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24082

■休む■

風邪が治らない。
■2001年11月30日(金)■

■咳が■

風邪を引きました、案の定。
病院に行った時に風邪薬も貰おうかとも考えましたが
気付いたらバスの中だったので諦め。

隣のビルの、会社の電話の音は、すごく大きくて私の部屋にも届く。
病院から帰ってMSNをしていたらその会社の電話が鳴った。
うちで以前使っていた内線電話の音を連想させる響きがあって
今はもうないその電話を取りに慌てて元電話のあった場所へ行くと
隣のビルの男性が「はい」と取っていて何だかおかしかった。
男性が電話を取るまで、てっきり自分の家のだと思っていた。
今使っている電話は、PCの隣にあるのに。
風邪の熱で時間が戻りやすいんだろうか。

私が日記を書いている途中、
あのチャットで他の人(格)が話をしているのを見つけて
その人格が今の自分の症状を話そうとしていた(?)ので
先日の不快感がまた込み上げて来て
その人格の振りをしてチャットを落ちてしまった。申し訳ないです。

でも熱があるのにこんな時間(5:54)までネットやってるのって
人としてどうなの自分。頭回らんなってきた。
日記も何書いてるんだか自分でもわからない。
レスは明日します、ごめんなさい。
■2001年11月29日(木)■

■リッチ■

友人とメッセンジャーで「去年はリッチだったよなぁ」と
話していたのを思い出した。お互い、確かに財布は暖かかった。でも
どうしてそんなに金があったんだろう、と思い出すと虚しくなる。
欲しいものは買えていた。服も本もCDも。人に奢る金まであった。
その金が何処から来たかを考えると悲しくなるけれど
何であの時の金がもう無いんだろうとも思って勿体無い。
あの時はあの時で、早く使ってしまいたかったんだろうな。
少しは貯金しとけばよかったかも。チッ(舌打ち)。
彼に、マスタの誕生日にあげる服を取って置いてもらっている(多分)が
その服のお金が払えなくて困っている(だから働けって)。
母にも、金を借りたので返したい。
やっぱり朝の年輩の方ばかりの時間帯だけでも働こう(言ってばかり)。

最近、眠いと嘘をついて彼との電話を早めに切り上げている。
本当は人と会話をするのが辛いだけ。何かをしゃべるのが苦痛で
身体が接客をしている時のような変な感じになってしまう。
多分彼がこれを見たら、言ってくれればいいのにと思うだろうな。
言いにくいからここに書いてるのよ、ごめんね。

追加-2:34-
風邪引いたかも知れません。母に伝染されたかも。喉がいたい。
うがいして、早めに薬のんで、カボス搾った汁飲みました。
明日は病院だった。忘れる所だった。
■2001年11月28日(水)■

■日記お休み■

今日の日記はお休みします。
明日からはまたちゃんと書きます。
■2001年11月27日(火)■

■お休み■

店がお休みだったので母と叔母と出かけた。
ラーメンを食べに行って、叔母の姑の家に預けていた従姉妹を迎えに。
叔母の姑の家は結構田舎で、大きな犬がいて前足でじゃれてくる。
あとニワトリが1羽と白い猫が一匹。やっぱり雌鳥は可愛いなぁ。
倒れるまで戦う軍鶏の雄鶏とはまた違った良さがある(鶏好き)。
まだ卵を産むまで大きくなっていなくて、
「ピヨピヨ」と「コココ」が混じった声が懐かしかった。
以前飼っていたニューハンプシャー種のTさんは
その子と同じくらいの大きさで卵も産めず死んでしまった。
家で飼っていたTさんを可愛がりすぎたため
父に捨てろと言われ(捨てられず)学校に連れていった。そのすぐ後に
学校の鶏に虐められるストレスで死んでしまった。
父に殺されなかっただけマシかも知れないが
どの道辛いまま死んでしまった。私でない人に飼われていれば
今頃大きな茶色い卵を産んで可愛がられていたかも知れないのに。
Tさんは首が長くて足が速くて茶色だった。今日逢った子は
白に茶の斑があって、首は長いが丸みをおびた雌鳥らしい躯だった。

後は母の実家に行ったと思うけれどあんまり記憶がない。

追加-3:38-
思い出した思い出した。友人の日記に子供が出てきて思い出した。
母の実家に行って、先月叔母が産んだあの男の子、「みっくん」を
抱いて、薬をあげたりあやしたりした。先週より重くなってた。
泣き声が羊かヤギのように「メェェェェ」と。
みっくんの下の姉マミが、手が小さいなぁ、と言うので
あんたもこんな小さかったんよ〜と言ってやったら
「えー嘘やろ」という顔をして笑っていた。平和だなぁ。
そういえば地元の新聞にあった詩の投稿欄で
「知らなかった お父さんもお母さんも昔は小学二年生だったんだ」
というような内容(うろ覚え)を書いていた小2の子がいた。
私達くらいの年代ではもう、そんな事は当たり前だけれど
初めてそれに気付いた時ってどんな気持ちなんだろう。
話が逸れた。
母の実家は平和で、穏やかだ。みっくんを抱いてあやす叔母を見ると
私も昔はあんな風に可愛がられていたんだろうなと思い
今の自分の状態を振り返っては申し訳なくなる。
私の日記をお気に入りに入れて下さっている男性が、
その人のお父さんの命日に、「今なら息子も話せるようになって
いっぱい遊べるようになったしいっぱい親孝行出来たのに」と
書いていて切なくなった。孫の顔を早く見せてやる事も孝行なんだな。
虐待しそうで恐いのと親孝行したいのと、何だか子供からしてみれば
そんな理由で作る作らないを考えてるのか、というような事を
考えてみたりした。どんなに殴られても怒鳴られても
父が喜んでいる顔というのは想像するだけで楽しみで涙が出てくる。
或いは、鬼みたいな顔で殴られたり蹴られたりしていたからこそ
心から喜んでくれる笑顔の父を見たくて、親孝行なんかしたいのか。
■2001年11月26日(月)■

