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漫画関連ファイル


2000年03月31日(金)
山本鈴美香 その3

「七つの黄金郷」
エルドラドは3部まであって、未完です。
中央公論社から再版されたときに、続きを描くという作者のあとがきがありましたが
その後なしのつぶて。いったいロレンツォと紅蜥蜴はどうなってしまったのでしょう。

「エースをねらえ!」と同じ言い方をすれば、
なぜ、みんなオリビエに惹かれるのか、謎。
オリビエは名門のお姫様で、美貌の天使で、背中にエルドラドの刺青がある。
岡ひろみよりは派手でわかりやすいけれど。

山本作品の人間関係はひとつのパターンの繰り返しです。
絶対的な父。娘。父公認のボーイフレンド。ボーイフレンドをサポートする友人。
しかし、ここでは宗方仁は二人に分裂して、父(権威)としてのオーリの父親と、
激情の部分としてのロレンツォになっている。
自分の気持ちだけで動いているロレンツォは、だから、この中で一番魅力的。
それにからんでくる紅蜥蜴も、おもしろかった。
オーリのボーイフレンドのアーサーは、藤堂さんよりもっとヒモつきの感じで
残念ながら、全然かっこよくありません。

話はけっこうおもしろかった。続きを読みたい向きには、河惣さんの
「サラディナーサ」がおすすめです。パターンとしては似ています。

当時はわからなかったけれど、山本作品の中の、ファザコン的な部分は
これ以後少しずつ明らかになっていきます。
エースにもその片鱗はあったけれど、あれはストイックだった。
あくまでも、精神的なものみたいなカオをしていた。
だんだん父と娘が、精神はもちろん、肉体的にも結ばれることを
のぞんでいるような、そんな感じになっていきます。
父親からおスミつきをもらいながら手を出せないアーサーって、かわいそう。
作者がそれをのぞんでいないんだわ、きっと。

このあとの「ひっくり返ったおもちゃ箱」と「H2O前代見聞」では、
血はつながっていないけれども、法律上の親子関係にある二人が
最後には恋人関係になって終わるという、、あからさまな結末。

「愛の黄金率」は、才能を活かすために、ひろみのような主人公が
藤堂さんのような先輩に抱かれなければならない、って、宗方コーチみたいな
画家の先生が言うんだ。でも、未完。

それが作者にとってどういう意味があるのかは、私にはわからない。
ましてや、新興宗教の教祖さまになってしまうことも理解の外でした。
(この項終わり)



2000年03月30日(木)
山本鈴美香 その2

「エースをねらえ!」
最初は10週くらいの予定の連載だったのじゃないかしら。
高校の部活でいじめられつつも、やがて認められる岡ひろみ、くらいの話。
それが全国版の話になり、やがては世界へはばたく話になっちゃった。

私はテニスをしようなんてこれっぽっちも思わなかったけれど、当時楽しみに読んでいた。
何がそんなに読者の心をつかんだのかしら。今、思い返しても、何も残っていない。
(読み返せばいいんだけど、手元に本がない)
確か、それまでのスポーツものにはない、哲学(?)があったのが受けたんだろうか。
宗方仁語録。
女の成長を妨げるような愛しかたをするな。
女であることを超えろ。
だっけ、うろおぼえ。

藤堂さんはカッコよくて、尾崎さんも千葉ちゃんも好きだった。
大人の宗方コーチは厳しいながらも、ひろみのことを大事にしているところが
それまであまり無いパターンだった。
その1で紹介した評論では、肉体と精神の問題で語られているけれど、
私は山本さんの漫画のロマンティックな部分が好きだった。
だから初期短編も好きだった。

本筋のテニスももちろんおもしろかったが、今印象に残っているのは
ひろみをかばって、前に立った藤堂さんのシャツの白さだの、
学園祭の時に渡された、優勝メダルだの、手編みのマフラー渡した時の
「うれしいよ、ほんとうに」だの、雨の中で、抱き合ってる時の見開きのページだの
(お蝶婦人の「雨」「涙?」のシーンも好き)だったりする。

