| 2003年11月29日(土) |
SMILE FOR ME −1 |
ハイ。再び創作小説の世界です。 感想など聞かせていただけたら、うれしい限りです。 ********************************* 【SMILE FOR ME】 夜。9時すぎ。いつも来ている“ホロホロ”という名前のライブハウスで。 「カリン」 低い声に呼ばれて振り向くと、高倉大介、通称大ちゃんがそこにいた。 「あ、大ちゃん。おつかれー」 思わず笑顔になってそう言う。 今日の出演者はアマチュアバンドばかりで、結構知り合いが多かった。 そのライブの余韻を残しつつ、気持ちいい音楽が流れているフロアに、 ライブ後も私は残っていた。 この店はライブが終わったあとクラブのようになり、飲み物が楽しめて、 踊ったりもできるのだ。 そして今、私の隣に立っているのは大ちゃん。 今日の出演者の一人であり、個人的には私の好きな人でもある。
背が高くて、短い髪とつり上がった眉、そして胸に響くような低い声を 持っている。 彼の存在感ときたら、とても20歳とは思えない!・・・・と思うほど。 それはいつも私が思っていることだけど、私だけではなくて、友人の 広田知子も前に 「大ちゃんの存在感ってすごい」なんて、似たようなことを言っていたから、 それは嘘じゃないんだろう、と思う。 そして私の名前は、斎木カリンという。年は18。 大ちゃんと、何か飲んで、しばらくしてから他の友人たちと合流しようかと 話していたとき。
「カリン、カリン」 鈴みたいな高くて綺麗な声に振り向くと、色素の薄い茶色の長い髪と大きな目を した、友人・佐伯菜子(サエキ ナノコ)がそこに立っていた。この綺麗な子がモデルでも なんでもない、普通の高校生だと言って、信じる人がどれくらいいるだろう? そのくらい、菜子はキレイだと思う。その見た目も、性格も。降り積もった雪 みたいなイメージ。やわらかくて儚くて、ちょっと冷たくて優しくてキレイな。
「あ、菜子」 「よお菜子ちゃん」 片手をあげる大ちゃんに、にっこりと光がこぼれるみたいな笑顔で応えて、 菜子は私たち二人に問う。 「タカヒロ、どこにいるか知ってる?」 タカヒロとは、大ちゃんの親友、そしてCJというバンドのボーカルをしている子だ。 いつも黒っぽい服を着て、痩せてて、ナイフとかを思わせる鋭い眼をしていて、 はっきりと物を言う。そして歌うと凄くて、アマチュアながらに、とても、 人気がある。 菜子はそのタカヒロくんとは従兄妹同士で、両思いで・・・・ハタから見てもよく わかるくらい、二人はお互いのことをとても大切にしていた。
「あたしまだタカヒロくん見てないよ。ライブ後」 「さっき、まだ裏にいたぜ? そろそろ出てくるんじゃねえの」 大ちゃんが言った。 「裏って楽屋?」 少し首をかしげて菜子が問う。 「まあそう。楽屋ってほどのスペースないけどね」 「わかった。行ってみる。ありがとう」 笑顔で私たちに手を振って、タカヒロくんの元へ去っていく。菜子と話すと、 それがほんの一瞬の他愛もないものであっても、胸の奥に、ふわりって真っ白な 羽とか、何かかけがえのない綺麗なものに触れたような余韻が残る。
「・・・・どうした?」 去って行った菜子を見て、ぼんやりそんなことを考えながら、その後姿を追って いた私の視線に気付いて、不思議に思ったのか、大ちゃんが聞いてきた。 半分上の空で私は応えてる。 「いや、菜子かわいいなあって」 「ああ、そうだな」 あっさり言われて、瞬間、胸に何か冷たいもの、氷とかがするっと入ってきた ような気分になる。だって私は大ちゃんのことが好きなのだ。 菜子がかわいい。と言った私の台詞にすんなり同意されると、ちょっと悔しくて、 思わず言ってしまってた。 ************************************ つづきます。 ↓過去をクリックしてくださーい。
| 2003年11月28日(金) |
SMILE FOR ME −2 |
つづきです。笑 *********************************** 「いいなあ、って思うよ?」 「なにが」 「菜子くらい可愛ければ、私も向かう所敵無しなのに!って」 「ハア?」 大ちゃんは、聞いた瞬間、ちょっと驚いたように目を見開いて。 そして、一瞬の後、ため息まじりにこう言った。 「・・・・お前バカ? 人間の魅力が見た目にあるなんて、本気で思ってんの」 「え・・・・そりゃあ、ある程度は見た目も重要だと、あたし思ってるよ?」 そう言ったら、大ちゃん、軽く肩をすくめて。 「そればっかりじゃないんじゃねえの」 結構冷たい感じで言うから、思わず心臓がどきんと跳ねた。
