MOTOYANの日々題
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2003年12月15日(月) ああ、人生に涙あり

♪人生 楽ありゃ苦もあるさ・・・♪で有名なTBS時代劇「水戸黄門」が1000回めの放映を迎えた。最近はほとんどみなくなったが、幼いころからよく見ていた。8時40分になると格さんが出てきて「印籠」を掲げて悪代官が地面に土下座をするシーンが痛快で毎回ワンパターンながら月曜のゴールデンタイムは楽しみだった。最近は、夕方にアンコールで昔の再放送をやっているので懐かしく見てしまう。もちろん、番組終了10分前からのことであるが・・・。
テレビドラマは、ストーリーが次週まで続いてしまうと次を必ず見るわけでもないのでつまらない。連ドラでも1話ずつ終わるのがよい。水戸黄門はめったに2週組みはないのでよい。よく見るアニメで「名探偵コナン」がある。最近はほとんど2週組みになっているので見なくなった。子供のころ「巨人の星」を毎回見ていた。1回の放送で1イニングも進まない日もあったが、欠かさず楽しみにしていた。若かったから1週を待てたのだろう。
もう、12月の中旬を過ぎて2003年も残りわずかになった。時間の経つのがかなり早い。それでせっかちになってしまっていると自省するときもあるが世の中はもっとせっかちなような気がする。
主題歌「ああ、人生に涙あり」は、人生の応援歌として日本人の心にしみこんでつらいときについ口ずさんでしまうらしい。
苦しい時には、「こういうこともある」苦しい時にも、「いずれ楽しい時がくる」楽しい時には、「今を大いに楽しもう」不幸な時には、「こういうこともある」不幸な時にも、「いずれ幸せな時がくる」幸せな時には、「今の幸せを大切にしよう」
これからまだ起こるかもしれない「苦しい時」や「不幸な時」のために歌詞をしっかり記憶しておこう。


2003年12月08日(月) いまどき、休日休業?

紅葉が終わりかけているという思いで、昨日人吉に出かけた。11月に行った時は、まだ青かった。もみじが終わりかけだったが、プラタナスがオレンジのようなピンクのような趣のある色彩で魅了してくれた。

ついでに話題となっている「川辺ダム」建設予定地の五木村まで足を伸ばした。道路がよくなり、道路わきにハイカラな新築家屋がどんどん建っている。きっと湖底に沈む家々の移転先だろう。ダムを作るのか作らないのか、はっきりと結論は出ていないようだが、景観と自然保護を考えるなら作らない方がいい場所だ。鹿児島ではあのような景色はお目にかかれない。

予定では、五木村から先にある、「樅木の釣り橋」まで行くつもりだったが、思わぬアクシデントで断念せざるを得なかった。それは、車の燃料が切れそうだったことで赤いランプがつきっ放しになってしまい、「あとどれくらいでガス欠だろうか?」と案じながら走っていた。人吉で給油すればよかったのだが、道中のどこかのスタンドがあいているだろうと思いながら進めていた。集落に1軒のスタンドはあるのだが、どこも日曜日で休んでいる。五木村の人に聞いたら「この辺のスタンドは日曜日はどこもあいていない」との返事で驚いた。オイルショックのころ日曜日にスタンドがいっせいに休み日曜日の遠出ができなかったことがあったが、その後「日曜当番店」制度でいくつかはやっていた。最近では休んでいるスタンドが珍しいし、セルフスタンドは年中無休でやっている。ここいらは、まだ20年前のままなのかも知れない。

観光客目当ての店や施設が多く作られて、訪れる人も多い。そんな多くの人が訪れる休日に営業しないほど余裕があるのか?ダムの補償金をいっぱいもらったのでは?などといらぬ憶測をしてしまいそうになる。サービス業の皆さんのおかげで楽しい休日が過ごせる。せめて30kmに1軒でもいいから営業してほしい。たぶんホントにガス欠を起こしたドライバーもいるだろう。携帯電話も通じないような山奥でガス欠のことを考えるととてもおそろしいことだ。道路わきの交通標識には「動物注意!」があちこちに立っている。絵柄は、たぬきではなく「しか」なのだ。

五木村への入口に「この先のガソリンスタンド、すべて休み」という看板を建てに出かけようか?


