2005年12月30日(金) |
学習漫画〜なんだか切なくなってくる |
学習漫画が結構集まった。伝記物とか。母に「お土産なにがいい」と聞かれたらリクエストしたり。
娘はそれでなくても漫画好きだ。「あたしンち」だとか「カードキャプターさくら」だとか「ビューティーポップ」だとかの漫画の絵を真似しては、点描とか、影や光の入れ方とか、コマの「見せ」だの「引き」だの研究してる。 その前にデッサンを何とかしたほうがいいんだけど、とりあえず嬉しそうなので好きにさせている。自作の漫画らしきものも描いてるけど、彼女の狙いとは別のところでかなり笑いを取ってはいるが、なかなか捨てがたい作品になっている。 なのでどうせ漫画読むなら、ちょっとタメになるのがあったらいいと思って。
で、お兄ちゃんのほうは相変わらず歴史関係が好き。漫画で読む「日本の歴史」「世界の歴史」シリーズは何度繰り返して読んだか知れない。 中一になって古文も習い始めてそれにも興味。年明けには百人一首大会も控えてる。知らないよりも知ってたほうがいいだろうと思って。
子供らの興味をもっと増幅してしまおうということで、思い切って生協で注文したのが、 「絵で読む古典全集コミックストーリー わたしたちの古典」(学校図書)15巻セット。かなり原文に添っている内容。ちょっと一遍に買いすぎかなとも思ったけど、試しに箱ごと居間に置いておいたら、面白そうな巻から次々手にとって読んでくれてるので上手くいった。 娘は竹取物語から、息子は平家物語から手をつけ、ほとんど全巻読破しつつある。私も読んでみたけど、これが案外面白い。 その漫画の特に何が面白いんだろうと考えるに。昔の人々の会話だとか服装だとか、その雰囲気その風情を、どんな風に絵にしてあるのか、どんな風に現代の人間が理解できるように描いてあるのか、観て確かめるのが楽しい。昔も今も違うようで似てるね、とか。 活字の促す想像力の世界もいいけれど、こうやって具体的に絵にしてくれてるのも、手っ取り早く現代と比較するのに便利だ。
ところで、 教科書なんかでお馴染みの話が漫画になっているのを見るのが楽しいと同様に、小説などが漫画やアニメや映画になるのを観たいものだし、逆に漫画やアニメや映画がノベライズされてるのを読むのも面白い。同じお話がこっちで舞台に、こっちでアニメに、等いろいろな媒体で描かれるのを見たいし、もしこの漫画を実写版で撮るならこの役はあの女優さんかなあ、とか。ドラマを観て気に入ると自分の頭の中で勝手に「この役者さんは絵に描くとあんな感じかな。このシーンは漫画にするとこんなタッチであんなコマ割りになるんだろうか。」と想像して遊ぶ。腕が無いから、想像するだけで描けないけど、もしも思ったことが何でもできるんなら、著名な漫画家にあのドラマをコミックにして見せてもらいたい。 それに外国の映画は字幕・吹替、両方観たい。この人のこんなセリフが、あの声優さんが演じるとこうなるのか。とか。 日本映画でも気に入ったものは英語字幕でも観てみたい。あらゆる角度から、見てみたい。 音楽も、同じ曲を、いろんな作曲家がアレンジしたのを聴きたい。いろんな弾き手が別な弾きかたするのを聴いてみたい。別な訳詞も聴いてみたいのだ。いろいろ変わって使われてて欲しい。
来年もきっと、見たいものがいろいろあるだろうな。子供に見せたいものも。 衣食住足りてて、いろんなものが見えてて、聞こえてて、味わえてて、そんな人間ならではの楽しみを、こんなに享受させてもらえてるのが、恐れ多くもありがたい。だけど、これがいつまで続くのか。生きてる限り、いろいろと観て感じていたいけど、もしかしたら意外と、あとわずかの時間しかないのかもしれないと思うと、なんだか切なくなってくる。
2005年12月16日(金) |
もしかしたらこれが息子と二人の最後のデートになるかもしれない散歩 |
木曜と金曜、息子の学校が休みで、彼はまた羽を伸ばして一人で自転車での散歩に行きたそうだった。 こんなご時勢、事故や事件に対する一抹の不安が脳裏をよぎるのと、たまに息子とちゃんと語らう時間も欲しかったので、提案をしてみた。 私を、どっかに連れて行って欲しいと。 いつも自転車で往復してきては得意気に報告してくる、蛇崩川の、源流から目黒川合流点までの道について。 それを一緒に歩くことになった。
