フォーリアの日記
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2003年05月31日(土) 五月祭

今日は午前中マンションの理事会があり雨の中出かけてました。

息子の大学の大学祭が今日、明日なのですが
この雨の中出かけるのはどうかと少し迷いました。

明日もあるんだし、今日は午前中も用事でつぶれてて出足が遅くなったし
この雨の中わざわざ行くことはないと普通なら思うんでしょうが
なんとなく今日は、急用ができて明日いけなくなるかもしれないので
行けるときに行っておこうという気分でした。(←いろんな出来事に影響受けてる人生観?)

H三丁目駅の出口は広い道路に面していないのでいつも出てから戸惑います。
何通り方面などと書いてあるけど、通りの名前なんか覚えていないし。
とりあえず広い道路へ出て、近い交差点に行けばだいたい当たりだと思うのですが
そこまできても方向がすぐにはつかめず、一通りあたりを見回してしまいます。
あたりを見回すと見たような交番があって、
その前を通った覚えがあるのでやっとだいたい方向がわかります。

この頃雨はかなり激しく、歩道を水がザーザー流れています。
傘は差しているのですが足元や袖口がずぶ濡れになって到着しました。

会場になっている教室に着くと、娘が来ていました。
部活をサボって友達ときたらしい。
他にも兄がこの大学にいるという友達が何人かいて
行ってみようかと話題になったらしい。

この雨の中ですから、本当ならデジカメでも持ってでかけたかったのですがやめたので
本当に息子のコンサートだけ見てさっさと帰ってきてしまいました。
明日の方が出番が多いそうなので、余裕があったら明日も行こうかな。


2003年05月29日(木) 弟、横浜へ

さきほど弟からメールがあり
明日、子供たちを連れて横浜へ戻るらしい。
詳しいことはわからないけど。

これからが大変だけど、なんとか道をみつけて
がんばって暮らしていってほしい。


2003年05月28日(水) 車のエアコン

車のエアコンが効かず、長野から汗びっしょりで帰って来る羽目になったので
故障かガスチャージが必要かと見てもらうことにしました。

近所のオートナウというカー用品店は整備もやっています。
車を持っていってみてもらいました。
「ガスチャージなら20分くらいかかるので待合室でお待ちください」といわれたので
待合室で待つことにして缶コーヒーを買ったら、開けた途端に呼ばれました。

ガスがまったく全部抜けているとのことです。
それだけでは急に抜けたか徐々に抜けたかはわからないそうです。
「寒冷地へよく行きますか?」と聞かれました。
ラジエーターのあたりに融雪剤の塩化カルシウムが付着して腐食しているようなので
どこかに穴があいて漏れている可能性もあるとのことです。

ガスの密閉性を確かめるため、中の空気を抜いてしばらく置いて確かめてもらうことにしました。
真空にして一晩車を置いておいて様子を見るということです。

車を預けて家に帰っていたのですが、そのうち電話がありました。
3時間様子をみただけでも明らかに真空状態が保てなくなっているとのことです。
それでも、一応一晩置いておきました。

一晩置いて車を取りに行ってみると
3時間でも真空が保てなくなっていたけれど、一晩置いたらまったく外気と同じになっていたそうです。
これではガスチャージしてもまったく無駄です。

部品を取りかえるとなると大きなものを換えることになりそうなので
15万くらいかかるだろうとのことです。
修理は保留にして車を引き取ってきました。


2003年05月27日(火) 経過2 葬儀

23日(金)に夫の実家に到着した後、あちこち電話して場所、時間などを確認しました。
義母は義弟の家に電話して叔父の死を知らせました。
2つの葬式に混乱した義母は連絡する先を考えるのも苦労していました。
勤務先の義弟から折り返し電話があり、翌日こちらに向かって葬儀には参列するとのことです。

お通夜の時刻は双方でずれていたのですが、弟の嫁さんのほうが先だったので
夕方義母を車に乗せてまず叔父の家へ行って、私もお参りさせていただいて
その後義母をそこにおいて息子を連れて弟の嫁さんのお通夜にいきました。

