おもうこと
日常のいろいろなこと

2003年01月30日(木) ■やはり忘れられないのは。

人生には忘れられない思い出があるものだ。それが、きらきら輝く美しい思い出ばかりでないことは、残念だけれども。
悔しかったとか、悲しかった気持ちの方が、強いのかな〜なんて、思うこともある。
私は、父の仕事の都合で転校を繰り返して、何回かいじめにあったけれど、今も、それを思いだすほど根深いものではなく、「意地悪な子がいたなぁ〜。」ってレベル。それだけ、いじめの程度も、軽かったんだと思う。転校生いびりには、熾烈なものが多いから、きっと私はラッキーだったんだと思う。でも、いわゆるいじめ・・・っていうのは、転校生がターゲットだったり、誰かをかばったからとか、勉強ができたからとか、また逆の場合もあったり、何か、無理やりに理由をつけて、大勢(団体)で仲間はずれにする・・・みたいなものなんだと思う。
そういう時、大勢と対抗するのは、もちろん難しいし、嵐が去るのをじっと待つ動物のように、息をひそめて、ただひたすら待つ・・・ものなんだと思う。ほとんどの人がそういう対処の仕方で、なんとか、やり過ごすんじゃないかな〜と。私もそうだった。いつかこのいじめが終わるだろうと、そう思うことで、気をまぎらしていた。そのときは、確かにつらかった。
でも、私が一番こたえるのは、そういう人間関係ではない気がする。そういう意地悪をする子たちと、仲よくなりたいとか、わかってもらいたいとか思うことはあまりなかった。仕方のないことだと、受け入れることができた。そうじゃなくて、個人個人のレベル、1対1のレベルで、誤解されたり、わかってもらえなかったり、相手が心を開いてくれなかったときの方が、ずっとつらかった。いじめっ子のことは、私自身が相手を嫌いだったから平気だった。相手に対する軽蔑や、嫌悪の気持ちすらあった。彼女たちが、私の気持ちを理解できるわけがない・・・という自負もあった。なぜなら、集団でひとりをいじめるような人達を、私は尊敬することも理解することもできなかったから。
私は、とても好きだった女の子に、そっぽ向かれたことがあった。皆には、気軽に声をかけてくれる子が、私にだけ冷たかったのが、一番悲しかった。どうしたら、好かれるんだろう〜って、そればかり考えていた。
今、大人になっても、時々思い出す、子ども時代の気がかりは、それ。「あれは、自分のどこがいけなかったんだろう?」とか、「どうして、一生懸命、心をこめて手紙書いたのに、お返事もらえなかったんだろう?」とか、そのことの方が、いじめよりも、ずっとトラウマになってるような気がする。
相手には、相手なりの考えや事情があったのだろうけど、結局、それは私にはわからないまま。自然消滅のように関係が途絶えてしまったから、どうしようもなかった。彼女は、これ以上私の考えを聞く気持ちはないという拒絶の態度をとっていたような気がした。理解しあえない関係を初めて経験したのかもしれない。
大人になってからの私は、自分の思ってることを、正直に相手に伝えるのが、苦手になった。友達との関係においても、恋愛している相手に対しても、どこか無理して、自分をとりつくろっているようなことをしてしまう。普段、かなりおしゃべりなのに、心から大切に想ってる相手に対する思いは、なかなか上手く話せない。苦手な理由は、子どもの頃の上手くいかなかった人間関係の記憶があるからじゃないかと思う。
大人になった今も、相手のことを好きになればなるほど、自分の気持ちを伝えることに慎重になってしまう傾向があると思う。絶対に失いたくない存在に、拒絶されるのが怖くて、あと一歩近づけないでいるのかもしれない。無理に近づくことで拒絶されるくらいなら、このくらいでいいかな〜と。きっと、私は、あまり親しくない人との方が、おおらかに付き合える。大切な人に対して、慎重になってる自分に気づくと、子どもの頃のまだ消化しきれていない思いが頭をよぎるのだ。自分の心の闇をみたような、そんな気がした。