書いてるうちに思い出してきたぞ。だから、妙な精神論で高尚になりすぎて
みんなで岡ひろみを育てようなんて話は好きじゃなかった。
そうだ、女は男が支えなければならない。という考え方にいたっては、
あれれなんじゃこりゃ、と思った。
だから、岡ひろみは全然魅力がない。ひろみに自分を重ねて、いろんな
格好のいい男の人が支えてくれる状態がうらやましい、という読者心理が
当時あったかもしれないが。
昔ははっきりわからなかったけど、あの作品の中で一番魅力的なのは
お蝶夫人だったかもしれない。父親の支えがあるとはいえ、彼女は自分の足で
立っているようにみえる。

岡ひろみは一体なんだろう。自分の意志があるんだろうか?
周りの力でサポートされて伸びていく素材以上の何かがあったけ?
なのになぜ、みんなが岡ひろみに惹かれるのか。、、、謎。



2000年03月29日(水)
山本鈴美香 その1

昔あんなに好きだったのに、あんなに人気があったのに
今あまり語られることのないのはなぜだろう。
やはり宗教に走ってしまったのが、まずかったんだろか。
昔からエスパーおスミとか自分でいってたから、片鱗はあったのかな、、

デビュー作はマーガレットの増刊号。「その一言がいえなくて」
新人さんなのにその雑誌の中のどの作品よりもおもしろかった。
実際、アンケートも一位だったって、後年のエッセイにご自分で書いてた。
(そういう切り抜きもどこかにとってあったはずだけど、これは見ないで書いている)

「バッカスを探せ」とか「キッスにご用心」とか「初恋み〜つけた」。
初期の短編や短い連載はどれもが好きだった。タイトルを書いただけで
小学生の頃の、自分の部屋から見える近所の風景とか、夏休みや冬休みを
思い出してしまう。マーガレットを一日早く買える、タバコ屋さんとか。
和風趣味もあれば、西洋趣味もあり、学園祭を描くのが上手とか、
ちょっとエロティックなところもあるのは、後年の作品に全て見られる特徴。

他のどの漫画家さんにも似ていないけど、紛れもなく少女漫画家。
思えば、最初からずっと、独自の絵柄と話の人だった。

今回書くにあたり、作品リストその他探してみたけれど、
やはり何もみつからない。

ただ、おもしろい評論を見つけました。
書いてる人が得体が知れないのですが、なかなか鋭い少女漫画論を
展開されています。山本鈴美香は好きじゃない、とおっしゃるのに肯定的。
(そのほかの高橋亮子論もかなりおもしろい)
読んでみてくださいね。

少女漫画家論について
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/6501/SJManga.html

この項続きます。



2000年03月28日(火)
エロイカより愛をこめて by 青池保子

「エロイカより愛をこめて」の雑誌掲載時のカラーページを見たいと言う方が
いたので、手持ちの切抜きを出して、さっきまでながめていました。
(今日発送します。遅れてごめん)
ナンバー5の首脳会談の話から、12の笑う枢機卿までとってありました。
このころの少佐と伯爵は、かっこいいです。今見てもほれぼれしてしまいます。

青池さんとの出会いは、少女フレンド掲載の間宮海峡の話かテニスの話。
その頃は漠然と違和感を感じていました。
青池さんが体にあわないサイズの服を着ているような印象を受けていたようです。
フレンドに載ってるほかの漫画とはちょっと違うと幼い私(小学校低学年の頃)は思っていました。

変化のきざしは「イブの息子たち」から始まったのかな。
最初はあくが強くて入っていけなかったのが、だんだんおもしろくなって、
しまいに夢中になりました。イブの途中ででてきた影の大主役が起爆剤だったのか、、
「七つの海七つの空」から「エルアルコン」のシリアス路線が始まり、イブとエルアルコンを
足して割ったようなエロイカシリーズも並行して始まっていました。