私にはI家の親戚はほとんどわからないので、どういうふるまいをしたらよいかわからず
かなり気を使いました。

適当な時刻に退席して帰ってきました。
義母はすでに徒歩で帰っていました。

翌24日(土)、朝から納棺・出棺ですがこれも双方微妙に時間がずれています。
私は、用があるので帰るという息子を駅まで送り、先にI家のほうへ行きましたが、叔父のほうが時刻があとなので
早朝に車で小田原を発って駆けつけた義弟が間に合い、
義母を連れていってくれました。

出棺し火葬場へつくと、I家の隣には○○家と義母の実家の名前。
ここでもしかしたらかち合うかもしれないと思いましたがかち合いませんでした。

そこから葬祭場へ行ってしばらく時間があったので軽く昼食におにぎりが出され
そのあと1時から葬儀が始まりました。

若い人の葬儀は参列者が多く、弟夫婦が住んでいた横浜からもたくさんの人が駆けつけてくれました。

葬儀の後のお斎(おとき)(長野では葬儀の後のふるまいの席をそう呼ぶ)に参加して
主な流れが終了してまだ完全にお開きにならない頃、
今度は4時からの叔父の葬儀に参列するために退出しました。

叔父の葬儀に駆けつけてびっくり。
お経を上げているお寺さんが同じです。
道理で重ならないわけです。

葬儀が終わると、お斎に出るはずだった義母は疲れて具合が悪いというので私がつれて帰り、
代わりに義弟がお斎にでることになりました。

帰ると義母はそのまま休み、私も少し休みました。
2つの葬式はあまりにもあわただしくてわけもわからない気分です。

そのうち義弟が帰ってきてお斎で夕飯を食べるほどはおなかもすいていないので
おつまみ程度でビールを飲んで休憩し、そのうち解散して休みました。

次の日25日早朝、仕事を残してきたという義弟は帰っていきました。
私は昼頃出るつもりでしたが、弟に連絡すると昼頃衣類を取りに実家によっているらしいので
少しぐらい話ができれば、と実家のほうへ行ってみました。

衣類をとりに着たものの洗濯しないと衣類がなかった弟は洗濯していました。
すこし話をすることができました。
洗濯が終わると弟はI家のほうへまた行きましたが
私は郵便物など整理してから実家を出ました。

夫の実家へもどると、まもなく義姉夫婦が来るというので
では会ってから帰ろうということでもうすこしいることにしました。

義姉は看護婦らしいするどい洞察力でいろんなことを見抜いていました。
話ができてよかったです。

義母と義姉夫婦が叔父の家へお参りに行くというころ
私も帰路に着きました。

帰りの高速道路は渋滞しているところもあり
5時間ぐらいかかって家に着きました。

実はその間、車の冷房が効かなくて汗びっしょりでした。
これまで寒かったので暖まればよかったので気づかなかったのです。

エアコン問題は今日の話題なのですが、
長くなるのでやめておきます。
気が向いたらまたのちほど書くかもしれません。


2003年05月26日(月) 経過

22日(木)に死亡した弟の嫁さん(Yさん)はそのまま長野(須坂市)へ搬送されました。
葬儀はYさんのお父さんのたっての希望で、Yさんの実家のI家で行われることになったとのことです。
23日(金)にお通夜、24日(土)にお葬式とのことで
22日中には弟親子と、I家のかたがたは須坂へ行きました。

私は、23日の朝長野へ出発しました。

早く行きたかったので新幹線で出ましたが
実は荷物がいろいろありました。
スリランカから夫が駆けつけるというので
喪服一式持っていってくれというのです。
息子は私が出かける時はまだ寝ていたのですが
あとから夫の喪服を持って車で来てくれました。

