坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2003年12月29日(月) 仕事の悔しさ

組織の変更に伴い事務所のレイアウトが変更された。私のところは何も変更はされていない。事務所の変更によって仕事が増えるだけである。
予定を立てて計画的にやってくれれば、楽にできることでも烏合の衆的な仕事をされると途端に忙しくなる。偉そうにふんずりかえっている人がいることをおもうと、バカバカしくなってくる。
朝からその影響で半日はつぶれた。






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午後からも若干のゴタゴタに巻き込まれた。
頭痛の種の一つ、ある取引先との間の仕事。一生懸命に働いている社長がいる、しかし、社員のする仕事がガマンの限界を超えている。切って捨てることもできず、かといって笑顔で会話することもできない。雰囲気を察してか、面談を求められている。腹が立っても怒ることができない、だから会いたくない。
ほっておけば仕事が進まない。進めるためには、会う必要がある。

大企業なら、たいして気にはとめずに言いたいことは、ハッキリと伝える。
今度はいくら言っても応えない。たぶん、営業にしろ所詮は会社員、私がどんなに怒りをぶつけようが個人的には被害が出ない。だから、のらりくらりと逃げ回る。
いつかはこの悔しさに熨斗をつけて返してやる。

社内では親会社や提携先の会社から、出向で来ている人たち、いつかは元の会社に帰ると言う逃げ道があるんだろう。何かにつけて強気になって向かってくる。


2003年12月28日(日) 子供が帰ってきた

どこでも熟睡できる人がうらやましい。宿直での疲れは寝床が変わることも一因と感じている。朝の規定の時刻まで会社にいて、まるで逃げ出すように建物からから身を出した。いくら逃げても明日になれば、また行かなければならない。
どうしてもイヤなら休めばいい、悪魔のささやきも聞こえてくる。いつまでも、それを続けることができない限り、行くしかない。

脚が痛いことが本当の理由なのか、言い訳にしているのか、どちらが自分の心に正直なのかわからない。






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長男が一日だけの予定で帰ってきた。帰ってきた理由はわからないけれど、「なぜ」と聞かずに今の暮らしぶりを少しずつ訪ねてみた。
帰ってきて「ファミレス」で昼食を一緒にした。その後で家に帰ろうとすると、『もう、かえるん?』という。どうしてそんなことを聞くのかわからなかったけれど、『適当にぐるりと廻ってから、帰ろうか?』と言うとその方が良いと言う。
車で出かけていたから、2時間程度のドライブをすることにした。
小さい頃によく連れて行ったことがある川へ向かって車を走らせた。そして、釣りをしたことやキャンプをしたことなんか、その当時のことを覚えているかって聞いた。面と向かって話をするよりも、車を運転しながらのほうが話しやすかったのだろうか?

車を運転しながらも、脚の痺れが悔しかった。


2003年12月27日(土) 出社拒否症と自己嫌悪感

前日から明日は出てゆくのがイヤだと思っていた。これまででも、同じ事は何度もあったけれど翌日にはムリにでも出ていた。
今夜は泊まり勤務になっていたことも原因の一つ。朝、起きたときに出勤の意欲は無くなっていた。時間を待ってから会社へ電話をして休むことにした。






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休みにしても、泊まり勤務は残っているから9時ぐらいには家を出る必要がある。これは仮病を使って休むことができない。これはあきらめている。
会社の中に長時間労働を美徳としてみる輩がいる、そして、休暇日数も同じ見方をしている。
自分でした行動に対して言い訳を考えている。その自分に対してイヤになる位に嫌悪感を覚える。周囲の人に対してイヤになっても、人は人、自分は自分と割り切るしかない。自分自身に対しては割り切ることができない。

今日は雪が降っている。これで3度目か4度目になる。北海道は一面、銀世界になっているのだろうか?雪質も違うし、湿度が違うからこっちとはずいぶんと違うだろう。


2003年12月26日(金) 感情と症状の関係?