私の表情が固まったのを見てとったのか、そこで大ちゃんはかすかに笑う。 その笑った顔を見た瞬間に私は安心している。 こういうとき、この人の笑顔って本当に特別だなあと思う。私にとって。 ちっちゃな不安の芽は、小さいうちに取り払われる。 彼は言った。 「じゃあ、お前はオレのことは見た目だけがいいと思ってる訳かよ?」
・・・・大体、酔っぱらってるわけでもないのにこの台詞はないだろう。とは、 後から思ったこと。そして、その台詞から、私が大ちゃんのこと大好きだって いう気持ちなんて、完全にバレてる。とも思う。 でも言われた瞬間、私は単に焦って、 「そんなこと!」 と反論している。思わずムキになった私を見て、大ちゃんは面白そうに笑って 言った。 「じゃあ逆に、オレはお前の顔が好きだからいつも構うと思ってんの?」 「そういうこと言ってんじゃないよ・・・・。 別に大ちゃんがそういう人だって言ってるんじゃなくて」 それを聞いて、大ちゃんは。 少しの沈黙の後で。 私を軽く見下ろして、少し笑って、こう言った。 「じゃあ、お前はお前に自信持て」 さりげない調子で。でも、はっきりとした、低い声で。 だから、その言葉はそのまま、まっすぐ私の心にたどりつく。
そういうとき、思うことは同じ。いつも同じだ。 なんだろうこの人は!って、思う。 涙が出るくらい強い気持ちで、そんな風に思う。 「菜子ちゃんは菜子ちゃんだし、カリンはカリンだろ。誰にもなれねーだろ。 オレはオレで、タカヒロはタカヒロ、ってのと同じだろ?」 「うん、・・・・そうだね。 ・・・・ってなんかあたし、悔しいなあ!」 「なんだそれ」 「だっていっつも大ちゃんに一本取られてる感じ!なんだもん」 「なんだそれ。ほんっとおもしれえなあ、お前って」 くっくと笑う。
心の奥に残る、虹みたいな残像。この人の言葉が、その存在が残す軌跡 みたいなもの。 くやしいけど。それ以上にうれしい。この人と関わることができてうれしい。 運命みたいなものはきっとあるって、こんなとき、私は思う。実感する。 それが永遠につづくものではないとしても。今、この瞬間の記憶は、 カケラみたいな小さなものとしても、きっと私の中に残るだろう。
今に見てろよ。なんて思いながら。 もういいじゃん。いつまで笑ってるのー!と笑って、私は大ちゃんの手をひいて、 ドリンクバーへ飲み物を取りに、一緒に向かった。 ありがとう、なんて、照れちゃって口にすることはできないこの気持ちが、 つないだ手から伝わればいいなあ!なんて、かわいいことを思いながら。
どこかで聞いたようなタイトルだが。
支店長から昨日の夕方、私宛に突然電話があり、 「君は請われて残るんだから、誤解しないように」 ・・・と言われる。
“こわれて”というのを咄嗟に“壊れて”と変換する私!爆 まったく我ながらどうしようもねーなあ。と思う。 バカじゃないのか私は。と。
でも、辞めたいって言ってる人に向かって、請われて残るんだから安心しろ とは一体? それが何の気休めに? ・・・と言うか、変な責任感とか、悪く思われたくないとか、そういうことで さらに半年は続ける、と言った挙げ句に超ブルー入っている私も私だ。
愚の骨頂とはまさにこのこと。 壊れてるのは私ですよ。とは心の声。よくない声。 自虐的で批判的、優柔不断でマイナス思考。 ハイサヨナラ〜!て感じ。
・・・などと、まったく月末の忙しさもあいまって(いや、あるいは最大の 原因はそこにあって)、落ちていくことと言ったら、とどまる所知らず。 ってかんじである。 私はツラくて不幸なのが好きなのか? なんなんだ?
もはや何もかもどうでもいいと。 そんな風に思っても。 会社帰り。人気の無い夜の駅で、ベンチに座ってホットの烏龍茶なんか飲んで 身体があたたかくなったら。 そして同時に、氣志團の“湾岸夜想曲-ルシファーズハンマー'94-”なんか 聴いて、“ちゃんちゃらおかしいぜ♪”と歌う翔やんの声とか聴いてたら。 私はまったく、同じことを繰り返しているのかもしれないが。
たいしたことないことに思えてくる、この不思議さよ。 緩和されて忘れる。 それがいいことか悪いことかはわからないが。 絶望的な気分からちょっと救われる。
心の中には星があって。 それは目指す、なりたい自分かもしれないし、兄かもしれない。享氏やステ氏、 翔やんもいるかも?しれないが。 そして私は彼らを神格化してると言われても、まったく否定できない。 できないけど。 自分にできないことをやってる人たちだから、余計凄いと思うとか、そういう ことも絶対あるけど。
あの人たちに恥じない自分でありたいなあと。 そんな風に思った。
仕事に関しての話。
自分のことを可哀想に思って泣くんじゃなくて、 私にはまだやれることがあるはずだ。
あのとき私はなんて言った?