■しました。少しだけ。■

昨日の日記を書いた後、もう朝だったのでそのまま
店の準備をした。それからチョコパイ食べて
少しだけ仕事に出る事にした。昼までの3時間ちょっと働いた。
もっと長い時間仕事していたかったが腹痛や頭痛が酷くなり
煙草の匂いに泣きそうだったので自分を甘やかして仕事を上がる。
マスタが居なかった分落ち着いていたような気がした。

お客が、風邪気味らしく顔剃りをしている途中にやたら咳をするので
顔剃りが終わってカットの準備をした後に喉飴を買いに行った。
コンビニに行く途中で図書館の警備員さんに声を掛けられ
私の事を知っている人かな?と思って慌ててにこやかに挨拶したら、
全く関係の無い人のようだった。ただ私の服装を見て
「紐が多くて可愛いねぇ〜(編み上げだったので)」と言った。
自分でも今日の服は紐が多いなーと思っていたけれど、
それだけかい( ̄ロ ̄lll) こっちは店のお客なのか他人格の
からだを売った相手だったりするのか滅茶苦茶焦ったに。心臓に悪い。
でも可愛いと言われたのでよし(服やってば)。
でもその警備員二人の舐めるような視線が気色悪かったので
コンビニの帰りにまた擦れ違った時には気付かない振りをしておいた。
いや、実際はそういう目で見ていた訳ではないのかもしれないけれど
思い込んでしまう。思い込みだと思えるようになっただけマシだ。

で、帰ってきて頼まれた訳でもないのに買った喉飴をお客に渡した。
買った後で、何でお客の為だけに私は喉飴なんか買ってるんだと思い
そういうサービス精神が父にそっくりだなどと言われては嫌なので
客の為に買った訳ではないんだと言いたげにスタッフに飴を配った。
仕事を上がってから部屋に戻り、部屋着に着替えて一息つくと
気が抜けたらしく全身力が抜けて起きあがれなくなったので
そのままがんばって目を閉じたら、いつのまにか寝た。

夜中に入ったいつものチャットで「病気だという事を証明する為に自己催眠で症状を酷くするわ」と言ってのけた苦手な人に辟易した。でもその後頭に血が昇った。「2年で治す計画だった、ちんたらちんたら治療してられないから医者に真剣になってもらいたくて」らしい。ちゅうか自己催眠て。2年やそこらで過去の出来事を全て背負えるのか君は、辛くて辛くて耐えられなくて閉じ込めるしか方法がなかったものを大人になったからといって障害なく簡単に掘り出せるのか。しかもその為には医師に証明しなければならず酷くなければならない?何しに態々金払って病院通ってるんだよ。軽くする為ではないの?病院に不満があるなら変えろ、都会なんだから幾らでもあるだろうが。・・・個人的には、「2年で治す」とかそういう計画的な事を言えるのが羨ましいだけなんだけど。私には今の状態が軽くなる事を想像するのも難しいし、やっと「助けて欲しい」と思えるようになったのだ。それまでは自分の状態の辛さも無視していたし良いも悪いもわからなかった。医者に理解させる為に自己催眠で酷くするとか何年で完治、とか、そういう事考えもしなかったよ。ただ死なないで生きてるだけだった。だからチャットでそういうの聞いた時バカにされた気分だった。私は君の言うとおり「ちんたらちんたら治療」してる人間だよ。悪かったね。申し訳ない。だから私が落ち着くまで放っといてくれ。それとチャットしながら自分で自分のこと錯乱状態って言わないで。はぁ、今度こそ暫くチャットいくの辞めよう。荒らしてしまう。気になってしょうがないけど、話したい人もいるけど控えるよ。カっとなって問題起こすの嫌だし喧嘩したくないし人を責めたくない。何より自分が泣きたくないから。(反転してまで読んでくれたのに不快な思いさせて、本当ごめんなさい。)
■2001年11月25日(日)■

■仕事■

最近、早朝の店の準備だけで 他は殆ど仕事を休んでいる。
ビルから出る事は滅多になくて、部屋で発作起こすかPCするか
家事をちょこちょこしているか。働かないので食事もあまりしない。
友人の日記なんかで「仕事が辛い」と書いてるの見ると
羨ましく思うし、そう思っている事について申し訳なく思う。
友人だって辛いのに仕事してるんだと思うと余計苦しい。
なんとかして仕事に戻りたいけど異性相手のサービス業だから
客が1人入ってくる度涙が出そうになる。
他の店で働く事も出来ない。父は、他で働くならうちで働けと言うので。
今の仕事以外出来ないのに今の仕事すら出来ないとは
父に言われるとおりやっぱり能無しで無生産者だと思う。根気もない。
私が仕事をしたいと思うのはお金が欲しいからだと自分で言うけれど
本当はそれよりも先に、自分が生きていていいと思えるようになる為で
今の金食い虫状態で居たくないからだ。
父は成功者で、誰にも負けてはならないという強い意志を持ち、
技術のコンクールでも優勝以外喜ばず、2位の賞状を表彰台で破って
散らし捨てたような人間だ。幼心にカッコイイと思っていた。
私もああなりたかった。でも多分、その力はない。
出来ないと思ったら最初から出来ないだろうけど、
今の私には出来るという概念すらないような気がする。

