for mobile/http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=24082

24082

■年越し?■

夜中に父と二人で飲みに行った。
こういう時に父の機嫌が一番良くなる。
でも私は半分意識がなかったのであんまり覚えていない。

極端に言うと、父はもう年なので生きているうちに
後悔しないように喜ばせたい、と思っていたりする。
母の実家で年越しをするので正月、父は1人だし。

飲みに行った帰りは、手なんか繋いで
腕なんか組んだりしていた。
私はお酒を飲んでいる時の父の方が恐怖を感じなくていい。

アルコール依存の方はお酒を飲んで暴力を振るったりするけれど
父はまったく逆で、怖いのは機嫌が悪くて酒の抜けている時だ。

そうそう、1月7日は正月休みで帰国した友人に逢う為に
朝から県外へ出かけるのだと前にも日記に書いたのですが
しかもその時、間違って診察の予約をしないようにとも
Fがこの日記を読んでくれる事を願ってわざわざ書いたのですが
今日カバンの中に見つけた予約表には、しっっっかりと
「2002年1月7日」と書いてありました(ガックリ)。
予約を変更したいのだけれど正月なんて電話も休みだろうか。
表面上笑っていられるだけマシかもしれないけれど
週1回の診察でもまだ増やして欲しいと思うくらいちょっと辛くて
その上外出が苦な私の代わりにFが通院するので私の時間がない。
母が嫌がるので薬は一切処方してもらっていないのだけれど
診察だけでも受けたいと思うのはやっぱり其処が[病院]だからか。
診察のその時だけでも楽になったり何かしら変化があるので
病院の診察室という場所に行く事だけでも楽になりそうな気がする。

これを書いている現在時刻は31日の朝6時半で、
実は暖房が効かず寒いので早くPCを切ってコタツに潜りたいです。
年内は営業、なんて書いたけど、明日から正月休み取ります(笑)
母の実家は携帯の電波も殆ど届かないので。

それでは皆様、良いお年を。
■2001年12月30日(日)■

■髪■

店が終わってストレートパーマをかけなおしました。
暫くかけていなかったのでウェーブが。

仕事中に買い物に出たんですが、薄いカットソー1枚と
膝上までのスカートという、傍目には滅茶苦茶寒い出で立ちで
颯爽と自転車をとばしました。子供は風の子というやつです。
覚えている限り私服はずっとパンツルックだった筈なのに
スカートを履くようになったのは一体いつからだろう。
多分つい最近。いつも10歳は老けて見られていたのがやっと
年相応かそれ以下になったと思います。
だって、スカウトの方に前よりも声を掛けられなくなった(笑)
未成年者なんて、雇ったのがバレたら即、潰れてしまうので
あちらも手当りしだいとは行かないのでしょうね。
それに自転車な事もあって今日は割と落ち着いて外出が出来ました。
帰ってきてからはずっと頭痛や吐き気がひどくて
過呼吸にもなりそうだったので無理矢理に息を止めたりして
背中や尻が冷や汗なのか脂汗なのかでびっしょりでした。
■2001年12月29日(土)■

■服■

白い服を染料で黒く染めていた。一度目は失敗してしまって
黒と言うよりカーキになってしまったので、水が多過ぎたと
今度は少なめにして染めた。うーーーむ。…こんなもんか。
ミシンを、(多分)最近買い替えて
以前の使い慣れていた物ではなかったので
何だかハイテクになってるし押えが何処だとかスイッチが〜とか
四苦八苦していたら、針に指を引っ掛けて痛かった。

最近ネットに繋ぐ時間が極端に減っていて
彼と電話やメールをする回数もかなり減っていて
このままだとPCがただのハコになってしまう。
月々定額なので使わないと勿体なくて無理に繋ぐ。
日記を書くのも本当は苦痛なのだけれど

今年いっぱいは営業しますので。(店じゃないって)
■2001年12月28日(金)■

■泣きそうだ■

朝、父に年賀状を書く手伝いをしてくれと言われたけれど
昨日のうちにPCで作っていたので後は宛先を書くだけだと話した。
PCで描いた馬と冷たい明朝で挨拶の書かれた年賀状を見て父は
素晴らしい、ありがとう本当にありがとうお前に感謝する、など
思い付く限りの褒め言葉と礼をS.明石家さんばりのアクションで
沢山たくさん浴びせてくれた。この人の発する褒め言葉は
エビフライに例えると9割9分が衣という具合で、それは私も
父はそういう人なんだと承知している。けれど
これほど絶賛され感謝されると、先程までの父に対する恐怖と緊張を
一体どういうつもりだったんだと思い申し訳なくなった。
私は決して父を嫌ってはいない、寧ろ愛しているんだろう。
心や身体に暴力を振るわれた事も事実なら
肩車をしてもらったり一緒に蝉を捕まえたのだって事実なんだ。

