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24082

■01:36■

苦しい、頭が回らない、悲しい。
彼に自分の感情を押し付けてしまいました。
あなたが私を救う事ができない事もあると、
その事であなたが自分を責めているのを
見るのが嫌で、今一つ素直になれないと、
でも何も言ってくれないのは嫌だと、
何も出来ないからと言って見捨てられてしまえば
私は本当にそこで終わってしまうからと。

自分の言っている事がひどく我が儘で矛盾していて
馬鹿みたいで情けなくて悲しいです。
今までそうやって生きてきたように、
へらへらと笑いながら誤魔化していればよかった。
そうすれば彼を苦しめずにいられたし、平穏だった。
彼は、私を傷つけるのが恐くて
私に何かを言う事から逃げていたと言っていました。
私もそれと一緒で、彼を苦しめるのが恐くて
何でもないと誤魔化して来たのだと思います。

私はやっぱり自己主張ができないようです。
自分の思った事や感じた事をちゃんと言えないようです。
でも今日は、自分の感情を押し付ける形になってしまったとは言え、自分の言いたい事にちょっとでも触れる事が出来たので、少しだけ頑張れたかなぁ。
■2001年05月31日(木)■

■18:37追加■

いなくなりたい気持ちが強くて、
自分が苦しいのか、悲しいのか、
何を考えているのか、全く解らない状態です。
聞かない方がよかったとか、そういうのも全然わからない。
ただ、いなくなりたい、人に私の事を見られたくない。

こわいのかな。

03:46
電話越しに彼の歌声を聞いていると気が紛れます。
喋るのも億劫で、座っている事もできずに寝ていたけど、
なんとか最後には笑っておやすみなさいと言う事が出来ました。

Mへ。
よく今まで1人で誰にも言わずに我慢してきたね。
気付いてあげられなくてごめんなさい。
もう嘘ついて隠さなくていいからね。1人じゃないのだから。

18:37
雨が降っているのでずっと首が痛いです。
それに加えて風邪気味で喉が痛痒く、イライラしています。
薬は飲めないので何度もうがいをしているけど治りません。
昨日からずっと、離れる事が多くて
考える事も上手にできなくて日記にも同じ様な事しかかけない。
立っているのも座っているのも、横になっているのもきついです。
そして、やっぱりただ恐い。
■2001年05月30日(水)■

■依存していて■

Mが先生にどんな事を話したのかは大体見当がつきました。
ただ、それが切っ掛けで私、M、F各々が、孤独感を強めてしまった様です。
先生とMの会話をFが「聞いちゃダメ」と言われていたにも拘らず聞いてしまい
その内容を彼に話してしまった事で、FとMは互いに傷付いてしまった様です。
私はその内容をちゃんと教えてもらえなかったので1人で寂しかっただけですが。
多分おおかたこんな感じ。またこれから数日は、
気まずかったり寂しかったり悲しかったりするのでしょうか。
波のない私にとってはいい刺激ですか?そう考えればいいのでしょうか。
でも、別にそんなに連絡も取っていない、Fなんかは最近は
滅多に外に出てこないらしいのですが、それでも仲の良かったMとFが
ずっと離れてしまうのは嫌ですね。
互いに互いを気遣い過ぎているのでしょうか。
身内、ましてや、「自分」の一部であるのに。

あー不安定なのでたぶん明日の朝見たら、この文章読めないだろうな。

19:17
今日は一日中、殆ど離れていました。だから書く事がないのですね。
ただ日記を借りてデザインを考えてタグを打って...それだけか。
作成に集中出来たのは良かったです。画像も作って一枚アップしました。
以前撮ったものを使い回して少し加工しただけですが、それなりです(笑)。

11:35
傷つけたいわけではない。ただ苦しいから。
悩ませたいわけではない。ただ寂しいから。
■2001年05月29日(火)■

■寝過ぎ■

07:30
昨日の19時から、今までずっと寝ていました。
1時間くらいちょこっと寝るつもりが12時間。
23時過ぎに電話がかかって一度起きましたが、電話を切ってすぐ寝ました。
夢を見ましたが憶えてるのはやっぱり引き裂かれる夢の一部です。
っていうかそれで眼が覚めました。

テーマ「あなたの好きなうた。」
曲名をあげればキリがありませんが、
ずっと応援していきたい思うアーティストはいます。
その人の声で歌われる曲なら全部好きです。
あと、私ではなくTが好きな曲ですが、ORIGAの「雨」とか。

一旦病院に行って、帰ってきてからまた書きます。

20:13
リンクのページに5件追加しました。
今日は通院日でしたが最初からFでした。
ですから会話の内容はよくわかりません。
でも、知りたくない事を知ったと言って、暗くなっているようでした。
Mが初めて顔を出したようで、どんな事をお話したのか気になります。

私は一番楽をしているのでしょうね。私がしている事と言えば、
仕事をして、PCの前に座ってこうして日記を書き、HPを更新し、
職場の人間や身内と会話をしているだけです。
特別辛い事をされたわけでもないのに、恐怖感を漂わせて
度々不安定になっては必ず誰かに迷惑をかける。
離れたり戻ったり、無意識を浮遊してぼんやりしている。
私の存在自体あんまり意味の無いものなんじゃないかとも思います。
何の為ーにーうーまれてー、なーにをしーてー生きるのかー BYアンパンマン
な感じですよまじで。
■2001年05月28日(月)■

■騒音■

05:13
今日はいつもより音が煩かった気がします。
足音も車の音も、シャワーのお湯の音も、普段よりボリュームを下げた音楽も
ドアを開ける鍵の音も携帯の着信音も、何もかも全部が頭に響いて
それが夜9時頃まで続きました。余りにも煩いし、眠いのに寝れないので
中に戻る様な感じで離れたら、離れながら寝たような感じになりました。
本当にちゃんと寝たんかな。寝たやろうな。
お腹は空くのに食べるとすぐお腹いっぱいになります。便利。
今後ろのクローゼットが開いていて、閉めたいけど恐くて動けません(死)。
落ち着かないから明るくなるまでゆーっくり書きます。…あ、母が起きた。

夜23:30頃親戚から、子猫が生まれたとメールが入ったので見に行きました。
親猫はまだ7〜8ヶ月くらいで、今年が初めての赤ちゃんです。
早産でまだ毛も全く生えていない状態でした。人間だと700〜800gくらいか?
保育器が必要な程の未熟児です。あと1週間も持つかどうかわかりません。
包んだタオルをちょっと開いて見ると、赤ちゃんの胴に長い傷がありました。
親猫が子猫で玉取ってたらしいのです。私達ならたいした事はないけど、
掌よりも小さい子猫の身体にとっては結構ひどい傷です。
若い母親の、幼児虐待が思い浮かびました。猫も人間も、大差ないじゃん。