友人にサイトのデザインを誉められて嬉しかった。こんなものでも
1コンテンツずつ、何かを参考にしたわけでも真似たわけでもなく
能のない頭を搾って時間かけて作ったんだ。心から嬉しかった。
■2001年11月24日(土)■

■調子だけ■

少し具合が悪い。吐き気と目眩と幻覚は相変わらずで、
父の知り合いだった人の煙草の匂いがした。
体を、皮膚を焼きたい。アトピーは薬で痒みが治まっているのに、
気持ちが悪くて全身掻き毟ってしまう。傷付くので深爪をした。
風呂に入っていて溺れそうになり鼻に水を吸い込んで気が付いた。
もう寝よう。

追加-5:00
さっき日記を書きながら電話して、その後落ちた筈がまたネットしていた。あのチャットに入り運良く話したい用のある人が居て、
話し掛けたのだけれど返答がなく、また別の人と音楽の話をしていた。
メガデスや筋肉少女帯あたりで少しマニアックな方向にいってしまい
話に入れない人が居たが何気に盛り上がる。申し訳ないです。
あんまり目眩が酷いので脳のどっかで出血でもしてるんじゃないかと
少し(かなり)不安になってきた。文字が振れるのは多分PCのやり過ぎだ。

知り合いのサイトで、旦那(妻)や彼氏(彼女)持ちが
異性の友人とさしで飲みに行くのはアリか、みたいな話をしてた。
私は以前はよく行っていたけれど今年に入ってからはご無沙汰。
彼は普通に異性の友人と二人きりでも飲む。
何で彼は良くて私は駄目なのさ、と思っていたけれど
男女の関係に発展する主導権を持っているのは殆ど男性だろうから
男性に全くその気がなければ女性に押し倒されない限り
発展する事はないんだろうな。女性に全くその気がなくても
酔った男性の勢いに負けて、というのはあり得るし。
友達だと思ってたのに..と。あ、気分悪くなってきた。
なんだか話が偏って違う方向に。友人なのか男女の仲なのか
境界線って何処ら辺なんだろうな。性的なものを一切除いていても、
結婚してたら一緒に歩いているだけでも端から見ればデートだ。
夫婦で納得し、友人が配偶者に逢っても「友人だ」と胸を張れるなら
周りから見ても悪くないと思うのだけれど。
未婚で子供な私にはちょっと早い内容でちたね。うーん。
■2001年11月23日(金)■

■チャットの事/父の事■

月の障りの貧血で目眩と吐き気がする。瞼の裏が真っ白だった。
栄養取ろう。鼻の奥で焚火みたいな匂いがする。

よく行くチャットに苦手な人がいる。
前からちょこちょこ書いていた人と同一人物だが
その人の中にも何人か「いて」、それはいいんだけれど
「あいつは危険な人格」「ネガ3姉妹」「自分は最強のホスト人格」と
何と言うかうまく喉を通らない表現が多くて苛立つ。
思わず「ゲームじゃないんだから..」と突っ込みたくなるのを
我慢してまでチャットにいる自分がなんだか嫌だと思う。
嫌なら行かなければいい。でも気になって行ってしまう。
あの人の中で心の傷やそれによる障害は、どんな位置にあるのだろう。
時々、あの人は違う意味で病気なんじゃないかとさえ思う。
ここ2.3日行かないでおいたけれど、その人とは別に話したい人も
結構いるので来ていないかとチャットに入ると、
99%の確立で苦手なあの人がいる。話したかった人は来ていない。
やっぱり暫くチャットに入るのはやめとこう。
 もしかしたらあの人もこの日記を見ているかも知れない。
書いた事で傷付けたかも知れない。でも正直に書いただけなので
そう思う人もいるんだなと言う程度に流しておいて下さい。

母が風邪を引いて、昼に仕事を休んで寝ていた。夕方から仕事に戻ったが、父に客の前で「昼寝してたんか」とまるでサボっていたように言われ恥ずかしい思いをしたようだ。具合が悪くて寝ていたのに。
父の、悪気があるのかないのか冗談なのか解らない皮肉が嫌だ。
無気力だとか根気がないとか生産的でないとか、
そういうのは本当の事だからまだ納得がいく。
しかし大勢の客の前で、悪い印象を与える事ばかりを中心に言い
客に本当にサボっていたと思われ笑われるのは嬉しくない。
身内をネタにするのは確かに客受けもいいだろうし
父に口で勝てる人は滅多にいない。誇大表現ではなく。
そういう父を私はカッコイイとさえ思い、嫌ってはいない。
暴力を振るったり怒鳴ったりする時の父は恐ろしいだろうが
そうでない時は料理を作って持って来、美味しいと言うと
素直に大喜びするような、優しくて剽軽な印象の良い父親だと思う。
多分これから先も、恐れ憎んで泣いても父を好きでいるだろう。
なんか悲しくなってきた(なんで)。
■2001年11月22日(木)■

■現在■

去年と比べて私は感情が豊かになったと思う。
辛い事を「辛い」と思うようになった。悲しい時に「悲しい」と解る。
いつも笑って誤魔化してきた筈のものを、無意識にでも
誤魔化さずに自分で受け止めようとしているなと思う。
他の人(格)に体を傷つけられた時も、以前は平気だったのに
肩を震わせて泣くほど辛く感じる。傷つけられる事そのものより
自傷をするその人格がまだ小さな子供だという事に
心が締め付けられる。何故そうしなければ生きられないんだろうか。
何故傷を傷で隠す事しか出来ない程苦しまなければならないんだろう。