風呂は普段から熱いのが好きなのだけど、今日はそれよりも
かなり熱いお湯をはった湯槽に浸かった。
身体の色々な所にある自傷の傷がまだ治りきれずにいて滲みた。
彼はこんな身体でも引かないでくれるんだから嬉しい。

夜に仕事が終わってから父のいる4階へ夕食を食べに行った。
父は、昨日酒を飲まなくても眠れたのだと言って上機嫌だった。
酒を飲まないで眠れるに越した事はないけれど、
酒を飲まない日の父はそれはそれは沢山の食事をとる。
以前ドクターストップをかけられ40日間禁酒した時はかなり太った。
生命に危険があると知って禁酒をすると父はパッタリ酒を止める。
けれど生まれ変わったような禁酒期間が終わると
また一晩に5合以上を飲むようになる。

食事の後、年賀状の宛先を書く手伝いをした。
父の友人知人に送るものだから当然なのだけど、その中に
小学生の頃私に悪戯をしたあの男性の名があり
頭の中の後ろの方で、Mという人格が呻いていた。
ひどい目眩がして動けなくなって、落ち着かない父の部屋で
少し横になった。年賀状を書き終えて3階に戻るが
目眩が治まらずにそのままコタツで横になっていた。
5時前に起き上がってネットを始めて、今日記を書いた。
■2001年12月27日(木)■

■身を守る意味での自傷■

影響受けそうな人は読まないで下さい。

Mという子供人格がいるのですが、性的な被虐を背負っていて
今までに何度か手足や膣を刃物で傷付けています。
手足は一般的な自傷の理由に当てはまるようなのですが
膣の方は傷つける事で可虐者に手加減してもらえるかも知れないという
無意味な期待から傷付けているらしく。
血が滲んでいるのを見て興奮こそすれ手加減も容赦もしないのが
可虐者というものなのですが、Mにはその部分は見えないのでしょう。
今日も同じようにしていて血は薄く滲んでいただけですが泣きました。
そうまでしないと安心出来ないMが哀れです。
でも直接説得する事も、止める事も出来ないのが情けない。

寝覚めが悪くて朝から痙攣したり過呼吸になったりしていた。
リラクセーションを自分でやってみたけれど、この部屋で、
いつあの足音が聞こえるか解らないこの部屋で落ち着ける訳がない。
そして、誰かが汚い口調で
「子供を強姦するのが楽しいのは、その子の未来や精神に
一生俺が記憶され、グチャグチャの深い傷になって残るからだ」

と言っていたのを思い出した。どれほどショックだった事か。
凄く死にたいと思う。自分の身体を熱消毒で焼いてしまいたい。
■2001年12月26日(水)■

■診察■

具合が悪い時に一緒に病院に行ってくれる人が居たら
どんなに嬉しいだろうか、ひとりでバスにのって吐きそうなのを
我慢して病院まで行くのがつらくて途中で引っ込んだ。

彼にメールを送ってみたけれど返事がなくて
気付かないか暇がないのだろうとは思うけど
私が一昨日たくさん嫌な事を言ったから怒っているかな、とか
色々考えてしまう。
彼は私が落ち込んでいる時、一緒に落ちてはくれるけど
そこから引き上げてくれる事はない。でも付き合ってくれるだけでも
有り難い事なんだろうな。ただ遠距離でなかったら、電話では
無言の時間でも、手を握ってもらう事だって出来るのにと思うと
少し、というかかなり寂しい。でも毎晩夢で魘される事を考えると
彼の方が睡眠不足で悩まされたり、私の不安定に付き合って
より精神を削らなければならないんだろうから遠距離でよかったかも。

独りでぜーはー言ってるのは少し嫌だ。
でももし傍にいたとして、それに彼を付合わせるのはもっと嫌だ。

関係ないけど、最近泣き疲れて眠る事が多い。
普通に寝ようとしても怖くて具合が悪くなって眠れないのだから
理由が泣き疲れでも、寝つきがいい事は嬉しい。
■2001年12月25日(火)■