交通が不便なところなので、車があると大変助かりました。

家を出る前に夫から電話があり、飛行機が飛ばなくなったので
遅い飛行機で出るとのこと。お通夜には間に合わないという話です。

行きがけに何度か夫の実家に電話したのですが
なぜか義母が出ません。
おかしいなとは思っていたのですが
須坂に着いた頃、弟からメールが入りました。

偶然夫の実家に電話をかけた弟が、
義母の弟に当たる叔父が亡くなったことを聞いたのです。
なんとYさんと同じ日に亡くなったとのことです。

留守だった理由がわかりました。

その直後、夫から電話があり、遅い飛行機も飛ばなくなってしまったそうです。
もう間に合わないので今回は行けなくなったとのこと。
向こうも大混乱のようです。

Kenの日記
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=85567&pg=20030523

まず夫の実家によって留守だったら実家のほうへ行こうと
駅前でタクシーにそう告げました。
夫の実家に着くと義母は帰っていましたので
こちらに落ち着くことにしました。

つづく(つづきは明日以降)


2003年05月25日(日) 帰ってきました

昨日お葬式も終わり、帰ってきました。
詳しくはまた明日(以降)書きます。


2003年05月22日(木) 死亡

弟のお嫁さん、さきほど11時56分亡くなりました。
長野のほうへつれて帰ってお通夜もお葬式もするそうです。


2003年05月21日(水) いよいよ

なんだか、明日の朝までもたない状況だということで
今から病院に行ってきます。
18:28


2003年05月20日(火) なんだかややこしくて

お嫁さんの肉親と弟の間に
いろいろ考え方の相違や対立点があるようで
なかなか大変です。
そうなってしまうと、もはや両親もなく
叔父叔母といっても○○姓のものは一人しかいない弟は
大勢いるお嫁さんの肉親に囲まれて
圧倒的につらい立場に立たされます。

今日は弟の相談に乗るために横浜までいってきました。

私に話したところで立派なアドバイスができるわけではありませんが
話をしたことで弟も考えがまとまったようです。

大変なことです。

----------
帰ってきて駅についたら外は土砂降りでした。
うちのマンションの地下駐車場は水はけが悪く、
(排水ポンプの能力が低い?)
ある程度まとまった雨が降るとすぐに満水警報がなります。
そうなると、最下段の車が水に浸からないように
駐車場の段を上げておかなければなりません。

理事なのでそういう作業をしなければならないのです。
帰り着いた時はまだ誰も出ていませんでしたが
ずぶ濡れになって家に帰り着いたので着替えてからカッパを着て外に出ると
理事長と旧理事長などが外へ出て駐車場の段を上げていました。

警報の音もうるさいので止めたいのですが、
止まるボタンを押しても止まりません。
それでだめなら、ほかの止め方はわかりません。
水が引かない限り止まらないのでしょうか。

そのうちに通報がいっている警備会社の警備員がきたけれどわかりません。

その後、前に操作をしたことがある元の理事長が帰ってきて
操作を聞いたらさっきやったとおりでいいようです。
この時は大分水が引いていたせいか、警報は止まりました。

管理会社の設備管理の人が来たので見てもらって
操作を聞くとやはりそれで音は止まるそうです。
しかし水位がさがっていなくても止まるはずだというのです。
その後、排水ポンプのほうも見てくれていましたが
あまり調子がよくないらしい。

どうも点検の必要があるようです。


2003年05月19日(月) 叔父来訪

長野から叔父が見舞いにきたので
私が案内して(といえるほど横浜に詳しくないが)
病院に行きました。

行きは、埼京線で渋谷へ。渋谷から田園都市線であざみ野。
あざみ野から横浜市営地下鉄でセンター南というルートで行きました。
しかし、埼京線が信号故障でダイヤが乱れ
快速がなくなったり行き先変更になったり
前の電車がつかえているといって各駅の手前で長く停車したりして
えらく時間がかかってしまいました。