11:52
結局・・・下の日記を書き終えたくらいの時間に、死んでしまったそうです。
叔母は、
「猫のおかげで朝の敬拝に間に合ったが、そのまま神様の元に行ってしまった」
とメールをくれました。
陽の光も、若い母親の顔も見る事なく死んでしまうと云うのは、どんな気持ちだろうか。
私が見たのはその、早産の子一匹だけです。まだお腹に子がいると聞きましたが、無事でしょうか。
■2001年05月27日(日)■

■MIDI■

03:02
外そうかと考えています。サイトはPagemillで作っているのだけど、
MIDIのあるページを開くと、必ずエラーになるから。
「予期しない理由で終了しました」みたいになる。
悪い時はフリーズしてしまうし。だから更新する気も起きません。
MIDIだけ別窓で開くようにしようかな。
でも広告も別窓だから一緒に閉じてしまいそうだ。無くてもいいかな。
でもこの曲好きだしな。いいって言ってくれたしな。あーぁ。
どうするか考えとこ。
-追加-
別窓で開くようにしました。
んでプロフィールのページ見易くしました。
リニューアルしたいな。
■2001年05月26日(土)■

■夢■

2001/05/25 (金) 19:43
最近、嫌な夢を見ます。いや、私自身が見ているというより、
誰かが見た夢が流れてくる感じで、一瞬だけ。
身体を引き裂かれる夢です。その夢を見た瞬間、身体がビクッて跳ねて、
眼がさめるのです。結構前にも見ていた気がしますが、気のせいですかね。
それで最近寝る気がしないのです。相変わらず暗い所が恐ろしいもので、
夜明け間近、明るくなる時間を待ってから眠ります。
あのオレンジ色の豆電球付けていても怖いから、
明るくなるまで画像弄ったりネットに繋いだりして時間を潰します。
Fが以前、病院で、私の事をネット好きだと言っていた様なのですが、
最近はそう好きでもありません。チャットに入る事も殆どなくなって、
一度PCの調子が悪くなってからはICQのリストも消失したので
ネットに繋いで誰かと会話をするという事もなくなりました。
常に背後に気配を感じて、恐くて集中出来ないし。
でもまぁなんとか明け方4時頃、空が明るくなってきて、
ほっとしながら横になります。携帯の画面見てたら眠くなって。
でも、それでやっと眠れるのに、寝たら夢の一部を見てしまうので、
すぐ眼が覚めてしまいます。不眠症とかではないのです、
眠くならないというより、寝るのが恐いというか。眠いのは眠いんですよもう。
夢の話じゃなかったのですか。というか、今テーマのページ見たら
寝て見る夢の話っていうより将来の夢とかの話じゃない?
あ、「おかしな夢を見た話でも良いです」って書いてあるから、
一応大丈夫ですか、夢は夢だし。
■2001年05月25日(金)■

■玉葱■

02:21
オムライスの下準備で、玉葱2つを微塵切りにしている時に離れてしまって
気がついたら2つの玉葱全部がペースト状になっていました(死)。切り過ぎ。
結局それを使ったのですが見事に跡形もなく溶けてしまい、肉だけが残りました(笑)。
あぁ、今日の事は昼に書いたので、書く事がありませんね。おしまぃ。
■2001年05月24日(木)■

■離れる夢■

00:05
生活が乱れています、全然寝なかったり、逆に寝過ぎたり。
頭痛が酷くて座っていられません。ただ単に低気圧と眼の使い過ぎなんですが
なんかぼーっとしてるし頭が回らないのでいつも以上に日記が進まない(死)。
離れるのはないのですが、頭が。頭が悪い。ええそりゃもう。そっち治したいくらいよ。
あ、CDかけてるから集中できないのか。
両耳から違う歌詞と違う音が流れてくる。おもしろい曲です。
書く事が浮かびません、一日不安定だったし何も考えてなかったし
違う意味で意識がどっかに飛んでいました。でも、この日記は
一日一回は必ず(何か問題が起きた時意外)書こうと決めているから、
お休みする気はないのです。書く事がなくても書くのです。

何だ、書けたじゃないか。

追加12:14
昼休みです。
昨日の夜から今朝にかけての事をちょっと。
私が不安定だった為に彼を不快にさせてしまい、更に寂しいからと電話を切る事をずっと拒んでしまいました。
ただただ怖くて、1人では眠れなくて、床に転がった自分の手足が気味悪くて、
カッターで薄く傷つけて痛みを感じて自分のものだと確認しました。
私はSとは違って痛みに敏感で、注射でも本当に泣きそうになるので、本当に、紙で切れた時くらいの薄い傷です。
浅い分Sの傷より痛いですが。それで、痛くて痛くて泣いてしまって、また電話をかけてしまったのです。
でも「切った」とも言えずにただ泣いているばかりで、また彼に迷惑をかけました。
でも、このまま電話していても通話料の無駄なので電話を切ってもらいました。
どうしようもなく怖くて不安定で悲しくて、それから2時間くらい泣いて離れて、4時過ぎになんとか就寝しました。
今朝9時頃、店の開店準備をしているとメールが入ってきて、「ごめんな」と何回も言われました。
でも、それは私が勝手に不安定になって寂しがってわがままを言って切っただけだから
彼が謝る事ではないんです。でも、それを伝えると、「そんな事まで言わせてごめん」と言ってくれました。
私が異常に甘えるのも許してくれているのに、更に謝罪までさせてしまいました。
情けないです。言いたい事もちゃんと自分で言えなくて、いつも気を使わせてしまいます。
コミュニケーション能力は、1歳児並です。泣く事と笑う事しか出来ませんね。
もっともっと、成長しなければならないのです。