■えーと■

昨日は休んでしまって申し訳ないです。レスも(汗)。

今日はイヴでしかも振り替え休日で祝うにはもってこいだというのに
うちは正月休みを取る為に本来定休の月曜、今日も営業してました。

私は昼、本を借りに、歩いて五分の図書館へ行ったのですが
本を検索していたつもりが隣の市の町中で突っ立っていました。
滅多に行かない所だったので見知らぬ土地に来てしまったようで
とても混乱していたのですが、彼にメールしようにも昨日不安定な時
喧嘩して、もういいだのもう頼らねえだのと言ってしまったので
その翌日に「どうしよう」なんてメールする訳にもいかず。
幸いお金はあったので、こころが落ち着いてから電車で帰りました。

あすは診察です。
■2001年12月24日(月)■

■不安とか恐怖とか■

発作とか震えとか今の状態が続かずに回復すれば
明日、友人Mに逢います。
■2001年12月22日(土)■

■電話■

今日は夜に友人Mと電話をした事しか覚えていません。うーむ。
貸したCDを返してもらう為に今度逢おうやという話し。
彼女は借りたものを又貸しするような事はしないので嬉しいです。
借りたものを他の友人が貸してと言ったら、借り物のCDは貸さず
MDにダビングした物を渡す。又貸しって何人も重なると
無くなりますもんね、物が。
昔は人に嫌われたくなかったので誰にでもCDなどを貸してしまい
又貸しされて色々な物が消息不明になりました。今思うと勿体ない。
現在は嫌われようが冷たいと思われようが又貸しする人には貸さない。

さっきカエルの夢を見ました。皮を剥がれたヒキガエルと
剥がれた皮のヒキガエルと 小さな緑色のアマガエルが、干涸びて
ぺしゃんこになって書類ファイル(何故)のポケットに入っている
それを私は生きていると思い込んで水を与えている、という夢。
・・・何なんだ一体。なんで書類ファイルなんだ。

追加-6:30-
暫く他のサイトに書き込みをしていなかったので
色々な所に一気に顔を出してきました。といっても挨拶だけ。
掲示板での交流って、私にとってかなり勇気が要るものでして
同じ場所でも相手が変わると、それに慣れるまで数カ月、
時間がかかります。話をする相手ごとに、各々慣れないと書き込めない。
一度挨拶をしたっきり、また来ますと言いながら
一ヵ月以上書き込んでいない掲示板が幾つかありました。
自分の掲示板でも、1つレスをするのにかなり時間がかかったり(笑)
嬉しくないわけでは決してないですよ、ただ自分にとって
掲示板での交流は事はものすごく大きな作業だ、というだけ。
メールも同じくですね。あ、でもチャットではたくさん話します。
■2001年12月21日(金)■

■霞み■

だめだ、苦しい。でも今日はちゃんと仕事したもんね。
あとは父の血圧の薬を貰いに医院に行ったりお使いに行ったりと
外にも出ました。人と擦れ違う瞬間が嫌で、その都度心の中で
「うぁぅー」と低く叫んでみたり変に大きく回って離れたり(失礼)。
何だかんだいって結構具合がよくないので今日はこれで。
■2001年12月20日(木)■

■言わないと出来ない子■

ネットで知り合った友人の中で、考え方とか常識とか、
育った環境までそっくりな人がいまして。
でも今日、MSNで話していて、友人があんまり当たり前の事を言うので
「そんなんわざわざ言わんでもわかるわー」と思って
なんか少し腹がたってしまったのですが(笑)、その事で
いつもよりちょっとだけ真面目に話していました。

私と友人の違いのひとつが、私は人付き合いがあまりなくて、
友人は沢山の人と付き合いがあること。
 分かりやすい例えで言うと、
初対面の人間に対する挨拶なんかは、10代以上の者にとっては
初対面ならまず挨拶しろ、なんて言うまでもなく常識だけれど
付き合う人が多いと、非常識な方とも知り合うことが多いので
挨拶くらいしようよーと口に出す事が多くなってしまう。
当たり前のことをわかっていない人が多いから、
当たり前だと思っている人の前でもそれを言ってしまうんだろうなと。
・・ちょっと考えたらすぐ答えが出そうなもので腹立ててました(笑)

私は、付き合う人をものすごく選んでしまって、常識のない人は
私の眼に見えない上、自分の考えている事をあまり人に話さないから
口に出さない癖がついてしまってまして。
自分の中では、常識は口にしない、が当たり前になっていたので
言わなければならない環境がある事など考えていませんでした。
{私の友人殆ど子持ちで、10代とかの若い子少ないし(時代遅れ)。
歌う曲がフランク永井とか石原裕次郎とかだし(携帯の着信音も)
モー娘。とかゴマキしかわかんないし(本当に時代遅れだなぁ)。
話が逸れたけど、幼い頃父によく「自分より下の奴とは付き合うな」と云われていたので本当に年上しか居ないんです。ある意味世間知らず}