再び左下肢部分の疼痛がひどくなってきている。自分でそのようにし向けている気がする。
腹が立つ事があると、症状が出ても仕方がないのだ。こんな風に思いこんでいる。
大抵は誰かの発言で無性にいらだつ事が多い。『よくも平気で、そんな事が言えるものだ』と思うような事がある。





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商品の売れ行きが悪いから、管理職は販売協力として購入するように依頼が来た。小銭で済むようなら腹も立たない。
もともと計画時点で達成するはずが無いような計画を作り、土壇場になって謝罪文をつけて購入要請がくれば強制しているのと同じ事。それなら、そうとストレートに言われた方がまだ諦めがつく。今年だけじゃなくて、例年多少の事はやられているのだから・・・・。
提携相手からきた人たちは、自分たちがやれば出来るのだと思い上がっている。私にはそうとしか考える事が出来ない。

世の中には「運のない人」「運のある人」、「幸せな人」「不幸な人」などなど二つに分かれていて自分の力ではどうする事も出来ない事がある。
悲観的な発想だと分かっていても、今の精神状態はこんなものだ。


2003年12月23日(火) 「痛み」が悔しい

今日は『痛み』が強い。いつもの左下肢部分だけではなくて、臀部や股関節まで痛みを感じる。わずかの距離の移動、その車の運転でも運転席に座ったときや乗り降りの際に『痛み』を感じてしまう。この痛みは坐骨神経痛というものを知って、そして長い間苦しみを覚えていなければ、「なんか変だな」くらいですましていたと思う。
心の中で「また、始まったのか?」と不安から来る痛みのように思える。






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日曜日、飛び石で今日も休み。身体を休めるためには、休みが続くことはとても助かる。休みに何かをしようと考えることもしないことにした。
何もできなくても良い、そう考えることにした。


2003年12月22日(月) 変化

昨日と今日、毎日何かの変化を期待するのがおかしいのだろうか?
一日前と比較すると、どう違うのかよくわからない。一時期、脚の痛みが全くない状態だった。そう思っているだけで、ホントはそうじゃなくて多少の事はあったのかも知れない。自分のことがわからなくなって、自分で病気を作り出している。
これまでの知識はすべて正しい、すべて間違い、こんな風に切り分けられるものではないのかも・・・・。






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TMS理論に対しては、疑いを持っていない。内容は納得できると思っている、ただ、私の周囲にはその事に対して手助けをしてくれる人がいない。一番良いのは、医療機関でこのことを取り上げてくれていれば、そう思うばかりだ。
坐骨神経痛だけでなく、それ以外にも対象があるのだろう。

もうすぐ51歳になろうとしている。18歳で会社勤めを初めて、これまで30年以上が過ぎようとしている。勤め人としての残された歳は数えるほどになっている。その間、信じて生きていたことを否定するような事態が、今、自分の身に起こっていると感じる。昨年、あれほど正しいことを会社にとって有益だと信じて、必死になってした仕事が『もしかすると』という、疑惑が自分の心の何に出てきたとき、メチャクチャ後悔と自責の念にとらわれてしまった。


2003年12月21日(日) 眠いばかりの一日だった

朝ご飯も時間通りに食べずに、寝ていることの方が良かった。久しぶりに眠気が勝っていた一日だった。今までにもこんな日があったような気がする。
食べることと寝ていることしか、今日はしていない。






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神経を刺激して、麻痺をする治療をしたためだろう。以前も同じ痛みがあったことを思い出した。「痛みの種類」はとても複雑。言葉ではなかなか正確に表現をすることはできない。
それだけに周りの人が無神経に感じてしまう。私はこの痛みに耐えて普段通りにしているだけで、何ともないのじゃない。こんな風に大声で言いたくなる。
こんな事を考えるだけ、痛みもましだから言えることだろうと思う。

