【スロウ・ダンス】 仕事で失敗して怒られた。
最悪に憂鬱な気持ちで、夜、帰り道の駅から家へとつづく坂を登る。 私が毎日のように訪れている、その坂の途中にあるパン屋兼喫茶店 “小さな家”には、いつものようにあたたかな灯がともっているけれど、 うまく笑える自信なんてなくて、私は店の前をそのまま通り過ぎている。
・・・こんな日が、もう3日もつづいている。 最近の私は、なんだかおかしい。 仕事がうまくいっていないせいかとも思うけど。 大袈裟だなあ! と自分でも思うけど、なんだか、だんだん人を信じられなく なっていってるような気さえする。人間不信? 人間嫌い? わからないけど。
心がスカスカな感じで、“小さな家”に行けば、あの店で、今ではもう友達に なってしまってる人々、店長の藤井くんと、住み込みお手伝い&実は私の彼氏 である直人、アルバイトのりょうちゃん。 あの3人に会ったら、なにかきらきらしたモノが、この身体に戻って来る だろうかと、夢見心地で考える。けど。
でも、こんな落ち込んだ状態のときに、あの人たちに会って、それでもし 嫌われたりしたらイヤだなあ。そんなことになっちゃったら、もう立ち直れ ないわ。私。なんて。 くだらない、バカみたいな考え、アタマを渦巻いて止まらなくなってる。
大体、いっつもそうなのだ。 ひとつマイナスの方向で考えると、その考えが止まらなくなって、悪い方に 悪い方に考えてしまうのだ。 そんなことわかってるけど、どうしよう? ・・・なんて思いながら歩いていたら。
プルルル。と、携帯が鳴った。
機械の音で紡がれる、着メロダウンロードも面倒で設定してない、無機質な音。 疲れた無気力な頭で、誰からかかってきてるかも見ないで電話に出た。
「・・・ハイ?」 『笑美子さん?』 電話の向こうからは、すでに聞き慣れた、少し低くて無邪気なトーンの あの子の声。 私より年は5つも下で、でもその邪気が無くてかわいい見た目とはウラハラに、 性格はかなりしっかりしている、直人の声。 「・・・直人?」 甘く響くその名前を、私は口に出す。 ついさっきまで、あんなにも落ち込んでいたくせに。 たったそれだけで、心に少し、光が差すような気分になってる私は、本当に単純 だ。と思う。 『ちょっと今振り向いてみて』 「はい? 今?」 『そうそう』 ・・・振り返ったら。 ぜんぜん気付いてなかった。驚いた。 そこには直人が立っていた。
「・・・直人」 反射的に名前を呟いて、彼を見上げたまま黙る私に、直人は少し笑った。 ような気がした。 「なんかあった?」 するっと。 別に特別やさしくもない、でも冷たいってワケでもない口調でそう聞くから。 その、ごくごくフツウの感じに無性にぐっと来て、ヤバイ泣くかも。なんて思う。 「なんで?」 でも、悟られまいと、平静を装って私は聞き返す。 こうなったらもうバレバレだって、わかってはいたけれど。
そうしたら、直人は言った。少し笑みを含んだ表情をして。 「だってここ2〜3日、電話も出てくんないし。 店の前通り過ぎる所も見ちゃったし。 オレ、なんかしたかなあ?って」 「そんなこと!」 思わず大きな声を出す私に、直人はくすくす笑う。 「うん。心当たりないし」 それだけ言って、そのまま、ふいにきゅっと私を抱きしめた。 「なな直人?」 あんまり突然のことに驚いて、固まってる私の耳に、直人の胸から直接声が 響く。 「ハイハイ、身体の力抜いて?」 ふざけた調子でそう言う直人。うながされるように自然に、固まってた身体の力 がすうっと抜けちゃう。 なんなんだろう。と思う。こういうの。 そしてそのまま、直人は続けた。
「だから、たぶん原因はオレじゃなくて、ああ、仕事か家か、どっちかでなんか あったかなあ。って。 なんか、前にもこういうことあったし。 そしたら、やっぱり追いかけてきてよかった。 なんでエミコさん、そんな、泣きそうな顔してんのさ?」 そんなこと言われて、今度こそ本当に、私は泣き出しそうになる。 なんだろうコイツは。って思う。 あたたかくなっている胸の隅で、そんなことを考える。 なんでこの子はこんなにも。 私がうれしくなる言葉を、知ってるんだろう?
そして私はそのまま、思わず弱音なんて吐いてしまう。 「もーイヤ。仕事やめたい〜〜〜」 「・・・じゃあ、やめちゃえば?」 笑いを含んだままの直人の声。耳の奥に響いてくる。 「だって、それじゃイヤなんだもん。なんか負けるみたいで嫌なの。だから」 それだけ言って直人を見上げて。 その時私は、自分でも予想外の台詞に我ながら驚いていた。 負けるみたいで嫌だとか。 そんなこと言うなんて、自分でぜんぜん判ってなかった。 そういう時、まったく私は、本当に鈍い。って実感する。 自分で心の奥の底のところで考えてることなんて。 最後の最後でしか、わからないのだ。いつも。
そうしたら直人は。 「そう言うと思った。ほんっと負けず嫌いだよね、エミコさん」 くすくす笑って、そう言った。 (・・・私、コイツに完全に負けてるわ。) その笑顔を見ながら、そんなことを思った。
そして内心、私がかなり感激していたら。突然、直人がこう言った。 「ねえエミコさん。ダンスしようよ」 「はあ?」 あまりに突飛な思いつきに、ちょっと笑う。笑ってる自分にもびっくりする。 完全に立ち直ってるわ私。と思って。 「ダンスって、今ここで? この道端で?」 「そう。イイでしょ、結構」 「ええ〜イヤだあ! 恥ずかしくない?」 くすくす笑ってそう言う私に、直人は内緒話をするみたいに小声でこう 言ってくる。 「そこで笑ってるってことは、結構やってみたいでしょ」 「・・・いいけど。誰もいないし。夜だし」 「じゃあやろうよ」 「ええ〜?」
笑いながら。直人にリードされて、ちょっとゆっくり踊ってみた。 バカだなあ! と思うけど。 見知らぬ人が通りかかったら、「コイツら、どうしちゃったんだ?」と 思われること請け合いだったけど。 たまにはこういうのも、いいんじゃないかなあ? と思ってしまう私は、 もう本当にノリやすい。いい気なものだ。 だけど人生って本当に、ゆっくりダンスしているようなモノかもしれない。 そうであったらいいなあ! なんて。 笑いながら踊りながら、そんなことを考えていた。
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