そういえば小さい頃、「ちゃんと挨拶した?」と聞かれるのが
もう嫌で嫌で堪らなかったなぁ。んな挨拶くらいできるわ!と思い
「言わないと出来ない子」と思われるのが恥ずかしくて堪らんかった。
ああいうのってあんまり言われると、バカにされてる気分になるのね、
多分、何処の子もそうだと思うけれど。そこからも来てんのかな。
ということは、その頃から成長してないって事か(汗)。

嫌な夢を見ました。
入眠時の具合の悪さを越えても、寝たらこれだ。うー。

最近、ネット上でも出不精です。チャットなどは行くけれど
知り合いのHPの掲示板とかぜーんぜん顔出してません。申し訳ない。
そのうち書き込巡り行きます、そのうち(いつだ)!
■2001年12月19日(水)■

■外出■

13日の日記にも書いた、外で元売春相手の男性を見かけてから
前にも増して外に出るのが怖いと思うようになったのだけれど
実際は外に出ても怖いという感情は何処かに流れてしまうらしく
私が怖いのは外に出てからというより外に出るまでの方が強い。
でも、だから大丈夫だ、と思って外に出ると今度は具合が悪くなる(笑)
やっぱり、出掛ける前に構えていた方がいいんでしょうか。
・・・・・外に出なきゃいいんじゃん(ヒキの始まり)。

私は、身体の症状に慣れる事はよくあっても
恐怖などに慣れる事は殆どないんだろうな、と思う。
慣れる事がないから怖いものや場所が増えていく。
増やさないようにするにはどうしたらいいんだろう
慣れたり恐怖を薄れさせるにはどうしたらいいんだろう。
ほかの人(格)に流れてしまっている恐怖も。
■2001年12月18日(火)■

■通院日■

今日は病院に行く日だったらしい。実を言うと私は医師と話すのが苦手で(というか目上の人間と話をするのが苦手なんだろうか。私の礼儀がなっていないから)先週は目が覚めた時に診察室に居たものだから少し疲れた、医師は私と話をしたかったらしいので丁度良かったがこちらはどうも緊張してしまって変な笑いが込み上げてきた。しかしそれで自分から環境を変える事が出来るのなら悪くはないかな。でも今日は表には出ずに盗み聞きしていた。先週の続きのような感じだったが具合が悪くなったようで、その時表にいたFという私は泣きそうなのをわざと顔をしかめて誤魔化していた。しばらくして落ち着き、終了しようとしたが少し混乱している状態の別の私が出て来てしまって椅子に座ってガタガタと揺れていた。ああいう時に交代できれば身体全体としては落ち着くだろうに混乱しているから定着してしまうのか、止めてやる事が出来ない。薬で落ち着くなら注射でもすればいいのにと思うが母に薬は駄目だと言われているので無理か。少し静かになった所でFに戻っていた。時間がかなりオーバーしていて申し訳ないと思うのと同時に、医師は怒ったり呆れているのではないかと不安に思った。診察室を出てから暫く、Fが待ち合い室の椅子で横になっていた。朝からの雨が帰りには止んでいた。DAZZLEの私はキツイようだ。入眠時に具合が悪くなり、寝ながら死んでしまうような気がするので眠れないらしい。嫌な夢しか見ないのだろうし。でも目が冴えている訳ではないので眠くてたまらないとか。
私信:Lさんおやすみ。         K2
■2001年12月17日(月)■

■■

手足とか痺れてます
■2001年12月16日(日)■

■フリマ■

店の前でフリーマーケットをやっていたので、
終わってから行ってみました。いやぁ安かったです。
結構新品のものが100円とか、50円とか(!)。
マフラーとブラウスとシャツとパンツを買いました。
パンツお気に入りです、少しサイズ大きいけど明日はこれで仕事しよう。


昨日書いていた事で彼や友人に心配されてしまった。
大まかに説明すると、昔母が入っている宗教が原因で
両親が喧嘩したり別れる別れないと色々あって
私は取り敢えず母の言う通りに集会などに通ったのだけど
そこでの刷り込みの力が強くて今の私にもかなり影響している。
神様の事や性に関する事や世界の平和の事や家庭の事とか。
その宗教は悪い噂がいっぱいで、世間的に否定されているもので、
父が猛反対していて、客の前でもわざと大きな声で母に言っていた。
でも私は、普段一緒に生活している母の方を信じたし
情報が理解できる今は私も否定的ではあるけど刷り込みは消えていない。
そういう話を、昨日MSNで友人に話していたのだけれど
その友人が教えてくれたHPの資料にマインドコントロールの話があって
元会員が裁判を起こしたとか他にも色々な情報があった。
中に、脱会者の為のカウンセリングの事も書いてあったのだけど
その内容もまた「本当の信仰とは」みたいな宗教的な雰囲気で
どちらも信じられないというか、とりあえず混乱したわけです。
・・・いや、書ける範囲ではそれだけ(笑)