弟のお嫁さんの状態は、おとといよりむくんだように見えましたが
全体にはほとんど変化はないようです。

面会後、その場をお嫁さんの弟さんに任せて弟も席をはずし、
昼食を食べに出て、現在の状況を話しました。

このままの状態が1週間続くか2週間続くかわかりませんが
今の状態が続くうちは
子供たちはお嫁さんのお母さんが弟の家で見てくれて
弟とお嫁さんの弟で交代で休みをとりながら付き添うという体制で行くようです。

叔父は夕方に仕事上の用事があるといって
早めに帰っていきました。

帰りは急ぐということもあって
新横浜から東京へ新幹線、東京で長野新幹線へのりかえというルートで行きました。
私は新横浜から東京へ同乗し、長野新幹線の入り口に送り届けて見送りました。


2003年05月18日(日) 脳腫瘍

弟のお嫁さんが脳に腫瘍があることがわかり、13日(火)に手術をしました。
その時は意識も回復して話もできていたそうです。
でも実は、悪性であることがわかり、かなり状態が悪かったのだそうです。

その後金曜日から容態が悪化して意識がないとのことで
私は連絡を受けて、仕事先から早退して直接病院へいきました。

着くとすぐに次の日の運動会に子供たちを連れて行って欲しいと言われました。

「土曜日に運動会だから子供たちを連れて行ってほしい」と
手術後麻酔が覚めてからも何度も念を押していたという話なのです。

そのまま運動できる衣類を買い揃えて弟の家へ行きました。

弟の家から病院までは1時間以上かかるので、
今夜が山といわれたその晩は、
それまで子供たちの面倒を見ていたお嫁さんのお母さんも病院のそばにいたほうがいいということで
私が運動会に連れて行ったのです。
容態に変化がなければ、弟も朝駆けつけるとのことでした。

その晩はそのまま変化がなく(といっても悪いまま)、弟も学校に駆けつけ(子供たちは喜びました)、
運動会が終わって子供たちを連れて病院へ行きました。

しかし、その日にもう医師から回復の見込みがない(助からない)ことを告げられたのです。

ご両親やご兄弟は激しく動転して、尋常ではありません。
私は子供たちを連れて、自宅で見ていようかと思っていましたが
慣れない伯母さんに任せるのは向こうのお母さんも心配らしく、
その晩は弟の家で面倒を見るというので
私は、あまりご両親を刺激しないように帰ることにしました。

今日も急に何かあったら飛んでいきますが、何もないなら行かないほうがいいようなので
家にいることにしました。


なんだかいろいろあって何日たったかわからない感じです。

胃が痛い。


2003年05月15日(木) 伊豆高原

いって来ました、伊豆高原。

昨日出発した頃にはまだ雨は降っていなかったのですが
林間劇場に着いた頃に、ポツポツ雨が降り出しました。

時間に余裕があるので有志で大室山へ行ってきました。
http://www.i-younet.ne.jp/~oh-murol/

夕食前にミニコンサート。(観客はひとり)
食堂兼用のホールは2階まで吹き抜けになっているので天井が高く
音がよく響いて伸びていきます。
みんな気持ちよく歌えました。

屋外観客席にもなる庭は、あいにくの雨で窓を開けることはできません。
庭に面した窓は天井までガラス張りで、雨の当たる音の伴奏がバラバラと入ります。

聞いてくださったご勇退なさる先生は、思い出すことも多いのでしょう。
泣いていました。


宿の展望風呂はこの大人数には狭いし、まさかここまで来て部屋のユニットバスに入るわけもないので
有志でタクシー2台で温泉に行きました。

高原の湯
http://www.suiransou.com/

露天風呂があってさらに歩いて上段に行くともうひとつ露天風呂があります。
雨なので頭に雨があたるのがちょっと難点ですが、
平日の夜遅めの時刻のせいか、すいていて
ぬるめのお湯にゆっくりつかって、ポカポカにあったまりました。