エロイカの回が進むにつれて、それまであった無駄なものが削ぎ落とされて
青池さんは描きたいものを思い切り描き、読者もそれを支持するという
幸せな時期が長く続きました。ぱふの人気投票でもかなり長い間
上位を独占していたんじゃないかしら。
サイドストーリーとして始まった「Z」も成功しています。

そして、「アル・カサル」
実は私はこの作品を全部読んでいなくて、未完かどうかもはっきり知らないのですが、
新連載当初の絵はすごく好き。それが、いつからか、昔のような違和感が
感じられるようになってしまいました。青池さんが描きたいと思うところまで行く前に
読者がとまどってしまったような、、、(このころから私は漫画のブランク期に入るので
詳しくはわかりません。)

再びエロイカが再開されたのは、ゲームとかインターネットとかも関係あるのかな?
ソ連がなくなり、東西冷戦が使えなくなったスパイ物は小説も映画も大変です。
そんな中で、ミーシャと協力したり、いろいろ苦労を重ねつつ、少佐と伯爵は行く。
(この時代に一番適応しているのは実はジェームズ君かも)

「エロイカより愛をこめて」青池保子のホームページ/TOP
http://www.aoike.gr.jp/index2.shtml



2000年03月22日(水)
少女まんがの世界展

全国11ヶ所の美術館を、2年9ヶ月かけて巡回してきた
「少女まんがの世界展」も福井で最後です。26日(日)まで。

池田理代子、大島弓子、木原敏江、成田美名子、萩尾望都、美内すずえ、山岸涼子、羅川真里茂
8人の漫画家のカラー原画と白黒の原稿、276点。
まんがの原稿を美術館で見るって、どんなものかな、と思っていたけれど
質量ともに充実していて、おもしろかったです。

まんがは、多かれ少なかれ現実をデフォルメしたものだから、
こんなふうに、白日のもとにさらされているのを見ると、気恥ずかしかったりする、
という気分が私にはありますが、
今回の展示は、それぞれの漫画家さんの気迫というか、オーラみたいなものが
感じ取れて、十分存在感があったように思います。

池田さんの人気が絶頂だったころのカラーイラスト。オスカルを間近に見て
30年前のどきどきを思い出してしまいました。
バスティーユでオスカルが撃たれるページの原稿からは
全国の読者の悲鳴が聞こえるようです。(当時のことを知らない人には意味がないかしら?)

美内さんのカラーの配色は、う〜むとうなってしまうのだけれど
(ピンクと紫と黄色と青を同時に平気で使わないで〜とか)
それでも原画はきれいだった。この配色さえもがこの人のパワーなのね、って思いました。

木原さんは、どこかバランスのとれない危うさを感じてしまうのだけれど
それでも、摩利と新吾のイラストには、魅力があふれていると思う。
ちょっと展示の数が少なかったかしら。

成田さんはうまかった!構成、配色、バランス、技法、仕上がりの美しさ、どれをとってもすごい。
、、、でも、深みに欠けるのはなぜ?イラストレーターの作品のように美しい背景だけれど
もしサイファ達が画面にいなかったら、イラストとしては成り立たないと思う。
完成度の高さと内容の薄さにううむとうなってしまいました。イラストの中の空気は
とても好きです。

大島さんのチビ猫を最後に読んでから何年たっただろう。
軽く10年くらい再読していないような気がする。でもイラストを見て思い出してしまった。
ふわふわした感触や、自然な会話やいろいろなものを。
一枚の絵として見た時に一番まとまっているのは大島さんのイラストかもしれない。
さらさらと何の苦もなく描いたかのように見える漫画の原稿も、素敵。
チビ猫のやわらかい世界が、時間がたつにつれて、硬い手触りのギリギリの瀬戸際に
立っているような世界になっていったような気がするのですが、、、今はどうかしら。