さっき10分くらい寝たんですがその間に見た夢が、
主治医と話をしていたら主治医がいきなり全くの別人にかわって
私に暴行を加えたりしていて、意識がトンで気がついたら元の主治医で
大丈夫ですか?と言われたので大丈夫ですーと言ってトイレで吐いて
はースッキリ。と思ったらいきなり高熱が出て倒れて暫く休み
そのあと色々話していたら、ネットの友人が私の地元に来て
同じ大学病院に来る事になったよという話になって笑っていた。
とこで眼が覚めた。起きてフラフラして、本当に熱がありました(笑)
■2001年12月15日(土)■

■信じる■

ちょっと日記に書けないような事で落ち込んでます。
なんだかなぁ。今まで刷り込まれてきたもので、
私自身に良くも悪くも、かなり影響しているものが
それが第三者からの情報で「よくない」ものだと分かって
でもその新しい情報もなんとなく
メンタルな部分に入り込もうとする文章だったので
大袈裟に言うと「何を信じたら良いんじゃ」という感じです。

ぁあー。
■2001年12月14日(金)■

■ニュースとか■

「自分の精神病治療薬ネット販売、21歳女性書類送検」
紙面には[多重人格]という文字が強調されて載っていた。
前の小学校の事件といい、周りの眼から見て精神障害と犯罪が
前にも増して酷く繋がりやすくなっている気がする、
そして多分、その為に精神障害を持っている人はもっと生き辛くなる。
店にいる時にそれを知って、思わずその場に居づらくなって
丁度客が途切れていたので食事をすると言って上がり
食欲どころか吐き気すら感じるのにコンビニに食べ物を買いに出た。
周りを歩く全ての人が私を睨み、また笑っているような気さえして
コンビニの監視カメラまで怖かった。でも、それだけならよかったのに
横断歩道のわきに停まっている車の中に知った顔があって
腕に電気が走ったようになり慌ててその場を離れた。
足が震えて動悸がして物凄い目眩と吐き気がして怖くて怖くて動けなくなりそうなのを堪えて遠回りをして帰った。車の中に居たのは一昨年あたりまで時々逢っていた男性で私が私を売っていた相手だった。でも
同じクラスの生徒にこちらから声をかけても気付かれないくらい
私は容姿がかわっていて、当時より10kgは痩せているから
気付かれる事なんて殆どない。と思いたい。また外を出歩けなくなる。
店に戻って、ニュースの事でまだ居づらくて無意識に麻痺させてしまい
そのまま記憶が途切れてしまった。その間、ニュースと男性の事を
混ぜ合わせて極端にしたような物凄く嫌な夢を見て、眼が覚めたら
自分の部屋の床の上で、手足は冷たいのに背中は汗をかいていた。
友人が夢に見たと言っていた「気違い狩り」を思い出して、
いつかそれが本当に起こってしまうんじゃないだろうかと思った。
でも。
暫く音沙汰のなかった友人からメールが来ていて、それを読んで
とても楽になった。「障害自体は決して悪いものではない、
自分達の過去に負けないでいこう」というような内容で
本当に勇気づけられた。友人の書くメールなどの文章は凄く優しくて
読んでいると、何というか生きる気力が出てくる(大袈裟?/笑)。

私は、1人じゃないと思うことが出来るようになりました。
以前のように死に逃げたいとはあまり思わなくなりました。
大切な友人達や彼や医師に支えられてなんとか生きてます。
本当に、ありがとう。
■2001年12月13日(木)■

■繋がる■

昨日休んでしまったので、今日は早朝の準備から始めた。
ボイラーを付けたり蒸しタオルを暖める機会にお湯を入れ湧かしたり
まだスタッフの来ていない真っ暗な店内を恐る恐る歩き回る。
準備が終わる頃に友人Nから電話がかかってきて
正月に休暇で日本に帰ってくるから逢わないかという事になり、店の
休みの日を指定した。病院の予約取ったりしないように気をつけないと。