-ノートを血まみれにしたSの傷が漸く塞がりました。まだ赤紫に盛上がっていますが。-
■2001年05月23日(水)■

■言い訳■

02:56
通院日でした。
今日も先週と同じで、自分の考えた事、思った事などを話せませんでした。
今までどうやって生きてきたのか、どうして耐えてこれたのか。
そんな事を尋ねられました。自分はどうやって生きてきたのでしょう。
どう答えればいいのでしょう。
私の生きてきた時間は、同じ年齢の人たちよりずっとずっと短いのだと思います。
その上、貫きたい「自分」もなく、自分で何かを選択する事もなく、
常に、ただ誰かの云う通りに動いていました。
将来やりたい事でも、そうすれば親が喜ぶだろうとか周りからよく見られるとか
そんな事で決めていたので、自分からやりたいと言い出したものでも
本当にやる気にはなれずにただこなしていました。
自分のやりたい事がありません、こうなったらいいなと云う希望もありません。
制御される事によって膨張する事はなく、制御によって無くなってしまいました。
どうやって生きてこれたのか、と云うほど苦労はしていなかった気がします。
不安定で泣きそうなのが普通で、それ以上は考えていなかった気がします。
何も望んでいなかったし、助けて欲しいとも思わなかったから
逆に苦しむ事なく生きてこれたんじゃないか、と思っています。
 先生はよく、「もしこうなるとしたらその時あなたは何がしたいか」と仰います。
でも私は、本当に望んでいる事もなく、ただ何かを尋ねられて
その時一生懸命考えて言葉を絞り出します。心から望んでいる事でもなく
ただ何かを云わなければと思って答えるのです。その場しのぎみたいなものです。
自分で何かを望んで、それを口に出す事がこれほど大変だとは思いませんでした。
私が何かを云うまで待って、真剣に聞いて下さる先生には本当に申し訳なく思います。
本当に望んでいる事など滅多には口に出せないのです。
病院に行く前に自分でこれを云おうと決めていても、切り出せないし
言葉になって出てこないからいつも帰りには後悔していて、苦しいです。
まだまだ、自己主張出来るようになるには時間が必要なのでしょうか。
先週も同じような事書いたなぁ....はぁ。

テーマ「バリアフリーについて」
呼び掛ける為には名前が必要なのだとは思いますが、
こうして「バリアフリー」って名前を付けなきゃいけないものではないと思うのです。
段差をなくすとか、手すりをつけるとか、そういうのを普通に考えられないと。
展示住宅でもなんでも、そういうのキャッチコピーにしてるとこありますが
そういう名前が無意味になるくらい、それが普通になるといいですね。
■2001年05月22日(火)■

■あぁあ■

02:47
21日の日記、ブラウザが文字化けしててイライラするっていう内容に
再起動したらあっさりなおりましたって追加しようと思ったら
修正ボタンと削除ボタン間違えて消してしまいました(死)。
書き直す程の内容でもないからいいや。
■2001年05月21日(月)■

■夜明け前■

05:33
今日は、昨日とは全然違って、寝ていない分ハイでした。
夕方頃に、二日酔い?で寝ていた彼が起きたので電話しました。
「日記見たよ、ごめんな。」と言ってくれました。こっちこそごめんなさい。
恥ずかしいです自分が。甘えるのもいい加減にしろと。

時に、人の性格や性質の中で、何処から何処までが親の影響なんでしょうか。
例えば単純な所で、親に裏切られる事の多かった子供が、「人を信じられない」事、
親の所為だと言えば親の所為だけど、信じるとか信じないとかは、子供の意志。
昨日か一昨日のビー玉の事でもちょっと書きましたが、
切っ掛けであって全てじゃないんですよね。
親じゃなくて友達とかでもそうだけど、
「こんなに苦しいのは全部周りの人の所為」って
全部人の所為にしてしまったら、
自分の心は安定しても、上に昇ることって出来るのかなぁ。
いったい何処までが親の影響で責任で、何処までが自分の意志なんでしょうね。
自分もよく「親が〜だったから」みたいな言い方しちゃいますけどね。

 テーマ「好きな時間」。
時間帯で言えば、夜明けの直前の、空が少し薄暗い青になって、
東が段々オレンジのようなピンクのような色になる時間帯が好きです。
太陽が昇るか昇らないかのぎりぎりの時間ですね。
でも、太陽が昇って車の通りが激しくなってくると、逆に午前中特有の鬱になります(死)
だからそれまでの静かな時間が、より綺麗で心地よく思えるんですね。
 何かをしている時間と言う意味では、大切な存在を傍に感じられる時が好きです。
それは、逢って一緒に過ごしている時でも、電話をしている時でも。
あとは..離れた時でなく、普通にぼーっとしている時とか、本を読んでる時。
挙げだしたらキリがないですね。
■2001年05月20日(日)■

■開きかけの扉■

2001/05/19 (土) 04:19
不安定だったこと。
洗面台に立って歯を磨いていると、開きかけの扉が私を見ていました。
いつもいつも、朝から晩まで誰かの視線を感じながら生活しています。
ただただ、言表わせない怖さと、理由も無い悲しい気持ちが続きます。
目の前をちらっと過る、父のクローゼットとネクタイ、カウンターキッチン。
何を意味するのか、どうして過るのかわからないけどとにかく怖くて1人で震えて身体から離れてしまいます。
深夜だという事を認識できるだけマシです。時間が解るだけ、状況が解るだけ。
「お前は永久孤独に餓えているであろう」って、いつか読んだ詩の中の言葉を
誰かが後ろで呟くのが聞こえます。とにかく怖くて手足が冷たくなっていって
大丈夫だよって言って欲しくて、迷惑を承知で彼に電話をかけました。
出なかったんですけどね。酔ってぐっすり寝ているようです。
異様に寒くなって、気分が悪くなりましたが、何度か吐いて落ち着きました。
そのあとはっきりとした意識が戻ってきたので、ソファに座り込むと
力が一気に抜けて完全に離れてしまいました。
その後は何分経ったか何十分経ったか解らないけど、何も無かったみたいに
ソファから起き上がってPCの電源を入れてネットに繋ぎました。
動けるだけまだマシです。
-書き足し8:47-
彼ですが、酔って寝てるんだと思ってたけど、
ただ寝てたんじゃなくって電車で知らない場所に連れて行かれちゃってたみたいです。
自分で手一杯で、彼の心配をして無かった自分が恥ずかしいです。

テーマ「恋と愛の違い」でした。
恋は、対象を慕い存在を欲する事。
愛は、対象に尽くす事を生き甲斐とする事。
欲する気持ちと、尽くす気持ちが絡み合って、恋愛と言う語になるんでしょうか。
■2001年05月19日(土)■

■乱反射■

05:09
今日のテーマは「サイテーな夜」でした。
サイテーと最低って違うのかな。片仮名のサイテーと、漢字の最低。
いや、それだけなんだけども。
やっぱり、最低っていう方が「一番下」って感じですね。