これ以上はあれこれと考えない方が良いのだ、きっと。。。。。


2003年12月20日(土) 自分の気持ちを素直に・・・・

今日は楽になっていると感じる。
仕事でも対人関係でも、喜怒哀楽を自分の気持ちを素直に受け止める、それができているときは、脚の状態もついてきてくれる。
悪いときはどんどんと悪くなっている。「あいつには言われたくない」そんな相手が、いつもにない態度で向かってきても良いじゃないか。
なぜか今日はそんな風に思うことができた。一瞬、反発する心も出てきたけれど直ぐに引っ込んだ。






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いよいよ年末になり、予算も確定に近づく。そして、実行に入るのが年明け早々。
例年通りだと決算で忙しくなり、次に株主総会がやってきてあわただしくなる。会社の商売以外で振り回されて春になる。
今年の予算申請が実施可能となれば、そのころから再び過酷な仕事が発生することになる。予算倒れの方が楽かも知れない、今はどちらでもどうでも良い気がしている。


2003年12月19日(金) やはりダメ・・・・かも

いままで幾度あきらめる気持ちになったことだろう。
いままで何度期待をもって努力したことだろう。
どちらも同じくらいだと思う。今日はまだ腰の注射の跡が痛くて、座っていても立っていても落ち着かない。脚が痛くて何もできない、そんな状態ではない。






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仕事、
ある取引先と価格交渉で全く誠意も感じることができず、こちらがガマンするのも悔しいので、キャンセルをした。今までにも何度も同じ事があった。
その都度、こんな事になるのなら去年の努力をするのでは無かった。その悔しさだけが心の傷として残っている。
残っているところも、このままでは継続することは困難だと思っている。

整形外科の先生
「ヘルニアはない」「精神科の先生に診て貰っているときは調子よかったのにね」
「寒くなってきたから」などなど、聞きたくない言葉が次々と出てくる。
私には、誰か頼る人が必要なのです。最近はつくづくそう思うようになってきている。心の中にある弱い心が表に出てきている様に思う。

これまで、突っ張って生きてきた支えがポロポロと崩れて行っている。でも、同情はされたくない。


2003年12月18日(木) ダウン!!

先週にMRIをやり直して、結果を聞くに行く日が今日だった。ダメもとみたいな気持ちで検査を受けたので、診察を受けてから出社する予定でいた。
その後の一週間、仕事上でいろいろとあり精神的にもボロボロだった。もうダメだと言う気持ちが一杯で、今日は公休にした。今月初の休みで朝から病院へ行く。
午前中は、整形外科での診察。そして、精神科へ行って投薬を受けた。
TMSと言う病気であれば、ブロックを受けても有効ではない理屈になるのだろう。でも、今の自分の気持ちは理屈はどうであれ、少しでも楽になりたい、そして手を出してくれる人の方がうれしい。
自分で意志で治療をするだけの気力が出てこない。






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何ヶ月ぶりの神経根ブロックだろう。一度で決まらず2カ所に薬剤を入れるのに、何度ブロック針を刺し直したかわからない。30分くらい痛みと闘って治療は終わった。神経にヒットしたことは間違いない、これで今度こそ少しでも良いから楽になって欲しい。
毎日のように心の問題を自問自答して、如何にして無意識での怒りを脳内で起こさないかを考え続けている。この両方で前進ありとしたい。

今は脚の麻痺がとれて、腰に受けた注射の跡がひどく痛い。


2003年12月17日(水) 誰のために生きているのだろう

子供の頃、もっともっと若かった頃は自分のために生きていたのだと思える。今だけではなくて、いつの頃からか自分のために生きていると言い切れなくなっている。そのことが知らず知らずのうちに、何かに対してガマンを強いる事になっているんだ。ハッキリとそれが何かはわからない。
一昨年から去年の夏にかけて、死にものぐるいで仕事をして、その事に対して信じるものがあった。それが徐々に崩れてゆき、今では相手に対して不信感すら抱いている。こんな事が相手を変えて繰り返していると思う。