某所で「愛とsexは繋がらないが愛と暴力ならバッチリ繋がる」と
あまり笑えない話を笑いながら話した。
父に教わった愛は凶暴で、たくさんの暴力の後の「愛しているから」。
母に教わった愛は犠牲的で、神を中心に自分の為でなく他が為に生きる。
「夫に右の頬を殴られたなら左の頬も差し出す」それが愛だった。
私はずっとそれを嫌っていたけれど、嫌っても私の中に浸透していた。
彼は優しく、暴力も振るわない、暴言も吐かない。
そんな所が大好きなのに、それに違和感を感じてしまうのは
私の中で愛と暴力が切り離せないどころか絡まっているからだろうな。
育った環境の所為にしたいわけではない、環境よりも
それに気付いてもどうにも出来ずにいる自分を何とかしたいと思う。
■2001年12月12日(水)■

■愚痴■

取り敢えず生きてます。動けず20時間くらい寝てた。
色々書きたいけれど、途中で何度も意識が飛んでしまい
その度に開いていたウィンドウが閉じられているので
(保存しようと思うけれど、もう少し書いてからと思い
結局保存せずに消えてしまう)、いい加減苛立ってきてやめた。
今、シチューを温めていたら
酔って呂律の回らないくせに大声の父が来て寝ている母を起こし
「お前が起きているから母さんが眠れないんだ(方言で)」と
怒鳴って帰っていった。父よあなたが起こしたんだろうが。
窓の外から見てまだ起きていると思われないよう、電気を消した。
父は好きだけれど、こういう時にびくびくして恐ろしくて
足が縺れて階段から落ちればいいと一瞬思ってしまう。
せっかくシチューを食べようと思っていたのに
何だかお腹がいっぱいです。野菜ジュースでも飲もう。

追加-4:18-
父は極端に強い人間で、私が世話になった前の病院や警察で
あなたは軍人のようですね、みたいな事を言われていた。
気が強くて自己中心的で機嫌が悪い時は近寄りたくない人間だった。
だから今の彼が、優しいが脆い人間に見えてしまう。
逆にこちらが大丈夫だと言って元気付けなければと思ってしまう。
多分私は、男性のプライドを酷く傷つける事を言っている。
それを彼に直接言ってしまった。彼は優しいから何も言わなかった。
今日私が落ち込んでいて調子も悪くて、それを察してくれた彼が
どうしたのかと尋いてくれて、何でもないと答えなかったのが始まり。
あーどうしよう。はぁ。明日謝っとこう。
そういえば今日、同じく九州男児の父親を持つ女性とチャットで
「父親は自己中で気が強い」という話をしていたら
北海道の男性に「九州の家庭のあり方は異常に見える」と言われた。
彼いわく、北海道では女性が強い家庭が多いらしい。
全ての家庭がそうと言うわけではないけど、地方によって
多少なり違いがあるんだろうなぁ。面白いですね。
■2001年12月11日(火)■

■機嫌取り■

病院に行ってきた(忘)。
夕方、友人に会う約束をしていたのだけれどそれまでの時間、
私や他の私が通っていた中学校に行ってきた。
改築中で美術室などはプレハブに移されていて道に迷った。
1時間くらい話をして、いったん家に帰って街へ。
6日に誕生日を迎えた友人Sと会い学校帰りのMと会って
ロッテリアでSに奢ってもらって(誕生日なのに/笑)
誕生日プレゼントとしてSにデニムのジャケットを買った。
Sはファッションに全く興味がなく「着れりゃぁ良い」という人なので
今度結婚するSの彼の為にも、これでオサレ好きになってくれたらいいな。

家に帰ると母の眼が赤くなっていて、父が妙に機嫌を取っていた。
情に訴えるような言い方(笑)で「家族で食事に行くのもいいよな?」
と父が言うのでロッテリアでお腹いっぱいなのに付き合った。眠い。
食事と言っても一品ものと地酒の店なので、飲みに行く、の方が近い。
店主が御好意で出してくれた抹茶のアイスクリームを
美味しい美味しいと言いながら(本当は嫌いなので)味わわず飲み込み
急いで食べたら冷たくて頭がキーーーンとなった。
その後、その店の近くのスナックへ。半分自棄でいっぱい歌った。
フランク永井とか西田佐知子とかそういうのを。嫌いではない(笑)。

実は身体が凄く重くてあんまり動かないのでレスはまた明日に。
■2001年12月10日(月)■

■タイトルからして■

昨日の日記はちょっと吃驚させてしまったようで申し訳ないです。
色々な方から言われました(^^;;
一応メンヘル系の日記なので、やっぱり刃物=自傷って
繋がってしまう事が多いのかな。でもそう繋がる事が多いからこそ
自分の中での「剃刀の位置?」みたいなもんを確認したかったんです(笑)