あたらしいことを覚えるよりも今までずっとしてきたことを していった方が、頭の中で他のことを考えながらでも出来るから 楽だと、そう言ったのではなかったか。
それがバカなたわごとだなんて思いもせずに。
仕事のことで怒っても、しょうがない。 世の中はある程度、お金だという所は本当にある。 悲しいけどそれは本当。 だから怒るな。怒らず探せ。笑顔で探せ。 最善の方法を。 なにが自分にとってベストかを。 ただ、急がば回れ、というコトワザもある。 ちゃんと考えろ。逃げちゃあダメだ。 放棄しないで、あきらめないで考えてみろ。 だってそれは、自分自身のことなんだから。
夏前に出た兄のミニアルバム『RIGHT HERE! RIGHT NOW!』の1曲目に、 “CALLING YOU”という曲が入っている。
“君を呼ぶよ” そんな意味だと思う。 そしてそれは、物理的に声に出して呼ぶ、ということじゃなくって、 心の声とかそういうの? なんて思う。 それは、私たち(ファン)が、あの人に対して思っていることそのままなのでは? なんて。笑
必要とする。とか。 失ったらさびしいとか。 心が求めるとか、そういうの。 まるで水を求める花みたいに。
それこそこんなことを書くと、擬似恋愛とか言われるだろうか? それもイヤだが。
音楽を聴いて、あまりにも切ないなんて思うのは、ヤバイだろうか? 思いすぎるのは危険、思いつめるのは危険、そんな風には思う。
でもそうやって、だれかの紡ぐメロディー、その声を聴いて、地に足を付けて いようとする。 手を握り締めて立っていようとしている。 歩きつづけようとしている。 たとえ向かい風でも寒くても泣いてても、この世に希望はあると思う。
そしてそんな風に思ってやっていくことは、そういう風にしかできないこと さえ、けして悪いことではないと思うのだ。
ちょっと前の話だが。今週の水曜日。 朝から。仕事で(この前あった会議のことなんかで)怒りモードで。 ああ私もしょうがないなあ!って感じで。 何を聴く気にもならなかったが、こういうときはフミヤくんだろうかと、 兄新譜“LADY SISTER BABY”を聴く。
フミヤくんの不思議。 しずめる効果を持っているように思う。 心の傷を治すとか、そういうの。
ぽつんと一粒、涙が出るみたいな。 そんな錯覚すら感じる。 (でもこういうの、何かにあったようにも思う。アムリタ?だっただろうか。 出典が思い出せないけど。)
そしてその涙は一粒で心をうるおして、たとえば乾いた肌を化粧水や乳液で ケアしてあげると翌朝はぷるんとなっている、みたいな。 そういう効果を心に与えるんじゃないかって、そんな風に思う。
| 2003年11月21日(金) |
自分のことじゃんー。笑 |
これを書いているのは11月23日のことですが。
昨日、部屋の掃除をしていたら、何年か前に書いてた小説のネタとか、 そういうモノがいろいろ出てきたので、まあ掃除もたまにはイイのかも。 という気もしたんですが。 この台詞は、私が以前チラっと書いた“赤い花”という短いお話の中に 出てくる、宗一郎という人が、相手役のハルカさんという女の子に対して 独白するシーンとして書いているのだが。(2002.8.25の日記参照よろしく。) ↓ “いつの間にか人の目が怖くなって。 どう思われるかばかりを考えていた。 本心とは違うことを言って、良い人のフリをしてきた。 じゃあ、どこまでが本当の自分か、なんて? そんなこと、今更わからないんですよ、ハルカさん。 どこまでが本当で、どこまでがウソかなんて とっくの昔にわからなくなっているんですよ。”
と、ノートに鉛筆で、殴り書きとも言える感じで書いていた。
これって宗一郎に言わせてはいるけど、まるっきりその当時の自分のこと じゃんー。笑 なんて。 笑ってしまうような、恥ずかしいような、泣けるような、複雑な気持ちで そんなことを思ったのだった。
去年の10月の日記を読み返していたら、よしもとばななさんの『アムリタ』の 文庫本を買った、と書いているところに、我ながら「ああ、これが私が一番 言いたいことなんだよね!」というようなことを書いていた。 自分の書いたことに感心するな。というハナシだが。
「きっとどの人にも、その人それぞれにとっての、泣けるほどツライ局面が日々 あって、それが人生っていうモノだ。という風に思う。 そしてそれを一瞬でも忘れたり、緩和したりできたらいいなあ。と。 そういう風に、心から、思っちゃうのでしたよ。」
と自分で書いていて、そうなんだよね・・・。としみじみ思ってしまったの でしたよ。だからなんだ。という話もあるが。あっはっは。
ここ最近、痛いほど思ったこと。 自分が一番何をしたいのかを見極めることが必要だ。 そして、私はこの気持ちを、たとえば兄や享氏やステ氏やひろあきくんや チェッカーズや、自分が本当に大切だと思う人々に対する気持ちを、 文字通りお金を得るという意味での売り物にしたらいけないよなあ。と。 肝に銘じるくらいの気持ちで、そんな風に思った。