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相手に自分の考えを押しつけることなく、自分の意見を伝えることはとても難しい。自分の気持ちを内にこもったときは、ストレスになる、出し方を間違えると押しつけることになる。すると思い通りにならないときに、これもストレスになる。

自分の気持ちを上手にコントロールして、気持ちよく人とつきあう術を身につける事が必要だと感じている。


2003年12月16日(火) 精神的疲労のピーク

今月に入り休み無し、深夜帰宅が多くて肉体的疲労が限度を超え始めている。
それだけではなくて仕事では、社内社外共に苛立ちや押さえている腹立ちがピークに達している。昨日はついに爆発してしまった。
私が抱えている事は全てが特定の人に対するものではない。しかし、話し合いの中で「そこまで言うのなら、もう話し合いにならない」と言って席を立った。
遅れている仕事で相手の事情をこちらに伝えて、日程を遅らす事を言ってきた。それを了解出来ないと言っても「出来ない事を出来るとは言えない」、そこで話が頓挫した。相手は私がこの事で席を立ったので、あわてて引き留めにきた。

私は溜まっていたものが、一気に出てしまったのでこれ以上話をする事が、苦痛以外の何物でもなかった。





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結局帰宅は深夜1時半、クタクタになって横になる。こんな状態でも熟睡出来ず、深夜に何度も何度も目が覚める。時計を見ていないので時間は分からない。

人との間で話し合いがストレスになっている。心の中で、誰とも話をしたくないと叫び続けている。ホントに疲れた。


2003年12月13日(土) 見切りをつける事の難しさ

一度は「あきらめ」と言うか、物事に対して「未練無く忘れよう」それで自分の気持ちが楽になるのなら、その方が良い。こんな風に考え、こだわりを持たない事に決めた、その筈なのにまだ出来ていない。
取引先への期待を大きく持つ事は止めよう、別の所を探そう。それまでは、表面上はそんな事を考えている事も、悟られないようにしなければならない。
気持ちや性格が、簡単に変える事が出来るなんて、思っていない。

この苛立ちが解消されない限り、症状は消えることなく続くような気がする。もしかすると、死ぬまで持ち続けるのかも知れない。一時は完治するのだと心底信じていたけれど、今はそんな気持ちになれない。いくらあがいても、悩んでも結局同じ所へ戻ってしまう。





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ニュースは暗い事ばかり、楽しい事はニュースにならないだけ。大きく前進している企業もあるけれど、私の所はそうはいかない。お金だけが全てではないけれど、社内の雰囲気も決して明るいとは思えない。
今年はJRでの人身事故がとても多くて、ダイヤの乱れが出ている。つい先日も、神戸の方で人身事故があって、帰宅時間帯に列車の時刻が随分と乱れていた。
こんな事を耳にする度に、自殺かな?なんて考えてしまう。

自分の気持ちの中にあるもやもやに対して、自分自身で見切りをつけるしか無いのだろう。


2003年12月12日(金) 生きて行くために必要な事は?

歩く事が出来るのなら脚が痛くても痺れても、生きて行く事に支障は無い。辛いとかガマンするとかの気持ちは抜きにして、半ば諦めの心境になっている。
気持ちがついて行かないときは、仕事も含めて「やる気」が持続しない。

食べる事や生活の拠点を確保出来ていれば、生きて行ける?
なかなかそんな風に、悟ったように考える事が出来ても、実践する事は出来ない。人になんと言われようが贅沢もしたい、遊びもしたい。きっと、心のどこかでそんな事をかんがえている。





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お金が無くても、自分一人なら生きて行ける。そんなかっこよく言い切れる自信はない。やっぱりお金は欲しい。もっと苦しんでいる人がいる事も知っている、病気で苦しんでいる人は世界中に数え切れない位いるのだろう。
こんな比較で、今の自分の気持ちを納得させる自身は、全くない。