夜は自然に夜更かし組と早寝組(70歳以上?)に分かれて
飲んでしゃべって1時半ごろまで起きていました。

次の朝なぜか早寝組(=早起き)に早朝(6時前)起こされて
朝風呂に入ってきました。

朝食後、宿のオーナーご夫妻のために歌を歌って
その後一応解散。

雨が激しいので、観光に意欲を燃やしていた人も大部分はあきらめて
1ヶ所ぐらいどこかを見ていくだけで帰ろうということになり
テディベア館へ行きたい人と、ねこの博物館に行きたい人に分かれました。

それぞれタクシーに分乗することにして、宿を後にしました。

猫の博物館
http://www1.ocn.ne.jp/~nekohaku/

猫の博物館にはいると、いきなり入り口にねこのケージがあり、紐でつながれたねこが外に出ています。
さわろうとすると、人なれはしているけれど、初めはちょっとこわごわ近づいてきます。

ここは1階がトラ、ライオンを始めとする、動物園にいるようなネコ科の動物の剥製、
二階に行くと、たくさんのケージが並んでいていろいろな種類のネコがいます。
空いているゲージに紐でつながれた猫がいて、さわったりできます。

私はだいたい、犬にも猫にも好かれるので
かまうと、ひざに乗ってきたりするのもいます。
ひっくり返っておなかを出すのもいます。
かと思えば、気が向いた時だけよってきて、去ろうとする時にさわると猫パンチを食らわすのもいます。
台の上でまるまっていたでかいロシアンブルーは大きくてすましているように見えますが
かまうと肩に乗ってきて首の後ろで座り込みました。

仲間に手伝ってもらってそれをおろし、ほかの猫を見ていましたが
首の周りがかゆくなりました。
しまった、毛が着いたに違いないと、上着の首の周りをよく見て毛をとりましたが
色がまだらなジーンズ生地で、見落としがあってなかなか全部取れません。
それでも何回か上着を脱いでかゆくなくなるまでとりました。

そしたら今度はくしゃみが出だしました。
強烈に猫の毛アレルギー?

それから猫の博物館を後にして、バスで伊豆高原駅まで行きました。
何人かは駅で降りず、そのまま海洋公園へ行きました。

駅へ着いてもまだくしゃみがでるので
駅の外で上着を脱いでパタパタ払ったらやっとましになりました。

駅で特急券を買い、それから構内のそば屋で昼食を食べました。

雨はその頃は伊豆高原ではやみかけていましたが
雨を追うように東京へ向かったのでずっと雨に降られていました。

天気がよかったらもっといろいろ素敵に思えたと思いますが
初めてきたので何でも新鮮でした。


2003年05月13日(火) 今日も家にいて

ちょっとは予定がはかどりました。

明日はコーラスの合宿(?)です。
伊豆高原の林間劇場へ一泊で行ってきます。
http://pizu.net/rinkan/

でも、明日あさっては雨みたいですね。


2003年05月12日(月) 引きこもり

ってわけじゃないですが
一日家にいました。

消防訓練も終わって、当面いろんな書類を作る必要もないので
ちょっとやりたいこと(やるべきこと)がはかどるので
家で取り組んでました。

明日もそんな感じかな。

水曜日にはコーラスの合宿(?)で泊まってくるので
水、木は家にいないと考えていいし、
金曜日もバイトだし。

そうそう、家にこもれるのも今日明日くらいしかないですから。


2003年05月11日(日) 消防訓練

本日消防訓練でした。
責任あるので、これが終わらなくては気分が晴れません。

おまけに、当日来てくれるはずだった管理人さんが
急な身内の不幸で参加できなくなったので

訓練で火災報知器を鳴らすことを管理会社の設備サービスに連絡したり
警備会社に連絡したりまで私がやることになりました。

もっと早くわかっていたら理事の集合時間を早めて
打ち合わせを早く終わらせることができたのですが
私が知ったのは昨日の夜です。

理事の打ち合わせ、警備等への連絡など時間が詰まって
そのうちに消防署の方が到着するは、開始時刻は迫るはで
ちょっとあせってしまいました。

今回は、私があまりじっくりとりくまなかったので
特に目先の変わった計画はなかったのですが、
通報訓練を携帯電話でするというのが目新しいところです。
携帯なので全員避難してから集合場所でみんなの前でかけてみることができます。
消防署員に説明を受けながら代表で1名通報してもらいました。
説明をみんなで聞けるので通報の要領がよくわかりました。