そして、本を読むということについて。 まったく我ながら、くだらないプライドとか、見栄とか、世間の目を気にしたり などでこれまでの自分の進路を決めてきた私は、「真面目な人」と思われ るのが嫌で読書から遠ざかっていた時期が確実にあったと思う。 特に中2〜高校2年くらいまで。ばかだよなあ。 だからという訳でもないが、先日の『ビルマの竪琴』しかり、私は世の中で言う 名作というものを、ほとんど読んでないと思う。 まあ、自分がそれほどには読書好きではないということかもしれないが。
ということで、『あらすじで読む日本の名著』という本を購入した。 これに載っている、浮雲、金色夜叉、五重塔、たけくらべ、高野聖・・・ どれも読んだことないじゃん! マジで読んだことあるの、ここに挙げてある28くらいの小説のうち、 『春琴抄』位だ。 それってやばくないか? ・・・などと思い、このあらすじを読んで興味をひかれたモノから読んで みよう! と決意あらたにしているのだった。
そして、年間一番貧乏な時期に入ってきたこともあり、部屋の本で読まない 及び私の中で面白くなかったものを売る。 (参考までに、14歳からの哲学、飛行症候群、NHK編集だかのエッセイ集、 あとは光野桃さんの“ベネチア行き”など、文庫本を何冊か。) それを売って得たお金で、森園みるくが撮ったという、デミセミのエミちゃんの 文庫版写真集(ポストカードブック)『MUSIC GEISHA EMI ELEONOLA』を買って しまった!(意味ねー!笑) しかしその写真集、かなり素敵だった。 エミちゃんのファッションや美に対する情熱を見た。と思った。 私絶賛。新風舎文庫から発売です。
| 2003年11月15日(土) |
そしてたまには日記風。 |
起きたら10時30分。昨日兄出演で、妹チカコがとってくれていた『ごちに なります』のビデオ(ありがとう!)を見ながら、レーズンパンなど焼いて 食べてたら、あっという間にお昼になっていた。
風邪が治らないので再度病院行こうと思っていたのに、なぜか雑誌“ar”を 握り締めて美容院へ。爆 本気で治す気あるのかというハナシである。 しかも、そこで見た今号のノンノの特集かわいい! フレンチカジュアル世代な私(92年頃流行していたように思う)としては、 かなり気になる、シャンゼリゼを舞台にしての特集。ボーダーTにPコート風 のショートコートとうすピンクのカーディガンに帽子など。 年甲斐も無く買おうかなノンノ。などと色めきたつ。
その後、尚チケゲットのついでに、久し振りに友人bちゃんと会い、アフタヌーン ティールームにて、仕事および人生のままならなさ、そして友情とは何か。 について語り合う。 お互い色々大変だ。 やはり職業婦人は大変なのだ! でも仮に主婦であっても同じように大変だと思う。という意見でお互い同意する。 生きてるとツライこといっぱいあるよね・・・。でもだから何か楽しいこと ないかなって思ってライブ行ったりするよね・・・。としみじみ言い合う。 それもハタから見たら幸せな光景なんだろうか。
そして1時間半ほど語り合い、その後私はリフレクソロジーへ。 久し振りですね〜と言われ、考えてみれば7月に糸井さんの講演に行ったとき 以来だと思い至る。 「今日は足はどんな感じですか?」と聞かれ、 「ちょっと痛いくらい」と言ったが、少し触られた瞬間、 「すごい張ってますよ!」と驚かれる。 そう言えば、さっき美容室でも店員(と言うのか?)のかわいい女の子に、 「肩こりすごいですね・・・」と言われたんだよな。 やはり自分で気付かない内に疲れは身体に出ているのか。 そしてそこまで来て、ふと、足の手入れをしていなかったことに気付く私! 女失格である。ごめん! と内心思いながら、痛くて気持ちいい25分。 終わって外に出たらすでに夕暮れ。雨が降っていたらしく、道が濡れてる。 そして、ふと気付けば残金は2000円になっていた。(それって。−−;)
帰り道、市電で兄新譜を聴いていて、つくづくイイなあ。今回のアルバム、 私好きだなあ。などと思う。 ここ2週間ほど仕事が忙しかったせいか、歌詞のある曲を聴く気にどうしても なれず、クラシックな毎日だった私だが。 本日のBGMは久し振りに兄新譜、“LADY SISTER BABY”。 行きは3曲目の“Baby”に感動していたのに、帰り道では4曲目“ZERO” すばらしい。と真剣に思う。 やっぱり天候とか気候とか、昼であったり夜であったり、そのときのコンディ ションによっても、音楽を聴いて受ける印象って全然違うものだよなあ。と。 そんな風に思った夕暮れだった。
| 2003年11月14日(金) |
怒りのパワー。そして終わり良ければ? |
ものすごく仕事をした一週間。 検査入る入ると言っていて入らず。 もうさっさと入ってくれ! ってかんじ。 そしてあまりに忙しく、またも私は死の舞踏。(ハア?) まあ冗談はともかくとして、正気をなくすほど、死んだ方がマシでは!とか いう気持ちに取り付かれる。 そしてそのまま取り残される。 “飛べない鳥は 取り残されて♪”などという、イエローモンキーの“BURN” という曲のフレーズが頭をぐるぐると・・・なんて冗談言ってる場合じゃ なくてさ!
