私季彩々
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2005年03月16日(水) ちょこっと野心

備忘録

 悪性肉芽増殖で外耳道が塞がったシーズ−を預かっている。ここ2ヶ月ほど細菌性外耳炎がひどく、種々の処置を行ってきたが改善が見られず、薬剤感受性試験でも効く薬がみられない状態だった。イソジンも効果なし。グラム陽性桿菌が2種類ほど耐性を持って鎮座増殖しているらしい。
 で、先日、その犬が耳付近をかまれた。みるみる腫れて、自潰。首を振るとチャポチャポ音が鳴り、熱は40度を超える。かなりやばい状況であった。即断が必要であった。
 が、多忙な日。最高責任者を交えた会議がある日。責任者に連絡し、事情を話したが、会議を優先するように言われた。
 例えば、命の危うい人がいて、医師免許を持つものが会議を優先できるだろうか。最低限の処置を行い、医師の手配を行うのが限界で必要十分だろうか。私の個人の能力としては限界があり、世話になっている先生は不在。独断でメスを握る決断をした。手術とは言うほどではない。排膿とドレイン留置だけである。局所麻酔と沈静だけで十分。それ以上が出来る健康状態ではない。それでも、私には大事件である。
 幸い、私以上に優秀な看護師がいて、全てはその指示に従ったようなもの。それも尊重してもらいながらで、獣医師の尊厳は保たれたわけで。結局、処置できるのは私だけで、私以上に出来る人々も資格がないという理由だけで、傍観者になってしまう。むしろ、審査員になっていて、非常に心狭かった次第。助けられたが、その点では奇妙な光景であった。
 結局、組織として、私の立場は上司には理解されてはいない。それは仕方がないのだが、哀しいことである。と同時に、自らの可能性も感じないわけではない。足りないだらけだが、増すことが出来る領域。それが私には存在する。誰にでも存在する。そういうことではないだろうか。 Home&Photo


2005年03月14日(月) 回顧

 過去の日記を見返すと、今年は本当に雪が多いらしい。わが部屋の不似合いなバルコニーには背の高さ以上の雪が積もり、日もろくに射さないありさまである。雪を捨てる場所などどこにもないからなのだが、近隣はどこかに捨てているらしい、ってどこだろ。
 とはいえ、道路には常に水溜りがあり、早朝はアイスバーンという感じでもなくなった。春は確実にやってきているだろう。

 思えば、不相応に若い人にまみれるようになって2年、いくつかの楽しい人にも出会い、人生の方向性もようやくこんな感じかなと思えているが、そんな感じなのは常にフラフラである。多分、このまま一人で生きていくのだろうなと思いつつ、フララに夢見ていることと、現実との接点をそれなりに見出してはいる。結局一人では生きられないのだから、社会との接点は必要である。生きるには銭も必要。
 安定と不安定。結局どうするの?」という問いに答えられず、かといって日常の幸せな忙しさに浸っていない私は十分試行錯誤する時間があった。今後も十分ありそうだ。

 大きく分けて、この暮らしは2年目を越える。多分。気がかりは一つあるが、それはそれでいいと思えるタフさもある。一つ、環境を変えたいなと。小さくても。
 と、部屋を見ると、フローリングと畳は傷だらけ。壁もひどいありさま。環境変化なんて、言い出すだけ戦々恐々である。

 遠き日々を見返せば、結構いいことを書いていたりするなと自画自賛。いや、たまには自分を誉めてあげないと。誤字脱字は除いてね。 Home&Photo


2005年03月11日(金) 100%は難しい・・・。

100%というのはノルマとしては非常に難しいものである。特に不確定要素が大きい「人」という厄介者相手には。ん、、きびし。 Home&Photo


2005年03月09日(水) 抱負

 今年の大きな目標は、ずばり「農業」である。もちろん、生計としての生業ではない。人生のテーマである。目の前にある、わかりやすい「実り」を大切に、計画性を持って、過不足なく生きていきたい、というのが私の本心である。身の丈を自認し、必要なものを作り、溢れたものは日銭を削ってでも分け広げ、三寒四温を喜びとし、眠い目をこすって朝靄の畑へ向け都会を抜けよう。

 そんな思いは二転三転して久しく、無き恋人への遠吠えのように悲哀ばかりが木霊するが、行き来すればそれは真実でもある。白き野広がる北海道開墾の古き地が、私がしがらみなく辿り付いた、有り難き地である。
 昨年、勢いと仲間によって、私は畑を借りた。雑草畑と化し信用を失ったと思っていたが、何故かオーナーとは馬が合い、今年はより深いお付き合いが出来ることになった。で、昨日の暴風雪を切り分けて、畑へ初の参内となった。
 運良くオーナーがいて、来期の展望を話し合えた。生まれた山羊は4頭だったが、そのうち3頭は死んだという。それでも少しづつで切る範囲で増やし、ミルクを何かに応用したいと話された。畑の隅に作られたあばら家には工夫が凝らされ、少年のように大らかだった。
 大雪の今年を乗り切ったハウスの中は暖かく、しばれに強いほうれん草やサニーレタスが小さく成長していた。寒冷期の植物は糖分を見に秘めて甘く、苦味はない。

 今年は何とか戦略を練って、畑へ出る布石を打とう。昨年はその戦略で挫折したが、戦略自体はこれしかないのだから、乗り越えなくてはならない。人生時に兎二匹を追う時も必要だ。学生と同じ夏冬休みのある生活を年収500万で行えるならやる価値はある。
 残念ながら今年は同志がいない。どなたでもいつでも短期でも歓迎ですので、同行来貢よろしくです〜。 Home&Photo


2005年03月07日(月) 引っ掻かれカサビタ一線残る手の付け根を眺む細き細きよ

 猫に引っかかれました。その前はフェレットにかまれました。サーバルキャットと一緒に寝ていたら、手に彼女の尿の匂いが離れません。

 慌しく過ぎる中、機会が自らの中に残らずに過ぎています。吸収力旺盛な若者と、じっくりと生きてきた壮年者の間に埋もれ、時の早さに適応できないでいます。変わらぬ細き手に、回復力を見ますが、やはり、その腕はどこまで経ってもか細い。
 気がつけば3月。気温は急激に上がり、路面は水溜り。でもまた寒くなるとのこと。そうやって、月は過ぎていくはけではありますが。


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