明日は、6日に誕生日だった友人に会う。何か買ってやる。菓子とか。
本当は当日に電話しておめでとうと言ってやるつもりだったけれど
すーーーっかり忘れていたので今日電話した。
あと病院にも行ってきます。
■2001年12月09日(日)■

■剃刀のこと■

少し前から、仕事用の剃刀を変えた。今まで使っていたものは
新しいものだけれど軽くて安定感がなかったので、少し前の型のものに。
中学生の時、初めて剃刀を手にした時からずっと使っていた。

初めて、練習が必要な仕事についた。初めて腕に差が出る仕事。
シャンプーなども勿論練習が必要だけど、あれはやりなおしがきくから。
手にした自分用の剃刀が嬉しくて、たくさん練習した。
学校でも、保健室のベッドの中で鞄から出して、手首の動きの練習。
もちろん刃は入れてないけれど(笑)。
剃刀の柄の部分は樹脂で包まれているのだけど、それが肌に合わず
今も右手の小指だけ(甲で柄を支えるから)皮膚がボロボロだ。
肌には合わないけれど、大切な相棒のような感じ。
だからその剃刀にすごく愛着があって、人に使わせるのも嫌だった程。
他の人は自分の剃刀を大事にしないから貸したくなかった。
でも、私の剃刀を母が使って母の剃刀を私が使う事にしたので
それならいいかな、と思って。

今朝、開店前に店で使っている剃刀を全て分解して洗った。
私は毎日洗うけれど、他の人は刃を変えるから、と言って分解はしない。
細かい部品の汚れまできれいに洗浄すると
銀色にきらきら光って綺麗だった。
■2001年12月08日(土)■

■■

暫く、いや少し休みます。

私は人の為に日記を書いているわけではないし
何より自分の為に書いているけど
人の目というのが物凄く気になる人で
自分がどう思われているかとかすごく気になって
ここでは自分に正直になろうと思っています。
だけど、公開している以上、気になるものは気になるし。

私がもし日記で、感心される事を書いて誉められ期待されても
私がもし日記で、ドロドロした事を書いて人を不快にさせても
期待して失望されるのも怖いと思われるのも、
読み手の勝手だと思います。
だけど人の目や、周りがどう思っているかというのを
私は異常なくらい物凄く気にしていてそれにすぐ反応してしまうので。
周りが悪いわけでは決してありません。私自身の問題でしょう。
でも落ち着かないし頭の中で整理出来ないので
少しだけ日記を休みます。ごめんなさい。
不快な思いをさせてしまってごめんなさい。

結構気が小さいんですよ私。
来れ書き終わった後、何か言われたらどうしようとかびくびくして。
今は何も言わないでそっとしておいて下さい。
■2001年12月06日(木)■

■忘年会(店)■

店の忘年会でした。また居酒屋とスナック。
違う店ではあるけど2日連続で出かけるのは疲れる。
昨日の店は煙草吸ってる人がいなかったから良かったけど
今日行った店ではもう、煙草吸ってる人ばかりで泣きそうでした。
疲れたのでおしまい。短くてごめんなさい
■2001年12月05日(水)■

■スナック■

予定通り服が届いたので店に行って父に渡した。
行った時父が競輪に行っていたらしくまだ帰っていなかったので
そのまま仕事しながら待っていた。届いた服を先にこっそり開けてみると
赤っぽい茶色っぽい(レンガ色いうらしい)ベロアっぽいのが出てきた。
ハイネックのカットソー。父、好きそうだ。父が帰ってきて渡したら
思った通り気に入ってくれた様で嬉しかった。
夜、店が終わって珍しく両親と飲みに。レトロな雰囲気の居酒屋で
カンパチの刺身と肉と梅茶漬けを食べて、カラオケスナックに行った。
そのスナックはカラオケで高得点や77,88などの高いゾロを出すと
ボトルキープや景品が貰えるのだけど、店に入って1曲目で98点の
焼酎のボトルキープを貰ってしまった。私は飲まないので父にあげた。
それから景品でぬいぐるみやウェットティッシュや小物入れを貰って
貰いすぎた為スナックのママをちょっと困らせて帰った。わーい。
ビルに帰って階段を上がっている時
父が何度も転げ落ちそうになるので慌てる。母が玄関まで送った。
部屋に戻ってネットに繋いでチャットに入ったけれど
調子が悪くてすぐに落とされた。入り直したら今度は毛布の中にいて
しらないうちに寝てしまった、と思ってチャットログを見たら
自分でちゃんと、落ちますと挨拶して寝ていた。
でもいつもの私の様子じゃないので多分途中で他の子が出てきて一生懸命
いつもチャットにいる私の振りをしてチャットを落ちたのだろう。
誰かわからないけれど、焦ったでしょう。申し訳なかったね。