 という日記を1:48から書きはじめたのですが、また離れてしまったようで
気付いたらこんな時間。ログインしてからの時間が長過ぎると、
タイムアウトという形で書き込みが出来なくなるみたいです。
再度ログインし直してコピーペースト(たったの4行)しました。

19:06
私の内側にある空間は、多分私を引き裂いた破片との境です。
こんなに、バラバラに散ったものではなくて
最初から今までずっとひとつに繋がっていたとしたら。
私は今頃、どういう風になっていたのでしょうね。
ひとつのビー玉は、ちゃんとひとつの太陽を反射していたと思います。
どんな角度からでも、多分ひとつだったと思います。乱反射に似ていますか?
もしビー玉にかかる熱湯と冷水がなかったら
転げ落ちて傷付いても、ひとつでした。空間は生まれなかったと思います。
全てが自分のもので、時間も自分のものだったはずです。
割れてしまったのはビー玉の意志ですが、やっぱり切っ掛けは熱湯と冷水。
でも、ひとつの太陽が反射出来るようなるには、もっともっと熱い火の中で
再び溶けなければなりません。でも、それによって隙間、空間が消えて
欠片が境界線から自由になれるのなら、必ずそれは必要なのでしょう。

でも苦しかったり悲しかったりしても、熱湯も冷水もなければ私は此所には存在しなかった。
今のネットの友人達や、夜の知り合いも彼でさえも、出逢っていなかった。
心を砕かれないままの人生もある筈でした。
でも、苦しくてもちゃんと身体は生きているし、其れ故の出逢いもあったんですから。
それに、命が繋がって居るだけでも十分幸せだ、そう思わないと。
自由になる為の熱い火も、経験のうちだと思わないと、やってられませんよね。
書いてる事が段々わけわからなくなってきた。
離れたので、また時間が相当過ぎています。10:19
■2001年05月18日(金)■

■ぼやき■

会いたくて会えないあの人01:11
テーマです。
最初に思い浮かぶのは、やっぱり交際相手の事ですね、遠距離だし。
電話で「なんで今俺の隣に居ないの?」なんて聞かれると、
逢いたくて逢いたくて泣きそうになる。
私達は弱くなりました。以前なら1人でも生きていけたのに。
ただ、私は少しずつ人間らしくなってきました。
変化に耐えられず感情を持て余し、無意識に人を傷つけてしまう事も多くなりましたが。
でも逆に、刺々しかった人は丸くなったりもして、私の中の極端な違いが少なくなってきました。
いつだったか、「皆(私と他の自我)とても弱くて、1人では生きられないから、せめて一緒に居よう。」と
彼が手紙に書いてくれました。私は、男性にもこんなに優しい人がいる事を初めて知りました。
性的な悪戯、暴力、暴言、そういったものばかりを味わってきたから、知りませんでした。
今でも他の男性は恐ろしくて近寄れません。お客様は別ですが。
 関係ないけど、私の平均体温は35.8で、彼が36.9です。だからいつもあったかい。
冬に逢って手を繋いだ時、必ず私の方が冷たくて、申し訳なかった。
あっためてあげる事が出来ない。しかも冷え性だから手足がいつも冷たいんです。
もうすぐ暑くなるから問題無くなるけど(笑)。

21:23
不安定です。自分が死体に見えるのでなるべく身体を見ないようにしています。
暗いと怖いのですべての部屋の電気が付けっぱなしで、勿体無いです。
 さっきTVで「娘は何歳まで父と風呂に入るか」ってなのやってました。
父は私が幼稚園に通いだす前からもう一緒に入ってなかった様ですが、
だいたいは8〜9歳くらいから娘が父親と入るのを拒否するようになるらしいです。
それくらいの年齢になってから異性を意識しはじめるって事ですよね。
8〜9歳・・・私はどうだったんだろう。全然憶えてないから解んないや。

 何故私は父をこれほどまでに恐れ、側に居るだけでも不安定な、
そういう存在にしてしまったんだろう。
救いが無かったわけじゃない。父は優しかった。父は私を愛してくれている。
私の知らない幼児期の、父と表の公園で蝉を捕まえている写真があった。
小さい子供独特の、満面の笑顔があった。
その頃も暴力はあったらしいけど、父に肩車をされてる写真なんかは
誰が見ても幸せで、円満な家庭に育った子供の顔だ。この頃から既に
写真の中の私は離れる能力を使いこなしてたんだろうか。

恐ろしい存在で、恨んだり憎んだりしている事も、
肩車も、一緒に笑って蝉捕りをした事も、全部が真実で...。

書き終わりの時間 22:53
■2001年05月16日(水)■

■ネクタイ■

17:44
私は細身のネクタイが好きで、仕事でも時々着けていたりするのですが
なぜかクローゼットに掛けられているネクタイってのが嫌いです。
理由はないのにそれを見ると硬直して、そのあと体が痙攣します。
それを思い出したのは夢で大きなクローゼットにネクタイがいっぱい掛かってるのが見えたから。
それしか憶えて無いけど凄く怖かったです。
体調が悪くて、お腹も痛かったし頭とか首も痛かったし、
一日中ぼーっとしていました。仕事しないといけないのに、
寝てるのか起きてるのか夢なのかなんなんだという感じで気がついたらこんな時間に。
この日記書きはじめたのは17:44ですが、今は19:09です。
なんでこんなに書くの遅いんだろう。30分位で書いてるつもりなんだけど
やっぱり数秒〜数分単位で意識が飛んでるんだと思います。もったいない。

そうだ、MIDIをそろそろ変えようかと思っていたら、いいねって言われたのでもう少しこれにしとこう。
この曲大好きだけど、もっと優しい曲にしたいです。合う合わないは別として。
優しい父とか母みたいなイメージの曲がいいけど、なかなかこれっていうのが見つかりません。
今の曲はちょっと強すぎるとゆうかなんと言うか。だっこされてるようなイメージの曲がいい。
親に甘えたいっていう幼い気持ちの現れなのでしょうか。
以前は甘える事なんて、考え付きもしなかったけど、
色々なAC関係のサイトを見ているとそういう事考えるようになります。
でも甘えられないのは、親が悪いんじゃなくて私が甘えなかったからですよね。
自分は親に甘えられる程、親が喜ぶ事もしてないし成績も良くなかったし
自分がもっと良い子だったら甘えられたかも知れない。
今、20:19です。
■2001年05月15日(火)■