2003年12月05日(金) テレビ革命

テレビ放送の地上デジタル化が東京で開始され、テレビのシステムが変わってきた。幼い頃、近所のテレビのある家に「プロレス」と「ミイラ」「相撲」を観るために集まった記憶がある、東京オリンピックをきっかけに各家庭に白黒テレビが設置され、白黒からカラーへ衛星からハイビジョンへと流れて、最近ではプラズマ、液晶とテレビの歴史はこの50年でめまぐるしく変わってきた。そのたびに家電業界の潤いと家庭の出費が繰り返されている。

数年前からケーブルテレビが、地道にそのエリアを拡げてきていたが、地元の2社が今年になって倒産した。理論的には有線でつなぐから画像は安定して多チャンネルやインターネット接続にも十分対応できて商品価値はかなり高いはずである。実際、我が家も利用していて重宝している。使えば便利なのだが使うまでの段階に大きな問題がある。それは、設置にかかわる経費と毎月の使用料であろう。キャンペーンで安くはなっても安いテレビを買い換えられるほどの出費が必要で毎月の出費もある。だから、屋根にアンテナを立てるだけでNHK以外は無料で見ることができる方を選ぶ方が得に見えるわけだろう。画質のよさ、多チャンネル、インターネットは二の次になってしまうわけで地上デジタル化で画質が向上するとなれば、ケーブルテレビの利点はなくなる可能性が高い。「有線でつなぐ」作業が、いかに大掛かりで経費と時間がかかることであるかを思うと設置料・利用料の高さは理解できる。基本チャンネルだけなら、家を散らしてしまう新聞の半分ほどの使用料なのだが、新聞は生き残っている。

ケーブルテレビは倒産しても営業は続けられるということで公共性という市民権は得られているものの今後のエリア拡大やサービスはもう望めない。


2003年12月03日(水) 使いたいが使えないもの

生徒対象のある調査の集計を1週間かけてやった。集計といっても生徒の回答を集計表に転記する単純作業で0〜4までの数字を一人当たり250個ほど書き写す作業で70人分を仕上げた。鉛筆使用だったのでシャープペンシルで書いていった。おそらく、今までの人生で書いてきた数字の数よりも多いのではと思うほどだった。

333333333・・・というように同じ数字を50ほど続けて書くと3が3でなくなる法則を発見した。何という数字を書いているのだろうか?と思えてきた。最初の20ほどまでは「3」という意識があるのだがそれ以降になると手が勝手に動いているだけで意識(脳)は働いていない。

シャープペンの芯は、5cmほどであるが1日に3本以上も交換した。こんなことも今までなかった。20本入りの芯を買うと3年くらいは買わなくてよ買ったので5本入り位のものが売ってるといいのに、と思っていた。そして、シャープペンの構造上、どうしても2cm弱は余って使えない部分ができる。使い道がないので捨てるわけであるが、全長5cmのうち、3,4割は資源の無駄遣いとなっている。他にもチョーク、たばこ、弁当についてくるソース・醤油など世の中に使いきらないで捨てる物や部分が結構ある。どうしようもないことが多いが、チョークは粉状にして再度固めると握りやすくて使い勝手のよいものができる。工夫次第で再生できる物も多い。

忘年会シーズンがやってきたが宴会がお開きになったときのテーブルの上には、コップの中に飲み干されていないアルコール類が多く残っている。「残すのだったら、注ぎ足すな」と言いたいところだが、下戸にとってはどうでもよい。注いだ分は飲み干すようにつとめよう。


2003年12月02日(火) 印鑑が38円

市役所に用事があり、駐車場が空くのを路上で待っているとハンコ屋さんに大きく「認印38円」と書かれた看板があった。諸書類を交付してもらうときに印鑑が必要となるが、忘れた人が買いに来るのだろうが、それにしても安すぎる。文具屋さんでは、300〜400円するし、最近では百円ショップでも売っている。本体はプラスチック製で大量生産が可能だろうが、印鑑は苗字を刻印する作業が必要であり、コンピュータを使った刻印だろうが手間はかかる。38円で販売していかほどの利益があるのだろうか?印鑑を忘れる人はそれほど多くはないと思うのだが。缶ジュース一口分といっしょだから。

学校からお知らせ等で各家庭に配られる印刷物は、なぜか「ザラ紙」が多い。上質紙(コピー紙)は色が白くて色あせしにくいので保存用には適しているし高級感がある。だから「価格がかなり高い」と思われているらしい。
とこらが、それぞれの単価は、需要と供給の関係でほとんど変わらないか逆に上質紙が安いという現実は知られていない。特にA4判では顕著である。

認印の例は特殊だが、世の中には見た目と実際が異なることが多い。今、期末試験中で先生方が試験問題を作成中である。感熱紙の需要がすごい。いろんな職場があるが、生産中止となっている日本語ワードプロセッサーががんばって働いている。長年使い慣れてるからパソコンを使うより早いのだろうが、あと何年間、感熱紙が生産されるのだろうか?他人事ながら心配になる。おそらく需要と供給の関係で1枚あたりの価格が高くなるか、なくなるだろう。


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