太股の傷が痛い。彼が心配して、眠そうな声で電話をしてくれた。
■2001年12月04日(火)■

■心配性■

行ってきました。結局朝から一度も父には会っていない。
父は競輪に行ったらしい。変にホッとした。
彼から慌てて今朝送ってもらった服が明日届くらしいので
明日顔を合わせた時に昨日はおめでとうと言って渡せばいいか。
喜んでくれるかなぁ。
父の喜ぶ顔を見るのは純粋に、本当に本当に嬉しい。
チャットでたまに、「家族なんて死ねば良い」と叫んでいる人がいて
羨ましかったり可哀想に思えたりする。私は両親どちらかが出かける時
生きて帰ってくるか心配で心配で何処へでもついて行きたくなる。
特に父が飲みに行く時など、よく骨折したり怪我をして帰ってくるので
心の中では気が気でない。このまま帰ってこないのではないかと
毎回毎回思う。大袈裟に言ってるんじゃなくて本当に恐い。
今日、夜になって雨が降り始め、多分父はまだ帰って来ていない。
つい最近まで、子がそれくらい心配するのは普通だと思っていたけれど
友人に心配性だと笑われた。でも母には
「明日」や「後で」など無いと思って生きるように言われた。
今考えると一瞬一瞬を大切にしろ、という意味なんだろうが
私の頭の中では少し捩じ曲げられて記憶してしまっている。

追加-05:15-
夢。
[風俗で仕事を再開し,ついたお客が理容の方の店の常連で顔がバレてしまい、マスタには黙ってるからという約束で来店の度に本番強要される]夢を見た。最悪。恐くて悲しくて虚しくて彼に電話したかったが
こんな時間なのであきらめた。太股が痛いのに気付いて、
見たら誰かの切った形跡があった。血で服の布がくっついていた。
医師と、自分を傷つけずにいられると良いねと言っていたばかりなのに。
それで目が醒めてから、眠れないでいる。
■2001年12月03日(月)■

■明日は■

父の誕生日が明日に迫っていたのをさっき思い出した。
しまった。気分は11月半ばだったので、
彼に取り置きしてもらっているプレゼントの服(/彼の勤め先の商品)も
まだ送ってもらっていない、というかお金も送ってない。
何故こう、何ヵ月も前から考えているのに近付くと忘れるのか。
病院に行く時に何時間も前から準備しているのに
時間がギリギリになってハッとして慌ててしまうのと一緒だ。
燈台元暗し みたいだ(違うけど)。
彼に先日手紙や写真などを送ってもらったのだけれど
その時に一緒に送ってもらえばよかったと後悔。まぁ仕方ないか。

風邪がまだ治らない。今年の風邪は長引くようですね。寝ます。

HP潰したくなってきた。やる気がない。HPだけじゃなくて
何においてもやる気力がない。明日は店が休みなので
母が温泉に行こうと言っていたけれど、実は部屋からも出たくない。
目の前にあるお茶を取るのも、決心するまで時間がかかるし
こうやって日記を書いているのも座っているのも辛い。
でもとりあえずこのHP、1年は続けようと思う。
■2001年12月02日(日)■

■まだ風邪■

苦手な人は来ないらしいので、チャットに出ていた。
心に障害のある彼女のいる男性が居たので
色々と話をした。私が彼に望んでいる事などをその人に話した。
私はいつも彼に迷惑をかけているし、疲れさせていると思うから
それでも「自分は大丈夫だから」と言ってくれる「支える側」に対して
少しでも役にたてれば嬉しいと思う。でも期待されると
答えようとして潰れるので、期待はしないでと釘を刺してから落ちた。
風邪で頭がぐらぐらする。頭がぐらぐらするのか地震なのか(気のせい)。
今朝ものすごく嫌な夢を見て息が止まりそうになって目が醒めたので
1人が恐くて電話したいと酒の入って眠そうな彼に駄々をこねたけれど、
本当は自分の方が倒れそうだった。
多分風邪だけじゃなくていろいろとあるんだろうけれど。あぁ。
■2001年12月01日(土)■

過去目次未来メール


My追加