■自己主張■

20:02
通院日でした。すべての時間私がお話をさせてもらったんですが
自分の口から自分の言葉で言うことが出来ずに、かなり時間を無駄にしてしまいました(死)
自分が言いたいことを考えてるのですが、口から出てきません。
考えてるうちにどんどん時間が迫って結局今日も不発というかなんというか。
なんとか言いたい事を言えるようになると良いんですが、今の所は無理でしょう。
自分の事を話そうとすると涙が出てきます(悲しい内容でもないのに)。
文章ならなんとか冷静に客観的に見て考えた事を表せるので、先生が
毎週この日記を見ながらその内容について話をしようと仰いました。
やっぱり、患者さんも多くて時間も30〜40分と限られているので、
私が口から言うには時間が足りな過ぎるのですね。面と向かって発言する事が出来ません。
やっと言おうと思った時には、もう話題を移されていたりして。
何か1つ、自分の言いたい事を言えたらそれを切っ掛けに話せるかもしれません。
でも、自分の事を話せるようになるにはかなり時間がかかると思います。
自己主張をする事によって、何がどう変わるのか、どう良くなるのか、またどう悪くなるのか
やりたいと思った事をやっても良いんだと思えるようになる事で、どう変わるのか
そういう事も考えた事はありませんでした。
私はもっとちゃんと人を信頼し、症状なども誤魔化さずに言えるようにならなければいけません。
■2001年05月14日(月)■

■女性■

17:56
女性って、夫に対して、
妻として、母として、姉として、妹として、親友として
女性であるすべての形から愛を注ぐべきらしいです。
それは男性にもあてはまるとは思うんですけど
夫にとっての帰る場所が、常に妻の待つ家であるように仕向け、
妻の居ない時間をとても長く感じさせ、恋しくなるように仕向けるのは
誰でもない、妻のしなければならないことなんでしょう。
お風呂から上がったら全身の肌をローションとかで整えて
夫にとって他の誰よりも触り心地の良い肌を作って迎え入れなければならないんでしょう。
私はもっと柔らかくなりたいです。
自分の大切な存在を自ら失ってしまわないように
誰よりも、柔らかい女性になりたいです。
大切な人、大切なものを壊さないように傷つけないように、何よりも柔らかくなりたいです。
■2001年05月13日(日)■

■好き■

7:29
昨日、電話で交際相手と話していたことなのですが。

私は動物が大好きで、小さい頃祭りのヒヨコを飼っていました。
本当に大好きで、これからいっぱい大きくなるんだなぁと思っていたのですが、
ある日、家の屋上で、水に溺れさせて殺してしまいました。
勝手に水に落ちたとかじゃなくて、水から出られないように押さえ付けて、
上から蓋をして放置しました。
自分がしている事に気付いた時には、もう死んでいました。
そのあとも動物は飼いました。全て父に捨てられましたが
メダカと金魚は一応県庁の堀に放したので、暫くは生きたと思います。鯉もいたし。

この前生まれた子猫ですが、とても可愛くて一緒にいられたら良いなと思って
ずっと欲しい欲しいと云い続けてきました。でも
いざ、貰えるとなると、とても怖くて怖くてやっぱり遠慮しようと思いました。
そのことを彼に話したら、「飼わない方が良い」と云ってくれました。
私以外の人が、猫を好きかもわからないし、もしかしたら猫が大嫌いで
殺してしまうかも知れない、そう思っての事だそうです。
でも何より怖かったのは、
誰かの手によってではなく、自分の手で殺してしまうかもしれない事でした。

本当に大好きです、大切な存在です。でも何故殺してしまうんでしょう。
そして、それがもし自分の子供だったら?彼だったら?

大切な存在を何故、自ら失う方向に持っていかなくちゃいけないんでしょう。
「好きだったら、愛していたらそんな事するはずがない」
これは虐待に関して相談した時に、1つ下の男の子に云われた言葉ですが、
すべての人がこうであったら問題ありませんよね。
愛しているからだと云われながら虐待を受けてきた者に、
「愛していれば」なんて言葉は通用しません。
私の状態がこのままである以上、私は私より力が無い、小動物や子供などは
大切に思ってもそばに置きたくても、絶対一緒に居てはいけないんだと思いました。

こういうのってカウンセリングで変わるものなんでしょうか?
これも症状ですか?被虐待児であるが故ですか?

月曜日は通院日なので聞いてみます。
■2001年05月12日(土)■

■学校■

18:28
連続した記憶はないんですが、憶えてる限りではいつも遅刻していました。
学校が嫌いとか勉強がきらいっていうのは考えなかったけど、
同級生と話すのはかなり嫌だったと思います。
夜の仕事で知り合った人の方がやっぱり大人で、話題も豊富で
学校での、「部活の先輩の誰々が好き」みたいな話にはとても入る気がしませんでした。
そのうち、陰湿な苛めやいたずらなどもあって学校に行くと発熱するようになり、
「都合の良い身体やね」と云われながら保健室登校になったんだと思います。
話が合わないとかいたずらとかの順序は記憶バラバラですが、
そんな感じでRやL(N)と無意識に交代しながら学校生活は終わってしまいました。
何しに学校通ったんでしょう。毎日朝から写真をとって、現像して学校に行って
熱やら頭痛やらで保健室で一日過ごして。登校拒否が許されなかったからただ行く場所がなくて、とりあえず行ってたんでしょうか。
他の誰かが教室に行っていたとしても、私に取ってはそれだけでした。
 夜の仕事の人たちはみんな中卒とかばっかりだったから、
「絶対高校は出てやろう」と思っていたのですが。結局高校は入学すらしませんでしたね。
Rが声楽を断念したから美術系で受験したんですが、
写真ばかりやってた私はとても技術が追い付かずに結局入れませんでした。
競争率が2倍以上だったんで、半分は落ちたんだ、と諦めはついたのですが
中学卒業までに沢山良い賞をもらっていて変に自信があった分、情けなかったですね。

やっぱり高校は行った方が良かったんでしょうか?
学歴がどうのと云う事ではなく、集団生活、コミュニケーションの面で。
今の高校生を見てると、仕事とかの経験も大事だけど学校の友達と遊びに出かけたりとか、
停学とか留年とか、そういうのも、経験した方がよかったのかなとも思うんです。
■2001年05月11日(金)■

