日記

2000年06月01日(木) 【レインボウ】

 【レインボウ】
ただなんとなく、本屋に寄った。
会社帰りの午後9時30分。疲れ果ててウォークマンで音楽聴く気にすら
ならない。でも、まっすぐ家に帰るのもイヤな気がして、その店に入った。

入るとき、ぼんやりと。見上げた空には満月が。
(ああ、今日、満月なんだ。)
と、その情報だけ頭に入ってきて、綺麗だともなんとも思わないまま、私は
入り口のドアを閉めた。
(忙しすぎて、なんにも感じなくなってるよねえ。)
そんなこと思いながら、そのまま、ぶらぶらと店内をうろつく。
夜のブックセンターには、高校生やらサラリーマン、私みたいなOL風の
女の子、おじいさん、結構色んな人がいる。
何を買うでもなく、新しい雑誌なんかぱらぱらめくって。
しばらく眺めて、飽きてきて、そろそろ家に帰ろうか、と外に出た。
その瞬間。
がくん。と音がして、段差に足を取られた私、なんとその場に転んでいた。
「あいたた・・・」
呟く声もかすれている。それくらい平日の夜の疲労度は高い。
つーか、「あいたた」はないだろ私! おばさんかよ!なんて内心一人
突っ込み入れたりしながら、恥ずかしさもあり、すぐに立ち上がろうとした。
道行く人の注目を集めるっていうのも、なんだか嫌な話だ。
ところがそこで。
「なあにやってんの?お前」
頭の上から、聞き覚えのある声が。
反射的に私は声のした方を見上げる。
(うっそー・・・。)
目の前には、なんたることか、学生時代の友人で尚且つ今も、私が憎からず
想っている(要は片思い中の!)太郎くんが、立っていたのだ。

「なにやってんのって・・・転んだの」
半ば呆然と、立ち上がるのも忘れて彼を見上げたまま、私は言っている。
「ふーん?」
にやにや笑ってやがる。途端に私はむっとする。
「そっちこそ! こんな夜に何してんの」
平気なふりして立ち上がって。ぱんぱんとスカートの埃を払いながらそう聞いた。
「いや別に。なんかヒマだしその先の酒屋でビールでも買おうかと」
「ヒマなの! いいなあ! 今日仕事は?」
見れば、Tシャツにジーンズ。スニーカー。やたらとラフな格好だ。
「仕事ね。今オレ、ヒマな時期」
「いいわねえ。私、すげー忙しい時期ー」
「ああ、お前、今仕事帰り?」
うん、と頷きかけてふと気付く。
しまった。
今日の私の格好と来たら! 
なんたることか1900円で買った超安物シャツとタイトスカート。
ネックレスも指輪もマニキュアも無し。あろうことか俯いた拍子に見てしまった
のだが、ストッキングが今の転倒で伝線している! 

・・・一体どういう格好だよ・・・。

なんでこんな気合いが抜けた格好してるときに会っちゃうのかなあ、この人に!
神様ひどすぎます。いくらなんでも。
・・・なんて、瞬間的に考えて、結構泣きそうな気持ちで私が黙ったら。
私が、仕事が忙しいのを思い出してブルーになったと思ったのか、にっこり
笑って太郎くんは言った。
「まあ、忙しい時期もあるってことよ。・・・これ、食べな」
ジーンズのポケットから、アメを一個取り出した。こいつは男のくせに、甘い
モノに目がないのだ。
「・・・ありがとう」
割と素直に、私はそれをもらう。うすい水色のアメ玉一個。
「水色だ」
思わず、そのかわいい色に目を留めてそう言ったら。
「おうよ。ソーダ味でうまいぜ」
なんて答えが返ってきた。笑った。

じゃあな、と片手をあげて、あっさり去って行こうとする。
じゃあね、と言いながら、私が思っていたことと言えば。
人の心なんて簡単なモノだ。
あんなに疲れてなんにも入ってこないなんて思ってたのに。
たかだかアメひとつで。
こんなにも。
心に虹がかかったみたいになる。
なんて綺麗な余韻を残す。

「次はさあ」
突然、大声でヤツの背中に向かって言う私に、ん?と振り向いた。その目が
優しいのはきっと気のせいじゃない。
「なに」
立ち止まって。身体ごと振り返って聞き返す。
私は言った。
「次はもっと私がキレイな格好してるときに、飲みに行こうよ」
一瞬、間があって、はははって笑った。
「もっとキレイな? まあ、せいぜい頑張りな」
「そんな言い方ないでしょ!」
かっと来る私に、ちょっと笑って。
「あー、ハイハイ。キレイな格好ね〜期待してるわ」
「言ってろ、ばーか」
憎まれ口をたたく私のことなんか、てんで気にしないで。すたすたと去って行く。
行きながら、その背中を向けたまま、私に届くくらい大きな声でこう言った。
「・・・じゃあ今度、電話しな」
その瞬間の私の気持ちといったら。
そのうれしいことといったら。
心に灯りがともる感じというのは、きっとこういうことを言う。と思う。
「はあい」
返事だけは可愛く、そう応えた私に、彼は背中のままで大きく手を振った。
見慣れた後姿。Tシャツにジーンズにスニーカー。大股でどんどん歩いて行く。
その後姿を見送って、さて帰ろう、と私は歩き出す。青になった横断歩道を
まっすぐ渡りはじめる。

ふと見上げた夜空には。
完璧に晴れた夜の空に、さっきと同じ満月が浮かんでいた。
うつくしく。
道先を照らすみたいにひかっていた。
それを見上げて、ぱくんと私は、貰ったアメを口に入れた。甘いソーダの
味が口の中に広がる。ちょっと泣くくらいに幸せな味。蜜の味とか、そんな感じ。

我ながら調子いいな。と思いながら。
そこには、さあ明日もがんばろう。と、家に向かって歩く私がいた。


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