でも、それを空間に向かって問う事が出来るほど
私は自分を知る事が出来るようになった。
支えてくれる友人や彼がいるから、受ける体勢が取れているんだなぁ。

腕を怪我した。正確には他人格が自傷した。
医師に、体を傷つける事が減ると良いねと言われたばかりだったので
何というか、申し訳なかった。
■2001年11月21日(水)■

■友人■

もう21日の朝。昨日はネットには繋がなかった。
病院へ行ってきました。産婦人科は行ってません。
今の状態だと多分辛くて行けないので、
落ち着いたら行こうと思います。

病院では殆ど何も喋らなかった。母の実家の話の途中で
悲しい話をしたわけでも無いのに涙が出てしまい
「口に出して言う事が出来ない」「日記には書いた」
それだけ言うのが精一杯であとは驚くくらい沢山泣いた。

ほぼ毎週、病院のある日は友人Mに逢います。
その日以外は仕事でもビルから一歩も出ないので
ある意味唯一の、外との交流。

今日も病院から帰ってきて街でバスを降りると
予定より遅い時間になっていたので、いったん家に
帰る余裕もなさそうで、そのまま本屋で待つ事に。
バスから降りて本屋までは1人で歩かなければならない。
停留所の目と鼻の先なので数分もかからないけれど
その数分が私に取っては数時間だったりして
そこら中に突っ立っているスカウトの兄さんの中に
知った顔を見た気がして鳥肌が立った。
やっとの思いでエレベータに乗って本屋に着くと
耐えられずエレベータのスイッチの下に座り込んだ。
口の中が乾いて息が出来なくなり吐き気で咳が出て余計
苦しくなって、一端家に帰れば良かったと今更悔やんだ。
それから30分そうしているとメールが入って
「今授業が終わったのでこれから向かう」らしい。
いつもならもう、ここに来ている時間なのに
今日は偶々遅くなったようで、ここでまた
やっぱりいったん帰れば良かったと思った。
メールから30分後、漸く落ち着いてきた所にMが来た。
逆か。Mが来た事で安心して落ち着いたんだ。
街を歩いている途中、今度結婚する友人Sに逢った。
左手ではなく、右手の薬指に指輪をしていた。
アクセサリーの類を付けた彼女を見たのは初めてだ。

帰り、いつも自転車のMは徒歩の私を家の近くを通って送ってくれる。何も話していないが「1人では危ないから」と気を遣ってくれる。だから歩きながらMにドラマの話をした。金八先生の。それから、「悪戯された事があるからそういう類は見れないんだよね」とだけ何とか、重くならないように
さらっと 打ち明けた。
思った通りの明るい反応で「そーなんかぁーよしよし」
と帰って来たので安心した。驚いた顔は決して見せず優しい。
いつも平然としてくれるのが申し訳なくなるけど嬉しく思う。

以前Mの事をすっかり忘れてしまった事があったが
その時もMを知らないひとだと思う私の前で、笑って見せた。
家に帰って別の友人から電話があり、「Mが電話をかけてきて
酷く混乱していた」と聞いて、とても申し訳なかった。
何でまだ友達でいてくれるんだろうか。
でも友達でいてくれる限り大切にしたい。
■2001年11月20日(火)■

■帰宅■

昨日は疲れて寝付いたものの、4時頃から目が醒め
コタツの中でもそもそしていました。
暇を持て余し携帯で日記を書こうと思ったら圏外で
こういう時にPCの有り難さを感じる(暇つぶしではなく)。
7時になってようやく祖母と従姉妹が起きてきたので
従姉妹二人を連れて母と散歩に行きました。
途中でカラスウリの赤い実を幾つか見つけ、
長い蔓を従姉妹の首にかけて首飾りにしてやったり
中の種を取り出して「種の形が大黒さんの顔に似てる」と
教え込んでみたりして帰ってきました。
朝食を食べた後にまた散歩に。1人で墓参りに行くつもりが
従姉妹も連れて行く事に。途中で疲れて「だっこー」とか
言われては堪らんので、疲れたと思わせないように楽しーく
墓に持って行く花を摘みながら歩きました。ぬー疲れた。
帰り、途中から記憶がなく気付いたら家に居ました。
あとは何だっけ。ワタナベという安い服屋で
400円のオーバーニーソックスを3足購入。
スーパーでとり肉を買ってきて、夕食を食べ
1人で散歩に出たあとコタツで赤ん坊にミルクをやって
7時頃に祖母の家を出ました。
8時半に家に着き、それからコタツで寝ていたらこの時間。

すごい、ちゃんと一日を記した日記になっている。
意識はプチプチ切れていたが見事に祖母の家での事覚えてます。
祖父母、叔母、3人になった従姉妹、母、私の
8人で囲んで食べた夕食はとても美味しかった。
■2001年11月19日(月)■

■祖母家■

たしか温泉に入って行ったので着いた頃には
疲れてて眠くて仕方なくて10時には寝たような。
しし座流星群は、曇ってて見れませんでした。
■2001年11月18日(日)■

■具合悪い■

昨日と同じでずっと具合が悪い。
恐いのか気持ちが悪いのか悲しいのか怒っているのか。
多分全部だろうな。とりあえず死にたい(死なんけど)。
恐くてテレビを付けられない。少しの間続きそうです。

明日の夜から母の実家に行きます。道中の温泉付き。
外に出るのも恐いのになんで外で服脱がにゃならんの。

昨日の日記に書いたチャットの知り合い、が
今日も来ていないかと入室してみましたが居ませんでした。
居たのは薬と血液の話が大好きな人達でうんざりして
余計具合が悪くなったので落ちました。
何がネガだ。何が危険な人物だ。ざけんな。
■2001年11月17日(土)■

