フォーリアの日記
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2002年02月28日(木) 振り出しに戻る

今日長野の病院へ行って検査結果を聞いてきました。

そこでお医者様も予想していなかった結果が・・・。

長野の病院は元結核療養所で
総合病院となった今も呼吸器が主な診療科です。

担当の呼吸器科の先生は肺癌と言う前提で
昨年からの進み具合から余命1年、
肺癌の細胞には4つの種類があり
そのどれに当たるかによって効果のある治療法も違うし
効果の出ないものもある、
検査結果が出たときに(今日)治療方針を決定する、
とおっしゃっていたのです。

結果は「腎臓癌の転移」

父は10年程前に腎臓癌の手術をして
腎臓を片方摘出しているのです。

そんなこと言われても同じく肺にできた癌なら
種類は肺に準ずるのだろうと思っていたこちらには
いろいろ話を聞いてびっくり。

腎臓にできた癌が肺に転移した場合の細胞は
肺原発の癌とは全然種類が違うのだそうです。

癌の進み具合、効果のある治療法、すべて違うそうです。
そして、呼吸器科の先生には腎臓癌の知識はないのでわからないのだそうです。

余命1年と言うのも肺原発の癌の場合で
腎臓の場合にそれより長くなるのか短くなるのかは専門医に聞かなければわからないそうです。

ただし、主な患部以外に豆粒状の転移もあり、
手術は無理だそうです。

これから、腎臓専門の先生がいる病院に紹介していただいて検査をしなおし、
その診断を待ってからでないと、
治療方針や、告知するかどうか、今後の見通しなどすべてわからないのだそうです。

振り出しに戻ってやり直しです。


2002年02月25日(月) 父の病気

先日の日記にはっきり書かなかったので
皆様にいろいろとご心配(あらぬ想像)していただいて
申し訳ありません。

まあ、ここを父が読むことはないでしょうから・・。

母が死んでから10年、父は長野(須坂市)で一人で暮らしています。

昨年6月頃から肺に影があると言われていた父は
検査を繰り返していたのですが
このたびその影が大きくなっているということで
あらためて背中から穿孔して肺の組織を調べる検査をしたのです。

その結果、肺癌。
レントゲンに移る影以外にも転移があるとのこと。
昨年からの進行具合からして余命1年と診断されました。

どのような種類の癌であるかは2月28日に検査結果が出るのを
待たなければなりません。
その時に医者と話し合って治療方針などを決めます。
弟が行きますが、
私も長野の病院の方へ行ってこようと思っています。

父は今のところせきが出るでもなく、大変元気です。
今のところは何もありませんので
当面は普通に過ごせると思っています。


2002年02月24日(日) 昨日はオフ会

たのしかったよ、皆さんありがとう。

帰りがもう大変。武蔵浦和にたどり着けないかと思った。
酔っているとすぐに眠りこけちゃうらしい。

赤羽で乗り換えられないし、
やっと乗り換えたと思ったら大宮まで行っちゃうし
(どうせ大宮まで行っちゃうんなら乗り換えなくてもよかった・・なんて)
乗り越さないように用心してたら、なぜか北浦和でも降りちゃうし

そうやって時間を食っているうちにだんだん電車の本数が減ってくるし。

帰ったら10時だった。

今日になったら娘が風邪を引いたらしいと言う。
夜になったら熱も出てきた。

子供が風邪で不参加のマダムも多かったので
昨日だったらドタキャンだったかな。


2002年02月21日(木) 1年後はたぶん・・・・

所属しているコーラスはかなり年齢の行っているコーラスなんだけど
何年かに1度、コンサートをやったりする。

今年の秋か来年の春あたりコンサートをやりたいと言い出したのは新年会の時。
(言い出すのはメンバーじゃなくて指導者の先生なんだなあ、これが)

秋は無理!今から練習しきれない。
皆さん覚えてはまた忘れるし。

でもねえ・・って思う。

皆さん覚えないのは年齢のせいばかりでもなくて、
指導のせいでもあるからね。


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などとつらつら思ってたんだけど
私はそれどころじゃなくなった。

多分1年後の今ごろは・・・・。


神様、私に力をください。
私は何をすればいいの?

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私は自分の人生で過去に戻りたいと思ったことはなかった。
自分がたどった歴史は常に貴重な財産だから。

1度だけ、母が死んだ時
人生のこの1月分でも1年分でもチャラにしていいから過去に戻して!
と思った。


2002年02月19日(火) エスカレーター

嫌われたのかな?

