坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2001年11月20日(火) 精神内科

紹介状と検査結果をもって初めての病院へ。初めてと言っても、この事で訪れるのが初めてできた事がない病院ではない。精神内科という所は聞いた事も初めてなので不安で一杯だった。
待っている患者数も少なく、受付を済ますとすぐに診察室へ入った。
持っていったMRIの写真を見て最初の言葉は、写りが悪いのでもう一度MRIのやり直しをするようにと言う事だった。なんとなく、感じたのは検査内容は他の病院のもので診断を出す事は出来ないと言う雰囲気だった。
MRIの検査日は12/4となった。またまた、先延ばしになっただけだった。

この頃は、右の腰も痛かったけれど両脚の足首付近が痛みと痺れで歩く事も苦痛だった。力が入らないのを無理矢理、歩いている状態だし、座っている事も苦痛。
仕事はいよいよ佳境に入り、手帳の予定表も隙間がないくらいの状態で、ひとときも安心出来る日がない状態だった。


2001年11月17日(土) 転院

日付は、過去の手帳を見ながらなので正確ではない。
開業医の整形外科で痛み止めの注射をして貰い、効果もなくビタミン剤の点滴を受けていたときの事。何となく横になっていて点滴で気分悪くなったので、声をかけると愛想なく「何ともない」と言われた。それで、もうこんな事を続けていても良くなるとは思えなくなくなり、途中でやめて欲しいと言った。
その日は、こんな冷静な状態で言ったのではなくパニック状態で帰ろうとしたと記憶している。
既に治療時間も過ぎていたので、患者さんもいなくて待合室は電気も消えていた。
あれる私を引き留めるようにして、看護婦さんが体を支えていた。そんな状態の時に、その病院の院長がやってきて言った。

異常も見られないし、症状は改善されないのでここでは、もう手の打ちようがない。検査結果も全て渡すし、紹介状も書くのでA病院で詳しく見て貰って欲しい。
そこが、現在(H15.5)も通院している総合病院で行き先は、「精神内科」と言う診療科だった。
その紹介状をもって病院へ行く日が翌週の19日、20日は泊まり勤務の予定だったので最悪の事を考えた。午後から会社へ出社して、関連するごくわずかの人にだけ事情を伝えて止まり勤務を交代して貰い転院先の病院へ行く段取りをした。


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