■もしも1つだけ願いが叶うなら。■

テーマ03:44
願い事...叶って欲しい願い事は沢山あるけど、
本当に叶って欲しいものって何でしょう。
大金が欲しいとか、土地付きの一戸建てが欲しいとか
そういうのも考えには浮かびますが(笑)、男の兄弟が欲しいです。
そうすれば私は家の後継の心配をしないでこの地を離れる事だって出来るし
父に似て商才もあったりするのでしょう。2代目は倒れやすいとも云いますが(苦笑)
父が計算して作り上げている常に右肩上がりの店を、一代で終わらせるには
店にも両親にも申し訳なく、小さい頃から後を継ぐものと考えて疑わずに育てられてきたので、
小学校の卒業文集でも必ず後を継ぐ、と書き、教官からも計画的だと誉められてきました。
今考えると、何の夢もない寂しい作文です。
自分の中ではそれ以外の道は考えられなかった、考えてもすぐに捨てていたので、
Rはコーラスが好きで音楽関係の仕事に就きたがっていましたが、
職業上デザイン系の道を今から覚えた方が良いと父にいわれ、あっさり諦め部活も受験も変更しました。
しかし私に人を使い指導するだけの能力があるのかと、不安が強くなっていき、
その上一生父に束縛されて生きなければならないのかと思うと、
それまで他の道を全て捨ててまで継ごうとしていた気持ちが3分の2は無くなりました。
もちろん私はまだ若く、色々な経験を積む時間は沢山あります。
でも考えを捨ててきた私に別の事なんて思い浮かぶはずもなく、
いくら減ったからと云って家を継がなければならないと云う意識は足を引っ張ります。
こんなに時間がかかってもいいのかと焦ったりして、そんなに焦ってどうするんだと宥めたりして
気持ちに余裕がほしくって男の兄弟を欲しいと考えたりするのです。(まとまってないし)


癖19:17
日記を書く時に、その日の事を思い出せるだけ思い出そうとして、
書き込み画面の前で暫く考えるんですが、
考えているうちにぼーっとしてしまいます。気がついたら1〜2時間経っていて
それから改めて考えて書き始めると云うとてものんびりしたものなんですね。
でも治したい所がいくつかあります。
そのぼーっとしてる時間、無意識に髪の毛を抜いたり、
sのつけた傷の瘡蓋を剥がして血がたらたら流れていたりとか、そういうのがあるんですが
どうすれば治せるのでしょうか。自分で意識している時は絶対にしないのだけど
無意識なのでどうしようもない。癖って怖いですね。
爪を噛む癖があって爪ががたがたな人とか、ニキビを触る癖があって肌が治らない人とかも
けっこう居ますよね。でも、なんであるんでしょう。体にいいわけでも無いのに
絶対しないと思っててもやってしまう所とか、ある意味虐待に似た所もありますよね。
ACの人によく見られる癖だったりもしますが、どうすれば治せるんでしょう、
どうしてそういう癖がつくんでしょう。っていうか治せるんだろうか。
この前病院に行った時にそれを聞こうと思ってたんですが、すっかり忘れてました。
手が寂しいのかな。行く場所が無いというか。なんか、小学生の授業中の手遊びみたい。
■2001年05月10日(木)■

■昨日は■

11:46
帰ってきてそのまま眠ってしまったので、続きを書く事が出来ませんでした。

父は、私の記憶に残っている時代には既に、一緒には住んでいませんでした。
私と母、父で、フロアが別れていました。
敷地や建物は同じですが、
マンションか何かの様に玄関も違う、トイレも風呂も共有していません。
将来賃貸できるように、部屋の造りもまったく違うものになっていて、
時々一緒に食事をしようと呼ばれると、全く別の家にお邪魔したようで
早く帰りたくてたまりませんでした。でも、仕事の話に相槌を打ちながら、
酒が入り機嫌が良くなった父を見るのは好きでした。
そして、家の廊下を走った事で怒られたり、突然私と母の住む階に来て
何かをされた時でも(離れていたので解らない)、
私を愛してくれているが故の事だと感謝し涙を流し謝罪をしました。
でも、たまに私達の階にくる時が怒られる時なので、玄関のカギの音は今でも恐ろしく感じます。

現在「愛の名を騙った虐待だ」と言われそうも考えますが、
私自身それを聞きながらまだ悩んでいる所があります。
愛の名を「騙って」いるのか、「愛している」とは本当に言い訳なのか
彼だって同じように育てられてきた様ですし、彼にとっての愛とは
それしか考えられないものなのではないかと思います。
子供の立場から見れば言い訳でも、私を憎んでいるわけではない(多分)から
騙っているのではなくてそれが真実なのではないかと思ったりするのです。
でも、騙っていても真実でも、虐待として成立するのは確かなんだと思います、
感謝するべきなのかと考えている事自体が親による洗脳だと言う人もいますし。
彼のどの部分に対して憎み、どの部分に対して感謝すればいいのか、
金銭面ではなく、精神的な面での感謝すべき所と、憎むべき所を探しています。
「優しくて、怒ると怖い父」で片付けられるといいのですが、
まだ、どちらか極端に傾くばっかりで、自分の心がひどく狭いように思えて嫌です。
今この文章を見直しただけでも自分がいかにばらついた考え方をしてるのかがよく分かって、
かなり嫌です。でも、そういうのが日記を書く事で自覚できるんだから、いいか。
■2001年05月09日(水)■

■不安定■

17:52
今日はこの日記を書いてすぐ仕事に行きます。
父と顔をあわせなければならないので少し不安定です。
現在は同じ敷地内でも違うフロアに住んでいますが、
仕事場ではどうしても会う事を避けられません。
書いているうちにもう時間です。続きは帰ってきてから書くとします。
■2001年05月08日(火)■

■今日はどうでしょう■

06:36
今日は通院日です。昼から診察です。
果たして、今日はちゃんと先生にお話できるのでしょうか。
口が達者な人に任せておけば良いじゃないかとも思うのだけれど、
やっぱりfの感覚と私の感覚は違うと思うし、望んでいる事も違うと思う。
だからやっぱり、私が感じた事を私の言葉で話さなければなりません。
っていうか、それが当たり前ですよね。甘えんのもいい加減にしろと。
でも、あの交流ノートを先生に見られるのは嫌です。
紙が張り付いて、干涸びた古い血のにおいがする。
たとえ相手が精神神経科の医師であっても、
ああいった、端から見るとかなり異常な雰囲気が漂うものは見せたくない。
あれから、誰もノートには書いていません。誰かが先に書くのを待っている様です。
fは、「じゃぁお医者さんに書いてもらえばいいんだ!」といって
持っていく気満々のようですが。