■きのうのつづき■

金八先生のドラマの。不安定な方は見ない方が無難です。
「複数の男性が1人の女性に暴行を加える場面」で。
撮影の仕方が、「1人の女性を複数の男性が囲んで、
うち1人の男性が女性の上に跨がっている所を空から写す」
というかたちで、物凄く際どくて恐ろしいものだった。
恐くて恐くて泣叫びそうになってTVを今すぐ消したかったが
性被害の事は(多分)一切知らない母と一緒に見ていたので
いきなりチャンネルをかえる事も出来なくてしかも
今回のオープニングあたりで男子生徒が
刃物と血を見て混乱して叫んでいるシーンがあったから、
ここで私が混乱して何かあったのかと思われるのが嫌で
一生懸命なにも感じないようにしてたんですが
硬直して爪先からどんどん足が痺れていって
気がついたら深夜の4時で私は寝ていたらしくて
トイレに行ったら下着に血がついていた。
その時点でドラマの場面などが重なって無言で混乱した。
吐き気がしたけれど何も吐かなかった。漸く落ち着いて
丁度重なりそうな日だったので生理かなとも考えたが
色がやたら赤いので「またか」と思った。
子供の人格の1人に性的な悪戯の記憶を沢山持つ子がいて
その子は混乱すると自分で自分の膣を傷付ける癖がある。
癖といってもこれまでに数回しかなかったが。
多分今回のもそれだろうと思った。死にたくなった。
誰かに大丈夫だといって欲しかったし
恐かったねと言って欲しかった。
それでPCをつけてチャットに入った。普段は名前の色を黒か灰色に設定するところを、落ち着かなかったので赤にして入ったら「何かあったの?」と何も言わないのに気付いてくれた人がいて嬉しかった。笑って誤魔化すが無駄だったので、
暫くして落ち着いてからドラマを見た所から全部話した。
話し始めた頃にはもう朝の6時になっていたが
何の感情も表さずに止め処なく話したので
変に息が切れた。それでも少しだけ楽になった。

今すぐにでも病院に行きたかったし
産婦人科にも行きたかったが、今日の昼頃母からメールで
病院を月曜から火曜の昼に変更してもらった事を聞いて
そう言えば「月曜は田舎に帰るから病院は予定をずらす」
と言っていたなぁ、と思い出してがっくりした。
下の怪我の方は気付いた時に洗い流してからは
全く出血がなかったので消毒だけしておくつもりでいる。
というかあんな理由で産婦人科を受診したくないのが本音。
精神科の方は、本当にすぐにでも行きたい。
先生助けて。助けてよう。
■2001年11月16日(金)■

■金八先生■

のドラマを母が見ていた。
複数の男性が1人の女性に暴行を加える場面が
あまりにもあからさまで私はそれからおかしくなった。
明日落ち着いたらまた書きます。
■2001年11月15日(木)■

■また■

熱湯になったのに気付かずシャワーを浴び続けてしまった。
全身真っ赤になっていてヒリヒリしたので湯槽のお湯に水を入れて、風邪を引きそうな微温湯に浸かって体を冷やした。

昨日、家の周りをうろついていた親子の猫達のうち一匹が、店の前ではねられて死んだ。キジの子猫だった。一度目にはねられた時はまだ生きていて、2度目にバスに轢かれて死んだらしい。あのままでは可哀想だと拾いに行く話になったが、店で唯一猫を飼っている年輩の女性Sは、飼っている割に嫌がり、逆に嫌がりそうな若いHが「手が空いているから拾いに行く」と箱を持って店を出た。だがHの前で、いつも辺をうろついている浮浪者の男性が猫を拾って袋に入れ、道路に面した公園のゴミ箱に入れた。いつも、轢かれて死んだ猫が無惨に雑巾のようになるまで放置されないのは、多分この男性が拾うからなんだろうな。日に何十回も店の前を通るので気付くのも早かろうし。 それにしてもこれを教えてくれた母の話し方が
あまり詳しいのでその時の場面を思い浮かべて恐くなった。
そして、今日になって子供人格の様子がおかしい。
気付いたらベランダに座り込んで泣いていた。
ベランダからは猫の通り道であるトタン屋根が見下ろせる。

夜になって。父が、食事を作ったので食べに来いと言った。
私の家は5階建てで、1階が店、2階が貸店舗、3階が母と私
4階が父、5階が店のHに貸している小さな部屋と屋上だ。
玄関は全て別になっていて、父の部屋と言っても他人の家のようである。私の覚えている限り、この部屋に関して思い出すのは嫌な記憶ばかりだ。少し気分が悪くなった。
食事をしながら父が、「明日はもう一匹死んでいるだろう」と猫の話をした。母に「お前はどう思うか、生きていると思うか」と賭事じみた問いかけをしていたので、さらに食事が進まなくなった。何も味がしなくなった。
■2001年11月14日(水)■

■恐い■

嫌な夢を見てしまった。影響されて不安になりそうな方は
読まない方がいいかも知れません。
 体の震えが治まらず呼吸も整わなくて不安で不安で仕方がなく、いつも行く精神科にやっとの事で辿り着いたが主治医が不在で別の医師の診察を受け、その医師が私の襟を掴んで突き飛ばしたり暴力を振るうという夢だった。恐ろしくて仕方がなく声も出なかったが、何かの理由で脅されて条件をつけられそれに承諾すると、その医師は満面の笑みになって私を帰した。場面は変わって、私の寝ている隣の、母の部屋で男性が首を刎ねられ焼かれていた。母の部屋には現実にも大きな白いロウソクが立ててあるのだが、夢の中では真っ暗な闇の中でそれがちらちらと燃えていた。TVでも沢山の人が首を刎ねられ焼かれていた。堕落した人間を一斉に始末している、とあったので、母に教わったノアの方舟を思い出した。何故自分は生きているのか、いつ殺されるのか解らず、母に携帯でメールを打っている所で目が醒めた。目が醒めてからも恐くて動けず、視線を何処かに移す事も振り返る事も出来なかった。
今やっと落ち着いて、こうして日記を書いている。
前半の病院の夢は何となく理由が解る。何となく。
後半の夢は間違いなく母の影響だと思う。
毎晩「訓読」といって聖書などを読んで聞かせるから。