2003年01月19日(日) ■さぼってるな〜。

最近、日記をさぼりがち〜。・・・というより、パソコンに向う時間が激減してるせいかもしれない。前は、暇さえあれば、パソコンの前に座っていたんだけれど、とっても出不精な私が、このところ、よく外出しているせいかも。何をしてるってわけでもないんだけど、ほとんどが、友達の家に行ったり、どこかのお店で集まってしゃべったり、それ以外だとテニスしてるって感じかな〜?お正月あけ、久し振りに東京に帰省したけれど、実家にいるとなんだか、早寝早起きで、自宅にいる方がずっとだらしないな〜。今回の帰省は、娘の予定中心に考えていたので、函館時代のお友達一家と一緒にディズニーランドに行ったり、東京に転勤したお友達の家におじゃましたりした。親子ともに、ブランクを感じない再会で、ディズニーランドは、がらがらに空いてたこともあり、めいっぱい動き回った。朝の8時半頃待ち合わせて、結局別れたのが8時すぎだったから、12時間以上も一緒にいたんだわ〜(笑)。翌日、一緒に友達の家に遊びに行って、またまた10時間以上も一緒にいた。気心の知れた友人と一緒の時間が過ぎるのが、こんなにも速いとは〜。とにかく、積もり積もった話をしまくった(爆)。ずっと会ってないと、それなりに我慢できるんだけど、こうして一度会ってしまうと、またすぐに会いたくなるので、それが困る!今回の帰省では、家族旅行も両親が計画していたので、皆で日光・鬼怒川へ温泉旅行にでかけた。東武電車の個室をとって、思いっきりくつろいだ旅だった。北海道の温泉にすっかり慣れてる私には、ちょっと小規模な温泉だったけど、久し振りに母とゆっくりお湯につかって、いろんな話をした。露天風呂は、最上階でかつ、洗い場もないので、寒さに強い(?)私がひとりで行ってみた。露天風呂にいたグループ同士で、少々見苦しい言い争いをしていた。温泉でのマナーについての言い争いだったようだけれど、私の母よりも少し上くらいの方たちだった。きっと違った言い方をすれば、こんなにもめることもなかったんじゃないかな〜と思うくらい、きつい言い方をしていた。マナーを注意したグループも、今やマナーのことは忘れている様子で、大声で文句を言い合っていた。温泉でそんなに怒ったら、血管切れちゃうよ〜(爆)。私は、のんびりすみっこでくつろいで、喧騒をあとに部屋に戻った。旅行から帰ってからは、妹宅に遊びに行って、過ごした。ポメラニアンのおすが一匹いたはずが、もう一匹めすのポメラニアンが増えていた。対照的な性格で、おすは、ハンサムだけど、臆病で人見知り。新しく家族の一員になったメスは、ちょっと器量は悪いけれど、元気で人懐っこい。私には、どちらもそれぞれ可愛いな〜と思えたけどね。ずっと以前から犬を飼いたがっていた娘は、すっかりいとこそっちのけで、犬の後ばかり追いまわしていた。このくらい小さい犬なら、飼えたらいいのにな〜って思う。久し振りの帰省は、あっという間に終わり、20度も気温が違う釧路に戻ってきた。いつも、実家から帰宅するときには、泣き出してしまう娘が見えるところで泣かなかったのは、嬉しかった。飛行機の中で少し涙ぐんでいたけれど。彼女が泣くと、私もなんだか、泣きたい気分になるから。昨年からテニス三昧の私は、久し振りの家族や、友達と会う楽しさを満喫しながらも、釧路のテニス仲間とテニスが恋しくなりそうだった。飛行機を降りたら、厳寒の釧路だったけれど、懐かしい景色をみてほっとした。やっぱり、私にとって、北海道は第2(もしかして第1?)のふるさとなんだな〜〜。