 話は全く変わりますが、今日は診察を終えた後、
いつかfがお世話になった、叔母さんの家まで、野良の子猫を見に行きます。
まだ生後2〜3日で、新生児特有のブサイク可愛さが期待できる(笑)。
本当は乳を飲まなくなったら一匹欲しかったのですが、残念な事(本気で)に、
アレルギーでくしゃみ鼻水なんて出てしまうので絶対飼えません。
でも一度でいいからあの「ニ゛ーッ」って可愛くない鳴声と一緒に生活したいです。
猫、大好きです。あぁもう。

さて、今からシャワーを浴びて、外出の準備をします。


病院の事。20:04
今日の通院では、私の口から私の症状を話す事が出来ました。
あと、何故か今回、210円だったんですよね。いつもは診察のみの処方無しで1230円なんです。
それと、皮膚科で恐る恐る腕の傷を見てもらったのですが、
縫うには遅すぎると云われ、もう傷口も乾いてきているので自然に治るのを待つ事にしました。
縫えば自然治癒より傷跡が目立たないのです。
でも縫うのは恐いです。皮膚が引きつるのが痛いです。傷口の汚れをブラシで落とされるのが恐いです。

そう、何を話したかと云うのは、自分の手足が落ちている恐怖です。
文章にあらわす事は難しいので、身ぶり手ぶりで一生懸命伝えました。
自分の来ている服の中で、本当に首から下、
同体と手足が繋がっているのか信用出来ないというやつです。
横になっている時は特に、落ちている、
途切れた前腕が顔の横にごろんと転がっている感じが強い。
それを一生懸命伝えました。安定剤を必要としている事も伝えました。
お薬の方は、やっぱり考え直します、と云う事になりましたが。
風邪薬や頭痛薬すら許されんのに、精神薬など許されるわけは無いのです。
交流ノートは、見た者が不安定にならないように、一時預かってもらう事になったようです。
実際のfは、ノートを見るのも触るのも嫌だった様です。
先生に返してもらう時、「預かろうか?持って帰る?」と云う言葉に、
首をぶんぶん振りながら押し返していました。
そのあと私が手足の話(とドアの話)をして、皮膚科まわりで帰りました。
精神科の方の先生が、「一応縫うのに間に合う傷なのか見てもらうといい」
と云っていたので相談するだけ相談しに行ったのです。
そうしたらあの結果だったので、皮膚科「受診」と云う事にはならず、
お金はかかりませんでした。通院の時は交通費以外余分なお金を持たないので、
最初はどうしようと焦ったのですが、よかったです。

意識が朦朧としてきました、ただ眠いだけですが口が半開きです。
                            
                          今から寝ます。
■2001年05月07日(月)■

■付き合い方■

18:03
私は時々、と言うか頻繁に、矛盾した発言をするでしょう。
日本語が変だ・・・矛盾した発言をしていると思います。
私はそれを自覚し、まるで逃げ道を作るかのように
自分の発言は矛盾している所もあるが、などと最後に付け足してしまいます。
しかし、
「問題なのは矛盾の存在ではなく、矛盾との付き合い方なのだ」と
指摘してくれた方がいました。
これを見る前に、先日日記にも書いた別の場所での虐待に関する会話で、

「ヒヨコが死んじゃった時可哀想だって思ったんでしょ?それは優しさがあるってことだよ!」

という言葉に対し不快感が募り、

「私が知りたいのは自分に家族や恋人に対する愛情が存在するかではなく、
 どうすれば「押し付ける愛」ではなく「与える愛」を注げるようになるのか
 という事です」

そう発言した事を思い出しました。
意味合いも付き合い方も全く違う「矛盾」も「愛情」も、
存在の有無より扱い方が大切なんでしょう。
至極当たり前の事だとは思いますが、
文章にしてみるまでそのような事微塵も考えていませんでした。


思ったのだけど18:52
サイトの雰囲気とMIDI、合ってない様な気がする。デザインとか。
やたら重いし外した方がいいのかな。
でも日記しか更新してないからって日記だけ直リンしてる人多そうだな。
掲示板も必要無さそうだし。でもHPある方が何となくいいし(何がでしょう)。

感情を思いっきり出してみよう。
 私の大切な友人の1人であるA嬢に対して
「俺がこの世界を君たちにとって住み易いものになるようにに変えてみせるから!」
などと馬鹿らしく救いようがなく微塵も信用出来ない奇麗ごとを吐いて下さったS氏は
今、一体何をしてるんでしょうか。
某掲示板のスレッドにて釈明(というかH嬢に対しての謝罪)を求めたのですが
2日経った今でも返事はなく。
たまたま彼が自ら乗り込んで叩かれていたので、丁度いいと思って
コンタクトを試みたのですが、知らぬ存ぜぬを通すつもりでしょうか。
あのスレッドでの彼の一連の行動を見て、怒りと同時に呆れました。
いい加減にしろという感じなのですが、今さらあそこで問詰めても無駄だ、という事なのでしょうね。
構いませんよ、そのまま偏見と片寄った知識だけのコラムでも書いていればいい。
でもそれはそのコラムの内容の対象にされてしまった者達の目の届かない所でやってほしい。
でも一番の願いは、「小学校の道徳から勉強しなおせ。」ですか。

あー、でもちょっとすっきりした。
■2001年05月06日(日)■

■あんまり意味のない中学校時代振り返り■

あんまり意味のない中学時代振り返り文章00:50

このサイトの背景画像を作ったのはRとゆう合唱部所属の女の子なのですが、
英語がちょっとばかり得意らしく、
よく学校の英語教師に、英語で綴った詩を見せていた様です。
でも私やLは英語が不得意、と言うか苦手で、いつも成績が悪かった。
教師に見せる詩とテストの成績の差が大き過ぎて戸惑っていた事だろうと思います。
英単語すらまともに書き取りが出来ないのに何故?と言うような。
Rは保健室で発狂し大声で叫んだりするような人ですが、部活だけは好きだった様です。
後に父に言われて美術部に変わるまでは。
美術部には誰からも好かれて気の強いショートカットの子がいたのですが
その子に嫌われてしまった為に美術部での活動はほとんど出来なくなりました。
私は一人で写真を撮って、コピー機を使って写真本を作って、先生にだけ見せていました。
今考えると、中学校の私の記憶にある人は、
美術の先生、担任の先生、保健室の先生だけの様な気がします。
学校の外の友達は好きだった。皆仕事をしている人だったけどよく話せました。
でも何故か、今は全く逢っていません。気がついたら、彼等はいなくなっていました。
何故逢わなくなったのか解らないのですが、
一つ上の先輩と二人で下校するだけになっていました。
最後に逢ったのはいつなのか、何故今自分が当然の様に二人だけで下校しているのか
全然解りません。だんだんと離れていったのでなく、いつの間にか突然生活が変わっていました。
私は中学校の時はまだほとんど、他の人の存在には気付かなかったから、
春夏を飛び越して秋になったりする生活がひどく虚しく、夏休みの思い出話も出来ず
孤独である理由をよく分かっていなかったのだと思います。
違和感がある事が日常でした。