よくないってば!そういうの。 大体そんなことあるかー! なんで私がこんなことのために死ななきゃならないんじゃー! と怒りのパワーで仕事をするが、そんなときに私に話し掛けた人は・・・ さぞやイヤな気持ちになったことでしょう。ごめん!
そして本日の、ウチのパートT中さんの名言。 「T松さんの本当によくない所って・・・自分が仕事できないってことを 自覚してない所にありますよね。いつも思うんですけど」と。 パートさんにもそう思われるT松氏とは一体。 そして私もその意見には、大変激しく同意!
こんなこと言ってる私はきっと地獄に落ちるかもしれないが。 でもたまにはいいの! こうやって明日もがんばるの! と、自分を納得させつつ、花の金曜日のディナーへ、友人Tと移転したciao (という店)に行ったのだった。 鳥のパリパリ焼きすばらしい。辛子蓮根のサラダ仕立てもグウ。 名前覚えきれずに携帯にメモして帰ってきた“ベッレンダ プロセッコ ヴァルドビアーデネ ブリュ(ヴェネト)”という辛口スパークリングワイン 美味しい! その上マスターが、移転後初めての友人T、そして二度目の私にデザートを サービスしてくれてうれしい!美味しい!(なんかアズキ生クリームパイみたい なやつ。) ・・・ということで、終わり良ければすべて良し。(チャールズ風by大草原の 小さな家)ということ? だろうか?
| 2003年11月13日(木) |
孤独。そして読ませる力。 |
ばななさんのHPの日記と、Q&Aの抜粋されたものが、文庫本になっている のを見つけ、一気に3冊買ってしまった。 そしてネット上でしか読んだことのなかった3冊目から先に読んだ。 思わず一気に読んでしまう。 そして、すごいと思う。
その読ませる力。 これって一体なんなんだろう。 ご本人は、力を抜いて書いてるし、内輪のことばかりでダメだ、みたいな ことを書かれているが、この日記の中には、力を抜いているように見えて、 実はばななさんの考えの根幹を、その真髄を成すようなことが、随所に 入っているのではないだろうか。
それがプロというものか。 力を抜いていてさえ読ませるということの凄さよ。
では私は? 私はなんだ。 まあ勿論アマチュアというか単に好きでこの日記を書いている程度だが。 なんだも何も、今はただ普通の(普通かどうかは疑わしいかもしれないが) その辺のOLなんですけれど。
この人の書いている孤独や苦しみ。 それは、ぱっと見ではわからないかもしれないが、実はものすごく深淵な、 それこそ深い淵を覗き込むようなものなのでは。と私は思う。 そんな人だと勝手にだが思っている。 この人の書いているような、この苦しみに、孤独との戦いに、私は近づける だろうか? とも思う。
いや、もしかしたら既に昔からそこにいるのかもしれないが。 あまりにも共感する気がする、というのは、そういうことなのかも? 逆に、あまりに自分から遠くにいる人だから興味を引かれるということもある。 (そして私にとって、藤井兄という人はまさにそういう人だと思っているが。) ばななさんが、そのどちらに属する人なのかはわからないけれど。
もしかしたら、ほんの少しも、ただ勝手に自分がそんな気になっているだけで、 本当のところは私はまったく理解していないのかもしれないが。
この、ばななさんの書いている孤独というものについては、 私は、誰が信じなくても自分の中ではずっと考えてきたテーマだし、 このことについては、やっぱり私はわかる気がする。理解できる気がする。と。 まわりくどいけれど、かなり真剣に、そう思った。
仕事で、「このやりきれなさは一体なんなの。マジやってられっか!」と 思うようなことがあり、私としては上の女の人であるHさんに激怒、そして ウチの支社のT松(もはや、さん付けなんて絶対してやらない)のあまりの わからなさに呆れ返り、JR内で思わずシャルドネスパークリングなど 飲んで、「おかあさんごめん・・・こんな恥ずかしい娘で・・・」とか 思いながら。
そんなことを思いながらウチのBBSを開けたら、友人Tさんが兄ネタを 書いてくれていて、それで一気に心和んだ。
やっぱり兄の存在は偉大だ。 昔、米米クラブの“大人物”という曲を“オトナモノ”と読んだ私だが。 (誓ってそういう読み方ではナイ。) 兄という人は間違いなく、私の中では大人物なのだ。
どんなに落ち込んでいてもやさぐれていても、どうでもよくなってても、 何かを私にくれる人。 人はそれを恋愛に似ていると言うだろうか?