弦巻のほうにある馬事公苑、その近くに蛇崩川の源流(見えないけど)がある。まずそこまで歩いて行って、あとはひたすら川の流れ通りに下ってきた。 この川は今は暗渠なので、散歩道の地下を流れているが、息子は知っている限りの知識を嬉しそうに語る。 ほらここの道幅にくらべて向こうは狭いでしょ、こっちよりもこっちが低いでしょ、ここの道路はこんなカーブでしょ、だからこれは支流が合流するところだよ。このマンホールからよく音が聞こえるよね。この橋の名前を見るともう一つ先の橋の名前も判るよ。このあたりの昔の地名がここに残ってるよ。この道路脇の家々は玄関が面してなくて、勝手口だけあるよね。それは昔ここが川の崖だったからだよ。勝手口は後からつけたものだと思うよ。 ・・・・などなど、驚くほどの速さでどんどん歩く。ついていくのに精一杯だ。 27歳の歳の差を思い知らされる。歩きやすい靴を履いてきたつもりだったけど、私の腰とふくらはぎと足首は限界まできていた。 だけど案外、ちゃんとこっちの事情を思いやって、判りやすい見所ポイントに案内してくれるし、どうも母親は若くないんだなと気づいてくれてからは、速度を落としてくれてた。
娘の下校する時間に間に合わせるべく、一日目は小学校近くの緑道沿いの、とあるお店でランチをして帰った。その店はアットホームな内装で12歳以下は入れないところだ。息子が先月13歳になっていてよかった。最初はそういう店にやや緊張していたようだし、カレーライスが思いのほか辛かったようだけれど、デザートに食べたクレームブリュレに満足したみたい。
二日目は朝のうち中学の保護者面談があったので、その帰りに自由が丘で待ち合わせてから、息子のズボンを買う。普段私が良かれと思って買ってきても、気に入らないと穿いてくれないので、今日は子供の立会いのもとで選べば文句ないでしょ、というわけだ。やれジーンズはアメリカかぶれでダメだのコーデュロイはどうも恥ずかしいだのベージュはどっちかというと困るだの言うので、選択肢が非常に少ない。 それを買って、中目黒で簡単な昼食を取り、目黒川の合流点へ。そこから今度は上流に向かって緑道を登っていった。ほらここから緑道の管理区が違うから雰囲気が変わるでしょ、とかまたトリビアを聞かされる。でも体を動かしながらしゃべるのって、なかなか爽やかだ。ゴールは前日歩いた道まで。その間の橋の名前をすっかり記憶している彼は、もうこの道を6〜7回は通ったという。
その朝の、先生との面談で、気になることを言われた。勉強の成績はとても良いんだけれど、息子は休み時間に一人で廊下をぶらぶらしていることがかなり多いらしい。 そうだろうと想像がついてはいた。彼は友達と積極的に一緒に過ごすほうではなさそうだ。どうも一人を好む傾向がある。 でも家でクラスメートのことを楽しそうに話す内容を聞く限り、彼は人間嫌いでもないし、結構友達からも、かまってもらってるようだ。 ただ、行儀の悪い子のことをちょっと許せなかったりとか、もうはや彼女なんか作る奴の気が知れないだとか、独特の道徳観が確かに彼にはあるようで、内心は自分に甘く他人に厳しいんじゃないだろうか。その辺が気になる。 彼に話した。もう少し、人に対して関心を深めたほうがいいと思う、と。興味ないと思っていても、とりあえあず他人と一緒に過ごす時間を長くしたほうがいい。男の子は学校時代しか、対等に付き合える友達がこんなに回りにいる環境にめぐまれることはないと思うから。 でも実は担任の先生が心配するほどには、私は心配してない。家で見せる息子の顔を知っているから。そして自分の生い立ちも参考にすると、なお楽観できる。私なんか中学一年生の頃は、話をしたい友達もいないし、学校に行きたくもなかった。開花するのが、ものすごく遅かった。でも今は、こんなだ。 だから気長に見守りたいと思う。