いくら腹が立っても、どうにもならない事が周囲で次々に起こっている。仕事の事も、プライベートな事も含めてイヤになってしまう。こんなぶつかる何かが分からない状態で、愚痴ばかり書いている自分もイヤになっている。だからいつまでも痛みが続いているんだ、きっと。


2003年12月11日(木) 信頼関係と坐骨神経痛

このところ仕事をする上で、どの取引先とつきあうかで悩みが大きくなっている。
会社がものを買うときに「安ければどこからでも良い」、こんな風な雰囲気がどんどんと強くなっている。確かにそれですむ場合が多いのだろう。
しかし、私の仕事がら「継続性」を重要視する必要がある、だからといって高くても良いと言うことはない。仕事をする上で「契約」だけで物事が進むのであれば、今私が悩んでいる様な事は無意味かも知れない。
一端『不信感』という気持ちが出てくると、いくら顔をつきあわせて言葉数を増やしても気持ちは変わらない。
企業間でも、社内でもプライベートでも「信頼する人とつきあいたい」と考えるのは同じような気がした。私が普段こんな事を考え続けていて、何か答えを見つけようとしていたから、突然こんな話を切り出したので、あいてはキョトンとしていた。

ある取引先の人との会話。
Aさん「仕事を続けるのに、私はどうすれば良いのですか?」
わたし「あなた次第だと思います」
Aさん「具体的に何かを言ってください」
わたし「具体的に何かを言えるくらいなら、すでに言っています」
Aさん「禅問答みたいな事を言われても・・・・」
わたし「言えるとすれば、『信頼関係』を保つための事をして欲しい」
余計に話が合わなくなる。これ以上何かを言うには、どうしても自分の気持ちを相手に押しつけてしまいそうになった。






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今日は通院を続けている病院で、MRIをとった。腰痛と坐骨神経痛で何度受けたか相当な回数になることはハッキリとしている。過去に一度も異常は見つかっていない。今度も結果は聞かずともわかっている気がする。


2003年12月07日(日) 連日の過剰勤務

大きなトラブルが発生して復旧作業のため、本日で3日目になる。昨夜はポツポツと仮眠をしただけで、今(日曜の17時)復旧の見込みがないために勤務中。
仮眠と言っても、身体を横たえているだけでいつどのくらい、睡眠がとれたかはハッキリとしない。





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頭が朦朧とするだけでなく、吐き気、ふらつきなど腰痛と下肢疼痛にプラスされてきた。仕事の過剰さもストレスになっているけれど、そのこと自身よりもこの大変さを理解してくれる人が周囲にいない事がある。「なぜ、私がそこまでしなければならないのか」と言う疑問と、「イヤでも逃げるわけにはいかない」と答える自分がいる。
こんな事を考える中でも、特に腰の痛みがきつくてとても辛い。お尻の下部分、足首や臑部分の痺れと痛み、数えて行けばどんどんと増えて行く。

もう、気持ちがついて行かない。


2003年12月05日(金) 帰宅時刻、午前4時

トラブル続きと騒ぎに巻き込まれて、本日帰宅が午前4時。そして、明日はどうしても休めない別件がある。
今日、明日という表現が最近は大抵日付がずれている。これで体内時計が正確に刻む訳がない。と、思う。






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連日のようにこの状態が続いて、腰痛が出ていってくれる筈がない。これが暗示だと言うのなら、言えばいい。疲れたなどと言う表現では言い表せない。

単に仕事が多いとか、仕事が忙しいなどと言う生半可な状態じゃない。いくら鍼に行って腰が軽くなった気がしても、よく持って半日。それも気持ちだけのように思う。周囲への気遣いもあわせて心身ともクタクタ。


2003年12月04日(木) 痛みはつづく

今日もガマンができずに『鍼治療』へ出かけた。気持ちがその治療へ向くだけで、歩く足下がふらついてしまう。全く鍼の効果を期待していなかったら、予約もしていないし治療に行くことも無かったと思う。血流が良くなるためには、鍼治療も有効だと信じているんだ。
今は一時的にでも痛みが緩和されるのなら、何でもしたい。
本当に辛い。