愚痴

05:47
リンクを一件追加しました。

自分がひどくバカな事をしているなぁ、と思いながらも、
その行動を続けてしまう事がよくあります。
それはひどく冷静さを欠いた行動であり、後で後悔するであろう事は
目に見えているんですが、やらなければそれはそれで気分が晴れない。
どうしたものでしょう。
死児の齢を数えるようなマネをしてしまいました。
相手はそのこと、覚えていないかも知れませんがね。
傷つけた者はいとも簡単に忘れてしまうが、傷つけられた者はずっと覚えているんですよ。
それが虐待関係にある親子であれ、
チャットで知り合った、ただの自分に酔いしれた男であれ。
いやそれはいいんだ、今いいたい事は、
自分自身、もっと成長しないといけないなぁ、と思ってるという事ですか。
冷静に物事を見つめ判断し適切に行動する事ができるようになるまで、
後どれくらいの年月が必要なんでしょうか。一生かかっても無理そうですね。
心の傷に関してもそう。
前向きに、ちゃんと向き合っていかなければと思えば思う程、
空回りをしている自分が居る。
友人は私のことを、ちゃんと症状と向き合って治療に専念している、
という風に言っていましたが、それは違うと思いました。
私はただ、その日あった事と思った事を正確に記し、冷静になってみようと思っているだけで
このサイトを見ても、真剣に症状と向き合っているとは到底思えない。向き合いたいと言う願望はありますけどね。
今心掛けている事は自分のことを知る為に感情を整理する事、それだけです。
自分の症状や体調、そういったものを纏めるためではなく、
自分が考えている事を文章にして、整理し、客観視し、落ち着かせる為です。
簡潔にいえば、
私は症状と向き合い戦っているのではなく、
私自身と向き合い整理している、という事でしょうか。
それが結果的に症状と向き合う事になるのかも知れないけれど、
まだ今は、症状と向き合う過程には到っていないと思います。
過大評価されている気がして、少しだけ、ウザいと思ってしまいました。
そう簡単に、症状と向き合い治療に専念する事など、出来るはずはないじゃありませんか。
私はそんなに簡単な人間じゃありません。そう思われる所もあるでしょうが。


 自分の意見をはっきりと持ち、それをだんだんと表に出せるようになってきた。
でも、それに因って発生するよくない事の数は多い。
以前のように、ずっと笑って、相手の意見を全て受け入れるのが良いのか、
それとも今のように、人に不快な思いをさせても、言いたい事をはっきりというのが良いのか。
正直言って、前者の状態の方が無難だし、そう言う性格に戻りたく思っている。
でも自分の考えを作成、保存する事を覚えたからにはそれを失いたくはない。
でも考えを持ったら、それを言わずに捨てるのが苦痛になる。
言われた事だけやる人間に戻るか、自分で行動する人間になれる様努力するか。
無難な方を取りたいけれど、そのままでは何一つ成長はしないんだろう。
まぁ、戻りたいと願っても、私は急速に変わってきているようだから、
今更そんなことは無理だろうが。
 
 ここ1年ほどご無沙汰だった悪い感覚が、先月辺りから戻ってきている。
■2001年05月05日(土)■

■復帰■

23:32
大変申し訳ありませんでした。
ここは毎日書くと決めていたのですが、
PCがハードを認識しなくなってしまい、
修理まではいかなかったのですが約一週間の間、電気屋さんに預けていました。
携帯から見れるところは見ていたのですが
ネットできない生活ってけっこう苦しいですね。
内部の人との交流ノートに日記みたいな感じで
自分ばかりだらだらと書いていたのですが、そのノートすら
血まみれで字も読めなくなったのでそれの写しはできない感じです。
ネットをしないでいると普段気付かんことにも気付きます。
退屈で、J-skyやってたのですが、所謂学生の集まる掲示板みたいな。
10代専用で、恋愛系の話をする場所でした。
悩みを相談してお友達の意見を聞いたりする場所です。
最近ネット上で交流していた人は、
みんな精神的に障害があったり傷を負っている人でしたから
久し振りに見た「普通」な会話に戸惑いました。
 その中にひとり、親から虐待を受けて育った人で妊娠中の女性が居ました。
子供を精一杯可愛がって大事にしてやると希望に輝いていました。
だから私はその人に聞くつもりで掲示板に書き込んだんですが、
全員が見る掲示板ですから当然別の方からもメッセージがくるんですね。

「子供を虐待してしまうのではないかと不安だ、
大切な人達を「愛して」いく上で、
一線を越えて干渉し過ぎて迷惑をかけるんじゃないかと不安だ。」

場違いだなぁとは思ったんですけどね。
別の方からお返事を頂きました。

「逆に、こう考えてはどうですか?
 あんな親みたいには私は、ならない、てなふうに。
そしたら周りにも優しく出来るんじゃないかな。」

一般的な答えだし私も尤もな意見だと思いましたが、
それは本当に可能なのか、捨てられたなら捨てぬ努力はできるだろうけど
愛されなかったのなら精一杯優しくすればいいだろうけど
 受けた愛情が、与える愛情でなく、押し付ける愛情だった場合は
与え方を知らぬから押し付ける形しか知らぬから
やっぱりまた、押し付けてしまうんじゃないだろうか。

父は祖父を憎んでいた、あんな風にはなりたくないと願っていた
結果はどうだ、憎んでいた祖父と同じことを父はまた次の世代にしているんじゃないのか?
・・・ここまで書いてて、ふつうの愛し方愛され方、与えるとは、押し付けるとどう違うのか
ぜーんぜん解らなくなってしまいました。

私は何を考えているんだろう。
■2001年05月04日(金)■

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