でも、似て否なるものだと私は言いたい。 そういうことでは表せなくって、ただそこにいてくれてありがとう、だとか。 訳わかんないとも言える、そいういうバカみたいだとも言えることを、 本気で思ってしまう存在。
そういう人を持つ私は幸せなのか? もしかして不幸せなのか? わからないが。 ただ、今この瞬間の心和んでいる私は、明らかに幸せな気持ちを享受している なあと、そんな風に思った。
| 2003年11月11日(火) |
めくるめく情事・・・? |
お昼休みに会社近くのジャスコにある本屋で、雑誌GINZAのピンクっぽい表紙、 そのあまりのかわいい感じに惹かれ、思わずお買い上げしていて、ふと思う。
日々、(あくまでも自分の中で)ライブや旅行してない時は、非常に貧乏生活な 感じのある私だが。 考えてみれば、この毎日の本代・雑誌代・漫画代を換算すると、一週間で 少なくとも5000円にはなるのでは。 ストレスたまってるから〜とか、ストレス発散に最近のファッションでも見て〜 と言ってはいるが、それって単にミーハ−で派手好きで浪費家ということでは! (しかも、そのどれもまったく否定できない!)
そして思わず、グリコのカフェオレとかカプチーノとか、おやつにケーキとか マカダミアナッツチョコとか、帰りにライチ酒とかシャルドネスパークリング、 ポテトチップスとかとかとか! そういうモノが太る原因であり、それってストレスなんかではなく、単に我慢 できないだけなのでは?
今こそ考え直すべきなのか。(一体どれを。というハナシだが。全部か?)
大体、普通の31歳で独身の女の人って、めくるめく情事とか 嵐のような恋とかランデヴーだとかアバンチュールだとか、そういうのが ちょっとはあってもいいんじゃないのかい!(←映画の見すぎ。しかも弱冠 キレ気味である。)
・・・しかし思わずそんなことを考えてしまう31歳の秋。である。
ブルー入るというか、憂鬱〜な気分になっちゃうことが結構多い今日この頃。 しかも仕事だけではなく、好きなことでも。というのが問題。
なんなのだ。 11月が毎年イマイチ調子良くない。というのはあるかもしれない。 しれないが。 調子に乗っちゃダメなんだなあ。 見通しが甘いっていうのもよくないよなあ。 現実は厳しいのだ。基本的に。すべてにおいて。 そして私の考えは甘いのだ。そこも基本的にすべてにおいて。
なんかどうでもよくなっちゃうー。けど、それが一番よくない。ってことも 知ってるつもり。なんだけど。
彼女はブルー♪ などとウルフルズでも歌いながら、今日のところは去ることに。
ばななさんの公式サイトに行って日記を見たら、ダライラマ様について 書かれていて興味深かった。どうやら来日されているのかもしれない。
セブン・イヤーズ・イン・チベットという、ブラッド・ピットの映画が かなり好きだった私だが、『ダライラマ自伝』という本は読んでみたい本の 一つ、ダライラマ様という方は、かなり気になる存在でもある。(もしかして 微妙に兄の影響かもしれないが。)
そしてその、ばななさんの日記の中に、癒しというものについて、 癒しというものは本当に厳しいもの、という風に書かれてあり、 「そうか・・・」と思った。 私は今、その意味を真に理解できてはいないのかもしれないが。 ただ優しいだけのものなんて、この世には存在しないのかもしれない。 そういうものは当り障りないというだけのことで、実際にあったとしても それだけではダメなのかもしれない。という、最近微妙に考えていたことに ついて、ずばっと言い当てられた気さえしたのだった。
佐賀の呼子(イカで有名)・唐津(温泉があり、虹の松原という美しい海岸で 有名)に、会社の旅行で行ってきた。 風邪が治っていなかったため、結構ハードな旅行。 しかも昨年、私があらぬ誤解でもめた(ような感じの)代理店さんと同室で イマイチ気が休まるヒマも無い感じ。(そんなこと言ったらいけないが。)
風邪ひいてるから温泉入ったものの髪は洗えないし、薬飲んでるから行き帰り のバスではビール飲めないし、かなりブルー。 大体、ああいう旅行での楽しみって、酒しか無いのに!って感じである。爆 しかし食欲はあったので良かった。さすがに海産物美味しい。 呼子のイカも、思ってたよりずっと美味しく、ハッピー。 翌日、昼食に寄った柳川(うなぎ・柳川鍋・川下りで有名)での鰻も美味だった。