萩尾さんの原稿を見て、ホワイトをさっといれた筆の感触まで、
指ではじいた勢いまで、好き!と思ってしまった私は、ただのミーハーのファンでした、、、
線の一本一本が愛しい、、、と、わずかな白黒原稿を見て再確認いたしました。
カラーはきれいだけど、この色合いは印刷に出にくいかもしれない。
「テレビでいっしょ」という雑誌に載ったというイラストがきれい。
こんな雑誌しらないぞ。

山岸さんの原稿はすごい。カラーも白黒の点描も。
どの絵を見ても、「この人には何かが欠けている」という感じがする。
描かれる人物にも何かが欠けている。それが欠点になってなくて、欠けたまま
堂々と存在できるまでに昇華された感じがして不思議。
もしかしたらバランスのとれた円満な人生ではないかもしれないけれど
普通の人たちには見えないものが見えるんだろうなあ、と思いました。
押さえた色調の精緻なイラストは絶品でした。

図録はまだゆっくり読んでいないのだけれど、学芸員の方々による漫画の解説は、
わかっているものもあり、全然わかってないものもあり、ぱふや評論家のうけうりやまる写しもあったりで、
内容のレベルは高くないです。
会場のイラストについてるタイトルや初出には間違いがけっこうあって、
ちゃんと漫画のこと知らないんだなあ、という感じでした。
(きちんとした監修をつけるべきだ)

あああ、暴言大魔王してしまったかしら。でも根っこにあるのは愛です。多分。



2000年03月13日(月)
BSまんが夜話「陰陽師」

おかげさまでやっと見ることができました。
BSまんが夜話「陰陽師」おもしろかったです。
実はBSまんが夜話をまともに見たのはこれが初めて。
前にちらっと見たときは、どうにも見当はずれのコメントが多くて
途中で嫌になってしまったので。
でも、今回は参加してる人がみんなファンモードで語っているので
好感が持てましたね。ゲストの萩尾さんのトークもおもしろかった。
ずっと前に、タモリの番組に出られたときは、テレビに向いてないかも
とか思ったけど、今回はそんなことはなかった。
もっともっといろんなことを語って欲しいと思いました。

岡野玲子さんの絵には重量感がない、という指摘は言われて初めて気がついた。
で、この人は絵が下手だ、といういしかわ氏のコメントも新鮮でした。
私は、絵が上手いなあって思っていたから。
「まんが」としての画力はないかもしれないけれど、岡野さん独自の作品を
作るにはこれで十分だと思うな。
総じて、ポイントをはずさずに「陰陽師の」おもしろさをみんなで
楽しく語るよい番組でした。
何も知らないピュアな博正くんが、全てを知る清明よりも重要な役割を
演じることになるのかしら。今後の展開に期待しましょう。



2000年03月09日(木)
「MUSIC FOR 陰陽師」

さて、BSまんが夜話「陰陽師」は、今日の深夜24時40分です。
まだ原作本を読んでない方のために、簡単に基礎知識を得ることのできる
HPをご紹介しましょう。
それは、ビクターのHPの「MUSIC FOR 陰陽師」のコーナーです。
リンクをはろうかとも思ったのですが、本名だの住所だのを書けとうるさいので
許可とるのがめんどくさいので、リンクしません。
岡野玲子さんの公式HPから、行ってくださいね。

Reiko Okano Web Site
http://www.najanaja.co.jp/index.html

「MUSIC FOR 陰陽師」はよくできたページです。デザインもきれいだし、
内容も濃いわりに簡潔。おまけにCDの試聴もできます。(REAL AUDIOで)
これ聞いてちょっと気に入ったので、CDを買うことにしました。
だけど2軒ほどお店を探したけど、見つかりません。が〜ん。もしかして、出遅れた?
しかたがないので、クロネコのブックサービスで注文出しときました。
感想は聞いてから書きますね。



2000年03月07日(火)
「陰陽師」第9巻 by 岡野玲子

400年に一度しかやってこない、ミレニアムのうるう日に発売された
「陰陽師」第9巻。おそらく最大のクライマックス。内裏炎上。

でも、どうも、日本史にうといせいか、国文にうといせいか、
陰陽道にくわしくないせいか、内裏炎上の意味するところはよく
わからないんです。そのうちぼちぼち関連書を読もうと思っていますが、、、