自動ドアには前から嫌われているらしくて
通ろうとするとよく閉まるんだけど。

近道をしようと駅前ビルのデッキへ上がるエスカレーターに乗ろうとした。
このエスカレーターはエリア内に入ると自動で感知して動き出すようになっている。
私がエリア内に入ったのは前の人がちょうど上がりきったところだった。
前の人が降りる瞬間、私がエリア内にいるのになぜかそのエスカレーターは

止まった。

えっ、非常停止?
上の人を見る。止めた?周りも見回す。
さっさと行ってしまう上の人はすぐに視界から消えた。

危険?何もなさそう。
ま、いいや。

階段のように歩いて登ってしまった。


今度は駅のエスカレーターの話。

ホームに上がるエスカレーターを増やし混雑時以外は一方を下りにしたのは
半年くらい前の話だ。

朝はいつも両方登りなので決まった方へ乗る。

たまに昼間乗る時は、いつも乗る方が下りになるので
めずらしく違う方へ乗る。

あまり乗らない方だとは言っても
今までは何も変わったことはなかった。

ところが今回は・・・。

昼間は急がないので駆け上がるようなことはしない。
のんびりと乗っていた。
上がりきったところでエスカレーターの音声が・・。

「いらっしゃいませ。ご来店いただきましてまことにありがとうございます。」

ん?今ご来店て言った?

うぷっ。ご、ご来店?
ここはデパートじゃないよ。駅だよ駅。駅のホームへご来店?

この音声はあらかじめ入っているの?
普段は音声止めてあるだけなのだろうか。


2002年02月16日(土) 何かいろいろあって。

翌日書く16日の日記になってます。(今日とは16日のことです)

13日に娘が受験した高校の合格発表が今日だった。
これが最後に受験し、最後に発表になる高校だ。

1時から発表ということで、昼頃出発して見に行った。
他の高校では発表時間の前からすでに掲示してあったのに
ちょうど1時まで貼り出さないらしい。

ほかの高校になくおもしろかったのは
在校生が二階の窓から首を出し
大声で騒いでいること。

「あの子受かりそうだよ。」とか
「去年はどうだった」とか
聞こえる声で騒いでいる。

受けたのは、「掲示板にA4の紙で貼り出すんだったらどうする?」
とかいっているのが聞こえた時。

そんなこと考えもしない冗談だ。
思わず吹き出し、娘と
「それじゃ見えないよねえ。」
「それならたくさん刷って配ればいいじゃん。」
とか言ってしまった。

いや、1時になるとちゃんと大きな紙で貼り出されました。
そして、あ、ありました!娘の受験番号。

帰りは娘はそのまま塾に寄るといって別れました。

私が家に帰るとまもなく電話。
弟から父が入院したとのこと。

急病ではないのだが、これから先のことを決めなければならない。
うーん、難問。

そのほかにもごちゃごちゃいろんなことを考えたので
ほんとに一日の出来事だったのか?




2002年02月14日(木) 疲れました

今週はなんだか疲れてしまった。
子供の受験にキリキリするような親じゃないんだけど
やはり何かと疲れる。

今日は卒対の用事で中学校へ行かなければならなかったし。

今週ってまだ明日があるのに、がんばって乗り切らなくては。


2002年02月12日(火) 合格発表2

Time is up.
もう間に合わない。
昨日の合格校の入学金払いませんでした。

今朝起きた時には娘は決心していた。
今日合格すれば払わなくてもいいと言う。

で、今日の合格発表。

合格していた。

これで公立入試はキャンセルするので中学校の先生に電話した。

とりあえずの悩みが過ぎ去った娘がこんなことを気軽に話してくれた。

入学金払わなかったほうの学校、仮にA校としよう。
今日合格発表があった学校、B校としよう。

A校のほうが難易度が高いとされている学校だ。
試験を受けた時の緊張感が全然違ったらしい。
B校では、机の上に出している物のことなどで注意を受ける人がいたりしたが
A校では緊張感がみなぎっていて、そんなヤツは一人もいなかったという。
問題の難度もかなり違うという。
おまけに倍率もかなり違い、A校のほうが狭き門。