病院に電話しようと思ったけれど、多分診察中なのでやめた。
もし電話したとしても何も話せないだろうし。
これを書いている途中に2度、父が来た。
■2001年11月13日(火)■

■ぽりくり■

病院に行ってきました。まず皮膚科に行ったのですが
泣きそうでした。うぁぁん。
研修医さんなのか学生さんなのか、ゾロゾロいるよぉ。
アトピーで行ったのにお兄さん、見る所違う。
ぷくっと盛り上がった傷痕を見て、なんかおねいさんが隣のおねいさんと腕を切るジェスチャをしていました。いや、腕を切るジェスチャじゃなくて傷の方向のジェスチャなのかも知れない。自分の腕の内側を人差し指でしゅしゅっとなぞって。
絶対バカにされてるワ!とか変な方向に敏感になって
早く終われ早く終われと思っていたら、本当に早かった(笑)。
2週間前に貰った薬を塗っていたらすっかり綺麗になったので
次回は薬が切れた時に来ればいいとのこと。

精神科の方は、何の話をしたか忘れましたが
途中で意識がトンでしまったらしく、気付いたら終わっていました。1人では帰れない状態だったのか、先生が「あ、今電話でお母さん呼んでしまった」と言ったので、慌てて迎えに来なくていいとメールしました。電話が繋がらなくて焦った。

無事母から返事が来たのでバスに乗り、街で待ち合わせて
またバスで今度は叔母の家へ行きました。叔母は今日退院で、一端家に帰ってから実家に行くそうです。お姑さんが赤ん坊を抱いて、かごに寝せても暇さえあれば顔を覗いていました。
幸せそうで何より。私も赤ん坊の頃はああやって
可愛がってもらったんだろうなぁとか色々色々考えて
意味なく悲し〜くなってしまって笑ってしまいました。

私達のような人間を周囲の人はどう思っているんだろう。
悪く思っている人の事はわかる。でもそうではない、
例えば友人や彼は、どう思っているんだろう。
私が精神的な面で安定しない人間である事は、隠していても
一定以上の付き合いがあれば気付くだろうし、付き合う上で
いろいろな障害がある事は分かっていると思う。
時々、この友人は笑顔でも心の底では私を笑っているんじゃないか、そうでなくとも嫌っているんじゃないかと不安になる。
人と付き合いたくない。MSNも安定している時以外は
彼以外のすべての人を禁止にしている事が多い。
■2001年11月12日(月)■

■漂う音楽■

今日は店のスタッフの誕生日でした。
迷彩柄のブラとショーツをプレゼント。
セットで千円でした。安いーでも財布には痛い。
というか今チャットをしているのですが早く落ちたい。ただでさえ書くのが遅い日記なのに雑念が入る(何それ)。話が噛み合わないし。1人でずっと喋ってるからもしかして放っておいても大丈夫なんかなぁ?日記が進まないー。あ、誰か来た。
明日は皮膚科と精神科です。皮膚科は何か苦手。

Satie聞き過ぎて頭の中でもエンドレスで流れています、
特にNocturneの3と1が。でもサイトのBGMは4番です。
聞いていて目が回る(笑)。Satieの曲は友人いわく
「部屋の隅っこで体育座りをして聞くイメージ」らしい(笑)
母もそう言っていたような。でも私は聴く側が隅っこではなくて、音楽が隅っこから空気に乗って流れているようなイメージです。大きなホールで椅子に座って聞き惚れるより、その部屋の一部として佇んでいるような(なーに語ってんだか)。
だってじーっと聞いていると目が回るんです。鼻の奥が変に。

さて、病院は10時半からなのでもう寝ます。おやすみなさい
■2001年11月11日(日)■

■MIDつけた。■

チャットや電話、その後意識が飛んでもう日曜日の朝です。
長々と日記を書いていたのにシステムエラーで消えた。
書き直すのが面倒なので超短縮です。

日曜の朝は一週間の初めなので、
母は朝5時に起き敬拝をする。それは母の勝手ですが
私の為だなどと言われると少し不愉快です。
私の心身が不健康なのは全てサタンの所為だと言い
彼女は高価な白い壷を買った。印鑑を買った。
とても優しい母だとは思いますが、何かが違う気が。
そういったものにお金を注ぎ込むから
また父に色々と言われるのでしょう。
だから彼女には縋る所がない。長女の意地か、盆正月以外
滅多に実家に帰る事もない。唯一縋れるのが神なのでしょう。
拒絶する事も出来ません。仕方のない事だ。
でも、私の周りには「仕方ない」で済まさなければならない事が多くあって、鉾先を向ける相手もなく正直、疲れます。
だから鉾先そのものが無くなってしまったんですね。
■2001年11月10日(土)■

■ここ最近ずっと■

「ミロ」飲んでいます。でも甘過ぎる。
低気圧なのか頭がずっと痛いです。低気圧のときは
きまって頭が痛くなるのですが、腰が痛くなる人や首が痛くなるという人もいらっしゃるようですね。
そういや友人は腰が痛くなると言っていました。