携帯からだと県の集中管理センターに通報が行くので
まずどこの市町村かを伝えなくてはなりません。
そうすると、管轄の消防署に転送されるので
そこであらためて住所を言います。
あとは消防署のほうで「目標は?」「火元は?」「初期消火はしましたか?」とか尋ねてくれるので
それに沿って答えていけばいいわけです。
あと、再度連絡がつくように携帯の番号を聞かれるので
できたらあらかじめ答えられるようにしておいてくださいとのことです。

あとは、消火器訓練。
これはけっこう何回もやっているので、居住者に「またか」といわれるかとちょっと心配でしたが
実際にやってみると、何年か前のことではもう忘れています。
むずかしいことではないのですが、繰り返しやってみることも悪くないと思いました。

終わってほんとうにほっとしました。


それにしても、火災警報がファンファン鳴っても寝ていたうちの子供たち、
ほんとだったら焼け死ぬぞ。


2003年05月10日(土) 叔母の家訪問

今日は叔母の家を訪問してきました。
父の前の奥さんの話などをきこうと思ったのです。

父は7人兄弟で、今長野にいるのは下のほうの兄弟です。
父が結婚した頃はまだ小学生なんていう兄弟では何も知りません。

今日訪問した叔母は父のすぐ下の妹で3歳違いです。
80を過ぎてさすがに前より老けた印象でしたが
元気によくしゃべる叔母なので
昔の話などたくさんしてくれました。

昔話というのはとめどがなく、父にかかわることから
だんだん直接かかわらない昔の思い出など
いろいろ話してもらったので
ずいぶん長居してしまいました。


2003年05月09日(金) Microsoftの陰謀?

バイト先で啓蒙用のプレゼンテーションをしたいらしくて
PowerPointを使って作りたいということになりました。

そこで、頼まれてPowerPointを買いに行ったのですが・・・。

売り場で値段を見ると、PowerPoint2002単体の値段が23,700円です。
ところがOfficeXP Standardのアップグレード版が21,800円なのです。

OfficeXP Standardに入っているのはWord,Excel,Outlook,PowerPointです。
このアップグレード版ではPowerPointが入っていないOffice2000 Personalからも
アップグレードが可能です。

おまけに、そのアップグレード版に「はがきスタジオ」と「オフィステンプレートパッケージ」がついた
バリュープラスパックも同じ値段です。

なんで、単体のPowerPoitより安いのよ!
うーん、陰謀だ。

さんざん悩んだ末、アップグレード版のバリュープラスパッケージを買いました。
陰謀にはまったようで気分悪いけど自分のじゃないし。

しかし「はがきスタジオ」「テンプレートパッケージ」使うんだろうか?
(テンプレートのほうはもしかしたら使うかなあ・・?)


2003年05月08日(木) 消防訓練の準備

今度の日曜日はマンションの消防訓練です。
マンションの役員だし防火管理者だし、最後までガタガタと準備することあるんですよ。
土曜日は叔母の家に出かけることになっているし、明日はバイトだし、
ほぼ、今日終わらせておかなくてはならないんですが・・・。

こういう日に限って、なぜかいろいろ他のことをしてしまうことになってしまうんです。

でもまあ最低限終わりました。


2003年05月07日(水) 通し練習

今日はコーラスでした。
来週、みんなで伊豆高原「林間劇場」へ旅行に行き
そこで、発表というほどではないけど、プログラムにのっとって歌うので
今日は通し練習です。

まあ、練習成果というほどでもない、練習中の曲を
引退した指導の先生に聞いてもらうというのが主目的のなので
完成度は全然高くありません。
まちがっても堂々とごまかせ、勢いで乗り切れというところです。