夜、宴会のとき。 たまたま隣に、酔っぱらってしまうと非常に酒癖がよくないのだが(おそらく 普段色々と我慢してることが多いんだと思われる)、しかし普段&酒の席でも 完全に酔っぱらう前は、その考え方にかなり信頼がおける、私と同世代の 代理店さんが座っていたので、ここ最近私が非常に腹立たしく、そして悩ましく 思っていた、私が9月まで退職を延長しないといけなくなった話をしてみる。 実は代理店さんたちには、まだ私が辞めるという話はあんまりしておらず、 ほとんどの人がまだ知らない(と思う)のだが。
そしたら言われた。 来年の4月で会社の機構が変わって、支社の統合とかが行われる、というウワサ が本当なら、会社として森本さん(私の本名)の退職を半年延ばしてくれ、と 言ってくるのは当然ではないかと。 だって自分だって混乱する。と。 もし支社が統合になって他のところと一緒になり、場所が変わっただけでなく、 担当も替わり、もとの人はいない、ということになったら、そりゃあ 「なんなんだ」と思う、と言われ、「そうか」と思った。
どう思われてもいい、などと言ってはいるが、迷惑をかけたい訳ではないのだ。 そしたらやっぱり、私がもう少し我慢することも必要だよなあと。 その半年延長の話は、もう私としては怒りを通り越してどうでもいいという 心境にまで至っていたが、その代理店さんからそう言われて、多少冷静に そう思ったのだった。
| 2003年11月07日(金) |
ハゴロモ(byよしもとばなな) |
お風呂タイムに、ばななさんの小説『ハゴロモ』を読んでいたら、気になって 仕方ないフレーズ(というか言葉というか)があったので、それについて 書くことに。
主人公ほたるが自分の生まれた町で知り合う、みつるくんという人の、 亡くなったお父さんについて、ほたるが一生懸命にみつるくんに伝える シーンがある。 「たとえどんな死に方をしても、どんなつまらないことの巻き添えになって 死んでしまったのだとしても、そのお父さんの魂が汚れることは決してない」 と。
それを読んでいて、ふと思った。 ああ、例えば私が明日、何か事故とかで死んでしまったとして、今まで私が やってきたことの何かは残るだろうか? なんてね!笑 例えば仕事上とかで。 あるいは、例えばこの日記とか。 そういうものの、今までやってきた、あるいは書いてきた何かが残るだろうか、と。
それこそ自分に酔ってるとも言える、そんな考えで、一瞬心がいっぱいに なってしまったかわいい私!(笑 自分で言うな。爆) まったく、そういうのって、単に自分好きだということか。 それとも、理想が高いということだろうか? どちらかと言えば、後者の方がいいかなあと、そんな風にも思う。
そして、本当のところは、たとえ何かの運命で、明日死んじゃうようなことに なったとしても。 後悔しないように生きたいなあと。 日々、そう思ってるんだけど、死ぬときは絶対、「ああ!あれもしたかったし これもまだしてないし、兄の冬ツアーも見てないし、まだ北欧にもニュージー ランドにもプリンスエドワード島にもエジプトにもトルコにも行ったこと 無いのに! 兄の楽屋ご招待にも当たったことないのに〜!!」なーんて思って、 後悔するに違い無いんですけれどね!笑
| 2003年11月06日(木) |
鉄のハート(by氣志團) |
聴いていて、とても気持ちよく元気が出る曲だなあと思う。 氣志團の1st.アルバムの3曲目に入っている、“鉄のハート”という曲について。
友達のことを歌っている。と思う。 昔からの。 中学校とか高校とか。 ティーンネイジャーなんて(死語だとは思うが)呼べる位の頃の。
聴いていて、なんだかあまりになつかしい気持ちになっちゃって、 思わず泣けるような気持ちになったりするのは、きっと郷愁みたいな、 昔を懐かしむ気持ちに自然になってしまってるからだと思う。 そのメロディーを耳にして、自然に顔は微笑んで、つい“OSSA! OSSA!”なんて その曲の中に入ってくるかけ声みたいなのを口ずさみそうになったりしている。 すごいパワーもらうなあ、なんて思う。
その幸せよ。 心が戻る場所がある。 そのなんて幸せなことよ。 ある意味では。そういう友達を、思い出して顔が笑っちゃうような友人たちを 持っているなら、きっと大丈夫だと。 そんな風に思ったりするのだ。