私はやっぱり我侭だなぁと思います。
些細な事でも、言いたい事を口に出せない、言おうと思っただけで涙が出てくるので自分に苛立って仕方ない。
それを彼に話した時に、「じゃあどうすればいい?」と
そう聞かれ、悲しくなってしまいました。
メールで「(私が不安定な時はすぐに電話を切るので)いつものように電話を切ればいい」と厭味まで言ってしまった。
父が私によく言っていた「一体何が望みなんだ?」
「どうすればいいんだ?言ってみろ」という言葉を思い出し、
ジリジリ焼けるような耳を押さえて泣いた。
思い出そうとも思わない、考えないように避けているものが
小さい切っ掛けだけで音声として流れてくる。
こんな状態で普通に人と付き合う方が無理な話でしょうか。
彼は医師ではなく一般人であり恋人だ。私の感情を察する事の方が難しいしそれなりの感情も入るから、さぞ私は扱い難い存在だろうなぁ。わかっていても私は期待し過ぎてしまうし。
明日メールが来たら謝っとこう。
■2001年11月09日(金)■

■今日の調子だけ■

意識が飛ぶ事が多く具合がよくないです。
そういえば目眩がするのは自律神経のバランスが
取れていないからだと聞きました。
耳が聞こえ辛いというのもそれと関係あるんでしょか。
野菜を輪切りにするように包丁で腕を切り落とすという
映像がずっと消えず、腕が変に疼くので苛々する。
私がぼーっとしている間に、自分で
切り落とすまはで行かなくても切ってしまいそうだ。
早いとこ寝よう。
■2001年11月08日(木)■

■嫌煙家■

煙草の煙で鼻と喉をやられて風邪気味になってしまいました。
両親とも煙草は吸いません。母方の祖父は吸うかな。
友人には2人だけ吸う人がいます。が、付き合いは薄いです。
煙草を吸う人は基本的に好きじゃありません。
店の女の子は皆喫煙家なんですが、機微の神経が
麻痺しているというか気付かない人間というか。
いつも吸っているから慣れてしまっているのか、店の灰皿に
どれだけ吸い殻やゴミが溜まっていても気付かない。
あと靴を履くのが大変そうな時に靴篦を渡さないとか
雨に濡れてきたお客にタオルも渡さないとか
雨の中を帰るお客の自転車のサドルを拭かないとか
車まで傘をさしてお送りしないとか(これは厳し過ぎかな?)
支払いが済んだらすぐに自分の仕事に戻ってしまって
帰り際頭ひとつも下げないとかお客の前を無言で横切るとか。
接客業なんだからもう少し印象の良い人になって下さい。
と、周りの喫煙家が気の効かない人が多いので、
煙草を吸う人=気が効かず仕事が雑、という偏見がある(苦笑)。多分、喫煙家だからではなく若いからなんでしょうけど。
私も十二分に若いんですけどね。商売人の娘なので(笑)。
どうも初対面の人が煙草を吸っているのを見ると
その人の人間性を決めつけてしまいます。
頭では、決めつけては駄目だと解っているんだけどなぁ。
■2001年11月07日(水)■

■初体験■

朝からもう雨はあがって、青空でした。
雨上がりの、埃とか木の匂いの混じったあの空気が好きです。

病院では、待ち合い室でぼーーっとし過ぎて
「呼んでも来ないから驚いた」と笑われてみたり
朝の父の酔いざめの悪さ不機嫌さを愚痴ってみたり。
でも競輪の話になって嫌なことを思い出して震えて
それからは上の空だったような気がします。
話し忘れた事を後から思い出した。
自分が感じている生き難さは人も自分も信用出来ない事からも
来てるんじゃないかなーという単純なことなんですが。
気付いた時にはそれが普通でしたが、自分の記憶が飛んでいるから相手の話と噛み合わないのか、相手が違う友人と話した事を間違えて私に話しているんじゃないかとか。
自分も人も信用出来ないから会話も曖昧になるし
取り敢えず辻褄を合わせておこうというのが癖になっている
そういう煮え切らなさ?が生き難さにも繋がってるのかなぁ。
なんて、ふと思っていたのです(誰)。

病院から帰ると、彼と注文した揃いの腕時計が届いていました。彼もレディースサイズなのが腑に落ちないんですが(笑)。
私は金属製の腕時計というものを持っていないので、
初めての止め具に試行錯誤し、壊すんじゃないかと心配した。
もう覚えたから大丈夫です。ふぅ。本体は文字盤が漢数字になっていて、液晶で秒を刻んでいる字も漢字。バックは濃い青なんですが角度によって紫に見えたりして綺麗(^^)
大事にしよう。
学校帰りの友人Mと待ち合わせをし、
ミスドにて手作り肉まん初体験。結構おいしいんですねぇ。
ドーナツ以外は食べた事がなかったので、これからは
海老しゅうまいやら何やらも食べてみようと思います。

追加-05:21-
吐気で目が醒めた。何処かの神経が一本切れたように不安になってしまったので料理に使っている日本酒を引っぱりだして飲んで吐いた。筋でも攣ったのか胸のあたりがキンと痛い。
彼に貰ったパーカーを着て暫く目を閉じていたら
少し落ち着いてきたので日記に書いている。
病院が頭に浮かんだけれど一瞬主治医の名前も顔も思い出せなくなって、何も考えないようにした。寝ようと思うけれど電気がどうしても消せない。というか恐くてPCの前から動けない。
■2001年11月06日(火)■

■書くことないな■

今日は店もお休みということで、
気晴らしに出かけようと思ってたんですが
父が使っていて車がなかったので断念。んーむ。
一日中家におりました。
壁紙を変えました。飛んでますね。