2003年01月15日(水) ■自分の家。

結婚してすぐの頃、私は夫と同じ会社に勤めていた。仕事を終えて夫と暮らすアパートに帰ると、いつも誰かの家に遊びに来ているような感覚があった。結婚して数年たっても、あわてて電話にでると「はい、○○です!」と旧姓を名乗ることがあった。留学してホームステイしたり、親戚の家に長く滞在するとか、そういうことに憧れはあったけれど、父が子どもたちを自分のそばから離すのを嫌がったらしい。母に話すといつもいい感触のそんな希望が、父に話すとたいてい否定された記憶がある。時代なのかもしれないけれど、母よりも父の方が考え方が古い。性格も、父の方がかなり真面目な融通のきかないタイプ。でも、私はそんな父が好きだったので、自分の希望が受け入れられなくても、あまり気にならなかった。小さい頃から単純で忘れっぽかったので、ぎゃあぎゃあ泣いたらその後はすっきり・・・みたいなタイプの子だったらしい。結婚してすぐの頃、私にとって「自分の家」はまだ実家だったのかもしれない。いつ、そうではなくなったのかわからないけれど、今では実家で電話に出るときにまちがって今の姓を名乗ってしまったり、実家の住所をど忘れしてしまったりするようになった。そして、以前と一番違うのは、長く実家にいると「自分の家」に帰りたくなるということ。実家で誰かにつらくあたられることもないし、嫌なこともない。でも、生活していて感じることや、意見を話したりした時に、何かかみあわない気がする。ひとつひとつは些細な気にならないようなことでも、長く居る間にいくつもそれが重なると、だんだんストレスになるようだ。自分では気づかないけれど、大体これくらいの期間が限界・・・という日数があるようで(笑)、私は両親に対して少し攻撃的な発言をするようになり、涙もろくなるらしい。私は、そういう状態になる理由は、「自分の家」が恋しくなっているせいだとわかっている。でも、両親はそう思わない。「夫の待つ家に帰りたくないのだろう。」、「あちらの生活に戻るのが嫌なんだろう。」、「ストレスをかかえた生活をしているんだろう。」などと、思うようだ。なので、私が限界に来てイライラし始めると、「向こうで何か嫌なことでも待ってるの?」とか、「もっと居てもいいのに。」とか、私の望みとは全く逆の話をし始める。これが余計にイライラさせるとも知らず(笑)。で、結果、この話には触れたくないので(本音は言いたくないので。)、適当に切り上げようとすると、「そういう態度はおかしい。」とか、「あなたは、かたくなだ。」等々、私の性質や態度に対する批判が噴出する。これは、数年来のお約束・・・というのか、実家に帰省すると必ず越えなくてはいけないハードルのようなもの。すっかり慣れたといえば、それまでなんだけれど、両親と私が年をとればとるほど、お互いの考えのギャップは広がるばかりな気がする。娘は、夫の両親にも私の両親にもとてもかわいがられている。娘も、両方のおじいちゃんおばあちゃんが大好きだ。それぞれの実家に帰れば、いとこたちも遊びに来て、毎日がお祭りさわぎ。彼女にとっては楽しいことばかりの毎日なのだ。その嬉しそうな顔を見るのが楽しみで、帰省している。たまに、むしょうに両親の顔が見たくなるときもある。離れて暮らしていると、心配にもなる。久し振りに会うと、数日はそんな気持ちも手伝って、ほのぼのとした雰囲気で過ごせる。これが一週間を過ぎるあたりから、変わっちゃうんだよね〜(泣)。盆暮れ正月になると、改めて、「我が家がいちばん。」と思うのだ。



2003年01月02日(木) ■新年を迎えて。

元旦は、久し振りに作ったおせち料理と、お雑煮を食べて、家族3人でのんびりと新年を迎えた。こうして、家族3人健康に、またひとつ新しい年を迎えられたことに感謝。
昨年は3年半ぶりの転勤で、あわただしい1年となったけれど、今年は転勤はない(多分)だろうし、いろいろなことにじっくりと取り組んでいきたいと思う。娘も、新しい小学校とクラスが気に入って楽しく登校している。気がかりなのは、学年の総数があと数名でクラスがひとつ増える・・・ってこと。せっかく仲良くなったお友達や、おもしろい先生とお別れすることになるかもしれない。人数がボーダーラインの学年は、卒業までずっとこんな恐怖(笑)ととなり合わせだけれど、毎年クラスが変わるのも楽しいものだ!と割り切って、楽しむしかないのかもしれない。環境が子どもを育てるものなんだな〜と、実感した昨年。娘はとても変わったと思う。今も、自分の部屋のドアを閉めて、ひとりで何時間もお人形ごっこをしている彼女と、小学校で元気に手をあげて発言する彼女、すごくいいなぁ〜と思う。ひとりでいることを楽しめる人になって欲しいと思う。ひとりを楽しめる人は、きっと大勢でも楽しめる人だと思うから。「1人でいるよりはまし。」「いつも人と一緒に行動したい。」そういう理由から、誰でもいいから一緒にいるような人になって欲しくない。転勤族だからって、たくさん友達がいなくてもいいと思う。友達は、量よりも質だと思うから。数少ない友人でも、辛い時には励ましあい、楽しいことを分かち合えるそんな関係でいられたら、最高だと思う。ひとりでいることが嫌なあまり、こびたり、自分の意見を曲げてまで付き合う必要はないと思う。私の人生の大半が、そんな傾向にあったので、彼女にはのびのびと生きて欲しいと思う。大人になった今、私はひとりでいることが大好きで、ひとりを楽しめる人になった。そしたら、気のあう友人と一緒にいる時間が、さらに楽しくなった!


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