日曜日については、日記らしい日記が書ける。 久しぶりに家族で出かけようということになって、王子にある「紙の博物館」に行ってきた。 特に娘は「館」のつくところが好きなので喜んでいた。 綺麗な透かしの入った和紙や、昔のお札や、古紙リサイクル品のいろいろなど、興味深い。夏休みに来れば自由研究のネタになったのに。 手漉きはがき作り教室は午後から。もみじや透かしが入った、自分の手作りのはがきを持ち帰ることができる。 意外と盛りだくさんな施設なのに子供一人100円(大人300円)って安い。 私は、以前からやってみたかった、マーブリングキット(墨流し染め)を衝動買い。840円。 飛鳥山公園の中にあるので、ひとしきり遊んだ後、今度は柴又に足を伸ばした。 寅さんの像の前で写真を撮り、「船橋屋」で煮温麺(にうめん)や卵雑煮を食べて暖まり、葛餅も。 道中、娘がお兄ちゃんと手を繋ぎたがり、それからずーっと兄妹で仲良く手を繋いで歩いていた。息子もまんざらではないようだった。 帝釈天にお参りして子供達がおみくじをひいたら、娘は吉で、息子が凶。枝に結んで、「もう一回、引いてくる?」と訊いたら、「いや、一回でいいの。僕はこの神聖な場所で、ちょっと良くない行いをしたからかもしれない」と神妙な顔をしていた。気にすることないよ、と言ったけど、彼は案外縁起かつぎなのだ。 その後、江戸川の、矢切の渡しを見に行って、運動してから帰路に。息子はもう機嫌が良かった。 夕ご飯には、家の近くでどさんこラーメンに行く。夫と私は味噌、娘は醤油、息子はカレー味。私のにはバターも入れてもらった。 美味しかったです。 夜は「義経」の最終回でした。私は録画を後日観ればいいやと思い、娘とお風呂に入っているうちに、息子はじっくり観て、義経が自害するところではとうとう泣いたらしい。
こんなに書くことがたくさんある日なのに、息子が学校に提出することになっている日記帳が紛失したようだ。毎日その日の出来事を書いて、毎週月曜に、その週の分を提出するのが宿題なのだ。こういうのはどうも校長の考えらしい。毎日何か書くことで、記述の力もついてくるという。 テストが終わってからここのところ、ちょっと気が緩んでるようだ。こないだ初めての遅刻(2分だけ)、お弁当忘れ(これは私も悪いのだけれど、作ったのに忘れられると悲しいから、わざわざ届けに行った)。気を引き締めてもらわないと。
2005年12月06日(火) |
娘を待ち伏せする日常 |
息子の第二次中間テスト&誕生会も終わり、実家から「日本大地図帳」ももらえて、娘も「ちゃお」を買ってもらって、 恵まれた平穏な生活に感謝。 私の祖母の口癖「こんな可愛い子たちを持って幸せだねえ」は、確かに当たってる、その通りだと私も思う。 だけどニュースでは連日悲しい事件が知らされる。
なぜ、子供が狙われるのか。誘拐殺人の刑は死刑だけでは遺族の気持ちは治まらない。それ以上の何かないのか。 犯人は一体全体、どんな子供時代を過ごして、そんな非人間的な心になったのか。 犠牲になった小学1年生の女の子。そしてその親御さん。その気持ちを考えるだけで叫び出したくなる。だから考えたくない。でも考えなきゃいけない。
学区のはずれに住む、うちの娘の学校の帰り道、絶対に一人きりにはできない。友達と別れるポイントまで迎えに行っている。 でも下校時間が、なぜかいつも一定しないのが困る。やけに遅い日もある。先生の話が長かったりとか、らしい。 いっそ学校まで迎えに行ってしまったほうがラクなんだけど、彼女も途中までは友達と帰りたいだろうし、決まった通学路を来るように約束させてあるから、気長に待つ。 時間の幅を持たせて子供を待つ間、冬場はかなりこたえる。だからコンビニのドアの内側で、外を見ながら待つ。 何も買わないでいるのも悪いか・・・、ということで、たまにはガムとかお菓子とか買ったりする。
見ていると娘は友達と、たいてい2〜3人で、実にのんきに、くっちゃべりながら笑いながら、ジグザグ歩いてやってくる。 もっとスタスタと歩けないのかな。親の心子知らず。 娘の友達は私を見て「あ、このおばちゃんがまた来てる」と思ってるんだろうけれど。 二股に別れる道でその子達と「バイバイ」するまでのちょっとの間、彼女たちのおしゃべりを、距離を置いて聞きながら歩く。 女の子は、毎日ほんとうに楽しそうだ。
娘と一緒に並んで歩くと「背が小さいなあ」って実感する。「小さい」ってだけで、こっちの体調によっちゃあ、泣きたくなるくらい涙腺が緩むことがある。 小さい頭で懸命に考えたらしいことが、小さい口から出てくるんだから。 そうかといって息子はもう私より背が高いけど、高ければ高いで、こんなに大きくなったのにまだこんな可愛いところがあるのかあって、それは感動に値する。 子供の心配をしなくていい歳に、早くなりたい。と思う一方、まるでずっと止まったように、超低速で時間が流れていって欲しいとも思ったりもする。
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