5月は毎週末いろいろ用事があって、心のどこかに引っかかっているので
ひたすら楽しみにするという気分になりきれないのですが
行っている間ぐらい煩雑なことは忘れていましょう。


2003年05月06日(火) のんびりし過ぎ

今日は朝早くからバイトのはずだったんですが
急にキャンセルになってしまったのでのんびりしてしまいました。

のんびりし過ぎかも。
5月はいろいろ用事があるので、こういう日に少しでも片付けておけば
後が楽なのに。


2003年05月05日(月) シンガポールの水

3月末にシンガポールへ旅行してから大分経つのですが
シンガポールのホテルの浴室でちょこちょこっと洗濯した衣類が出てきました。

実はシンガポールから帰ってまもなく、なんだか薬のにおいがするのが気になっていました。
どこから臭うのか初めはわからなかったのですが、どうも着ている衣類のようです。
その後たんすの中の衣類からも薬臭がすることがわかってから、やっと気づきました。
シンガポールで洗った衣類全部が薬臭いのです。
消毒薬の臭い、そうですね、カルキ臭とは違い、クレゾールのような臭いです。

シンガポールの水はWHOの基準を満たしているので
ほかの東南アジアの国々とは違って、生水を飲んでも大丈夫という話でしたが
基準を満たすために相当な消毒薬が入れられていたのではないでしょうか?

下着などはその後すぐに家でも洗ってしまったので、もう薬臭いものはなくなってしまっていたのですが
日本ではまだ寒い時期に向こうでは真夏の服装でいたので半そでの衣類が出されずに残っていました。

このところ暑かったので半そでを出して着たら、まだ臭うのです。
そっか、まだあったか、という感じです。
これで最後でしょう。

日本の水もカルキ臭がするといって浄水器などが使われますが、比べ物にならないです。
日本の水で洗濯して着ている物から消毒臭がして気になるなんて事はないですから。


2003年05月04日(日) 某社にて

昨日はバイトしてました。

某社が丸の内から品川へ移転するので
旧PCから新PCへデータを移行する作業です。
社員が使っていた1000台以上のPCをごっそり入れ替えるので
使用者を特定しながらそれぞれ新しいPCへデータを移すのです。

すでに前半の日程は終わっていて、私が参加したのは後半の日程なのですが
なんだかいろいろ問題があるみたいで
予定の作業が全然終わっていないようです。

実際、自分で参加した範囲だけでみても待ち時間ばかり多くてはかどりません。
前半から参加した人はもっといろいろなことを感じているようです。

結局終了時刻になっても、終電まで残れる人、夜中も作業する人など募集していました。

本来なら作業がないはずの明日も、急遽作業を行うようで
募集のメールが入っていました。
でも、明日は行きません。

6日に行ったらどうなっているんでしょう。


2003年05月02日(金) 毎日夜ドタバタ

なんだかいつも夜になってドタバタしています。
帰ってきてご飯作って食べて片付けたらあっというまに10時過ぎるし
それからこまごまとした事であっという間に11時になるし、
(↑来てた郵便物を見るなどの細かいこと)
お風呂はいったり明日出る準備なんかしてたら
12時までに寝るなんて至難の業だなあ。
でも、今日は寝る。


2003年05月01日(木) 忙しいってほどじゃないけど、ごちゃごちゃと多用。

ああ、なんだか遅くなってしまったなあ。

消防訓練の計画をたてなきゃならないんで
係りの分担を割り振っていたのだけど
いつも、こういうことをはじめるのが遅くてぎりぎりになってからなので
夜遅くなってしまう。

生協の注文書も書かなくちゃ。
明日の夜10時までなんだけど、明日なんかでかけてるから
夜帰ってきて夕食べたらあっというまに10時になっちゃって間に合わないし。

娘が今からならリブレットからダイナブックにデータ移してもいいといってるし。
日付が変わってからやることかなあ、とも思うけど
娘もなかなか都合がつかないし。

仕方ない、もう一仕事するか。


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