そうだったのか。
それを聞いて惜しくなったのがわかる気がした。

でも、自分で決心したんだ。成長したよ。

そういえば、合格発表の風景もかなり違った。
A校では、悔し涙を流してその場を立ち去れない子がいた。
そういう子には、ほんとに申し訳ない。


実は明日もう1校受験する。
こちらは、本命と言うか高望みと言うか・・・。

でも、もう娘はどこに入学しても堂々と自分の道を歩いていける気がする。
母は応援するのみ。

==========

おっと、こんなこと書いて感慨にひたっているうちに電話が入って
明日伴奏を弾いてくれと頼まれてしまった。

ひゃーー。
こんなことしてる場合じゃなくなってしまった。


2002年02月11日(月) 合格発表

娘が昨日受験した1日目校(都内)の合格発表があった。

合格していた。

この学校はいわば大学附属校系なので
入ると進学する大学は決まってしまう。
できれば今から行く大学を決めてしまいたくはない、と娘は言っていた。

今日受験した高校は明日発表なのだが、
それが受かっていれば行かないつもり・・・・のはずだった。

でも、難しいと言われているところに受かって、もったいなくなったらしい。
娘は迷っている。

でも、学校に通うってことは受験の難易度じゃないんだけどなあ。
自分で3年間どんな風に過ごしたいかなんだけど。
それから、大学に行きたいなら大学で何をしたいか。
それによって大学も変わる。

明日中に入学金を払い込まなくてはならないんだから早く決めてくれ。


っていうか、やめとけ。(2日目校が受かってればね。)


2002年02月10日(日) 同窓会発足

郵便受けから大きな封筒がはみ出していた。
出身大学、学部の文字が大きく書いてある。

大学から?
な、なにごと?

封を開けてみると同窓会発足の案内だった。
そういえば昨年から準備していた。
問い合わせも来ていた。(実家あてに)
転居先不明者になってたなあ。(転居しすぎ)
登録フォームをダウンロードして登録内容をメールで送ったっけ。

中には名簿の登録事項確認と、申し込み書。
それだけならこんな大きな封筒は要らないけど、
その他に学部の広報誌の創刊号が入っていた。

見ると、難しくてわけわかんないよー。
先ごろノーベル賞を受賞した教授の特集や最先端情報。
無理無理。
こちら20ン年主婦やってんだから。

アンケートがはさまっていた。

当てはまるものに○印・・・
1、非常に難解だ   2、やや難解だ   3、ちょうどよい
4、やや易しい    5、非常に易しい

うわあ、1でしかないな。

興味をもたれた記事に○印・・・

わからないので興味の持ちようがない。(^^;

だめだこりゃ。


2002年02月08日(金) ふう

ここ数日忙しかったのに、
むずかしいこといっぱい考えちゃったな。
今ごろになって新聞数日分まとめ読み。

あさってから都内私立の高校入試。
娘に試験前日をゆったりすごさせてやるために
明日は母としての役目をはたすのだ。


2002年02月04日(月) ちょっと落ち込んでいます。

人によって感じ方が違うとはいえ、
何がそこまでいやなのか。

その人の文章を
なぜ見るのさえもいやなのか。

私は読んだだけで嬉しくてしかたがないのに。

なんで彼女はそこまで避けるのか。

なぜかとても悲しい。


2002年02月02日(土) い、痛たたた。

そもそも昨日からバカだった。

職場の模様替えで、要らなくなったミニコンポのスピーカーを
捨てると言うので、ついもらってきてしまった。
使うあてもないのに。

スピーカーは中が空洞だし、ミニコンポの一部だから大きいものではないので
初めはそんなに重く感じなかった。
でも、無謀にもそれをもって新橋から満員電車に乗ってくるのだから
帰り着くころにはかなり重く感じていたし、手がだるかった。

そして今日、CRTディスプレイを居間に移動しようとして運ぶ途中
(あまり持ち運ぶべきものでもないな)
背中の筋がグキッ。(あ、やばっ)
次にPC本体も運ぼうとしているのに持っただけで痛い。
でも、ディスプレイと泣き別れしちゃったら作業ができないので無理して運ぶ。

一日、「あいたたた」とつぶやいてたら
娘にたしなめられた。
「自業自得だね」
「おかあさん、気持ちはやんちゃだけど、体は年なんだから。」
やんちゃですかね。
はい、すんません。


2002年02月01日(金) 眠い

遅寝、早起きが続くともたない。
昨日は遅すぎた。
今日は早寝しよう。

おやすみなさい。


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