明日から片づけが始まる。

苛立ちをごまかすように、衝動買いをしたので精算するのが怖い。買い物をしたときはストレスが発散している気がしている、後になってから後悔することが多い。


2004年01月02日(金) 禅問答みたい・・・・・

年末から年明けにかけて、痛みが厳しくて参った。
痺れすぎて脚が宙に浮いて痛みが走りすぎてゆく、今までも痺れで辛かったことがいろいろな症状と向き合ってきた。今回は、そのどれでもない初めての感覚だ。
今年は年末年始を休みにして、今日が初出勤の日だった。ずーっと、元旦の朝から「排賀式」があり休むことができなかった、そのしきたりも現社長になってから実施日が一般の会社の初出勤日に変わった。
小規模だけれど、組織の変更があってその仕事で忙しくしていた。






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権限の委譲を進めると言った社長であるけれど、結局一年が過ぎても一向に進んでいない。周囲には「気に入る仕事をする人」が集まってくる。実務で職場を仕切っている人間は、直ぐに外すことができないから少しずつ仕事を取り上げて、そろそろと思う頃に辞めさせるような人事をする。卑怯なやり方だとおもう。
前社長の時は、子番頭がいて恐怖政治をしていた。ガマンをしていれば、いつか陽の目を見るときがくると思ってやってきた。

陽は遠くなるばかり。

坐骨神経痛を治そうとして、禅問答でもするような気持ちで精神的なことを、考え続けている。腹が立つ人とも気持ちよく話をできるように、いらだつことがあっても「ものも考えようで」と考え直し、毎日のように自分自身とやりとりをしている。


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