そして、“思い出の半分はいつまでも仲間(アイツら)さ”と、Friends and dream の中で歌った兄と同じような気持ちを、翔やんは確実に持っているようにも思う。 そしてそれは、とてもいいものだと思うのだ。
実を言うと、毛嫌いしていた。 “ビルマの竪琴”という小説(童話?)のことを。
なぜなら昔、この“ビルマの竪琴”が映画化された中学生当時の私ときたら、 なぜか中井貴一氏のことが好みではなく、そのこと一つでこの映画も原作も、 私からかなり遠くにあるモノだったのだ。
中井貴一氏が好みではなかった。なんて、まったく自分がどれほどのモノだ? と言われそうだが、私は基本的に目が細い人がイマイチ好みではない。 ・・・あ、でもユーちゃんは別。尚ちゃんも別。ステ氏も別だが。 (って結構好きなのでは。−−;)
最近、会社近くのジャスコの中の本屋でふと“ビルマの竪琴”の文庫本を 見つけ、そう言えば中学校の体育館で、全校で映画見ないといけなかったなあ。 でも中井貴一好きじゃなかったばっかりに、真面目に見なかったから、 全然意味わかんなかったんだよなあ。国語のS先生は、たしか原作もイイよって 言ってたのに! と瞬時に思い、興味を惹かれてその本を買ってしまった。
平易な文体。 大学の教授が、童話として書いたものらしい。
14歳のときに映画を見て、特に何の感慨も持たなかった私は、感受性 というものが少なかったのかもしれないのだが。 これが今になって文章として読んでみると。泣けてきたりするから不思議だ。 私は年を取ったのか?
戦地に行って、歌を歌って、他のどの隊よりも仲良く生き生きとして帰って 来た日本兵たち。 そんな中、水島という青年が、ビルマに僧としてひとり残る。 彼が最後に隊長に宛てて書いた長い手紙。
私はこれを30歳を超えてから初めてちゃんと読んだけれど。 14歳とか15歳とか、その最も多感な時期に読んでいたら、また何か違った のかもしれないと。 なんであのとき、先生の言うことを素直に聞かなかったのかと。 そんな風にも思ったのだった。
お誕生日おめでとうございます。 これからも、そのほのぼのとした、おだやかでやさしく、周りの皆がほっと する感じはそのままに、私たちの前にいてください。 ユーちゃんの曲が好きです。 これからもいい曲たくさん作ってください。 ではでは。(ってまるでメールのようだが。笑)
| 2003年11月01日(土) |
永遠のマリア・カラス |
映画『永遠のマリア・カラス』を観に行った。 これが予想以上に、すごく良かったのだ。
劇中に流れた、ビゼー作曲のオペラ・カルメンの一節である“ハバネラ”、 そしてカラスが真夜中に目覚めて、歌う自分の亡霊を見るときに流れた曲 (おそらくはオペラ・トスカの中の一曲)。 観て、聴いていて、カラス役の女優ファニー・アルダンの迫真の演技と、 実際のマリア・カラスの歌声が溶け合って胸に迫り、思わず涙したほどだった。
その天性の声。何者も侵すことの出来ないような美しさと力強さを併せ持つ。 夜空に輝く月の光とか。宝石に例えるなら最高級のダイヤモンド。その輝き。 その神々しさ、神聖さ。光を感じさせる何か。 そんなものを彷彿とさせる歌声。 そして、カラスという存在は、きっと観客だけではなく、周りにいる人々をも 惹きつけてやまなかっただろう。そんな風に、思った。
主演のファニー・アルダンの演技力、すばらしい。 相手役のジェレミー・アイアンズも申し分ない。 そして、私の好きな映画の一つである“尼僧の恋”も撮った、フランコ・ゼフィ レッリ監督の、映像の美しさ。画面を通してにじみ出る、監督のマリア・カラスに 対しての愛みたいなもの。
だが、最も印象に残ったのは、マリア・カラスという一人の天才の、途方も無い 孤独だった。その孤独。誰も助けられない。神に選ばれた人の孤独。 それを、痛いほど感じさせられた。
そして、もう一つ思ったのは、カール・ラガーフェルドがこの映画のために デザインしたという、マリア・カラスが着る20点あまりのシャネルの服の 高貴な美しさ。ああ、シャネルの服は、こんな風に選ばれた人が着ると こんなにも美しいのかと。感嘆するような気持ちで、そんな風にも思っていた。
本当に、一見の価値ある、映画だったのだ。
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