そんな私でも、夜の内裏の暗夜にはえる白洲だの、その上に広がる
底の無いような夜空を、岡野さんの絵から感じることができます。
異界の口が開いてしまって、そこここにざわめいている物の怪の気配。
物の怪よりもこわい、あやしげな坊さんと、丁丁発止とガンとばしあう清明。
全然話の見えていない博正くん。

誰も見たことのない平安時代の空気のようなものを
ここまで描いた作品はなかったのではないかしら。
それだけで、うれしくなってしまいます。

そして内裏が燃えてしまうんだな。

白泉社から本が出るようになってから、単行本のオビのあおり文句の
センスが良くない。スコラの時は気の利いたひとことが書いてあったんだけど。
今回は「真葛、解禁」
そりゃそうだけどさ、本筋にはあまり関係ないかんじ。
「内裏炎上」じゃないかなあ。

さて、BSまんが夜話「陰陽師」は明日です。

訂正 BSまんが夜話は9日(木)深夜でした。



2000年03月06日(月)
無敵のライセンス by 吉田秋生

吉田秋生が青春を語った本。(河出書房新社刊)

1.はじめて人を好きになる時   2.少しだけ片思い
3.初体験               4.レッスン
5.男の子女の子           5.男の子女の子
6.セックスと友情           7.女ともだち
8.いじめ                9.学校は密室
10.反抗                11.コンプレックス
12.永遠の少女期          13.兄弟姉妹
14.子供は親を選べない      15.卒業
16.ティーンエイジ          17.確かなもの 

インタビューに答える形の本なので、軽く読めます。
すごくバランスのとれた考え方をする人。
まじめすぎずふまじめすぎず、適当に遊んで、楽しく10代を過ごしてきたんだろうなあ。
こういう人はマンガを描かなくても生きていけると思うんだけれど。
なにが吉田さんの妄想のモトになっているのかな?と思いました。



2000年03月02日(木)
「風と木の詩」番外編

風と木の詩の連載が終了してからもう、何年だっけ?(16年!)
フラワーコミックスで全部初版で買って、もうずいぶん長いこと読んでいない。
それが、このあいだ、番外編があると聞いて、白泉社文庫版第10巻を買ってきました。
(このごろ、文庫や全集に思いがけず未収録作品が載っていたりする)

「幸福の鳩」初出は1991年イラスト集「海の天使」(角川書店)
ジルベールが死んでから3年、セルジュのピアノの演奏会で再会した
ジュールとロスマリネの話。
さりげなく登場人物たちのその後にふれながら、すっかり「大人」になってしまった
ふたりのおだやかな会話に、ほっとさせられる作品でした。
読者は(私は)、彼らと同じ思い出を共有しているのですね。
彼らが過去を語るとき、読者も昔の記憶を呼び覚ます。
これも長い物語を読む醍醐味かもしれません。
そして、あの結末ももしかしたら、幸福な結末かもしれない、と納得したりします。

漫画はその思い出が、作品としてリアルタイムのまま残っているので、
読み返せばその時に戻ることができます。
番外編を読んでから、文庫の10巻の最初のページから読み返しました。
プチフラワーに連載されていた、1番悲惨な部分。ジルベールが薬を始めて
セルジュが生活を支えきれなくなって、終末へ一気に行くところです。

驚いたのは、初出の時嫌でたまらなかった、あの話がすんなりと読めたこと。
ボナールの家でのつかの間の休息が、(それが永続しないとわかっているからこそ)
とても美しい時間だとよくわかりました。
そして、ジルベールが死んで嘆くセルジュの気持ちの描写が心地よかった、、、
竹宮さんの初期の作品に見られた、きらきらした感じが全開でした。
その時が1番美しいから、そのまま閉じ込めてしまう、作者と読者のわがままも
今ならわかります。共犯者。
最初から読んでみようかな。