明日は病院です。雨、あがるといいなぁ。
■2001年11月05日(月)■

■んー、眩し過ぎる■

記憶がなく一日が3時間くらいになったような感じです。
昨日、知り合いの書いていた日記を読んでいて、
細か過ぎる描写に飲まれてしまって頭が真っ白に。
内容はたしか目の前で亡くなった兄弟や友人の事。
少し気分が悪くなっても読み進めたのが悪かったんですが。

そこの管理人さんは、ご自身が設置してあるチャットでも
自分の身にその時何が起こったか、それに対してどんな判断をし、どんな行動をとったか、その結果どうなったかを、まるで老人が子供達を集めて暖炉の前で語る昔話のように、それはそれは細かく話して聞かせてくれる。自分に自信がある為か、自分の正当性を強調するのも上手で、自分がどれだけ理不尽な仕打ちを受けたかをいつも話してくれる。私はその人を慕っていると自分でも思っていたんですが、少し違うようです。
その人の別の人格だという方が「あいつは何でも自分を責める」と言っていたわりにはあの話術だし、寧ろ相手に飲まれないその強さやら自分で語る正当さや別の人格の方が語るうつくしさが、とてもじゃないけれど私には眩し過ぎるのです。
最近、話をしようとしながら敬遠している自分に気付き、
少し楽になったような別の部分で辛くなったような。
「最近どう?」と聞かれて「超それなりやわ」と茶化す自分は
「鬱、具合が悪い」とはっきり言えるその人に「大丈夫?」と尋ね心配して見せながら羨望の眼差しを送っていたりする。
うわー、私ってヤなやつだなぁ、今更ながら。
■2001年11月04日(日)■

■性のこと■

彼の性的な表現を使った冗談のこと(遠回しに言うの面倒だな)を、SSAの友人に愚痴ったりしていたら、結構同じように「嫌だなー」と思ってる人がいて安心して楽になりました。

でも私は性に関する事全部真っ向から受け付けない!と言うわけではないのです。悪い冗談なんかは嫌いですが。
優しくされるととても辛くなります。自分は優しくされるに
値しない人間だから、嬉しいけど「なんで?」と思う。
普通に愉しんでいて途中、急に恐くなって泣いたり、
かと思えば緊縛やスパンキングに夢中になっていたり。
だから、全面的に嫌だっていう訳ではないんですよね。
少し一般的じゃない(?)所からでないと入れないというか。
一部の友人からはその所為(と、他人格の性依存)で淫乱だとか尻軽だとか今の彼でやっと落ち着いたなとか言われてかなり辛いのですが、そういう悪い冗談を言って笑える君たちと同じように、も少しだけ平和に育ちたかったヨ(誰)。
何で一般的に言う軽い冗談のひとつひとつで私が
心を潰されなきゃならないの、と答えもない問いかけをして。
小さい頃に悪戯されたから性的なことは全面拒否、なら
周りも納得いくかも知れないのになんで
勘違いされやすい部分でだけこんなに積極的なのか、とか。
あるいは安物のAVの様に強制猥褻で性に目覚めたとか
そういう風に揶揄されたら堪ったもんじゃないのです。
だんだん愚痴になってきたので、このへんで(苦笑)。
■2001年11月03日(土)■

■うるさい■

頭の中で小さい子供(人格)が大泣きしていて
ものすごくうるさい。苛々してます。
部屋のブラインドを開けたら、窓に
殴られて血を流している幼い自分が立っていて驚いた。

昨日は変な夢を見ました。
町中の人が私を殺そうとし、後ろから刺されそうになったり
車で轢かれそうになったり斬り付けられたりとヒドイ目に遭い、心配した彼が彼の地元までの片道切符を送ってくれて、それで逃げ出そうとし、母が自分もついて行くと言うので一緒に行く事になるのですが、駅員に彼の送ってくれた切符を無効ですと言われ、買いなおしている間に列車が行ってしまうという。なんて夢だ。意味不明過ぎる。でも目が醒めた時
家に誰かが忍び込んでいるんじゃないかとか不安になって
トイレに行くのも周りをキョロキョロ見回していました(苦笑)
普通の、恐いくらい現実味のある夢じゃなかったので何となく
珍しかったです。夢の中で性依存とか被虐とかが無かった。
空が愚図ついているので頭が痛いです。今日も雨でした。
今週はずっとこんな天気なんですかね。
■2001年11月02日(金)■

■性に関する事への嫌悪感■

もう11月になってしまいました。
今日は県の図書館から本を返せと催促の電話があり
本を探して車で返しに行きました。
借りた覚えもない本。借りたのは4月という事でした。あー。

私は生きている筈だ。この手足も自分の物である筈だ。
昨日とか一昨日の事は、ちょっと切って沢山泣いたら
大体落ち着きました。でも根っこの部分にわだかまりが。
ちゃんと話がしたい。本当は「ごめん気を付ける」だけで済ませてほしくない。でも男性には解らない事なのかも知れない。
まして20代前半の若い、一番性に関して積極的な世代。
難しいなぁ。
ほんとに、難しいです。
性的な悪戯さえされなければ、こんな事で悩まずに
もっと楽しくえっちがきもちいとか話出来たんだろうなぁ。
そして父は性に関して物凄く潔癖な人でした。
女性たちを引き連れて毎晩飲み歩く割には(笑)。
小学校に入るかその前からどんな事をすると子供が出来て
どこから産まれるかとか教えられたし、知らない客人に
「この子にはもう性教育をしてある」とよく自慢されていました。昨日くらいに思い出した事ですが。
男の悪戯と父の潔癖のギャップが激し過ぎたんでしょうかね。
■2001年11月01日(木)■

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