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仕事の苛立ちもピークになっていることがわかる。
午前中は予算申請の内容で悩み続けていて、そのリミットで一か八かの書類を作るしかないところへ追い込まれてしまった。決心が付かずにいらついている最中に、今度は難題を社長が持ち出した。その対応に周囲が右往左往している、このことも逃げることはできずに説明に時間ばかりが過ぎてゆく。その騒ぎの中でトラブルが発生した。課員が対応しているが、事が大きいから放置するわけには行かない。
どうにかこうにか出てきたことを収拾させて、ギリギリの時間で会社を出た。

やっと帰宅しても座ると、やはり脚の痺れが無くなっていない。毎日毎日、こんな事ばかり書いて、何も解決せずに痛みと向き合うことに精神的に参った。
それでも気持ちを書き残すしかない。


2003年12月03日(水) 腰痛の呼び水

今日も朝から幾度も、ギクリとする痛みを感じる時があり、その度に不安と戦っていた。歩いているとき、座るときや立ち上がるとき、姿勢に関わりなく右腰に痛みが走る。
何かの行動か或いは、何かの言葉が『呼び水』となり腰痛が再発した気がする。






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脚の疼痛も休む暇無く自覚するので、これはこれで辛い。腰痛の痛みは瞬間的な激痛なので、違った怖さがある。痛みが襲うたびに、坐骨神経痛が出る前に苦しんだ頃の事が鮮明に蘇ってくる。

思い起こせば一昨年の今頃、大きな仕事に対して決断をすることになり、そのプレッシャーで症状が出たと思うときがある。そのことと同じで、発注額は桁が違うが一歩間違えたときの被害範囲は同じなんだ。だから迷いがあるし、さけて過ごせるなら避けたい。しかし、ごまかしても社内の混乱が見えてくるので回避策を出す必要がある。その相反する気持ちに踏ん切りがつかない。
今夜もギリギリまで、そのことを迷い続けて結局答えが出てこない。

仕事以外でも、何かが呼び水になって、左足の痺れだけではもの足らず腰痛という厳しい痛みを発症している。そうとしか思い当たることがない。
鍼に行ったけれど元来即効性は無いと言われているので、一度だけで結論を出すことはムリだとも考えてしまう。病院もそうだけれど、何かに頼っていなければ痛みとつきあうことができなくなっている。


2003年12月02日(火) 「腰痛」が出た!!

数日前か、発生開始の日はハッキリとしない。昨日、何度か右側の腰で痛みが出て今日はどうにもならない。座っていても痛みが出る、歩いていても痛みが出てくる条件が分からない。
脚の痛みで苦しむ前は「この腰痛」で、長い期間苦しんだ記憶がよみがえった。この事も、坐骨神経痛と同じ事だと理解をしている。(つもり)
あまりの痛みでガマンが出来ずに「鍼灸院」へ駆け込んだ。右側の腰と左の下肢部分の痺れ。





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鍼が終わったとき、腰が少しだけ楽になった気がした。会社へ戻って、椅子に腰掛ける瞬間に「痛みを感じた」、この時点で全てがパーになった気がした。
腰は痛い。非出し脚は痺れて宙に浮いているようで、その脚に痛みが追加されてくる。
ここ数日の過激な勤務、仕事が片づかない事への苛立ち。この期間で我が身に起こった苛立ちは、いくつかあげられる。気づいている事は関係がないとう。
今の気持ちは「気づいていても、その中に言えない苛立ち」があれば、それがきっかけになっている気になる。

『人間関係』・・・裏切りではないが行為は裏切られた。その相手は最後の砦の気持ちでいた。この小さなわだかまりの積み重ねで不信感に変わり、人間関係が崩れて行ってゆくと思う。

こんな事で我が身の痛みに変わる事が情けない。同時に気持ちの中に「疾病逃避」の願望が芽生えている、反対の気持ちと同時に・・・・・。


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